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“ヘイライド効果”でクラブ文化のトップにあった人気店![]() ![]() レイク・クリフ・クラブ、またこの両日のライブに関する詳細情報は他には無い。現在クロス湖周辺には広大なゴルフ・エリアもあり、恐らくレイク・クリフ・クラブとはゴルフ会員専用のクラブハウスみたいな施設だったのじゃろう。 下写真左側は、エルヴィス出演をアピールする新聞広告であり、当時は時たま起こる“ミスプリント”がここでも!エルヴィスの名前が「エルヴィス・プレッスリー ELVIS PRESSLEY」となっておる。また下右写真はpinterestにアップされていた1954年11月19日のライブとされる1枚。左端にスライドギタリストが写っておるが、エルヴィスのライブにいつ頃からスライ ![]() エルヴィスがルイジアナ・ヘイライドに初登場して好評を得たのは1954年10月6日であり、レイク・クリフ・クラブのライブまでに既に3回ヘイライド出演をこなしておる。シェルビーポートでのサポートメンバーの要請も難しくはなかったとは思えるものの、この写真の真偽は現在のところわしからは断定出来ないので、参考写真として御覧頂きたい。 ![]() ![]() ルイジアナ・ヘイライドが終了し、時代が1970年代に入るとシュリーブポート特有のクラブ文化は完全に廃れたようで、その頃にレイク・クリフ・クラブも廃業となったと思われる。 現在跡地周辺にはクラブハウス時代の名残のある様な建物が点在しているが、Google-map上に施設名の登録はなく、現在は一般住居の集合区画かもしれない。右写真はストリートビュー2022年8月撮影。 |
![]() ![]() ![]() 既にルイジアナ・ヘイライドの大人気スターになったエルヴィスとはいえ、ニューオーリンズ初ライブは大きな劇場ではなくて、ジーサイット・ハイスクール(左写真)という当地のカトリック系高校の講堂が演奏場所だった。 この日エルヴィスと共演したシンガーは、人気子役スターだったアン・レイ。(下写真左側、中央、右側ー左端)「バーチャル~ミシシッピー州編」のビロクシという街のライブ会場のご案内で幾度となくご紹介してきたので覚えておる方もいらっしゃるかと思うが、アン・レイはビロクシのプロモーターであり、エルヴィスを“それなりに評価していた”ヤンキー・ハルバノビッチ氏の実娘じゃ。彼女がエルヴィスをお父様に推薦したという公式なコメントは残ってはおらんが、この日の2人の共演が1955年6月と11月に行われたエルヴィスのビロクシでのライブ実現の布石になったことは間違いはないじゃろうな! アン・レイ自身は個人的なエルヴィスのファンだったことは下右写真で明らか!同年5月26日ミシシッピー州レイ・スタジアムでのエルヴィスのライブに駆け付けており、右端の“ハートブレイクホテル”作曲者であるメイ・ボーレン・アクストンとの3ショットは有名じゃ。
もう、私(程度のシンガー)なんて死んだ方がマシだと思いました! エルヴィスは腕にフリンジが付いたピンクのジャケットと、ピンクのストライプが入った黒いパンツ姿でメチャクチャ格好良かったです!でも、彼のステージは衝撃どころではなかったんです。ラジオではエルヴィスを聞いていたのでもっと年上の人だと思っていたこともありますけど、彼が歌い始めた瞬間に、ポップ・ミュージックの歴史に二度と同じことは起きないだろうと即座に悟りました。 この人なら絶対に成功すると思いました! ひっさしぶりに触れた若きエルヴィスに対する物凄いファーストインプレッション!熱狂的なファンとは一味違う、シンガーという同業者の視点から感じたエルヴィスの才能と存在の凄さが語られておる。こんなコメントに触れると、あらためてエルヴィスと同じ時代、同じエリアに自分自身も存在したかったと! ![]() ![]() なおアン・レイ嬢は、プロモーターである父親がエルヴィスをビロクシに招いたこともあり、1955年にエルヴィスと何度かデートをしたという。その後結婚のためにシンガー生活にピリオドを打ち、地元ビロクシで有名なレストラン「バーガーバーガー」を長年経営しておった。この店のウェブサイトは今でも存在し、現在はアン・レイ嬢の子孫が経営されておる模様じゃ。 |
“謎の寄進者”からキャデラックを贈られたDJの主催したビーチ・ライブ![]()
![]() 後に“謎の寄進者”からピンクのキャデラックがレッド・スミスの放送スタジオに届けられたという!寄進者が誰であろうと、アラン・フリードの「ペイ・オラ事件」の後では名を明かすわけにはいかなかったじゃろうが、「プレゼンターはエルヴィスだったのでは?」というニュアンスでSMWはこの一件を記述しておる。 上写真左側は「レッド・スミスWBOKデー」出演時のエルヴィス。右側写真は出演者全員のショット。右端がエルヴィス。前列でロカタイをしておる人物がレッド・スミスであり、その左側が出演者の中で紅一点だった(上記Area No.12で紹介した)アン・レイ嬢。 ![]() ![]() 右写真はGoogle-map空撮写真。(ストリートビューは近くまで入っておらず)赤丸部分がビーチステージが設置されていた場所。SMWには2008年撮影の、ステージのコンクリート土台が撮影された空撮写真が掲載されておったが、現在では御覧の通り土台は撤去された模様。 |
“守銭奴パーカー大佐”を物語るもっとも古いエピソード!![]() ![]() 今回はエルヴィスのデビュー間もない1955年2月18日に駆け出しライブが行われたウェストモンロー・ハイスクール・オーディトリアムへとご案内しよう。 ご多聞に漏れずこの時期のライブは情報が非常に少ないものの、ここ3~4年長く地元に住む識者たち、マニアたち(?)によって少しづつ70年近くも前のエルヴィス情報がネット上にアップされるようになっており、モンローにおいてもこの度一件発見出来た。 その情報はライブ状況ではなくて、この時期にしては珍しいパーカー大佐にまつわる詳しいオハナシだったのオモシロク読ませて頂いたのでご紹介しよう。 ![]() また企画側の担当者の供述によれば、昼夜2回のライブの収益を誤魔化されることのないよう(?)、大佐はアシスタント(多分トム・ディスキン)とともに会場入りし、お客が会場入りする際に回収された販売チケットの半券や収益金の紙幣の枚数を自らの右手で恐ろしく正確かつ素早くカウントしていたという。さらに半券の枚数と収益金の誤差を即座に指摘してきたから恐れ入ったそうな!(さすがは守銭奴!!)大佐ら2人は、ライブ中何度もお金の計算を繰り返し、ライブ自体にはまったく興味を示さなかったという(笑) さらにこの関係者は重要な供述をしておる。ライブは熱狂状態になったにもかかわらず、会場にはお土産らしき物は何も売られておらず、会場を去り難くしている多くのお客から不満が出たという。この時、カーニバルの行商人上がりだった大佐が「音楽だけではなく“グッズでがっぽり儲けることが出来る”」と初めて気が付いたのではないか!としておる。 それにしても、大佐は早くもボブ・ニールを差し置いてライブの現場を仕切っていたという事実には驚かされた!まあ現地視察という目論みもあっただろうが、エルヴィス独占契約計画の初期段階から実に抜け目ない仕事をしておった大佐って、やはりタダモノではないな! ![]() ![]() ウエスト・モンローハイスクールは現在も存続しており、オーディトリアムの外観は往年とほとんど変化がなさそうじゃ。なおスクールの敷地はかなり広大であり、Google-mapでみた場合は敷地の東南角エリアにオーディトリアムは建てられておる。右写真はストリートビュー2023年11月撮影。 |
生まれて初めて観た魅力的宇宙人は、地元の“輩”をぶん殴っていた!?![]() ![]() 場所はサウスサイド・エレメンタリースクールという当地の小学校。各エルヴィス・ライブ・スケジュール・サイトや新聞広告内(左写真左側)には会場表記は学校名のみで、オーディトリアム(講堂)やジムナジウム(体育館)という表記は付記されていない。ライブは学校内でもっとも大きい部屋(ホール)で行われたのかもしれない。バストロップには他に大き目のライブ会場は当時無かったのであろうか?左写真右側はHistoric Arerias掲載の1956年空撮写真。赤枠がエレメンタリー・スクール、青枠はアリス・カフェ。アリス・カフェに関しては後述しております。 バストロップのライブにおいても、上記モンローと同様に地元民や関係者の古い記憶、記録が近年掘り起こされており、その一部はSMWにも掲載されておる。そこにはバストロップという小さな街に、ハンクス・スノウ・ジャンボリーの一員としては現れたエルヴィスが、バストロップ史上初の女性客をヒステリックなパニックに陥れた熱狂が綴られておる! 「田舎の女の子たちにとって、エルヴィスは生まれて初めて観た魅力的な宇宙人の様だった」!! ![]() エレメンタリー・スクールでの昼夜2回のライブの出演したジャンボリー一座のメンバーは、エルヴィスをはじめとしてスクールから真北に550メートル離れた「アリス・カフェ」で食事をとっておったそうな。その時エルヴィスは地元民の一人から「なんだ、そのもみ上げは!」と因縁を付けられて、店の外でつかみ合いの大喧嘩になったらしい(笑)喧嘩の勝者はエルヴィスだったらしい! なお、エルヴィスの古い軌跡を掘り起こしておる地元サイトの数々では、「エルヴィスは“少なくとも2回”はバストロップでライブを行っている」と記載しておるが、この1955年2月24日以外に明記された日付はなく、数あるエルヴィス・ライブ・スケジュール・サイトでも2月24日のみの表記。今後、新しい情報が出てくるのか!? ![]() ![]() 右写真右側は、上述した食事中のエルヴィスが因縁を付けられたアリス・カフェの跡地。一時はゴスペル愛好家の集まり、小さな礼拝堂もあった施設だったが、現在は空き家になっておる。いずれもストリートビュー2023年12月撮影。 |
![]() ![]() ![]() 約1年前に公開された新しい情報によると、ライブ会場になったハイスクール・オーディトリアムはバトンルージュにやって来る名の通ったミュージシャンのほとんどが演奏することになる当地の名劇場であり、既にルイジアナ・ヘイライドのスターとなっていたエルヴィスの登場は歓迎ムードじゃったという。それにもかかわらず、新聞広告はまたしてもミスプリントをやらかし、エルヴィスはELVIS PRESTLEYと表記されておった(笑) エルヴィスは当時恒例のハンクス・スノウ・ミュージックジャンボリーのメンバーだったので、2022年バトンルージュ地元サイトで公開された情報ではハンクスの息子ジミー・ロジャース・スノウのインタビューも掲載されておった。ジミー君は決して聞き逃せない発言をしておるので紹介しておこう。 「映画では父はエルヴィスに批判的だったように描かれているけれど、決してそんなことはなかったはずだよ。父はエルヴィスがもっとも客ウケがいいことを分かっていて、まだエルヴィスは新人だったのに、いつもジャンボリーのトリとして出演させていたんだよ。父はミュージシャンであると同時に賢いプロモーターでもあったんだ」
また新情報の中には当時16歳で、ハイスクール・オーディトリアムにミュージックジャンボリーを観に来た少女のおもしろい証言も紹介されておる。共演者のフェロン・ヤングがファンと交流しているのを何気に見ていた彼女は、誰かに後から首にキスされたことに気付いた。振り向くとエルヴィスだったという!エルヴィスは走って逃げる素振りだけをみせて笑顔で彼女をチラチラと!「エルヴィスはとてもお茶目でした」とのこと! またビル・ブラックがやって来て、エルヴィスのギター弦の交換を始め、交換が終わるとビルは彼女にそのギターを渡して「弾いてみたら?」と!ギターにはエルヴィスの署名がされてあったこという!!ライブの熱狂状態は既に充分過ぎるほど各地の情報で読んできたので、こうした何気ないエピソードや、ファンにとってはこの上ないハプニングを知ることが出来るのはとても嬉しい!(上写真右側は、この証言の主である女性が当日エルヴィスから貰ったサイン) ![]() 右写真は、ハイスクールで企画、撮影が行われた、同オーディトリアムのステージ上で、若い俳優さんを起用して1955年5 ![]() |
![]() ![]() ![]() 「エルヴィス・プレスリーのマネージャー、ボブ・ニールは、今週の担当はテネシー州マディソンのジャンボリー・アトラクションズのトム・パーカー大佐が手配する夏と秋の多忙なスケジュールに着手する前に2週間の休暇を始めると報告した。 7月の最終週には~」 EDDでは確かに7月10日から19日まで、16日のルイジアナ・ヘイライド出演以外はライブ記録の記載はない。(休暇は2週間ではなく10日だったが) ところが、SMWでは7月15日ミシシッピー州ミンデンのドライブ・イン・シアター(左下写真2枚)でのライブ記録がある。同会場では7月22日にも「?」マーク付きでのライブ記録もある。 ![]() また残されておる新聞広告は7月14日(木)とされておるが、これも21日(木)の可能性ありと??? 要するにライブが15日か22日か未だに明確になっていないということだが、SMWはニュアンスとしては15日、22日両日開催説をおしておるようでもある・・・。わしが妙にひっかかるのは日付よりもむしろ25ドルというエルヴィスにしては激安過ぎる出演料。 そもそもドライブ・イン・シアターの出演は、シアターのオーナーがルイジアナ・ヘイライドのエルヴィスを観てライブ開催を申し込んだという経緯があり、しかもミュージック・ジャンボリーではなくてブルームーン・ボーイズ単独出演の依頼だったのじゃ。また下写真の3枚はエルヴィスがオーナーの自宅に招かれた際の撮影じゃ。そこまでエルヴィスを気に入っていて、出演料が激安とはどうも解せない・・・。
15日、22日両日説が正しいと仮定してみたら、クダラネーかもしれないがチョットおもしろい想像が出来た。休暇が発表された7月9日はルイジアナ・ヘイライドに出演したので、ブルームーンボーイズはそのままルイジアナ州で短い休暇をとり、15日はギャラの少ないスコッティとビルのためにボブ・ニールやパーカー大佐には内緒でアルバイト出演をしたのかもしれない!?その時のギャラが25ドルだったのではないか?インターネットなんて影も形もない時代なので、ミンデンというルイジアナ州の田舎街(シュリーブポートの東約50キロ)でこっそりアルバイトしていたってバレやしない時代じゃ!(笑)エルヴィスの古いライブ軌跡を追っていると妙にこっちの脳裏ひっかかる靄(もや)のかかった様な痕跡が時たま見つかるが、真実は案外“そんなところ”にあるのかもしれない!?
なお、上(↑)の2枚のライブ写真でスコッティが使用しておるギターは、伝説の名器「ギブソンL5」。一週間前の7月7日に、「ミステリー・トレイン」のレコーディング用にスコッティが495ドルで購入しており、SMWはヘイライド以外でスコッティがこのギターを初めてライブで使用した時の写真の可能性が高いとしておる!そんな記念すべきライブ会場ならば、いずれ正確な日付が解明されるべきじゃ! ![]() ![]() |
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