NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.443


第62回 エルヴィスゆかりの地~フロリダ州2024年後編+バハマ・ナッソー

(上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。)

1950年代よりエルヴィスの巨大な名声獲得に大いに貢献してきたフロリダ州。今回は70年代の絶好調ライブが行われた会場等に加えてバハマのナッソーにまでご案内致す!バハマはフロリダ半島の南端から東へ約330キロ離れたカリブ海に浮かぶ当時はイギリス領の島国であり、エルヴィスが生涯唯一の“海外バカンス”を過ごした場所でもある。トロピカル・カクテルでも嗜みながら南国情緒に浸ってごゆるりと!

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第61回 フロリダ州2024年後編
+バハマ・ナッソー
 ・御覧になりたい番号をクリックすると、該当する解説文の先頭に画面が自動的にジャンプします。
 ・Area No.は2022年度編からのフロリダ州内の番号、
  Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。
 
 【フロリダ州】
 Area No.30/Serial No.447 ポート・パラダイス・ホテル跡地/クリスタルリバー
 Area No.31/Serial No.448  マイアミ・ビーチ・コンベンションセンター/マイアミ
 Area No.32/Serial No.449  ベテランズ・メモリアル・コロシアム跡地
                          /ジャクソンビル

 Area No.33/Serial No.450 ヒルトン・ホテル/ジャクソンビル
 Area No.34/Serial No.451 シビック・センター/レイクランド
 【バハマ/ナッソー】
 Area No.35/Serial No.452  パラダイス・アイランド・ホテル 

 【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

★右下地図をクリックすると拡大表示されます。(クリック↓)

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SMW=
 スコッティ・ムーアのウェブサイト
SRW=
 サンレコードのウェブサイト
 (※2023年から閲覧不可)
EDD=「Elvis Day By Day」
 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・
 コンサート(ウェブサイト)


映画「夢の渚」撮影期間中の滞在ホテル
 Area No.30/Serial No.447 ポート・パラダイス・ホテル跡地/クリスタルリバー

 わしの弟子(幽体離脱した存在)である「チョイ頑固まめ鉄」君が担当した「バーチャル~フロリダ州2022年編アウトテイク集」にて、映画「夢の渚/Follow That Dream」のロケ地をご案内した際、クリスタルリバーという湾岸地域での撮影の際は「ポート・パラダイス・ホテル」が“撮影部隊の本部”として使用されていたとご紹介した。
 但し2022年時点の調査段階ではあくまでもこのホテルは撮影本部であり、滞在先だった否かは判明していなかったが、この度複数のサイトにおいてエルヴィス、キャスト、撮影クルーたちが宿泊していたという記述を発見したので、エルヴィスゆかりの地として「バーチャル~」に正式に加えることにした!

 上写真左は1956年撮影のポート・パラダイス・ホテル。上写真中央はエルヴィスと共演女優のアン・ハラムで、上写真右とともにホテルの敷地内でのショットじゃ。アン・ハラムさんは結構気難しく“出不精”な性分だったので、撮影期間中にエルヴィスは随分と彼女に気を使っていたらしい。しかし写真を見るととてもリラックスしているご様子であり、多分エルヴィスとの相性は悪くはなかったと思われる!
 
 ポート・パラダイス・ホテル自体の情報は、詳しそうなウェブサイトがあったものの現在閲覧不可であり、サイトに掲載されているらしき写真のサムネイルが画像検索ページで見られるだけ。結局詳細はほとんど分からずじまい。上写真から想像すると、撮影部隊全員が宿泊出来ただけのそこそこの規模はあったものの、それほど高級ホテルではなさそうじゃな。メキシコ湾から内陸に複雑に切れ込んだ入り江の畔というロケーションが美しかったために撮影期間の休憩所としては最適だった模様じゃ。

 映画の撮影期間中にパーカー大佐はマスコミを呼びつけた上で何度か地元民とエルヴィスとの交流会を催し、ポート・パラダイス・ホテルはその会場として使用されておった。大佐はちゃっかり“ホテル・プロモーション料”をホテル側から徴収しておったらしい。「よしよし、これで全員の宿泊代とチャラじゃな」とかほくそ笑んでおったんじゃろう!

 ポート・パラダイス・ホテルがいつ頃まで営業しておったかは不明。現在跡地にはポート・アンド・マリーナというモーテル然とした1つ星ホテルが建てられておる。
 Google-mapのレビューをチェックしてみると、1つ星ホテルの割には宿泊者たちの評判は悪くはない。やはりロケーションがモノを言っているのじゃろう。右写真ストリートビュー2018年8月撮影。



 “He Still Ain't Nuthin But A Hound Dog !”
Area No.31/Serial No.448 マイアミ・ビーチ・コンベンションセンター/マイアミ
 エルヴィスの1970年代初頭の絶好調で健康的なステージアクションを象徴しておるようなショットが残されておる、1970年9月12日のライブ会場がマイアミ・ビーチ・コンベンション・センター(左写真)。ライブ・ステージに完全に復活した1969年は痩せすぎで(それはそれでカッコイイが)少々病的なエルヴィスだったが、この頃は心身の具合がかなり良かったに違いない。

 同年9月からスタートした全米ツアーはアリゾナのフェニックス、セントルイス、デトロイトと続き、この日のマイアミは四ヵ所目。9月7日には、エルヴィスは同年のラスベガス・ヒルトン・ホテルのロングラン・ステージの歴代最多観客動員数を記録し、ヒルトン・ホテルから記念のゴールドベルトを授与されてその功績を讃えられておる。(下写真下段右側)その記録は以降エルヴィス自らが更新していき、皮肉なことに夭折の遠因となるが、当時のエルヴィスにはゴールドベルトによる表彰は有難かったじゃろう。生真面目なエルヴィスはラスヴェガス公演のスタートに際して、自らのアイディアで構成した“エルヴィス・オーケストラ”を起用したこともあり、当初は不安だらけだったそうじゃが、そんなプレッシャーから解放された時期であったのじゃ!

 
 ライブ翌日の新聞レビュー(一部)は以下の通り。1956年のライブに引けを取らないといった最高の賛辞で埋め尽くされておる。

 エルヴィスはギターを爆発させ、腰を打ちつけ、35歳であると主張した。「私は赤ん坊の頃から、こんなことをやっていたんだ。トム・ジョーンズが習ったばかりのことをやってるんだ」と言う。
 「ブルー スエード シューズ」、「ドント ビー クルーエル」、「オール ショック アップ」など、1950 年代のエルヴィスの大ヒット曲を次々と披露すると、ファンは足を踏み鳴らし、手をたたき、耳をつんざくような金切り声を上げた。

 エルヴィスは、「ハートブレイク・ホテル」が何百万枚も売れた14年前よりも引き締まったように見える!エルヴィスにお金を捧げるファンはさまざまだが、ここで妊婦は「たとえ自分が熱狂しているときに赤ちゃんが来ても(生まれそうになっても?)、私はそのままエルヴィスのライブを体験しただろう」と主張した。また盲目の少年が警官に連行されたものの、彼はエルヴィスの声を聞けただけで大喜びしているようだった。
 素晴らしいミュージシャンと最高のバックグラウンド歌唱に支えられていたエルヴィス。彼の周囲への支配力は、1956年と同じくらい強固である。

エルヴィスは今でも“ハウンドドッグ”であり続けている!(He Still Ain't Nuthin But A Hound Dog !)


マイアミ・ビーチ・コンベンション・センターは1958年にオープンし、2015年から2018年にかけて6億2,000 万ドルをかけて改装されて現在でも稼働中。右写真ストリートビュー2018年8月撮影。
 音楽のジャンルに関係なく、多彩なビッグアーティストたちの出演が今も続いておる。1960年から1971年にはミスUSA、ミス・ユニバースのコンテストが開催されていた歴史を持つ会場である。
 なお、オープン当時から隣接しながら集客を競い合っていた「マイアミ・ミュニシパル・オーディトリアム」も現在でも稼働中。こちらは「ザ・フィルモア・マイアミ・ビーチ」と改称されておる。“フィルモア”とは1970年代初めまで、サンフランシスコとニューヨークにあった、ロック史に残る名プロモータだったビルビル・グレアム所有の劇場の名称じゃ。


 ハートブレイク・ホテル生誕の地へ16年ぶりの凱旋!
Area No.32/Serial No.449 ベテランズ・メモリアル・コロシアム跡地/ジャクソンビル
 1972年4月12日、「ハートブレイク・ホテル」の生まれ故郷であり(前回のフロリダ州2024年前編Area No.19参照)、1955~56年には7回もライブが行われたジャクソンビルにエルヴィスは16年ぶりに戻ってきた!
 会場となったベテランズ・メモリアル・コロシアム(左側)は、1960年にオープンした“フロリダ北部でもっとも歴史のある大型イベント会場”と知られた存在であり、当地で行われた屋内スポーツのほとんどのゲームの会場となった。
 
 エルヴィスが午後2時半スタートのライブで身につけていた、全身にちりばめられたラインストーンが特徴のジャンプスーツは知名度が高いが、上写真左側はマディソン・スクエア・ガーデンのライブ盤ジャケットに使用されたショットと同一じゃ。MSGライブ盤はジャケ写はこの日のライブ・ショットが使用されたんじゃ。
 
 ライブ・レビュー(一部)は下記の通り。かなり難しいアメリカ人的表現が多かったので、結構意訳してますのでご了承下さい。。

 エルヴィス・プレスリーは「2001年宇宙の旅」の音楽によって登場したが、その音楽はまさに未知の2001年への入り口に我々を誘うように鳴り響いた。
 エルヴィスはきらきら光る姿をしていた。彼の脂のないもじゃもじゃの髪の切れ端が、白、銀、石がちりばめられたケープ付きジャンプスーツの襟をかすめた。10分の1秒が経過するごとに、1000台のカメラのシャッター音がファイヤーフライ・アクトル(カメラ・フラッシュ)を伴って会場全体に瞬き続けた。

 エルヴィスの歌声は健康的な深みが増して昔の質を繰り返していた。「All Shook Up」「Teddy Bear」「Don't Be Cruel」「Haertbreak Hotel」「Hound Dog」など。新しい曲「CC Rider」「Proud Maryt」「Polk Salada Annie」では、オーケストレーションが顕著に変化した。エルヴィスは自分の基本を堅持しているが、決して時代遅れになることはなかった。
 「Bridge Over Troubled Water」と「Suspicious Minds」はハイライトだった。彼の極めてフィジカルな表現はどの曲にも息づいており、オーディエンスの熱狂的な反応は収まることがなかった!

 この日のライブ・プロダクションの最も注目すべき点は、コロシアムで最高のものであろう複雑でダイナミックななサウンドシステムを造り上げていたことでもある。

 素晴らしい体験のお土産を持ち帰りたい人のために、この日も会場では数量限定のポスター、アルバム、I Love Elvis ボタンなどが販売されていた。カメラを持っていなかった人は少数派だろう。過去にエルヴィスのライブを撮影した人は、その時にシャッターボタンを押したので、踊り歌ったエルヴィス・プレスリーの思い出を残すことが出来たが、この日のエルヴィスは以前よりも素晴らしかった。


 ジャクソンビル・コロシアムでは音楽イベントは1970年前後から盛んに開催されるようになり、続々とビッグ・ロッカーたちが登場しておった。初期のサザン・ロックの雄、オールマン・ブラザーズ・バンドとレイナード・スキナードはともにジャクソンビル出身バンドであり、オールマンは70年、レイナードは75年にコロシアムに出演しておる。

 上記ライブ・レビューでは当時のコロシアムの音響が素晴しかったことに触れておるが、ウィキペディアによると1990年代から最新の音響機材のシステムやパワーにコロシアムの建築構造が耐えられなくなり、ビッグロッカーたちからはコロシアムでのライブ開催が承諾されなくなってきたという。時代の流れに対応できなくなった末、2003年に取り壊しとなった。

コロシアムの跡地は「ベテランズ・メモリアル・ウォール」という記念碑が設置された広場になっておる。(右写真ストリートビュー2015年9月撮影)
  なお“コロシアム”に代わる新しい会場ベテランズ・メモリアル・“アリーナ”は旧会場跡地の西側約500メートルに2003年に建てられた。またエルヴィスが1955~6年に6度もライブを行ったジャクソンビル・ベースボール・パークはコロシアムから東へ僅か150メートルの位置にあった。(現在はTIAAバンクフィールド)


フロリダ州ジャクソンビルの定宿
 Area No.33/Serial No.450 ヒルトン・ホテル/ジャクソンビル
 70年代のエルヴィスは1972年4月、1975年3月、1976年9月、1977年5月の4回ジャクソンビルでライブを行っており、その都度宿泊していたのがヒルトン・ホテルじゃ。
 フロリダ州の北東端、ジョージア州に近いジャクソンビルは、街のほぼ中央をセント・ジョーンズ川が蛇行しながら貫いていて、そのまま大西洋に流れ込んでいる。、河口から約30キロ内陸に入った河川敷地域サウスバンクにヒルトンは建てられておる。
 上写真左側は1970年代のヒルトン周辺の航空写真。(赤丸部分がヒルトン)。右側写真は1997年当時の、かつてエルヴィスが泊まった1010号室“エルヴィス・スイート”。エルヴィスはジャクソンビルのヒルトンを好んだ理由として、部屋のバルコニーからセント・ジョーンズ川の向こうにある、1956年にライブを行ったフロリダシアターの看板が見える風景を挙げておったという。

 エルヴィスが亡くなる1977年までは1010号室はエルヴィス専用ルームであり、エルヴィス以外は誰も宿泊することが出来なかった。エルヴィス使用当時、この部屋には大きな真鍮のベッド、遮光カーテン、シャンデリア、赤、金、黒の豪華なアクセサリーでやや派手に装飾されておったらしい。また1977年5月、最後にエルヴィスが宿泊した時は、ホテル側はフラミンゴの赤、島の緑、フロリダの金色を基調とした、陽気でトロピカルな雰囲気に装飾し直したという。

 ヒルトン・ホテルは1992年に一度閉業。1996年に新しいオーナーの元で営業が再開され、エルヴィス・スイートも再装飾し直され、内装は白っぽい青磁色、淡いエクリュ色(やや黄色味がかった白)、淡い珊瑚色に塗分けられ、ダークカラーの家具は古典的なコロニアル・スタイル。壁には額に入った50年代のゴールドレコードが飾られ、受話器を取るとエルヴィスの歌声が聞こえる電話、骨盤が揺れるエルヴィスのランプ(?)やエルヴィス時計、そして玄関にはDon't Step on My Blue Suede Shoesと記された床マットがあったという!
 これらの以前のお部屋の装飾を物語る写真は残念ながらネット上では発見出来なかった。下写真3枚は3年前にアメリカのエルヴィス・マニアがアップしたエルヴィス・スイートの動画の静止画。随分とシンプルと言うか、完全にビジネスホテル風になっちゃってました!
(右写真をクリックすると、該当動画を見られます。→)


 右写真はストリートビュー2022年2月撮影。現在の名称はダブルツリー・ヒルトン。建物最上階右端にエルヴィス・スイートがある。建物の裏側が、エルヴィスが部屋のバルコニーから眺めるのが好きだったセント・ジョーンズ川を挟んだジャクソンビルの光景が広がっておる。
 ダブルツリー・ヒルトンに改称された後の2015年、経営方針の刷新から外装も館内もリノベーションがほどこされ、今やエルヴィスが宿泊していた痕跡はどこにも残っていないらしい。


19年ぶりのキングの帰還ライブや如何に!?
Area No.34/Serial No.451 シビック・センター・アリーナ/レイクランド

 1975年4月27日、エルヴィスは約19年ぶりにフロリダ州レイクランドに帰ってきた。会場は前年にオープンしたばかりのシビック・センター・アリーナ(左写真)。27、28日各2回づつのライブはいずれも満員御礼状態。「キングを観るのは初めてだけど、遅過ぎたということはありません!」という84歳のおばあちゃんファンも含めて、レイクランドの市民はエルヴィスの帰還を心から歓迎したと伝えられておる。

 現在ネット上において、当時の新聞レビューを幾つか読むことが出来るが、賛否両論、というか、19年前の若きロックンロール・キングとのギャップに戸惑ってしまったようじゃ。

「歌は以前よりも上手になったエルヴィスだが、数年前までの炎や気品がなくなってしまった」

「コンサート・プログラムは、汗だくになって心を込めて熱唱しているエルヴィスの写真20枚が掲載されている。白か赤のタイトなジャンプスーツ姿だ。それを観た後に期待してしまうライブと実際のライブには大きな隔たりがあった」

「バックボーカル隊もサポートミュージシャンたちも素晴しいけれど、ロックンロール・ショーというよりバラエティ・ショーのようだ」

「体調不良が伝えられているエルヴィスには医者が同行しているという。体調が戻ったらもっと素晴しいライブになるだろう」

「もっとも素晴しかった点は、真新しい会場の素晴しい音響構造のお蔭もあり、エルヴィス・オーケストラは素晴しい演奏に聞こえた」

「ハウンドドッグに叫んだ女性たちは40歳のエルヴィスではなく、20歳のエルヴィスに向かって叫んだのだ。そんな聴衆を満足させられるほどの骨盤の動きは無かった。そう、キングはもう40歳なのだ」

「レイクランドのライブを体験した者たちにとって重要な事は、ショーの良し悪しではなく、キングを生で観たということだ」


等々、なんとかキングのご帰還を祝福しようとする苦心のレポートの様に読めてしまい、どうもしっくりこない!?
 個人的には、お太りになってからのキングのジャンプスーツ姿はどうもいただけなかったので、この日のネイビースーツはとてもステキに見える。カントリーシンガーの若き重鎮のようじゃ。このファッション路線でいってもよかったのでは?なおエルヴィスは翌年もレイクランドでもう一度ライブを行っておるが、その時はジャンプスーツで登場しておる。

 この会場は、エルヴィス以降に数多くのビッグミュージシャンのライブが行われたが、地元ではバスケットボール、アイスホッケー、サッカー、フットボールとプロスポーツの多目的スポーツイベント会場として名高い。RPファンディング・センターと改称されて現在も稼働中。左写真ストリートビュー2022年10月撮影。


 唯一のアメリカ国外バカンス、エルヴィス・イン・ナッソー!
 Area No.35/Serial No.452 パラダイス・アイランド・ホテル/バハマ・ナッソー
 43年の生涯のうち、エルヴィスは軍役時代以外に、2度アメリカ国外に行っておる。一度目はカナダ。二度目は1969年9月20日から一週間バハマの首都ナッソーへバカンスに出かけておる。バハマは当時イギリス領土だったので、エルヴィスは軍を退役してから久しぶりにパスポートを利用したことになった。
 エルヴィスの所持していたパスポートの写真は今まで公開されたことは無かった?と思われるので、シャレでネットにアップされていた「パスポート仕様のエルヴィス・メモラビリア」の写真をまずどうぞ(右写真)旅好きのわしなんか、現物を見付けたらついつい買ってしまいそうな品じゃ(笑)

 このバハマ行きに関しては、当初エルヴィスはヨーロッパ諸国へバカンスに出かけるつもりだったが、「まだヨーロッパ・ツアーもやってないのに、先に遊びに行ってしまったら大勢のファンに対して申し訳ないじゃろうが!」というパーカー大佐の“横槍”によって断念し、代わりに行き先がバハマになったというエピソードは有名じゃな。

 バハマは、アンドロス島、プロビデンス島を含む約700の島々と2.400の岩礁からなるサンゴ礁の群島国であり、首都ナッソーは最大の島アンドロス島の10%程度の面積のプロビデンス島の方にある。
 エルヴィス、プリシラを含むエルヴィス一行が宿泊したバハマのホテルは「パラダイス・アイランド・ホテル&ヴィラ」。1968年にオープンしたピッカピカのニュー・ホテルじゃった。(左写真)このホテルはプロビデンス島の東側に浮かぶ小さなパラダイス島の中に建てられておる。

 運悪くエルヴィスがナッソーに滞在中の日々はハリケーンに見舞われてしまい、エルヴィスはほとんどホテル内で過ごす羽目になったが、それでも僅かな好天の日にはホテル前に広がるビーチで過ごしていた。一部の写真がネット上では撮影地がハワイになっておるようじゃが、これらの写真はナッソーでの撮影で間違いないようじゃ(下写真)
 
 
 ホテルに缶詰状態を余儀なくされていたエルヴィスじゃが、夜はバーに出演していたアイリッシュ・バンドWitnessesと交流したりして過ごしておった。
 Witnessesのメンバーの供述によると、ホテル内のカジノでギャンブルに興じるエルヴィスを見付けたので声をかけ、そこからエルヴィスとバンドとのささやかな交流が始まったという。エルヴィスとバンドは一緒に写ってはおるが、エルヴィスが歌うことは無かったらしい。

 下写真上段3枚は、エルヴィスがホテル前のビーチを散歩中に、超!幸運にもビーチに居合わせたファンとのショット。また下段写真3枚は、ストリートビュー2019年1月撮影によるビーチと航空写真。
 上段左側と中央写真は、下段左側写真。上段右側写真は下段中央写真に該当する撮影場所。ほぼ同じ位置での撮影であり、背景が逆。下段右側航空写真の赤丸部分が上段3枚の撮影場所と思われる。
   パラダイス・アイランド・ホテル・アンド・ヴィラは、後に巨大なホテル・グループ「アトランティス」に吸収されて、「ハーバーサイド・アトランティス」として営業を続けておったが、2024年の最新情報によると既にホテルは閉鎖されており、建物も取り壊される予定じゃ。
 ホテルが取り壊されてしまうと、エルヴィスとナッソーとの関わりが肉眼で確認出来なくなって寂しい限り・・・ではあるが、ナッソーと言えば我々にとっては“ナッソー・ジャケット”!The-Kingが創業以来依然として拘り続けておるファッションのネーミングの由来の場所じゃ。ホテルは無くなっても“ナッソー”は、ナッソージャケットがある限り我々の心の中で生き続けるというものじゃ。いつの日か、必ずナッソージャケットを羽織って、このエルヴィスゆかりの跡地を訪ねてみたいものじゃ!



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