NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.371




 世界的なコロナ禍で旅が出来なくなって一年半。最近は「せめて旅をしておる気分になろう」って、夜な夜な行きたい場所をグーグルマップと付帯機能のストリートビューや航空写真を駆使してバーチャル・ロックンロール・ツアーをやっておる七鉄じゃ。
 昨今は世界中のロック研究家やファンがサイト、ブログで様々な情報をアップしておるんで、文字による位置情報はある程度は掴める。そいつを参考にしながらグーグルマップ上で丹念に検索をかけていけばかなりの確率で場所を特定出来る。ごく最近アップのサイトでは、ご丁寧にgoogle mapの埋め込みもある!
 オールド・ロックスター関連の所縁の地になると、場所が特定出来てからストリートビューで現状を見てみると様変わりしとる場合がほとんど。諸行無常の響き、兵(つわもの)どもの夢の後を感じたりして、まさにその地を実際に訪れているような気分!そんな七鉄のバーチャル・ロックンロールツアーの一端を、これから時々紹介していきたい。

 第1回目は我らがキング・エルヴィス所縁の地12ヶ所(12ポイント)じゃ!エルヴィスの50年代の情報に関しては、スコッティ・ムーアの公式サイトの中で詳しく記述されているので大変に参考になった。スコッティのサイトは側近者が中心となって制作されており、スコッティがかつて演奏した場所を丹念に調べ、また訪ね歩いた形跡があり、その熱意と丁寧な仕事ぶりには頭が下がった次第じゃ!

 なお今回ご紹介する場所は、今年5月23日にアップされたThe-King新作ページ内のボスの写真コラム「★Return 3 years before」で取り上げられた場所と一部重複しておる。ボスは3年前に実際に訪れており、わしの方はあくまでもバーチャル訪問。写真や解説のリアリティは到底ボスのコラムには適わんけれど、両方を観ながらボスとわしの視点の違いなんかを感じながら楽しんで頂ければ幸いじゃ!
 まずは、わしが作った「Google マイマップ」から御覧頂きたい。メンフィスを表示させたGoogle Map上に、12箇所の訪問したいポイントを星印入赤丸でマーキングしとるので、メンフィス全体の中での位置やポイント相互の距離感を確認してくれ!ではごゆるりと「バーチャル・ロックンロール・ツアー/メンフィス~」を楽しんでくれたまえ。



【Google マイマップの使い方】
・上記地図はGoogleマイマップというプライベート・マップ機能を使用しています。
通常のGoogle Map上に、この度ご紹介するポイントをナンバー入り赤丸でマーキングしています。(ナンバーは、本文中のPointナンバーと同じです。)
・地図を拡大していくと、赤丸マークが次々と表示されていきます。赤丸をクリックすると、画面左側に別ウインドゥが開き、場所名、写真、簡易紹介文が表示されます。
・マップ右上の [] マークをクリックすると、別タブにてマップが全画面表示されます。
・各ポイントをストリートビューで御覧になる場合は、赤丸をクリックして表示された別ウインドウ内の場所名表示の右横にある◆マーク(矢印入)をクリックすると、別タブにてGoogle mapが開きますので、そのGoogle map上でストリートビュー機能を使って下さい。(Google マイマップにはストリートビュー機能はありません)


 【目次】 
御覧になりたいPointをクリックすると、該当する解説文の先頭に画面が自動的にジャンプします。

 Point- 1 ラスウッド・パーク跡地
 Point- 2 バプテスト病院跡地
 Point- 3 サン・スタジオ
 Point- 4 ボンエアクラブ跡地

 Point- 5 ザ・オーバートン・パーク・シェル(現レビット・シェル)

 Point- 6 イーグルズ・ネスト跡地
 Point- 7 ロウダ―デール・コーツ
 Point- 8 ポプラーチューンズ・レコードストア跡地

 Point- 9 ランスキーブラザーズ・アット・ピーボディ
 Point-10 ランスキーブラザーズ・クローズ・トゥ・ザ・キング

 Point-11 ハードロックカフェ
 
Point-12 アーケード・レストラン
 

初期のエルヴィスの“歴史的名ショット”が撮影されたスタジアムと、エルヴィスの死亡が正式に発表された病院

Point-1 ラスウッド・パーク
跡地
Point-2 バプテスト記念病院跡地


 ラスウッド・パーク(Russwood Park)は当ページのトップにあるタイトル画像右側のエルヴィスのステージ写真(1956年7月4日)が撮影されたライブ会場。アメリカン・ベースボール界のマイナーリーグ球団メンフィス・チックスの本拠地でもあった。(1961年解体)(左写真右)
 また写真集「エルヴィス・プレスリー21歳の肖像」の撮影者Alfred Wertheimer(アルフレッド・ウォトハイマ―)もここでシャッターを切っておる。(上写真、左)タイトル画像内のエルヴィスの写真撮影者はBob Williams)
 ラスウッド・パークはマイナーリーグ専用球場だったので、「どうせエルヴィスのコンサートが初めての満員御礼だったのじゃろう」とナメテかかって調べていたら大間違い!メンフィス・チックスは当時マイナーリーグでも有数の強豪チーム。地元メンフィスでは大変な人気だったそうじゃ!

 バプテスト記念病院とはラスウッド・パークのすぐ北側にあった、エルヴィスの遺体が運ばれて正式な死亡診断がなされた大型病院であり、またリサ・マリーが生まれた病院でもある。(上写真右~ラスウッドパーク後方の白い建物がバプテスト記念病院)
 バプテスト記念病院の建物は2005年に壊され、病院自体が別の場所に移動しておるが、両跡地はエルヴィス&ベースボール・クレイジーのわしとしてはメンフィスに行ったならば真っ先に足を運びたい場所じゃ。


 この両跡地の現状をストリートビューで確認すると右写真の通りじゃ。(2020年3月撮影)
  ラスウッド・パーク跡地は現在は約半分くらいは空き地状態であり(右写真、左側)、バプテスト病院があった場所には、「ザ・ユニバーシティ・オブ・テネシー・ヘルス・サイエンス・センター」なる新しい別の医療機関の建物がある。その前には、「かつて通りを隔てた対面にラスウッドパークがあり、そこでエルヴィス・プレスリーが演奏した」と表記された小さな標識が立てられておる。(右写真、右側)

 まあ何の変哲もないこんな空き地内で「Oh King, Oh Elvis ! I miss you」なんて涙を流しながら花束とか捧げておったら、「挙動不審者がいる」とか通報されてショッピカレルかもしれんなあ!


果たしてサム・フィリップスはラスウッド・パークの熱狂を聞いたか?

Point-3 サン・スタジオ

 上記ラスウッドパークとバブテスト病院を隔てる通りマディソン・アベニューの1本南側にはユニオン・アベニューが走っており、ラスウッド・パーク跡地から僅か600メートルほどのユニオンアベニュー沿いの一画にサン・スタジオがある。
 ということは、ラスウッドパークでのエルヴィスの熱唱や当日の観客(推定14,000人)の熱狂ぶりは間違いなくサンスタジオまで届いていたはずじゃ。既にエルヴィスの楽曲の権利を売却していたサム・フィリップスが、もしコンサート開催時間帯にサンスタジオにいたならば、一体どんな心境だったのじゃろう?なんて考えてしまった!
 
 左写真は、ストリートビューから。(2020年3月撮影)黒い車の留まっている通りを数分ほど進むと、1960年にオープンした「サム・フィリップス・レコーディング・スタジオ」(第2スタジオ)がある。


キング・オブ・ロックンロールが最初に立ったステージ

Point-4 ボンエアクラブ跡地 

 サンスタジオでの初めてのレコーディングの後、1954年7月17日エルヴィス最初のステージとなった場所。また同月24日(2回目のステージ)、31日(4回目)のステージ会場にもなっておる。
  左写真は某英字サイトに掲載されている、エルヴィスがボンエアクラブに出演した時の撮影とされる1枚。これが17日か24日に撮影されたものであれば、わしが知る限りでは“スター・エルヴィス”のもっとも古いステージ・ショットじゃ。
 メンフィス一の目抜き通りビール・ストリートからほぼ真東に約17キロ離れた場所にあったこのクラブ、現在は「Bell Plaza Shopping Center」なるスーパーマーケットになっておる。(下写真)

 スコッティのサイト内にはこの会場自体に関する記述がないので、会場の種類やキャパは不明。しかしスコッティの興味深い記憶が書きしたためられておる。
 当時スコッティが所属していたスターライト・ラングラーズのゲストとしてエルヴィスは出演し、7月5日にレコーディングしたばかりの2曲「That’s Allright Mama」「Blue Moon of Kentucky」を歌ったが、集まったお客はエルヴィスを観て奇妙な顔でポカンとしていたとのこと!
 しかしスコッティとビルはスターライト・ラングラーズを離れ、エルヴィスとブルームーンボーイズを結成することを決意したらしい。エルヴィスのとてつもなくデカイ可能性を確信したってことじゃろう。


Ellis Presley登場!? 現存する最古のエルヴィス・ライブステージ

Point-5 ザ・オーバートン・パーク・シェル(現レビット・シェル)

 1954年7月30日、エルヴィス3回目のステージとなった野外音楽会場。勿論まだ単独コンサートではなく、他のカントリーシンガーたちとの共演フェスじゃ。スコッティ・ムーアはこの時の記憶が鮮明だったようで、サイトの中でかなり詳しい記述がみられる。
 スコッティの記憶によると、(上記の)ボンエアクラブでの反響がイマイチだったので、サム・フィリップスは「他のシンガーたちと抱き合わせ出演でもいいから、とにかくエルヴィスをアピールだ!」と短期間のうちに半ば強引にフェス出演契約をとりつけた模様!

 上写真、右端下段はフェスのプロモ・ポスターじゃが、エルヴィスの名前の綴りがEllis Presleyとミスったまま印刷されておる!今となっては超貴重なミスプリント物じゃな。それにしても、リーゼント前のエルヴィスも超クール!約2年後に全米で大旋風を巻き起こす風格が既に漂っておるわい!(写真は全てスコッティ・ムーアのサイトから)

 この会場は、オーバートン・パークという約700メートル四方にわたる緑豊かな公園の中にあり、2つの動物園、9ホールのゴルフ場、美術館、博物館などもある。野外音楽会場は現在でも使用されており、名称は「レビットシェル Levitt Shell」となっておる。エルヴィスがステージに立った数多くのコンサート会場の中では、現存するもっとも初期に使われた貴重な会場じゃ!
 ストリートビューで見てみると右写真の通り。(2019年6月撮影)パーク内は出入り自由なので、ここなら真昼間から酒でもチビチビやりながら、のんびりとエルヴィスに思いを馳せることが出来そうじゃ!


1954年度のメイン・ステージ会場。取り壊し間近か?

Point-6 イーグルズ・ネスト跡地

 まだ駆け出しだった頃のエルヴィスは、1954年8月から年内いっぱいまで実に14回にもわたってこの会場で演奏しておる!それだけにスコッティ・ムーアのサイト内の記述量や写真の枚数が多い。(左写真2枚はスコッティのサイトより)
 正式名称は「The Eagle's Nest and Clearpool complex 」。当時アメリカ南部の白人たちの間で新しい娯楽として人気が高かったプールを擁した、複合レジャー施設の中のナイトクラブ/ダンスホールの様な会場でエルヴィスは歌った模様。

 しかし、スコッティの記述だけではなかなか場所を特定出来なかった。記載された住所(Highway 78 Lamar Ave.)ではマップ内でヒットせず、サイト内に掲載された何枚もの新聞雑誌広告にも住所の記載が無い。三日三晩(嘘!)Lamar Ave.沿いをストリートビューでチェックしまくった果てに発見!正確な住所は4090 Lamar Ave.であった!

 ストリートビュー(右写真、2019年4月撮影)から判断すると、この施設は既に閉鎖されているようであり、取り壊しも間近か?メンフィス国際空港の約2キロ真東、ウィンチェスター・アベニューとラーマ・アベニューという二つの大通りの交差点付近の空き地同然の殺風景な場所にあり、若きエルヴィスが必死のプロモーション・アクトをしていた場所だとは知らずに車で漫然と通り越しておる者がほとんどじゃろう。こういう建物こそ、何らかの形で保存し続けてほしいものじゃ。

 なお、ラーマ・アベニューに沿って約160キロ南下すると、エルヴィスの生まれ故郷であるミシシッピー州テュペロに到達する!(Goole map上では、ラーマ・アベニューは、途中から「78号線」と表記されておる)


プレスリー一家のメンフィス最長期間居住地となったアパート

Point-7 ロウダ―デール・コーツ

 下記Point-8のポプラ―チューンズ・レコードストアとともに、この2つのポイントはエルヴィスがキング・オブ・ロックンロールへと成長を遂げる上での絶対的な下地形成のために貢献をした、マニアックなファンとしては重要視して然るべき場所じゃ!


 エルヴィスが両親とともに1949年9月から1953年1月まで住んでいたアパートがロウダ―デール・コーツであり、当時のお家賃は月額35ドルだったとか。ビールストリート入口までは約1マイル(約1.6キロ)/徒歩25分の位置じゃ。
 ロウダ―デール・コーツの地下の洗濯室で、エルヴィス少年が一心不乱にギターを練習していたというエピソードは有名じゃな。今でもホテル/コンドミニアムとして営業しており、「エルヴィス・プレスリーの家に住んでみましょう!」みたいな宣伝をFacebookでチャッカリかましておる。
 現在の
コート内の写真は、プレスリー一家が住んでいた部屋をはじめとして、ボスがかなりたくさんアップしているので、そちらをあらためて御覧頂きたい。
(右写真左側-ラウダ―デール・コーツのFacebookで使用されている、同アパートに在住時のエルヴィス少年。右側-ストリートビューより。2020年3月撮影)


キングになった後もエルヴィスが訪れていた、地元の伝説的レコードショップ

Point-8 ポプラーチューンズ・レコードストア跡地

 ポプラーチューンズは、エルヴィスがメンフィスに引っ越してきた当初から通っていたレコード店。ロウダ―デール・コーツからは徒歩数分の位置にあった。(2009年9月閉鎖)
 サンレコードからデビューする前は色んなアルバイト仕事をこなしておったエルヴィスが、毎日のように休憩時間になるとレコードを聞きに来たり、スターになった後も「俺のレコードはちゃんと売れてるかい?」と時々チェックにやって来たりしていたことは有名じゃ。また毎年エルヴィスの命日になるとファンが大勢やって来た由緒正しいレコード店じゃった。

 ポプラー・チューンズがあった場所をストリートビューで確認すると既に別店舗になっておった。(上写真右側-2020年3月撮影栄華を誇った時代の残像すらほとんど見当たらず、記念標識が設置されているだけが現状じゃ
 上写真左側は、左から、スターになってからもポプラーチューンズを訪れていたエルヴィス、エルヴィスのレコードを初めてラジオで流したと言われる伝説のDJだったデューイ・フィリップス、ショップのオーナーのジョン・クーギー。撮影はポプラ―チューンズ店内であり、超感動の3ショットじゃな!

【注意】 元々Google mapに表示されていたポプラ―チューンズの位置(Poplar Tunes 閉鎖の表記)は、実際の位置から少しズレているので、ストリートビューで現状を確認する場合は、「マイマップ」内の赤丸星印でマーキングしてあるポイントの下を通っているポプラーアベニュー上から見て下さい。


さて、
「お~い七鉄のジイサマよ、跡地とか空き地とかが多くてツマンネーぞ」
という声にお応えして、一般の観光ガイド本でも紹介される様な場所も取り上げておきまする。



世界中のお洒落ロッカーが訪れるロックンロール・テーラー!

Point- 9 ランスキーブラザーズ・アット・ピーボディ
Point-10 ランスキーブラザーズ・クローズ・トゥ・ザ・キング

 「ランスキーブラザース」は、ご存知の通りエルヴィスご用達だった高級テーラー。つい先日グレースランドの公式ホームページをチェックした時に初めて知ったが、エルヴィスの遺体が棺に入れられた時に着せられていた純白のスーツもランスキー製だったのじゃ。
 1946年にオープンした時はアーミーグッズショップ(軍隊の余剰品販売店)であり、ビールストリートとサウス・セカンドストリートの交差点の所に存在していた。2014年にハードロック・カフェに場所を譲ってピーボディ・ホテル1階ロビーに移動。(現ランスキーブラザーズ・アット・ピーボディ、下写真右側) ハードロックカフェ前の通りであるユニオン・アベニューは、カフェの辺りは後に「バーナード・J・ランスキー・ストリート」と名付けられており、偶然にも東へ真っすぐ1マイル(約1.6キロ)ほど行くと「サンスタジオ」がある!

 また「ランスキー・ブラザーズ」はピーボディ・ホテルへ移転と同時期に、新店「ランスキーブラザーズ・クローズ・トゥ・ザ・キング」(下写真左側)をハードロックカフェの北側にカムバックオープンさせておるぞ。現在ハードロックカフェ店内にも「クローズ・トゥ~」の販売ブースがオープンしておる。The-Kingの師匠ともいうべきお店なので、両店舗とも必ず立ち寄りたいものじゃ!

 なお某サイトによると、エルヴィスが修繕の為に持ち込んだものの引き取りを忘れてしまった服がどちらかの店舗で保管されているらしい!(2018年ネット公開情報)
 この情報が事実と確認出来、まだエルヴィスの服が人手に渡っていなければわしが引き取り交渉をする予定じゃ!諸君、その際はドカン!とカンパを頼むぞ(笑)
(右写真はストリートビューより。2020年3月撮影)



カムバック・スペシャルのギターがキングの地元に帰ってきた!

Point-11 ハードロック・カフェ

 世界規模でチェーン店展開を続けるハードロックカフェじゃが、メンフィス出店は意外と遅く1997年。オープン当初は現在よりも1ブロックほど別の場所にあり、先述の通り2014年にランスキー・ブラザーズより現在地の店舗を譲渡された。(左写真はストリートビューより。2020年3月撮影)一説によるとハードロックカフェが、ランスキーを口説き落として譲渡に成功したらしい。

 あくまでもエルヴィスの死後にオープンしたので、「ハードロック・カフェ」は“エルヴィス所縁の地”とは言えないかもしれんが、「Elvis Area」と名付けられた2階にあるエルヴィス関連のメモラビリアがひしめくスペースには、わしにとって絶対に見逃せないアイテムがある。それはエルヴィスが1968年「カムバック・スペシャル」の際にスコッティ・ムーアからレンタルして使用した「ギブソン・スーパー400」、ジェームス・バートンが1969年以降にエルヴィスのライブで使用していたペイズリー模様のテレキャスター、この超ド感激ものの2本のギターが展示されておるのじゃ!

 エルヴィスは「カムバック・スペシャル」終了後に「スーパー400」をスコッティに返却。1986年にスコッティはコレクターに10,000ドルで売却し、更にコレクターがハードロックカフェに15,000ドルで売却。
 その後、「スーパー400」はテキサス、フロリダ、ロンドン等のハードロックカフェに展示され続けた後に、2004年頃からメンフィス店での代表的なエルヴィス・アイテムとなった。本来あるべき所に戻ってきたとも言えるし、他の地域の店舗に展示場所が移されていないことを願う!
 なおスコッティは、「スーパー400」の売却を後にチェット・アトキンスから「幾らなんでも10,000ドルって安過ぎだろう!」と咎められたそうじゃ。(笑)スコッティは「だってすぐにトラクターが欲しかったんだもん!」って返答したそうじゃ。素朴な人柄だったスコッティらしいエピソードじゃな。


ロックンロール・スピリット・フードを食せ!

Point-12 アーケード・レストラン
 
 エルヴィスが足繁く通い、大好きなピーナッツバターとバナナのホットサンドを注文していたというレストラン。ジョン・F・ケネディも贔屓にしておったらしい。1919年創業の、メンフィスで現存するもっとも古いレストランなんだそうじゃ。(左写真はストリートビューより。2020年3月撮影)

 Google-mapのレビューをチェックすると、「料理のお味はイマイチ」なんて不粋な書き込みがあるが、店構えからして大衆食堂であることは明白であり、お味のクオリティを云々するのは愚の骨頂じゃ。キング・エルヴィスのロックンロール・エネルギーが間違いなくここでの食事で補給されていたわけであり、その事実を噛みしめながらありがた~くお料理を頂くのが真のロックファンの作法じゃ!エルヴィスがいつも着席していた位置も指定されておるようじゃし、まあメンフィス宿泊中の毎日はここでブレックファーストを頂くことからスタートさせるべきじゃろう!
 アーケード・レストランは1980年代からは「ミステリー・トレイン」や「ウォーク・ザ・ライン」など、多くの映画のロケ地としても使用されておる。レストランのグレードなどは関係なく、メンフィスを代表する食事処であることの証明と言えるな!
 映画「ミステリー・トレイン」」(ジム・ジャームッシュ監督、1989年公開)は、メンフィスの同じホテルをほぼ同じ時間帯に利用することになる3組の登場人物たちのそれぞれの出来事が3編に分けられたオムニバス形式の作品。2編目に登場する外国人女性旅行者が、メンフィスのダイナ―で「俺はキング・エルヴィスから大切な物を預かっている男なんだ」とか何とか、地元民から与太話を聞かされるシーンにアーケードレストランが使われておる。(右写真)


鉄お手製の「Google マイマップ」を貼り付けての「バーチャル・ロックンロール・ツアー/メンフィス・テネシー・エルヴィス所縁の地」はいかがじゃったかのお。また目次から該当する解説文の先頭へ画面がジャンプする機能も設定してみたので、画面をスクロールする諸君の手間を省いたつもりじゃ。
 「マイマップ」に関しては、マップ上に行ってみたい場所があれば、そこの星印入赤丸をクリックすることから始まって、Google mapにジャンプしたり、そこからまたストリートビューで周囲の状況を見渡したりも出来る。Google Mapやストリートビューにまだ慣れていない方がいらしたとしても、モウロクじじいのわしでも使いまくっておるんだから心配はないぞ!

 今回は12ヶ所じゃったが、メンフィスには他にも訪ねたい場所がいっぱいある!テッパン中のテッパンの場所、例えば「グレースランド」とか、〇〇ミュージアム等に関しては、わしなりの新しい楽しみ方を探しておるんで、それらの情報が集まり次第取り上げるつもりじゃ。それまではグレイスランド、エルヴィス・プレスリーズ・メンフィス、メンフィス国際空港等は、The-King今年5月9日アップのページ内、「勝手にブレイクタイムコーナー」のボスの写真コラムにてあらためて楽しんでおいてくれたまえ。次回もまた無手勝流、じゃなくて七鉄流による「エルヴィス所縁の地/後編」を予定しておるんでよろしくな!
 (上写真は、1956年7月4日に開催されたラスウッド・パークでのコンサートの告知ポスターを見るエルヴィス)
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