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テネシー州を取り囲む8つの州を訪ねるツアーも残り3州となり、一気にスパートをかけたいところまできた!今回はバージニア州へとご案内するが、ここでエルヴィスの1950年代の活動における大きな軌跡の記録を再発見した。写真集「エルヴィス21歳の肖像」の撮影者アルフレッド・ワートハイマーの作品が、このバージニア州で数多く残されておることじゃ。 各写真の撮影データをチェックし直したところ、特にバージニア州リッチモンドという街にある、ジェファーソン・ホテルとモスクシアターでの撮影が非常に多い。それも万人から賞賛を受ける様な商業写真ではなく、撮影のシチュエーションやアングルが筋金入りのエルヴィス・ファンを唸らせる“銀河級クオリティ”のショットばかりじゃ。 わしが個人的にワートハイマー氏のカメラマンとしての腕前に敬服していることもあり、この場であらためてジェファーソン・ホテルとモスク・シアターでの氏のショットを紹介しながら、その撮影場所へとご案内することにする! またモスク・シアターにおいては、他のカメラマンのステージ写真も数多く残されておるので、アルフレッド氏の作品とともにご紹介することにするぞ。 州内各地を転々とするツアーではなく、一ヶ所をじっくりと訪れてみるのもたまにはよろしかろう!どのショットも諸君ならとっくにご存知のはずだけに、その撮影の背景や現況を再確認しながらどうか楽しんで頂きたい。
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Elvis 1956, June 30 AM 8:00 Area No.1/Serial No.143 ブロード・ストリート・ステーション跡地/リッチモンド 出口に向かうエルヴィスを後方からとらえたショット(上左写真)は、幾つかの英字ウェブサイトでは現存する「メインストリート・ステーション」での撮影とされておるが、これは大間違い!実際にはメインストリート・ステーションから北西約5キロの場所にあった「ブロードストリート・ステーション」での撮影じゃ。「ブロードストリート・ステーション」は当時の駅舎(上右写真)は残されておるものの、現在は科学博物館に改造されておる。この撮影場所を探し当てたエルヴィス・マニアの動画チャンネルにて近年になって真相が明らかにされた! エルヴィスが向かっている出口はステーションの正面出入口(メイン・エントランス)ではなく、駅舎の北西側にあった出入口(上右写真赤丸部分)である。何故こちらへ向かっていたのかは、おそらくタクシー乗り場があったのじゃろう。実際エルヴィスは、北西側出口からタクシーに乗って、この日の宿泊先であるジェファーソン・ホテルに向かっておる。 なおエルヴィスが左手にぶら下げておるのは、RCAからプレゼントされたポータブル・ラジオ(RCAビクター社製/右写真)じゃ。(確か、The-Kingのオフィスに同モデルがディスプレイされておったぞ!)エルヴィスはこのラジオからC&Wミュージックを流しっぱなしにして歩いていたらしい。アルフレッド氏はエルヴィスと同じタクシーの運転席隣に乗り、後部座席に座ったエルヴィスを撮影しておる。(下右写真)エルヴィスに同行していたいとこのジーンとジュニアは別のタクシーに乗ってエルヴィスと同じジェファーソン・ホテルへ向かった。 ■Google-map上の位置■ |
“エルヴィス21歳の肖像”の本格撮影がスタートしたホテル Area No.2/Serial No.144 ジェファーソン・ホテル/リッチモンド ジェファーソン・ホテルは、1895年創設のリッチモンドの最高級5つ星ホテル。エルヴィスとカメラマンのアルフレッド・ワートハイマーはArea No.1でご紹介した通り、1956年6月30日にブロードストリート・ステーションからタクシーでジェファーソン・ホテルにやって来た。アルフレッド氏は、エルヴィスをフォーカスしながらも、当時のジェファーソン・ホテルのファシリティ(設備)を知るためにも貴重なショットをいくつか撮影しておる。 建物全体の写真を見ると、広大な敷地いっぱいに建築されていることが分かる。マップ上で確認すると敷地は100メートル四方にも及ぶ広さじゃ。エルヴィスがホテルの出入口から出たショット(下Point-2掲載写真)を照合してみると、その出入口が何処なのかがさっぱり見当がつかないほどだ。 よくよく調べてみると、ジェファーソン・ホテルの名称が付けられおる広大な建物は、フランクリン・ストリート側の出入口のある北側半分が建物正面に当たり(上左写真)、各種イベントや結婚式等で利用可能な大型宴会スペースへと続く。一方メイン・ストリート側の出入口のある南側半分(上右写真)がエルヴィスの撮影が行われたホテルスペースに当たる。 では、ホテルとして機能している建物南側半分で行われたエルヴィスの撮影場所を、ホテルの公式ホームページに掲載されておる見取り図(下写真)に沿ってご案内していこう。 ■Google-map上の位置■ Point-1 タクシー内撮影位置 問答無用!エルヴィスの右手薬指に輝くホースシューリングが素晴らしい存在感を放っている名ショット!!このショットは、エルヴィスとアルフレッド氏がブロードストリート・ステーションからタクシーに乗ってジェファーソン・ホテルに到着する直前に撮影されたものじゃ。 この撮影時の約三ヶ月前、1956年3月17日ニューヨークでのTV出演のリハーサルの合間に、エルヴィスは現地の宝石商からこのホースシューリングを購入。(詳しいシチュエーションThe-Kingのボスの写真コラム参照) この時もアルフレッド氏はエルヴィスの撮影を依頼されており、いわばその仕事っぷりがRCAに評価されて、この度再度エルヴィス撮影の依頼があったとのことじゃ。 写真の右側に写り、タクシーの窓越しに見える建物、これはジェファーソン・ホテルとアダム・ストリートを挟んで隣接していた「EARL HOTEL(アールホテル)」の入口であり、タクシーは撮影の瞬間の後に右折してジェファーソンホテルのメインストリート側入口付近で停車したと思われる。またアイラインでも引いているのかと見えるほどエキゾチックなエルヴィスの目元が印象的なショットでもある。 右写真(左側)が在りし日のアールホテル。右側が現在駐車場になっているアールホテル跡地。(ストリートビュー2021年12月撮影)赤丸印の位置が写真撮影時におけるタクシーの位置じゃ。 ■Google-map上の位置■ Point-2 メインストリート側入口 上左写真は、エルヴィスが、ジェファーソン・ホテルをチェックアウトし、メインストリート側出入口からタクシーに乗り込む前にホワイトスーツ姿のジュニアに何やら手渡そうとしている?ショット。モスク・シアターでのライブを終えた翌7月1日の朝の撮影じゃ。エルヴィスは、スティーブ・アレン・ショー出演の為にホースシューリングを購入したニューヨークへ再び戻ることになっておったのじゃ。 上中央、上右写真は現在の出入口付近の写真。エルヴィスが宿泊した当時にあった、ストリート側に大きくせり出したホテルの庇は取り払われているのが分かる。エルヴィスの前方(写真下)に見えるマンホールの位置には現在デザインカットされた大きな植え込みの樹木が設置されておる。 Point-3 旧フロントカウンター ジェファーソン・ホテル到着後、エルヴィスはまずフロントカウンターにてチェックイン。当時のフロントカウンターは入口を通って1F左側奥にあり、後に全面改装されて現在はレストランスペースから続いているカフェバー・スペースになっている。(右下写真)フロントカウンターは改装後は2階へ移動した様じゃ。 フロントカウンターでのエルヴィスもアルフレッド氏によって撮影されておる。(左写真)この写真はチェックイン時ではなく、6月30日午後になって従兄のジーン&ジュニアと、ホテルに呼び寄せた女性と4人でライブ会場(モスクシアター)に向かう時、もしくはエルヴィスが女性をフロントまで迎えて来た時のものとされておる。エルヴィスの衣装はホテル到着時のものではなく、既にモスクシアターでのライブ用衣装に着替えられておる。 そしてこの女性こそ、モスクシアターでのライブ前にエルヴィスと“フレンチキッス・ショット”に収まったバーバラ・グレイ嬢じゃ。(Area No.3モスクシアター参照) Point-4 レストラン ホテルにチェックインした後のエルヴィスは、従兄のジーンと朝食をとる為にレストランへ。オーダーしたメニューは、フライド・エッグ、カリカリのベーコン、フレンチフライだったとか。(上左、中央写真)どのウェブサイトにもレストランの名前や場所が紹介されていないが、恐らくホテルを入ってすぐ左手にあって現在も稼働している「TJ'Sレストラン」と思われる。 なおエルヴィスと同時にチェックインした従弟ジュニアの方は、バーバラ・グレイ嬢をホテルに連れてくるために、あらためてタクシーに乗ってホテルを後にしたそうじゃ。 Point-5 旧コーヒーショップ 朝食後エルヴィスは一度ホテルの部屋へ戻り休憩。午後になってバーバラ・グレイ嬢がホテルに到着すると、モスクシアターへ出発する時間までホテル内のコーヒーショップでバーバラ嬢と時間を共にすることになる。 このコーヒーショップはホテル1F、入口を入って右側にある現Gators Coffee&Giftsなるホテル専用のスーベニアショップ兼カフェじゃ。(右写真) エルヴィスとバーバラ嬢は“有名なショット”以外に、次のような不思議な?会話記録が残っておる。このカフェで行われた会話なんじゃろうか(笑) エルヴィス:お酒は飲まないの? バーバラ嬢:飲まないわ。 エルヴィス:僕は自分のガールフレンドにはお酒を飲んでほしくないんだよ。 バーバラ嬢:私はあなたの女じゃないわ。 エルヴィス:タバコを吸う女性もあんまり好きじゃないんだ。 バーバラ嬢:だから、私はあなたの女じゃないってば! またこのカフェの中にはマガジン販売カウンターもあり、エルヴィスが映画雑誌「Modern Screen」の中に掲載されている自分の記事を閲覧しておる写真も撮影されておる。(下左写真。下右写真は、エルヴィスが閲覧している雑誌の表紙とページ)バーバラ嬢は一緒に写っていないことから想定すると、エルヴィスはこのコーヒーショップでバーバラ嬢の到着を待ち、彼女がやって来るまでの時間にマガジンをチェックしておったのかも。 |
多様なショットが残されているバージニアの“エルヴィス劇場” Are No.3/Serial No.145 モスク・シアター/リッチモンド 随行カメラマンとして、1956年6月30日のエルヴィスを追い続けたアルフレッド・ワートハイマ―は、当日夕方からは午後5時と8時と2回のライブが予定されておったライブ会場のモスク・シアターへ。モスク・シアターは、ホテルから約700メートル、徒歩で10分弱の距離に位置しておる。 実はエルヴィスにとってモスク・シアターでのライブは5回目に当たる。1955年5月16日、11月29日、1956年2月5日、3月22日に続く登場であり、その間にもアルフレッド氏以外のカメラマンによって多数の写真が撮影されておる。またこの日も2回のライブの合間の時間に、会場入りを許可された一部のファンと交流する場面も撮影されており、当時のエルヴィスのライブ会場内における写真の数と種類の多さではモスク・シアターは有数じゃ。バージニア州においては、モスク・シアターはまさに「エルヴィス劇場」と言っても過言ではないほど記録が豊富な会場といえよう。 エルヴィスはジェファーソン・ホテルから、ジーン&ジュニア従兄弟とバーバラ・グレイ嬢と4人で最初のライブの開始20分前に会場入りしたとスコッティ・ムーアのサイトに記述されておる。事の詳細記述は避けるが、ライブ開始直前にも関わらずエルヴィスは会場外に集まっていたファンと少々交流時間を持ち、その後舞台裏(ドレッシングルーム)でスコッティ、ビル、ジョーダネアーズと顔合わせ、さらに同行していたバーバラ嬢との有名な“フレンチキッス・ショット”の撮影時間を持っている。 モスク・シアターは現在では「アルトリア・シアター」と名前を変えて稼働しており、2021年3月にネット上にアップされたエルヴィス・マニアの動画によると、建物の構造はエルヴィスが出演した当時のまま残されておるようじゃ。(右写真はストリートビュー2020年3月撮影)ストリートビューでも建物の内部を閲覧出来るが、残念ながらエルヴィスゆかりの舞台裏部分までは撮影されてはおらんので要注意! それでは、ステージだけではなく、舞台裏も含めて若きキング・オブ・ロックンロールの撮影が行われた場所とその現状をご案内しよう。 ■Google-map上の位置■ Point-1 “フレンチキッス”パッセージ あまりにも露出度が高いこの写真、今更説明は不要じゃろう。撮影場所はモスクシアターの舞台裏、1階から2階に階段を登ってステージ入口へと続くパッセージ(通路/廊下)じゃ。 上述したエルヴィス・マニアがアップした動画によると、バーバラ・グレイ嬢が撮影の際に身体の背面を支えておる手すり、エルヴィスの背中が触れている壁、2人の姿を照らす太陽光が注ぐ窓はそのまんまじゃ!(カラーの現状写真は全て動画内に挿入された写真より~写真撮影の日時は不明) なおバーバラ・グレイという女性じゃが、ご本人が名乗らなかったことで、長らく写真の女性の正体は不明であり「ミステリー・キッサーMistery Kisser」と呼ばれておった。2011年8月、数々のエルヴィス関連の著書で名高い作家アランナ・ナッシュによって明らかになった。 バーバラ嬢本人によるとその数年前、アルフレッド・ワートハイマー氏がまだ存命中に一度アルフレッド氏に名乗り出たことがあったらしいが、撮影から50年近く経過していたこともあって氏はバーバラ嬢の話を最初は信じることなく、様々な質問をぶつけてきたという。やがてアランナ・ナッシュ氏が独自で検証をし、最終的に「バーバラ嬢が間違いなくミステリー・キッサーである」と証言!最後の決め手になったのは、4フィート11インチというバーバラ嬢の低身長だったとのことじゃ。 バーバラ嬢が長らく名乗り出なかった理由は、「かつてエルヴィスと有名な1枚に収まった女性」というだけで世間から大騒ぎされることを敬遠していたからだという。 Point-2 ドレッシング・ルーム 上左写真はドレッシングルーム(出演者用控室)でのエルヴィス。その右側カラー写真の通り、このお部屋も現存しておる。場所はエルヴィスの後方に窓があるので、“フレンチキッス・パッセージ”と同じ2階か、その真上の3階かと思われる。 上右写真2枚は、1955年5月16日、エルヴィスがモスク・シアター初登場の時のバックステージでの撮影。これはアルフレッド氏の撮影ではない。 【チョイ注目!】 ちなみに1955年5月16日のショットでエルヴィスが着ておる“ロールボタンダウン・シャツ”が何ともオシャレ!ボタンをより内側に付けることで、襟のフロントラインや内側が鮮明になる実にユニークなロカシャツじゃわい。随分と前に何処かで目にした記憶のある独特スタイルであり、なんのことはない!2006年に同様のシャツをThe-Kingが発表しておったわい!カラーは違うが是非ともチェックしておいてくれ~。 Point-3 パーキングエリア ジェファーソンホテルからモスク・シアターに到着したエルヴィスは、まず正面入口の先にあるシアター西側の端にあるスペースに集まっていたファンと交流。(右写真右下)写真をよく見ると2階へと続くなだらかにスロープがあり、そのスロープ手前にエルヴィスとファンの姿が見える。エルヴィスが背にしておるシアター西側の壁の汚れ?は、1956年当時と現在とでもほとんど変っておらん!(カラー写真は、ストリートビュー2020年7月撮影)現在ではスロープは撤去されており、駐車場になっておる。 スロープ前でファンの交流した後、恐らくエルヴィスは2階にあがりPoint-1での“フレンチキッス”の撮影をし、その後Point-2でのドレッシングルームに移動したと思われる。エルヴィスが窓から階下のスロープを見下ろすと、右写真左下の様に女の子たちが群がっており、彼女たちは一様にエルヴィスが顔を出したドレッシングルームの窓を見上げておったのじゃ! Point-4 ステージ ここからは、モスク・シアターでのエルヴィスのステージ写真をご紹介しよう。上写真左下のショットが1955年11月29日の撮影であり、それ以外の4枚、更に下写真左側のショットは全て1956年6月30日撮影。アルフレッド氏の撮影は上写真中央と下写真左の2枚。 下写真中央と右の2枚のカラー写真は、スコッティ―・ムーアのサイトに掲載されていた2008年9月の撮影。モノクロ変換すると1950年代と写真にも見えそうな、オールドフレーバーを堅持した古色蒼然たる劇場じゃ。Google Mapに投稿されておる現在の客席の写真によるとかなり改装されておるので、ご興味のある方は劇場の場所の確認とともにチェックのほどを。 |
1956年6月30日におけるエルヴィスの行動を、アルフレッド・ワートハイマ―氏の写真を中心に振り返ったみた「バージニア州前編」はお楽しみ頂けたかいのう。 先述した通り、モスク・シアターでの2回のライブの合間の時間帯にエルヴィスはファンとの交流時間を楽しんでおり、そのショットもたくさん残されておる。 エルヴィスは翌7月1日にはニューヨークでの「スティーブ・アレン・ショウ」に出演するためにリッチモンドを離れ、更にニューヨークの後には7月4日の故郷メンフィスでのラスウッド・パークでの凱旋公演を控えておった。この間アルフレッド氏はエルヴィスにぴったりと寄り添い、数千回にも及ぶシャッターを切ったとされておる。その全容を「バーチャル~」で一挙にご紹介することは出来ないが、今回は外させてもろうたモスク・シアターでの2回のライブの合間に撮られた写真は、いずれ「バージニア州~アウトテイク集」の時にでも取り上げる予定じゃ。今回はとりあえず2枚を追加掲載しておこう。(上写真) 今回はご案内場所を三ヵ所に絞ったので、次回はバージニア州全体におけるエルヴィスゆかりの地へとご案内する予定じゃ。それでは諸君、次回のご参加をお待ちしております! |
【お断り】 Googleマイマップ「一覧!バーチャル・ロックンロールツアー・トータルマップ」 掲載中断について 今まで「バーチャル・ロックンロールツアー」にてご紹介してきた全ての場所をGoogle Map上で一覧出来る 「一覧!バーチャル・ロックンロールツアー」の更新を一時中断致します。 「一覧!~」の基本機能である“Googleマイマップ”の更新機能の上限を越えてしまったため、 今回ご紹介の場所が追加出来なくなりました。 ただ今、別の機能等にて新たにご紹介していく場所を追加出来る方法を検討しております。 しばらくお待ちください。 |
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