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【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地 第42回 ニューメキシコ州編 ・御覧になりたい番号をクリックすると、該当する解説文の先頭に画面が自動的にジャンプします。 ・Area No.は2022年度編からのニューメキシコ州内での番号、 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。 |
Area No.1/Serial No.312 スポーツ・アリーナ跡地/カールスバッド Area No.2/Serial No.313 アメリカン・リジョン・ホール/カールスバッド Area No.3/Serial No.314 ノース・ジュニア・ハイスクール/ロズウェル Area No.4/Serial No.315 ナショナル・ガード・アーモリー跡地/アルバカーキ Area No.5/Serial No.316 ロズウェル国際空港航空機廃棄場/ロズウェル Area No.6/Serial No.317 ティングリー・コロシアム/アルバカーキ Area No.7/Serial No.318 ナイン・マイル・ヒル 【バーチャル・ロックンロールツアーのバックナンバー】 ★ 本文中の表記について ★ ←このマークをクリックすると、Google-map上の位置が表示されます。 SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト SRW=サンレコードのウェブサイト(※2023年から閲覧不可) EDD=「Elvis Day By Day」(エルヴィスのデイリー記録集書籍) EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト) そろそろ全米の全州網羅が見え始めてきた「バーチャル・ロックンロール・ツアー」。今回は36番目の州、ニューメキシコ州へのご案内じゃ。 ニューメキシコ州は上地図の通りテキサス州の西隣りに位置しておるが、エルヴィス・エピソードの宝庫であるテキサス州とは対照的にこちらはエルヴィスの足跡はそんなに多くはない。それでも、パーカー大佐がエルヴィス&ブルームーンボーイズの為に初めてブッキングしたライブ会場、ライブ前に余命わずかな少女の訪問を受けたエルヴィスが少女のリクエストに応えた会場、エルヴィス・フィーバーにミュージック・ジャンボリーの座長ハンク・スノウがキレテしまった会場、エルヴィスのプライベートジェット機が今年の初めまで放棄されっぱなしだった飛行場等、エルヴィス・ファンなら知っておきたいエピソードや場所が結構ありましたんで、どうぞお楽しみ頂きたい! |
大佐はノッケからエルヴィスたちを“働かせていた”! Area No.1/Serial No.312 スポーツ・アリーナ跡地/カールスバッド エルヴィスが初めてニュー・メキシコ州でライブを行ったのは、1955年2月11日、同州南東の小さな街カールスバッドじゃった。当時の写真資料は左写真の新聞広告のみ。会場となったスポーツ・アリーナもとっくの昔に姿を消しておるようで、建物の写真もネット上で発見出来ず。 資料はほぼゼロと思いきや、EPCが現地まで行って、地元の図書館や博物館に保存されておる資料から場所を特定しておった!更にEPCは図書館の職員の紹介で、1955年当時に地元で設備施工業に携わり、スポーツアリーナの施工管理者まで探し当てたというから、その調査執念にはもう頭が下がる思いがした! スポーツ・アリーナは元々はサンズ・カクテルラウンジという名のクラブハウスであり、その一部をスポーツや音楽イベント用に改装されてから“スポーツ・アリーナ”と呼ばれるようになったようじゃ。場所は現在でも稼働中のトリニティ・ホテルの真南に隣接しておって、現在その場所は駐車場になっておる。 トリニティ・ホテルもかなり古いホテルではあり、このホテルに関しても古い写真や資料が見つからず、右写真はネット上からピックアップしたが、どうも近年撮影の写真がモノクロ変換されただけのような気もする!?ホテルとその左側に小さく写っている白い建物の間の敷地にスポーツ・アリーナがあったようじゃ。 なおスポーツアリーナでのライブが終了後、エルヴィス&ブルームーン・ボーイズは東に約100キロ離れたホッブスという地域でもライブを行った記録が残っておるが、SMW、EDDともに会場名は記載されておらんので、場所が特定出来なかった。 SMWによれば、この日のライブは、当時はまだエルヴィスのマネージメントにおいて特別顧問だったパーカー大佐が初めて会場をブッキングしたとしておる。最初からダブルでブッキングするとは、さすがは大佐、がっつり働かせますな~(笑) 右写真はストリートビュー2022年8月撮影。右側がトリニティホテル。その左側の駐車場スペースがスポーツアリーナ跡地である。 |
“もし私の歌を最後まで聞いてくれたら、 オマエたちのためにあのクソガキをステージに送り出してやるよ”(by ハンク・スノウ) Area No.3/Serial No.314 ノース・ジュニア・ハイスクール/ロズウェル エルヴィスにとって三ヶ所目のニューメキシコ州でのライブ地となったロズウェルという街は、日本ではまったく馴染みがないが、実はある分野においては世界中でその名が知れ渡っておる。 それは“”ロズウェル墜落事件”と呼ばれる1947年7月に市街地から100キロほど離れた牧場に謎の飛行物体(UFO)が墜落したという事件じゃ。 この事件によってロズウェルの名はあっという間に世界中に広がったものの、最初の事件発表からわずか数時間後には“UFO”説は撤回されたことで、徐々に人々の記憶から忘れ去られた。しかし1970年後半になって事件当時の最終発表を覆す様々な証言が頻発し、ロズウェルは再び“UFO”“宇宙人”ネタで世界中から注目されるようになるのじゃ。 さて、UFOが墜落して宇宙人が捕獲されたとまで報道されたロズウェルにおいて、ある意味でUFOよりも凄い騒ぎをエルヴィスはもたらした!(笑)ライブが行われた1955年2月14日は、エルヴィスは初めてハンク・スノウ・ミュージック・ジャンボリーの一員としてツアーに参加することなったが、地元の女の子たちはどこでどう伝え聞いたのか、エルヴィスが出演する前から「エルヴィス!エルヴィス!!」と絶叫状態になり、ミュージック・ジャンボリーの座長であり、メインアクトのハンク・スノウも形無し。ハンクがヒット曲“Movin' On”をスタートさせようにも女の子たちの騒ぎは収まらず、ついに“もし私の歌を最後まで聞いてくれたら、オマエたちのためにあのクソガキ(エルヴィス)をステージに送り出してやるよ”とまで言ってしまった! スコッティは当時を回想して次のようなコメントを残しておる。 “とにかくハンクが可哀想だったよ。エルヴィスが最初に出ようが、最後に出ようが、お客の反応はいつもエルヴィス!エルヴィス!!だからね” エルヴィスをハンク・スノウ・ミュージック・ジャンボリーに組み込んだのはもちろんパーカー大佐。ハンクの集客力を利用してエルヴィスを売り込むという作戦が最初から功を奏していたわけじゃ! 現在、ノース・ジュニア・ハイスクールだった建物は、ロズウェル独立学区のアドミニストレーション・アンド・サービス・コンプレックスとなっている。 新しい窓を除けば、この建物と講堂は1955年にエルヴィスの登場以来、見た目にはあまり変わっていないのが嬉しい!左写真ストリートビュー2018年7月撮影。 ※ここまでの三ヶ所はエルヴィスのライブ写真がネット上で発見出来ずに申し訳ありません。SMWでは、このノース・ジュニア・ハイスクールのライブ当日の写真が掲載されているウェブサイト・アドレスが記載されていますが、現在そのサイトは閲覧不可になっています。 |
50sニューメキシコ州ライブで唯一写真が残る会場 Area No.4/Serial No.315 ナショナル・ガード・アーモリー跡地/アルバカーキ アルバカーキはニューメキシコ州の州都、最大の都市じゃ。同州のほぼど真ん中に位置し、かつては“マザーロード”と呼ばれたルート66(現40号線)が街を東西に貫いており、アメリカ東部と西部とを繋ぐ経済ルートの重要な中継地点であり、古くから物流や人間の交流が盛んな歴史を重ねてきた。 エルヴィスが1956年4月12日にライブをおこなったナショナル・ガード・アーモリー(左写真)は当時アルバカーキ最大のイベント開催会場(収容人員数2,500)であり、開催されるイベントの司会を担当していたビル・プレビッティ氏によると“アルバカーキで起こった事はすなわちナショナル・ガード・アーモリーで起こった事である”と語っておる。1950年代に6度行われた同州のエルヴィスのライブで、唯一ライブ写真がネットにアップされておる会場でもある。 すでにRCAとの大型契約を果たし、ニューヨークやカリフォルニアでTV出演をしてその名は全国区になりつつあったエルヴィスじゃが、ニューメキシコ州はどちらかというとまだ“反エルヴィス”的風潮が強かったようじゃ。お隣のテキサス州とは正反対じゃな。 ライブの熱狂状態に関しては言うに及ばず、上述した司会者ビル・プレビッティ氏は「イギリス人、白人、黒人、ヒスパニック系の若者がこれほどまでに一ヵ所に集まって熱狂したのは見たことがない」と語っておる。 問題が起きたのはライブ後じゃ。多くの熱狂する女の子たちがステージから降りたエルヴィスに群がり、彼女たちのリクエストによりエルヴィスは3~4人の女の子たちに“フレンドリーなキス”をした。この一件が翌日の新聞で報道されたことで騒ぎが起こり、彼女たちが通う学校の教師(修道女)が「どうして、見も知らぬ男からキスをされても彼女たちは平気なのか」と激怒!彼女たちはソッコーで退学処分になってしまったという! ちなみに退学処分を受けた女性の一人は、もちろんそんなことでエルヴィス熱が冷めるわけでもなく、彼女はエルヴィスの追っかけをはじめ、約2週間後からスタートしたエルヴィス初のラスヴェガス・ライブにまで行くことに。ホテルでエルヴィスを待ち伏せして見事に2ショットに収まることに成功!(左上写真) 「エルヴィスは本当に優しかったわ!でも不思議なことに彼の周りにはあんまり人がいなかったのよ。ラスヴェガスは大人の街なのね」と語っておりました。エルヴィスを追っかけたことで、彼女はまだ見ぬ巨大なアメリカの新たな側面を知ったってことじゃ!まあこの時のエピソードは「ネバダ州ラスベガス編」の時にあらためて! ナショナル・ガード・アーモリーは、実はエルヴィスがライブを行った翌年に閉鎖することに。別の場所にオープンした収容人数が約3倍のシビック・オーディトリアムが新たなアルバカーキのメイン・コンサート会場となった。アーモリーの建物自体は長らく残され、オフィスビル/商業ビルとして再利用されていたが、現在は取り壊されて巨大な屋内駐車場になっておる。右写真ストリートビュー2023年1月撮影。 |
プライベートジェット機が40年以上野ざらしにされていた航空機廃棄場 Area No.5/Serial No.316 ロズウェル国際空港航空機廃棄場/ロズウェル エルヴィスの88歳の誕生日にあたる2023年1月8日に、かつてエルヴィスが所有していたものの長らく放棄されたプライベートジェット機が、フロリダ州のメカム・キシミー・コレクター・カー・オークションに出品された。 このジェット機はニューメキシコ州のロズウェル飛行場の航空機廃棄場に約40年間放棄されていた「1962 年製ロックヘッド1329ジェットスター。オークションの結果、フロリダ州タンパに住むエルヴィス・マニアによって約21万6,000ポンドで落札された!入札価格は約 81,000 ポンドで始まったようで、オークション・イベント会場には77歳のプリシラ・プレスリーが登場し、新進気鋭の競売人の群れに話しかけ、飛行機や車の収集に対するエルヴィスの愛情を語った。 以下、オークション・サイトのジェット機についての詳細を転載しよう。 「エルヴィスは既に“リサ・マリー”と名付けられたカスタム・コンベア880や2台目のジェットスターなど、数台の自家用飛行機を所有していたものの、1977年8月に亡くなる前の1976年12月に69万4000ポンドで当機を購入した。 赤と白のジェット機の外装は、ニューメキシコ州の砂漠で太陽の下で40年近く過ごしたため、既にボロボロであり、コックピットも磨耗しているものの、内装はエルヴィスのプライベートな空の旅を垣間見ることができる豪華でレトロな雰囲気がそのまま残っておる。 乗客エリアには豪華なソファと、回転およびリクライニングできる9つの赤いベルベットの座席が設置されており、赤いカーペットが床と壁を覆っておる。 更にこの飛行機にはテレビ、RCA VCRプレーヤー、ヘッドフォンジャック付きのオーディオカセットプレーヤーが各座席に取り付けられている。また機内トイレ、化粧台、キッチンエリア、飲料ディスペンサー、電子レンジも備えられている。 オークションの際には飛行機のエンジンと多くのコックピットコンポーネントは取り外されており、エンジンや交換部品は販売に含まれていない。またエルヴィスが署名した航空機安全協定文書のコピーや売買代金明細書も付属されている」 同機の前所有者であるカリフォルニアの実業家ジム・ガリアルディ氏は、2017年のオークションで同機を約3万6000ポンドで購入。当機を観光名所として使用することを計画していたが、結局航空機廃棄場から移設することには至らなかった。また、ガリアルディ氏はこの飛行機を所有していた6年間で一度もその飛行機を訪れなかったという。 後日公開された落札者はジェームス・ウェッブというお方。既に自宅のあるフロリダ州タンパまで(ロズウェルから約1,600キロ!)ジェットを移設させ(右上写真)、現在大型RVに改造中とのこと。 RVとは宿泊施設用に設計された居住室を備えたトレーラーじゃ。RVに改造後にアメリカ全土を周回してセント・ジュード小児研究病院などの慈善団体への募金を集める予定だと語っておる。「グレースランドに飾っておくよりも、遥かに有意義なこと」とウェブ氏は壮大な計画をブチ上げております。 なおロズウェル空港のウェブサイトにはこのジェット機が放棄されておることが今でも明記されており、最新のGoogle-mapの航空写真にも写り込んでいる。(左写真) 一説によると前所有者の手にわたる以前から、観光収入の少ないロズウェル側はこのジェット機を観光の目玉として利用する計画もあったそうじゃが、躊躇しておる内に他州の者にジェット機をかっさらわれてしまった! |
儚い命に永久の光を! “You gave me a mountain” Area No.6/Serial No.317 ティングリー・コロシアム/アルバカーキ 1972年4月19日エルヴィスはアルバカーキのティングりー・コロシアムでライブを行った。アルバカーキでは1956年以来12年ぶりのライブじゃ。 3曲目に「ラヴ・ミー・テンダー」を歌った後、エルヴィスは観客に次の曲を紹介した。 This song is for a very special little girl I just met backstage. (この曲はバックステージで会ったばかりのとても特別な少女のための曲なんだ ) そしてエルヴィスは「ユー・ゲイブ・ミー・ア・マウンテン」を歌った。 観客席では一人の女の子が感激の涙を流しながらエルヴィスを見つめており、母親が彼女の頬にキスをしている。「ラブ・ミー・テンダー」は彼女のリクエストであり、エルヴィスが語った“特別な少女”とは彼女のことじゃった。 彼女の名前はデニーズちゃん、8歳。4歳の時からエルヴィスの大ファンであり、不幸にもこの時は既に不治の病に侵されており、余命いくばくもない身の上じゃったという。両親が彼女のためにエルヴィスのライブ・チケットを購入したものの、デニーズちゃんの病気は進行するばかり。果たしてライブ会場までたどり着けるのかどうか。 ライブ当日、デニーズちゃんの両親の熱意とエルヴィス側の関係者の厚意で彼女はバックステージに招待されることになり、彼女は奇跡的にライブ会場、バックステージに到着。 劇薬の影響で髪の毛は抜け、下半身の一部が切断された状態をエルヴィスに見られることを不安に思っていたデニーズちゃんだったが、エルヴィスは「とてもかわいい」と声をかけて彼女にキス。それを見た母親の方が感激で泣き出してしまったそうじゃ。 デニーズちゃんはエルヴィスの前でおそるおそるエルヴィスのポスターを広げて、サインのおねだり。エルヴィスは「愛してるよ。エルヴィス」とサインをしたそうじゃ。 この日から約四ヶ月後、デニーズちゃんは旅立った。短い時間だったが、エルヴィスは彼女に生きる喜びを与え、命を繋いだのじゃ。もうすべてが哀しくも美しいオハナシであり、わしからのコメントは一切無しとさせて頂きます。 なお、バックステージでの模様やライブ中のデニーズちゃんの感激の様子は、突発的な出来事にも関わらず映画「エルヴィス・イン・コンサート」用として録画されておったものの、結局映画本編では使用されなかった。(you tubeでは映画のアウトテイクとしてアップされております) 上述したデニーズちゃんの一件はさておき、ライブ自体のクオリティは素晴らしく、観客の熱狂は凄まじかったという。12年前のライブでは終了後に殺到した女の子たちにキスをして、地元の新聞で叩かれてしまったエルヴィスじゃが、この日も同じような状況になりかかった。会場の警備に当たっていた州警察官たちは、「あの群衆の中に入り込むことよりも、昨年の夏にアルバカーキで決起集結した暴徒と戦ったほうがマシだと思う」と語ったほどじゃ。しかしエルヴィスは会場裏口に待機していたリムジンに素早く乗り込んで、次の公演地ネバダ州ラスベガス行きの飛行機が待つ空港へと一目散に走り去った。 ティングリー・コロシアムは、ナショナル・ガード・アーモリー(Area No.4でご案内)閉鎖後に、シビック・オーディトリアムとともにアルバカーキの大型多目的イベント会場として活躍。シビック・オーディトリアムは既に取り壊されておるが、こちらは現在でも稼働中。右写真ストリートビュー2022年4月撮影。1957年の会場当時と外装はほとんど変化なく現在に至っておる。 |
“エルヴィスはハリウッドからメンフィスに戻る途中、この風景を見るのが好きだった” Area No.7/Serial No.318 ナインマイルヒル/アルバカーキ アルバカーキという街が、アメリカ経済と大型運輸業における“ルート66線上の重要な経由地だった”という事実を知ってから、興味を持ってアルバカーキの一般的な観光関連サイトのチェックも続けたところ、かなりの頻度でエルヴィスに関するある共通した記載を目にすることが出来る。それはかつて行われたライブ情報ではなくて、“エルヴィスが好きだった場所”“エルヴィスはこの眺めが好きだった”といった記載だ。その場所はナイン・マイル・ヒルと呼ばれておる、アルバカーキの中心地から西へ約15キロほど離れた小高い丘陵地帯が広がる地域じゃ。 ご存知の通り、エルヴィスは1960年代はハリウッド俳優時代であり、年3本のペースで撮影が続けられていたために、エルヴィスは年中ハリウッドとメンフィスを車で往復していたらしい。その途中に必ず通るのがナイン・マイル・ヒルであり、丘の上からアルバカーキの街を眺めるのがエルヴィスは大好きだったというのだ。 実際にエルヴィスがナインマイルのどの位置からアルバカーキの街を眺めていたのかをピンポイントで指定出来るまでの情報を得ることは出来なかったが、上記写真2枚がエルヴィスが眺めていた風景の近年の写真じゃ。エルヴィスは特に夕暮れ時の風景が好きだったとの証言もあった。 「エルヴィスがハリウッドからギャラップ(ナイン・マイル・ヒルから更に西に約180キロ離れた場所)を通ってナイン・マイル・ヒルにいつ頃くるのか、我々は知っていました。アルバカーキを静かに見下ろしているエルヴィスを、我々は黙って見守っていたのです」(地元の方の証言) エルヴィスは夕暮れ時のひとときをナイン・マイル・ヒルで過ごした後、日がとっぷりと暮れてからアルバカーキの街へ降りて行き、メンフィス方面へと更に車を走らせたのじゃ。左上写真は1950年代当時のアルバカーキの夜景写真じゃ。エルヴィスの心境を想像しながら、上の写真と併せてフロム・ナイン・マイル・ヒル・トゥ・メンフィスのイメージを湧かせたくなった時にでもご活用頂きたい(笑) 右写真はストリートビュー2023年8月撮影。季節によってアルバカーキの街並みやその奥の山肌の光景は変化するじゃろうが、ナイン・マイル・ヒルからの眺めは大体御覧の通りであります!わずかに人間社会の匂いを感じながらも、大自然のほんの一部になったような気分に浸れる、心地よいドライブができそうなルートであります。 |
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