Googleマップとストリートビューを並行利用することで、ネット上で諸君にロックンロールツアーの疑似体験を楽しんでもらおうという「バーチャル・ロックンロールツアー」。メンフィス編を3回続けたので、今回はお休みを頂くことにする。
 その代わり、常に先々のツアーでご案内するべきポイントの下調べを依頼しておる「先乗り部隊」からの報告レポの一部を要約してご紹介しよう。

 って言うのも、ポイントによっては下調べ調査の段階で膨大な量の資料が入手出来る場合があるのに、「バーチャル~」でご紹介出来るのはそのほんの一部。それがとても勿体ない!今後のツアーに参加頂く前に予備知識を蓄えて頂き、また好奇心を少しでも駆り立てて頂くために調査資料を役立てることにした。
 なお「先乗り部隊」はわしの弟子、“チョイ頑固まめ鉄”君が率いておる!ってそんな気の利いた存在は現実にはおらんけど、只今「バーチャル・ロックンロールツアー」の企画に精を出しておる七鉄から幽体離脱したともいうべき分身じゃ。ドーゾヨロシュー(笑)


 七鉄の新発見!
 ブルース/ロックンロール・エボリューショナリ―・トライアングル!

 
深入りするなかれミシシッピー!?

 現在「先乗り部隊」はミシシッピー州に入り込んで久しい。エルヴィスの生家のあるトゥペロをはじめとして、エルヴィスが1950年代に演奏した大小様々な会場(もしくは跡地)が散在し、西の州境を流れるミシシッピー川周辺はブルースの聖地と呼ばれるミシシッピーデルタ地帯が広がっておる。
 ロックンロールやブルースを愛する者たちにとってはあまりにも“ディープ過ぎる”ミシシッピー州。実際にアメリカン・ディープ・サウス(アメリカ深南部)と呼ばれる地域の一部であり、この地で生まれたブルースは「ミシシッピー・デルタ・ブルース」というよりも「ディープ・サウス・ブルース」が一般的な総称じゃ。

 左写真は、Google-mapの航空写真によるテネシー州南端(メンフィス)とミシシッピー州との州境(赤線)。ミシシッピー川から左側はアーカンソー州。

 エルヴィスの足跡、ブルース所縁の地など既にそれなりの量の資料が集まったが、そのほとんどが英文であり、しかも超マニアックなヤツが多くて、翻訳アプリを駆使しても何が書いてあるのかよぉワカランもんばかり。(これだから、学生時代にせめて英語だけでももっとベンキョーしておきゃ良かったわい)
 しかし負け惜しみじゃあないが、メンフィス関連の英語資料に比べて、ミシシッピー州の方は書いとる本人が良く言えば「超絶凝り性」、悪く言えば「変質的学者肌」(笑)ミシシッピー魔力にからめとられちゃってるお方が多いようで、読んでいて時々ミョ~な霊気すら感じるわい。
まめ鉄君には常々「深入りし過ぎないように。戻ってこれなくなっても知らんぞ」と忠告しておる(笑)


ブルース/ロックンロール・エボリューショナリ―・トライアングルとは?

 大概の調査の場合、まずメジャーどころをしっかり抑えておいて、ソイツをしつこく調べ上げて行くうちに周辺情報、関連情報が自然と入って来るようになる。そうなれば、相乗効果で自分が忘れていた知識、記憶も蘇ってきて調査の幅がぐう~んと広がってくる!
 ミシシッピー州トゥペロで言えば、まずエルヴィスの生家やエルヴィスの故郷凱旋公演で名高いフェアグランド。ミシシッピー州全体で言えば、キング・オブ・デルタ・ブルースのロバート・ジョンソンがブルースの悪魔と契約したクロスロードや、女性シンガー・ボビー・ジェントリーがデルタ地帯を歌った名曲「ビリー・ジョーの唄」の舞台になったタラハッチ橋あたりじゃな。
 それらの調査の早い段階で、わしはひとつの事実を発見して一人で勝手にコーフンしてしもうた。それは「エルヴィス生家」のあるミシシッピー州トゥペロと「クロスロード」のあるミシシッピー州クラークスデールが、国道278号線1本で繋がっておったことに端を発する。「生家」と「クロスロード」はGoogle-map上でほぼ真横(東西)に位置し、距離にして約190キロ、車移動で約2時間前後じゃった。

 ロバート・ジョンソンはクロスロードから「キング・オブ・デルタ・ブルース」への人生を歩み始め、其処からほぼ真東に僅か190キロ離れた場所で「キング・オブ・ロックンロール」のエルヴィスが生まれた!

 とまあ、ここまでは「あっそっ、ご苦労さん。七鉄のジイサマよ、一人で勝手に興奮してなさい。脳溢血で倒れないように!」とか揶揄われて終わりじゃろうが、このハナシにはまだ続きがあるぞ。

 Google-mapをマウスでグリグリと縮小している内に、両地点の中間点からほぼ真北にメンフィスが位置しておることに気が付き、即座に「エルヴィスの生家とクロスロード、更にメンフィス内の“何処か”の3点を直線で結べばなにがしかの三角形、トライアングルが出来上がるぞ」と閃いた(笑)
 そりゃもうマッハのスピードでメンフィスのエルヴィスゆかりの地のあちこちを「三角形の頂点」に見立てるトライを続け、その結果、エルヴィスのプロとしてのデビューステージとなった「ボン・エア・クラブ」のあった地点を「頂点」にした場合が、もっとも綺麗な三角形が出来上がった!(上写真地図参照)「クロスロード」「エルヴィス生家」、そして「ボン・エア・クラブ」が描いた三角形、名付けて
「ブルース/ロックンロール・エボリューショナリ―・トライアングル」!

 キングと呼ばれる者同士のロバート・ジョンソンとエルヴィス、ブルースとその落とし子ロックンロールが地図上でもしっかりと繋がり、その誕生と拡散を託された者の代表的なゆかりの地が綺麗なトライアングルを描いていたなんて、なんともロマンチックな事実じゃよ!(エボリューショナリ―とは“発展的”という意味)

【 スルドイツッコミにお答えコーナー 】

ではここで、賢い諸君のスルドイツッコミに応じてみよう(というか、半分は言い訳~笑)。

質問①:あのさあ、七鉄のジイサマが作った三角形だけど、ちょっと頂点が左に寄って歪んでいるぞ。綺麗な三角形って言うには無理がないか?三角形と言えば、メンフィスを名乗る本家本元の都市があるエジプトのピラミッドの壁面が有名だけど、ピラミッドは建築工学的にみて驚くべき精巧さを誇っていて、四角錘の4つの壁面はどれも美しい正三角形であり、ズレがあったとしてもそれは僅か10数センチって聞いたことがあるぞ。

七鉄:ほほお~、なかなか学術的であり、わしのロマンチシズムを覆えそうとする見事に意地悪なツッコミじゃな(笑)だがキミが指摘したピラミッドは、エジプトのギザという地域にある世界的に有名なピラミッドのハナシじゃ。ギザから30キロほど離れた本家本元のメンフィスにあるピラミッドは、御覧の通り!(左写真)
 これは通称“階段ピラミッド”と呼ばれるちとマイナーなピラミッドじゃが、メンフィスの歴史遺産の代表じゃ。ギザのピラミッドほど精巧な四角錘でもなく、またその経年劣化具合が遺跡マニアたちへ古代メンフィスへの思いを駆り立てておるのじゃ。そして、三角形の壁面の左への歪み具合が、わしの作ったブルース/ロックンロール・トライアングルとよく似ておるじゃろう!だから、ピラミッド壁面の正三角形云々という指摘はせんといてくれ~(笑)


質問②:ノーテンキパー子でえ~す!どうせ少し歪んだ三角形が出来ちゃうんだったら、2015年に完成してメンフィス(テネシー州)の新しい名所になったピラミッド型建物の位置をトライアングルの頂点にした方が単純でいいんじゃないですかあ?

七鉄:(アホの割には気の利いたツッコミをしてくるのおと思いつつ)あの建物はブルース、ロックンロールとはまったく関係ない建造物ですわい。建立したのはアメリカ各地に多くの支店を擁する大手釣具店バス・プロ・ショップ。わしがチェックした限りでは音楽関連のお店、展示物は無し。フィッシングを中心としたアウトドアスポーツ店やレストランが集まった巨大なショッピングモールじゃ。ただしあの建物の中の何処かにエルヴィスの銅像があるという噂も聞いておるので、その真偽は分かり次第報告することにしよう。




 こんな山奥にまでキングが!

1956年1月5日?6日?

 「メンフィス後編」でご紹介した謎のナイトクラブ「シルバースリッパ―」と同様に、ライブ日時と場所について特定が難しかったのが、1956年1月5日のミシシッピー州ランドルフ・ハイスクール・オーディトリウム。
 スコッティ・ムーアのサイトでは「6日の可能性あり(英語表記 possibly the 6th)」とされておるが、6日はアリゾナ州マリアーナでのライブの表記も?
 調べて行くと、ランドルフ・ハイスクールでのライブは、サンレコードのサイトにはジョニー・キャッシュも出演とされておるのに、スコッティのサイトではライブ詳細の記載は一切無し??
 ジョニー・キャッシュの公式サイトの「ツアー・ヒストリー」によるとランドルフ・ハイスクールでのライブは6日であると。ただしエルヴィスと共演との表記は無し???
 私設サイト「Johnny Cash Concert History」では、エルヴィスとの共演に関して1月5日、6日の両日とも記載なし????
 エルヴィス関連の某私設サイトでは、上記したアリゾナ州マリアーナでのライブ会場の写真が1月6日としてアップされている?????

 因みに上写真は、ランドル・ハイスクールでの共演のひと月半ほど前、1955年11月17日アーカンソー州ミュニシパル・オーディトリウムでの、エルヴィスとジョニーの2ショット。

 6日にエルヴィスが二ヶ所でライブを行ったと仮定した場合、その日は金曜日でアメリカの祝祭日でもないし、しかも二ヶ所はかなり距離が離れており、平日の学校のランチタイムにエルヴィスとジョニーが出演して、エルヴィス一行は夜のアリゾナ公演へ向けて~って、到底ありえないハナシじゃ。そうなるとジョニー・キャッシュのサイト側の日付表記ミスってことになるが・・・。


同名スクールの存在で更なる混乱!

 ランドルフ・ハイスクールの場所探しも苦労した(苦笑)「Randolph Highschool」で検索しまくったところミシシッピ州アーカイブ歴史局/歴史的資源目録データベースなんとかっていうコムズカシくて長ったらしいサイトに入り込んでしまった。ド根性を発揮して読破したところ、どうやら場所はメキシコ湾の海岸線に近い海洋リゾートみたいな一帯にある現「Randolph School」らしい。
 海岸線の先には、若きエルヴィスが一時期ご贔屓にしていたリゾート・ホテル「ガルフ・ヒル・ホテル&リゾート」も見つけた。「ここで間違いなし!」と決めかかったものの、Highschool関連のサイトにある現在の様子と、サンレコードのサイトに掲載されていた跡地に建っている建物の近年の写真(右写真)とは様相も背景もあまりにも違う・・・。

 こうなったら刑事の原則「捜査が行き詰まったら現場に戻れ」じゃないが、もう一度「Randolph Highschool」「Randolph Mississippi」とかのキーワードで検索しまくったところ、ミシシッピー州に関する簡易観光サイトを見付け、ポントック地域という山奥にある「Randolph Community Center」なる建物がランドルフ・ハイスクールの跡地に建っていることが判明。
 肝心の詳しい場所(住所)については、「〇〇道路を入ってすぐですよ!」みたいな苦労するわしの神経を逆なでするようなフザケタ記載でブチ切れかかったが(笑)、更に「Randolph Community Center」で検索し直すと、あっさりとGoogle mapで表記されよってGoogle-mapに感謝、感謝、感謝!
 「Randolph Community Center」で更に検索を続けると、幾つかの小さな情報を拾い集めることができ、「エルヴィス、ジョニー・キャッシュ云々」の記載も見つかった。この山奥の小さな建物がある場所をようやく「Randolph Highschool」跡地と特定出来た次第じゃ。(下写真)


やはり「エルヴィス、あなたはエライ!」

 「Randolph Community Center」のある一帯の歴史を調べてみたが、山奥のこの地域は一般の居住区域ではなく、19世紀末頃から林業、農業によって細々かつ懸命に生活を営む少数の人たちと、かつて稼働していた採石場で働く季節労働者たちによるささやかなコミュニティがあった場所なんだそうじゃ。ランドルフ・ハイスクールは、コミュニティの中の中高生の教育を一手に引き受けていた当地唯一教育機関であり、全生徒数は多い年度でも70~80人程度じゃったらしい。やがて1972年に廃校になっておった。

 わしが驚いたのは、こんな山奥の生徒数の少ない学校にまで、エルヴィスやジョニー・キャッシュがやって来たってことじゃ!1956年1月といえば、エルヴィスは全米的な大スターに成長する一歩手前の存在になっていたのに、山奥の僅かな中高生相手に「That’Allright Mama」や「Blue Moon of Kentucky」を歌ったのかと思うと、嬉しいやら切ないやらでわしゃ~涙が出て来そうになった。

「キング、あなたはエライ!やっぱりグレイトだ!!」

もう1月5日か6日かどっちだ?なんてことはドーデモよくなったわい!

 なおストリートビューの撮影部隊も、「Randolph Community Center」のある場所までは入り込んでおらんかったので、代わりに周辺の航空写真を掲載しておこう(下写真)。御覧の通り、近年ですらほとんど緑一色!ここまでブラックカントリー(ド〇なか)な地域だったのじゃ。
 音楽への凄まじい情熱ゆえに、こんなトコまでやって来て演奏した若き日のエルヴィスとジョニーに拍手!ついでに、調査を諦めずに山奥まで入って行った、わしの分身である先乗り部隊のまめ鉄君にも、どうかまめ拍手を(笑)


ストリートビューによる近隣写真。(2018年6月撮影)二叉路右側の道を500メートルほど入るとRandolph Community Centerがある。 航空写真によるRandolph Community Center(赤丸の位置)周辺の様子。


 トゥペロに現存する、唯一のエルヴィス行きつけ!?の店

貧しいのはエルヴィスだけではなかった


 ミシシッピー州トゥペロ。エルヴィスが生まれたこの地域における「エルヴィスゆかりの地」の調査を続けると、とにかく気が滅入ってくるわい。詳しい英字サイトを読むと、とにかくトゥペロ在住時のプレスリー一家は貧しく、掘っ立て小屋同然の粗末な家屋を転々とせざるをえなかったとのことじゃ。
 小学校時代のクラスメイトとの集合写真でも、「上半身から上しか写っていないが、実はエルヴィスだけ靴を履いてなかった」とか(左写真、赤丸がエルヴィス)、「服装がみすぼらしかったエルヴィスは、最初はいじめられっ子だった」とか。
 エルヴィスの双子の兄の死産についても、実質的には「No Doctor」(医者無し)だったらしい。母グラデスの双子の出産に対応できる医療技術のない医者しか立ち合えなかったということじゃ。

 14歳までトゥペロで過ごしたプレスリー一家は、1949年に夜逃げ同然でメンフィスへと引っ越さざるをえなかったハナシも有名じゃが、その原因はエルヴィスの父ヴァ―ノンの借金癖だったと言われておる。しかしどうやら真実は、密造酒の配達中に警察にショッピカレてしまい、それまで数々のトラブルで“札付き”の存在だったヴァ―ノンは、警察から「刑務所送りか、トゥペロから出て行くかどっちかを選べ」と迫られた等など、もう読んでいてウンザリしてくる内容ばかり。

 しかしトゥペロの近代史に目を通してみると、プレスリー一家だけではなくトゥペロ全体が非常に貧しい時代にエルヴィスは生まれたことが分かる。街中に電気電灯が普及し始めたのは1930年代からであり、アメリカ人にとっては常飲料である牛乳も、1930年頃まではトゥペロの住人には贅沢品であり、牛乳1リットルとトランジスタラジオが同じぐらいの金額だったという話も何処かで読んだことがある。何よりも時折トルネード(竜巻)の被害に遭い、その度に貧困層が密集する地域は破壊された挙句に水浸しになったという。
 貧困が珍しくなかった時期のトュペロで過ごしたエルヴィス少年を必要以上に悲惨化し、後にエルヴィスが成し遂げたアメリカンドリームを殊更浮彫りにする道具の様な各サイトの記述は、正しくもあり、必ずしもそうではないことはこの場で申し上げておきたい。エルヴィスをエルヴィスたらしめたのは、やはり音楽の女神から授かった二つとない絶大なる才能だったのじゃ。


今やエルヴィス・ブースもある、大人気のドライブイン・レストラン

 さて、そんなエルヴィスの悲惨なトゥペロ時代の調査中に、「エルヴィスが小学校時代から通っていたレストランがある」という記事も見つかった。その名は「ジョニーズ・ドライブイン」。エルヴィスの生家やエルヴィスが通っていた「ロウエン・エレメンタリー・スクール」から徒歩数分の距離にある小さなアメリカン・レストランじゃ。ここでエルヴィス少年は友達と待ち合わせをして、外のポーチ席によく座っておったとか。
 トゥペロ調査で数少ない微笑ましいエピソードに包まれた場所を見つけてひと安心(笑)「ジョニーズ・ドライブイン」は今では、エルヴィス少年が通っていたレストランとして一躍有名になり、エルヴィスがスターになってからも訪れては座っていた店内席の「エルヴィス・ブース」は大人気なんだそうじゃ。
 「エルヴィスが座った場所は今や地元民にとっての憩いのブースでもあるので、旅行者はエルヴィス・ブースの利用を控えた方が賢明でしょう」なんてワケワカンナイ記述をしている英字ブログもある(笑)

 だがこのオハナシ、妙な違和感がある!
 一家は常に生活苦にあえぎ、綺麗な服も靴も買ってもらえない少年が、外食出来るほどのお小遣いを持っていたのか?大体年端もいかないガキんちょが、学校帰りに友達と外食店に行くか?少年時代のエルヴィスは、学校にいる間にお腹が空かないようにと、母グラデス手作りのすりつぶしたバナナをたっぷり練り込んだピーナッツバターサンドを朝からたらふく食していたというハナシもあるではないか。
 またある時からエルヴィス少年の性格が暴力化し、クラスメイトからハンバーガー代をカツアゲするようになったなんてエピソードは聞いたこともないぞ!まあ美少年だったから、女の子の方からチョコっとなんてのはあったかもしれんけど(笑)


エルヴィスは確かにチーズバーガーとコーラをオーダーしたが・・・

 1945年オープンの「ジョニーズ・ドライブイン」の現在のオーナーは、初代オーナーのご子息。彼が父親から聞いた話によると、1956年の初めの頃、エルヴィスは確かに店にやってきたという。その時の写真は、現在エルヴィス・ブースに面した壁面にディスプレイされておる。
 店員もお客も誰もエルヴィスが来ているとは気が付かず、やがて女子学生が「エルヴィスがいる!」と騒ぎ始めたという。丁度アメリカ南部を営業中の宝石商が地元の宝石商と店内で商談中であり、女子学生がエルヴィスに興奮する姿を見てから商談を中止して、エルヴィスに丁寧に断りを入れてから写真撮影をしたという。その時にエルヴィスがオーダーしていたメニューは、チーズバーガーとロイヤルクラウン・コーラだった。
 ところがエルヴィスの写真を撮ったこの宝石商は、エルヴィス・ファンだったわけではなく、長らく写真撮影をしたことを忘れていたらしい(笑)41年も経った後の1997年になって昔の所持品の中からエルヴィスの写真を見付けて驚き、コピーをすぐに「ジョニーズ・ドライブイン」に送り届けたという。
 恐らくこのお店が有名になり始めたのは、そのエルヴィスの写真を店内に飾り始めてからであろう。エルヴィス少年が通っていたという噂は、学校が近かったことも相まっての後付けなんじゃないか?って思うわい。

 エルヴィスはスターになってからも頻繁にトゥペロを訪れて、このお店を利用していたという記述も色んなサイトで見受けられるが、全米を駆け回るツアー続きのエルヴィスに果たしてそんなゆとりがあったのかどうか?


ょい頑固まめ鉄君の先乗りレポを要約した今回はお楽しみ頂けたであろうか。レポを紹介し過ぎると“本編”への期待を膨らませ過ぎるかもしれんので(笑)、とりあえず今回はこのあたりでご勘弁。

 本当の事を言うと、わしとまめ鉄君の役割を反対にしたいぐらいじゃ!わしが先乗り調査に徹底してレポをあげまくり、分身じゃなくて“本当の弟子”に「コイツをそっちでまとめてツアーを組んでThe-Kingファンに楽しんで頂くように!」ってなったら理想じゃな。それほど調査、下調べが楽しくて仕方ない!
 でもな、やっぱり現地に乗り込んで自分の足で歩き回り、自分の目で確認してこそ正真正銘の調査じゃ。コロナ禍により、自由に旅が出来るにはまだ時間がかかりそうなので、今しばらくはバーチャルでのツアー、そしてネット情報中心の調査なので、「七鉄」「まめ鉄」の一人二役をこなしていこう。もし諸君の中でまめ鉄君になって頂ける方がいらっしゃるならば大歓迎じゃ(笑)

 それにしても調査すればするほど、私設エルヴィス・サイトやブログの多さに驚くばかり!英語、日本語はもとより、フランス語、スペイン語のサイトまでチェックする羽目になっておる!
 ビートルズの私設サイトも異常な数があるが、その質がエルヴィス・サイトとはチト違う感じがする。ビートルズ関連のサイトはとにかく歴然たるレコーディングやライブ・データを異常なまでの執念で掘り下げて行き、真実に少しでも近づきたい!隠された事実を明らかにしたい!!って感じ。一方エルヴィス・サイトの場合は、もっと“良い意味”でミーハー意識の高いサイトが多い。言い換えれば、青春時代にエルヴィスに心臓をわしづかみにされ、その体験や後遺症を自分なりに対象化することで、エルヴィスをキングからゴッドへと昇華させようとする祈りにも似た情念を強烈に感じるのじゃ。

「全ての音楽がエルヴィスが歌うとロックンロールになった!」
「エルヴィスの登場によって、それまでのことは無かったも同然になった」

 エルヴィスを讃える名言は多々あるが、この度の調査で某私設サイトの中に地味ながらも心に響く言葉を見つけた。
「エルヴィスは人類史上初めて若者の歌を歌ったのだ。だから、それまで大人たちが聞いている音楽しか知らなかった若者はエルヴィスに熱狂したのだ」
エルヴィスはキング・オブ・ロックンロールとともに、キング・オブ・レボリューション(革命王)だったんじゃ。

 では諸君、次回(多分!)「バーチャル・ロックンロール・ツアー」で逢おう!たくさんのご参加をお待ちしておりますぞ!!
(右写真は、1955年5月26日ミシシッピー州レイ・スタジアムでのエルヴィス。この頃のエルヴィスはネクタイ姿でステージに上がることも少なくなかった)



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