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数多くの資料や写真がネット上で散見出来て、調査が楽しくて仕方がないエルヴィス・イン・オハイオ州。今回はその後編に突入じゃ。前編に引き続いて1950年代関連のゆかりの地が更に三ヶ所、そして70年代が四ヵ所じゃ。 オハイオ州でのエルヴィスのライブ回数は決して多かったわけでもなく、他州のライブに比べてその内容が特別に優れていたわけでもないが、何故現在触れることの出来る資料や写真が多いのか?その深~い訳もこの度紹介しておるぞ。基本的にエルヴィスやロックンロールという新しい音楽がオハイオ州で歓迎されたことがよく分かって頂けるはずじゃ!またライブ情報だけではなく、関連情報も可能な限り拾い上げてみたので、どうか楽しんで頂きたい。
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ラブミーテンダー・ダブル大ヒット記念ライブ! Area No.6/Serial No.240 トリード・スポーツアリーナ跡地/トリード 新曲を出すたびに次々とヒットチャートを席巻してエルヴィス大ブレイクとなった1956年、日数にして約100日、3日に一度エルヴィスはライブステージに立った! そんな激動の1956年のライブツアーのラストに差し掛かった同年11月22日、エルヴィスはオハイオ州トリードにやって来た。10月28日に出演した「エドサリバンショー」以来のステージであり、時期的にはいわば楽曲「ラブミーテンダー」と同名映画の「大ヒット記念ライブ」の様な大歓迎と大熱狂となった。楽曲「ラブミーテンダー」は10月6日に発売され、エドサリバンショーで披露された効果も重なって10月20より5週連続でヒットチャートNo.1!映画の方は20世紀フォックス社史上空前のスピード大ヒット中だったのじゃ! ライブ会場となったトリード・スポーツアリーナは(上写真)、その名の通り大型スポーツイベントの開催をメインとするオハイオ州最大のアリーナ。当時の収容人員数は約15,000人であり、エルヴィスのライブには昼夜2回ともに約13,000人が集まった。 数多くの写真や新聞広告が残されており、確認出来る重要な出来事として、エルヴィスは初めてゴールドのジャケットを羽織っておることじゃ。これは有名なヌーディーズ製ゴールドスーツの原型とも言われる、メンフィスのランスキー・ブラザース製ジャケットじゃ。別名“Gold Satiny Coat”と呼ばれておる。 当日のバックステージには若き日のバーナード・ランスキー氏とゴールドジャケットを着たエルヴィスとの微笑みの2ショットが撮影されておる。(右写真左側)エルヴィスとともに、バーナード・ランスキーなくしてThe-Kingの存在はあり得なかったので、是非ともこの日の出来事とこの2ショットを記憶に留めておいてもらいたい! 次に楽曲「ラブミーテンダー」の記録的大ヒットを祝って、ライブ会場にギター型の特大ケーキが届けられ、スコッティ、ビル、DJの3人がケーキと一緒に記念撮影に応じたショットが残されておることもブルームーンボーイズのファンとしては見逃せないな。(左写真左側) 諸君もご存知の通り「ラブミーテンダー」のレコーディングにこの3人は参加しておらん。映画のサウンドトラックでさえ、3人は1曲どころか、1音たりとも演奏してはおらん。だから3人とも「ラブミーテンダー」の大ヒットに対して心境は穏やかではなかったはずじゃ。 一説によるとエルヴィスは3人のレコーディング参加を希望していたものの、映画監督が許可しなかったらしい(パーカー大佐の指示?)。それでもこの記念撮影に3人は応じたんじゃから、カルテット(4人)の精神的結束力は強かったってことなんじゃろう。 更に「ラブミーテンダー」の記録的ダブルヒットにより、RCAビクター製のレコードプレーヤーの広告がライブ告知広告と一緒にデカデカとあしらわれておることじゃ。(上写真右側)広告には“エルヴィスのサイン入り”とアピールされておるが、そのサインとやらは直筆なのか印刷なのか!?直筆だったならば、限定何台だったのか?エルヴィスは出荷場所まで行ってサインを書いたのか?なんて余計なことを考えてしもうたわい! またライブ前にエルヴィスが滞在先のホテルで暴力事件に巻き込まれるという一幕もあったが、こちらは下記Area No.7にてご紹介しよう。 トリード・スポーツ・アリーナは2007年に閉鎖、取り壊しとなった。土地再開発によって跡地はアパートが立ち並ぶ住宅地になっており、昔日の面影がまったくなくなっておる。 右写真はストリートビュー2022年6月。現在駐車場になっておる敷地にスポーツ・アリーナが建っておった。 |
“エルヴィスは俺に200ドルぐらい払ってくれたっていいじゃねえか!” Area No.7/Serial No.241コモドール・ペリー・ホテル/トリード 前述の通りトリード・スポーツ・アリーナでのライブは大盛況となったが、その前日の11月21日夜、エルヴィスは宿泊先のコモドール・ペリー・ホテルで暴力事件に巻き込まれておった。同ホテルのシャリマールームという宴会場で、エルヴィスはバンドメンバー3人や取材陣と寛いでおった。そこへ19歳の少年がエルヴィスに因縁をつけて殴りかかろうとしたのである。理由は「俺の女房は俺の写真を持っていないのに、テメー(エルヴィスのこと)の写真を持っていやがるんだ!」。 咄嗟にスコッティが少年の背後から飛び掛かって暴力行為を止めようとしたところ、少年はシャリマールームから階下へとスコッティを振り落とそうとしたらしい。エルヴィスはスコッティに羽交い締めの様にされていた少年を物凄い勢いで何発もぶん殴ったんだそうじゃ。すぐに警備員たちが騒ぎを止めに入ったので惨事には至らなかったが、少年はそのまま拘置所へぶち込まれて、裁判所から罰金と1週間の奉仕労働を命じられたという。 この事件には幾つかの説が存在しており、実は“やらせ暴力事件”との説が強い。後日マスコミが少年の妻(既に別居中)の居場所を突き止めて談話をとったところ、「私、エルヴィスどころか、スターの写真なんて持ってないわ」との回答。また奉仕労働から解放された少年も次の様に語ったという。 「エルヴィスは俺に200ドル払うべきだ!俺は某人物からの報酬200ドルという条件でエルヴィスに殴り掛かったんだ。だけど俺の方が殴られっぱなしで、依頼人も200ドルを支払ってくれてねえんだ。翌日のライブでエルヴィスはがっぽり儲けたんだろう?だったら俺に200ドルぐらい払ったっていいじぇねえか!」 左写真左側が、ホテルの正面入口から見える2階のシャリマールーム(赤丸部分)。部屋手前に見える手すりから少年はスコッティを振り落とそうとした。右側は解体作業中のシャリマールーム。 ところで、少年の言う暴力沙汰の依頼人ってのが、調べてみたがネット上ではよくわからん。EDDにもこの事件については何も書かれてはおらん。一体誰が少年を焚きつけたんじゃろうか?結局この事件によって、もっとも得をしたのはコモドール・ペリー・ホテル。事件が新聞で大々的に報じられたために全国的な知名度が一躍アップしたらしい。 なおエルヴィスの助太刀をしたスコッティは、自著「ザッツ・オールライト・エルヴィス」の中で、「あの時のエルヴィスの迫力はすごかったよ。ボクサーになったって成功したんじゃないか?もっともハンサムな顔はボコボコになっただろう」と書いておる! コモドール・ペリー・ホテルはオハイオ州最大規模のホテルとして長らく栄えたが、20世紀末頃から寂れていき、21世紀はじめに一度閉鎖した後、大型アパートメント「ザ・コモドール・ペリー・アパートメント」としてリニューアル・オープンして現在に至っておる。 おもしろいことにこのアパートメントは、オハイオ州発信の某サイトには地元で有名な「お化け屋敷アパート」として紹介されておった。アパートとして再スタートした時点で、上記したシャリマールームをはじめとした幾つかのホテル内設備が機能停止状態のまま放置されていたためか、いろんなお化けが出現するらしい。 エルヴィスが事件に巻き込まれた元シャリマールームの敷地内から深夜ピアノが弾かれる音が聞こえるとか、深夜になると電気管理室の中から姿なき人の気配がするとか、住人が外出中に部屋内の家具の位置が変わっていたとか。元シャリマールームでエルヴィスの亡霊がピアノを弾いているのであれば行ってみたい!?右写真ストリートビュー2022年5月撮影。 |
2人のキング・オブ・ロックンロールが登場した史上初のロックンロール・コンサート会場 Area No.8/Serial No.242 クリーブランド・アリーナ/クリーブランド “史上初のロックンロール・コンサート”とは、1952年3月21日に開催された「ムーンドッグ・コロネーション・ボール」(下写真中央)である。これはロックンロールという表現を全米に定着させた当時の超人気&超個性的DJのアラン・フリード(愛称ムーンドッグ、下写真左側)が主催した、黒人R&Bミュージシャンを招聘しての人種差別の壁を取っ払ったビッグ・パーティーじゃ。 約10,000人収容のクリーブランド・アリーナには20,000人以上の若者が押し寄せ、あまりの熱狂状態により警察側が途中でパーティを中止させたと伝えられておるまさに伝説的なイベントじゃ。アラン・フリードは当時クリーブランドのラジオ局WJWに所属しており、地元クリーブランドで日夜黒人R&Bをかけまくっておったのじゃ。 前回の「バーチャル~/オハイオ州前編」Area No.1ザ・サークル・シアター/クリーブランドにおいて、デビュー間もないエルヴィス初のアメリカ北部のコンサート(1955年2月26日)にしては大盛況だったことをお伝えしたが、その下地はアラン・フリードのラジオ・プログラムと「ムーンドッグ・コロネーション・ボール」だったのじゃ。 当時アラン・フリードが主催した同種のロックンロール・パーティーは数多く、残されたポスターの中にはアランを「The King Of Rock n'Roll」と称しておるものもある。(下写真右側)アランを元祖キング・オブ・ロックンロールと呼ぶべきなのかもしれない! エルヴィスが登場した1956年11月23日当時、既にアラン・フリードは活動の拠点をニューヨークに移しておったものの、そんな事はエルヴィス人気には関係なし!「ムーンドッグ・コロネーション・ボール」の伝説を吹き飛ばすような熱狂的なライブとなった。 注目すべきは、この日クリーブランドの大手新聞社3社がいずれも長期ストライキ中により新聞が発行されていないためにライブ広告が一切残っておらんことじゃ。ライブ告知はテレビやラジオで行われたのじゃろうが、新聞記者/カメラマンが仕事をしていないにもかかわらず、素晴らしいライブ写真、バックステージ写真が残されておる。これは地元の高校生であり、学内新聞「The Black and Gold」を製作していたルー・アレンという17歳の少年の撮影によるものじゃ。 当日のライブには彼以外は誰もカメラマンがいなかったというから驚きじゃ。しかしこのルー君の写真がプロ並みに素晴らしい!ルー君はライブに特別に招待されていたらしいが、新聞社ストライキ期間においてルー君の存在は奇跡に近かった! この日ルー君は全部で27ショットを撮影したらしいが、長らく学校新聞に掲載された1枚しか発表されておらんかった。これはエルヴィスの肖像権管理にも目を光らせていたパーカー大佐の圧力なんじゃろうか。 やがてカメラマンとして見事に一本立ちしていったルー君は、バディ・ホリー、エバリーブラザース、ボビー・ダーリンらの撮影も担当。21世紀になってから、「Elvis & the barth of Rock」というブルー・スゥエードでカヴァーが飾られた豪華な写真集を限定出版し(左上写真)、クリーブランド・アリーナでの撮影の全体が明らかになった! エルヴィス・ファンの間でもっとも人気の高いショットは、バックステージでエルヴィスが電話で話しておる1枚じゃろうか。(右写真)これはライブ・チケットを買ったものの事故に遭って会場に来れなかった少女があきらめきれずに会場に電話をしたところ、電話に出た会場のマネージャーが機転を利かせてエルヴィスに少女の願いを伝え、エルヴィスは快く電話に出たという。そうした撮影写真に関するルー・アレン氏直々のコメントも「Elvis & the barth of Rock」に紹介されておるそうじゃ。 クリーブランド・アリーナは1977年までコンサート会場として稼働した後に取り壊され、その跡地は現在アメリカ赤十字社クリーブランド支社ビルが建てられておる。左写真はストリートビュー2022年7月撮影。 なお、アラン・フリードとエルヴィスの両キング・オブ・ロックンロールは、2人揃って1986年に初のロック殿堂入りを果たしておる。クリーブランド・アリーナ跡地周辺に、歴史的偉人2人が躍動した場所であることを後世に伝える記念碑がないかストリートビューでチェックしてみたが、残念ながら見つからず。 |
保守的な小さな街で、女の子の下着が乱舞したライブ!? Area No.9/Serial No.243. ホバート・アリーナ/トロイ 地元新聞社のストライキ期間中にライブが行われたクリーブランド(上記Area No.8)とは打って変わり、翌日(1956年11月24日)クリーブランドから南へ約340キロ離れたトロイという街でのライブは、事前に地元のマスコミを使ったチケットやレコードの販促記録が数多く残されておる。 トロイは当時人口約12,000人の小さな街じゃったが、販売用に用意されたチケットは約10,000枚!これは地元に収容人数千人可能のライブ会場ホバート・アリーナ(左写真)があったこと、更に周辺地域の女の子たちまでターゲットになっておったってことじゃ。 当然様々なプロモーションが用意されて新聞広告を飾っておった。(下写真左側、中央)例えば「我が店でエルヴィスのレコードを2枚買った最初の6名様はライブチケット無料」とか、「コンサート会場でレコードを買ったお客様は人数限定でエルヴィスのサイン入り写真をプレゼント」とか!いつの時代も“売り手側”の考えることは同じじゃが(笑)、そんな通例は全てエルヴィス関連ビジネスが初だったってことじゃな。 SMWによると地元新聞社の丁寧なライブ取材記録も多く、特にトロイの新聞記者たちはエルヴィスに会いにトロイにやって来た女の子たちへのインタビューを丹念にとっておる。 「どこからどうやって来たか」「どうやって親を説得して家を抜け出してきたか」「徹夜でチケット売り場前に並んでいて体調は大丈夫なのか」(上写真右側)といった事前取材をはじめとして、コンサートの感想、メモラビリアは何を買ったかといった事後取材まで多様なコメントをとっておるのがご立派!まるでライブの主役がエルヴィスではなくて、大勢集まってきた女の子たちであるかのような取材スタイルじゃ。 有り体に申し上げれば、女の子たちを熱狂させたライブの新聞記者記事ってのはどれも似たようなものばかりなので、女の子の生の声の方が読んでいてオモシロイ!って方針で取材しておったならば、トロイの新聞記者ってのは先見の明のあるヤツラが多かったってことじゃ。 またSMWはトロイの土地柄はかなり保守的だったとも記述しておる。保守的ならばアンチ・エルヴィス・フィーバーが起こらなかったはずがない。案外トロイの新聞記者たちの多くは、アンチ派の読者まで意識して、あえてエルヴィスよりもエルヴィス・ファンの女の子たちの心情に取材の焦点を当てていたとも考えられるな。いずれにせよ、賢い! 他に興味をひかれた新聞記事としては、この日数多くの女の子たちの下着類がステージに投げ込まれたという記述じゃ。映画「エルヴィス」では駆け出しの頃のステージで同様のシーンが再現されておって、わしは密かに「実際にはいつ、どこの会場で初めて起こった現象だったんじゃろう」と気にはなっておった。トロイのライブはエルヴィス・フィーバー真っ只中の1956年年末なんで、少なくともその前には起こっておったはずじゃが、まあ下着放り投げ現象が作り話ではなくて事実であったことはこれで証明された! 元々スポーツ・イベント会場として1950年にオープンしたホバート・アリーナは、エルヴィス登場以降はコンサートも頻繁に行われ、その他政治集会場、大規模な見本市会場として利用され、何度かの改修工事を経て現在も稼働中である。右写真左側はストリートビュー2022年4月撮影。右側は会場内にディスプレイされておる歴代のライブ出演者たちを讃える大型プレート。 |
1974年6月、エルヴィスは“まだ好調だった” Area No.10/Serial No.244 セント・ジョン・アリーナ/コロンバス 1970年代のオハイオ州のライブにおいて、もっともネット上で情報が多いのが1974年6月25日コロンバスのセント・ジョン・アリーナじゃ。(左写真)EDDでは特に詳細な記述はない。ライブに関しても何かアクシデントやハプニングあった記録は見当たらず、通常通りのキングのライブだったようで、何故この日の情報が多いのかが不思議。3枚のバックステージでのショット(上写真3枚)が割と露出度が高いゆえに、写真に連動されたネット投稿が多いのかもしれない。(※上写真右側のショットだけは、ライブ終了後にホテルに戻ってきた際の撮影という説もあり) バックステージ・ショットから察するに、この日のエルヴィスはかなり体調も機嫌も良さそうであり、ステージショット(下写真)からはライブ自体も好調だった様子が伺える。「ラスベガス・ロングラン地獄」や「海外ツアー不可のストレス」にはまだ苛まれてはいない時期だったのじゃろう。ちなみにこの日、ライブ中にファンへ渡すために用意されたスカーフを最初にゲットした女性は感激のあまり気絶してしまったとか。 ネット情報が多いといっても特に注目すべき記述は見当たらないが、当日会場の売店でメモラビリアを売っていた者のインタビューまでがネットに投稿されておった。それによると、この日集まった約15,000人の観衆のほとんどは25歳以上の老若男女であり、10代の女の子たちばかりだった1950年代では既にないことを如実に物語っておる。また10ドル前後のチケットがダフ屋によって100ドルで売り捌かれていたそうな。 観客へのインタビュー記事もあり、自分自身がティーンだった1950年代に熱狂的にエルヴィスを聞いて、当時のライブにも行った女性ファンお2人の対照的な発言がおもしろい。 お一人はノスタルジーを求めてライブに来たものの、「もうあの時のエルヴィスではなかった」とガッカリしていたらしい。もうお一人は、18年前(1956年)にエルヴィスに関する何某かのコンテストの優勝者として“エルヴィスとデート”が出来た女性であり、彼女は“かつての愛人と再会出来た”喜びに浸っておったということじゃ。 セント・ジョン・アリーナは現役のコンサート会場、バスケットボール会場として稼働中。ネットにアップされたメモラビリア写真によると、エルヴィスの他には、エルトン・ジョン、ステッペン・ウルフ、グランド・ファンク・レイルロード、トラフィック、スティーリー・ダン、フェイセズ、フォリナーらが出演しておる。右写真ストリートビュー2022年4月撮影。 |
ご機嫌ライブ後の夜通しパーティ会場 Area No.11/Serial No.245 ヒルトン・スマグラーズ・イン跡地/コロンバス さてパーティー会場となったヒルトン・スマグラーズ・イン、この正体が未だ判明しない。ネット検索してもヒルトン・スマグラーズ・インでクリーン・ヒットはまったくない。写真検索でも無し。上写真をネットにアップした某私設エルヴィス・サイトでは、宿泊先はヒルトン、パーティー会場はヒルトン・スマグラーズ・インとしておるが、これが同一施設なのかどうかの記述はない。 更にもう1枚、ライブ当日のエルヴィスの写真がある。(左上写真)これはホテルからライブ会場に向かう際にホテルのエレベータから出てきたエルヴィスだという。これがヒルトンなのか、ヒルトン・スマグラーズ・インなのかも不明。しかし詳細が分からずとも、6月25,26日両日でステージ衣装を含めて3種類のエルヴィス・ファッションが見られるのは誠に有難い! あくまでも推測じゃが、アメリカでは当時からモーテルの他に幹線道路沿いのレストランも「イン」と命名される場合が普通だったので、ヒルトン・スマグラーズ・インはヒルトン系列のレストランだった可能性がある。大型ホテルで夜通しパーティとは、いかにキング様主催とはいえ、他の宿泊客もいるのでホテル側は許可せんじゃろう。 上のパーティー会場での写真を掲載したサイトにはヒルトン・スマグラーズ・インの所在地が明記されておるが、現在その場所にはヒルトンとは関係のない建物があり(右写真、ストリートビュー2022年)、コロンバス地域のヒルトンはまったく別の場所にある。 キングがジャージ姿のまま飛び出してしまったホテル!? Area No.12/Serial No.246 ネザーランド・ヒルトン・ホテル/シンシナチ オハイオ州の最後は、「エルヴィス“ココやーめた!”事件」の現場へご案内しよう。 エルヴィスが亡くなる約二ヶ月前、1977年6月25日、オハイオ州シンシナチのリバーフロント・コロシアムでライブが行われた。これはラストから2番目のライブである。シンシナチでの宿泊先はネザーランド・ヒルトン・ホテル。ところがライブ当日の午後(時間は不明)、エルヴィスは突然「ホテルを変えるぞ」と言い出してジャージ姿のまんまネザーランド・ヒルトン・ホテルを飛び出してしまった。理由は「部屋のエアコンが壊れている」からだったそうじゃ。 不思議なことに、この騒動がしっかりと写真に収められておることじゃ。エルヴィスの顔は明らかに不機嫌であり、一体誰が撮影したんじゃろうか?下手すりゃエルヴィスに怒鳴りちらされるところじゃ。 しかしジャージ姿で髪の毛もぼさぼさ状態で外に飛び出す醜態を晒したって、エルヴィスはよっぽどアタマにきたんじゃろうな!わしなんかは「じゃあ、部屋を変えればいいのに」って思うが、色々調べてみたら、エアコンの故障だけではなく、ホテルの料理もエルヴィスは気に入らんかったらしい。死の直前の時期だったし、エルヴィスは精神状態が不安定だったに違いない。 エルヴィスはホテルの駐車場から車に乗り込んだところを撮影されておるが、その後一度ホテル内に戻り、正面出口からあらためてホテルの外へ出たようじゃ。 ネザーランド・ヒルトン・ホテルは現在でもヒルトン・ネザーランド・プラザの名称で稼働中。エルヴィスがジャージ姿のままで出てきた写真が撮影された正面出口(上写真、一番左)は、現在でもほとんど変わっていない模様。(右写真ストリートビュー2022年9月撮影)。 【追加情報】 ホテルを変えた原因だけではなく、「ココやーめた!事件」のもうひとつの重要なポイントは、どこのホテルに移ったのか。キングご一行様の突然の宿泊希望を受け入れることが出来るだけのホテルが果たしてあったのか?ってことじゃ。 ところがこの事件を伝えている各サイトにはその記述がない!「何やっとんじゃテメーら!」っていちゃもんをつけたくなったが、ネザーランド・ヒルトンの現在の様子を動画撮影したアメリカのマニアが動画の最後で紹介しておった。ネザーランド・ヒルトンから徒歩数分の距離にあるストーファーズ・ホテル/Stuffer's Hotelであった。(左写真) ストーファーズの名前でピン!ときた方は相当のエルヴィス・マニア。翌日、つまりエルヴィスのラストライブの地となったインディア州インディアナポリスでの宿泊先が系列ホテルのストーファーズ・インじゃ。ストーファーズ・インにはエルヴィスは1976年12月30日ジョージア州アトランタでのライブの際にも宿泊しておる。(「バーチャル~第15回Area No.7/Serial No.134にてご案内済)ストーファーズはエルヴィスとは良い関係にあったホテルだったといえよう。残念ながら、シンシナチのストーファーズのあった場所は現在空地になっておる。右写真ストリートビュー2022年9月撮影。 |
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