NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.385


 皆さん、こんにちは。バーチャル・ロックンロール・ツアー先乗り部隊のまめ鉄です。
 七鉄師匠が「アーカンソー州編」の調査が終わった頃からお疲れのご様子なんで、ここでお休みをとってもらうことにしました(笑)
 いい歳こいていながらも師匠の集中力はなかなかですけど、やっぱり持続力、回復力がないですね(笑)最近は首が回らない、肩コリが酷いとかうるさくってしょうがない!もう先発完投は無理なので、僕が救援をやる機会が増えてきそうです(笑)その内に中継ぎ役も必要になってくるでしょう。そん時は“ノー頑固”ショボ鉄ちゃんとかに登場してもらいますか(笑)いやいや、配置転換で師匠に中継ぎ役をやってもらった方がいいかも!

 今回は「バック・イン・テネシー州」のアウトテイク集をやります。「案外本編よりも、アウトテイク情報の方がオモシレーじゃねえか。本チャンの旅ではそっちの方に先に行ってみてえな!」と言って頂けるように小ネタも大切にキープしていますので、皆さんが退屈されないことを願いながらご紹介していきます!



【エルヴィスゆかりの地・バック・イン・テネシー州編アウトテイク その1】


エルヴィス怒りの鉄拳劇場。“俺は俺の音楽を愛してくれるファンを大切にする!”


 1956年10月18日午後、テキサス周回ツアーからメンフィスに戻ったエルヴィスは気晴らしに白のコンチネンタルマークIIでドライブに出かけたところ、排気ガスから異常を察知して近くのガススタンド/サービスステーションへ立ち寄りました。
 車輛チェックが終わってステーションを出ようとした時、「エルヴィスがいるわ!」って道行く女性たちに気付かれちゃったのがトラブルの始り。一斉に群がってくるファンたちの為に、車を止めてサインのサービスをするエルヴィスと、他の客の邪魔になるから車を移動させろと言うステーションのオーナーとの口論、もみ合いになったのです。

 当事者の一人が時の大スターだっただけに、警察官がやってくるほど騒ぎは大きくなり、エルヴィスは一旦警察に身柄を拘束された後に保釈金を払って自宅に戻り、翌19日にメンフィス裁判所で法の裁きを受ける羽目に。(左写真、左端のサングラスをかけている人がステーションのオーナーみたい。その右隣のデカイ人はトラブルに加勢したステーションの店員)

 この時の裁判での両者の供述書の一部を読みましたが、お互いに言い分があってどちらが正しいとは言えないですね。エルヴィスに言わせると「オマエがエルヴィス・プレスリーだろうが、そんな事は関係ない」って言われてカラマレタと。一方オーナーの方は「私は彼が誰であるか知らなかった」とか。ただし、もみ合っているうちにエルヴィスがオーナーを一発ぶん殴っちゃった事は確かなようで、また警察官が駆け付けた時、上写真で見えるデカイ店員がポケットナイフを携えてオーナーの助太刀をしていたことも確か。まあどうでもいいですけどね(笑)

 実はその昔、僕はこの写真(上写真)を初めて見た時は映画のワンシーンかと思いました(笑)ステージ上だけではなく、裁判所で裁きを受けるエルヴィスもシビレルくらいクールですねえ~(笑) この裁判の模様のほんの一部が、無声映像ながらyou tubeにアップされていたので、興味のある方はどうぞ!オーナーの目尻の上の白い絆創膏はエルヴィスに一発かまされた証拠らしい(笑)

 結局裁判ではエルヴィスの言い分が認められて、エルヴィスは晴れて無罪放免!ガスステーションのオーナーと店員には罰金が課されたそう。裁判官は最後に「ミスター・プレスリー。今後あなたはBusinessmanと仲良くしなければいけません」とエルヴィスに言い渡したらしいですよ。どういうことなんですかね、これ。Businessmanって、働いている一般人ってこと?
 エルヴィスは次の様に返答して退廷したという。
「(裁判所の外で)待ってくれている女性ファンたちの元へ戻ります」
 裁判官の進言に対して、エルヴィスは本当はこう言いたかったに違いない!
「裁判官殿は、俺と俺の音楽に批判的な大人とも仲良くせよって仰るんですね。俺はまず何よりも、俺の音楽を愛してくれるファンを大切にしていきます」

 この事件は新聞でも大袈裟に報道されてしまった為に、裁判所の外にはたくさんのファンが裁判の結果に気をもんで集まっていました。エルヴィスが笑顔で出てくると、ファンたちは一斉に取り囲んで無罪放免を祝福したそうです!(右上写真)


 上写真はストリートビュー2022年1月撮影のもので、左側は現メンフィス裁判所周辺。周囲に複数の裁判所施設があるので、当時何処でキングの裁きが行われたかは正確には不明です。■Google-map上の位置■
 右写真は、ガスステーションがあったサウスセカンド・ストリートとガヨーソ・アベニューの交差点付近。現在は左側に建物があり十字路にはなってはいませんが、1956年当時はこの建物はありませんでした。この付近で、エルヴィスはガスステーションのオーナーをぶん殴っちゃったのでありました!
■Google-map上の位置■
(地図上ではPeabody Hotel Valet and Drop offという駐車場を指定してあります)



【エルヴィスゆかりの地・バック・イン・テネシー州編アウトテイク その2】

バーバラ・ハーン嬢の行方を追って~やはり彼女はエルヴィス・ファンの人気者だった!


 前回のアウトテイク集(フロリダ州編)でご紹介した、1956~7年当時のエルヴィスのガールフレンド、バーバラ・ハーン嬢。僕個人的に彼女の容姿がタイプなので(笑)、その後も七鉄師匠の指示もないのに色々調べてみちゃいました。それはさておき、何故ココであらためてバーバラ嬢のご紹介に至ったのか、それは左写真です。
 自宅(オーデュポン・ビラ)でピアノを弾くエルヴィスに寄り添うバーバラ嬢ですが、撮影は上述した「エルヴィス怒りの鉄拳!」当日の夜だったのであります。保釈金を払って一旦自宅に戻ったエルヴィスが、激高した気持ちを鎮めるためにピアノに向かった時だったのです。バーバラ嬢が抱いている犬は、グラデス・ママがエルヴィスにプレゼントしたといわれる、え~と名前は忘れました(笑)エルヴィスが着ているサテン地のシャツは、バーバラ嬢からプレゼントされたものです。

 ラスウッド・パーク地元凱旋公演の特別席に座った時(下写真)、エルヴィスが発売前のシングル曲のメタル・アセテート盤を自宅に持ち帰ってチェックする時、2人で手を繋いで夜の繁華街をデートしている時等、バーバラ嬢にはしゃいでいる様子はなく、常にエルヴィスを見守っているように見えるので、エルヴィス・ファンからの好感度は高いんじゃないでしょうか!

 エルヴィスとバーバラ嬢が初めて会ったのは、当時メンフィス一のスケールを誇っていたゴールドスミス・デパート。(下中央写真)バーバラ嬢はここでアルバイトされていたようです。バーバラ嬢と一緒に働いていた女性デキシ―・ロック嬢は後にメンフィスのエルヴィス・ファンクラブ初代会長(だったかな?)になる方であり、最初エルヴィスはデキシー嬢の方とって、そんなハナシはまたの機会にします(笑)
 ゴールドスミス・デパートの歴史を追っていたら、グラデス・ママが使っていた同デパートの「Charge Card」なる物(デパート専用のクレカ?)の写真が!(下左写真)バーバラ嬢がグラデス・ママにプレゼントしたのでしょうか?(笑)現在デパートの跡地にはまったく別の建物が建てられていますが、昔と変わらず建物前を路面電車が走っていて、周囲は古き良き風情が漂う綺麗な一画の様です。(下右写真、ストリートビュー2019年8月撮影)
■Google-map上の位置■ (地図上ではMuseというファッションショップが入ったビルです)


 エルヴィスがキングの座へと駆け上っていく1957年の途中でバーバラ嬢はエルヴィスの元を去ることになりますが、その後バーバラ嬢はグレタリすることもなく(笑)、1961年に州立メンフィス大学を卒業した後にワシントンの議員事務所に勤務。そこで伴侶となる弁護士のジム・スミスさんと知り合って結婚。3人の子宝に恵まれつつ、ジムさんの仕事の関係で全米各地を転々とする日々を送ったとのことです。
 2008年にはメンフィス郊外のトレントンという田舎で、「ホーリーツリーマナー」という名のゲストハウスの経営を始めました。(下左写真)「私にエルヴィスの話を聞きたい人がたくさんいるので、その人たちのために作ったのよ」とバーバラ嬢は語っております!
 ゲストハウスのオープンがやはりバーバラ嬢を再びスポットライトの当る場所へ引っ張り出したようで、2010年頃からテレビや新聞等でエルヴィスとの思い出話を披露しています。You tubeにも何種類もアップされていて、視聴者からのレビューを読むと随分と評判が良いです!「エルヴィスは、彼女の清廉な愛情をもっと長く受けるべきだったのでは?」から「私にこんなステキなおばあちゃんがいてくれたら」なんて投稿までありました(笑)


 ゲストハウスの現状が気になるところですが、Google-Map上ではゲストハウス自体は健在!ゲストハウス名が表記されている場所をストリートビューで確認すると何もないので「取り壊されてしまったのか」とガックリしましたが、そこはゲストハウス敷地内への入口であることが分かり、その約400メートル先に建物がありました!(上右写真、Google-Earth 2017年3月撮影) ■Google-map上の位置■
 ただし2018年に「売却済」の不動産情報も見付けてしまい、オーナーが変ってしまった模様。なお、ホテルサイトには案内が掲載されていて、今でもエルヴィスとバーバラ嬢の2ショット写真が添付されています!バーバラ嬢、未だご健在だといいのですが・・・。



【エルヴィスゆかりの地・バックイン・テネシー州編アウトテイク その3】

今年で御年110歳。約40年ぶりにグレースランドに戻って来たピアノ

 ピアノを弾くエルヴィスの写真がらみで、もうひとつネタを挙げておきましょう。2017年9月、「エルヴィス愛用のピアノがグレイスランドに戻ってきた」というニュースが流れたことをご存知の方も多いかと思います。左写真は、グレイスランドのミュージックルームでピアノを弾く在りし日のエルヴィスであり、このピアノが長い旅を終えて主人の邸宅に戻って来たのです。
 元々このピアノはメンフィスのエリス・オーディトリアムで使用されていた1912年製造のピアノであり、WCハンディ、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、キャブ・キャロウェイといったエルヴィスにとっての黒人音楽のヒーローたちが実際に象牙の鍵盤を叩いて演奏したものです。

 1957年にエリス・オーディトリアムはこのピアノを売却に出し、ジャック・マーシャル・ピアノ・オルガン社が購入しましたが、エルヴィスによってあらためて買い直されました。金額は818.85ドルだったとか。
 グレイスランドの邸宅を完成させたばかりのエルヴィスは、音楽ルームの中に自分のヒーローたちが弾いたこのピアノをどうしても設置したかったのでしょう。エルヴィスはボディを白に塗り替えてカスタマイズし、グレイスランドに親しい友人が来た時に弾いてみせたり、音楽仲間たちとのセッションを楽しむ為に使用していました。

 1968年にプリシラがゴールドのピアノをエルヴィスにプレゼントしたことで、このピアノは一旦倉庫に仕舞われました。エルビスの死後、メンフィスのスタージェス・レコーディング・スタジオが購入した事でグレイスランドから持ち出されることになりました。以降、エルヴィスの音楽仲間でもあり、エルヴィス・コレクターでもあったジミー・ベルベットの「エルヴィス・メモリアル・ミュージアム」に置かれていたり、ニューヨークのオークション管理局で保管されていたりと所有者が変わり続けた後、2017年8月e-bayのオークションにお目見えして、非公開の入札者によって375,190ドルで落札されたのです。
 そして9月になってグレースランドが最新の所有者であることを発表。グレースランドがe-bayで落札したのか、別の落札者からグレースランドが購入したのかは明らかにされてはいません。こうしてグレースランドに約40年ぶりに帰って来たピアノは、同年12月16日グレイスランド初のホリデーコンサートウィークエンドの一環として公開されたそうです。
 それまでは一度も一般公開されていなかったピアノだけに、初公開以降、現在でも一般来場者たちが拝むことが出来るようになったのでしょうか?1912年の製造なのでもう110歳になったピアノ管理は大変でしょうが、グレースランドに行ける時が来たら、僕はピンクのキャデラックとともに真っ先に鑑賞したいです!

 右写真は1956年5月15日にエリス・オーディトリアムに登場したエルヴィスと、背後に設置されたピアノ。後にエルヴィスが入手することになるピアノだと思われます。



【エルヴィスゆかりの地・バック・イン・テネシー州編アウトテイク その4】


実はエルヴィスも大佐だったのであ~る!


 今回のアウトテイク集は、「エルヴィス・イン・裁判所」なんてまるでキングを冒涜するようなテーマで始めちゃったので、お詫びの証として!?エルヴィスの大変に名誉ある写真をご紹介しましょうか。
 1961年3月9日、ナッシュビルのテネシー州会議事堂へエルヴィスが時の知事ビュフォード・エリングトン氏を訪問した時の写真です。ビシッとオフィシャル・モードでキメたエルヴィスもまたクールですね!

 この日エルヴィスはテネシー州から「名誉大佐」という輝かしい称号を授かったのでした!パーカー大佐の大佐ってのは本人が勝手に名乗っていただけの嘘っぱちのお飾りでしたが、エルヴィスの場合はテネシー州から認められた本物の名誉大佐の称号であります!
 エルヴィスが莫大なお稼ぎの中から各方面に寄付を絶やさなかったことは有名でして、どういう名目かは分かりませんがテネシー州への寄付も行っていて、それが名誉大佐授与に繋がったようです。
  エルヴィスは議事堂内の州知事の部屋で大佐の称号を授与された後、大勢の議員たちの前でスピーチ。(左写真)初めてゴールドレコードを贈られた時以上に感激したと述べております。その後、州知事のお美しい娘さんアン・エリングトン嬢(トップ写真右)の案内により州知事の邸宅を訪問しています。

 州知事のエリングトン氏がミシシッピー州ホルムズ・カントリー出身者であり、ホルムズはエルヴィスの生まれ故郷トゥペロからは200キロほどしか離れてなくて、その辺を“同郷のよしみ”としながらパーカー大佐が言葉巧みに州議会関係者たちへ「エルヴィス表彰」をもちかけた、という説が有力です。
 最終的な目的は「莫大な利益」ではあるものの、それを得んが為のもっとも有効な投資の手段を考え出すパーカー大佐ってのはやっぱり凄いマネージャーだけど、まさかエルヴィスが自分を飛び越えて本物の大佐になってしまうなんて事態までは計算出来なかったでしょう(笑)
 なお、議事堂に到着して正面玄関への階段を登るエルヴィスの写真もあります(右写真)。少々緊張していらっしゃるようでもあります。(右の方はボディーガード)議事堂全景写真はストリートビュー2022年1月撮影。
■Google-map上の位置■ 

 テネシー州会議事堂を訪れた日と前後して、エルヴィスは1961年のわずか2回のライブを行っています。2月25日は、上述したグレースランドに戻って来たピアノが元々使用されていたメンフィス・エリス・オーディトリアムでのチャリティー・コンサート(昼夜の2回)。集められた51,612ドルの内、47,823ドルがメンフィスの26の慈善団体に分配され、残り3,789ドルがトゥペロの「エルビス・プレスリー・ユースセンター」に割り当てられました。 「エルビス・プレスリー・ユースセンター」とはエルヴィスがライブの収益を元に自ら地元トゥペロに設立した「エルビス・プレスリー生誕地公園」の運営組織です。
 そして3月25日にハワイのホノルルで2回目のライブ。このライブを最後に、1968年のカムバックスペシャルまでエルヴィスはライブステージから離れることになります。



【エルヴィスゆかりの地・バック・イン・テネシー州編アウトテイク その5】


The-Kingのファンの皆様、もし6,500万円あったら、コレ買いますか?~パーカー大佐の家

 2016年4月、ナッシュビル発のネット情報に不思議なニュースの見出しがアップされました。

「あなたの手元に595,000ドルほどあるならば、あなたはテネシー州ナッシュビル地域でロックンロールの歴史の重要な部分を所有することができます」

現在のレートで換算すると約6,500万円であり、“ロックンロールの歴史の重要な部分”とは、パーカー大佐の元自宅(土地込み)だったのです!

 写真で見ると、外装のセンスは悪くない石造りの家屋であり、部屋数とかは分かりませんが、地下室があったらしいです。土地全体の広さは約1,500メートル四方だとか。大佐って、エルヴィスには贅沢三昧の生活をさせていましたが、自分の生活は意外と質素、庶民的だったということなんでしょうか?
 大佐はこの家を自宅兼オフィスに使用していて、エルヴィス用の部屋も用意されていたそう。また一時はファンクラブの本部もあったらしいです。更に地下室には大量のエルヴィス関連のメモラビリアも保管されていたとか。いや~価値付けが非常に難儀な物件です。
 グレースランドが6,500万円で買えるわけがないし、かといってパーカー大佐の家がこの金額って高いのか安いのか、そもそもエルヴィス・ファンのみならず、一般的にもあまり評判の良くなかった大佐の家にここまでの価値があるのか、何もかも僕には良く分かりませんね。

 そこで、その昔日本で初のロック・メモラビリアのオークション事業の仕事をしていた、ただ今休暇中の七鉄師匠に聞いてみました。以下師匠からのコメントであります。

「どこの誰が何に対してどんな価値を見出すかなんて、誰にも分らんから売れる売れないを決め付けるのはよくない!売らにゃいかん立場の者ならば、誰も気が付かなかった新しい価値付け出来る要素をまず見つけ出すべきじゃ。わしだったら、まずパーカー大佐がエルヴィスに対して行っていた人道支援的な行為、また大佐とエルヴィスとの友好関係の証拠を徹底的に掘り起こすな。まめ鉄よ、オマエさんもやってみろ!」

 当ってんだか、ジジイのたわごとなんだかよく分かりませんが(笑)、とりあえずちょっとだけ師匠のコメントに従ってネット検索していたら、こんな写真を見付けちゃいました。(右写真)
 エルヴィスと大佐のこの2ショット2枚は、1957年12月21日、エルヴィスが大佐へのクリスマス・プレゼントとして2人乗り乗用車BMWイゼッタを贈った時のもの。撮影場所は大佐の家の敷地内なんだそうです!クリスマス・プレゼントのイゼッタをエルヴィス自ら運んできたのでしょうか!大佐とエルヴィスの友好関係を証明するショットではあります。

 この家&土地が売りに出された時の所有者は、ナッシュビルの弁護士のスティーブ・ノース氏であり、ノース氏はエルヴィスのファンでもあり、パーカー大佐ともつながりがあったようです。「私たちはこの家のそばを運転する時、いつもピンクのキャデラックがそこにあるかどうかを確認しました。ピンクのキャデラックがあれば、エルビスがナッシュビルにいると判断したものです」と彼はニューヨークポストに語っています。
 この家屋は大佐が使用していた当時のままノース氏の事務所になっていたそうです。大佐が地下室に保管して大量のエルヴィスのメモラビリアは、1990年代になって大佐自らの手で全て売却されたそうです。
 既に4年ほど前から業界筋で大佐の家の売却情報が流れていたそうですが買い手が付かず、2017年になって公表されたんだそうです。ここに洗車場を作りたいという業者からの申し込みがあったため、ノース氏は急遽売却情報を公表したとのことです。


 結局買い手は現れることなく、現在は洗車場になってしまいました。上左写真はストリートビュー2016年3月撮影で、大佐の家はまだ写っていますが、2019年6月撮影の上右写真では洗車場になっていますね。エルヴィスをキングに仕立て上げた希代の名マネージャー&悪徳ビジネスマンの家が、いざ影も形も無くなってしまうと複雑な心境ではあります。
■Google-map上の位置■

 なお、エルヴィスが大佐にイゼッタを贈った1957年12月21日ですが、エルヴィスに詳しい方ならピ~ンときたハズ!そうです。約3年半前に「君はメンフィスのトラック運転手に戻った方がいい」と侮辱された会場「グランド・オール・オープリー/ライマン・オーディトリアム」をエルヴィスが再び訪れた日です。バックステージにおいて、エルヴィスは懇意にしていたコーラス・グループのジョーダネアーズやジョニー・キャッシュらと写真撮影されていますね。(右写真)

 何故エルヴィスがこの日に縁起の悪いライマン・オーディトリアムにやって来たのかは謎です。エルヴィスは大佐にクリスマス・プレゼントを渡した後、ナッシュビルに滞在中のジョーダネアーズを訪ね、彼らから「今夜ライマンで大佐からボーナスを受け取る予定なんだ」と聞かされたエルヴィスが彼らに付いて来たってどこかの英字サイトに書かれていましたけどね(笑)それが真実だとしても、どうしてわざわざタキシードの正装をしたのかは、やっぱり不明です!


 以上、バックイン・テネシー州アウトテイク集でした。
 メンフィスにおいては、他にエルヴィスがサンレコードと契約した前後に出演していた小さなクラブや施設がたくさんあって、その跡地などもご案内したいのですが、紹介サイトが少なかったり、掲載情報が曖昧で場所が特定出来なかったりで、まだまだ精度が不十分です。これらは準備が整い次第あらためてご案内したいと思います。
 七鉄師匠はただいま「手っ取り早い栄養補給だ!」とか言いながら、ウイスキーやジンを滋養強壮ドリンクで割って飲んだりしてますんで、遠からず体調が回復して「バーチャル~」本編が再スタートされると思います(笑)その時はよろしくお願い致します!(byまめ鉄)


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