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ニューイングランド地方なんて、日本人には馴染みが薄くてエルヴィスの情報が少ない地域にまで諸君をご案内してしもうてチト恐縮じゃが、今回の後編も必死に“小ネタ”“関連情報”をかき集めてみたので、どうか引き続きお付き合い頂きたい! 下調べの段階でもっとも煩わしかったのが、エルヴィスよりもインパーソネーター(モノマネさん)の写真とライブ情報がやたらと多いこと!今回ご案内するロードアイランド州やコネチカット州(左地図赤丸)に限らず、エルヴィスのライブ回数が少ない(もしくはライブが行われなかった)州はどこもインパーソネータがワンサカ!これもまたエルヴィス愛の強さがもたらしたひとつの現象なんじゃが、そのような地域でキング・オブ・ロックンロールは如何なる軌跡を残したのか、そんな気分でわしのガイドに最後までお付き合い頂けたら幸いじゃ。ラストには意外な(?)関連情報もご用意致しておりますんでヨロシュー! |
【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地 第38回 ニューイングランド地方後編 ・御覧になりたい番号をクリックすると、該当する解説文の先頭に画面が自動的にジャンプします。 ・Area No.は各州内での番号、 Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。 |
【ロード・アイランド州】 Area No.1/Serial No.286 プロヴィデンス・シビック・センター/プロビデンス Area No.2/Serial No.287 マリオット・ダウンタウン/プロビデンス 【コネチカット州】 Area No.1/Serial No.288 べテランズ・メモリアル・コロシアム跡地/ニューヘブン Area No.2/Serial No.289 ハートフォード・シビック・センター/ハートフォード Area No.3/Serial No.290 ヒルトン・ホテル/ハートフォード Area No.4/Serial No.291 レジーナ・ラウディス修道院/ベツレヘム バーチャル・ロックンロールツアーのバックナンバー ★ 本文中の表記について ★ ←このマークをクリックすると、Google-map上の位置が表示されます。 SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト SRW=サンレコードのウェブサイト(※2023年から閲覧不可) EDD=エルヴィス・デイリー記録集「Elvis Day By Day」 |
エルヴィスが“マイ・ウェイ”を歌うだと?でも凄まじかった! Area No.1/Serial No.286 プロビデンス・シビック・センター/ロードアイランド州プロビデンス ロードアイランド州におけるエルヴィスのライブは1974年6月22日、1976年6月26日、そして1977年5月23日の3回行われており、会場はいずれもプロビデンスなる街のシビック・センターじゃった。(左写真) 1974年と1977年のライブ・レビューがネットにアップされており、それを読む限りでは、ライブは概ね好評だったようじゃ。 1974年のライブ・レビューは、歴史的な名ライブだったニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでのライブを体験したファンの投稿。当時のエルヴィスのガールフレンドだったリンダ・トンプソンがライブ開始直前にステージの真ん前の席に現れた事や、エルヴィスが「サスピシャス・マインド」を歌いながら、歌詞の内容によってはリンダさんにいたずらっぽく思わせぶりな笑みをおくったりしていた様子も書かれておる。 またリズム・ギタリストのジョン・ウィルキンソンをメンバー紹介の際に「彼はプロビデンスの出身です」とジョークを飛ばしたりしておったらしい。ウィルキンソンの略歴を調べてみたが、プロビデンスとの関わりはなく、このジョークの意味がわしにはワカランがな(笑)上写真右、ブルーの衣装がウィルキンソンじゃ。 そして、昼間のライブが終わると、「今度、この街にいつ戻ってくるかは分かりません。えー、今夜の8時半でした!(夜間のライブの事)」と、またまたエルヴィスはかる~いジョークで〆たんだそうじゃ。まあ、エルヴィスの体調や機嫌は良かったようじゃ。 1977年のライブ・レビューは新聞記者によるもので、こちらは結構シリアスな批評なので、一部転載しておこう。 「それはエルヴィスが"My Way "を歌い始めたときのことだ。最初は唖然とした。エルヴィスがポール・アンカの曲を歌うのか?フランク・シナトラが有名にした曲をエルヴィスが?かつては、浅はかでインチキなものすべてに対する若者の反抗の象徴であったエルヴィスが、ラスベガス賛歌を歌う?これが42歳になったロックンローラーの末路なのかと、うんざりしかかった。 しかし、エルヴィスはすさまじかった。確かに“噛み砕いて吐き出す”などという歌詞は、まったく馬鹿げているほど作為的だが、エルヴィスのパフォーマンスがそれを覆してみせた」 「実際に歌を届けるよりも、観客にスカーフを投げたり、曲を鳴らしたりすること(バックのソロ演奏?)で歌う時間を減らしていた昨年とは異なり、エルヴィスは仕事をしていた」 「満員の観客はエルヴィスの1時間にわたるパフォーマンスを隅々まで気に入っており、その構成そのものによって、エルヴィスがかつての自分のパロディになっていないという点を強調する役割を果たした」 エルヴィス晩年のライブの好評レビューを読むと、何だか救われるな! プロビデンス・シビック・センターはコネチカット州最大のコンサート会場であり、レッド・ツェッペリン、ザ・フー、ピンク・フロイド、クイーンらも出演。最多出演はフランク・シナトラ(10回)であり、シナトラのライブのたびに、州警察の刑事たちが現れては群衆の中を調べて、ステージ近くの指定席を獲得した組織犯罪の人物を探していたという。 またプロビデンス・シビック・センターはいち早くネーミング・ライツ(企業との命名権契約)を打ち出した会場でもあり、そのため会場名がコロコロ変更していたが、2001年からはダンキン・ドーナツと21年契約を凍結。長らくダンキン・ドーナツ・センターの名で稼働。2022年10月からはアミカ・ミューチュアル・パビリオンという名称になっておる。右写真はストリートビュー2022年12月撮影。なお現時点で、Google-map上の日本語表記は「ダンキンドーナツ・センター」のままになっておる。 |
キングはホテルのゴミ収集場から出入りしていた! Area No.2/Serial No.287 マリオット・ダウンタウン/ロードアイランド州プロビデンス 3度行われたコネチカット州プロビデンスでのライブの際、エルヴィスの宿泊先は長らく不明瞭であったが、一ヶ月ほど前にプロビデンスの熱心なファンが調べ上げた動画がアップされておった!それによると、エルヴィスは毎度異なったホテルを使用していたことが判明した。 3つの異なるホテルの内、唯一エルヴィスが写った写真(左写真)が残されておるホテルが、1976年6月26日宿泊のマリオット・ダウンタウンであった。左写真は、マリオットを出てライブ会場のシビック・センター(Arean No.1)へ向かおうとするエルヴィス。この日は昼夜2回のライブが行われており、写真右側の暗がりから夜のショーのためにマリオットを出る時と思われる。何とかエルヴィスに触れようとしておる女性の腕が異常に長く見えるのお(笑) マリオット・ダウンタウン(下左写真)は現在も営業中であり、上写真が撮影された場所をストリートビューで探してみたが、このホテルは建物の四方がすべて駐車場になっており、撮影場所の捜索自体がかなり難航したが、上記した動画の中では特定された場所の写真が含まれておった。(下中央写真)しかしホテル内のどの箇所かは明言されておらず、その写真を頼りにあらためてストリートビューで探したところ、ホテル東側のゴミ収集場への出入口(下右写真-ストリートビュー2019年10月撮影)と推察致しました!階段に設置された黄色の手すりがポイントじゃ。 なお上写真でエルヴィスの右側に写っておる人物はメンフィス・マフィアでエルヴィスのボディーガード役だったレッド・ウェスト。彼はこの日の後、短期間のうちにエルヴィスの父ヴァーノンから謎の解雇通達をされたそうじゃ。いかに殺到するファンの目を誤魔化す為とはいえ、ホテルへの出入りの場所にゴミ収集場を選んでしまったことの責任を取らされて解雇されたのであろうか!? |
映画の題材にもなった、コネチカット州随一の歴史を誇った会場 Area No.1/Serial No.288 べテランズ・メモリアル・コロシアム跡地/コネチカット州ニューヘブン ここからは、ロードアイランド州の西側、ニューヨーク州の東側のコネチカット州に移動じゃ。コネチカット州は別称“ナツメグ州”と呼ばれておって(今回の調査で初めて知った!)、アメリカのウェブサイトの中ではこの別称の方を使ってコネチカット州を紹介してあるものもある。 エルヴィスが初めてコネチカット州にやって来たのは1975年7月16、17日にニューヘブンなる街にあったベテランズ・メモリアル・コロシアムでライブを行った時じゃ(上写真3枚、右写真)。この場所は一般的にはニューヘブン・コロシアムと呼ばれておったようで、先の“ナツメグ州”と呼ばれていることといい、わしは知らんかったもんじゃから調査の段階で非常に紛らわしかった! 更に紛らわしいことがもうひとつ。収容人数12,000を誇るこの巨大スタジアムの完成は1972年であり、それ以前にニューヘブンでのコンサートはニューヘブン・アリーナ(収容人数約4,000)という別の場所で行われていたということ。このニューヘブン・アリーナの方は、コロシアムから僅か1キロしか離れていない場所にあり、サイトによってはあたかも同一の会場のように取り扱っておるんで、今後調査される方がいらしたら要注意ですぞ! 前置きが長くなってしまったが、エルヴィスの登場はベテランズ・メモリアル・コロシアム開場以来の最大のハイライトだったようで、エルヴィスの調子は“悪くはなかった”ようで、ニューヘブンの地元サイトでは、おらが街のキング登場伝説のように紹介されておる。チケットの売上もまた好調だったようで、すぐに1976年7月30日の再ライブも決定したという。 ベテランズ・メモリアル・コロシアムは2005年まで稼働した後に老朽化から2007年に取り壊されておるが、建物が存在しておる段階から「Last Days of the Coliseum」という、数多くの音楽、スポーツ・イベントが開催されてきたこの開場の歴史を偲ぶ映画が作成されて2010年に公開されておる。(日本未公開。左下写真は映画のDVDパッケージ) この映画がニューヘブンの地元サイトに丸ごとアップされておったのでチェックしたところ、ライブ映像はフランク・シナトラ他ほんの僅かであり、歴代の会場関係者へのインタビューと写真による出演者の紹介ばかりで、娯楽映画ではないのであんまりおもしろくない(笑) 「エルヴィスは一体いつになったら出てくるんじゃ!」ってイライラしながら待っておったら、48分35秒あたりで、ほんの3秒あまりの写真のみの出演でがっくり。 また映画「Last Days of the Coliseum」においても、ニューヘブン・アリーナがコロシアムの前身のように紹介されており、アリーナにおいて1967年12月9日、ドアーズのジム・モリソンがロック史上初めてステージ上で警官を罵倒した罪状により逮捕された事件を紹介しておる。(上写真中央)この一件は1991年公開の映画「ザ・ドアーズ」でも再現されておった。 さらにエルヴィスが初登場した1975年、ライブ前にバックステージで待機中のボブ・ディランをブルース・スプリングスティーンが訪問したことも取り上げておる。この時ディランは初めスプリングスティーンと逢ったんだそうじゃ。ジム・モリソン事件、ディランとスプリングスティーンの出会い、そしてエルヴィスの出演等を引き合いに出しながら、コロシアムがロック史にその名を刻する存在であったことのアピールが映画のテーマだったのじゃろう。 2007年に爆破解体されたコロシアムの跡地は、数百台の車両を収容出来る広大な駐車場になり、現在でも何も建てられていない。駐車場の中には、コロシアムに登場した幾多のロックアーティストたちの名前をコラージュしたデザイン・ポスターが設置されておるらしいが、ストリートビューでは残念ながら確認出来ず。(下右写真、ストリートビュー2021年7月撮影。下左写真は、2007年爆破解体直後の撮影) |
エルヴィス来たらずして屋根崩落・・・ Area No.2/Serial No.289 ハートフォード・シビック・センター/コネチカット州ハートフォード 少々趣向を変えて!?、衝撃的な写真(左写真)からご紹介しよう。これは1976年7月28日にエルヴィスがライブを行ったハートフォード・シビック・センターの屋根が、約1年半後の1978年1月18日早朝に崩落した時の様子じゃ。 写真で見ると降雪の重量に屋根が耐えきれなかったようじゃが、原因は完全な設計ミスであり、建築工事の段階において、屋根が設置されると同時に進行性の破損が始まっておったらしい。屋根崩落による死傷者は無く、すぐに改修工事が始められ、1980年にシビック・センターは再オープンした。 実はエルヴィスの死後6日目の1977年8月21日、このシビック・センターでのライブが生前にブッキングされており、「もしエルヴィスが亡くなることなく予定通りにライブが行われていたら・・・」と考えるとちょっとぞっとするな。ライブの熱狂によって、完全崩落ではなくても・・・って要らん事を考えるのはよそう。 1976年7月28日のライブは、同年のエルヴィスのライブの中ではもっとも謎めいたライブともいえる。70年代のエルヴィスに詳しい方ならご存知じゃろうが、1976年夏のライブ・ツアーはエルヴィスの体調不良による“ワースト・ツアー”とも呼ばれておる。しかしエルヴィスは徐々に調子を取り戻していったとされ、このハートフォードでのライブは、マニアの投稿レビューによると決して悪い出来ではなかったという。投稿者はブートレッグのライブ盤を聞いて確認の上でそのように供述しておる。 更にこの投稿者は、この日のライブ終了後にほどなくして翌年のライブのチケットが発売され、それが完売となった事実を元に「もしこの日のライブが不評だったならば、次回のライブチケットがソッコーで売れるはずがない」としておる。 一方EDDによれば、ライブ終了後にパーカー大佐は「なんじゃあ~今日のライブは!もっと真剣にやらんかバカモノ!」とエルヴィスを激しく叱責して、エルヴィスと大佐はその場で激しい口論になった。納得のいかないエルヴィスはプロモーターのトム・ヒューイットを探し出し、彼に第三者的な判断を委ねた。 ヒューイットは「あなたは世界一のエンターテイナーだ。観客はあなたを愛している」とエルヴィスに伝えたが、後にヒューイットは「エルヴィスも“落ちた”ものだ」と周囲に漏らしていたとも伝えられておる。果たして? ハートフォード・シビック・センターはXLセンターと改称されて現在でも稼働中。下右端写真はストリートビュー2019年10月撮影。写真の左側の通りを挟んだ真向いに、エルヴィスが宿泊したヒルトンホテルが建っておる。(Area No.3参照) また幻に終わった1977年8月21日のライブ告知ポスターやチケットは、ネットで確認出来る。ポスターは2種類(下写真左から2枚)、チケットは80年代的な無機質なデザインじゃ(下写真中央)。 |
エルヴィスの外出着がカッコいい! Area No.3/Serial No.290 ヒルトン・ホテル/コネチカット州ハートフォード 上記Area No.2でご案内したハートフォード・シビック・センターでのライブの際にエルヴィスが宿泊したホテル。ライブ会場シビック・センターの北隣に隣接するホテルじゃ。 上写真4枚は、一部のサイトではハートフォードではなく、ニューヘブンでの撮影とされておるが、撮影場所の記載がない。ストリートビューでハートフォードのヒルトンの周囲を散策した結果、とりあえずこれらのショットはハートフォード・ヒルトンでの撮影とさせて頂く。 紛らわしいのは、ハートフォード・シビック・センターでのライブ前に、既にエルヴィスとリンダ・トンプソン(上右端写真)は別れていたという情報であり、それが正しいとなれば、ニューヘブン説の方か!?リンダさんはエルヴィス・ファンにとてもお優しくて親切らしいから、逢うことが出来たら聞いてみよう!(笑) 下左写真は1970年代のハートフォードのヒルトン・ホテルの斜め正面位置から見た全容であり、この真裏側はヒルトン専用の広大な屋内駐車場があり、さらに通りをひとつ挟んだ南側にライブ会場のシビック・センターがある。エルヴィスはライブ終了後に一旦ヒルトンへ戻り、着替えをしてからリンダ・トンプソンを伴って駐車場から車に乗り込んだと思われる。 下右写真はヒルトンの立体駐車場と隣接するシビックセンター(現XLセンター)のストリートビュー写真。(2021年6月撮影)写真内番号①を少し直進した写真が②。ヒルトンの駐車場側出口から出てきたエルヴィスは、②のシビックセンター北口前あたりで待っていたリムジンに乗った可能性が高い。 |
エルヴィス・ファンの新しい巡礼地!?シスター・ドロレスがいらっしゃる修道院 Area No.4/Serial No.291 レジーナ・ラウディス修道院/ベツレヘム 「Elvis Conetticut(エルヴィス コネチカット)」で闇雲にネット検索しておったところ、エルヴィスの2作目の映画「さまよう青春(Loving You)」に出演した女優さんドロレス・ハートの写真が何枚かヒットした。映画の撮影場所がコネチカットだったのか?とくぐってみると、そうではなくて、意外な事実を発見した。ドロレス・ハートはとっくの昔に女優業を捨てて修道院のシスター(修道女)に転身しており、彼女が終の棲家として住み、働いておる修道院がコネチカット州のベツレヘムという丘陵地帯にあった。 シスターになられたドロレス嬢がいらっしゃるというだけではエルヴィスゆかりの地にはならんが、ちょいと調べてみると、修道院レジーナ・ラウディスは、今ではエルヴィス・ファンが時々やってくるファンにとっての新しい巡礼地になっておるらしいので、コネチカット州エルヴィス情報の追加情報として最後にご案内しておこう。 エルヴィスのファンが修道院を訪れるようになったきっかけは、2012年に公開されてアカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされたドロレス嬢の生涯を描いた映画「ゴッド・イズ・ザ・ビガー・エルヴィス」の影響なんだそうじゃ。大変恥ずかしながら、この映画をわしは知らんかった!それにしても凄いタイトルじゃな。エルヴィスはアーカイブで登場するらしい。 この映画の影響により、ドロレス嬢がスクリーンで初めてエルヴィスにキスをしたという話題が復活し、彼女にエルヴィスとの思い出話を聞きたいファンが修道院にやって来るようになった。 中には「エルヴィスはキスは上手でしたか?」って生涯神に仕えるシスターに向かって失礼な質問をするファンもいるとか(笑)シスタードロレスは言う。 「何故そんな事を聞くのでしょうか?あれは映画の中での出来事だし、映画を見れば分かります」 う~ん、なんという崇高なお答え! エルヴィスに関するシスターの思い出話は次の通り。 「映画で共演するまで、私はエルヴィスの音楽をよく知らなかったし、ちょっと付いていけなかったから、エルヴィスに初めて会った時は“友達になれたらいいな”って思いました」 「エルヴィスは撮影期間中に一度デートしようって誘ってくれましたが、撮影中なので断りました。じゃあ撮影が終わったらって言ってくれましたが、その後のお誘いはなかったですね」 以上でございます!2度目のデートのお誘いはなかったものの、エルヴィスとドロレス嬢は「キング・クレオール」で再び共演をしておる。 レジーナ・ラウディス修道院は、礼拝堂、家畜の放牧場、また宿泊施設等を兼ね備えた複合宗教施設であり、Google-mapではメインの建物の写真が掲載されていないので、代わりに礼拝堂の内部写真を掲載しておこう。(左写真) 現在シスター・ドロレスはかなりのご高齢になられたが、今でも修道院でお元気に暮らしていらっしゃるようじゃ。もし訪ねることがあったら、くれぐれも失礼な質問をしないようにな!(笑) |
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