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エルヴィスも愛した、セレブご用達の離島リゾート Area No.8/Serial No.383 ココ・パルムス・リゾート跡地 「ハワイ州前、後編」において、唯一オワフ島(州都ホノルルのある島)以外の島、カウアイ島へご案内しよう。カウアイ島はオワフ島の西端から約120キロの位置にあり、島の面積はオワフ島とほぼ同じじゃが、こちらはオワフ島ほど開発されてはおらん。ここに一度だけエルヴィス映画のロケ地に使用されたポイントがある!映画「ブルーハワイ」に登場する大型南国リゾート・ホテル、ココ・パルムス・リゾートじゃ。広大な敷地内にはヤシの木が程よく生い茂り、宿泊施設の他に大きな池や教会もあり、「ブルーハワイ」のロケのハイライトを担った場所といっても差支えのない美しいリゾートじゃ。エルヴィスはココ・パーム・リゾートが大層お気に召した様で、1968年にはプリシラとまだ幼かったリサマリーを伴ってプライベート休暇を過ごしにやって来たほどじゃ。 上写真左側は1960年代当時のリゾート内。 上写真右側は「ブルーハワイ」撮影シーン。下写真左側は「ブルーハワイ」撮影中の休憩時間のエルヴィス。 下写真中央、右側は、1968年にプリシラと訪れた時の撮影。 「ココ・パルムス・リゾート」はカウアイ島東側ワイルア・ビーチ沿いに南北約370メートル、東西約170メートルにわたって広がる古代ハワイ王族の土地に1953年に建てられた。オープンして間もなく、リタ・ヘイワース主演映画「ミス・セイディ・トンプソン」のロケ地に使用されてからハリウッドで注目されるようになったという。映画界、音楽界に携わるセレブたちを魅了する独特の南国情緒に溢れ、古代ハワイ文化に基づいた結婚式(「ブルーハワイ」の中にも登場)や聖火採火式、また著名人によるヤシの木の植樹式を催すなど、観光客向けへのアピールのアイディアが素晴らしかったようじゃ!そしてPRの決定打が「ブルーハワイ」の撮影だったわけじゃ。オープン当初はロッジ風の客室はわずか24だったが、知名度の上昇とともに増築が続き、1960年代には客室数は100を越えておったらしい。 ハワイ諸島の本島オワフ島を差し置いて!?栄華を極めておったココ・パルムス・リゾートだったが、1992年に有史以来ハワイを襲った最も強力なハリケーン、ハリケーン・イニキの暴風雨をまともに受けて壊滅状態となり、以降は修復されることもなく朽ちるに任せた状態が続いておった。それでも現地観光業者が、廃墟と化したリゾート地の中を巡る「エルヴィス・ツアー」を企画して観光客を案内しておったというから驚いてしまう!しかし、それもコロナ禍によって中断、廃止になった様じゃ。 廃墟と化した後も、複雑な利権問題が絡みながらも再建を目論む土地の買収とその妨害が相次ぎ、Wikipediaでその経緯を読んでみたが、かなりの混乱状態になっておる。一説によると、2025~26年頃にリゾート施設の再建が予定されておるとか!? 下写真左側はストリートビュー2016年1月撮影。下写真右側は空撮写真。赤枠内がリゾートの敷地。目の前がワイルア・ビーチ。
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エルヴィスが60年代の理想的ヤング・アメリカンを演じたヨットハーバー Area No.9/Serial No.384 アラワイ・ヨットハーバー こちらは「ガールズ!ガールズ!ガールズ!」のメイン・ロケ地のひとつ。エルヴィスの役柄は若くてカッコ良くて正義感溢れるマグロ釣りの漁師さんじゃったが、「あんな垢ぬけた色白の漁師がいるわけがない!」なんて揶揄われた映画でもありましたな~。 この映画、ダイジェスト版じゃがこの度久しぶりに観たら結構オモシロカッタ!なんと言いますか、逞しく正義感に溢れて女性に優しいという、60s時代に理想的とされたアメリカン・ヤング像をエルヴィスが一生懸命に演じようとしている姿がミョーに眩しいのじゃ!60sもいい時代だったんじゃな~とほのぼのするわい。 アラワイ・ヨットハーバーは特筆すべき類のハーバーではなさそうなので、エルヴィスと共演した二人のヒロインさんについて触れておこう。まず二人の対照的なキャラ、存在感がとてもいい。明朗快活なローレル・グッドウィン(上写真左側、左端)と、マリリン・モンロー系のセクシーレディのステラ・スティーブンス。(上写真左側中央、上写真中央)撮影中も2人は対照的な存在だったという。 ローレル嬢はエルヴィスととても気が合ったようで、演技の息もピッタリ。左写真は撮影の休憩中に撮られた写真。エルヴィスの後方にローレル嬢が写っていて、二人の息が合っていた様子が伝わってくる1枚じゃ。 一方ステラ嬢は、「私、エルヴィスに嫌われてました」と暴露しております!「脚本から撮影進行まで、何から何までエルヴィス主体だったのね。しかも私は主役ってオファーだったのに実際はエルヴィスにフラレル役(笑)ロケ中は不満たらたらだったわ」みたいなことを言っておる。不貞腐れ気味のステラ嬢をエルヴィスは撮影中に一度一喝したらしい。 また某ブログでは、当時エルヴィスは酒をほとんど嗜まなかったので、いつもラム酒を飲んでいるステラ嬢が気に入らなかったようだ」と!エルヴィスは酒やタバコをやる女性は好みではないことは有名なハナシじゃが、本当だったんじゃな! ステラ嬢は元プレイメイト(プレイボーイ紙のカバーガール)であり、出身はミシシッピー州ヤズーシティ!(デルタブルース生誕の地)幼少期にメンフィスに引っ越してきたので、最初はエルヴィスと話が合っていたという供述もある。後年彼女は「エルヴィスはまだ俳優ではなかったけれど、彼は素晴らしい俳優になったわ。皆んな、それを認めないだけよ。彼は最後までまわりにイエスマンしかいなくて可哀想な亡くなり方だったけれど、彼はキングだったから仕方がないわね」といったコメントを残しておる。 なおこの度のネット調査で初めて知ったが、「ガールズ!ガールズ!ガールズ!」とは“女の子だらけ”みたいないかにも軽薄なイメージのタイトルじゃが、同じ単語を3つ並べることで「皆の息がピッタリ合ってハッピー」というニュアンスの造語らしい。まあエルヴィスとステラ嬢とはそりが合わなかったようじゃがな! アラワイ・ヨットハーバーは現在アラワイ・ボートハーバーの名でGoogle-mapに登録されており、今もたくさんのヨットの停泊地であることは変わりはない。ストリートビューで見る限り、ハーバー周辺の海も汚染されてはおらずに綺麗じゃ。ローレル嬢やステラ嬢のようなとびっきりステキな女性の背景として今でも通用する景色が広がっておる。右写真ストリートビュー2019年6撮影。 |
総勢200人近くの現地の乙女たちが、エルヴィスにキスを贈った処! Area No.10/Serial No.385 ポリネシアン・カルチャー・センター 「パラダイス・ハワイアン・スタイル」は、映像の背景、現地人の服装や踊りからポリネシアの多彩な文化が楽しめるために、エルヴィス抜きにしてもこの映画は見応えがあるとの評判が高い。その様々な仕掛けのほとんどはポリネシア・カルチャー・センター一ヵ所でまかなわれていたのじゃ。エルヴィスの親しい友人ジェリー・シリングが、映画に登場する学生であり、センターのダンサーの一人だった将来の妻サンディ・カヴェロと出会った場所でもあったとか。 左上写真は撮影の合間にレコードジャケット?にサインをするエルヴィス。右端の人物は映画の監督だったマイケル・ムーアと思われる。マイケル・ムーア監督は、ポネシア・カルチャー・センターでの2つのシークエンスの撮影の最後に、出演者たちをマオリの集会所に集結させて、さまざまなポリネシア文化の踊りを披露させ、主演のエルヴィスに別れを告げさせる印象的なシーンを用意しておる。 ムーア監督は回顧録の中でその時の様子を「25人のマオリの乙女たちがエルヴィスに鼻を擦りつけ、また他の島々から来た150人の少女たちがエルヴィスを抱きしめ、別れのキスをした 」と描写している。(左写真)エルヴィスは口元や襟元が口紅だらけになったそうじゃ! ポリネシアン・カルチャー・センターは現在も営業中であり、映画のセットで使用された滝、川、建物のほとんどは現存しておる。エルヴィスが衣装替えのために使用していた家屋も健在であるという。 また2005年に当地を訪れたファンのブログでは、近い将来「エルヴィス博物館」が新設されるとの情報が掲載されておるが、実現されたのかどうかはネット上では確認出来なかった。下写真左側は2016年に新設された「ウクレレ体験ワークショップ」館内にディスプレイされ たエルヴィスの写真じゃが、ここがエルヴィス博物館かどうかは?専用サイトには、エルヴィスが「ブルーハワイ」でウクレレの魅力を知らしめたという件を読むことが出来る。 ポリネシア・カルチャー・センター内は、ストリートビューの撮影が各所に入り込んでおるので、敷地内の様子をかなり確認出来る。映画シーンの写真と参照しながらストリートビューでネット散策をするのも楽しいかもしれない! 下写真右側は、敷地内の中央にあるガイド・センターから見た、映画の撮影に使われた滝の場所。ストリートビュー2011年6月撮影。 |
映画「ハワイアン・パラダイス」のファンが執念でロケ地を特定していた! Area No.11/Serial No.386 クアロア・リージョナル・パーク 既存の様々な私設ウェブサイトを参考にさせて頂いておる「バーチャル~」のネット調査において、この度またひとつ強いエルヴィス愛、現地調査の執念を感じさせる他者様の投稿記事を見付けた。映画「ハワイアン・パラダイス・スタイル」の中で、エルヴィスがビーチでヤシの木に寄りかかり、少女がエルヴィスの膝枕でお休みになっておるシーンの正確なロケ地を探り当てたという記事であり、投稿者は写真から女性のようじゃ。(左写真左側は投稿者、右側映画のシーン) この写真のポイントは、背景にひょっこりと浮かび上がる小さな島、チャイナマンズ・ハット島。オワフ島北東部の沖合500メートルの海上に浮かぶ小さな島じゃ。映画では「ポリネシア・カルチャー・センター」の色とりどりのポリネシア文化の描写に目を奪われっぱなしじゃが、別のピンポイント的なこシーンに注目してロケ地に興味を持つのは、ある意味で女性ファンならでは!彼女の投稿記事には正確な場所までは記載されていなかったが、この情熱と執念に敬意を表して転載させて頂きます! ストリートビューで確認すると、この撮影アングルでチャイナマンズ・ハットが写り込む場所は、クアロア・リージョナル・パークと呼ばれるビーチ・キャンプ場じゃろう。しかしビーチにはたくさんのヤシの木が立っており、撮影場所をピンポイントで特定するのはストリートビューだけでは不可能じゃ。 投稿者はパークに沿った道路を何度も車で往復し、さらにロケ地の可能性がある位置のヤシの木の高さを1本1本計り、背景のチャイナマンズ・ハットとのバランスもチャックしながら、「このヤシの木である!」と確信して記念撮影(上写真左側)をしておる。こうしたファンの熱い行動力に触れると、「お気楽極楽ミュージカル映画ばかり」と十把ひとからげに評されてしまっておるエルヴィス映画を丹念に観直してみようという気分に駆られるわい! 右写真は、ストリートビュー2011年8月撮影のチャイナマンズ・ハットが臨める位置のクアロナ・リージョン・パークの区域の一画。この周囲にもたくさんのヤシの木が立っておる。パーク内にストリートビューが入り込んでおるので、興味のある方は映画の写真を参照しながらロケ地を探してみてはいかが? |
世界13億人が観た、キング・オブ・ロックンロール・ショウ Area No.12/Serial No.387 ホノルル・インターナショナル・センター ご存知、エルヴィスのライブ史上でもっと有名であり、“キング”の称号に相応しい大規模で革新的な企画で開催されたライブ「アロハ・フロム・ハワイ」の会場、それがホノルル・インターナショナル・センターじゃ。(右写真) 開催日は1973年1月14日。通常は報道番組だけに使われていた人工衛星を使い、アジアとオセアニア諸国に同時生中継された。発表当時のエルヴィス側からのプロモートでは、世界同時生中継とぶち上げられたが、実際はヨーロッパでは遅れて放送され、アメリカでは当時映画館で上映されていた第7回スーパーボウルと映画「エルヴィス・オン・ツアー」との番組編成の衝突を避けるため、 NBCによって約三ヶ月後の4月4日に90分間の“テレビ・スペシャル版”として放送された。 ロックコンサートを衛星生中継で開催するという奇想天外なアイディアは、1972年2月に当時のアメリカ大統領ニクソンが中国を訪問した際の衛星放送を観たパーカー大佐が「大統領が出来るならば、エルヴィスも出来る」とひらめき、「海外のファンにライブを見せたい」というエルヴィスの希望を“ある程度”叶えるための代替え案だったとも言われておるな。 オランダからの不法移民だった大佐はパスポートを所持していなかったのでアメリカ国外に出られなかったためにエルヴィスの海外ツアーの希望を強引に遮断していたという説が強く、この点に関してはエルヴィス・ファンからの非難の的となっておる。 しかしライブと衛星放送の準備に約150万ドルという巨額の費用が使われたこの前代未聞のビッグスケールのアイディアを実現してみせたのも紛れもなくパーカー大佐であり、「アロハ・フロム・ハワイ」は、神の手と悪魔の手が表裏一体な大佐の空前絶後のプロモート力、マネージメント力の結晶でもある。 日本での放送時間は1973年1月14日、日本テレビにて午後7時から2時間「エルヴィス・プレスリー・ショー」のタイトル放送された。フランキー堺さんと松岡きつこさんの司会による番組じゃったらしいが、わしは残念ながら「エルヴィス・プレスリー・ショー」を観ておらん。当時日本はオイルショック真っ只中の時代であり、「夜はエネルギー節減のために早く帰宅するべし」との国からのお達しもあり、夜の街から灯が一斉に消えてしまっていた頃じゃ。わしは当時何をやっておったのかが思い出せんわい・・・。(下写真左側、放送当日の日本の新聞広告) 「アロハ・フロム・ハワイ」のに関する情報はあまりにも多過ぎて、また諸君も既にご存知のはずなので、この度何をどう諸君にお伝えしてええのか取捨選択に困った。そこで、アメリカの放送局NBCがパーカー大佐に推薦したと言われておる映像監督のマーティー・パセッタ氏の当時を語るインタビューが結構おもしろいのでかいつまんでご紹介しておこう。上写真中央は放送当日、会場の撮影クルー。上写真右側は、ライブ終了後のエルヴィスとパセッタ監督(右端の人物)。 インタビューの概要を簡単に言ってば、パセッタ監督は「どうせ天下のエルヴィス・プレスリー。何をどう撮ったって所詮素晴しいと言われて終わってしまうから、その仕事に当初はあまり興味が無かった。1972年のエルヴィスのライブを観ても特に感じるものもなかった」という。 有り体言えば、当時の“出来上がってしまっていた”エルヴィスは、監督にとって創作意欲が湧いてくるシンガーではなかったということじゃ。実際にエルヴィスと話をした際、監督は自分の意見を正直にエルヴィスに伝えると、エルヴィスの方が監督に“くらいついてきた”という!“カラスは白でございます”な連中ばかりなエルヴィスにとって忌憚なく意見をぶつけてくる人物をエルヴィスが望んでいたことが分かるな!実際に「今の君は太り過ぎて映像映えしないから、ダイエットが必要だ」と監督が伝えると、エルヴィスはライブ当日まで11キロも減量してきたんだそうじゃ! 「衛星放送用のステージが終わった後、エルヴィスは満足そうだった。でも観客が会場から出た後、アメリカでの放送用にあと数曲歌わなければならない、と気を抜いた様子はなかった。エルヴィスは本当のプロフェッショナルだった。それから我々は彼が亡くなるまで良い友人同士だったよ」 ホノルル・インターナショナル・センターは、後に会場の建設監督を担当したホノルル市長の名から、「ニール・S・ブライズデル・センター」と改称されて現在に至る。(右写真右側、ストリートビュー2019年6月撮影)2007年には、「アロハ・フロム・ハワイ」の開催を記念して、エルヴィスの銅像が正面入口に設置された。(右写真左側) ニール S. ブレイズデル センターとは、コンサートホールの他に、多目的アリーナ展示ホール、ガレリア、大型会議室等を有する複合施設の総称でもある。更にワイキキ・シャルという野外コンサート会場も有しており、ここはデビュー間もない頃のエルヴィスが出演したメンフィスのオーバトン・パーク・シェルにそっくり! |
トム・ジョーンズとの交流記録も残る、もうひとつのキングのお宿 Area No.13/Serial No.388 イリカイ・ホテル ハワイ・オワフ島でのエルヴィスの宿泊ホテルはハワイアン・ビレッジ・ホテル(ヒルトン)一択と思いきや、時々近くのイリカイ・ホテルも使われおった。 イリカイ・ホテル宿泊時の写真は僅かにネットにアップされておったが、左写真は音楽ファン注目の1枚じゃろう。ギターを弾いておるエルヴィスの右隣りは、当時人気急上昇中のトム・ジョーンズじゃ。投稿者によると1969年5月撮影とのこと。 余談じゃが、トム・ジョーンズの知名度が日本でもっとも高かったのは1970年代中期と記憶しておる。当時の日本の音楽雑誌のインタビューで、エルヴィスに対する意識についてトムは「友達だよ。ライバルとして意識したことなんてない」と語っておったが、そんな遠い記憶が蘇ってきた写真じゃ。 EDDで調べてみると、1969年5月4日、映画「チェンジ・オブ・ハビット」撮影終了後の休暇をとっていたエルヴィスは、プリシラ&リサ・マリー、チャーリー・ホッジを含む側近者たちとロサンゼルスから飛び立ってハワイへ。5月18日にロスに戻るまでの最初と最後の週はイリカイ・ホテルに宿泊したとされておる。 一方トム・ジョーンズのライブ履歴を辿ったところ、1968年5月13、14両日に同ホテルでライブを行っておる。両日のどちらかにエルヴィスとトム・ジョーンズはホテル内で会って写真のようなひとときを過ごしたのであろう。 イリカイ・ホテル(右写真左側)はハワイアン・ビレッジ・ホテルのような創意工夫に溢れたエンタテイメント性のあるホテルではなかったようじゃが、エルヴィスは最上階にあるレストラン「トップ・オブ・ザ・アイ」(右写真右側)からの眺めが好きで、そこでよく食事をしておったという。このレストランは現在では「Sarenta」と改称されて営業中じゃ。 下写真3枚は、1968年および1969年のイリカイ・ホテル内のエルヴィスとされておる。右側は「Lanai Ba」なるバー&レストランでの撮影。 いかなる理由によってエルヴィスはイリカイ・ホテルとハワイアン・ビレッジ・ホテルを近い分けていたのか。案外エルヴィスのスケジュールとハワイアン・ビレッジのスイートの空き状況が一致したなかったに過ぎなかった、ただそれだけかもしれんが、機会をみて調べてみてもおもしろそうじゃな!(笑) |
エルヴィス生涯最後のハワイアン・ホリディ Area No.14/Serial No.389 ラニカイ・ビーチ・レンタルハウス ハワイ州編のラストは、エルヴィスが生涯最後のハワイでの休暇を過ごした場所へとご案内しよう。1977年月3月4日、EDDによればエルヴィスは、最後のガールフレンドとなったジンジャー・オールデンと彼女の妹、主治医のニック博士、その他合計13人の取り巻きと一緒にヒルトン・ホテル・レインボウ・タワーにチェックインした。 しかしプライベートな時間を確保出来そうもなかったため、一行は急遽ホテルから17キロ離れたオアフ島の東に広がるラニカイ・ビーチにある、プライベート・ビーチ付きのレンタルハウスへと移動した。(上写真)家屋の目の前にビーチが広がり、ワイキキとは対照的な静かなビーチをエルヴィスはとても気に入り、庭でフットボールに興じたり、ビーチでのんびりするなど、約10日間をこのレンタルハウスで過ごした。完全なプライベートタイムを楽しんでいるエルヴィスは、かなり太ってしまっておるものの、表情は穏やかでとても幸せそうじゃな。 このプライベート・ビーチ・ハウスに関しても、Area No.11でエルヴィス映画のロケ地を探し当てた熱心なファンが場所を突き止めており、また正確な住所は地元の不動産情報に記載されてあった! エルヴィス一行がレンタルしてからしばらくは別の観光客の利用が続いておったが、2010年頃から不法占拠者(エルヴィス・ファン?)が現れてしまったため、家屋は取り壊されてしまったそうじゃ。それから現在に至るまで敷地は更地のままになっておるのが残念じゃ。ストリートビューでチェックすると、ビーチ側から敷地内に入れないような柵が立てられておる。右写真はGoogle-mapの空撮写真。赤枠内がエルヴィスがレンタルしたビーチハウスの敷地じゃ。 エルヴィスがこのハウスで過ごした期間内の写真の中で、プールが写っておるものがある。家屋があった頃の写真を見てもプール付きではないのが疑問じゃったが、これは北側に隣接していたハウスのプールを一行が借用していたとのことじゃ。右写真最上部に写る水色の部分が借用したプールじゃろうな。エルヴィスはメンフィスに戻った後、この休暇に10万ドルを使ったが、親しい友たちとの時間は何にも代え難かったと話しておったそうな。 なお、エルヴィスの死後長い間沈黙を守っていたジンジャー嬢は、2014年になって「ELVIS AND GINGER: Elvis Presley's Fiancée and Last Love Finally Tells Her Story 」を出版。その出版記念とも言うべきインタビューの中で、“エルヴィスの取り巻き連中には酷い者もいて、エルヴィスの中傷を言葉巧みに私に吹き込もうとしていた。彼らのせいで私は人間不信に陥った”と語っておる。最後のハワイ休暇には、彼女のいう“酷い者”は参加していなかったと信じたい! |
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