年末年始を含めて二ヶ月間ぶっ通しで「バーチャル・ロックンロールツアー」の調査と連載を続けたので、今回はちょっと休憩を頂きたい頑固七鉄であります。代わりにわしの(架空の)弟子である、チョイ頑固まめ鉄君にご登場頂こう!ミシシッピー州編に入る前の「先乗りレポ」でご紹介した通り、わしから幽体離脱したともいうべき現地先乗り隊員じゃよ。
 
 フロリダ州エルヴィスゆかりの地16ポイントは、まめ鉄君の事前調査のほんの一部分。アップロード期日までに事実確認が取れなかったり、真逆の情報が出てきてしもうたり、わしの深酒が過ぎてしまって作業時間が足りなかったり(ほとんどコレか!?)で「選モレ」した情報がいっぱいじゃ。そこでわしの休憩期間中に、「選モレ」したアウトテイク情報の中から「まあ知っておいて損はない」程度のかる~いヤツをいくつかまめ鉄君にピックアップしてもらったので、「バーチャルツアー」の疲れを癒す感覚でリラックスして読んでくれ。(右写真は1956年フロリダ州ジャクソンビル公演でのエルヴィス)

【チョイ頑固まめ鉄からのご挨拶】

 The-Kingファンの皆様、こんにちは。まめ鉄です。
 七鉄のクソじじい、いやいや、七鉄師匠のページまで御覧頂いている方々、誠にありがとうございます。師匠の命令で先乗り隊員をやっていますが、今のインターネット情報網って凄いですね。相当込み入った領域までたどり着けます。長年集めてきたロック関連の資料が手元に無いので情報収集と精査が大変になるだろうと予想していましたが、まったくの杞憂でした。
 その反面、情報の真偽を確認する場合は色んな見解が飛び交っていてどれを信用していいのか分からなくなります。The-Kingのボスやボスのお仲間の協力を得ながら、最終的な判断は七鉄師匠の長年のロック勘に任せてますので、僕の使命はひとつでも多くの情報をネットから掘り起こすことです。だから「これが正しいんだ!」ではなくて、「こんな説も存在するぞ!」ってノリで「アウトテイク情報」や「先乗り情報」をお届けしていきます。




【エルヴィスゆかりの地・フロリダ州編アウトテイク その1】

ファーストアルバムのフロントカバー写真撮影者は、実は未だに謎なのだ!


 フロリダ州編で最初にご紹介したPoint-1 フォート・ホーマー・ヘステリー・アーマリー/タンパで撮影されたエルヴィスのファーストアルバムのフロントカバー写真の撮影者は、現在ではパーカー大佐がライブ当日に雇った地元のカメラマンであるウイリアム・レッド・ロバートソンってことになっていますね。
 ロバートソン撮影説に落ち着くまでには、実は色々すったもんだがあったんです。まずアルバムにバックカバーの写真撮影者ポプシー・ランドルフしかクレジットされなかったことや、ロバートソンが1963年に、ポプシーが1978年に亡くなって彼らの供述がとれなかったことも調査を長引かせる原因になったんだけれど、更に厄介な問題が発生していました。
 ロバートソン撮影説が浮上した1990年代初頭における、ロバートソンの娘ヴェルナリー・ルポの証言です。ルポさんは「父が撮影したとされる日(1955年7月31日)に私もライブ会場にいたけれど、父の姿を見た記憶がない」って言っちゃったんですね。また同じく当日ライブ会場にいたロバートソンの弟子のカメラマン、トミー・ユーレまで娘さんと同様の供述を、更にユーレは「僕が観たエルヴィスのライブ衣装と、アルバム写真の衣装とは違っていたよ」とまで言ってしまった!


 またロバートソンが生前撮影した写真の紙焼きとネガ約50,000種類を買収して整理に携わったサウスフロリダ大学の研究生であり、現在フリーランスカメラマンのウォルター・スモーリングは、確かにエルヴィスの写真は出てきたものの“肝心の1枚”は無かったと発表。
 更に“肝心の1枚”を含めて、ロバートソンの撮影したエルヴィスの写真は全てグレースランドが管理していて、ロバートソンの撮影が明白な写真には彼の会社名「Robertson&Fresh」の印がグレースランドによって刻されているらしいけれど、“肝心の1枚”にはその刻印は無いことも判明。(上写真3枚は、1955年7月31日、ロバートソン撮影とされている写真)

 事態が混乱を極めていた時に登場してきたのが、エルヴィスに関する書籍を20冊以上も出版しているジョセフ・タンジーという作家さん。タンジーさんの作品のほとんどは自費出版であり、エルヴィス調査に対する情熱と緻密さは業界でも屈指。エルヴィスの新情報に対する鑑識力はかなり強いらしい。そのタンジ―さんが、グレースランド所有の“肝心の1枚”を、他の写真と照合した結果「ファーストアルバムのフロントカバー写真はロバートソン撮影で間違いない」と断言したんだって!

 結局タンジ―さんの“鶴の一声”によって、ロバートソンの娘さんやお弟子さんの「ライブ当日ロバートソンを会場で見なかった」「エルヴィスの衣装が違う」という供述は、彼らの記憶違いとして処理されたわけなんです。
 この手の重大調査において、身近な者のおぼろげな記憶って案外当てにならない場合が多いのでは?身近な者って、自分の発言が歴史を左右するから必要以上に慎重になってしまって事実を無意識の内に誤認してしまうんじゃないかな。だからジョセフ・タンジーというエルヴィス愛、エルヴィス調査の執念が強い者だけが備えている勘や鑑識力に従うしかないというのが僕の考えです!

 しかしサウスフロリダ大学がロバートソンの作品を全て買い取った時、何故“肝心の1枚”が無かったのだろう?そして、どうしてグレースランドが所有出来ているのだろう?この謎を解くカギ、それは恐らくパーカー大佐なんじゃないかな。七鉄師匠も既に書いてたけれど、大佐はこの写真が「世界を揺るがす衝撃の1枚」になることを察知して、ネガをロバートソンからはした金で買い取ったんじゃないかと!後に価値が暴騰した時にグレースランドに売りつけたんじゃないかな~。大佐はエルヴィスに隠れて、色々金儲けをやってたらしいからね!



【エルヴィスゆかりの地・フロリダ州編アウトテイク その2】

フロリダ州ミルトンの雑木林を走るElvis Presley Driveについて




 フロリダ州は厳密にはフロリダ半島だけではなくて、西側のメキシコ湾の沿岸地域まで広がっていて、その西側にミルトンという小さな街がある(上左地図参照)。そこにElvis Presley Driveと名付けられたストリートがあった!しかしミルトンでエルヴィスがライブをやった記録はないし、エルヴィスの隠れ別荘でもあったのだろうか?
 ストリートビューで見ると、何の変哲もない雑木林の中を突っ切る細い道であり(下写真、ストリートビュー2021年12月撮影)、「エルヴィス云々」のモニュメントも無し。「エルヴィスの名を命名しておいて失礼だろう!」って七鉄師匠みたいにキレそうになったけれど(笑)、こういうのを調べることこそ、調査部隊としては腕が鳴るってもんだ!

 まずエルヴィスのツアースケジュールからフロリダ州の都市を絞り込み、その中からミルトンに近い都市を探してみたら、あった!
 ミルトンの南西約40キロの位置にあるペンサコラという街(上左地図参照)で、1956年2月26日にエルヴィスはコンサートを開いていた


 次に「Milton Elvis Presley 」でネット検索したところ、雑木林の中の物件案内をする不動産屋さんのページばっかりで、命名の由来なんかなあ~んも無し。更に思い付くままの検索ワードでネット調査を続けているうちに、ミルトンの街の歴史を紹介するページがヒット。その中にエルヴィスに関する重要な記述を発見!
 ミルトンでは土地の開拓や発展に寄与した歴史的な重要人物の名前をストリートに名付ける方針があり、その一貫としてエルヴィスの名前が付けられたとのこと。

 エルヴィスはペンサコラでのコンサートの際、ファンの狂騒から逃れるために隣り町のミルトンの「エクスチェンジ・ホテル」に宿泊するなど、オフタイムはミルトンに身を隠していたんだそうだ!


 さっそくエクスチェンジ・ホテルを調べてみたらホテル略歴紹介サイトが見つかって、1914年に開業し現存していることが判明。日時としてはエルヴィスの宿泊は可能。しかしサイトには「エルヴィス宿泊」の記載は無し。本当にエルヴィスが宿泊したのか、確かな裏付けがとれない・・・。
 ちなみにホテルの建物は現在の所有者のオフィス兼小規模のホテルとして使用されているらしい。(上右写真、ストリートビュー2019年1月撮影)

 しかしホテルからElvis Presley Driveまでは約11キロもある。ミルトンにエルヴィスが宿泊した可能性は見つかったけれど、何故雑木林の中の道にエルヴィスの名前が付けられたのか、そこまでは判明出来なかったよ。まさか雑木林の中で、エルヴィスが木の実拾いやキノコ狩りなんかをやっていたなんて考えにくいし(笑)、これが現時点でのネット調査の限界。またひとつ実地調査が必要な場所が増えちゃいました!
■Google-map上の位置(エルヴィス・プレスリー・ドライブ)■
■Google-map上の位置(エクスチェンジ・ホテル)■



【エルヴィスゆかりの地・フロリダ州編アウトテイク その3】
映画「夢の渚」関連ポイント・エトセトラ
            ~コマーシャル・バンク、ユニオン・ホテル、ユニオン・シアター


 映画「夢の渚 Follow that Dream」の情報って、映画自体の詳細情報よりも周辺情報の方が結構多いんだ。例えば撮影期間中にエルヴィスが「泊まったホテル」とか「食事した処」とか「オフの時の行動」とか「一緒にいた人物」とか。それだけロケ地があっちこっちにあったってことかな。七鉄師匠も何ヶ所かガイドしてましたが、もう少し付け加えて紹介しよう。

 まず左写真、コマーシャルバンクCommercial Bankの建物から出て車に乗り込もうとするエルヴィスが写っているけれど、これは映画のシーンではなくて休憩時間のひとコマ。場所はフロリダ州オカラという街で、コマーシャルバンクは実際にロケ地として使用されていた。(右写真)
 銀行内を歩くエルヴィスの前方に出入り口があるようなので、そのまま直進して外へ出ると最初の写真の情景になっていたんだろう。
 コマーシャルバンクのあった場所は現在Sun Trustという別の銀行になっていて、コロナ禍の為かGoogle-Map情報によるとただいま休業中みたい。(右写真、ストリートビュー2021年7月撮影) ■Google-map上の位置


 またこの銀行の近くには、オカラでの撮影中にエルヴィスが宿泊したとされるマリオン・ホテルMalion Hotelがあった。マリオン・ホテルの1階レストランで、エルヴィスは共演女優のアン・ハラムと何度か食事をしていたそう。撮影期間中は人目の付く場所で食事をしたがらないアンをエルヴィスはとても気遣っていたとか。まあ総じて共演女優たちのエルヴィスに対する心象はとても良いね!下左2段目写真の通り、マリオン・ホテルの建物は現存しているものの、ホテルとしての営業はしていない模様。(ストリートビュー2018年11月撮影)
■Google-map上の位置■

 マリオン・ホテは当時オカラでもっとも高層のビル。経営者はマリオン・シアターという映画館も所有していて、そこで「夢の渚」のプレミア試写会が行われた。(左写真右側のモノクロ写真が試写会当日のショット)厳重な警備体制の中で車から降り立っている女性は当時のフロリダ州知事の奥様らしい!

 知事ご夫妻のお住まいは存じ上げませんが(笑)、仮にフロリダ州都タラハシーだったとしたら、オカラまで片道300キロ!わざわざ「夢の渚」を観るために車をぶっ飛ばしていらしたとなれば、奥様はまさに元祖“エルヴィス・マダム”だ!もし映画ではなくて、コンサートだったら60年以上前とはいえ大騒ぎになっていたでしょう!なおマリオン・シアターも現在も稼働中。Google-mapのレビューでは、「我が街の愛すべき小さな劇場」といった高評価が多い!
■Google-map上の位置■




【エルヴィスゆかりの地・フロリダ州編アウトテイク その4】


フランク・シナトラはエルヴィスの出演を本当に歓迎していたのか!?

 いささか興味本位なゴシップ記事みたいになるけど、エルヴィスをはじめ登場人物に対して悪意はないのでお許し願いましょう。
 Point-9でご案内した、マイアミのフォンテンブルーホテルにエルヴィスがシナトラのTVショー客演のために招待された一件だけど、七鉄師匠は一応「平和的な共演」ってニュアンスで皆さんに紹介してましたね。でもエルヴィスに詳しい方ならご存知の通り、エルヴィスとシナトラは世代の違う超スーパースター同士、やっぱり裏では色々あったってのが真相みたい(笑)

 まず「フランク・シナトラ・タイメックス・ショー」ですが、エルヴィスが登場したのは全4回放送の最終回ってのがミソ。実は回を追うごとに視聴率が下がっていて、ホテルのCEO(最高責任者)的存在でもあったシナトラは何が何でも最終回で名誉挽回しなくちゃいけない切羽詰まった状態だったワケ。
 そこにタイミング良く舞い込んできたのがエルヴィス軍隊退役のニュース。「よしっ、エルヴィスを使って最後にど~んと視聴率挽回だ!」ってのが当初のシナトラの真意だったみたいですよ。
 シナトラはロックンロール嫌いを公言していたにも関わらず、やはり背に腹は変えられなかったんでしょうね。かつてスティーブ・アレンがエルヴィスを出演させてTVショーの視聴率を爆上げさせた事実に触発されたライバルのエド・サリバンが、渋々エルヴィスの出演を承諾したことと同じようなもんだね。

 さて、そんなシナトラの足元を見たのがパーカー大佐だ(笑)。軍役によるエルヴィスのブランクをいち早く埋める策が急務だっただけに、シナトラからの打診はまさに渡りに舟!しかし大佐は僅か10分足らずのゲスト出演に対して、出演料125,000ドルというトンデモネー高額を要求。「駆け引きの下手な男は大成しない」って言われるけれど、天下のシナトラを絞り上げてみせた大佐って、やっぱりスゲーマネージャーだね!「いや~もうかわいいエルちゃんの今後の為に、こちらと致しましては出演させて頂けるだけでも有難いですう~(スリスリ)」ではスーパースターのマネージャーは務まらない!
 パーカー大佐の要求を苦渋の思いで飲んだシナトラは、リハーサルの時にエルヴィスに「ショーの最中は身体をセクシーに動かさないように」とか、一応は意地の牽制球を投げておいたみたい。「俺のショーをぶっ壊すんじゃないぞ」ってことですかね!

 ショーの会場となったフォンテンブルー・ホテルのボールルームには、如何にもシナトラのファンといったセレブでいっぱいだったけれど、実はパーカー大佐はショー会場にも“意地のエルヴィス・スパイス”を用意していた!
 エルヴィスがマイアミ入りした際、当地のファンクラブの会員を集めて集会を開き、200~300枚の招待券をプレゼントしてショーの会場に呼び込んでいたんだ。大金をふんだくるだけではなくて、現実としてエルヴィスの人気をシナトラに見せつける裏工作を抜かりなくやっていたんだね。
 大佐からプレゼントされた招待券で入場していた女の子たちが上げる歓声は、「いつまでもアンタ(シナトラ)の天下じゃないぞ。キング・オブ・ロックンロールをナメんなよ」という大佐からのシナトラへのメッセージにも聞こえる(笑)これがエルヴィスの尊厳を守るマネージャーとしての“真の裏方仕事”なのかも知れないね。
 エルヴィスが出演したパートのカラー映像が、昨年4月、11月にYou tubeにアップされていたので、まだ御覧になっていない方はどうぞ!
■「Stuck on You」映像■  ■「Fame and Fortune」映像

 結果としてエルヴィスが客演した「フランク・シナトラ・タイメックス・ショー」最終回の視聴率は40%を越え、シナトラはスーパースターとして、またホテルの最高責任者としての面目を堅持。ショーの後日談としては、シナトラもエルヴィスもお互いに「快い体験ではなかった」的発言をしたという情報がネット上で飛び交っているけれど、ソイツの紹介は止めておこう。所詮両者は我々にとっては雲上人。凡人には及びもつかない領域で生きた人たちなんで、発言の真意を必要以上に探ることはゲスの勘繰りってもんです。

 シナトラとエルヴィスの間に、果たして長い確執があったのか。それを危惧する双方のファンにとって救われるのはシナトラの娘ナンシー・シナトラの存在じゃないかな。ナンシーは父の命を受けて、軍を退役してアメリカに帰還するエルヴィスを空港で出迎え、父から託されたメッセージカードとプレゼントをエルヴィスに渡してますよね。プレゼントの中身はシルクのシャツ2枚だったとか。
 ショーにも出演したナンシーはその後エルヴィスと友好関係を保ち、1968年公開のエルヴィス主演映画「スピードウェイ」に出演。また同作出演を最後に映画界から退くことになるナンシーに、シンガーとしてラスヴェガス進出の先鞭を付けてあげたのはエルヴィスだったらしい。
 当時、ナンシーを介してのシナトラとエルヴィスの笑顔のショットがあり(上写真、1969年ラスベガス)、愛する娘の為に一肌脱いでいたエルヴィスに対して、シナトラも笑顔を見せずにはいられなかったご様子。ナンシーのクシャクシャの笑顔もいいね~。

 数年前だったかな。ネット上で当時最新のナンシーのインタビューを見つけた。確か彼女はエルヴィスに対してこんな事を言ってたよ。
「もし夢の中で誰かとデート出来るならば、相手は絶対にエルヴィスよ。エルヴィスは心配りが素晴らしかったし、スーパースターなのにバカを演じて私を笑わせてくれたもの!彼は人生を愛し、笑うことを愛していました」




【エルヴィスゆかりの地・フロリダ州編アウトテイク その5】


フロリダ調査中に拾った、ちょっとイイおはなし~バーバラ・ハーン嬢の思い出

 「エルヴィスゆかりの地」ではないけれど、フロリダ調査途中でたまたま見つけてホッコリしちゃったアウトテイクもご紹介しておこう。それはCNNというアメリカのTV局が主催する一般報道サイトに、2011年12月4日付で寄稿されたボブ・グリーンという方のココラムです。

 フロリダ州ネープルズ。フロリダ半島の突端から約200キロのメキシコ湾岸にあるこの街の「Brick Top's」というレストランにグリーン氏が立ち寄った時のこと。■Google-map上の位置■
 店内のトイレに入ると不思議なことにエルヴィスの歌が聞こえてきたという。食事をしている時には聞こえなかったのに「何故?」とレストルーム内を見渡すと、壁面の一画に額装された若きエルヴィスと女性の2ショット写真がディスプレイされていたそう。(左写真)

 写真の女性は、エルヴィス・マニアであれば知っているはず。エルヴィスの高校時代からのガールフレンドのバーバラ・ハーン嬢だ。オーデュポン・ドライブのエルヴィスの自宅やライブ会場のバックステージに出入りが許可されていた女性であり、「エルヴィス21才の肖像」で有名な写真家アルフレッド・ヴェルトハイマーのショットにもたくさん収められてましたね~。

 そのエルヴィスとバーバラ嬢の2ショット写真にはバーバラ嬢のサインやコメントがあり、それを見たボブ・グリーン氏は猛烈にバーバラ嬢に会いたくなり、彼女を探し出すことを決意。
 その気持ち、僕はすごく分かる!映画女優、モデル、貴婦人、ファンetc エルヴィスが女性と一緒にいる写真は星の数ほどあるけれど、バーバラ嬢はその中でも(僕にとっては)ひときわ目を引く、清楚で聡明な容姿だった!2人があつ~いキッスをしている写真もあるし、間違いなく本当の恋人同士だったんじゃないかな。写真のアングルによっては、エルヴィスの優秀な私設秘書みたいな雰囲気のある知的美人です!やがてボブ氏は、テネシー州トレントンに在住中のバーバラ嬢を見つけ出すことに成功。バーバラ嬢は快くエルヴィスとの思い出を話してくれたそうだ。


 1956年になると物凄い勢いでキングへの階段を駆け上がって行ったエルヴィスとやがてお別れしなければならなかった理由を、バーバラ嬢はユーモアも交えながら次のように語っていたので感心してしまった。
「エルヴィスが(映画撮影の為に)ハりウッドに行ってしまったからよ。きっとナタリー・ウッドをメンフィスに連れて帰ってきてご両親に引き合わせると思ったわ。まあしょうがないわね。立場が逆だったら、私はグレゴリー・ペックを連れて帰ってきただろうし(笑)エルヴィスは、少年から大人の男になっていったのよ」
 やはり写真から想像出来るように、バーバラ嬢は本当に聡明な女性でした。まだ若い2人の抗うことの出来ない運命を悟ってエルヴィスの為に自ら身を引いたんだからね。エルヴィスがハリウッドに行ってしまった後、バーバラ嬢はテネシー州出身の上院議員補佐の仕事をするためにワシントンへ移動したというから、頭脳明晰、学力も優秀な方だったんだ。長年連れ添うことになる旦那様とはワシントンで知り合ったそうですよ。

 なお別サイトの情報によると、バーバラ嬢は1957年以降エルヴィスに会っていなかったものの、1974年9月28日、メイランド州でのステージを鑑賞し、ステージ終了後にはエルヴィスを訪ねる予定だったという。しかし「結局、諦めて家に帰ることにした」という。その時のバーバラ嬢の辛い心情がyou tubeにアップされた「Barbara Hearn Final Interview」で語られている。僕の拙い英会話解読力では「(ライブを観て)もう、私の知っているエルヴィスではなかった」、もしくは「エルヴィスは自分自身を見失ってしまっていた」と聞こえた。

 最後に、サイン入り写真を頼りに訪ねてきたボブ・グリーン氏への御礼とエルヴィスへの思いが重なったバーバラ嬢の言葉を紹介しておこう。
「今日は訪ねて来てくれてありがとう。彼(エルヴィス)は、(新しい喜びを)与えてくれることを止めない友人だわ。He's a friend who never stops giving.」


 以上、まめ鉄の「バーチャル・ロックンロールツアー/エルヴィスゆかりの地~フロリダ州編アウトテイク集」でした。
 何分七鉄師匠はご高齢のくせして大酒飲みなんで(笑)、今後「バーチャル・ロックンロールツアー」がいつ中断されるか分かりません。早い内にまた僕の登板になるかも!いっぱいネタを用意しておきますので、それまで皆様御機嫌よう!


【 追記 】
 バーバラ・ハーン嬢の追加情報を思わぬところで発見!七鉄師匠がフロリダ州後編の“あとがき”で触れていたパーカー大佐に関する調査書籍「The Colonel: The Extraordinary Story of Colonel Tom Parker and Elvis Presley 」の詳細を調べていたら、著者であるアランナ・ナッシュという女性ジャーナリストの別著書「Baby Let's Play House: Elvis Presley and the Women Who Loved Him 」(2010年3月出版)の推薦文をバーバラ嬢が書いていて、ネット上で公開されていた!
 書籍のタイトルから分かる通り、「エルヴィスを愛した女たち」の語るエピソードからエルヴィスの知られざる真実を知る為の書籍の様ですが、他の女性たちの推薦文が大凡「エルヴィスとともにあった私の輝いていた青春時代を美しく描いてくれてありがとう」といった大意の短文であるのに対して、バーバラ嬢だけは下記の様なニュアンスで長文をしたためていました。この推薦文におけるバーバラ嬢の洞察力と文章力には誠に恐れ入りました。

「偉大な人物の伝記の執筆を続けられるだけの凄まじい情熱。過去の事実調査を徹底する途方もない根気。また読み手を飽きさせない優れた構成力と筆力や斬新な視点等、伝記を書く資質を全て備えているアランナ・ナッシュ女史は、エルヴィスの真実の一端を見事に描き出しています」

 また推薦文の〆の一文は、メッチャ飛躍した意訳をして勝手に胸を熱くした次第です。
Elvis - a race well run.
この短い一文に込められたバーバラ嬢の真意を、僕は下記の通り解釈しました。
「エルヴィス、あなたの謎めいた人生の解明は、アランナさんのお陰で良い方向に進んでいるわよ」

 アランナ女史&バーバラ嬢の記念ショットもありました。右写真、右側が2010年時点でのバーバラ嬢。ステキなおばあちゃんですね~。どうか今もご健勝であることを!もし七鉄師匠に、お年を召してもこんなにもかわいらしくて情緒のある伴侶がいたら、師匠はもうちょっとマシなジジイになっていたことでしょう(笑)


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