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テネシー州周囲を巡るツアーも、ついに最後のノース・カロライナ州に到達じゃ!その南にあるサウス・カロライナ州まで含めて前編と後編に分けてご案内致す。 1950年代のエルヴィスのノース・カロライナ州でのライブは17回にも及び、これはテネシー州周囲の州の中ではライブ開催回数(日数)では最多じゃ。(一方サウス・カロライナ州は僅か4回)前編の今回はノース・カロライナ州のみに絞っておきたい。 しかし、エルヴィスのライブ写真はネット上ではほとんど無く、スコッティ・ムーアのサイトでは多くのライブにおいて記述がスルーされちゃっておった。サンレコードのサイトも説明書きはほんの僅か。 誠にマイッチングじゃったけど、真偽のほどが不明なものまで含めて、エルヴィスマニアたちがアップしている小さな周辺情報が意外と多かったのもノース・カロライナ州の特徴かもしれない。そんなマイナー情報も出来るだけ紹介しておくことにするので、どうかお楽しみ頂きたい!次回の後編では、サウス・カリフォルニア州まで含めてお届けすることにしますぞ! なお今回までの19回分、プラスまめ鉄のアウトテイク集/先乗りレポを合算すると、「バーチャル・ロックンロール・ツアー」は24回、連載してから丁度1年となりやした。 エルヴィスの歴史、ゆかりの地を書籍やウェブサイトで調べて、読んだり見たりすることが楽しい方に贔屓にして頂けるように継続していきますんで、今後もツアーへのご参加よろしくお願い致します!
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ペプシ発祥の地でノース・カロライナ・デビュー! Area No.1/Serial No.152 シュライン・オーディトリアム/ニューバーン エルヴィスがノース・カロライナ州に初登場したのは、1955年5月14日、大西洋沿岸に位置するニューバーンという街にあるシュライン・オーディトリアムじゃ。ニューバーンは「ペプシ・コーラ」が発明された土地としてアメリカではそれなりに有名じゃ。上左写真は、ネット上で唯一拾えた同会場でのエルヴィスの写真であり、ペプシ・コーラの瓶(?)が写っておる! この年ブルームーンボーイズは、5月と9月にノース・カロライナ州でツアーを行っており、いずれの月もこのシュライン・オーデイトリアムからツアーがスタートしておる。(9月の登場は13日)5月13日までエルヴィスは、「ハートブレイク・ホテル」の作曲者であるメイ・ボーンレン・アクストンと運命的な出会いを果たした初のフロリダツアーを行っており(第8回フロリダ州後編~Point-13 ピーボディ・オーディトリアム/デイトナ・ビーチ参照)、様々な側面から「エルヴィスの歴史」が音を立てて本格的に動き始めた時期にエルヴィスはニューバーンにやって来たのじゃ。 またこの日は土曜日に当たり、ビルボード紙が「Baby,Let’s Play House」に77点(100点満点)を付けるという、新人ミュージシャンに対しては珍しい高評価を発表。また“カントリーミュージックの独特の潮流”という好意的なコメントも付けられおり、エルヴィスも御機嫌だったかもしれない! シュライン・オーディトリアムは何度かの補修、改築を経て現在は「スーダン・シュライン寺院会館」の名でコンサートホールとして稼働中であり、現在の外観はエルヴィスが出演した当時とあまり変っておらん!(右上写真、ストリートビュー2018年7月撮影) ■Google-map上の位置■ スコッティの絵葉書はブルームーンボーイズ好調の証 Area No.2/Serial No.153 ユナイテッド・ポストオフィス/アーナル シュライン・オーディトリアムのライブに関する詳細情報はネット上では見当たらなかったが、少々興味深い付随エピソードを発見! ライブ翌々日の5月16日付で、スコッティ・ムーアが郵便局で投函したシュライン・オーディトリアムの絵葉書が残されておる。(左写真)宛先はテキサス州のプロモーター、セシル・ホリフィールド・ジュニア。当時テキサス州での音楽ライブを取り仕切っていた一人であり、エルヴィス一行らはこの後5月~6月はテキサス州へ重点的に攻め込んでおるので、その挨拶代わりのお便りだったのじゃろう。その文面は短いが、順調にライブツアーが続けられておることがスコッティの手によって綴られておる。シュライン・オーディトリアムのライブもきっと盛り上がり、スコッティは気を良くしたタイミングで投函したに違いない。 まだミュージシャンのライブ・ツアーというものがビッグビジネスに繋がる時代ではなく、ミュージシャンにとってもプロモーターにとってもほとんど生業(なりわい)同然だっただけに、家族のような温かい間柄が両者にとって成立していたのじゃ。礼節を重んじる人格者じゃったスコッティのお人柄が偲ばれるエピソードといえるじゃろう。 この絵葉書が投函された郵便局は、シュライン・オーディトリアムから車で15分ほどの距離にあるアーナルという小さな街のユニオン・ポストオフィスであり、ストリートビューでは2008年7月の撮影ながら当時の建物がそのまま残されておる。(上右写真)またアメリカのエルヴィス・マニアの最近の動画チャンネルでも紹介されておるので、動画撮影日は不明ながらも現存しておる可能もある。 投函日はエルヴィス一行が翌5月17日のアッシュビルという街でのライブの為の移動日であり、スコッティが投函した時はエルヴィスも一緒だったに違いない!ユニオン・ポストオフィスは1969年に通りを隔てた対面に移動しており、そちらは現在でも稼働中じゃ。Google-mapのレビューの中には、「かつてエルヴィスが立ち寄った郵便局」との書き込みがある! ■Google-map上の位置■ |
ミュージシャンたちや女の子もみ~んなノックアウト! Area No.3/Serial No.154 シティ・オーデイトリアム/アッシュビル エルヴィスとブルームーンボーイズは、1955年5月14日にArea No.1「シュリン・オーディトリアム」でのライブを終えた後に1日オフをとり、上述の通りに5月16日にArea No.2「ユナイテッド・ポストオフィス」に立ち寄ってから約5時間車をぶっ飛ばしてノース・カロライナ州の内陸約550キロにある街アッシュビルへとやって来た。翌17日の当地シティ・オーディトリアム(左写真)でライブを行うためじゃ。同年9月のノースカロライナ州でのツアーでは9月16日に同会場で再びライブを敢行しておる。 アッシュビルでの二度のライブに関しては、幸運にも、ミュージシャン仲間とファンとの両方からの証言が残されておる。 まず5月17日。ジーン・ヴィンセント・ブルー・キャップスの2代目ギタリスト、ポール・ピーク(下左側写真、右側の人物)がこの日のライブを目撃しておる。当日のライブはTV放映用のステージショーでもあり、ブルームーン・ボーイズ他、出演した幾つかのバンドのひとつにポールは参加しておった。 「ノースカロライナ州アッシュビルでエルヴィスに会ったことがあるよ。私がスティールギターを弾いたテレビ番組に、エルヴィスはハンク・スノーとマーサ・カーソンと一緒に番組に出演していて、彼らはショウの最後に出演したんだ。彼らは私たちを追い出した!(立場がなくなるほどエルヴィスはお客にウケタという事じゃろう!)エルビスは後に録音した「ピース・イン・ザ・バレー」を歌ったことも覚えているよ」 次に、エレクトリック・バンジョーの名手と称され、アメリカン・トラディショナル・ミュージシャンとして長く活動したバック・トレンドの証言(上右側写真)。彼もまた5月17日のTVショーに出演してエルヴィスに関するコメントを残しておる。 「私がアッシュビルでテレビ番組に出演した時のこと。エルヴィスはまだデビューしたばかりであり、ハンク・スノーと一緒にパッケージショーに出演したんだ。エルヴィスは(前々日の)ノーフォークで実に25回のアンコールを受けていて、スコッティとビルが私にそのことを自慢していたね」 「エルヴィスがステージに上がってきた時、ショウに共演していた私たちまでテレビスターになったような雰囲気になったよ。 ショーの後、私たちはダイナーに行って食事を共にしたもんだ。私はエルヴィスに“君は別格だと”と言ったら、エルヴィスははにかんでいたっけね。更に私が興味を持ったのは、スコッティとビルというトラディショナルなミュージシャンが、マーティンのギターの弦を演奏中に全て切ってしまうような型破りなエルヴィスとバンドを組んでいることだった。その夜、エルヴィスは緑のスポーツ コートとシャルトリューズ パンツで登場して、実際にギターの弦を切りまくるようなパフォーマンスを披露していたよ!」 9月16日のライブに関しては、サンレコードのサイトにロイス・エンジェルという女性客の証言が残されておって、これがなかなかオモシロイ!当初彼女の目的はミュージック・ジャンボリーの一員であるルービン・ブラザースであり、エルヴィスに関しては名前すら知らなかったという。Elvis Presleyとは変わった名前、オモシロイ名前に思えたらしく、コメディアンに違いないと想定してたらしい(笑) 「ショーが進行するうちに、私たちの後ろの女の子たちはエルヴィスの名を叫び続るようになりました。カーテンが開き、スコッティとビルがステージ上のそれぞれの場所に着きました。エルビスはバラ色の赤いスーツ、白いバック、ピンクのシャツを着てステージに飛び出すと、女の子たちの叫び声は大きくなりました。ステージ上で優雅に動き出すと、彼の茶色がかった髪が額に跳ね返った。彼は背が高く、ほっそりしていて、とてもハンサムでした。彼は自分のしていることを完全にコントロールしていて、完全に快適であるように見えました。彼のステージ・アクトは滑らかで素晴らしいものでした」 「エルヴィスはステージ上の古いピアノに近づき、チューインガムの大きな塊を口から取り出し、ピアノの側面に貼り付けました。そして聴衆の方を向いて、「コイツを持って帰るのを忘れないでね!」と言った。私たちは彼らのジョークに笑わされました。またエルヴィスは曲の名前を忘れたり、次に何を歌ったらいいのか分からないフリをして、またまた私たちを笑わせてくれました。それは観客の反応をより激しく、よりハッピーにする効果がありました!ビルは終始飛び跳ねる様にプレイしていました。バンドの一体感音は本当に魔法のようであり、彼らは一心同体でした」 上写真は、アッシュビルでの二度のライブの新聞広告と、ツアーで共演していたデイヴィス・シスターズとカメラに収まった1955年夏のエルヴィス。(撮影場所は不明) 右写真は、ストリートビュー2021年9月撮影。シティ・オーディトリアムは現在では「トーマス・ウォルフ・オーディトリアム」と改称されて現役続行中のコンサートホールである。 ■Google-map上の位置■ |
エルヴィス登場時の原型が今も残る希少なボールパーク Area No.4/Serial No.145 フレミング・スタジアム/ウィルソン 1955年9月14日、エルヴィスご一行はノース・カロライナ州ウィルソンという街のベースボール・パークである「フレミング・スタジアム」で、約2,000人の観客を集めてライブを行った。この日のライブは、2,000の客席に対してチケットが3,000枚売られて混乱が生じたとか、チケットを買っても入場出来なかったお客の為に急遽追加ライブが行われるべきだったが、パーカー大佐が追加ライブ分のギャラを共演者たちに支払ったとか支払わなかったとか、チケット売り過ぎによる混乱は翌年2月14日に行われた同じくウィルソンのチャールズ・L・コーン・ハイスクール・オーディトリアムでの事件だったとか、とにかく情報が錯綜していていまだに真相は不明!?確かなことは、ミュージック・ジャンボリーのトリだったエルヴィスが、控室からステージに続く階段を駆け上がって聴衆の前に登場した途端に、足を滑らせてズッコケたってアクシデント! ライブ開催時のエルヴィスの写真も無く、当時のスタジアムらしき写真も撮影日時が不明瞭。ノース・カロライナ州のご案内ポイントから外してもよかったが、わしの様なベースボール・マニアにとっては記憶に留めておきたいスタジアムじゃ。まず上右側写真じゃが、これは1947年まで存在していた黒人だけのベースボール・リーグ「二グロ・リーグ」がこのスタジアムで行われたていたことを証明するショット。撮影は1945年とされておる。一般的には注目を浴びることがなかった二グロ・リーグの写真は極めて希少であり、その1枚がエルヴィスのライブに使用されたスタジアムで撮影されていたことに、わしゃ~じい~んときてしまった! フレミング・スタジアムは、外観も客席も客席下の構造も1936年に開場した時の原型が現在でも使用されているアメリカン・ベースボール史上でも非常に珍しいスタジアムなのじゃ。だから、エルヴィスが登場した当時のスタジアムの姿が現在でも拝めるってわけじゃ!こりゃあもう、実際に訪れたら隅々までチェックしたくなる場所じゃ。 こうした希少性が注目されてロケ地になったのかどうかは分らんが、1988年公開のケビン・コスナー主演の野球映画「さよならゲーム」にも登場しておる!またスタジアム内には「ノースカロライナ・ベースボールミュージアム」があるが、野球博物館であるだけにエルヴィス関連の展示は無いようじゃ(笑)右写真はストリートビュー2022年1月撮影。 ■Google-map上の位置■ 大佐はウィルソンに来るとシブチンになる!? Area No.5 Serial No.156 チャールズ・L・クーン・ハイスクール跡地 ノース・カロライナ州ウィルソンには、もうひとつのエルヴィス・ポイントがある。1956年2月14日のバレンタインデーにライブが行われたチャールズ・L・クーン・ハイスクールじゃ。エルヴィスのRCA移籍後の栄光がスタートしたばかりで、またバレンタインデーという特別な日付であったにもかかわらず、この日のライブの記録はほとんどネット上にアップされておらん。乏しい資料をかき集めた結果は以下の通り。 1923年に開校のチャールズ・L・クーン・ハイスクールは、当時ウィルソン周辺地域の教育機関の中でもっとも充実した設備を誇った文武両道の精神を掲げる名門高校だったようじゃ。左写真の通り校舎の建築もしっかりとしており、それは築100年近くが経過した現在でも高級アパートメントとして機能し続けていることからも分かる!エルヴィスらがかつて登場したコンサートホールもまた現在も稼働しておる。 スコッティ・ムーアのサイト表記によると、ミュージックジャンボリーのトリとしてエルヴィスは1日2回のコンサートを敢行したとされておるが、どうやらもう1回追加ステージがあったらしい。ミュージック・ジャンボリーの一員としての出演とはいえ、集まった観客のほとんどはエルヴィス目当てであり、他のバンドの追加ステージのギャラをパーカー大佐が出ししぶり、実際に3回目のステージが行われたのかどうかは未だ不明!?Area No.4でご案内した同地ウィルソンのフレミング・スタジアムでも似た様なトラブルがあったとされており、ウィルソンに来るとパーカー大佐は他のバンドを軽視、いやいやエルヴィスを特別扱いしたがるようじゃ(笑)それだけエルヴィスのステージだけが抜群に客ウケが良かったということじゃろう。エルヴィスとブルームーンボーイズだけが追加ステージに出演するってわけには行かなかったのか!? ■Google-map上の位置■ 特製ポスターまで用意されていた?、1956年度ノースカロライナ・ツアーのスタート地点 Area No.5/Serial No.146 ナショナル・シアター跡地/グリーンズボロ エルヴィスの1956年におけるノース・カロライナ州ツアーは2月6日から、グリーンズボロという街のナショナル・シアターから約1週間続いた。ナショナル・シアターは当時グリーンズボロのダウンタウンの繁華街のど真ん中にあり、1921年の開館以来ハイソな観客のニーズに合った音楽会、演劇、映画を演目とする誇り高き劇場じゃった!大手RCAと契約を結んだ直後の若きキング・オブ・ロックンロールの出演場所としては申し分のない格式をもった劇場と言えるかもしれない。いや、当時は逆に“エルヴィスごとき若造シンガーを出演させるな”というオールド・セレブたちからの声が多かったかもしれない!? この劇場におけるエルヴィスの出演写真はネット上で発見出来なかったが、1枚だけ真偽が不明な微妙な写真がある。それは出演告知ポスターじゃ。某ネットオークションに出品されたもので(右写真)、出品者のコメントによると「共演したジョーダネアーズのレイ・ウォーカーの親友から譲り受けた物」だという。当時のポスターとしては、書体も使用写真を含めたレイアウト・デザインもかなり洗練された出来栄えじゃ。本当に当時の作品なのか判断が難しい。 ただし、当時のコンサートポスターに多用されていたエルヴィスがギターを抱えながら吠える“扁桃腺写真”では、格式高いナショナルシアターにはそぐわいないと判断されて特別制作されたデザインと考えられないこともない。 ライブ当日前後のツアースケジュールをチェックすると、この日を皮切りに5日連続で昼夜2回づつ(1日4回、5日計20回!)の過密スケジュールが組まれておる!ナショナル・シアターの収容人員はわずか1,800人。チケット売上増大の為には回数をこなすしかないとはいえ、バンドにとっては大変なハードワークじゃ!エルヴィスのマネージメント権利を独占したばかりのパーカー大佐ならでは!の「稼げる時に稼ぎまくれ」の守銭奴精神が発揮されたスケジュールじゃ! なおナショナル・シアターは時代の推移とともに徐々に演目の質が下がり続け、1960年代に入るとホラー映画等のB級映画ばかり上映されるようになった挙句、1967年に閉館、取壊しとなった。その後跡地は、現在まで駐車場のままという少々信じがたい事態が続いておる。(左写真は、ストリートビュー2022年2月撮影) ■Google-mapの位置■ |
エルヴィス・プレスリーは、カントリーとバップの融合! Area No.6/Serial No.147 メモリアル・オーディトリアム/ローリー 1955年5月19日、9月21日の2回、エルヴィスはノースカロライナ州のローリー(Raleigh)という街のメモリアル・オーディトリアムでライブを行っておる。スコッティ・ムーアのサイトでは詳細の記述は無く、サンレコードのサイトでも開演時間やチケット代等の基本情報以外に説明書きはほとんど無し。ドサ周りに近い地方巡業だった1955年のライブツアーの中の取るに足らないライブだったのかもしれないが、エルヴィスの写真が少ない1955年のライブツアーの中で1枚だけローリーでの撮影とされておる写真をネットで発見したのでご紹介しておこう。 メモリアル・アーディトリアムの外(駐車場?)で撮られたというこの写真(左写真)、オフタイム・ショットとはいえ、厳しい地方巡業の中でリラックスしているエルヴィスをとらえた希少な1枚かもしれない! また新聞の広告の中では(上右写真)、エルヴィスの音楽が“カントリーとバップ(Bop)の融合”と表現されておる。バップとはスゥイング・ジャズの後に1940年代に登場したジャズの一形態ビー・バップなのか、それから発展して1950年代に盛んになったハードバップなのかは不明じゃが、まだロック、ロックンロールという表現が一般的ではなかった当時にジャズを引き合いに出してエルヴィスを紹介した珍しい記述じゃ。 更にこの写真をローリーでの1枚とする英字サイトには、当時のエルヴィスに関する周辺情報、それもパーカー大佐のプロモート戦術に関する記述があり、これがオモシロイ!ので併せてご紹介しておこう。 「ツアーの初期の頃、トム・パーカー大佐はブッキング・エージェントとして、10代の若者たちに1人5ドルを支払って(ライブで)エルヴィスの名を叫ばせた。 また彼は宣伝用の写真を使用して、ツアーの次の都市の新聞に送信していた。ツアーの他のパフォーマーは、エルヴィスと彼のステージでの前代未聞な行動にどれだけ割を食ったか! ほとんどのカントリー シンガーは、エルヴィスはすぐに衰退する流行だと思っていたが、エルヴィスはすぐにヘッドライナーになり、ツアーでエルヴィスと肩をならべられるほどの存在になるスターはほとんどいなかった」 客に予め金を払ってアイドルの名前を叫ばせて話題を作るなんて戦術は今でこそ当たり前だが、パーカー大佐は1955年当時からやっておったのじゃ!ホント、色々と批判は多いがやっぱり大佐はプロモーター、マネージャーとしてのアタマのキレは超先進的だったということがよく分かる! メモリアル・オーディトリアは現役のコンサートホールとして現在でも稼働中!建物正面の外装は、エルヴィスが登場した当時とほとんど変っていない。右写真はストリートビュー2022年3月撮影。 ■Google-map上の位置■ |
番外編 “エルヴィスが食事をした!”と口承され続けているレストラン 今まで御覧の通り、ノース・カロライナ州におけるエルヴィスの軌跡は、残念ながらネット上にアップされておるエルヴィスの写真が非常に少ない。しかもほとんどの情報は僅かな記述のみ。 その代わりに、ノース・カロライナ州各地で「エルヴィスがここで食事をしていた!」という口承情報を拾うことが出来た。それらは、もちろんエルヴィスが食事をした事実を証明する写真はなく、地元に長く住んでいる方々による口伝えの情報に過ぎないので、真偽のほどは不明じゃ。 しかし他州の調査ではなかなか出くわさなかったことだけに、この際わしが拾い上げた口承情報を全部紹介しておこう。いつの日か、この情報の真偽をつきとめるために現地調査に乗り込めることを信じて! ★その1~ウイリアムズ・カフェ/ニューバーンズ Area No.1シュライン・オーディトリアムから西へ約400メートル(徒歩5分)の位置にあった「ウィリアムズ・カフェ」は、5月14日、9月13日両日のライブの際にエルヴィスが食事をしたと伝えられておるレストランじゃ。現在は「チェルシー・レストラン」として経営されておる。(下写真ストリートビュー2022年3月撮影)エルヴィスが食事をしたという情報は間違いないらしく、それを記念して地元のエルヴィス・インパーソネーターが時々レストランの2階でエルヴィス・ショーを披露するらしい。 上写真はウィリアムズ・カフェの店内であり、撮影時期は不明。おもしろいことにコカ・コーラのサーバー・タンクらしき物が画像左側(名刺写真の下)に写っておる。ニューバーンズはペプシ・コーラ発祥の地であり、チェルシー・レストランから僅か徒歩2分の位置には「ペプシ・コーラ発祥記念館」もある(笑)ペプシの長い歴史にも、製造が中断される等の紆余曲折の経緯があるので、ペプシを入荷出来なかった頃の写真か!?(ならば希少ではある!) ■Google-map上の位置■ また、シュライン・モスクからウィリアムズ・カフェへの道中に、かつて「クイーン・アニー・ホテル」があり(左写真)、エルヴィスらミュージック・ジャンボリー一行はこのホテルに宿泊したという。「クイーン・アニー・ホテル」は当時かなりの高級ホテルであり、“旅の音楽一座”のエルヴィスたちが宿泊出来たとは誠に不思議じゃ(笑)現在ホテルがあった場所には、ファースト・シチズンズ・バンクなる銀行が建てられておる。(下左写真、ストリートビュー2022年3月撮影) シュライン・オーディトリアム、ウィリアムズ・カフェ、クイーン・アニー・ホテル、そしてペプシ発祥記念館の4ポイントの位置は、下右マップ写真でご確認頂きたい。 ■Google-map上の位置■ ★その2~クリフズ・ダイナー/ウィルソン お次はArea No.4、1955年9月14日ウィルソン・フレミング・スタジアムでライブを行った際に立ち寄ったとされておるレストラン。フレミング・スタジアムからは車で5分程度の距離にあり、当地ウィルソンでは美味しいソーセージや豚肉料理を出す店で人気が高かったという。ライブ終了後のエルヴィスは、クリフズ・ダイナーでスクランブルエッグと1パウンドの豚肉を平らげたそうな! いつの頃からかこのお店はメキシコ料理店に変っており、アメリカのエルヴィス・マニアの動画では「Las Palmas」という名のレストランが撮影されておる。(上写真、撮影日時は不明) 近年はオーナーが変わり、外壁も完全に塗り替えられた「Las Churas」というメキシコ料理店になっておる。(右写真ストリートビュー2022年4月撮影) ■Google-map上の位置■ ★その3~ザ・ロースト・グリル・ホット・ウィンナーズ/ローリー もう一ヶ所、Area No.6 ローリー・シティ・オーディトリアムにエルヴィスが出演する前に食事をした小さなお店をご紹介しておこう。 こちらはレストランというよりも、完全地元密着型のホットドッグスタンドじゃ。創業は1940年、現在でも営業中の超老舗店じゃ。お店のFacebookをチェックすると、地元の老若男女たちが集い続ける、まさに古き良きアメリカン・ホットドッグ・スタンドであることがよお~く分かる。 古くからの常連さんが、エルヴィスがライブ前に立ち寄ったことを覚えており、今でも若いお客さんに語り続けておるらしい。1956年2月8日、同じくローリーにあった「アンバサダー・シアター」に出演する前にもエルヴィスはこのお店に顔を出すほどお気に入りだったらしい。 夥しい数の店内ショットがFacebookにアップされておるが、エルヴィスに関するディスプレイは見当たらない。「エルヴィスが~」というPR文言も無い・・・と諦めかけていたところ、Facebook掲載写真一覧の最後の最後にエルヴィスの写真(上右写真)、そして「我々には素晴らしいお客が~」といったエルヴィスが訪ねていた事実が明記されておった!この慎ましい営業姿勢にわしゃ~じ~ん!(笑)お客さんが10数人も入れば満席になる小さなお店のようじゃが、地元出身の写真家や画家も集まってきて様々な視点からお店がモチーフになった作品が生まれ続けておるようじゃ!(右写真、ストリートビュー2022年3月撮影) ■Google map上の位置■ |
【お詫び】 バーチャル・ロックンロール・ツアー第15回ジョージア州編の訂正について ノース・カロライナ州/サウス・カロライナ州の調査の段階において、「第15回ジョージ州編」の「Area No.4/Serial No.131 スポーツ・アリーナ跡地/サバンナ」での使用写真に誤りがあったことが発覚しましたので、早速サバンナ・スポーツ・アリーナの写真の変更と解説文を訂正したことをご報告致します。 ステージ上でのエルヴィスの背景にRCAレコードの大きなロゴ看板とスピーカーに耳を傾ける同社のシンボルマーク の模型が写っている写真ですが(左写真2枚)、これはサバンナのスポーツ・アリーナの写真ではありませんでした。複数の英字サイトでスポーツ・アリーナでのライブ写真として使用されていたために「第15回~」で転用しましたが、会場自体の写真がネット上で発見出来ず、露出度の高い写真にも拘わらず、特定されていた会場があまりにもマイナーだっただけに、転用した当初から胸の内に「?」がつきまとっていまして、この度ようやく事実を掴みました。誤った情報を掲載していたことをお詫び致します。 |
【 お断り 】 Googleマイマップ「一覧!バーチャル・ロックンロールツアー・トータルマップ」 掲載中断について 今まで「バーチャル・ロックンロールツアー」にてご紹介してきた全ての場所を Google Map上で一覧出来る 「一覧!バーチャル・ロックンロールツアー」の更新を一時中断致します。 「一覧!~」の基本機能である“Googleマイマップ”の更新機能の上限を越えてしまったため、 新たにご紹介する場所が追加出来なくなりました。 ただ今、別の機能等にて新たにご紹介していく場所を追加出来る方法を検討しております。 しばらくお待ちください。 |
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