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前回まで3回にわたってカナダと国境周辺の州に行ってみた「バーチャル~」。シリーズの回数も26を数え、アメリカ中を随分と周遊した気がするが、アメリカ大陸はデカくて、まだまだ未踏の州はたくさんある。今回はアメリカ大陸のど真ん中、ネブラスカ州、カンザス州、アイオワ州に行ってみよう!(右地図赤丸部分)) この周辺地域は「中央アメリカ(midland America)」とか言うもんだとばかり思っておったが、全然違って、upper south west Americaって呼ばれておるらしい。エルヴィスはこの地域を1956年5月18日から23日にかけて連続6日間ライブを行っておるので、日付に従って順繰りにご案内していこう。 ネブラスカ州、カンザス州、アイオワ州って、日本人には馴染みが薄い州であり、イメージとしては見渡す限りの大平原の広がるブラックカントリー(ど田舎)じゃ。ちょいとばかりこの地域の概要を調べてみると、トルネード(竜巻)が起こりやすく、その都度街は水没したり倒壊したりする被害を被る歴史を繰り返してきたそうな。1956年5月18日から起こった“エルヴィス・ハリケーン”にはどんな反響があったのか?それでは皆様お楽しみ下さいませ!
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若い人がロックンロールに熱狂してくれるなら、自分をぶっ殺すまでやってみたい! Area No.1/Serial No.214 ウィチタ・フォーラム跡地/カンサス州ウィチタ 1956年5月18日、エルヴィスご一行はカンサス州ウィチタにあるウィチタ・フォーラムにて同州初のライブを行い、翌5月19日はネブラスカ州リンカーンのネブラスカ大学コロシアムで同州初のライブ。この二ヵ所のライブ記録が、現時点のウェブサイト上で情報が錯綜しておる。アップされておるエルヴィスの写真はどちらの会場なのか、5月18日もしくは19日なのかは決定的証拠が無く特定出来ていないので、その点をどうかご了承頂きたい。 まず5月18日のウィチタ・フォーラムでのライブじゃが、エルヴィス第一次黄金時代の1956年のライブ記録にしては情報自体が非常に少ない。SMW、EDDにおいても紹介記事は無し。エルヴィスの全ライブ会場を紹介する「Elvis in concert」でも写真も解説も無し。唯一「ジャケットのカラーは赤」という謎の記載があるのみ。 更にウィチタ・フォーラムの歴史に触れたサイトすらない。ライブ当日に発行された新聞も、ライブ前の簡単なエルヴィス紹介記事のみ。この資料の少なさは一体どういうことなのじゃろうか?(わしにカンザス州へ行って実地調査をして来い!っつうエルヴィスのお告げか!?) ウィチタ・フォーラム(右写真左側)がいつ頃まで稼働していたかは不明ではあるが、跡地は現在はウィチタ・スポーツ・フォーラムというスポーツ総合レクリエーション・センターが建てられておる。(右写真右側、ストリートビュー2022年3月撮影) ■Google-map上の位置■ なお1970年代に3度エルヴィスのライブが行われた現チャールズ・コーチ・アリーナはウィチタ・フォーラム跡地の真西約10キロの位置にある。 Area No.2/Serial No.215 ネブラスカ大学コロシアム/ネブラスカ州リンカーン 次に5月19日のネブラスカ大学コロシアム。こちらはSMWとEDDにエルヴィスの衣装は「黒いストライプの入ったイエローのジャケットに、KIMONOの襟が付いた青い玉虫色のシャツ」という記載がある。 またステージに押し寄せた女の子たちがステージのフットライトをすべて倒してしまったり、電気コードをひっつかんでスピーカーシステムを切断してしまったとの記載がSMWに掲載されておる。 さらに暴動を恐れた警察官たちがライブを中断同然で終了させてしまって、エルヴィスをさっさと車の押し込んで会場から退去させようとしたという。ファンとの交流を望んでいたエルヴィスは警察官の指示に従わず、ファンにもみくちゃにされながらサインのサービスをしていたとの記述もある。 当日にマスコミのインタビューが行われたのかどうかは不明だが、SMWのライブ紹介ページの中に次のようなエルヴィスのコメントを紹介しておる。人気が大爆発した直後のスターにしては、超控えめ、超エネルギッシュ、両極端な受け答えをしておるのでご紹介しておこう。 「私がやっている音楽はちょっとしたロックンロール、ちょっとしたロカビリー"a little rock and roll and a little hillbilly"です」 「ロックンロールをやって、それに大勢の若いファンが熱狂してくれるのであれば、私は自分をぶっ殺すまでやり続けたい」 ネブラスカ大学コロシアムは現在も現役中であり、外観はエルヴィスが出演した時とほとんど変化なくリノベーションされておるようじゃ。右写真はストリートビュー2022年6月撮影。 ■Google-map上の位置■ |
エルヴィス最古の(?)カラー写真撮影がされた会場 Area No.3/Serial No.216 シビック・オーディトリアム・アリーナ/ネブラスカ州オマハ 1956年5月中旬からスタートしたエルヴィスのアメリカ合衆国のど真ん中地域ツアー。5月18日のカンサス州ウィチタ公演から数えて三ヶ所目、5月20日ネブラスカ州オハマのライブからネット上の情報が多くなってきた!(右下写真は、会場となったシビック・オーディトリアム・アリーナ) まず新聞のレビューが大変好意的なので、少々紹介しておこう。 「10代の怒りに応えるべきシンガーがオハマにやってきた。それはエルヴィス・プレスリーという若者である。彼はもみあげと長い髪をしており、黒いシルクのシャツの上に真っ赤なコートを着ていた」 「エルヴィスは歌い、ギターを弾いた。しかし、少女たちを熱狂させたのは彼の歌や激しい演奏ではない。それは彼の回転(gyrations)だった 。エルビスは、2回のショーで約 7,000 人の観衆を熱狂させた。彼は22分間ステージに立ち、会場内は5歳から50歳までのギャルの悲鳴が常に響き渡っていたが、そのほとんどはティーンエイジャーだった。エルヴィスが膝を動かすと、親指を動かすと、ギャルたちは気絶した!」 「会場警備の警察官たちは、ステージ前にいた一人の少女が自分の服を引き裂こうとしていたと後ほど報告した。(もちろん)彼らは、少女に何が起ころうとしているのかを察知してその事態を止めた」 「絶叫する女の子たちは、ビル・ヘイリー&コメッツのロックンロール・リズムに呼応するようなことは少なく、ただひたすらエルヴィスの動きに熱中していた」 ところで、オハマ・シビック・オーディトリアム・アリーナの記録として貴重な証言が2010年になってSMWへ届けられた。1970年代にエルヴィスがライブを行った際に会場で働いていたというエルヴィスのファンによって、下のカラー写真が同会場の舞台裏で撮影されたことが判明したのじゃ。これらの写真は長らくルイジアナ・ヘイライドでの撮影とされていたが、背景の壁の色や照明に関してその人物から「シビック・オーディトリアム・アリーナでの撮影であることは間違いない」とされたのである。現存するエルヴィスのカラー写真(人工着色写真は除く)の中では最古の部類に入る貴重なショットの実体が明らかになったのじゃ。下写真、特に上部2枚でエルヴィスのホワイト系ナッソーに注目!最古のカラー写真撮影時にエルヴィスがナッソーを着用していた!って、エルヴィスとナッソーの切っても切れない縁、強い絆を象徴しておるな!! エルヴィスはその後、1974年6月30日と7月1日、1976年4月22 日、そしてエルヴィス最後のツアー中である1977年6月19日に、シビック・オーディトリアムでライブを行っておる。(下左写真)1977年6月19日に出演した模様の一部は映像作品「エルヴィス・イン・コンサート」に使用されておる。(SMWより) シビック・オーディトリアムは2012年までコンサート会場として稼働した後に閉鎖。2014年に建物は取り壊されて、現在跡地は空地になっておる。(右写真右側、ストリートビュー2022年11月撮影) ■Google-map上の位置■ |
“エルヴィスのロックンロールは私のロックンロール!” Area No.4/Serial No.217 ミュニシパル・オウディトリアム/カンサス州トピーカ 1956年5月21日に行われたカンサス州トピカのミュニシパル・オーディトリアムのライブにおいても、上記Area No.3同様にかなり好意的な新聞のレビューが残されておる。ただし、アメリカ国土のど真ん中に位置するカンサス州やネブラスカ州の土地柄、風土習慣については詳しい知識をわしは持ち合わせておらんこともあり、またわしの英文読解力もあり(毎度申し訳ございません!)、細部の解釈が結構難しいが、ニュアンスとして、世の中の大人から非難が集中しているエルヴィス・に対する認識を読者にあらためさせようとする新聞記者としての強い使命感は感じることは出来る。ざっと要約すると下記の通りじゃ。 「叫び声や手拍子が絶えないのでよくわからないが、メンフィス出身のこの官能的な21歳は、自分をヒットパレードのトップに押し上げた曲のいくつかを歌ったようだ。曲名は言わなかったが、若いファンには、明らかに聴いたことがある曲ばかりだった」 「エルヴィスはバーレスク・クイーンも顔負けの動きで、歌い上げ、息も絶え絶えで、バリトンの心地よい低音はほとんど聞こえない」「この元トランク運転手のレコードが、視覚的な補助なしに何百万枚も売れることに、観客は畏敬の念を抱いている」 「ブルー・スウェード・シューズ(ラストナンバー)を歌う前に、彼は若い観衆に、この曲はちょっと怖いんだ。だって歌い終わったら、もうおしまいだからねと言った」(エルヴィスのこんなMC、わしは今まで知らなかった!) 「トピーカの女の子たちは、この日ほどエルヴィスの使うマイクが羨ましいと感じたことはないだろう。ライブが終わった後、エルヴィスもマイクもぐったりしているように見えた」 「エルヴィスはヒルビリーではないし、ヒルビリーミュージックを歌ったこともないし、歌うつもりもない。もっといいものが出てくるまで、彼にとってはロックンロールが全てである」 「エルヴィスはティーンエイジャーを魅了しながら国中を走り回っている。ロックンロールとは何かと彼に尋ねても無駄だろう。彼は女性記者に向かって、"私のロックンロールは(あなたにとって)何ですか?"と尋ねた。彼女は困惑した顔をして答えた"(私の)ロックンロールです "」 「女性記者の返答がどうであれ、エルヴィスのロックンロールはトピカではティーンエイジャーが好むもので、ライブの夜、エルヴィスは観客を叫び続けさせたのである」 「エルヴィスはどんな職業でも、それが得意な人は誰でも尊敬すると言う。偉大な歌手なら、一晩中聞いていられる。オペラでもジャズでもいいと」 「雑誌や新聞に掲載された自画自賛の数々には、すぐに反論する。フェンス越しにミルクが飲めるのになぜ牛を買うんだというタイム誌の発言については、そんなことは言っていないと反論した」(これは、ミルクカウ・ブギー・ブルースの歌詞じゃな) 1941年に開場したトピーカ・ミュニシパル・オーディトリアムは完成まで3年の歳月を要するほど頑丈な建物として建設された。これは当地が竜巻(トルネード)発生の危険度が極めて高い地域であることに起因する。実際に1962年に最大級の竜巻がが発生して、オーディトリアムは近隣の市民の避難場所として利用された。1989年に老築化から一度閉鎖され、1991年に再オープン。現在もコンサート、イベント会場として機能し続けておる。(右写真ストリートビュー2021年7月撮影) ■Google-map上の位置■ |
エルヴィスと女の子たちが和やかに交流したホテル Area No.5/Serial No.218 カンサン・ホテル/カンサス州トピーカ 上記トピーカ・ミュニシパル・オーディトリアムのライブ終了後にエルヴィスが宿泊したホテルがカンサン・ホテル。SMWのライブ記事の中に、僅かながらもこのホテルに関する興味深い記述がある。 オーディトリアムのライブ・ステージは観客がよじ登れないほどの高さであったためか、ライブ中にエルヴィスに触れることの出来なかった欲求不満の女の子たちがホテルまでエルヴィスを追いかけてきたという。 ホテルでのエルヴィスとファンとの交流は非常に穏やかで友好的であり、女の子たちが作った輪の真ん中にエルヴィスは座り、 自分のことを話したり、ティーンエイジャーがロックンロールを好むのは、それが彼らの緊張のはけ口になっているからだと話したりしたという。また自分の活動はかなりうまくいっているものの、もしかしたら徴兵されるかもしれないと不安ももらしていたらしい。 ライブ中とはうって変わって、女の子たちも静かにエルヴィスに接し、「あれちょーだい、これちょーだい」とおねだりすることもなく、この女の子たちとの交流時間でエルヴィスは靴ひもひとつ失うことはなかったそうじゃ。スーパースターの座に駆け上がった直後のエルヴィスに訪れたこの希少なファンとのふれあいタイム、写真が残っておれば超貴重なチョットじゃが残念ながらお目にかかったことはない。ホテルのロビーでの出来事だったのか、それともエルヴィスの宿泊ルームだったのか? カンサン・ホテルは1968年までホテルとして稼働。その後の建物の経緯はまったく不明じゃが、跡地には現在カンサン・ホテルと外観がそっくりの建物がある。リノベーションされたのか、建て直されたのかは分からないが、銀行と大型アパートとして機能しておる。右写真はストリートビュー2021年7月撮影。 ■Google-map上の位置■ |
“ついに僕の時代が来たということです!” Area No.6/Serial No.219 ベテランズ・メモリアル・オーディトリアム/アイオワ州デモイン カンザス州、ネブラスカ州に続き、エルヴィスは1956年5月22日アイオワ州にも初登場。約6,000人の観客を集めた前日のネブラスカ州トピーカでのライブに比べ、アイオワ州デモインのベテランズ・メモリアル・オーディトリアム(左写真)は、前年の1955年のオープン以来初のビッグ・スターの登場だったが、観客は約3,900人しか集まらず、プロモーターは「経済的に損失を被った」とコメントしておる。 このプロモーターはカントリーシンガー兼伝説的なベテランDJだったスモーキー・スミス氏。スミス氏はお客の不入りについてはライブ開催日が地元の高校の卒業式のあった週の週末に当たってしまい、さらに地元のラジオ局の多くが「下品だ」という理由でエルヴィスのレコードをかけていなかった結果だと分析しておる。 さらにスミス氏はライブ後のインタビューの様子も交えてながら、「エルヴィスは老若男女、どんなファンやマスコミに対しても丁寧に接する非常に礼儀正しい青年であり、ショー自体はエルヴィスの誠実さがあらわれたグッドなショーだった」とのコメントも残しておる。 お客の不入りはともかくとして、わしはスミス氏の証言によって明らかにされておるエルヴィスのコメントのひとつが非常に気になった。それは「あなたの音楽は下品だと言われていますが、どう思いますか?」という質問に対するエルヴィスの返答じゃ。 「That`s my music coming out」 この言葉、Google翻訳をはじめとするネット翻訳アプリだと「私の音楽が出てきたということです」とか“ド直訳”でイマイチニュアンスがわからん。そこで最近知り合ったニューヨークで長年DJをやっとる知人に聞いてみたところ、「“俺の音楽の時代が来たってことだ”みたいな自信溢れる言葉」とのことじゃ! もう一人ロンドン在住者の知人に聞いたところ「例えば、The time has come for my music.(俺の音楽の時代がやって来た)といったダイレクトな言い方よりも穏健な言い方」とのことじゃ。例え反対派であろうとも、お相手の気分を害さず、しかも自分の主張をも含ませる発言を心がけていたエルヴィスらしい表現と言えるかもしれない! なおエルヴィスは1974年6月20日、1977年6月23日にも同会場でライブを行っておる。3,900人しかお客が集まらなかった約20年前とは状況は激変し、両日とも10,000人以上が詰めかけた大熱狂ライブとなった。(1977年6月23日のライブは、エルヴィスの生涯においてラストから4番目のライブ) この会場は何度かの改修工事、拡張工事を経ながら、現在でもアイオワ州最大級のコンサート会場として稼働中じゃ。現在の正式名称はCommunity Choice Credit Union Convention Center。左写真ストリートビュー2021年10月撮影。 ■Google-map上の位置■ |
常道を逸したエルヴィス非難報道発祥の地!? Area No.7/Serial No.220 ミュニシパル・オーディトリアム/アイオワ州スーシティ アイオワ州二ヵ所目のライブは、1956年5月23日、アイオワ州とネブラスカ州との州境にあるスーシティのミュニシパル・オーディトリアム。(下写真)前日のデモインでは観客数3,900人で赤字だったらしいが、スーシティでは5,000人以上が集まって盛況だったとSMWは記述しておる。当時のエルヴィスのライブに、一体何人の観客が集まれば「成功」だったのか、その数字の基準がよくワカランが。 スーシティのライブ記録で目を引くのは、エルヴィスの当時の凄まじいレコード売上枚数やヒットチャートランクを取り上げながら、“今世紀最大のスターがやって来る”とばかりに盛り上げておる新聞の過剰な事前報道を紹介しながらも、一方ではライブ後のこき下ろし記事も数多く紹介されておることじゃ。Elvis History Blogなる、わしとしては割と頼りになるサイトがあるが(失礼!)、ここでもライブ後のエルヴィス叩きの記事を延々と紹介しておる。 当時のエルヴィスの存在を「下品だ、悪魔だ、青少年や少女の敵だ!」と騒ぎ立てるのは何処の州のマスコミでも当たり前のことじゃが、何故アイオワ州スーシティでのエルヴィス非難報道がネット上で目に付くのじゃろうか。 あらためてスーシティのエルヴィス非難報道に目を通すと、とりたてて珍しい表現は見当たらない。 「まるで男性版バーレスクダンサー」 「低俗極まりないフーチークーチーサウンド」 「女の子を絶叫させ、気絶させるような骨盤ダンス」 「エルヴィス人気は所詮は狂った一過性のブームであり、唯一の救いはその人気が短命であることだ」 「エルヴィスは既に太り始めており、その顔は相変わらず眠そうである」 「時折見せるエルヴィスの不機嫌そうな笑顔は不愉快だ」 上記のフーチークーチーという表現は、黒人ブルースに頻繁に出てくるもので、性的快感に夢中なだけの低俗でどうしようもないヤツ、もしくは男女の性器とかってスラングであり、当時の白人社会の中ではまず出てこない言葉じゃ。エルヴィス非難において、そんな汚いスラングをあえて使ったことが少々センセーショナルだったのかもしれない。またバーレスクもスーシティのマスコミが初めておおっぴらに使った比喩なのかもしれない。 その他、強いて特徴を探せば、思いつくまま、手当たり次第のエルヴィス非難ってトコか(笑) これらの記事を書いたのは良識派を自負する大人なのじゃろうが、その大人が自制心をなくしてしまったような書き方じゃ。そう、キング・オブ・ロックンロールの偉大さとは、肯定派、否定派の両者の自制心を崩壊させて暴走させたことなのじゃ!ハナシは飛躍するが、そんな状況までしっかりと商売にしちゃったのがパーカー大佐じゃな。あの「I hate Elvisバッヂ」がそのシンボルじゃろうな(笑) スーシティ・ミュニシパル・オーディトリアムは、現在「Long Lines Family Center」とと名称を変えて現役のイベントイベント会場として稼働中じゃ。(右写真ストリートビュー2019年7月撮影) ■Google-map上の位置■ |
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