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アルフレッド・ワートハイマー氏のショットに沿って、エルヴィスゆかりの地三ヵ所をじっくりとご紹介した前回の「バージニア州前編」に引き続き、今回はその他のバージニア州のゆかりの地へとご案内しよう。 しかしながら、アルフレッド氏はエルヴィスの1956年度バージニア州ライブ全てに随行しておったわけではないので、この度ご案内するポイントにおいてはほとんどエルヴィスの写真がネット上でアップされておらん。興味深いエピソードが残っておる場所も少なくないので、関連写真を代用するなどして、各地のエルヴィスの痕跡を少しでもリアルにお伝えしようとトライしてみたので、どうかその点はご理解願いたい。 アルフレッド氏の写真以外ではエルヴィス・ライブの記録が乏しいバージニア州じゃが、残されておる(ネットにアップされておる)数少ない当時の貴重な証言や新聞記事によると、1955年、1956年のライブは概ね好評じゃ。「警察や教育機関が騒いで云々かんぬん」といった記録が見当たらない。各地でエルヴィス&ブルームーンボーイズは歓迎されておったことを念頭に置きながら、どうかバージニア州後編をお楽しみ頂きたい。
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ジーン・ヴィンセントが薫陶を受けたライブ会場! Area No.4/Serial No.146 ミュニシパル・オーディトリアム/ノーフォーク エルヴィスのバージニア州初登場となった会場。(1955年5月15日)この時はハンク・スノウ&ミュージック・ジャンボリーの一員としての登場だったが、以降同年9月11、12日、1956年2月12日の計4回にわたってエルヴィスは同会場でプレイしておる。左写真のステージショットは、初登場の時の貴重な1枚であ~る!左写真右下は、1956年2月12日当日のチケット売り場の模様じゃ。 計4回のライブにおいて、もっとも盛り上がったのはエルヴィスの知名度が俄然上がってRCAのアーティストとして大々的にアピールされた1956年のライブであることは言うまでもないが、同日のライブはロックの歴史上における小さな事件を誘発しておる。1日で3回のライブが行われた内、いずれかのステージを観ていたご当地ノーフォーク出身のジーン・ヴィンセントが衝撃を受けて、ロックンローラーとして生きることを決意したライブとなったのじゃ! スコッティ・ムーアのサイトによると、ジーンはその後ミュージック・コンテストで「ハートブレイク・ホテル」を歌って優勝し、「ビー・バップ・ルーラ」を再録音してスターへの階段を登って行ったとされておる。また「ビー・バップ・ルーラ」のジーンの歌声が“エルヴィスの様に聞こえる”という評判に対して、ジーンは後に下記の通り直接エルヴィスに謝罪したらしいが、エルヴィスは同曲の大ヒットを心から祝福したという! ジーン:ミスター・プレスリー、僕はあなたのように聞こえようとしたわけではない。あなたの真似をしようとしたわけではない。分かって頂きたい。 エルヴィス:そんなことは分かっているよ。君のスタイルはとても自然だよ! 七鉄:(じ~ん)ええ会話じゃ。まさに「英雄、英雄を知る」ってヤツじゃ! 1956年2月12日の3回のライブはいずれも超満席状態であり、合計9,900人のファンが会場に駆け付けたとされておる。上写真はライブの合間にファンとの交流を持つエルヴィスの様子じゃ。 (※同日のライブ写真は、当ページ最上部のスライドに使用しています) ミュニシパル・オーディトリアムは、以降何度か名称を変えたり、周囲に劇場設備を大幅に増設したりした後、現在は「バージニア・オペラ」と呼ばれるオペラ劇場として稼働しておる。(左写真ストリートビュー2019年3月撮影) ■Google-map上の位置■ |
魔法の街で躍動した“ヒルビリーのシナトラ” Area No.5/Serial No.147 アメリカン・リージョン・オーディトリアム跡地/ロアノーク 上記(Area No.1)でご紹介済のノーフォークにてバージニア州初ライブを果たしたエルヴィス一行(ハンク・スノウ・ミュージックジャンボリー一団)は、その翌日1955年5月16日、真西に約380キロ内陸に入ったロアノークという当時南部都市の中で有数の発展を遂げていた街までやって来てライブを行った。会場となったアメリカン・リージョン・オーディトリアムは、ロアノークのイベントや式典を一手に担う会場であり、エルヴィス一行のライブは1912年の開場以来最大の盛り上がりを見せたという! 同年9月15日にも同会場でライブが開催されており、この時は地元紙ロアノーク・タイムスはエルヴィスを「ヒルビリーのフランク・シナトラ」と形容して約半年ぶりにロアノークに戻って来たエルヴィスを讃えておる。 ロアノークという街は、西のブルーリッジ山脈とシェナンドー・バレーの南端によって形成された美しい円形型の盆地にあり、1882年に鉄道が敷かれたことにより1880年代にもっとも発展した南部の街となり、その後しばらくは「魔法の街The Magic City」と呼ばれておった。 「アメリカン・リージョン・オーディトリアム」は、ロアノークを繁栄へと導いた鉄道の駅近くにあり、そこにやって来たエルヴィスはロアノーク繁栄のひとつのシンボルでもあったに違いない。 上右写真(左側)は、1950年代には珍しい航空写真に写し出されたロアノークの街並み。上右写真(右側)は現代の航空写真。いずれも赤丸部分が会場(もしくは跡地)。 左写真は、1955年9月15日出演時の広告、及びエルヴィスと女性ファンとのショット。残念ながらネット上で見つかった同会場でのエルヴィスの写真はこの1枚のみ。 アメリカン・リージョン・オーディトリアムは1957年11月に火災により全半焼してしまい、結局建て替えられることなく1958年3月に残骸は全て撤去され、現在は隣接するロアノーク・ホテルの所有する駐車場になっておる。(下写真ストリートビュー2019年6月撮影) なお火災が起きた時は、丁度エルヴィスがハワイにてブルームーンボーイズとのラストコンサートを行っていたとされており(1957年11月11日)、エルヴィスの第一次黄金時代の終わりとアメリカン・リージョン・オーディトリアムの終わりを重ね合わせて時の流れを憂うロアノークのエルヴィス・ファンは多いそうな。 ■Google-map上の位置■ |
“音楽旅芸人たち”が宿泊できた超豪華ホテル!? Are No.6/Serial No.148 ロアノーク・ホテル 左写真(左上)の雪化粧した素敵なモノクロ写真が残されておるロアノーク・ホテルはArea No.2でご案内したアメリカン・リージョン・オーディトリアムにエルヴィス一行(ハンク・スノウ・ミュージックジャンボリー一座)がライブ出演した際に宿泊したホテルじゃ。 アメリカン・リージョン・オーディトリアム真横の敷地に建てられおり、Area No.2で掲載した2枚の航空写真内丸印の左隣の敷地の建物がロアノーク・ホテルじゃ。 ホテルのサイトにもWikipediaにも、有名客のリストにエルヴィスの名は掲載されておらんが、スコッティ・ムーアのサイトには宿泊した事実が明記されており、またエルヴィスが宿泊した場所としてホテル内部の撮影を許可されたエルヴィス・マニアの動画もアップされておる。 ロアノーク・ホテルは、「ヒストリック・ホテル・オブ・アメリカ」なるアメリカの歴史的な長寿ホテルを紹介するウェブサイトでも掲載されておる、1882年のクリスマスに開業した超長寿ホテルじゃ。有名客リストからエルヴィスの名が漏れておるのは、創業以来3回の火災によるホテル内の混乱によって、古い宿泊者記録が消失しているからなのか、もしくはハンク・スノウ一座が宿泊した際にエルヴィスが宿台帳に記帳しなかったからなのか? エルヴィス及びハンク・スノウ一座が宿泊した写真はネット上には見つからんかったが、ホテルの古い写真(上写真)を見る限りでは、当時から相当な高級ホテルであることが分かる。失礼ながら、当時はまだ社会的地位が高くはなかったカントリーミュージックの旅芸人たちが、こんな豪勢なホテルに宿泊出来ていたとはにわかに信じ難い(笑) 上写真(左下)は、ホテルの南側に敷かれていたノーフォーク・ウエスタン鉄道の線路。この鉄道会社によってロアノーク・ホテルは経営されておった。アメリカン・リージョン・オーディトリアムとともにロアノーク・ホテルは、鉄道によって未曾有の発展を遂げたロアノークのシンボルだったのじゃ。現在でも当時と変わらぬ荘厳な佇まいをみせておる。(右写真はストリートビュー2019年6月撮影) ■Google-map上の位置■ |
1日4度のエルヴィス・フィーバーも、今や幻 Area No.7/Serial No.149 パラマウント・シアター/ニューポート・ニューズ 1950年代のバージニア州におけるエルヴィス最後のライブが、1956年2月13日のニューポート・ニューズなる街のダウンタウンにあったパラマウント・シアターじゃ。左写真左側が新聞広告、右側が当時のシアター正面入口。 その名の通り元々は映画館だった会場。ニューポート・ニューズの地元サイトによると、当地でもっとも需要の高かった娯楽は、第二次世界大戦前後は圧倒的に映画だったらしく、需要率は80%にものぼったという。しかし1960年代になると20%にまで落ち込んだそうな。 パラマウント・シアターは地元では元々“エリート・シアター”と呼ばれていたほど、大人向けの映画を主体に上映しておったらしいが、時代の推移とともに様々なショーや子供向けの映画などを演目に加えていったそうな。その中でもエルヴィスのライブという企画は白眉であり、当日4回ものライブが行われ、久方ぶりにシアターが熱気に包まれた日となったという。パラマウント・シアター最後の黄金の日だったのかもしれない。 一時は“子供を卒業して大人になるためのデート・スポット”とまで評された荘厳な内装が自慢だったパラマウント・シアターだったが、ニューポート・ニューズのダウンタウン自体の衰退と歩調を合せるように徐々に客足が遠のき始め、1970年代になるとB級映画やポルノ映画を上映しながら運営されておったが、1981年に閉館、取壊しとなった。 現在周囲は再開発されて、アパートが点在する住宅街となって往年の面影はまったくない。パラマウントシアターのあった場所には消防署が建てられておる。(右写真ストリートビュー2019年4月撮影)1日で4回ものエルヴィス・フィーバーが巻き起こった日が到底信じられないような安寧の街並みと化しておる。 ■Google-mapの位置■ |
ロアノークのキング・オブ・ロックンロール劇場 Area No.8/Serial No.150 シビック・センター/ロアノーク 1972年4月11日、エルヴィスは16年半ぶりにロアノークに戻って来た。(上右写真-左)前回登場した会場「アメリカン・リージョン・オーディトリアム」(Area No.2) は既に火災によって消失していたが、その跡地から北へ僅か数百メートル離れた場所に1971年に建てられたシビック・センターが「エルヴィス・ロアノーク・カムバック」の会場となった(上左写真) この日は開演前にロアノーク市長さんが舞台裏にエルヴィスを訪ね、ギター型のフラワープラークを進呈してエルヴィスへ歓迎の意を表しておる。(左写真)市長さんの家族は花屋を経営しており、フラワープラークはエルヴィス用に特別仕様で作成された謹呈品とのことじゃ。 この市長さんの歓迎にエルヴィスもパーカー大佐も気を良くしたのか、1974年3月16日(上右写真-中央)、1976年8月3日(上右写真-右)と定期的にロアノークでライブを行い、またエルヴィスの死後8日目にあたる1977年8月24日にもライブスケジュールが組まれておった。 シビック・センターはその後「バーグランド・センター」と名称を変えて現在に至っておる。(右写真はストリートビュー2017年6月撮影)周囲にはエルヴィスがシビック・センターに登場した際に宿泊したとされるホテルが幾つかあるものの、比較的新しいエルヴィスの記録の割には宿泊先が未だにネット上で特定されていないのが謎じゃ。 ■Google-map上の位置■ |
キングが宿泊した謎の庶民派ホテル!? Area No.9/Serial No.151 シェラトン・イン・ホテル(?)/ロアノーク 左写真は、1976年8月4日、前日にロアノークのシビック・センターでのライブを終えたエルヴィスが、当時のガールフレンドだったリンダ・トンプソンを伴ってホテルをチェックアウトして飛行場へ向かう際のショット。ネット上では割と露出度の高いショットじゃが、どの掲載サイトにもホテル名が明記されておらん。某国エルヴィス・ファン・クラブのFacebookにも、「ホテル名は不明」とされておった。 最近になってこのホテルの内部を撮影したエルヴィス・マニア作成の動画がアップされていたものの、やはりホテル名が明示されておらん。どういうことじゃ? 動画を何度も見直したところ、わずかに「シビック・センター近くにあるこのホテルは現存しているが、“シェラトン・イン等ホテル名がコロコロ変わっており~”とボソボソとナレーションされておった(笑) そこで動画に写し出されていたホテルの様子とシビック・センター周囲にあるいくつかのホテルのストリートビュー写真を丹念に参照したところ、旧シビックセンター(現バーランド・センター)の北西約11キロの位置にあるベイモント&ウインダム・サレム・ロアノーク・エリアなるホテルであることがようやく判明した!しかしながらエルヴィスが宿泊した当時のホテル名は、動画内のナレーションだけでは特定は出来ず。 動画内にはホテル正面入口を横から撮影した画像があり、それが左写真上側。下側がストリートビューによる2009年4月撮影。 エルヴィスとリンダ・トンプソンが写っておる画像はホテルの裏側出口であり、こちらのストリートビューの撮影が右下写真。(2009年4月撮影)ありがたや、ストリートビューじゃ! 現在Google-map上でベイモント&ウインダム・サレム・ロアノーク・エリアは「2つ星ホテル」とされておる。キング・オブ・ロックンロールが2つ星ホテルに宿泊するなど信じられん。エルヴィスとリンダさんとのショットの背景としてわずかに写っておるホテルの壁面からも、当時は豪華ホテルだったとも思えない・・・。最近のホテル内の動画をチェックしても庶民的なホテルの様じゃ。当時のエルヴィスは贅沢三昧の生活にうんざりしていて、時には普通のホテルでリラックスしようとしておったのかも!? なお別の動画においても、ロアノークでエルヴィスが泊まったと思われるホテルを推測しておるが、それは旧シビック・センターの北東にほぼ隣接するように建っていた「ホリディ・イン」としている。現在はカーディーラーの展示場になっており、「ホリディ・イン」がこの地にあった記録、エルヴィスが宿泊した記録等は今のところ一切見つからなかったので、今回はご紹介を避けておきたい。 ■Google-map上の位置■ |
テネシー州を取り囲む8つの州を巡るツアーも、いよいよ次回ノース・キャロライナ州へとご案内して終了じゃ。正確な地理ではテネシー州に隣接しておらん、ノース・キャロライナ州南隣のサウス・キャロライナ州まで合わせてご案内する予定であります! さらにその次は、ヴェガスに飛ぶか、ウエストコーストに飛ぶか、カナダに飛ぶか、実はまだなあ~んもプランニングしてはおらん!締切期日ギリギリまでバージニア州の記録を探し続けておったんですっかり時間を食われてしまったわい。気分としては「後編」は尻切れトンボ!?記録が少なければ少ないほど意地になって探し出そうとするわしの執念、いや悪い癖?が出てしまってなあ~。「え?後編はこれで終わり?」ってガッカリされたらゴメンナチャイ(笑)でもこうした無駄な努力っていつの日か沸き上がった新しいアイディアによって結実することもあるので、突如「バージニア州・新情報編」なんぞがお目見えしたらよろしくな。 わしにとって「バーチャル・ロックンロール・ツアー」の継続は、「映画エルヴィス・ロス」から自分自身を救うもっとも有効な作業なので、今後もぶっ飛ばしますわい。引き続き、ご贔屓のほどを! では最後に、オマケ的ネタをひとつ。右写真は、1970年代のロアノークにおけるライブでエルヴィスが宿泊したかもしれない「ホリディ・イン」。Area No.8シビック・センターのすぐ近くにあったが(現在は撤去)、エルヴィスの正式な宿泊記録は発見出来ず。 ホリディ・インの社長はサム・フィリップスと懇意にしており、エルヴィスをRCAへ売却するようにサムに助言をした人物でもある。後にエルヴィスは社長に、「俺を売り渡すなんて、あなたはとんでもないヘマをやらかしたもんですな!」と揶揄ったそうじゃが、それはこのホテル内で発せられたのかもしれない!? |
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