NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.379


第8回 エルヴィスゆかりの地~フロリダ州後編


(上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。)

 お寒い日本のお正月気候にエルヴィスの残した熱風を吹き込むべく、常夏のフロリダのご案内からスタートさせた2022年の「バーチャル・ロックンロールツアー」。第2弾は「フロリダ州後編」であります。エルヴィスがフロリダで残した足跡に関する情報はとにかく多くて、今回も取捨選択に大いに迷った挙句にまとめてみたので、どうかお楽しみ頂きたい!

 フロリダという地域は、その温かい気候ゆえにかなり開放的な風土の地域であり、エルヴィスに対するファンたちの反応も尋常ではなかったようじゃ。考えてみれば、一人のシンガーに無数の女の子たちが悲鳴を上げ涙を流して異常なヒステリック状態になるのは音楽史上、いや人類史上初の大事件であり、フロリダではついに興奮し過ぎて下着までステージに投げる女の子も続出したという。フロリダで起こった前代未聞の様々なハプニング、アクシデントを体験し、またトラブルを乗り越えることによってエルヴィスは正真正銘のキング・オブ・ロックンロールの座へ昇っていったのじゃ。
 

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー
           エルヴィスゆかりの地~フロリダ州後編

 ・御覧になりたいPoint番号をクリックすると、該当する解説文の先頭に画面が自動的にジャンプします。 
 ・各Point番号は、前編からの通し番号になっています。

 
Point- 9  フォンテンブルー・ホテル/マイアミ
 
Point-10 マイアミ・セントラル・ステーション/マイアミ

 
Point-11  ウィーキワチー・スプリングスプリングヒル  
 Point-12 旧シトラス裁判所跡地/インバーネス
 

 
Point-13  ピーボディ・オーディトリアム/デイトナ・ビーチ
 Point-14
  フロリダ・シアター/ジャクソンビル

 Point-15 
コパカバーナ・モーテル跡地/デイトナ・ビーチ
 Point-16 カーチス・ヒクストン・ホール/タンパ

  【付録】  バーチャル・ロックンロール・ツアー・Googleマイマップ
         ~3回クリックでとっても簡単!バーチャル・ロックンロール・ツアー・マップ操作手順


 キング・オブ・ロックンロールからナショナル・ヒーローへ
Point-9 フォンテンブルーホテル/マイアミ
1960年3月に兵役を終えたエルヴィスは、約数週間後マイアミの大型リゾート施設フォンテンブルー・ホテルで開催される「フランク・シナトラ・タイメックス・ショー」に招待を受けた!(タイメックスとはスポンサーの時計企業)3月26日に録画予定のこのショーは「Welcome Home Elvis」と題されて、アメリカの国民的ヒーロー(シナトラ)がキング・オブ・ロックンロール(エルヴィス)の除隊とミュージック・シーンへのカムバックを祝う企画じゃ。

 フォンテンブルー・ホテルは1954年にオープンして以来、「マイアミのナイトスポット・シーンを変えた」を評されるほど当地を訪れるセレブたちに絶大な人気を誇ったホテルである。ジェリー・ルイス主演の「底抜けてんやわんや The Bellboy 」、007シリーズ「ゴールドフィンガー」、アル・パチーノをフィーチャーしたギャング映画「スカーフェイス」などの映画の舞台にもなっておる。
 また「フロリダ編前編Point-3 ロバートクレイ・ホテル」で先述したが、エルヴィスは1956年のマイアミ公演の際にはフォンテンブルー・ホテルから招待を受けておったが、ファンの凄まじい狂騒を危惧したパーカー大佐が直前で招待をキャンセルした過去があり、その約4年後エルヴィスはあらためてホテルから、ならびにシナトラからの招待という最高の名誉を受けたのじゃ。


3月26日フォンテンブローホテルのグランドボールルームのステージで録画されたシナトラ・ショーは、ABCテレビによって5月12日に放送された。シナトラ他、この日のエルヴィスをはじめとするゲストたちが歌った楽曲は下記の通り。

It’s Very Nice (performed by Frank Sinatra)
Frank’s Time Machine (Frank Sinatra and Joey Bishop)
Witchcraft (performed by Frank Sinatra)
  ***
Come On Bess (performed by Sammy Davis Jr.)
Oriental Wedding Celebration
Leona Irwin and the Tommy Hansen Dancers
Sammy Recalls the Oscars (Sammy Davis Jr.)
Shall We Dance (Sammy Davis Jr. and Peter Lawford)
  ***
Fame and Fortune (performed by Elvis Presley)
Stuck on You (performed by Elvis Presley)
Love Me Tender/Witchcraft medley (performed by Frank Sinatra and Elvis Presley)

  ***
Love Makes You Feel So Young (performed by Frank and Nancy Sinatra)
Let’s Dance (Nancy Sinatra)
Goodbye (Frank Sinatra)

 上記リストの他に、ショーのオープニングナンバー「It's Nice To Go Traveling」をエルヴィスはシナトラ、ナンシー・シナトラらと歌っておる。上右写真、シナトラに甘えておる女性が実娘のナンシー・シナトラじゃ。彼女はエルヴィスと共演出来たのではしゃいでおる様に見えるな!
 「Fame and Fortune」「Stuck on You」の2曲は、エルヴィスがマイアミ入りする前にナッシュビルで録音した新曲じゃ。ビル・ブラックとスコッティ・ムーアは1958年にパーカー大佐に対して賃上げ要求をした際に解雇通達を受けてしまっていたが、スコッティは後のエルヴィスとの会談によりサポートメンバーとしての復帰を決意したが、ビルはエルビスと袂を分かつことになった。よってナッシュビルでの新曲の録音やシナトラ・ショーでのサポートには参加はしていない。
 
 シナトラと同じく黒のイブニングスーツ姿に身を包み、以前の野性的なアクションを封印して歌うエルヴィスの姿は、早くも「シナトラの領域」に入ったと思わせるほどエレガントじゃ。
 エルヴィスが第一期黄金時代の真っ只中の1957年当時、シナトラはロックンロールという音楽に対して「「ロックンロールは偽りの匂いがします。あくどくて卑猥で汚い歌詞であり~」等と否定的なコメントをしておった。しかしアメリカの一般男性の義務である兵役をエルヴィスが務め上げたこともあり、シナトラは愛息を迎えるような雰囲気でエルヴィスの登場を祝福しておることが各写真から伝わって来るな!

 下左写真は1950~60年代のフォンテンブルー・ホテルの全貌。下右写真はストリートビュー(2021年7月)撮影による現状写真。2004年にホテルは全面改装されており、改装の前にはホテル内の大量の備品が売りに出された。エルヴィスはシナトラ・ショーの録画日前後はホテルに宿泊しており、その部屋のブツは一体誰が幾らで買収したんじゃろうか?(笑)
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 なおエルヴィスが亡くなった時、シナトラは次の様なコメントを発表している。
「何年にもわたってエルビスの才能とパフォーマンスについて多くの賞賛が表明されてきましたが、そのすべてにあらためて同意します。 私は彼を友達として心から慕っていました。 彼は暖かく、思いやりがあり、寛大な人でした」




Welcome Home Elvis!4年ぶりにエルヴィスがマイアミに帰って来た
Point-10 マイアミ・セントラル・ステーション/マイアミ



 上記Point-9「フランク・シナトラ・タイメックス・ショー」の為にマイアミ入りする前にエルヴィスは一旦ナッシュビルに入り、新曲2曲「Fame and Fortune」「Stuck on You」 のレコーディングを完了させておる。そして3月21日にナッシュビルから約30時間かけてエルヴィスご一行は列車でマイアミに向かった。
 「キング・オブ・ロックンロールが、シナトラから招待を受けてマイアミ入りする!」と大々的にPRする為に、パーカー大佐は列車が通過する主要都市へ連絡を入れて、“エルヴィス列車”の各駅到着予定時間を伝えたという。ナッシュビル地域内やマイアミ周辺地域の駅にファンが殺到した記録がしっかりと残っておる。
 特にフロリダ・イースト・コースト鉄道(FEC)に乗って3月23日にマイアミ駅に到着したエルヴィスを迎える約5,000人のファンの熱狂ぶりは、当地の新聞「マイアミ・ヘラルド」が詳しく報道しておる。(上写真右側)コンサートは行われなかったが、1956年夏以来約4年ぶりのエルヴィスのマイアミ来訪だけにファンの熱い心情は察して余りある!
 それにしてもパーカー大佐はいかなる時もガッチリしてまんな~(笑)恐らくマイアミ駅だけではなく、他の駅でも停車中のわずかな時間にエルヴィスに列車から顔を出させておいて、その間自分はちゃっかりグッズを売ったりしておったのじゃろうな!

 一方、フロリダ州ハリウッドの駅では、何人かの群衆からエルヴィスは卵とトマトを投げつけられたという報道もある。これは手荒い祝福なのか、一部のアンチ・エルヴィスたちの心無い行動なのかは不明じゃが、エルヴィスがマイアミ到着後にハリウッド在住の3人の若者が謝罪に訪れるという一幕もあった。

 エルヴィスが降り立ったマイアミ駅は、現在のマイアミ・セントラル・ステーション。この駅に乗り入れていたFEC鉄道は後に廃止になり、駅自体も1963年に一度取り壊されておる。2018年に同じ場所に新たな駅が誕生して、ブライトラインという都市間鉄道が乗り入れるようになった。駅周辺は今では近代的なビルが増え、エルヴィスが大歓迎された駅舎の面影はまったくないが、上左写真に写る高層ビル(Miami-Dade County Courthouseマイアミ裁判所)は現存しておる。(右写真左側ビル。木立の右側が駅-ストリートビュー2021年2月撮影)

【参考】
1978年に別の場所に「マイアミ・ステーション」なる駅が出来たが、こちらはエルヴィスが降り立った「マイアミ・セントラル・ステーション」とは何の関係もないのでお間違えの無いように。
 なおエルヴィスが卵とトマトを投げつけられたというハリウッド駅の方は継続して稼働中じゃが、鉄道路線の大幅な変更の後に現在は「マイアミ・ステーション」と繋がっておる。
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 キングは人魚たちにも愛された
Point-11 ウィーキワチー・スプリング/スプリングヒル


画「夢の渚」撮影期間中の1961年7月30日、エルヴィスは主な撮影場所であるフロリダ州ヤンキータウンから約60キロ離れたウィーキワチー・スプリングにやって来た。ここはウィーキワチー・スプリング州立公園の中にある、人魚に扮した女性たちによる水中遊泳ショーを鑑賞する場所じゃ。
 エルヴィスは共演女優たちとともに午後4時に訪れると、既に会場には3,000人を越えるファンたちが待ち受けており、水中ショー鑑賞とともにファンとの触れ合いを楽しんだといわれておる。その時の模様を伝える昨年放映のテレビニュースの映像がyou tubeにアップされているので、まずは御覧あれ。元人魚だったおばあちゃんのインタビューがおもしろい!もう60年も前の出来事なのに、元人魚は「エルヴィスが来たのよ!もうカッコよくて~」と時には目を輝かせて話す姿が何とも微笑ましいわい!

中ショーの最中に人魚たちがエルヴィスの大型パネルと歓迎の横断幕を水中からエルヴィスに向けて提示するなど(上左写真)、エルヴィスは精一杯のもてなしを受けたらしい。フロリダ半島の片田舎までキングが水中ショーを観にやって来たんだから、人魚たちにとっては最大級のサプライズであり、果たして冷静に演技出来たのじゃろうか!
 人魚たちはエルヴィスの為のショーが終わると、一斉にエルヴィスと記念撮影。エルヴィスは持参したLPレコード「歌の贈り物/Something for Everybody」のジャケットにサインして人魚たちにプレゼントしておる!
 上写真右側2枚でエルヴィスの隣におる人魚さんは(多分同一人物)は最初は緊張のご様子じゃが、やがてちゃっかりエルヴィスにセマッテおるな!でも「夢の渚」出演女優なみにステキな女性じゃ。当ページのトップスライド内画像も含めてここに掲載した写真以外にも、大勢の人魚たちがエルヴィスを取り囲んでおる写真はたくさん残されており、人魚たちそれぞれにとってキングとの記念撮影の写真は一生の宝物になったことじゃろう。
 
 ウィーキワチー・スプリングは現在も稼働中。水中ショーを鑑賞するだけではなく、ウォータースポーツ全般を楽しめる設備を完備した大自然に包まれたスポーツセンターとして健在じゃ。(下左写真-1963年当時の人魚たちのショット。下右写真-ストリートビュー2021年7月撮影)
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エルヴィス扮するトビーの一家に平和が宣言された裁判所
Point-12 旧シトラス裁判所跡地/インバーネス


 エルヴィスのフロリダ関連の映画は、「フロリダ州前編Point-7」の「バードクリーク・ブリッジ」でご紹介した「夢の渚 Follow that Dream(1962年公開)」、さらに「フロリダ万才 Girl Happy (1965年)」、「ブルー・マイアミ Clambake (1967年)」の3本あるが、どうやら実際にフロリダでロケが行われたのは「夢の渚」だけのようじゃ。他の2本はロケ地のカリフォルニアをフロリダに見立てて撮影が行われたという説が有力じゃ。ということで、「バードクリーク」に続き、もう1ポイント「夢の渚」の撮影ロケ地へご案内しておこう。
 フロリダ州インバーネスにある旧シトラス裁判所は、エルヴィスが演じた映画の主人公トビーが、彼の所有する土地と家屋の横取りを目論む連中との裁判が行われるシーンに使用された場所である。(上左写真が1955年当時の裁判所。上右写真は映画中の裁判シーン)。映画の脚本では、この裁判でトビー側は勝訴して一家に再び平和が訪れたことになっておった。
 現在稼働しているシトラス裁判所は、約400メートル北側に新しく建てられており、映画撮影に使用された旧裁判所は現在「旧裁判所歴史博物館Old Courthouse Heritage Museum」になっておる。(下左写真)
 

 旧裁判所歴史博物館内にはエルヴィス関連の展示品も多く、上述したトビーが裁判を受けるシーンの撮影場所も見学出来るようじゃ。(上右写真)

 シトラス裁判所での撮影の休憩時間に、エルヴィスが裁判所敷地内の芝生の上でフットボールを楽しんだ写真が残されておる。(右写真)当時の裁判所正面の写真はこのパートのトップに掲載してあるが、フットボールの出来そうな広さの芝生は無さそうなので、右写真は建物の裏側かもしれない。

 なおPoint-7でもご紹介したが、70~80年代のロックスターだったトム・ペティは少年時代にこの場所で初めて「夢の渚」の撮影を見学しておる。まだエルヴィスを知らなった当時10歳だったトム少年は、叔父が映画撮影のクルーだったお陰で至近距離からエルヴィスの演技を見学できたらしい。
 休憩で裁判所の外に出たエルヴィスの黒髪に太陽光が当たって“青く輝いて見えた”ことが鮮明だったらしい。(右写真のフットボールをしているエルヴィスの姿かもしれない)
 またトムは撮影終了後、エルヴィスから何枚かのレコードをプレゼントされた。トムは「奇妙で偶然なんだが、僕にとってはこの時の体験が映画のタイトルFollow that Dream(夢を追いかけて)通りの人生のスタートになったんだ」と語っておる!
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 「この海を両親のために手に入れたい」若きエルヴィスに壮大な夢を語らせた会場
Point-13 ピーボディ・オーディトリアム/デイトナ・ビーチ


ルビスがフロリダ州で最初に開催したコンサートは、1955年5月7日、大西洋側のデイトナビーチなる地域のピーボディ・オーディトリアム。長いビーチリゾート地帯にある会場じゃ。ハンク・スノウなるカントリーシンガーをヘッドライナーとしてのミュージック・ジャンボリーの一員扱いだったが、数日前に掲載された新聞広告にはエルヴィスの名前が無い!(上中央写真)既にルイジアナ・ヘイライド出演の効果もあって、ルイジアナ州やテキサス州ではヘッドライナーを食ってしまうほどの喝采を浴び始めておったエルヴィスだが、プロモーターはまだまだ“分かっていなかった”のじゃ。

 ピーボディ・オーディトリアムでのライブ当日、エルヴィスは後の大成功の為には絶対に欠かせない人物と初会見をしておる。「ハートブレイク・ホテル」の作者の一人、メイ・ボーレン・アクストンである。アクストンはハンク・スノウ・ミュージック・ジャンボリーの広報担当者としてエルヴィスを訪問しており、(恐らく)5日後の12日にはジャクソンビルでのコンサートの後にエルヴィスにインタビューをしておる。

  アクストンのエルヴィスへのインタビューを7日とする説もあるが、わしが理解(翻訳)できた限りのインタビューの内容は、マスコミとタレントとのそれではなく、親が子を諭しておるような雰囲気なのじゃ。ツアーは決して楽ではないが、続けることが世間の評価を上げて大人たちの批判を覆すことに繋がり、またスコッティ・ムーアとビル・ブラックはエルヴィスにとっていかに不可欠な存在であるか等を、アクストンはエルヴィスに噛んで含むように語りかけておる。
 これらのインタビューは、アクストンがたった一回のコンサート鑑賞(5月7日)直後では話せるような内容ではなく、またエルヴィスを優しく包み込むような姿勢もとれないじゃろう。斯様な判断により、わしはインタビューは5日後の12日が妥当と判断しておるので、どうかご了承頂きたい。

クストンとのインタビューの冒頭でエルヴィスは「フロリダ・ツアーは海がいっぱいです。素晴らしい海です。僕はこの海を両親のために手に入れたい」という印象的な言葉を口にしておる。エルヴィスが両親にプレゼントしたい!と感じたフロリダの海とは、初めてやって来たデイトナビーチではないか?と推察できる。
 フロリダ初のライブ会場、アクストンと初めて会った会場、そして大きな夢を抱いた大海を臨む会場、デイトナ・ビーチのピーボディ・オーディトリアムはエルヴィスにとって小さな記念碑的会場といえるかもしれない。

 ピーボディ・オーディトリアムでのライブは、同年7月30日、翌56年8月9日の計3回行われており、スコッティ・ムーアのサイトによると、5月7日のライブからエルヴィスは実質ヘッドライナー的な反響を巻き起こしており、先輩ミュージシャンたちがエルヴィスを嫉み始め、同じモーテルに宿泊するのを嫌がったり、モーテル内のプールにエルヴィスが現れると部屋に戻ってしまったりしておったらしい。(ライブ写真は、すべて1955年7月30日撮影))

 現在でもピーボディ・オーディトリアムは稼働中であり、エルヴィスが出演した60年以上前と外観はほとんど変化していない。
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ァンとデート、失神者の介抱、脅迫騒動、一番乗りさんにキッスetc.
        スーパースター稼業は大変だ!

Point-14 フロリダ・シアター/ジャクソンビル
爆発した1956年のエルヴィス大ブームの中、エルヴィスは8月3日から11日まで4度目のフロリダツアーを開催。ラスト2日はジャクソンビルのフロリダ・シアターが会場じゃった。女の子たちの熱狂ぶりはあらためて言うに及ばずじゃが、エルヴィスにとってはスーパースターならではの色々な“おつとめ”が重なった。

 まずフロリダ入りした直後から、ジャクソンビルの宣教師さんがエルヴィスに抗議を声明(上右写真)。「エルヴィス・プレスリーの音楽は子供たちを軟弱にする」「エルヴィスのアクションは猥褻である」「もし我々の地元(ジャクソンビル)でエルヴィスが腰を卑猥に動かしたならば、私はその場で彼の逮捕状を請求する」とスゴんだ。更に裁判所のお偉いさんまで登場して、ジャクソンビルの会場でライブを監視すると言い出した。まあ地位ある者たちがエルヴィスを脅迫したって訳じゃ。
 そのお偉いさんはライブ前にエルヴィスとの会見を希望したが、エルヴィス側は拒否。しかし偶然お偉いさんとエルヴィスは出くわしてしまい、そのまま話し合いとなった。(左写真)エルヴィスが終始紳士的な態度で応じたこともあって、お偉いさんは態度を軟化させて「腰を前後に動かすのはお止めなさい。まあ左右ならばよろしい」って言ったとか!(笑)

 この2日間のライブのうち、初日のエルヴィスのアクションは控え目だったらしいが、監視している宣教師に向かって揶揄うようにフィンガーナップ(指ぱっちん)を連発していたそうな!
 エルヴィス・サイドは「万が一、ライブ中に逮捕状が出た場合」を想定して法的解決手段のための準備をしていたが、実際に逮捕状が出ることはなかった。このジャクソンビル脅迫騒動に対して後日エルヴィスは「彼(宣教師)は僕を利用して(自分自身を)宣伝したかっただけじゃないか」とコメントしたという。


述した脅迫騒動があった一方、エルヴィスにはライブ終了後に別のお仕事が待っておった。「Hit Parade」なる音楽雑誌が企画した「エルヴィスとデート出来る抽選」に当選した女性と食事をしたり、彼女をバックステージやホテルにエスコートせにゃいかんかった!この超ラッキーな女性はアトランタからやって来た17歳のアンドレア・ジューン・スティーブンス嬢。写真だけ見ると17歳には見えんな!(笑)(上左写真)

 ところがエルヴィスとアンドレア嬢に随行していたカメラマンによると、「アンドレは途中から可哀想だった。ライブ会場では女の子が失神してしまってエルヴィスは介抱してあげなくてはならなかったし(左写真、ソファの後ろの白いドレスの女性がアンドレ嬢)、バックステージにはたくさんの関係者がたむろっていたし、カメラマンはたくさん付いてくるし(オマエもその一人だろ!)、彼女はもっとエルヴィスと二人きりでいられる時間を夢見ていたんじゃないかな」とのことじゃ。

 またアンドレ嬢とエルヴィスが一緒にいた時間内かどうかは不明じゃが、一人のカメラマンがバックステージに若い女の子を連れて来てエルヴィスに紹介した。こちらは15歳のキャシー・キャンベル嬢。(上右写真)誰よりも早くシアターのチケット売り場に並び、最前列の席からライブを鑑賞した女の子だという。エルヴィスは彼女の熱意に感謝してキスのプレゼント!後に彼女は「一週間以上も顔を洗わなかったワ」と語っておる。いやあ~彼女も15歳には見えんな!エルヴィスのロックンロールは“少女を女性にする”マジックがあるのじゃろう!
 下左写真はフロリダシアターでチケットを購入する為に並ぶファンたち。この列の先頭にキャシー嬢がいらしたわけじゃな!下右写真はストリートビューによる現状写真(2021年1月撮影)。大きな袖看板は撤去されておるが、建物自体は健在。なお「フロリダ・シアター」は同名の会場がフロリダ州セント・ピータースバーグにもあり、そちらにもエルヴィスは出演しているので要注意。
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お見逃しなく! 製造中止の幻のアイテム、スキニーベルト!
 人気が大爆発してからのエルヴィスは、ライブ当日は裏口からの会場入りが茶飯事となったが、フロリダ・シアターではその様子までしっかりと撮影されておる。(左写真)
 この写真で俄然目を引くポイントは、エルヴィスの腰元のスキニーベルト!既にステージ上のパフォーマンス時を考慮してバックルも左へずらし済のようじゃな。(ギターのバックボディにバックルが当たらないようにするため) この元祖ロックンロール・ベルトこそ、The-Kingが長年心血を注いで復刻してみせていたヤツじゃ!残念ながらThe-King製スキニーベルトも今や生産中止になってしまったので超貴重品じゃ。在庫品のバリエーションを確認の上、即オーダーするべし!

The-King製スキニーベルトのバリエーションは右写真をクリックすると御覧になれます。(リンク先ページの画面を下へスクロールして下さい)


エルヴィスが夜通し待ち続けたファンを招き入れたビーチ・モーテル
Point-15 コパカバーナ・モーテル跡地


 Point-13でご案内したエルヴィスのフロリダ・デビューの会場ピーボディ・オーディトリアムからほど近いビーチ沿いにあったコパカバーナ・モーテル。ここに、1956年8月9日エルヴィスご一行は宿泊しておる。残されておる写真を見て驚いたのは、関係者ではなくて熱狂的なファンの女の子たちがエルヴィスと一緒に写っておることじゃ。「健全な若者たちを不良化させる悪魔」と大人たちから見なされていた当時のエルヴィスだけに、「エルヴィスが女の子たちをホテルに連れ込んだ」なんて公表されたらまずます大人たちから槍玉に上げられるからじゃ。もう60年も前の出来事をわしが心配してどうする!なんじゃけど(笑)、当時はまだおおらかな時代であり、悪魔呼ばわりされている大スターとはいえ今日ほどマスコミを警戒する必要もなかったんじゃろうな。

 この女の子たちはモーテルの前でキャンプを張り、夜が明けてエルヴィスがビーチへ出て来るのをひたすら待ち続けたことがしっかりとローカル新聞に取り上げられておる。(左写真)新聞記事によると、3人の年齢は2人が15歳、もう一人が16歳。女の子たちの「エルヴィスに会いたい」という熱い気持ちが記事にされておるようじゃ。「事件扱いされなくてよかったなあ」ってあらためて胸をなでおろしたわい(笑)

 当時のモーテル経営者チャック&ジェーン・ハンセン夫妻のお孫さんがスコッティ・ムーアのサイトへ送ったメッセージによると、エルヴィスがサインした経営者夫妻の写真は一族の宝物だったが、いつしか心無いファン(宿泊者)に盗まれてしまったらしい。また約数年間にわたりエルヴィスとパーカー大佐は夫妻にクリスマスカードを贈り続けていたそうじゃ。1956年8月9日以外にもエルヴィスはこのモーテルを利用していたようで、部屋は11号室だったという。
 
 このモーテルもまた、「エルヴィスが泊まった」という評判もあって以降半世紀あまりも繁盛したようじゃが、2005年の大型ハリケーン「カトリーナ」によって全壊して廃業となってしもうた。ブライアン・メイズなる人物からのスコッティ・サイトへのメッセージによると、2015年にモーテル跡地を訪れた時、敷地内に設置されていたプールの白い擁壁が残っていたそうじゃ。(下写真①)
 プールが写っている当時のポストカードの写真(下写真②)と参照すると、写真中央の白い壁の外側が①に該当するようじゃ。ストリートビューで海側から確認すると、2013年8月が最新の写真であり、確かにプールの擁壁が写っている。(下写真③)現状が気になるが、ストリートビューでは内陸側からの最新撮影が2019年8月(下写真④)であり、プールの擁壁はこのアングルでは見えない。そこで航空写真で確認すると、誠に残念ながら擁壁は撤去されておった。(下写真⑤赤丸部分)

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代表的なジャンプスーツ・ショットの撮影会場
Point-16 カーチス・ヒクストン・ホール
 フロリダ州のラストは、1970年の絶好調期間のエルヴィスの印象的なステージショットが撮影された、カーチス・ヒクストン・ホールをご案内しよう。この会場での撮影日は1970年9月13日。
 エルヴィスのライブ・スケジュールに詳しい方ならすぐにお気付きじゃろうが、この頃はライブ・ドキュメンタリー映画「エルヴィス・オン・ステージ」用の撮影が行われた期間。公式記録では撮影は1970年7月19日から1970年9月9日までとされとるが、13日にも写真、映像ともに撮影が続いていたと思われるほど、素晴らしいステージ・ショットや後年発表された映像がある!
 特にエルヴィスが両手、両腕を広げてポーズをとるショット(左写真)は、1970年代のジャンプスーツを着たエルヴィスの代表的な1枚である。さしものビートルズもレッド・ツェッペリンも、エルヴィスの前ではオコチャマに見えてしまいそうなまさにキングの風格が漂う名ショットであ~る♪

 「エルヴィス・オン・ステージ」の映像は1956年に不評を買ったラスヴェガス公演のリベンジともいえる8月のヴェガス再公演の模様がほとんどであり、エルヴィスの気合が漲る映像を堪能できるが、翌9月のツアーでもエルヴィスのハイテンションぶりは維持されており、このカーチス・ヒクストン・ホールでのライブショットで充分に確認出来る!

 この日のライブ・パフォーマンスのレポートがネット上でいくつか散見できるが、エルヴィスとバック・バンドのコラボも素晴らしく、スワンプ・ロック調にアレンジした「ポーク・サラダ・アニー」はエルヴィスのライブ史上屈指のクオリティ!
 またMCでのエルヴィスのジョークも冴えていて、キングと道化を見事に演じていたという。またステージの端にいたパーカー大佐の禿げ頭を撫でて観客の大爆笑を誘ったり、「私のライブを2回しか観たことがない祖母が、800マイルも旅をして今夜来てくれたんだ!」と語って拍手喝采された一幕もあった。なおエルヴィスは亡くなる約1年前(1976年9月)にもこの会場でライブを行っておる。

 カーチス・ヒクストン・ホールは1965年にオープンした当時は新しい会場であり、エルヴィスの他にもジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、レッド・ツェッペリンら新進のビッグ・ロッカーが続々とライブを行っておる。1993年に解体され、現在では周囲全体がカーティス・ヒクストン・ウォーターフロント・パークとして、タンパ在住者たちの憩いの場になっておる。
 
 左写真左側は1965年オープン当初の撮影。右側写真はストリートビュー2020年9月のパーク内写真。奥に見えるタンパ・ミュージアム・オブ・アート前方にカーチス・ヒクストン・ホールがあった

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~フロリダ州編の最後は、パーカー大佐に飾って頂こう!(笑)前編の中で、「フロリダのエルヴィス情報では大佐の登場回数が俄然多くなる」と書いたが、後編の調査でもやはり!
 スコッティ・ムーアのサイト内、1956年2月23日フロリダ州ペンサコーラ・シティオーディトリアム(今回ご紹介しておりません)でのライブレポートの最後に、何故か唐突に大佐に関する調査書籍「The Colonel: The Extraordinary Story of Colonel Tom Parker and Elvis Presley 」の紹介記事が掲載されておった。スコッティ・サイトの製作側も、フロリダの調査中に大佐のエピソードが多いことに気が付いたんじゃろうな(笑)

 しかしその紹介記事には、フロリダ・ツアーに関する記述はまったく無し。「大佐は脱走兵だった」「脱走して捕まって収監された」「精神的病気という診断の結果、除隊処分になった」「元々大佐が駐屯していた場所は、不法上陸した場所から55マイルしか離れていない」等と既に知れ渡っている事実しか記述されていないので、なおさら書籍の紹介が奇妙で気になるのじゃ。

 上写真は、シナトラ・ショーから紹介を受けてマイアミ・セントラル・ステーションに向かう途中の駅で、ファンの歓迎を受けるエルヴィス。(Point-10参照。この駅はナッシュビル圏内なので、今回詳しいご案内は無し)エルヴィスの後ろには大佐がいて、エルヴィスに握手を求めるファンたちに何かを売りつけようとしておる様にも見える(笑)
 エルヴィスの成功物語には大佐の存在は絶対であるので、その辺の細かい記述があることを期待して「The Colonel: The Extraordinary Story~」を何とか入手してみたい。大佐サイドからエルヴィスの軌跡を追うのも楽しそうじゃ!

ではでは諸君、次回のツアーまで御機嫌よう!

【付録】 バーチャル・ロックンロール・ツアー(エルヴィスゆかりの地)Googleマイマップ

下地図の内容をここでは気にされる事なく、

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当ページでご紹介してきた全Pointが再度、通し番号入り赤マーク(各番号はPoint番号と同じ)で表示されます。
州全域内における各Pointの位置や、Point同士の距離感等も確認出来ます。

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