NANATETSU ROCK
FIREBALL COLUMN Vol.391




 The-Kingファンの皆様、少々ご無沙汰しています。約三ヶ月ぶりのまめ鉄であります。映画エルヴィスが公開となり、「バーチャル・ロックンロールツアー」も本編をガンガンぶっ放す時期だとは思いますが、七鉄師匠も歳ですし、あんまり無理させるのも気の毒なんで(笑)僕の出番となりました!

 前回の本編でも師匠がお断りしていましたが、アラバマ州のエルヴィス情報はたくさんあるにはあるのですが、何故かこの州に限っては精度の甘い情報が多くて、またそれぞれが“違った甘さ”なんでスルーすることも出来ず、良い部分を繋ぎ合わせていくとそれなりのクオリティの情報になるだけに困ったもんでした(笑)師匠も各情報をまとめるのに時間がかかったようなので、今回は僕の方で前回に師匠が書き損じた(書き忘れた?)部分を補ってみたいと思います。



【エルヴィスゆかりの地・アラバマ州編アウトテイク その1】

1955年度エルヴィス・イン・アラバマ最古の写真!

 エルヴィスは1955年度に、アラバマ州シェフィールドにあったコミュニティーセンターで一定のインターバルを挟んで3度のライブを開催してました。依然としてライブステージの写真は発見出来ませんでしたが、バックステージの写真をサンレコードのサイトで発見!(左写真)これは1955年8月2日の撮影とされてます。
 「サンレコードのサイトに掲載されている写真なら、なんですぐに発見出来なかったんだ!」とお叱りを受けそうですが、僕がエルヴィスの1950年代の基本ライブデータにおいて全幅の信頼を寄せておるスコッティ・ムーアのサイトにおいて、この8月2日のライブは地域名がシェフィールド(Sheffield)ではなくマッスル・ショールズ(Muscle Shoals)とされていたんです。多分これはスコッティ・サイト側の表記ミスであり、その他のサイトも参照した上で「8月2日はシェフィールド」と断定出来た次第です。(よくよく調べてみたら、マッスル・ショールズとは、テネシー川沿いのマッスルショールズ、シェフィールド、フローレンスの3地域の総称でもありました!)

 またもう1枚、シェフィールドでのエルヴィスの写真を発見。(右写真)こちらは11月15日のバックステージでのショットです。いい面構えですね!このバックステージの写真の所有者は、前回ご紹介済の「How About a Date~Encounter with young Elvis」なるタイトルでデート体験記を出版したキャロライン・ハウザー嬢とされています。キャロライン嬢自ら、デートの前にバックステージでエルヴィスを撮影したものかもしれないですね。



【エルヴィスゆかりの地・アラバマ州編アウトテイク その2】

オーナーの奥方?とお嬢さんともにエルヴィス・ファンだったレストラン「Power’s Cafe」

 引き続きエルヴィスと女性ファンとの写真をご紹介します。
 まず上左写真。これは先にご紹介したシェフィールドでの8月2日の撮影とされてますが、裏付けは取れませんでした。また上右写真はアラバマ州リーズという地域にあった「Power's Cafe」というレストランでジョー・ア二ーという女性と食事を摂るエルヴィスです。リーズでのライブ記録は残っていないので撮影日時はまったく不明です。

 ただし「Power's Cafe」の線から調べて行ったところ、1950~60年代に確かにリーズという街に「Power's Cafe」は存在したことが判明しました。(左写真)オーナーが地元で大型ドラッグストアを経営する名士の様な方だったということもあってリーズの歴史を紹介するサイトに「Power's Cafe」は掲載されており、ジョー・アニーはオーナーの娘さんだったとのこと!そのサイトに1956~7年のツアー途中にエルヴィスは「Power's Cafe」に立ち寄ったとされてました。
 写真を見ると、エルヴィスは何やら料理をつまんでいるように見えますが、アニー嬢の前には料理は無く、食事に立ち寄ったエルヴィス一行を接客しているように見えますね!Wikipediaによると、エルヴィスが食事の際に使用したお皿は長らく店内に展示されていたそうです。

 そして、僕の勝手な想像、仮説をひとつ。上左写真の方の女性、右写真のジョー・アニー嬢に似ていませんか?(笑)アニー嬢のお母さんの様に見えなくもない!左写真の撮影が間違いなく1955年8月2日だとすれば、まずお母さんが8月2日にエルヴィスのライブを観た後、地元の名士の奥方だからバックステージに入り込むことに成功してエルヴィスと写真撮影!奥方は更に「Power's Cafe」のことをエルヴィスにアピールし、エルヴィスは後日「Power's Cafe」を訪れて今度は娘さんと写真におさまったのかもしれません。まあこんな連想をしながらほのぼのするのもたまにはいいでしょう!
現在「Power’sCafe」の跡地は駐車場になっています。(右写真ストリートビュー2022年4月撮影)
 なお、「Power’s Cafe」跡地から、右写真左端のParkway Dr.(78号線)を30キロほど行くと、1976年12月29日にエルヴィスがライブを行った「バーミンガム・ジェファーソン・シビック・センター・コロシアム」があります。
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【エルヴィスゆかりの地・アラバマ州編アウトテイク その3】


1955年1月19日エルヴィスの行動の痕跡を辿る!

 実はアラバマ州は、エルヴィスよりもサンレコードのオーナーであり、エルヴィスの実質的な発掘者であるサム・フィリップスと縁の深い地域なのです。サム・フィリップスは1923年1月15日アラバマ州フローレンスの貧しい小作農家の8人兄弟の末っ子として生まれ、地元の高校を中退した後は、1950年にメンフィスでサンレコードを起業するまではアラバマ州内のあちこちのラジオ局でディスクジョッキーおよびエンジニアとして働いていました。エルヴィスが1955年にアラバマ州で頻繁にライブを行うことが出来たのは、恐らくサム・フィリップスのアラバマ州でのコネクションが強かったからでしょう。

 1955年1月19日シェフィールド・コミュニティー・センターでのライブ前に、ブルームーン・ボーイズはフローレンスのラジオ局WJOIで「シェイク・ラトル・アンド・ロール」をレコーディングした件は前回の「アラバマ州編」Area No.1でご紹介してありますが、フローレンスはサムの生地だったのです。そのスタジオは現在は無くなってしまっていたので随分と探し回ったところ、プロデューサーのトミー・ヴァン・サント(当時16歳の高校生)の貴重な証言を発見!証言によると、そのスタジオの所在地は現在の「インディアン・マウンド・アンド・ミュージアム」のある位置だったことが判明しました。(左上写真)残念ながら当時の写真はネット上で発見できずです。
 “インディアン・マウンド”とは日本語に直訳するとインディアン塚(古墳)ともいうべきでしょうか。紀元前からこの地がネイティブ・インディアンの居住地域であったことを証明する古墳でもあり、博物館は“エルヴィスがレコーディングしたスタジオがこの地にあった”ということよりも、あくまでもネイティブ・インディアン遺跡からの出土品等をアピールしています。
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 またトミー・ヴァン・サントの回想によれば、レコーディングが終了した後、シェフィールド・コミュニティー・センターでのライブ開演までの空き時間に、ヴァン・サントは2人のガールフレンドを呼んでエルヴィスを含む4人でピンク・キャデラックに乗ってデートをしたとのこと!行き先は、テネシー川を渡ったセカンド・ストリートとウッドワード・アヴェニューとの交差点にあったレストラン「ルイス・ダイナー」。食事を終えた後に4人はライブ会場であるシェフィールド・コミュニティー・センターへ向かいました。会場は立ち見客まで出る大盛況であり、約3,000人の観客が集まっていたそうです!

 エルヴィスら4人が食事をした当時のダイナーの写真は発見出来ませんでしたが、跡地は現在ガソリンスタンドになっています。(右写真ストリートビュー2019年5月撮影)。
 2人の女の子の内の一人は、エルヴィスを追っかけて(?)メンフィスへ行き、後にエルヴィスから毛皮のコートを買ってもらったと話していたそうですが、デートした日から数年後に交通事故で亡くなったらしいですよ。もうお一方は結婚後メンフィスに移住したとのことです。
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【エルヴィスゆかりの地・アラバマ州編アウトテイク その4】
サン・レコード、サム・フィリップス・ファンにはタマラナイ3ポイント!

WLQT-FM放送局
 
「シェイク・ラトル・アンド・ロール」がレコーディングされたラジオ局WJOI、は1960年代にインディアン・マウントから北東約1.6キロの場所に移転。その後現在に至るまでWLQT-FM放送局になっています。(左写真ストリートビュー2019年5月撮影)
 エルヴィスは1955年11月にRCAレコードへ移籍したので、このラジオ局の方はエルヴィスとは直接関係のない場所ですが、サム・フィリップスは後にこのラジオ局を買収し、エルヴィスに次ぐ大型新人発掘の為に役立てていたそうです。サムの没後、彼の功績を讃えてサム・フィリップス・ミュージック・セレブレーションというレコーディング・スタジオが併設され、ラジオ局とスタジオの住所は特別に“サム・フィリップス・ストリート”の名称で正式登録されています! ■Google-map上の位置■

【ガンランナー・ホテル】
 マッスルショールズ、シェフィールド、フローレンスの3地域の総称がマッスルショールズであることは先述しましたが、この地域には数多くのヒット曲を生み出した「マッスルショールズ・サウンド・スタジオ」があり、シェール、ロッド・スチュワート、ポール・サイモン、ローリング・ストーンズらがレコーディングしています。エルヴィスのレコーディング履歴は無いので今回スタジオのご紹介は避けさせてもらいますが、その他のマッスルショールズゆかりの地巡りの際に紹介されるホテルの方をピックアップしておきます。先述したラジオ局WJOIから徒歩15分ほどの距離にある「ガンランナー・ホテル」です。

 有名ミュージシャンが宿泊したという謂われはありませんが、ご当地出身の有名人サム・フィリップスの功績を讃えた「サム・フィリップス・スイート」というスペシャル・ルームがあります!ベッドの枕元にはサンレコードのロゴを荘厳にアレンジしたプレートが飾られており、ここでぐっすり眠れば、翌朝素晴らしい音楽的アイディアが生まれてきそうなインテリアですね(笑)

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【アラバマ・ミュージック・ホール・オブ・フェイム】

 一瞬メンフィスのサン・スタジオのショールームと見紛うほどの、見事なディスプレイ!が目を引く、アラバマ州版「音楽の殿堂」です。サム・フィリップスをはじめとした、アラバマ州の音楽の歴史に貢献したミュージシャンやプロデューサー等を讃える博物館であり、オープンした1990年当時は短期間のうちに全米から35,000人あまりの音楽ファンが集まって華々しいスタートを切ったそうです。
 様々な記念アイテムが展示されていますが、エルヴィスをはじめ、BBキング、マディウォーターズ、ジョニーキャッシュ、カールパーキンス、ジェリーリールイスが使用したオリジナルのレコーディング機材が目玉!まあ博物館の一部はサム・フィリップス・ミュージアムといっても差し支え無さそうです。

 追加の計画施設には、コンサート、セミナー、ワークショップ、最先端のサウンド、ライト、オーディオ/ビデオの録音機能を備えたコミュニティプレイ用の2,500席の講堂、および南部の音楽に関する将来の研究図書館が含まれていました。すべての新しい施設は、2014年までに1,000万ドルの費用で完成する予定だったものの資金不足により、施設拡張計画は頓挫してしまったらしいです。ここ数年は断続的にしか開館されていないという情報もあり、現状が気になるところですね。
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【エルヴィスゆかりの地・アラバマ州編アウトテイク その5】

エルヴィスが“生まれて初めて大金を手にした(とされる)ライブ

 エルヴィスの1955年度アラバマ州ライブにおいて、まだご案内していない会場が幾つかあり、その中でも6月29、30日、10月28日の3回にわたって開催されたモビールのカーティス・ゴードン・ラジオ・ランチ・クラブはバーチャル・ツアーからは外せないはずでした。
 まずカーティス・ゴードン本人がエルヴィスの先輩カントリー・シンガーであり、またRCA契約シンガーとしてもエルヴィスの先輩だからです!かなりホンキートンクなカントリーをかましていた当時では異色のシンガーであり、RCAに残された音源「「Rompin'And Stompin'」は熱心なオールド・ロックンロール・ファンの間では、「エルヴィス以前の初めての本格的なロカビリーサウンド」とまで評価されています。
 また1952年にカーティス自らがオープンさせた「ラジオ・ランチ・クラブ」はラジオステーションとミュージック・クラブが合体した施設であり、モビールでもっとも流行っていたクラブと紹介しているサイトもあるほどです。
 そして、エルヴィスが出演した3回とも大変に盛り上がり、サンレコードのサイトには特に6月29、30日はエルヴィス&ブルームーン・ボーイズは300~500ドルも稼ぎ出し、「エルヴィスは生まれて初めて大金を手にして、ライブ終了後に服やレコードを買いまくった」とまで記載されているからです。

 興味をそそる周辺情報が少なくないクラブなのに、肝心の当時の写真も場所を特定する情報もネット上で一切見つからないのです。もちろんエルヴィス出演時の写真も無し。上写真もカーティス・ゴードンのバンド写真である以上に、撮影会場が「ラジオ・ランチ・クラブ」であるのかどうかの但し書きもありません。これは今後文献等を探し漁って、時間をかけて解明するしか無さそうです。いつの日か、見つかり次第ご紹介することにします。




 ネット調査に苦戦したアラバマ州でしたが、前回と今回の番外編にてとりあえず一旦ご案内を終了致します。ネタ自体はまだまだあるのですが、見つかった資料が内容不十分なのでまたいつ日かあらためてご案内出来ればと思います。サム・フィリップスの生まれ故郷であり、サムがプロデューサーとしての素養を磨き上げていた土地でもあるので、個人的にも依然として興味が尽きないアラバマ州、今後も地道に調査を進めて行きます。
 テネシー州を取り囲む8州を巡るツアーもいよいよファイナルが近付いてきました。次回は七鉄師匠がヴァージニア州へとご案内する予定ですので皆様のご参加をお待ちしております!(右写真アラバマ・ミュージック・ホール・オブ・フェイム入口付近)



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