The-Kingファンの皆様、ご無沙汰しております。七鉄師匠の弟子、もとい下働きのまめ鉄です。前回はいつ登場を許されたのか、もう忘れてしまったほど久しぶりの投稿です! 七鉄師匠の「バーチャル・ロックンロールツアー」はお楽しみ頂けてますでしょうか?最近の師匠は「そろそろ全米網羅が見えてきたぞ!」とかコーフン気味なので、暴走老人ぶりを鎮静させるべく1回休ませることにしました(笑)依然として師匠がやる気に満ちているのはいいんですが、「肩凝りがヒデーからロキソニン(鎮痛剤)持ってこい!」とか「目が霞んでしょうがねー。目薬あったか?」とか「眼精疲労の時は、ビタミンAだっけ?Bだっけ?どっちがいいんだ?」とか煩くてしょうがないです!このままでは、僕は師匠の下調べ係ではなくてパシリで終わっちゃいそうなんで、ここらでちょいと存在感をアピールさせて頂きますね! 前回の「バーチャル・ロックンロールツアー」で、1974年5月11日、レッド・ツェッペリンのメンバーがエルヴィスを訪ねた件についてチラリと触れていましたね。(Area No.20/ザ・フォーラム)当時のツェッペリンはビートルズ解散後のロック・シーンでNo.1の座に昇りつめていたバンドであり、超一流バンドの証である自社レコード・レーベル(スワンソング)を設立したばかり。彼らがエルヴィスを訪ねたのは、ロサンゼルスでのスワンソング立ち上げパーティーの翌日でした。ロバート・プラント、ジミー・ペイジ、ジョン・ボーナム、更にマネージャーのピーター・グラントはザ・フォーラムでエルヴィスのライブを鑑賞した後にエルヴィスの元へ馳せ参じたのです。 これはエルヴィスとツェッペリンの共通のプロモーターだったコンサート・ウェストの計らいだったそうですが、その当時から既に49年が経過しているにもかかわらず、ツェッペリンがエルヴィスを訪ねた場所が未だに明らかになっていないことが分かりました!70年代前半のロックコンサートでもっとも集客力があったエルヴィスとツェッペリンの歴史的な邂逅にも関わらず、その場所が不鮮明って考えられないですよね! そこで、ネット上で乱舞している情報をまとめ、僕なりの見解をひねり出してみましたので、「バーチャル~」の息抜きの感じでご一読下さい。 |
謎解きプロセス① 両雄が逢ったのはバックステージ?ホテル? “Elvis meets Led Zeppelin”のキーワードで検索すると、かなりの数の情報サイトがヒットします。くまなくチェックすると、両雄が逢った場所はザ・フォーラムのバックステージ、もしくはエルヴィスが泊まったホテルとに二分化されます。この時点で早くも「一体どっちなんだ?」って悩みますが、両雄が同じ空間にいた時間は、どのサイトも約90分間(1時間半)の表記で共通していることから想定すると、恐らく“エルヴィスの泊まったホテル”の方だろう」と僕は思います。 ツェッペリンはエルヴィスの5月11日のイブニング・ライブ(上写真左側、中央)を鑑賞した後にエルヴィスを訪ねています。イブニングライブのスタートは20時半であり(EPCより)、終了は22時頃。仮にバックステージで両雄が逢ったならば、22時半頃から24時頃までの約90分間となりますが、エルヴィスは翌日に飛行機移動が控えているので、日付が変わる直前の時刻までライブ会場のバックステージにいるとは考えにくいですね。ですので、訪問者(ツェッペリン)を受け入れるにはホテルの方が都合がいいはずです。翌12日にエルヴィスが次のライブ地カリフォルニア州フレズノへ向かうために空港にいる写真も残されています。(上写真右側) ところで、以上の僕の想定は何らスルドクもなく、誰でも考えられることです。ではなぜ「バックステージ説」も未だに存在するのでしょうか?これは「バックステージ説」をアップしているサイトに添付されている写真が原因かと(下写真2枚)写真にはスワンソング・レーベルやツェッペリンのロゴ入りのTシャツを着たスタッフの姿が写っています。「ツェッペリン側のスタッフが写っている写真を添付すれば、場所がバックステージだった事の裏付けになる」と記事投稿者は言いたいのでしょう。いちスタッフがエルヴィスのホテルの部屋まで行けるはずがありませんから。 でもよく見ると、エルヴィスのお顔や衣装は1974年5月11日ではなかったりします。またエルヴィス側のスタッフがフレキシブルにツェッペリンのTシャツを着ていたという証言もあり、ツェッペリンのTシャツを着ているスタッフは実はエルヴィス側のスタッフだった可能性もあるのです。(右写真左側は、ジョージア州メイコンのヒルトン・インでの撮影と判明!) 従いまして、バックステージ説は無しであり、両雄の逢った場所はエルヴィスの宿泊先ホテルだったと致します! |
謎解きプロセス② ホテルならば、何処のホテル? さて、ここからが実に難儀!エルヴィスが1974年5月11日に泊まったホテルが分からないのであります!数ある英文サイトの表記は“Elvis's Hotel”“Elvis Suite”“Los Angeles Hotel”“Hotel Room”と、肝心のホテル名の表記が無いのです。 ここで力強い味方を発見!ロバート・プラントがエルヴィスに初めて会った時の思い出を語ったインタビュー動画があったのです。(左写真)全ての謎はこれで解明される!と喜んだのも束の間、まずこの動画は残念ながら翻訳字幕機能がオフ設定にされていましたので、なんちゃって英語力しかない僕は、何度もロバートの供述を聞く羽目になりました。 確かにロバートはホテルまでエルヴィスを訪ねたと言ってますので、上記プロセス①で結論付けた「ホテル説」は正しかったのですが、ロバートもまたホテル名を言ってないんですね(泣)代わりに「エルヴィスは安ホテル(Cheap Hotel)の最上階を借り切っていたよ」なんて言ってます。エルヴィスが安ホテル?って、ちょっと信じ難いハナシですよね!冷静に考えれば、“キングのエルヴィスにしては安ホテル”というニュアンスなんでしょうね、これは。 中高生時代の英会話聞き取り練習よろしく、またまた何度もロバートのインタビューを聞き直しました。ロバートはエルヴィスの第一印象を次のように語ってました。 「エルヴィスは、僕よりは身長は低かったけれど、実にシンガーらしい体格をしていたよ。胸板が厚くてね」 さすがパワーシンガー同士、目の付け所がいいですねって今はそこじゃない!ホテルの情報だ!って思い直したところ、「ザ・フォーラムの向かいのホテル~」とも言っているような。 「よっしゃあ~」ってGoogle-mapでザ・フォーラム周辺のホテルを検索しましたが、エルヴィスが泊まるに相応しいホテルなんか皆無(泣)大体ザ・フォーラムの四方は巨大な駐車場であり、その向こうは住宅街が広がっていて、基本的には商業施設やホテルが建てられるような環境じゃないんです。(右写真)証拠不十分なネット情報に振り回される「バーチャル~下調べ係」の宿命とあらためて直面です(泣) |
謎解きプロセス③ “Hilton Hotel Inglewood”? ネット情報のテキトーさを食らえば食らうほど僕はファイトが湧いてきます。これは七鉄師匠譲りの性分です!というか、僕は師匠から“幽体離脱”した存在なので当たり前ですけど! もう一度“Elvis meets Led Zeppelin”のキーワードでネット検索してみたところ、1件だけエルヴィスとツェッペリンが逢ったホテル名が明記されているサイトがありました!それは「Hilton Hotel Inglewood」でした。Inglewoodとはザ・フォーラムのある地域名です。(左写真) しかし過去も現在も、Inglewood地域でヒルトン・ホテルの存在がネット上で見当たらないのです・・・やっと夜明けだ!と思ったらすぐに日没・・・それの繰り返しです。 そこで過去の調査での事例から、エルヴィスは翌日に飛行機移動を控えている場合、空港近くのホテルに滞在する場合があることを思い出し、ロサンゼルス・エアポート近くのホテルを探したところ、「ヒルトン・エアポート」がありました!「ここだ!」と断定したい気持ちを抑えながら、もう一度ロバート・プラントのインタビューを聞き直したところ、重要な聞き漏らしがありました。 「エルヴィスは凄い部屋に泊まっていたよ。壁が紫と茶色に塗りつぶされていたよ」 「あのなあ、ロバート。紫と茶色ってのは差し置き、さっきは安ホテルって言っておきながら今度は凄い部屋かよ!テメー耄碌(もうろく)してんじゃねーのか」ってキレかかりました。でも“凄い部屋”ってのは重要な証言です。僕が知りうる限り、空港激近のホテルに、超豪華なホテルってのはまず無いのが世界の通例なんです。空港激近ホテルは、フライト時刻までの残された時間の有効活用の為に短時間だけ利用される場合がほとんどであり、また飛行機の離着陸の騒音により、豪華な設備を用意しても利用者が堪能出来ないという不可避的な事情があるのです。 これで「ヒルトン・イングルウッド説」「ヒルトン・エアポート説」は僕の中で消え失せました。上記の表記の根拠は何なんですかねえ・・・またもや、調査のやり直しであります・・・。 |
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