NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.436


第55回 エルヴィスゆかりの地~ネバダ州後編/ラスヴェガス③ + レイク・タホー

(上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。)

エルヴィスゆかりの地・ネバダ州のラストは、ラスヴェガスでの長期ライブショー以外のプライベートタイムにおいて関わりのあった場所や、もうひとつの定期ライブ会場だったレイク・タホーの会場へとご案内するぞ!エルヴィスは人生最後の数年間の大半をラスヴェガスで送らざるをえなかったものの、関わりのあった場所は意外と少なく、ネット上から情報をほじくり出すのに少々苦労したが、各ポイントにエルヴィスの語られざる真意が隠されているようでもあり、追悼の意を持って御覧頂けたらありがたいものじゃ!これにて、「バーチャル・ロックンロールツアー」はエルヴィスが訪れた全米45州プラス・カナダ訪問完了であります!長らくツアーに参加して下さった方々、お疲れ様!

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第55回 ネバダ州後編/ラスヴェガス③+レイク・タホー

 ・御覧になりたい番号をクリックすると、該当する解説文の先頭に画面が自動的にジャンプします。
 ・Area No.はネバダ州内での番号
  Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。

 Area No.13/Serial No.402 ラスヴェガス・“セカンドハウス”
 Area No.14/Serial No.403 ホワイト・クロス・ドラッグ跡地
 Area No.15/Serial No.404 
ランドマーク・ホテル&カジノ跡地
 Area No.16/Serial No.405 ゴールデン・ステア・ステーキハウス
 
 Area No.12/Serial No.401  【 インターナショナル・ホテル追加情報

 
 Area No.17/Serial No.406  MGMグランド・ホテル&カジノ  
 Area No.18/Serial No.407  サハラ・ホテル/レイク・タホー

 【バーチャル・ロックンロールツアー・バックナンバー】

 ★ 本文中の表記について ★

←このマークをクリックすると、Google-map上の位置が表示されます。
SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト  
SRW=サンレコードのウェブサイト(※2023年から閲覧不可) 
 EDD=エルヴィス・デイリー記録集「Elvis Day By Day」
 EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト)



インターナショナル・ホテルがヘッドライナーに用意していた別荘
Area No.13/Serial No.402 ラスヴェガス“セカンド・ハウス”
 メンフィス、ロサンゼルス、ハリウッド、ラスヴェガスetc、生前のエルヴィスは一体何軒の家に住んでおったのか?賃貸物件やスターの特権として無料宿泊物件を含めると相当な数になるようじゃ。英字サイトでは安易に“Elvis House”と表記されておる物件が確かにやたらと存在する。
 これからご案内する物件もそのひとつ。ラスヴェガスにおけるエルヴィスの宿泊先はインターナショナル・ホテル最上階のスペシャル・スイートだったことは間違いないが、こちらの物件も地元では未だに“Elvis House”と呼ばれておる。インターナショナル・ホテルの東南約5キロ、車で10分ほど走った場所にあるラスベガス・ナショナル・ゴルフ・コースに隣接した一軒家である。この物件の所有者はインターナショナル・ホテルのオーナーであり、同ホテルのショーに出演するヘッドライナーが出演期間中は無料で提供されておったらしい。

 ここに掲載した写真は全て近年撮影されたもので、エルヴィスの為に用意されていた当時とどこまで同様であるのかは不明じゃ。またこの家にエルヴィスが「宿泊した」どころか、訪れた場面を目撃した情報はネット上では一切見付けることが出来なかった。さらに、ディーン・マーチン、マリリン・モンロー(?)、バリー・マニロウ等のエルヴィス以外のヘッドライナーたちでさえ、目撃情報が無い謎の物件でもある。

 では何故地元では長らく“Elvis House”と呼ばれておるのか?1970年代当時はもっと豪華な家屋だったのか?所有者がインターナショナル・ホテルのオーナーということだけで、地元民が「エルヴィスの家だ」という都市伝説を作り上げたのか?それともエルヴィスは密かに・・・?こればかりは現地に出向いて、古くからの地元民に直接問い合わせしてみるしかなさそうじゃ。アメリカのエルヴィス・マニアの老夫婦がこの物件を訪れた動画(物件の周囲のみ)をアップしておったが、お二人で喜んでおるばかりで、真相解明の行動はまったくしておらんかったので、ちょっとガッカリ。
 近年の内部写真(下写真3枚)で見る限り、意外とシンプルで落ち着いた内装。下右写真はバスルームであり、岩石が埋め込まれた壁面には天井から滝のように水が流れ落ちる仕掛けになっておるとのこと。

 

 某不動産情報サイトによると、オーナーが何度か変わり、21世紀になると空き家状態が長らく続いたことで不法占拠者たちによって物件の内部は荒れ放題、ゴミ屋敷状態になったそうじゃ。
 現在は最新のオーナーの命により、外装、内装の工事業者が入り込んでリノベーションされておる模様。
右写真は、ストリートビュー2022年12月撮影。


お薬を待つ間にバーゲンステーキ!?
 Area No.14/Serial No.403 ホワイト・クロス・ドラッグス跡地
 ホワイト・クロス・ドラッグス(後にホワイト・クロス・マーケットに改称)とは、かつてラスヴェガスに3店舗があったスーパーマーケット。エルヴィスはラスヴェガス滞在中、ラスヴェガス・ストリップ沿いにあった店舗内の薬局に自ら処方箋を提出してたくさんのお薬を受け取っておったらしい。
 3店舗の内、エルヴィスが出入りしておったラスヴェガス・ストリップ店だけが、残念ながら当時の写真がネット上に無く、左写真左側は21世紀前後の写真じゃ。また左写真右側は、3店舗で共通して来店者に配布されていたマッチ。表示を見ると3店舗が存在しておったことが確認出来る。

 またホワイト・クロス・ドラッグスの中には、「ヴィッキーズ・ダイナー」というアメリカン・フード・レストランがあった。(上写真左側に看板あり)当時のオーナーの供述によると、処方箋を薬局に提出してお薬が用意される間、エルヴィスは「ヴィッキーズ・ダイナー」で“バーゲン用のステーキ&エッグ”を食しておったという!?
 キングが一人でスーパーマーケット内の薬局を訪れて、バーゲン用のステーキを食べていたって、何だか信じられないようなオハナシ!想像するに、薬局へ一人でやって来たというのは、必要だったお薬が取り巻きにさえバレたくない類だったのか?バーゲン用のステーキなるものは案外安物のお肉ではなく、お店の客寄せのための上質なお肉だったのか?それとも、あえてスーパーで安ステーキを食べることで自分の存在をカモフラージュしておったのか?なあ~んてショーモナイけれど愉快な思いを巡らしてしもうたわい!
  ホワイト・クロス・ドラッグス・ラスヴェガス・ストリップ店は2020年に閉店し、ヴィッキーズ・ダイナーは現在別の場所に移転しておる。新店舗店内にエルヴィスの肖像画をディスプレイするとともに(下写真中央)、エルヴィスがオーダーしていたステーキ&エッグのメニューも用意されておる。(下写真左側)

 ホワイトクロス・ドラッグス・ラスヴェガス・ストリップ店の跡地は、まだ旧店舗の建物が取り壊されることなく残されておる。(下写真右側。ストリートビュー2022年12月撮影)


 エルヴィスが50万ドルを使った薬局があったタワーホテル
 Area No.15/Serial No.404 ランドマーク・ホテル&カジノ跡地
 ランドマーク・ホテルは、インターナショナル・ホテルが完成するまではラスヴェガスでもっとも高い建物(約80メートル)だったタワーに象徴されるリゾート・ホテル&カジノじゃった。タワーの完成に巨額の費用を要し、建設の途中で何度も資金が不足して工事が中断し、未完成状態が長らく続いたタワーはラスヴェガスの中で“目障りな存在”となっておったという。ようやく完成にこぎつけた1968年から2年も経たないうちに「高度No.1の座」はインターナショナル・ホテルに奪われるという、ある意味で不運な建物でもあった。

 上記ホワイトクロス・ドラッグスとともに、エルヴィスはランドマーク・ホテル内の薬局にも処方箋持参で頻繁に訪れており、エルヴィスが受け取った錠剤保管用の容器が海外オークションに出品された形跡があった。(下写真右側)容器のシールの最後にExp Jan 1980と消費期限が表記されておる。錠剤の消費期限は大体は4~5年なので、1975~1976年にエルヴィスに提供されたと判断してよろしかろう。
 ジェフ・バーバンクなる人物の著書「ラスベガス・バビロン」(2006年出版)によると、エルヴィスはランドマークの薬局で50万ドル以上を使ったという。地元の医師に処方箋を書いてもらい、薬を受け取りに行っておった。エルヴィスがインターナショナル・ホテル内にいる時は、薬はエルヴィスのスイートまでデリバリーされておった。何故エルヴィス行きつけの薬局が2軒あったのじゃろうか?大きなお世話じゃが、恐らく1軒の薬局で提供が許可されておるお薬の分量では足りなかったんじゃろうな・・・。

 エルヴィスとランドマークとの関わりはお薬だけではなく、他のミュージシャンとの交流写真が残されておる。下写真左側は、女性カントリーシンガーとして初めてグラミー賞を受賞したドッティ・ウェスト。下写真中央は、ホワイト・ゴスペル・バンドのインペリアルズとカントリーシンガーのラリー・ガトリンとのショット。いずれも1971年2月25日の撮影じゃ。
 ちなみにこの撮影日の前日には、エルヴィスはプリシラを伴い、インターナショナル・ホテルのアン・マーグレットのショーを鑑賞しておる。(エルヴィスは生涯にわたって、アン・マーグレットのショー毎にギター型の花輪をアンに贈り続けたそうじゃ)なお、エルヴィスとアン・マーグレットが共演した映画「ビバ!ラスヴェガス」の中に、未完成状態のランドマークのタワーがちらりと登場する。
 
 

 完成まで数年以上を要し、オープン以降は展望台ディスコや世界最速エレベーター等で常に最新設備の提供を怠らなかったランドマークも、オープン前の巨額の累積負債もあって毎年のように赤字決算が続き、一時は経営陣内部で資金の巨額横領などもあり、トラブルが絶えることなく1989年に閉鎖。1995年には爆破解体された。
 現在跡地は、ショッピングセンターと駐車場になっておる。右写真ストリートビュー2022年12月撮影。


“ELVIS MEETS MUHAMMAD ALI”その1
Area No.16/Serial No.405 ゴールデン・ステア・ステーキハウス

 

 「The new Elvis film inspired me to go searching for Elvis in Las Vegas/新しいエルヴィスの映画に触発されて、ラスヴェガスのエルヴィスの足跡を辿る」と題された英字サイトの中に、“エルヴィスはラスヴェガス入りすると、いつも側近たちと一緒に行くレストランがあった”という一節がある。それがこのゴールデン・ステアなるステーキハウスじゃ。
 インターナショナル・ホテルの西1.5キロの地点、ラスヴェガスの街はずれに通じるストリート沿いにあるこのレストランは、一見何の変哲もないステーキハウスじゃが、エルヴィスが通っていたという噂が立ってから、毎日開店1時間前から店の前に行列が出来る人気店になったそうじゃ。

 このお店で食事をするエルヴィスをとらえた写真は見つからなかったが、史上最強のボクシング・ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリとの有名な2ショット(左写真)が、某サイトではゴールデン・ステアでの撮影とされておる。
 エルヴィスとアリとは確かに交流があり、この他にも何枚もの写真が撮影されておる。2人が初めて会ったのは1973年とされており、元々エルヴィス・ファンだったアリからはサイン入りの金色のボクシングをグローブを、一方エルヴィスからはデザインがジャンプスーツ仕様のリングガウンをプレゼントし合っておる。2人の交流はゴールデン・ステアからスタートしたとも言われており、ゴールデン・ステアにはエルヴィス・ブース(上写真右側)、アリ・ブース(上写真中央)もある!

 ちなみにアリがエルヴィス・ファンになったというきっかけがおもしろい!
「俺は14歳の時にエルヴィスを観て、彼の様になりたいと思った。人々に愛され、人々を楽しませ、女の子たちにモテモテ。そうなりたいと思った」
「エルヴィスが有名になった時のコメントは衝撃的だったよ。お金を稼いだら母親にピンクのキャデラック、その次は両親に家を買ってあげたいという夢を叶えたというハナシだ。それからエルヴィスの夢は当時の俺の夢そのものになったんだ。だから俺は最初にビッグなファイトマネーを手にした時に、エルヴィスと同じように母親にピンクのキャデラックを買ってあげたんだ!」

 アリが世界的に脚光を浴びたのは1960年ローマ五輪で金メダルを獲得した時じゃ。この時アリは18歳であり、己の2つの拳に夢をかけ始めた1950年代中盤はエルヴィスのデビューから第一期黄金時代に当たり、エルヴィスの夢発言はアリ少年にとって金言だったのじゃ。

 ゴールデン・ステアは現在でも存続中。古い写真が見つからず、現状との比較が出来なかったものの、文字情報によると1960~70年代当時と外装はほとんど変化がないようじゃ。右写真はストリートビュー2022年5月撮影。

 なお冒頭でご紹介した英字サイト「~ラスヴェガスのエルヴィスの足跡を辿る」では、エルヴィスの義理の弟であり、1970年当時エルヴィス・ファミリーの一員として働き、インターナショナル・ホテルの28階の部屋をあてがわれていたデヴィッド・スタンレーの次のようなコメントが載っておった。
「僕はエルヴィスと一緒にゴールデン・ステアに行ったことはないよ。エルヴィスは食事を30階のペントハウス・スイートまで運ばせていたしね。でも僕の知らない時に行ったのかもしれないし、行っていないかもしれない」
 こうした虚実ないまぜな噂が飛び交う店というのは恐らく全米で星の数ほどあるじゃろうが、エルヴィスとアリというダブル・キングが交流したかもしれないという噂は無邪気に信じておきたいものじゃ!(笑)



 “ELVIS MEETS MUHAMMAD ALI”その2
 【Area No.12/Serial No.401 インターナショナル・ホテル追加情報】
 

 上写真2枚は、1973年2月14日、ラスヴェガスのラスヴェガス・コンベンション・センターで行われた世界ヘヴィー級タイトルマッチ出場前のモハメド・アリを訪問したエルヴィス。アリが羽織っておるラインストーンと宝石がちりばめられたホワイトのローブこそ、この時エルヴィスがアリにプレゼントした代物じゃ。
 エルヴィスがアリを訪ねたこの場所の特定が遅れてしまったが、ラスベガス・ヒルトン(旧インターナショナル・ホテル)のアリ専用「アリ・スイート」であったようじゃ。
 一部のサイトでは、アリはこの日のタイトルマッチ戦の会場ではこのローブを羽織っていなかったとされておる。それは試合直後の勝利者インタビューの際にアリが羽織っておったローブが、装飾無しのシンプルな物だったからじゃろう。しかし試合開始前、リングに登場した際にはこのローブを羽織っておる別の映像を見付けたので、興味のある方はご確認頂きたい!
 アリは約1年後のタイトルマッチ戦の際にもこのローブを着てリングに登場!その時の映像では、TV放送用実況アナウンサーが「アリが着ているローブはエルヴィス・プレスリーから贈られたものです」と喋っておるそうじゃ!アリはローブのお返しとして、ゴールドグローブをエルヴィスに贈っておる。「Elvis You are the greatest」というアリからのメッセージも書き添えられおる。(右写真)アリはなかなか達筆じゃな!アリは後にこのローブをニューヨークのハードロックカフェに寄付しておる。その後、現在ではルイビルのモハメド・アリ・センターに展示されておる。
 なお、このローブを着て登場した二度目の試合(1973年3月31日:ケン・ノートン戦)でアリは判定負けを喫してヘビー級チャンピオンから陥落してしまうが、約半年後の再戦ではノートンにリベンジを果たしておる!


 ELVIS MEETS MICHEAL JACKSON
Area No.17/Serial No.406 MGMグランド・ホテル&カジノ
 
 
 ラスヴェガスという街が、元々は広大な砂漠地帯が人間の開拓力によって世界有数の歓楽街になったこと物語るような左写真は、色彩トーンといい、写真アングルといい、なかなか秀悦な1枚じゃ!ってソコではない!!
 MGMグランド・ホテル&カジノは、1973年にオープンしたラスベガスに数ある大型ホテル&カジノの中では比較的歴史が浅いものの、エルヴィスと若き日のマイケル・ジャクソンが初めて出会った場所としてアメリカン・ポップス史にその名を刻する存在になっておる。

 1974年11月20日から12月3日まで、マイケル・ジャクソンを含むジャクソン・ファイブは同ホテル&カジノでショーを開催。その期間の内の1日、エルヴィスはまだ幼いリサ・マリーちゃんを連れてショーを鑑賞しており、バックステージにも姿を見せてマイケル・ジャクソンと初めて会ったというエピソードが一般的じゃ。
 これはリサ・マリーちゃんがジャクソン・ファイブのショーを観たがったことによって実現したらしく、もちろん後に結婚することになるマイケルとリサ・マリーちゃんにとってもお互い初見の場となったのじゃ。当時マイケル16歳、リサ・マリーちゃん6歳じゃ。(※Wikipediaのリサ・マリー・ページでは「サハラ・ホテル・タホー」になっておるが???)
 左写真は、1974年秋にMGMグランド・ホテル&カジノに出演したジャクソン・ファイブとされる1枚。客席のどこかにエルヴィスとリサ・マリーちゃんがいるのかもしれない!?

 残念ながら、エルヴィスがジャクソン5のバックステージを訪れた際に写真撮影はされておらず、またジャクソン・ファイブのショウに関するエルヴィスのコメント等もネット上で一切見つからなかった。

 MGMグランド・ホテル&カジノは、その名の通り映画配給会社MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)がオーナー会社であり、1932年の大ヒット映画「グランドホテル」にちなんで名付けられたラスベガス有数の大型ホテルじゃ。このホテルもご多聞に漏れずにオーナーが何度か変わり、その都度改称され、ホテルの客室数の増設と削減が繰り返されながら現在に至る。2022年からは建物は隣接しておる「ホースシュー・ラスヴェガス」なるホテルがオーナー会社になっておる。ホース・シューとくれば、今更ながら、やはりあのリングじゃわな ! ホースシュー・ラスヴェガス自体は1950年代から存在しており、今も昔も「ホース・シュー」とはアメリカにおける富と名声の到来を象徴するラッキーワードとして伝承されておることが分かるな!
 巨大なT字型のビルは現在も健在であり、宿泊施設、科学博物館を含む複合施設「ホースシュービル」になっておる。右写真ストリートビュー2022年12月撮影。

※なお、ページトップのスライドに使用した写真は、左側が1974年当時のジャクソン・ファイブのステージ。右側が1973年2月1日リサマリーちゃん5歳のお誕生日の記念撮影写真。


  ネバダ州もうひとつの定期ライブ・ショー
Area No.18/Serial No.407 サハラ・ホテル/レイク・タホー
 

 1971年から1976年にかけて、毎年2週間前後の期間中、昼夜2回のエルヴィス定期ライブショーが開催されておったのが、カリフォルニア州とネバダ州の州境に広がるレイク・タホー(タホー湖)沿岸地域にあるホテル&カジノ「サハラ」じゃ。
 ラスヴェガスのインターナショナル・ホテルのロングランショーほどの重労働ではないが、サハラでのショーもまたパーカー大佐が安定した巨額の収入を見込んでホテル側と契約を交わした、エルヴィスにとっては“有難くはない”お勤めとなった。
 これは果たして先に長期契約をしたインターナショナル・ホテル側への一種の裏切り行為と見なされなかったのか?どうだかは 解らんが、要するに大佐は自らの“借金返済”のためにもまだまだエルヴィスを働かせたかったって事なんじゃろう。

 ショー会場となったホテル内のハイ・シエラ・シアターの収容人数は通常約1,000人じゃが、パーカー大佐は4人がけのテーブル席を8人がけにし、来場者にはエルヴィス・グッズのお土産をたんまりとプレゼントしたこともあって毎回のショーに約1,800人の観客を呼び込むことに成功!1回のショーの収益はインターナショナル・ホテルのショー以上だったという!

 当初サハラでのショーは、マスコミの注目度がラスヴェガスほどではなく、また大自然の中という環境がエルヴィスとバンドに健全な心身状態をもたらしておったとも伝えられておるが、レイク・タホーは標高約2,000メートルの高地地帯にあることで空気が薄く、ライブショーが長引くとエルヴィスもバンドメンバーも酸欠状態に陥ることになったという。TCBバンドのドラマーのロン・タッドは「ショーが進行していくにつれてエルヴィスがどんどん元気がなくなっていく時もあったから、僕はより強くドラムを叩く必要を感じた。それは結構な重労働だったよ」とサハラでのショーを振り返っておる。
 また毎年サハラに戻ってくる度にエルヴィスの健康状態は悪化していき、目に見えて肥満が顕著になっていったとも伝えられておる。ネット上で幾つかのライブレビューを読むことが出来るが、1973年のライブレビューには次のように記されておる。

「エルヴィスがステージに現れた時はギョッとした。我々の目の前にいるキングは、もうかつてのハンサムですらりとした男ではなかった。若い女性たち数十人がキングの名を叫びながらステージに押し寄せたが、彼女たちはどう見ても“サクラ”であり、それがまた他の観客をより一層シラケサセタ。しかしやはりエルヴィスはキングだった。彼はその素晴しい歌唱力でしらけムードを一掃してみせた。
 しかしエルヴィスがステージで健闘できる時間はショー毎に、また毎年少しづつ短くなっていき、1971年から76年にかけて、毎年エルヴィスがやってくることを楽しみにしていた地元のファンは、エルヴィスの心身から徐々に魂が抜けていく現場を目の当たりにすることになる」
(以上抄訳による大意)

 

 レイク・タホーは大自然の中にカジノ(ネバダ州側)をはじめとする歓楽施設が数多くあり、またキャンプ、釣り、ボート、サイクリング等の多彩なアウトドア・スポーツが楽しめることもあり、全米でも有数の大型リゾート地として今でも人気が高い。ビッグ・ミュージシャンの中にもレイク・タホ周辺に別荘を持っておる者も多い。エルヴィスは定期ライブではなくてバカンスとしてレイク・タホーを訪れていたならば、健康状態の悪化を多少は遅らせることが出来たかもしれない・・・。

 毎年の定期ライブショーの期間中、エルヴィスはサハラ・ホテルの最上階(1423号室)に宿泊しておった。サハラ・ホテルは現在「ハードロック・ホテル&カジノ・レイク・タホー」と改称されており、エルヴィスの宿泊した1423号室は「エルヴィス・スイート」としてに一泊2,000ドルという価格で一般客に提供されておる。「エルヴィス・スイート」は写真サイトにてその内部が公表されておるので、是非御覧頂きたい!(下写真はその一部)恐らくエルヴィスが宿泊した当時の内装からは一新されており、ケバケバシイ装飾は一切なく、エルヴィスの写真、レコード、レコードカバー、50年代風ジュークボックス等がシンプルにディスプレイされておる。なおGoogle-mapやストリートビューでは、現在のところ2019年時点での前身ホテルであるゴールデン・ナゲット・レイク・タホーの情報が掲載されておる。



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