NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.426


第46回 エルヴィスゆかりの地~カリフォルニア州編 Vol.2

(上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。)

カリフォルニア州第2回は、州最大の都市ロサンゼルスと映画の街ハリウッド周辺地域へのご案内じゃ!今や我らが日本人の誇りとなったベースボール界の大谷選手の新しいフランチャイズ球場となったドジャースタジアムも登場するぞ!その他50年代の代表的ライブショットが撮影されたライブ会場やエルヴィスの別宅、馴染みのレストランなどご案内ポイントの種類は豊富なんで存分に楽しんでくれたまえ!


【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地 
    第46回 カリフォルニア州編 Vol.2


 ・御覧になりたい番号をクリックすると、該当する解説文の先頭に画面が自動的にジャンプします。
 ・Area No.はカリフォルニア州内での番号
 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。

 【ウェスト・ジェファーソン・ブールバード】
 Area No. 8/Serial No.341  シュライン・オーディトリアム
 
【ヴィン・スクリー・アヴェニュー】
 Area No. 9/Serial No.342 ドジャー・スタジアム・ロット26 
 
【ウィンザー・ブールバード】
 Area No.10/Serial No.343 
 パン・パシフィック・オーディトリアム跡地
 【ノース・フェアファックス・アベニュー】
 Area No.11/Serial No.344 キャンターズ・デリ
 
【ビバリー・ヒルズ】
 Area No.12/Serial No.345 
ヒルクレスト・エルヴィス邸宅
 Area No.13/Serial No.346
 ビバリーヒルズ・ウィルシャー・ホテル
 【ウェスト・ハリウッド】
 Area No.14/Serial No.347 レインボウ・バー&グリル


【バーチャル・ロックンロールツアーバックナンバー】

 ★ 本文中の表記について ★


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Google-map上の位置が表示されます。
SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト  
 SRW=サンレコードのウェブサイト(※現在閲覧不可) 
 EDD=エルヴィス・デイリー記録集「Elvis Day By Day」

 EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト)


 数々の歴史的名ショットの陰に意地悪インタビューあり!?
Area No.8/Serial No.341 シュライン・オーディトリアム/ロサンゼルス
 西海岸最大の都市ロサンゼルスに、エルヴィスは1956年6月8日に初登場した!場所は、当時西海岸最大、かつもっとも美しいプロセニウム・スタイルのステージがあったシュライン・オーディトリアムじゃ。プロセニウム・スタイルとは、ステージ全体が大きな額縁のように飾られておるスタイルじゃ。
 シュライン・オーディトリアム全体の美しさついては、SMWでは次のように紹介しておる。

「外観は、白いペルシャ様式のドームとムーア様式のアーチがたくさんある、昔ながらのエキゾチックなアラビアのモスク、あるいは西海岸のタージ マハルに似ています。内部は緑豊かな昔ながらのオペラハウスで、赤いベルベットの座席と洞窟のような内部を見渡す階段状のバルコニーが備わっています」
「1926年に世界最大の劇場としてオープンした時、クリスタルのシャンデリアも世界最大として宣伝されました。重さは4トン、直径は20フィートで、500個の赤、白、青、琥珀色の電球で構成されています。この講堂の珍しい建築物 (内外) は、映画のロケ地として人気がありました」

 この美しい劇場において、エルヴィスの素晴らしいステージショットが何枚も残されておる!どうぞ御覧あれ。

 

 もう何も申し上げることはありませんなあ~。The-Kingのボスが、以前写真コラムの中で50年代のライブショットの中でもベストではないかと。異論はありませんなっ。写真だけでウイスキーのオンザロック3杯、いやボトル3本くらいイケます!ではもう一丁!!

 

 6月8日のライブ前、エルヴィスは新聞社からインタビューを受けており、これが記録の字面だけから判断すると結構意地悪な質問が多い。このインタビューに少々気分を害したエルヴィスはステージで燃えまくったのかもしれない!?インタビュー内容を一部転載しておこう。(水色の文字部分は、わしのひとり言じゃ)

Q:あなたのような人がどうしてテネシー州からハリウッドに出てきて、あなたのようなやり方でこの業界に参入することができたのですか?(ノッケから嫌味な質問じゃ。エルヴィスを完全に田舎者扱いしておる)
A:それはかなり難しい質問です。わからない。良いブレイク(ライブ以外の時間)はとりました。

Q:どんなブレイクをとりましたか?
(大きなお世話じゃ)
A:つまり、テレビなどのことです。そしてレコード、RCA Victorと契約を結びました。それから私はいくつかの大きなテレビ番組に出演し、人々にもっと知られるようになり、レコードももっと売れるようになり、映画の契約も得ました。

Q:つい先週、北カリフォルニアの都市でロックンロールが非合法化されたというニュースを聞いたことがあるでしょう。それが青少年非行の一因になっていると言われています。あなたはそれには同意できないでしょう。
(分かっているなら聞くな!)
A:同意など出来ません!それが真実ではないからです。ロックンロールは音楽です。つまり、音楽が青少年犯罪に貢献する必要があるのですか。ロックンロールは青少年の非行にまったく関係しません。ただ一つ言えるのは、一部の会場では子供たちが立ち上がって通路で踊り始めたり、金切り声を上げたり、座席を蹴ったりし始めたことはあります。今、私が知っているのはそれだけです。そして、それはいつも起こるわけでなく、場合によっては起こるだけです。

Q:ラスベガスではなぜそれほどうまくいかなかったと思っていますか?
(ロサンゼルスとは関係ねーだろう)
A:反応は誰もが予想していた通りのものでした。なぜならラスベガスにはティーンエイジャーはいません。みんなご年配の方々です。.彼らは皆年上です。

Q:近いうちにもっと年配の人たちに受け入れられるようになるのでしょうか?
(受け入れられるはずがないと思っているだろう)
A:それについては私も分かりません。しかし、私が知っているのは、現時点で最大のレコード販売ビジネスはロックンロールだということです。


 エルヴィスはなかなかクレバー、かつ“ツッコミ”をさせないような返答をしておる。恐らく、予想される様々な質問に対して事前に返答を用意しておったに違いない!(余計なひとり言を付けてしまって失礼致しやした)

 ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムは、1906年にオープン。1920年に大火事で焼失した後に6年の歳月をかけて再建された。以前はアカデミー賞の授賞式が開催されるほどの権威のある会場じゃったが、現在は豪華なイベントはハリウッド地域の会場で開催されるようになったという。
 とはいえ、現役のショーイベントホールとして稼働しており、ロサンゼルスの重要文化財といえる建物じゃ。The-Kingのボスが以前に訪れており、その時の模様はこちらのページで御覧頂きたい。右写真ストリートビュー2023年1月撮影。
 


 “レーサー”エルヴィスが疾駆したベースボール・スタジアム!
 Area No.9/Serial No.342 ドジャー・スタジアム・ロット26/ロサンゼルス
 

 メジャーリーグ・ベースボール球団ロサンゼルス・ドジャーズの本拠地がドジャー・スタジアム。(左写真)かつてはナショナル・パスタイム(国民的娯楽)と称されたベースボールにエルヴィスはほとんど興味を示さなかったようじゃが、ドジャー・スタジアムには映画「カリフォルニア万歳/Spint Out」(1966年公開)のロケ地として関りがあった。

 エルヴィスがドジャー・スタジアムを撮影で訪れたのは1966年3月9日から11日とされており、撮影場所はスタジアムの外野右中間スタンドの後方から裏山のふもとへと広がる巨大駐車場(ロット26。現在のロットH)であり、レーサー役のエルヴィスのレーススタートとゴールの両シーンが撮影された。映像の中ではロケ地の見極めが難しいが、上右写真でエルヴィスの後方に写っているオレンジ色の球体は、ドジャースタジアムの駐車場特有の標識なのじゃ!

 ドジャースはメジャーリーグでは老舗の球団じゃが、ドジャースタジアムのオープンは意外と遅く1962年。「カリフォルニア万歳」が撮影される僅か4年前じゃ。
 ドジャースは元々ニューヨーク・ブルックリンを本拠地としており、1958年にロサンゼルスへ移転してきた。移転後4年してから新スタジアムのドジャー・スタジアムがオープンしたというわけじゃ。
 ちなみに大谷翔平選手が昨年まで所属していたロサンゼルス・エンゼルスも1962年のみドジャー・スタジアムを間借りしておった。

 当時のドジャースのオーナーだったウォルター・オマリーは話題作りの名人であり、スタジアムをベースボール以外にも使用することに積極的であり、「カリフォルニア万歳」のロケ地としてスタジアム使用を許可した背景にはそんな理由もあったはずじゃ。
 オマリー氏は1979年に亡くなっておるが、今でも公式ウェブサイトは存続しておる。メジャーリーグやドジャースの歴史情報がぎっしり掲載されており、メジャーリーグ・ファンにとっては読み応え十分!またサイトのコンテンツの中には「Other events at Dodger Stadium」があり、「カリフォルニア万歳」撮影中のエルヴィスのエピソードもたくさん紹介されておる。


 下写真中央、スタジアムの見取り図はオマリー氏のサイトに掲載されておった映画の撮影場所。その右横写真は現在のGoogle-map航空写真。赤丸部分が見取り図内で指定されていた撮影場所に該当するエリアじゃ。(ストリートビューは無し)
 


 時に1957年晩秋、大都会ロサンゼルスはエルヴィス襲来に震え上がっていた!
Area No.10/Serial No.343 パン・パシフィック・オーディトリアム跡地/ロサンゼルス


 Area No.1でご案内したシュライン・オーディトリアムでのライブから約1年半後の1957年10月28日、エルヴィスは二度目のロスアンゼルスでのライブを行った。会場はロサンゼルスで開催される様々な大規模イベントを一手に引き受けていた大型会場のパン・パシフィック・コロシアムじゃ。(左写真)
 この時のライブ記録やロスの世相状況を調べてみて、驚いてしまった!それは会場の女の子たちの熱狂ぶりや、大人たちのエルヴィス排斥感情ではなくて、その時期である。1957年10月といえば、エルヴィスは既にキング・オブ・ロックンロールの名をほしいままにしており、誰もその勢いを止めることなど出来なくなっていた頃じゃ。エルヴィス批判は、やり方を誤ると「時代遅れ」と揶揄されかねない。早い話がただの頑固ジジイ、ババア扱いされてしまう!
 が、しかしロサンゼルスでは違っていた。SMWに掲載された当時のエルヴィスに対する新聞、マスコミの攻撃は凄まじいばかり。というか、まるで黒船襲来を受けた江戸時代の日本人のようなビビり方なのである。もっと分かりやすく言えば、1~2年前に“宇宙人か怪獣を見た”ように騒ぎ立てた田舎の中規模都市での反響同様の騒ぎ方なのじゃ。1年半前に一度ライブが行われているにもかかわらずじゃ。“何を今さらジローラモ!”って感じでおかしくってここに転載する気にはならない(笑)
 「エルヴィスなんて所詮田舎役者。その人気は一時の熱病みたいなものに過ぎない」とロスのお偉いさん方、良識派を自認する大人たちは上から目線でタカをくくっていた節があり、そのエルヴィス・ハリケーンが衰えるどころか威力を増して再びロスを襲って来ちゃったもんだから、もう慌てふためきまくりだったのじゃ。ライブの告知ポスターの中には、それまでは見たこともない洒落たデザインもあっただけに(右写真)、このロスのエルヴィス・パニックには驚かされた、いや笑えた!
 
 ライブ前の記者会見では、シュライン・オーディトリアムの時と同様にエルヴィスに対して失礼な質問も結構あり、中にはフランク・シナトラの「ロックンロール大嫌い」記事が掲載された雑誌をエルヴィスに見せながらコメントを求めたぶっ飛ばしモンの記者もいた。1957年10月28日、ロサンゼルスはエルヴィス一人に史上最大の喧々諤々パニックに陥ったのじゃ!
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 このロサンゼルスのライブは、10月26日サンフランシスコ、27日オークランドから続く4日間の短い西海岸ツアーのラストに当たり、28、29日と昼夜2回づつ開催された。ギャラのあまりの安さからブルームーンボーイズ脱退を余儀なくされていたスコッティとビルが復帰したツアーでもあったが、エルヴィスとスコッティ&ビル(DJも含む)は別々のホテルに宿泊しておった。ロサンゼルスではエルヴィスは超豪華なウィルシャー・ホテル、他の3人はニッカボッカ・ホテルだった(次回以降でご案内予定)。
 これはエルヴィスと他の3人との仲が悪かったのではなく、3人の復帰条件に「ギャラはアップするが、諸経費は自己負担」というパーカー大佐が付けた条件から生じた事態のようじゃ。ニッカボッカ・ホテルの宿泊費は、当時1泊7ドルであった。(ウィルシャー・ホテルは下記Area No.13参照)

上の会場写真でご覧いただけるように、パン・パシフィック・オーディトリアムは、正面入口の近未来的な外装が特徴であり、各種イベント会場として栄えるとともに、映画「ファニーレディー」(1975年公開)や「ザナドゥ」(1982年)等のロケ地としても使用されたロスでもっとも有名な建物のひとつであった。
 しかし1980年代に入ると老築化が進み、イベント開催も激減。やがてセキュリティが甘くなって浮浪者たちの溜まり場と化していったという。やがて浮浪者たちの花火による火災で建物はほぼ全焼状態に。1992年に完全撤去となった。
 ビジュアル的に印象の深かった4つのひれ型の塔の様式は、火災で焼失するわずか3 週間前の1989年5月1 日、フロリダ州のディズニー・ハリウッド・スタジオ・テーマパークの正面玄関に、パン・パシフィック・オーデイトリアムのほぼ実物大のレプリカとして再現された。
 跡地には現在パンパシフィック・パークが広がり、入口に建てられたレクリエーション・センターの小型タワーに、かつてエルヴィスが躍動したオーディトリアムの名残りを見ることが出来る。(右写真ストリートビュー2021年3月撮影)


ロス・ポップカルチャーのミッドナイト・クロスロード
Area No.11/Serial No.344 キャターズ・デリ/ロサンゼルス
 

 こちらのデリ(デリカテッセン)はエルヴィス映画のロケ地ではなく、エルヴィスが映画撮影で頻繁にパラマウント・ピクチャー・スタジオの出入りを繰り返していた時期に利用していたとされる老舗の24時間営業レストラン。ロサンゼルスの多くの観光サイトでは「エルヴィスをはじめとして、映画界、ロック界の著名人が~」との但し書きで必ず紹介されておる。
 当時としては珍しい24時間営業であり、またキビットルームなる名称の小さなライブハウス(デリの一部)が隣接していたこともあり、キャンターズ・デリはいわゆる芸能人が夜通し寛げるレストランの様じゃが、値段は庶民的価格であり、ドレスコードも特別に評判の高い料理もなく、深夜になるとガラの悪い客も来るという。それでいてセレブたちが集うって、これは現場に行って店の空気を確認してみないと魅力の正体は分らんな。

 50~60年代はエルヴィス、マリリン・モンロー、フランク・シナトラ、ケーリー・グラント、エリザベス・テイラー、モハメッド・アリetc、70~80年代に入るとレッド・ツェッペリン、ジョニ・ミッチェル、ヴァン・ヘイレン、プリンス、レッド・ホット・チリペッパーズ、ジョニー・ディップ、リバー・フェニックスetc、錚々たる顔ぶれが顧客リストに並んでおるが、不思議なことに彼らのデリ内の写真がほとんどネット上にアップされておらん!エルヴィスも無し。これは彼らの来店が一般客が引いた後の深夜であること、更に彼らのプライベートが何らかの形で店側から保証されていたということなのじゃろうか?
 
 唯一とも言える例外が80年代No.1ロックバンドの名をほしいままにしていたガンズン・ローゼス。彼らはキャンターズ・デリ内と裏口で撮影した写真を、1985年デビュー当時のプロモーション写真に使っておる。(左写真)
 「ハートブレイク・ホテル」のカバーを披露するなど、彼らはデビュー当時からヴィンテージ・アーティストたちへ敬意を表する珍しいバンドだっただけに、キャンターズ・デリでの撮影はエルヴィスを初めとした諸先輩ロッカーたちへの憧憬のアクションだったのじゃろう。
 
 右写真(ストリートビュー2022年12月撮影)右端の茶色の扉がキビットルームへの入口。オレンジ色の建物全体がキャンターズ・デリ。中に入ると大きな2つのデリスペースに分けられており、本格的なアメリカン伝統料理から、サラダをメインにしたヘルシーフード、また豊富なパンやスイーツも揃えられておる。創業から間もなく100年を迎えるが、一貫してロスで仕事をするタレントたちの集いの場所として君臨し続けておる。


 天下一に相応しいロケーション!ビバリーヒルズを見下ろすエルヴィス邸
Area No.12/Serial No.345 ヒルクレスト・エルヴィス邸宅/ビバリー・ヒルズ

 1967年エルヴィスはプリシラとの結婚記念に、でっかいお買い物をした!ビバリーヒルズの中腹に広がるヒルクエスト地域の5,367平方フィートの敷地一杯に建てられた豪邸じゃ!当時のお値段は40万ドルといわれ、現在のレートで換算すると約300万ドルにもなる!当時ビバリーヒルズ地域は急速に著名人や大スターたちが集まるコミュニティーに発展しておる時期にあたり、エルヴィスはそんなビバリーヒルズを見下ろすような住宅環境を選んだ。天下を取った男らしいアクションといえるかもしれない(笑)
 そういえば、この豪邸を購入する2年前にビートルズがエルヴィスを訪問しておるが、その時のエルヴィス邸はここから西へ約5キロ離れた丘陵地帯の中腹にあり、エルヴィスは街を見下ろせる環境が好きだったんじゃろうな~♪まあ平地とは違って、マスコミやファンが簡単には押し寄せにくいという抑止効果も考えていたかもしれん。

 

 エルヴィス一家が正確にはいつまでここで暮らしていたのかは詳細は分らんが、 The-Kingのボスがここを訪れた時の写真コラムがあり、その時のコメントにこう書かれておる。
「この地でリサ・マリーの成長ぶりを見守ったELVISであるが、70年頃に有名人の子供を狙った大事件が発生し、ここでは危険と判断し、より安全な場所にお引越しとなった」
 また2017年にこの家が3,000万ドルでオークションに出された際には、プリシラと離婚が成立した1973年にはエルヴィスはこの家を手放したとの但し書きがあった。


 エルヴィス去りし後しばらく、この家は忘れられた存在になっておった。久しぶりに注目を浴びたのは、21世紀初頭に980万ドルで購入しておったハードロック・カフェの共同創設者ピーター・モートン氏が取り壊しを予定していると報じられた2012年じゃ。しかしモートン氏は多くのエルヴィス・ファンから凄まじい抗議を受けたことにより計画を断念。後に1,450万ドルで売却したらしい。

上述したオークション時点(2017年)では、すぐにでも生活が出来るだけの整備は完了しておるとのことじゃったが、現在は所有者もなく、空き家同然になっており、敷地内も立ち入ることが出来なくなっていることを突き止めた動画がアップされておった。ファンとしては、エルヴィス・ハリウッド・ミュージアムにでも改造されて末永く存在してくれることを願うばかりじゃ。右写真ストリートビュー2019年3月撮影。
 ここから坂を下り、ロキシー、ウィスキーアゴーゴーといった老舗ライブハウスがあるサンセットブールバードまで約2.5キロ、車で数分ぐらい。さらにハリウッドのメインストリートのサンタモニカ・ブールバードまで徒歩でも約15分、1キロじゃ。丘の中腹に位置するとはいえ、ハリウッドや繁華街までの車でのアクセスは問題なし!


ロック史上ハリウッド・エリア3大ホテルのひとつ!美麗なエルヴィス・ショットが多数!!
Area No.13/Serial No.346 ビバリー・ウィルシャーホテル/ビバリーヒルズ


 上記ヒルクエストの豪邸からビバリーヒルズの丘を下り、ハリウッドの目抜き通りであるサンタモニカ・ブールバードを西へ3キロほど移動した場所に、1925年創業の豪華老舗ホテル「ビバリーヒルズ・ウィルシャー・ホテル」がある。エルヴィスは1957年10月28日のパン・パシフィック・オーディトリアムでのライブ(Area No.9でご案内済)の際に初めてこのホテルに宿泊したとされておる。それまでハリウッドではニッカーボッカー・ホテルを利用しておったが、より厳重なセキュリティが必要との大佐の判断により最上級までグレードアップされたこのホテルにチェックインとなったそうな。(こちらもThe-Kingのボスの写真コラムを参照して頂きたい)
 大佐がハリウッドでのエルヴィスの宿泊場所を変えた理由はもうひとつある。それはライブ・ステージ以外でエルヴィスがブルームーンボーイズと関わりを持つことを大佐は懸念しておったからじゃ。「たかがバックバンドごときが、今のギャラでは生活出来ないなどとケシカラン事を言っとる!」からだったらしい。実際ブルームーンボーイズの3人はウィルシャーではなくニッカーボッカーでの宿泊となった。
 
 

 エルヴィスにとってビバリー・ウィルシャー・ホテルは、1960年8月25日には重要な仕事場となった。それは当時アメリカでもっとも読まれておった大衆雑誌「Life」用のフォトセッションとインタビューじゃった。「Life」からカメラマンのドン・クラベンスを現場に派遣され、大佐の要望により、後々に発表予定だったゴスペル・アルバムのカバー用の写真も撮影されておる。
 大佐がクラベンス氏の腕前を気に入ったのかどうかは定かではないが、この追加要請は恐らく「Lifeのカメラマンなら何でも撮れるじゃろう。(経費削減のために)1回で2回分を撮らせておこう」ってトコだったんじゃないかと思える(笑)


 ウィルシャー・ホテルのもう一人のビッグ・ロッカーの顧客は、ジョン・レノン。1974年にオノ・ヨーコさんと一時別居状態の時に宿泊しておった。ただし、この時のジョン・レノンはヨーコさん恋しさから“失われた週末”状態に陥っており、かなり荒んだ生活を送っておったので、ホテル側にも随分と迷惑をかけたと伝えられておる。

 老舗大型ホテルの常で、ウィルシャー・ホテルも投資家グループ、大手不動産業者、他の大型ホテルとの業務提携が相次ぎ、現在はビバリーウィルシャー・フォーシーズンズホテルとして営業しておる。(右写真ストリートビュー2022年12月撮影)

 イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」のモチーフになった「ビバリー・ヒルズ・ホテル」は、サンタモニカ・ブールバードを渡って北へ約2キロ移動したサンセット・ブールバード沿い。そこからサンセット・ブールバードを東へ約5キロ行くと、ドアーズのジム・モリソンやブルース・ブラザースのジョン・べルーシ等の飲んだくれのツワモノシンガーたちがたむろっていたシャトー・マーモントがある。ウィルシャーを含めてこの3つのホテルはロック史におけるハリウッド・エリア3大ホテルなので!?ロックファンなら是非ともぜ~んぶ訪れてほしい!
 ちなみに1985年3月に、わしはこの3つのホテルを制覇した!とは言っても入口でベルボーイ(?)に懸命に頼み込んだ末に“ホテル内を見せてもらった”だけ(笑)。そん時の写真はとっくに紛失しておるのでご勘弁のほどを。


 モンローがディマジオと密会し、エルヴィスが通い、ジョン・レノンが酔っぱらったバー&グリル
Area No.14/Serial No.347 レインボウ・バー&グリル/ウェスト・ハリウッド
 Area No.12でご案内したヒルクレストのエルヴィス邸から車で坂を下ること約数分で、サンセット・ストリップ沿いにあるこのレインボウ・バー&グリルに到着する。(左写真左側)恐らくエルヴィスが利用したレストラン・バーの中で、ここがもっともヒルクレスト邸から近いと思われる。

 エルヴィスを初めてとして、ジョニー・キャッシュ、エルトン・ジョン、ジョン・レノン、キース・ムーン、レッド・ツェッペリン、モーターヘッド、ガンズン・ローゼスをはじめ、歴代の超一流のロックミュージシャンたちの溜まり場であり続けておる場所じゃ。
 1972年4月のオープン当初から異常に繁盛しておったらしく、店の歴史を調べてみると、レインボウ以前は「ヴィラノバ」(上写真右側)、マーメードクラブと名乗っており、1940年代から多くのセレブたちが通っておった。ジョー・デマジオとマリリン・モンローが出会った(もしくはお忍びデートをした)場所としても名高く、エルヴィスはヴィラノバ時代から通っておったのかもしれない。(エルヴィスの写真は無し)

 
実はもっとも悪名高かった顧客は、近くのウィルシャー・ホテル(Area No.13)に長期滞在しておったジョン・レノン。下写真(左側)は、(左から)ジョン、ハリー・ニルソン、アリス・クーパー、ミッキー・ドレンツ(元モンキーズ)であり、彼らは自らを“ハリウッド・ヴァンパイヤーズ”と名乗って飲みまくりながら、まあ結構騒動を起こしておったそうな!特にジョンの泥酔&悪戯ぶりは酷かったらしく、何度か店から叩きだされたらしい!右写真右側はレッド・ツェッペリンのメンバーたちじゃ。
 有名ロッカーたちにとって都合が良かったのは、地下のバーの奥には個室のようなスペースがあり、マスコミや一般客に知られぬように飲めるからとか!またロックンロールでもハードロックでもパンクでもヘヴィ・メタルでも、ロックなら何でもござれ!のBGMやディスプレイも大勢のロッカーたちには魅力じゃった。

 左写真はストリートビュー2021年8月撮影。下写真はThe-Kingのボスが2018年に訪れた際に撮影した店内の様子。中央の写真にモーターヘッドのフラッグと、リーダーのレミーのブロンズ(?)像が見える。レミーはレインボウに長年通い続けた一番のお得意さんじゃった。
 レインボウ・バー&グリルのお隣はロキシーシアター、またサンセットブールバードを東へ約数分歩くと、これまた超有名な老舗のライブハウス、ウイスキー・ア・ゴーゴーがある。地元のバンドのドアーズと大変関わりが深く、ビートルズやストーンズも通ったクラブじゃが、現在のところエルヴィスがウィスキー・ア・ゴーゴーに顔を出したという記録はネット上でお目にかかってはいない。



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