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ビートルズが表敬訪問したエルヴィス邸跡地 Area No.29/Serial No.356 ペルーギアウェイ525・エルヴィス邸/ロサンゼルス 1965年8月27日、全米ツアー中だったビートルズはロサンゼルスに滞在中のエルヴィスを表敬訪問したエピソードはあまりにも有名じゃな。「Elvis meets The Beatles」のタイトルで書籍も出版されておるし、たくさんのウェブサイトにも書籍から転載された内容が乱舞しておる。 わしがこの一件について多少の情報を得たのは、実はビートルズ側からじゃった。20世紀の最後に発表されたビートルズのヒストリービデオ&未発表プロジェクト「アンソロジー」の映像の中で、ポール・マッカートニーやリンゴ・スターがその時の状況や心境を語っておった。ポールは「僕らがエルヴィス邸に招き入れられた時、エルヴィスはテレビを観ながらベースを弾いていたから興奮したよ」「プリシラはバービードールみたいだった」と。リンゴは「家の中にはワケノワカンナイ連中がうようよいたよ。エルヴィスがトイレに行く時にも付いていくような連中さ(多分メンフィス・マフィアの事)」「僕は当時のエルヴィスが好きじゃなかった。ツマンナイ映画にばっかり出ていてロックンロールをやっていなかったからね」と、確かこんな供述をしておった。 またポールはエルヴィスと軽いセッションをしたと言っておったが、ジョージ・ハリスンはそんな事実は無かったとも。まあジョージって方は、ファンが無垢に信じておる伝説をあっさりと覆してしまう発言が多かったこともあり、セッションに関しては真相は闇の中!? まあこの時、エルヴィスとビートルズがどんな時間を過ごしたかは諸君もご存知じゃろうからこれ以上の詮索はスルーして、ビートルズが訪ねたエルヴィス邸の場所について再確認しておこう。 6年前にyou tubeにアップされた1960年代のエルヴィスのロサンゼルス邸宅に関する調査番組の映像によると、ペルーギアウェイという周囲がゴルフ・コースに囲まれた丘陵地帯の一画にある高級住宅街の中の一件をエルヴィスはレンタルしておった。ベルーギアウェイは、ビバリーヒルズ地域の西端から直線で2キロほどの場所であり、記録によるとエルヴィス邸は2件レンタルされており、住所はペルーギアウェイ525と565。上写真3枚、右上写真2枚は全て525の邸宅であり、ビートルズが訪れた邸宅はこの525の方だろうと説明されておる。 んがしかし、未だに「565説」も根強い事も確か。Elvis meets Beatleというロック史上最大級の出来事の場所が未だに不鮮明って何だか納得出来ないが、ロックの神様がプレゼントしてくれた「楽しき謎」として今後も新情報が出てくることを心待ちにするしかない! ペリーギアウェイ525の邸宅はエルヴィスが退去した後に、新たな住人によって家屋は完全に建て直されたらしいが、ストリートビューでは現状は確認出来る。(2022年12月撮影、右写真左側) 一方565の方は、家屋が建て直された噂は無いが、エルヴィスが住んでいた頃の写真はネット上でまったく見当たらない。またストリートビューでも入口の写真に完全にぼかしが入っており(それ以前の撮影写真無し)、現在の家屋状況すら不明であります。(上写真右側、2018年1月撮影) |
エルヴィスとプリシラの離婚裁判所 Area No.30/Serial No.363 サンタモニカ裁判所/サンタモニカ 興味本位のゴシップ記事の様で少々気が引けるが、ここは1973年10月9日エルヴィスとプリシラの離婚裁判が行われた裁判所であり(左写真)、ロサンゼルスの西端、太平洋岸まで僅か1キロの位置にある。上写真3枚は150万ドルの和解金で法律上の離婚が成立した後に法廷から退廷してきたエルヴィスとプリシラじゃ。 この写真を撮影したのは、パパラッチではなく、ロサンゼルス・タイムスのカメラマンだったジョージ・フライ氏。フライ氏はある秘密筋からエルヴィスとプリシラがサンタモニカ裁判所にいる情報を受け、急遽現場へダッシュ!離婚法廷審理後にエルヴィスとプリシラから撮影の許可を得たというから驚きじゃ。撮影したモノクロ写真は220枚にも及んだという。カメラはレンズ55ミリのローライフレックスだったという。 「彼らは離婚しても良い友達のままだった」とフライ氏は語っておるが、不健康なまでに顔や全身がむくんでおるエルヴィスの姿はちょっと痛々しいな。よくもまあ撮影許可を出したもんじゃ・・・。 サンタモニカ裁判所は現在でも同じ場所にあり、現役の裁判所として稼働中じゃ。法廷内の写真などはネット上にはないが、エルヴィスが裁判所に到着した写真がある。(下写真左側)この撮影場所の特定が難しかったが、西側の正面入口ではなく、駐車場に直結した南側の出入口だったようじゃ。(下写真中央、ストリートビュー2018年5月撮影)下写真右側はストリートビュー2022年2月撮影の西側正面入口。 |
エルヴィスが心の平静と人生の真理を求めた瞑想サロン
キング・オブ・ロックンロールゆかりの地としては、およそ似つかわしくないように思える(?)場所へと、ひとつご案内致そう。セルフ・リアライゼーションとは、直訳すると自己実現っちゅうような意味であり、西洋文明に心身ともに激しく侵されてしまった者たちが、自分自身を見つめ直し、生まれてきた本来の役割、自然との根本的な関わり方、人生の本質的な意義を見つめ直し、それを限りある生の時間の中で実現していこうとする者たちのための東洋神秘学に基づいた瞑想サロンじゃ。(と思う!?) フェローシップ湖寺院は1950年にインド人の宣教師パハラサンナ・ヨガダンナによって設立され、エルヴィスはヨガダンナの教え子であるスル・ダヤ・マタと懇意になり、1960年代後半に寺院とフェローシップ湖に足繁く通っておった。 エルヴィスに東洋神秘学やスル・ダヤ・マタを紹介したのは、映画「スピンアウト」からエルヴィスのヘアデザイナーになったラリー・ゲラーじゃ。(左写真、右端がラリー・ゲラー)当時のエルヴィスは不本意極まりない長期の映画出演契約に縛られ、また音楽活動もサントラ録音以外はまったく行えずに凄まじいストレスに苛まれておった。それでいてお金はわんさか入ってきて欲しい物は何でも手に入る。こんな状況において別世界の宗教的な教えに救いを求めるのは無理もない。丁度世の中ではインド哲学(神学)が世界的に注目を浴び始めていた時期でもあり、ビートルズのジョージ・ハリスンとほぼ同時期にエルヴィスもまた東洋神秘学にのめり込んでいったようじゃ。 フェローシップ寺院での教えがエルヴィスにいかほどの救いをもたらしたのかは、エルヴィスの口から直接語られたことはないはずじゃが、ラリー・ゲラーとエルヴィスはかなり親しくなったようで、結婚間近だったプリシラがヤキモチを焼くほどだったという。プリシラの供述によると、ラリー・ゲラーの薦めによってエルヴィスは東洋哲学の本を読み漁るようになり、就寝前まで本を手放すことなくプリシラに東洋哲学の手ほどきをするほどになったという。 もう一人、フェローシップ寺院やラリー・ゲラーを疎ましく思っていた人物がいた。パーカー大佐じゃ。「ふんっ、何が東洋哲学じゃ。こっちゃ、うなるほどのゼニをエルヴィスに与えておるんじゃ。ゼニこそが世の中の真理じゃ。エルヴィスに余計な知恵なんぞ与えるでない!」ってトコだったんじゃろうな。 パーカー大佐がラリー・ゲラーや東洋哲学に対してやらかした“嫌がらせ”があるという。それは映画「Go! Go !Go!/Easy Come, Easy Go!」(1967年公開)のワンシーン、エルヴィスがまるで東洋哲学を茶化すようにおふざけでヨガをするシーンじゃ。(わしはこの映画を観ていないので確認しておらんが)これはパーカー大佐が強引に映画の脚本に挿入させたシーンらしい。(右写真)また映画の中でエルヴィスが歌った"Yoga Is As Yoga Does "も然り。エルヴィスはそのシーンと音楽の最終的な扱われ方を観て怒り狂ったそうじゃ。 ハナシがフェローシップ湖寺院の存在意義から逸脱してまったが、エルヴィスは湖の周囲を本を手にしながら歩き回っていたという。エルヴィスとスル・ダヤ・マタとの付き合いは12年間にも及んだという。またジョージ・ハリスンやトム・ペティの葬儀も寺院で行われた。10エーカー (40,000平方メートル ) の敷地には、緑豊かな庭園、自然の丘の中腹に囲まれた大きな湧水湖、白鳥、アヒル、鯉、亀、鳥などのさまざまな動植物が生息しており、毎年何千人もの観光客が訪れているという。カリフォルニア州のエルヴィスゆかりの地巡りにちと疲れたら立ち寄ってみたい場所じゃ。左写真はGoogle-mapの航空写真)右側の白い建物が寺院じゃ。you tubeにフェローシップ湖寺院敷地内の美しい光景にエルヴィスの歌うゴスペル「イン・ザ・ガーデン」をBGMにした動画がアップされておるので御覧あれ。 |
“軽量化したエルヴィスのスペクタクル・ショー” Area No.32/Serial No.365 アナハイム・コンベンション・センター/アナハイム 「熱狂的なファンにスカーフを配ったり、バンドのメンバーと冗談を言ったりする合間で、アナハイム・コンベンション・センターに登場したエルヴィス・プレスリーは、音楽よりもスペクタクルであり続けた。しかし、何よりも印象的だったのは、スリムになった彼の光景だった。 おそらく175ポンドから180ポンドの体重で、4月にロングビーチ・アリーナでコンサートを行ったときよりも著しくスリムで、1年前のラスベガス公演のときよりもはるかに軽かった。 減量のおかげで、プレスリーはステージ上でより生き生きとしたものになっただけではない(「ポーク・サラダ・アニー」では、最近では珍しい空手キックさえあった)。しかしそれはまた、決定的に重要なことに、彼のコンサートの中心である彼の過去の祝賀に関連する要件を視覚的によりよく満たすことも可能にした」 以上、1976年11月30日ロサンゼルスのアナハイムで行われたライブにおける、ロサンゼルス・タイムのレビューじゃ。文中にある“彼の過去の祝賀”というよりも、まるで“減量に成功したエルヴィスへの賛辞”としか読めないような喜びぶりじゃ(笑)誰もがエルヴィスの肥満を残念に感じていたことの証明でもあり(笑)、上写真中央のエルヴィスのマイクの位置を直すチャーリー・ホッジ君の顔まで嬉しそうに見えてくる!減量こそ真の“キング復活”と信じておるような一種狂信的なレビューじゃな! 確かに亡くなる9ヶ月前のライブ写真とは思えないほど、エルヴィスの体調は良さそうであり、表情も穏やかじゃ。1976年のライブは体調不良から全体的にクオリティの低さが目立っておったそうじゃが、それでもファンはエルヴィスを許しておっただけに、この日のライブの好調ぶり(減量ぶり)がよほど幸せに映ったのであろう。これもまたキングならでは、じゃ! 晩年のエルヴィスが減量計画にことごとく失敗していたことは何かの文献で読んだことがある。そのうちのひとつはコーヒーゼリーばかりを食べ続けると痩せるとエルヴィスは信じ込んでいたとか信じられないエピソードもあったような!?幾つかの英字サイトには、既に新しいガール・フレンドになっていたジンジャー・オールデンが、エルヴィス(の減量?)に良い影響を与えたとも記載されておった。まあこの健康状態も長続きしなかったわけじゃが、なにはともあれ1976年の写真にしてはファンとしてはホッとするキングのお姿じゃ。 上記したロサンゼルス・タイムスのレビューは、この日のライブについてわずかに音楽に触れている部分がある。これはやはり視聴覚でライブを体験した者しか感じ得ない描写なので、最後に転載しておこう。 「プレスリーはロックやポップスに関して誰よりも説得力があり、刺激的な声を持ち続けているが、ステージやレコードで自分自身に挑戦することは滅多になかった。彼の聴衆は彼の作品に挑戦性がないことを気にしていないようだし、プレスリーのコンサートはいつも満席である。それは彼自身の才能を売り込んでいることにもなっている。ほぼすべてのパフォーマンスには、まるで自分に何ができるのかをからかい思い出させるかのようであり、それは彼の自己主張のように見える点があるのだ」 アナハイム・コンベンション・センター(ACC)は1967年にオープンし、以降定期的に増築が行われ、現在では5つの大会場と3つの大型ホテルを含む敷地全体をACCと呼ぶ場合もあり、西海岸で最大のイベントエリアになっておる。エルヴィスが1973年、1976年の二度出演した会場は、現在のアナハイム・アリーナに該当する。 1984年のロサンゼルス五輪の競技会場をはじめ、大規模なスポーツや音楽イベント、博覧会、展示会が絶えることなく開催され続けておるACCじゃ。右写真はストリートビュー2023年1月撮影。 日本のヒーローである、MLBロサンゼルス・ドジャースの大谷選手が昨年まで所属していたエンゼルスの本拠地であるエンゼルス・スタジアムはACCの真東、わずか4キロほどの位置にあるぞ。 |
丘の向こうの砂漠地帯の住人たちには、エルヴィスの来襲はクーデターだった! Area No.33/Sreial No.366 スゥイング・オーディトリアム跡地/サンバーナーディノ ロサンゼルスの中心地から真東約120キロの位置に丘陵地帯が南北に渡って広がっており、それを越えるとラスベガスのあるネバダ州方面に向かって約300キロ周囲一体は広大な砂漠地帯になっておる。その砂漠地帯とロサンゼルス地域を隔てる丘陵地帯のふもと一帯にある街がサンバーナーディノじゃ。エルヴィスは1972年11月13日、1974年5月10日、13日に当地のスゥイング・オーディトリアム(左写真)でライブを行っておる。 このスゥイング・オーディトリアムは、ナショナル・オレンジ・ショーと呼ばれる、1911年以来100年以上も開催され続けておるカリフォルニア州最大の柑橘類系販売促進イベント敷地内に1949年に建てられた収容人員数10,000の会場じゃ。この巨大な会場を柑橘類の見本市会場だけにしておくのはもったいないとばかりに、1960年代からロックコンサートが頻繁に行われるようになった。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ドアーズ、グレイトフル・デッドらビッグ・ロッカーが続々と出演。1964年のローリング・ストーンズ初の全米ツアーもスゥイング・オーディトリアムからスタートした。(結果はガラガラじゃったが) 上写真4枚(ブルーのジャンプスーツ)は1972年。下写真3枚は1974年のエルヴィスのライブショットじゃ。(下写真右側は5月12日フレズノでの撮影とも思える~下記Area No.35参照)1972年のライブは当地に初めてキングが登場するということで、老若男女様々な大観衆が押しかけ、地元のマスコミが観客の年齢層が幅広いことに驚いたというレビューが残っておる。「遠い昔にティーンエージャーだった年配のご婦人までがエルヴィスに向かって叫んでいたのには驚いた!」とか(笑)また観客へ渡すスカーフについても、エルヴィスの扱い方の上手さに感心したご様子で、「エルヴィスの観客を誘導し支配してしまうそのテクニックとパワーには驚かされた」とも!! また後年地元のマスコミは、スゥイング・オーディトリアムの当時のマネージャーにインタビューを行い、マネージャーが大佐の手腕を高く評価している供述をとっておる。大佐は普段から地元の新聞に目を通し、立地的にはロックコンサートに大観衆が集まりにくいようなサンバーナーディノの地域性を見抜いていて、既にラスベガスのロングラン・ショーを完売させているエルヴィスが当地にやって来るのは“まるでクーデターが起きたような”騒ぎになることを予測しておったという。ラスベガスという広大な砂漠地帯の彼方で起こっていたエルヴィス現象に地域民が敏感に反応している!と大佐はヨンデイタということなのじゃろう。 1974年のライブは、周辺地域の小規模なライブツアーのひとつであり、特に5月13日はツアー最終日だったこともあり、エルヴィスは殊更上機嫌でリラックスしたライブだったという。レビューの中には「ロックンロール・シンガーがこんなにもリラックスしているなんて!でもそれも後となっては貴重だ」というご意見もありました! なお、サンバーナーディノでのエルヴィスの宿泊先ホテルでのショットは結構アップされておるが、またまた肝心のホテル名の記載がない。某サイトには「ファンはエルヴィスに逢いにヒルトンに行った」と記載されておったが、サンバーディノ地域にヒルトン系ホテルはかなりの数があるので、この度は特定に至らずでご了承頂きたい。 スゥイング・オーディトリアムはロックコンサート会場として長きにわたり様々なロッカーがやって来て盛況を続けておったが、1991年にセスナ機が建物に墜落し、修復不可能という決断が下されて歴史に幕を降ろすことになった。ナショナル・オレンジ・ショーのイベント会場内の何処に建てられてあったかは不明なので、現在の様子は右写真の航空写真を参考資料として掲載しておくことにする。 |
エルヴィスの贈り物が展示されている元大統領の博物館
こちらはロサンゼルス中心地から南東に約50キロ離れたヨーバ・リンダという地域に建てられておる、アメリカ第37代大統領リチャード・ニクソンを記念した博物館&図書館。隣には大統領の生家がある。 ここをエルヴィスが訪れた経緯はないが、「バーチャル~第32回サウス・ダコタ州、ウェスト・バージニア州 + ワシントンDC編」ホテル・ワシントン(Area No.2/Serial No.252)において、エルヴィスがホワイトハウスに大統領を訪ねた一件をご案内したが、その時にエルヴィスが大統領に渡したプレゼントが展示されておる。未だに来訪者の大半がエルヴィスからのプレゼントを拝見しにくるという。 エルヴィスが大統領に贈ったプレゼントはコルト45なる拳銃じゃ、というかもう有名過ぎるオハナシじゃな、失礼!この時の模様をThe-Kingのボスが以前に写真コラムとして紹介しており、色々なエピソードを上手にまとめた楽しい内容なので、そちらも是非御覧頂きたい。今回掲載しておる写真の一部もそこから転載させてもらっておる。 下写真3枚が博物館内に展示されておる拳銃じゃ。時折ディスプレイの仕方が変更されておるようじゃな。 エルヴィスが大統領を訪ねた真意は諸説様々であるが、エルヴィスはお望み通りに大統領から麻薬捜査官のバッヂを受け取るに至り(下写真中央)、後にエルヴィスは大統領から御礼の手紙も送られておる。(下写真右側)大統領の略歴を紹介するWikipediaには、エルヴィスと会見した時の写真や短いエピソードも記載されており、大統領とエルヴィスは決して赤の他人ではなかったことが分るので、大統領の博物館にキング・オブ・ロックンロール関連のアイテムがあっても不思議ではないな。(笑) (※このバッヂと手紙は大統領博物館の展示物ではありませんのでお間違いのないように) またボスの写真コラムによると、2007年にはグレースランドからエルヴィスが大統領を訪問した時の衣装が取り寄せられ、大統領が着用していたスーツと並んで展示されるイベントも行われたそうじゃ。(左写真) この時のイベントには、エルヴィスの突然のホワイトハウス訪問にたじろぎもせずに応対し、大統領との会見を好意的にセッティングしたという元大統領補佐官のドワイト・チェイピン氏 、愛称“クロッグさんも出席した。ホワイトハウスで、一旦は危険物として預け入れを強制されたコルト45も、クロッグさんの計らいで無事に大統領に渡されたという。(上写真左側、右端の人物がクロッグさん) エルヴィスの大統領訪問の意図のひとつは、政府の危険薬物撲滅運動への協力だったといわれておるが、エルヴィスの訪問がきっかけになったかどうかは別として、ニクソン大統領は1973年5月に麻薬取締局を警察機関の中に新設しておる。 右写真はストリートビュー2022年9月撮影の博物館&図書館への入口。館内案内として非常に分かりやすい「バーチャル・ツアー」が公式ウェブサイトの中で観ることが出来るので覗いてみてほしい。ニクソン大統領の就任期間は、アメリカを中心として世界が揺れ動いた激動の時代であり、アイゼンハワーやケネディといった前任の大統領のような庶民的な人気は無かったものの、質実剛健で生真面目な政策で激務を乗り切ったニクソンの大統領としての功績がよく理解出来る内容じゃ。 ★ここまで5回にわたってご案内してきた「エルヴィスゆかりの地~カリフォルニア州編」は、ここでハリウッドやビバリーヒルズを含むロサンゼルス地域に別れを告げて、北へ約数百キロ離れたオークランドやサンフランシスコのある“ベイエリア”に向かうことにする。 |
“エルヴィスはまた戻ってきてくれるでしょうか?我々はそうなることを期待しています” Area No.35/Sreial No.368 セランド・アリーナ/フレズノ ベイエリア地域のご案内は次回「カリフォルニア州編Vol.6」で行うことにして、ロサンゼルスからベイエリアへ向かう途中にチョイト寄り道していこう。ロサンゼルスの中心地から北へ約350キロ、ベイエリアまで約250キロの内陸地にフレズノという大きな街がある。日本人には聞きなれない名前の街じゃが、ここはカリフォルニア州内陸部では有数の人口の多い場所である。 また諸君の中でアメリカ・メジャーリーグ・ベースボールに精通しておる方がいらっしゃるならば、フレズノは知っておるじゃろう。そう、1965年に日本人メジャーリーガー第1号選手になった村上正則投手(サンフランシスコ・ジャイアンツ)がメジャー昇格前の約半年間在籍したマイナーリーグ球団のフランチャイズ・エリアじゃ。 エルヴィスは、1973年4月25日、1974年5月12日にフレズノにやって来た。二度目のライブは、過日アップした「バーチャル~番外編」でエルヴィスとツェッペリンが初めて逢った日の翌日である。EDDによるとこの日当地のセランド・アリーナ(左写真)で行われたライブは午後3時からアフタヌーン・ショー1回のみで、イブニング・ショーは行われていない模様。しかしネット上では似てはいるが異なる2種類のデザインのジャンプスーツを着たエルヴィスの写真がアップされておる。(下写真3枚参照。中央の写真のみデザインとバックルが異なる) 現在ネット上では、1974年5月10、13日のサンバーナーディノのライブ(Area No.33でご案内済)と5月12日のこのフレズノでのライブの情報が写真を含めてかなりの混乱状態になっておる。サンバーナーディノとフレズノのライブ情報はその点をご了承頂き、ライブ写真は“この頃の撮影”として認識しておいて頂きたい。(多分、白いスカーフと白いバックルの時がフレズノのライブ写真であると思うが) ネット上にアップされたこの日のライブ・レビューは概ね好評じゃ。少なくとも前年のライブよりはクオリティは高かったようで、“エルヴィスのライブはタイムマシーンに乗ったような不思議な魅力がある”とされておる。対極の魅力をもったシンガーとして、ボブ・ディランやジョニー・キャッシュが引き合いに出され、彼らが社会的道徳と、労働者たちへの慈悲と悲哀を訴えることに対して、エルヴィスはかつて革命者であったにも関わらず、その後約15年間は何も起こらなかったように思えるようなパフォーマンスを見せたとされておる。控えめな表現じゃが、なかなか的を得たレビューとわしは感心してしまった!“エルヴィスの前にも後にもエルヴィスなし”ということなのじゃろう。 ライブ終了後の場内アナウンスは定番の“Elvis has left the building”ではなく、"Will Elvis come back again?"."We hope so, son, we hope so."(エルヴィスはまた戻ってきてくれるでしょうか?我々はそうなることを期待しています)であった! 1966年にオープンしたセランド・アリーナは現在でもコンサート、スポーツ・イベントの会場として稼働中じゃ。外観もエルヴィスが登場した頃とほとんど変化はないようじゃ。しかし年々各種イベントの規模が大きくなり、収容人員数10,000では小さ過ぎるようになり、Area No.32でご案内したアナハイム・コンベンション・センターに大型イベント開催の機会を奪われるているのが現状とのことじゃ。右写真はストリートビュー2023年6月撮影。 |
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