NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.456


第75回 エルヴィスゆかりの地~オクラホマ州2025年編

(上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。)

昨年終盤からアメリカ南部の州への再訪が続いておる「バーチャル~」は、今回はアメリカ中部のオクラホマ州へ再突入じゃ。地図で確認するとオクラホマ州はテキサス州の真上にあり、かつて日本では“アメリカの典型的なカントリー・サイド”みたいに伝えられることが多かったような(?)。「オクラホマ訛りの英語は分かりづらい」とも?!実際にそうなのか、どうなのかはワカランが、50年代から同州でのエルヴィスに対する評判は割と好意的であり、70年代にも頻繁にライブが行われておった。同じくアメリカ中部に位置しながらライブ回数の少なかったカンザス州やネブラスカ州とは対照的じゃ。再訪の今回は、70年代のオクラホマ州でのライブ地を中心にご案内致す。50年代の貴重なライブ映像のご紹介もあります!

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第75回 オクラホマ州2025年編

 ・Area No.は2022年度編からのオクラホマ州内の番号
 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。
  
 【再掲載/追加情報】
 Area No. 5/Serial No.231 ミュニシパル・オーディトリアム/オクラホマ・シティ
 Area No. 8/Serial No.234 トレード・ウインズ・イン跡地/クリントン

 Area No. 9/Serial No.540  フェアグラウンズ・アリーナ/オクラホマ・シティ
 Area No.10/Serial No.541 マイリアッド・コンベンション・センター/オクラホマ・シティ
 Area No.11/Serial No.542  アッセンブリー・アリーナ/タルサ
 Area No.12/Serial No.543 フェアモント・メイヨー・ホテル/タルサ
 Area No.13/Serial No.544 
 マビー・センター/タルサ
 
【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

★右下地図をクリックすると拡大表示されます。(クリック↓)

★ 本文中の表記について ★

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Google-map上の位置が表示されます。

SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト

EDD=「Elvis Day By Day」 
     エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・
 コンサート(ウェブサイト)
HAC=ヒストリック・アエリアルス
    (アメリカの空撮サイト)


貴重なライブ映像で、お上品なオクラホマシティの女の子たちを観よう!(笑)
 【再掲載】Area No.5/Serial No.231 ミュニシパル・オーディトリアム/オクラホマ・シティ
 
   
 
 


 オハイオ州2025年編は、2022年編で訪れた場所の内、僅かながら、追加情報が見つかった二ヵ所の再訪からスタートしてみよう。

 まず一ヵ所目はオクラホマシティのミュニシパル・オーディトリアム(上右写真)から。1955年10月16日、1956年4月19日にライブが行われた会場であり(「バーチャル~第29回」Area No.5参照)、1度目はビル・ヘイリーと初めて共演しておる。
 2度目のライブは、50年代のオクラホマ州のライブではもっとも多くのステージ写真がネットにアップされておるライブじゃ。(左写真右側上下2枚)そして今回あらたに左写真左側の写真を発見!1956年4月19日のライブ写真であろうと推察されるが、エルヴィスであるような、ないような?2024年2月にオクラホマの地元サイトで、「オクラホマにやって来た歴史的ミュージシャン」的コラムに添付されていた1枚じゃ。(諸君はエルヴィスに見えるかのお?)
 
 さらに同日のライブの一部がyou tubeにアップされておった。you tubeには11年前にアップされたが、それ以前にもマニアさんたちは御覧になっているかも。今回リンクを貼ってご紹介するのは、少々鮮明な画像になって9年前にアップされた映像じゃ。「オクラホマ州2022年編」調査段階で見落としておりました(謝)。
 2分9秒の白黒無声映像ながら、ステージ上の演奏風景、客席のファンの様子、ライブ終了後にバックステージでファンの女の子と戯れたり、さらに車で会場を去るシーンまで丁寧に編集されており、この時代の映像にしてはかなり画質が良好じゃ。恐らくTV番組用に撮影、編集されたマテリアルと思われる。(左上サムネイル写真をクリック!)
 客席の女の子たちが割とおとなしい様子が意外と言えば意外か!?我々は、頭を振り回し、髪の毛をかきむしって熱狂する女の子たちの映像を見慣れているが、オクラホマシティの女の子たちはみんなお上品に可愛らしくエルヴィスを“応援している”様じゃ。エルヴィス・ファンというよりも、50年代の女の子たち自体の活き活きとした姿がグッドクオリティな映像で観られるこんな映像もまた貴重かもしれない。


現存していた希少なエルヴィス宿泊モーテルも取り壊されてしまった・・・。
 【再掲載】 Area No. 8/Serial No.234 トレード・ウインズ・イン跡地/クリントン


 オクラホマ州再訪二ヵ所目は、1963~4年にエルヴィスが少なくとも4~5回は宿泊したとされておる、旧ルート66号線(現40号線)周辺に存在していたモーテル、トレード・ウインズ・インの跡地じゃ。ハリウッドでの映画撮影の為に車でハリウッドとメンフィスを往復しておったエルヴィスが一時期定宿にしており、エルヴィスは常に2階の角部屋215号室に宿泊しておった。この度1960年代の写真(上左写真=当時の絵葉書)が見つかったのでまず掲載しておこう。

 このモーテルは、オクラホマ州の州都オクラホマ・シティの真西約120キロの位置にあるクリントンという小さな街の郊外にあった。 「オクラホマ州2022年編」の調査段階では、“近日中に取り壊し予定”とされており、あらためてネットチェックしたところ取り壊し完了に関するテキスト情報は見つからなかったが、最新のストリートビューではモーテルの建物が完全に取り壊されて、サインボートのみが残されておる様子が確認出来る。(上右写真ストリートビュー2024年4月撮影)。ちなみに上右写真はモーテルの敷地東側からの撮影であり、反対側の正面入口からのストリートビュー撮影は2019年が最新撮影であり、モーテルの建物はまだ写っておるので要注意!

 このモーテルに関する最新のテキスト情報(2023年11月)によれば、エルヴィスが泊まっていた215号室(右写真)は、エルヴィスの死後は宿泊客を入れずに「エルヴィス・ルーム」として綺麗に保存され続けて、数年前まではモーテルは通常営業されておった。しかしGoogle-mapのレビューでは近年のモーテルの評判はかなり悪く、「エルヴィス・ルーム」の存在に関わらずオーナーがモーテル経営の情熱を失ってしまったようじゃ。
 正面入口前の大通りを挟んだ対面の敷地も同オーナーの所有地であり、ここには「オクラホマ・ルート66・ミュージアム」が建てられておる。専用のサイトをチェックしてみたが、モーテルのエルヴィス・ルームがこちらに移設されたりした形跡が見当たらないのがとても残念じゃ。


 爆破予告と体調不良で“イマイチ・ライブ”も、美病的ショット多数!?
Area No.9/Serial No.540 フェアグラウンズ・アリーナ/オクラホマ・シティ
 1970年11月16日、エルヴィスは1956年4月19日以来14年半ぶりにオクラホマ州でライブを行った。都市は14年半前と同じ同州州都オクラホマ・シティであり、会場は11,000人を収容出来る当時同州最大の規模を誇ったフェアグランズ・アリーナじゃ。

 さて、「バーチャル~」の恒例とは逆に、ライブの詳細紹介の前に会場について触れておこう。数ある私設エルヴィス・サイトにおいてこの会場は「フェアグラウンズ・アリーナ」の他に、「ステイト・フェア・アリーナ」「ジム・ノリック・アリーナ」(現在の名称)、またオクラホマ・シティ発のローカルサイトでは地元の愛称「ビッグホーム」と4種類もの表記が見られるが、これら全て同一会場なのでエルヴィスのライブ履歴を調査しておる方は混乱なさらぬようにな。
 ちなみにネット写真検索すると、建物の正面入口に「フェアグラウンズ・アリーナ」と掲示されておる写真は無し。「ステイト・フェア・アリーナ」は1枚のみ。(上写真)その他の写真はすべて「ジム・ノリック・アリーナ」と掲示されておる写真じゃ。現在は「ジム・ノリック・アリーナ」が正式名称になっておるが、1965年開場当時の名称や改称の時期等は不明じゃ。左写真ストリートビュー2022年3月撮影。
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 1970年代はじめのエルヴィスのライブは何処もハイクオリティだったことは今更ジローじゃが、特にこの時期はライブ・ドキュメント映画「エルヴィス・オン・ステージ/Elvis: That's the Way It Is」のライブ撮影時期と重なっていただけに殊更絶好調でもあった。
 撮影はこの日のライブの二ヶ月前(9月9日)に完了していたとされ、映画はこの日の5日前(11月11日)に公開されており、上映開始とともに絶賛されたのは言うまでもない。その評判通りのライブをオクラホマ・シティでエルヴィスは見せつけた!と言いたいところじゃが、実はこの日のライブは“イマイチ”じゃったらしい!?
 オクラホマ・シティ地元の「オクラホマ・ジャーナル」には、「エルヴィスはこれが全てなのか?」というイミシンなタイトルで、この日のライブを次のように報じておる。

「メンフィス出身の彼がロックンロールに転向した時代には素晴らしい曲がいくつかあったが、今は長髪の元トラック運転手が真剣に取り組んだのは、16曲のうちのほんの数曲だけだった」

「アンコールはなく、数多くのファンは記念プログラムを眺め、大規模な警備隊によって遠く離れたステージを見つめながら、お互いにぶつぶつと話していただけだった。エルヴィスは“How Great Thou Art”を非常に忠実に歌い、期待していた観客に彼の素晴らしい歌声を少しだけ披露した」

「エルヴィスの多くの曲の演奏を中断したり、また演奏を始めたり、サイモンとガーファンクルの“明日に架ける橋”のイントロ中にスピーカーから落ちたり、くすくす笑ったりといった平凡なユーモアはあまり熱狂を呼び起こすことはできなかった」

「若者たちもそこにいたが、彼らの叫び声でさえ、エルヴィスが呼び起こすことで知られる興奮に匹敵するほどの高みに達することはなかった。観客は礼儀正しく拍手を送っていたが、彼らも心からの感動を得ることはなかった」



 上述したライブ・レビューの中には、この日のエルヴィスの不調の原因(?)らしきライブ前の事態にも触れておる。わしの拙訳に間違いがなければ、この日ライブ前に会場へ「爆破予告」があり大勢の警察官たちの入念なチェックがあり、恐らくエルヴィスは激しく動揺していたのではないかとされておる。
 また約一ヶ月間続いた映画のライブ撮影のためにエルヴィスは全精力を込めてパフォーマンスを続けておっただけに、映画が無事に完成して公開されたことで、この日のエルヴィスはかなりの“お疲れモード”であったのかもしれない。そう仮定してライブ写真を見てみると、エルヴィスの表情はかなりやつれておるようでもある。まあ、全身を覆う疲労感もまたエルヴィスならではの“大人の男の色気”に見えて、わしなんかは「カッコイイのお~」と感じるぞ!
 
 ライブ終了後は恒例の「エルヴィスは既に建物を去りました」とアナウンスがあったが、その後すぐに「エルヴィスの最新映画“That's The Way It Is”をぜひご覧ください」と付け加えられたという。


“お疲れモード・ライブ”から2年半、見事に名誉回復した絶好調ライブ
Area No.10/Serial No.541 マイリアッド・コンベンション・センター/オクラホマ・シティ
 上述したArea No.10「フェアグラウンズ・アリーナ」でのライブから約2年半後の1973年7月2日、同じオクラホマシティのマイリアッド・コンベンション・センター(左写真)でエルヴィスは70年代2度目のオクラホマ州ライブを行った。(1976年5月29日にも同会場でライブ開催)

 1973年は年初の「アロハ・フロム・ハワイ」やプリシラとの離婚問題、大佐による楽曲権利のRCAへの売却等、エルヴィスの身辺は何かと慌ただしく過ぎて行ったが、ネットにアップされておるこの年のライブレビューは概ね好評じゃ。中でも、2年半前には“お疲れモード”に終始したオクラホマシティでのライブは、会場を変えて行われたこの日は前回とは打って変わって好調だったようで、会場に集まった15,400人もの大観衆は絶好調のキングのライブを満喫した!
 以下、地元オクラホマの「デイリー・オクラホマ」のライブ・レビューから。タイトルも「エルヴィスはこれが全てなのか?」といった懐疑的なニュアンスから、今回は正反対の「エルヴィスはいまだに魔法を使うことが出来る」になっておる(笑)

「エルヴィス!年齢を超えたボビー・ソックスの永遠のアイドルは、今でもその魔法を発揮することができる。背中に赤と青のきらびやかな鷲のついたぴったりとした白いスーツを着飾ったプレスリー氏は、フリースイングをしていた1950年代の頃よりは小刻みな動きは多少抑えられているとはいえ、今でもヒップスウィンガーである」

「ステージに近づきエルヴィスに触れようとする女性たちを、50人の警察とエルヴィスの専属ボディーガードが引き留めるのが精いっぱいだった。一人の若い女性がドアの前に立って泣いていた。彼女はステージに近づくことができなかった。“私が彼にしてほしかったのは、キスだけでした”と彼女はすすり泣きながら語った」

「エルヴィスの聴衆のほとんどは中年女性だと思うだろう。そうではないのだ。最も熱狂的に叫んでいたのは10代後半から20代前半の女の子たちだった」


「エルヴィスの声は相変わらず素晴らしい。彼は若い頃よりもはるかに上手にそれを使いこなしている。 38歳の歌手はいくつかの新曲で聴衆を驚かせ、昔のヒット曲のメドレーで聴衆を完全に魅了したのだ。最高のナンバーの 1 つはゴスペル ソング“How Great Thou Art”であり、男性の声の優れたカルテットが彼に加わった」

「エルヴィスは本当にショーマンになることを学んだのだ。彼は聴衆を喜ばせるために本に書かれているあらゆるトリックを実行出来た。フィナーレとして、彼は明るい青の裏地が付いた白いマントを身に着け、曲の終わりに両手で伸ばしたマントを持って膝をついた。大混乱とスタンディングオベーションが聴衆からの答えであった!」

 オクラホマ州有数の大型イベント会場として1972年にオープンしたこの会場は、主にバスケットボール、ホッケー、ロデオの会場として長らく繁栄した。2021年に映画制作会社がオーナーとなった以降はイベント会場兼大型映画制作スタジオ「プレーリー・サウス・スタジオ」として運営が続けられておる。Area No.5ミュニシパル・オーディトリアム(現シビック・センター・ミュージック・ホール)は南東わずか900メートルの位置にある。右写真ストリートビュー2024年3月撮影。


 1970年代最高のライブツアー「72年6月度ツアー」のフィナーレ
Area No.11/Serial No.542 アッセンブリー・アリーナ/タルサ


 全米中の大型アリーナでのライブツアーと“魔のラスヴェガス・ロングラン”に明け暮れたと言える1970年代のエルヴィス。後半は好不調の波が激しかったものの、1972~1973年頃まではキングの称号に相応しいグッドクオリティなパフォーマンスを繰り広げ続けておった。その中でも未だに「ベスト」と評されておるのが1972年6月10~20日のこの年二度目のツアー。同年5月にハワイで休暇を過ごした後、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンに満を持しての登場(6月9~11日)。その後、インディアナ州フォートウェイン、同州エバンズビル、ウィスコンシン州ミルウォーキー、イリノイ州シカゴ、テキサス州フォートワース、カンザス州ウィチタと周回して、ファイナルの場所がオクラホマ州タルサ、シビック・アッセンブリー・アリーナであった。(左写真)

 マジソン・スクエア・ガーデンでの大成功で遂に念願のニューヨーク制覇を達成したことで、エルヴィスが俄然意気軒高状態になったことは想像に難くなく、以降この会場のライブまでエルヴィスはハイテンションのままでぶっ飛ばしていたことじゃろう!(ちなみに翌日からは約40日間の休暇。8月4日からはラスベガスでの一ヶ月間のロングラン・ライブがスタート)
 6月9日からこの20日までのセットリストを確認してみると、僅かな変化がある。オープニングナンバーが以前の定番曲「CC Rider Blues」から「That's All Right」になっておる。8月4日からのラスベガス・ライブでは再び「CC Rider Blues」に戻されておる。この意図は正確には不明じゃが、EPCでこの点についておもしろい指摘があった。「エルヴィスは一晩中歌いたい気分の時はそうするのである!」まあ、当時エルヴィスが心身ともに絶好調であったということじゃろうな!
 またEPCにはライブ毎の総演奏時間が記載されておるが、12日間(8都市)ぶっ通しのツアーの中でこの日がもっとも長い78分と記載されておる。その他のライブ地は60分前後。当然演奏曲数ももっとも多い25曲。他のライブ地は21~22曲。察するに、この日のライブをマディソン・スクエア・ガーデンからスタートした重大なライブツアーの終焉の地として、エルヴィスは特別の意識をもって臨んでいたのじゃ。
 なお絶好調状態が続いていたためか、ツアー最後のこの日はさすがのエルヴィスも“ガス欠気味”だったという評もネットから拾えたが、この際そうしたネガティブ論はスルーしてしまおう!

 オクラホマ州タルサという街は、同州内で州都オクラホマ・シティに次ぐ人口第二位(現在41万人)の都市。20世紀前半に石油業によって発展した街であり、アッセンブリー・アリーナー(サイトによってはアッセンブリー・センター表記) はタルサ最大のスポーツ&イベント会場である。現在はアーベスト・コンベンション・センターと改称されておる。右写真ストリートビュー2022年8月撮影。
 なおタルサといえば、エリック・クラプトンもカバーしたカントリーの名曲「タルサ・タイム」を想起する方もいらっしゃるじゃろう。ソングライターのダニー・フラワーズが「タルサ・タイム」を書いたシェラトン・ホテルはアッセンブリー・アリーナから南東約13キロ離れた場所にある。


ライブ・ショット以外でもエルヴィスはクールだった!
 Area No.12/Serial No.543 フェアモント・メイヨー・ホテル/タルサ

 上記タルサ・アッセンブリー・アリーナでのライブ当日の未明(1972年6月20日)、エルヴィスは前日のライブ地カンザス州ウィチタから空路でタルサ入りし、空港から宿泊先のフェアモント・メイヨー・ホテル(左写真)にチェックインした。エルヴィス一行は最上階を含む3フロア全室貸切りで宿泊したそうな。左写真、ホテル天辺のMAYOのサインボード下、屋上にペントハウスとして建て増しされたような部分まで貸切られていたという。

 1925年に開館したメイヨー・ホテルは、政財界からスポーツ界まで、全米のあらゆる有名人たちがタルサを訪れた際に宿泊していた超高級ホテルであり、エルヴィスの他にはジョン・F・ケネディ、チャールズ・チャップリン、ベーブ・ルース、ジャック・デンプシー(ボクシング選手)、メイ・ウェストら錚々たる顔ぶれがホテルのVIPリストを飾っておる。

 2025年で創業100年を迎えるメイヨー・ホテルは、長い歴史の中で何度かオーナーが変わり、21世紀に入ってからは取り壊しが検討されたこともあったが、大規模なリノベーションが施された末に現在でも稼働中。
 上写真3枚でエルヴィスが出てきておる出入口は、ホテルの南側正面入口ではなく、西側の出入口。現在の様子は下右側写真(ストリートビュー2022年5月撮影)。現在の正面入口は下左写真。(ストリートビュー2022年5月撮影)
 また上写真3枚は、アッセンブリー・アリーナでのライブの翌日、6月21日メンフィス行きのフライトに乗るためにホテルをチェックアウトして空港行きの車に乗り込む際に撮影されたもの。当時(1972年)のエルヴィスは、ホテルに出入りする姿も凛々しく、ファッションもキマッテいて実に“キング”らしいお姿じゃ。


“何よりもあなたの魂が繁栄し、健康でいられますように”(新約聖書ヨハネの第三の手紙より)
 Area No.13/Serial No.544 マビー・センター/タルサ
エルヴィスのライブツアー史上、一定の継続期間内では最大の収益を上げたと伝えられておるのが、1974年3月1日から20日までのツアー。当時全米で最大級の集客キャパ(45,000人)を誇るテキサス州ヒューストンのアストロドームでのライブが含まれていたとはいえ(3月3日昼夜2回)、この時期のエルヴィスの集客力及びギャラは天井知らずだったという!その1974年度ツアーのスタート(&2回目)となった会場がオクラホマ州タルサのマビー・アリーナ(左写真)じゃった。
 
 当時のライブレビューには、「エルヴィスの体調、演奏に関しては申し分なし。問題があったとすれば、それはライブ時間の短さだけだ」とされておる。
 調べてみると、この日のライブ時間は約45分、演奏曲数は20曲という記録が残っておる。確かに短いし、演奏曲数も3~4曲少ない。このライブ状況はこのツアー中ほとんど同じであった。現在ならSNSとやらで「デカイ収益を上げているのに手抜きしてんじゃないのか!」とか突っつかれるかもしれない!?
 あえて原因を探ってみると、ライブ時間の短縮はエルヴィスの精神的な負担を軽減する苦肉の策だったようでもある。このツアーがスタートする前、同年1月26日から2月8日までの14日間で、エルヴィスは“魔のラスヴェガス・ロングラン・ライブ”を27回もこなしており、その後約20日間の休暇があったとはいえ、エルヴィスがライブに対して辟易していたのは想像に難くない。現にその後断続的に続いた1974年度のライブツアー中、エルヴィスのステージ上での奇行、危言、脱力状態が時折見られるようになってきた。とりあえずツアーのスタートは無難なライブが行われたようじゃ。
  マビー・アリーナーは、オハイオ州タルサのオーラル・ロバーツ大学内に1972年に建設された大学管轄の大型イベント会場。収容人員数は11,000人で当然3月1日、2日は超満員じゃった。
 ライブ前にエルヴィスは大学の創設者、学長であるオーラル・ロバーツ氏やそのファミリーたちと記念撮影を行っておる。(右写真左側、当ページ上部スライド写真。右写真右側は会場入りするエルヴィス)

 オーラル・ロバーツ氏は当時全米でも有名なキリスト教伝道師であり、ラジオやテレビによってキリスト教を布教していたことで宗教活動家としても位置づけられておった人物じゃ。大学では、学生たちに「酒、タバコ、結婚前の男女の営みの禁止」を厳命する誓約書にサインをさせたり、大学内キャンパスに礼拝塔を建立するなど敬虔なキリスト教信仰を全面的に掲げておった。そんなキビシ~大学でエルヴィスのライブが行われたことは実に意外じゃが、とりあえず写真をみる限りでは学長さんはエルヴィスの来訪にご満悦のご様子じゃ!

 学長さんは若き日に新約聖書を熟読し、特に最後から三番目の書「ヨハネ第三の手紙」の中の一説に深い感銘を受けたそうな。(wikipediaより)それは次のような一説であり、エルヴィスにも説法したのかもしれない。果たして学長さんの心はエルヴィスに伝わったのであろうか・・・。「私は何よりもあなたの魂が繁栄し、あなたが健康でいることを願っています」。右写真ストリートビュー2022年3月撮影のマビー・センター。


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