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【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地 第43回 コロラド州編 ・御覧になりたい番号をクリックすると、該当する解説文の先頭に画面が自動的にジャンプします。 ・Area No.はコロラド州内での番号 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。 |
Area No.1/Serial No.319 ![]() Area No.2/Serial No.320 ラディソン・ホテル/デンバー Area No.3/Serial No.321 ![]() Area No.4/Serial No.322 コロラド・マイン・カンパニー跡地/デンバー Area No.5/Serial No.323 マク二コズ・スポーツ・アリーナ跡地/デンバー Area No.6/Serial No.324 ![]() Area No.7/Serial No.325 カンプ・リンカーン・マーキュリー/イーグルウッド 【バーチャル・ロックンロールツアーのバックナンバー】 ★ 本文中の表記について ★ ![]() ←このマークをクリックすると、Google-map上の位置が表示されます。 SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト SRW=サンレコードのウェブサイト(※2023年から閲覧不可) EDD=エルヴィス・デイリー記録集「Elvis Day By Day」 EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト) |
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![]() デンバーを皮切りにスタートして4月21日まで続いたテキサス州をメインとしたツアーは、SMWによるとグランド・オール・オープリーでの共演仲間ともいうべき、フェロン・ヤングやワンダ・ジャクソンとの最後の合同ツアーになったそうじゃ。(下写真、エルヴィスの左隣りの女性がワンダ・ジャクソン) デンバーは古典的なカントリー・ミュージックの人気が高かった街であり、地元のマスコミのコンサートレビューを読むと、「エルヴィスの衝撃性は仕方ないとしても、共演者のフェロン・ヤングやワンダ・ジャクソンが、エルヴィスのお蔭で存在感が薄くなって可哀そう」といったものが多い(笑)また音楽についてはほとんど触れておらず、女の子たちの狂乱状態のレポートばかりじゃ! ![]() 「日曜日(ライブ当日)の夜の休憩時間、エルビス・プレスリーの専属ドラム・ビーター(drum-beater)と思われる男がステージに上がり、何度もアナウンスした。『エルヴィス・プレスリーを映画で見たければ、パラマウント・ピクチャーズに連絡してください』」 エルヴィス専属のドラムビーター(ドラマー?)って一体誰なんじゃろうか?既にDJフォンタナはブルームーン・ボーイズに正式参加しておったが、DJがそんなアナウンスをしたというエピソードは聞いたこともない。 またパーカー大佐はこの頃既にパラマウント映画と契約交渉中であり、1956年4月末までには正式契約となるが、そんな重要な内部事情を知っとる人物で、エルヴィスの専属ドラマーって、D.J以外にはまったく検討が付かんわい。まあパラマウントを煽り、契約交渉を優位に進めたい大佐の指示によって誰かがアナウンスした可能性はあるな。
上写真3枚は1970年11月17日、2回目のデンバー・コロシアム出演ライブ。写真は数多くネットにアップされておるが、肝心のライブ・レビューがほとんど無し。その代わりにEDDをはじめ多く私設エルヴィス・サイトの多くが、「エルヴィスは宿泊ホテルやバックステージで警備の警察官と話す機会が多く、エルヴィスは自分のバッヂコレクションを見せて云云かんぬん」といった記載がやたらとある!僅かに目にすることが出来た短いレビューでは、1957年以来のツアー中のこのライブは、例外なく素晴らしかったとされておる。 エルヴィスは更に1973年4月30日にもデンバー・コロシアムでライブを行っておる。こちらは以下のようなレビューがあり、エルヴィスはやはり絶好調だった模様。 「エルヴィスは、見た目がフレッシュで、若々しく、活気があり、女性向けの色気たっぷりで、聴衆が求めていたものを与えてくれた。ステージ上には約40人のミュージシャンが彼をサポートし、エルヴィスは我々が予想していた通り、ファンを驚かせた。彼のスーツには赤、白、青の鷲や盾などのスパンコールが付いていたため、愛国者であることを我々はあらためて知った~」 ![]() ![]() しかしMSAは2000年に閉鎖されたことに対して、デンバーコロシアムは今も存続しておる。右写真はストリートビュー2020年3月撮影。 エルヴィスの第一期に一度、第二期黄金時代に二度出演し、いずれも絶好調ライブが繰り広げられ、そして現存もしているライブ会場はそうはあるまい。是非一度訪れてみたい会場じゃ。 |
警察署にも歓待された!?エルヴィス![]()
![]() 2度目のデンバーでのライブの際(1970年)、エルヴィスはデンバー警察の警備担当者とかなり親しくなっていたことが数々の私設エルヴィス・サイトの中で明らかにされておる。映画エルヴィスの中でも描かれておったが、1970年にライブツアーが再会されて以降、パーカー大佐は過剰なまでに警備の重要性をエルヴィスに説き、エルヴィスもまた過剰なまでに身の安全に神経を使うことになった。それが警備にあたる警察官たちや警備員たちとの交流(ある時は親睦)に繋がっていった。 コロラド州デンバーでは、宿泊先のラディソン・ホテル(左上写真)で警察署長やその他担当官たちとも接見しておる数々の写真が残されておる。中にはエルヴィスが以降コロラド州をライブや休暇で訪れた際にはエルヴィス直々に名指しで私設警備役を依頼されたり、プライベートジェットの搭乗を許可されたりした者もおった。後にエルヴィスは彼らに個人的な御礼として高級車をプレゼントしたという記録も残っておる。 またバッジ収集のコレクションが趣味だったエルヴィスは、彼らとの交流を新しいバッヂ入手機会(依頼)として楽しみにしていたという説もある。 それにしても銃の入ったケースを見つめるエルヴィスの写真(上右写真)、エルヴィスの持ち物なんじゃろうか?この場で密かに何丁か譲ってもらった・・・ってことはないじゃろうけど!?ちなみにエルヴィスは後日デンバー警察から正式に「捜査官(Ditective)」の任命を受けておる!(Area No.6参照) ![]() ![]() |
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1969年11月24日、エルヴィスはプリシラ夫人と生後間もないリサ・マリーを連れて、コロラド州アスペン山へ休暇のためにやってきた。この時期はアスペン山は雪で真っ白に覆われ、スノーモービルやスキーを楽しむウインター・リゾート地として有名じゃった。 エルヴィスはメンフィスのアメリカン・サウンド・スタジオでの“伝説のメンフィス・セッション”を中断しての休暇であり、EDDによるとスタジオのオーナー兼プロデューサーのチップス・ノーマンとシングル曲「サスピシャス・マインド」の著作権を巡ってちょっとした衝突を起こしておったようで、エルヴィスも思い切った気分転換を求めて雪山にやって来たのじゃろう。 エルヴィス一家がメンフィスに戻ったのは翌年2月17日とされ、途中2月1日にリサ・マリーの誕生日もここで祝ったようで、実に二ケ月近くもアスペン山に滞在しておったのじゃ。上右写真では、黒い覆面をしておるのがエルヴィスじゃ!
エルヴィスが長期休暇を過ごしたリゾート地であること以上にこのアスペン山をエルヴィス・ファンに有名にしておるのは、ここに“エルヴィス聖廟(Elvis Shraine)”があることじゃ。これは正式に設置されたのではなく、雪山の樹木が立ち並ぶ場所に、たくさんのファンたちが思い思いにエルヴィスの写真やエルヴィス関連のプレートをたくさん張り付けてあることから“エルヴィス聖廟”の名で呼ばれておるのじゃ。 アスペン山の公式ウェブサイトには、いつ頃誰が始めたかは不明ではあるが、1970年代の初頭ではないかとしておる。恐らくエルヴィス一家がアスペン山で休暇を過ごした事がニュースで報じられ、それからファンたちが自発的に起こした行動の結果ではないかと思われる。 “エルヴィス聖廟”が広がっていく事によって、今度は他のミュージシャンや映画スターたちの聖廟も自然と増えて行き、周囲の樹木は日に日に華やかになっていったという! ![]() |
“もうひとつのエルヴィス特製サンドイッチ”が生まれたレストラン![]() ![]() デンバー警察署署長や警備担当係官と親しくなったエルヴィスは、彼らに案内されたコロラド・マイン・カンパニーという名のレストラン(左写真)で強烈なサンドイッチに出会った!エルヴィスが初めて連れて行かれた時にはレストランの正式メニューにはなかったようじゃが、当時レストランで働いていた18歳の見習いシェフのニック君が(エルヴィスの嗜好を聞いた上で?)提案して作ったサンドイッチじゃ。 それはピーナッツバターとブルーベリージャムをそれぞれ一瓶、スライスしてカリカリに揚げたベーコン450gを温めてくりぬいたパン一斤に詰め込んだサンドイッチであり、総重量は1.4キロにもなるという!その後このサンドイッチは「フールズ・ゴールド・ローフ(愚か者の黄金サンドとでも訳せばいいのか!?)の名で49.95ドルでメニューに加えられたそうな。最終的には65ドルまでプライスアップしたという。元祖エルヴィス・サンドと言われるピーナッツバターとバナナのサンドイッチよりも激高カロリーの具材陣じゃな~(笑) ![]() 特製サンドイッチを考案してくれたニック君に予めオーダーをしておいて(オーダーは22個という説あり!)、ステイプルトン国際空港(現デンバー国際空港)に午前1時40分に到着すると、リサマリー号を一旦格納庫に入れて、デリバリーをしてくれたコロラド・マイン・カンパニーのオーナー夫妻とシェフのニック君をリサ・マリー号へ招き入れ、警察署員たち、パイロットたちと一緒にシャンパンとペリエを飲みながら3時間かけて22個の特製サンドを平らげたんだそうじゃ! この時、エルヴィスは3個を完食したという説あり!また1個は一緒に連れて行ったリサ・マリーちゃんにあげたっつうけど、当時彼女はまだ7歳であり、深夜の道楽フライトに同行させたってほんまかいな!それに1.4キロの激ボリューム・サンドをリサ・マリーちゃんが食べられたのか!?その後、エルヴィスは空港から一歩も出ることなくメンフィスへ飛んで帰ったっつうから、何たる豪快な道楽! ![]() 私用で何度もデンバーを訪れておったエルヴィスはコロラド・マイン・カンパニーにも何度も顔を出しており、ある時はエルヴィスの高価なネックレスに釘付けになっていたニック君の視線に気がつき、その場でネックレスをニック君の首にかけてプレゼントしたこともあった。ニック君はそのペンダントを手術時の1回以外は一度も外したことがないという! コロラド・マイン・カンパニーは当時デンバーの歓楽街近くにあり、エルヴィスの他にもロックスターや映画スターが多数訪れる人気レストランじゃったが、当地の石油ブームが終わった1982年に閉店。ニック君はその後ゴールデンという街で「ニックズ・カフェ」を経営。(上右写真がニックズ・カフェ内での近年のニック君)店の中はエルヴィスのメモラビリアでいっぱいであり、コロラド州内のエルヴィス・インパーソネーターたちも足繁く通ったそうな。2022年3月に30余年の経営に幕が下ろされたのが残念! ![]() ![]() |
“エルヴィスは息が止まるまで、我々の生きる力になってくれるでしょう”![]()
![]() 1976年4月23日、エルヴィスにとって最後のデンバーでのライブ会場は、前年に落成したばかりのマク二コズ・スポーツ・アリーナ(下モノクロ写真)じゃった。読みづらい名前じゃが、当地のデンバー市長さんのお名前から命名されたらしい。現在のところネットにアップされておるライブ写真は上写真と右写真の3枚だけなのが残念。 地元の新聞がライブ翌日に掲載したライブ・レビューはかなり好意的!というか、かつて若くてセクシーだったヒーローが、年齢を重ねて真の実力で勝負する姿の描写としてはかなり素晴らしいとわしは思った!以下、転載しておくぞ。 「エルヴィスはだぶだぶのパンツを履いています。現実を見てください。41歳のエルヴィス・プレスリーは、一般的な中年には決して訪れない世界に近づいています。彼は全国の太りすぎの人たちにセックスシンボルの夢を与えるのに十分です。スラリと張りのある、若々しい、トラック運転手の男らしい体系は過去のものです。 しかし、彼の声は今でもしっかりと残っています。低音域は今でも、彼を王者たらしめた、力強く、官能的で、セクシーで、メロディアスで、心地よい楽器です。高音域は依然として表現力豊かでフルボディです。それは彼の歌のアクセントや動きの速いメロディーに使用されます。 ![]() 聴衆の性格のタイプは様々でした。大多数は30歳以上の層でしたが、下位層は10代で、上層部は青く洗った髪をセットしていました。エルヴィスは警備員の集団にエスコートされてステージに上がりました。彼がどちらの方向を向いても、反応は同じでした。方向感覚を失い、めまいを引き起こし、フラッシュ電球が連続的に爆発するのです。 彼は腰まで開いたベーシックな白いジャンプスーツを着ていて、ベイビーブルーのサテンのフレアスリーブが付いていました。前面はマルチカラーの布地で、ラインストーンとスパンコールがアクセントになっていました。 生きる力があっても、時間は止まってはくれない。エルヴィスはもはや「骨盤」ではありません。エルヴィスは別の世代のフランク・シナトラです。息が止まるまで、彼は生き続ける力となるでしょう。キングは中年です。キング万歳!」 ![]() ![]() |
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![]() ラマダインでエルヴィスを待っていたのは、デンバー警察署署長をはじめとした、この頃はすっかり懇意になっていた警察署担当官たち。彼らはケルライト懐中電灯やデンバー警察署長バッジなど、いくつかの誕生日プレゼントをエルヴィスに贈った。エルヴィスはバッジを手にして最高の気分に浸っておった。上中央写真のエルヴィスは本当に嬉しそう!また約20日後には、エルヴィスはデンバー警察署から捜査官任命の正式な身分証明書も受け取っておる!(右写真) この後エルヴィスは、連れの一行が全員乗車出来る大型車の手配を彼らに頼み、実際に手配されたってんだから、もうエルヴィスとデンバー警察署は昵懇の仲だったんじゃな。 ところで、如何に天下のエルヴィス・プレスリーが欲しがったとはいえ、警察署署長バッヂの部外者への贈呈や捜査官任命(及び身分証の発行)ってそんなに簡単なのじゃろうか?軍人で言えば勲章、警察官で言えば権威ある身分証明書(警察手帳)と同じ類と思われるが??? エルヴィスはこの後向かうリゾート地のベイルでバッヂを付けた上中央写真と同じ服装で夜間歩き回って、誰もエルヴィスとは気が付かなかった!というエピソードがある(笑) ![]() ![]() |
警察署長バッヂの御礼はリンカーン!![]()
リゾート地ベイルに到着してからは、エルヴィスは昼間は眠り、夜になると散歩やスノーモービルを楽しむバカンスを送っておった。やがてエルヴィスは、警察署長バッヂを贈呈されて気分がハイになり過ぎたのか、周囲も驚くような“超太っ腹”な行動にで出た! これまで親交を温め、警備に責任を持ち、感激のバースディ・プレゼントまで贈ってくれたデンバー警察署署長をはじめとする担当官たちに車をプレゼントすることを決め、彼らと一緒にデンバーのカーディーラーまで出向くことに! まずエルヴィスたちが訪れた場所が「カンプ・リンカーン・マーキュリー」だった。さっそく、デンバー警察のジェリー・ケネディ警察署長(英語表記の肩書はCaptain)、ロン・ピエトラフェソ警部、ジェラルド・スターキー医師のためにリンカーン2台とキャデラック1台を購入。また同時にバカンスに同伴していた当時のガールフレンドのリンダ・トンプソンのためにもキャデラックを、更に同行していた女性の一人にもキャデラックをポン!と購入。請求総額は70,000ドルじゃったとか。 さらに別の日に別のカーディーラーにも出向き、このバカンス中にエルヴィスは9、もしくは10台もの高級車を購入してプレゼントしておった!総額は少なくとも200,000ドル近くにはなっていたという。(上左写真はエルヴィスが購入したキャデラックの1台。上右写真は、ジェラルド・スターキー医師が贈呈され、エルヴィスの死後にオークションに出されたリンカーン) ![]() キングの驚くべき大盤振る舞いは、しっかりとマスコミにも嗅ぎつけられており、相手が警察署関係者だっただけに疑惑を呼んだことも確か。「あくまでもエルヴィスの個人的な友情の証か?」「デンバー警察はエルヴィスにタカッテいるのではないか?」とヤッカミも混じった論争が少なからず巻き起こった。 またエルヴィスの死後、デンバー警察は地域社会やデンバー地元の高官たちから監視の目を向けられることになったが結局何も起こらず何某かの沙汰もなかったという。 上写真は、デンバー警察署の中でもっともエルヴィスと親しく常に警備を担当していたジェリー・ケネディ署長(右端の人物)と贈呈されたリンカーン。 ![]() ![]() |
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