NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.442


第61回 エルヴィスゆかりの地~フロリダ州2024年中編

(上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。)

2022年編から数えて5回目のフロリダ州への案内になるぞ!フロリダ州とエルヴィスとの相性は当初から非常に良く、客席がガラガラだったとか、プロモーターとトラブったとか、トンデモナイ田舎町でライブをやらされたとか、その類の記録はほとんど見つからないので、調査も気分良くスイスイと!今回は後世に残る素晴らしいステージショットが撮影されたライブ会場や、料理が美味しくて同じメニューを二度もオーダーしたというレストラン、更にはエルヴィスが未成年と間違われてビールを飲めなかったライブ地など、フロリダ州でのエルヴィスの公私にわたるファンには楽しい記録が残っておる場所へとご案内いたす!

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第61回 フロリダ州2024年中編

 ・御覧になりたい番号をクリックすると、該当する解説文の先頭に画面が自動的にジャンプします。
 ・Area No.は2022年度編からのフロリダ州内の番号、
  Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。

 Area No.24/Serial No.441 パルムス・シアター跡地/ウェスト・パルム・ビーチ
 Area No.25/Serial No.442 フロリダ・シアター/サラソータ
 
Area No.26/Serial No.443 ワッフル・ショップ/サラソータ
 
 Area No.27/Serial No.444
  ポーク・シアター/レイクランド
 Area No.28/Serial No.445  フロリダ・シアター跡地/セント・ピータースバーグ
 Area No.29/Serial No.446  ルーズベルト・ホテル/ジャクソンビル 

 
 【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

★右下地図をクリックすると拡大表示されます。(↓)

★ 本文中の表記について ★

←このマークをクリックすると、Google-map上の位置が表示されます。

SMW=
 スコッティ・ムーアのウェブサイト
SRW=
 サンレコードのウェブサイト
 (※2023年から閲覧不可)
EDD=「Elvis Day By Day」
 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・
 コンサート(ウェブサイト)


まさに夜明け“直前”!エルヴィスはビールを売ってもらえなかった!?
Area No.24/Serial No.441 パームス・シアター跡地/ウェスト・パルム・ビーチ
 
 1955年の二度のフロリダ州ツアーが大好評だったエルヴィスは、翌1956年最初のフロリダ・ツアーの2日目、2月20日にウエストパーム・ビーチのパームズ・シアターという映画館(左写真)で1日4回ステージに立った!14:00、17:00、19:00、21:00と、まるで映画の上映スケジュールの様じゃ。パームズ・シアターの収容人員数が1,500人だったのでやむを得ないか!?当時のシアター利用客の証言によると、エルヴィスに限らず出演者が1日4ステージをこなすことは珍しくなかったそうじゃ。

  1日4ステージという重労働はさて置き、1956年2月20日という日付、これは「ハートブレイク・ホテル」がビルボード・ヒットチャートのホット100の中に68位で初めてランクインする2日前である。“エルヴィスの時代”がもう目の前まで迫っていた時に、エルヴィスは思いも寄らぬ災難に(?)見舞われておる。
 ステージの合間の休憩時間に気分転換のためにふらりとシアターを出たエルヴィスは、シアターから徒歩数分の位置にあったデュード・ドッジス・マリン・バーという酒場に入ってビールを注文した。ところがバーテンダーはエルヴィスの顔を知らず、また未成年と思ったようでオーダーを拒否したという!(笑)
 バーへ移動中のエルヴィスと路上で逢い、“ビールはどこで飲めますか?”と聞かれてバーまで案内したジェームス・ポンセという人物は、バーテンダーに「彼はエルヴィス・プレスリーですよ」と伝えても、バーテンダーは「誰だろうと関係ない。身分証明書を見せろ」と冷たく言い放ったそうじゃ。エルヴィスは“自分はまだ有名じゃないんだ”と悟ったのか、やたらと意気消沈してしまったという。

 ポンセ氏は当地のペンシルベニア・ホテルのデスクマネージャーであり、また当地の歴史研究家でもあった。(エルヴィスはペンシルベニア・ホテルに宿泊していたかもしれないが、その件に関してはネット資料に記述は無し)後にボブ・キーリングという作家からインタビューを受けてこの一件を語り、それはキーリング氏の著書「Elvis Ignited: The Rise of an Icon in Florida 」(左写真)の中で披露されるに至った!
 また同書の中でキーリング氏は、パームズ・シアターのライブはエルヴィスの歌声がまったく聞こえないほど集まった女の子たちの熱狂ぶりが凄かったにも拘らず、地元のマスコミはエルヴィスを無視して翌日の新聞にも紹介されなかったと記しておる。
 「Elvis Ignited~」は2017年に発表され、いわば“少年エルヴィス・フロリダ奮闘記”のような内容であり、Amazonでのレビュー評価がとても高い。是非読んでみたいものじゃ!

 パームズ・シアターがいつ頃まで存在していたかは不明じゃが、“通りの向かいにあったフロリダ・シアターと競い合うように何十年も営業していた”という記述が、フロリダのオールド・シネマシアター・サイトに記述されておる。現在跡地は駐車場になっておる。右写真はストリートビュー2023年3月撮影。
 なお、エルヴィスのオーダーを突っぱねた大馬鹿モンのバーテンダーがいたバーの所在地も判明したが、こちらは周囲が完全に再開発済みであったのであえて掲載は致さなかったゾ!



後の真の「カムバック・スペシャル」推進派の一人も観ていたライブ
Area No.25/Serial No.442 フロリダ・シアター/サラソータ
 1956年2月21日、エルヴィス一行は前日の大西洋岸ウェスト・パルム・ビーチ(上記Area No.24)からフロリダ半島をほぼ真西に約280キロ横断してメキシコ湾岸のサラソータという街にやって来た。車で約3時間の移動であり、前日に引き続きこの日も1日4回のライブというハードスケジュールじゃ!
 会場となったフロリダ・シアター(左写真左側)の広告表記(左写真右側)によると、4回のライブそれぞれの開演時間は午後2:15、4:30、7:35、9:45.。ウエスト・パルム・ビーチのパルムス・シアターと同じく、こちらも元来映画館なので収容人員数は約1,500人程度だったので、前日同様の重労働となったわけじゃ。
 
 ジーン・フォックスというポップス界ではバックボーカリストとしてビッグ・アーティストとの共演を続けてきた女性シンガーが、この日のライブを体験しており、思い出を語ったインタビューがネットにアップされておる。
 彼女は夕方の3回目のライブをステージから二列目のシートで鑑賞。客入りは満員ではなかったが、TV放送「ドーシー・ショウ」で観たよりも遥かに迫力のあるエルヴィスのステージに圧倒されたという。ライブの後、彼女は一目散にバックステージへ行きエルヴィスと約10分間話した。またサインをもらってからエルヴィスとコーラを分け合ったそうな!
 
 また後に「カムバック・スペシャル68」をエルヴィスと共同プロデュースすることになるボーン・ハウもこの日のライブにやって来ておったという。この方、映画「エルヴィス」でのカムバック・スペシャル関連のシーンでもキャスティングされておった。この企画を大佐の目論みとは別に真のエルヴィス・カムバック企画として推進していくには不可欠だった人物じゃ。右上写真はカムバックスペシャルのプレス発表会(1968年)におけるエルヴィスとボーン・ハウ(左から2人目、眼鏡をかけた人物)
 映画ではこの当時のエルヴィスを支えた人物たちを、大佐は「ハリウッドのヒッピー連中」と蔑んでおったが、ボーン・ハウはなかなかどうしてインテリジェンスのある風貌じゃ!

 サラソータのフロリダ・シアターは1973年に一度閉鎖となり、数年間は廃墟になっておった。1979 年に「サラソータ ・オペラ ・カンパニー」がこの建物を15 万ドルで購入し、1982 年までの3年間を改築に要して見事に劇場として復活させた。以降は「オペラ・ハウス」の名称となって現在でも稼働中。左写真ストリートビュー2023年5月撮影。



エルヴィスが2日連続で同じオーダーをしたダイナーは今も健在!
Area No.26/Serial No.443 ワッフル・ショップ/サラソータ

 サラソータでのライブ当日の1956年2月21日と翌日、ダウンタウンにあるダイナー、ワッフル・ショップにエルヴィスとブルームーン・ボーイズが食事にやって来た。その時に対応したお店のマダムの話を聞いた現女性オーナー(左写真)のインタビューが地元サイトにアップされておった!またこのエピソードはピーター・グラルニック著「メンフィスへの最終列車」に記載されとることも別サイトで紹介されておった。

 ピンクのコンバーチブル・キャデラックでスコッティとビルとともにやって来たエルヴィスは、車の扉を開けずに“飛び越えて”お店に入ってきたという。そしてトースト2枚、卵3個、ベーコン3枚、フライドポテト、ミルク3杯をオーダーし、そのお味がとても気に入ったらしく、同じ日にもう一度食事にやって来て同じオーダーをしたという。エルヴィスは50セントのチップを置いていったらしく、この額は当時のダイナーではかなりの高額だったとのことじゃ。(当時のダイナーのチップ相場が10セントだったらしい)

 エルヴィスはお店のマダムに「あなたは脚がとても綺麗ですね。スカートはもっと短い方がいいですよ。あなたは笑顔もとてもステキです」とほめちぎったという。マダムは「なんて己惚れの強い子なんだろう」と驚いたものの(笑)、エルヴィスは終始礼儀正しい作法をとっていたらしい!なおマダムはエルヴィスというタレントにはあまり興味がなかったらしく(知らなかった?)、せっかく書いて貰ったサインも捨ててしまったらしい。約一ヶ月後に「ハートブレイク・ホテル」がラジオで炸裂して、エルヴィスがキングの座に近づいていくにつれて、マダムは自分の愚行を後悔したそうな!

ワッフル・ショップは近年になってワッフル・ストップと改称して営業を続けており、所在地をGoogle-mapおよびストリートビューで確認したところ、間違いなく営業中ではあったが、ストリートビュー2023年5月撮影(右写真)から判断すると、外装はリノベーション中の様子じゃ。一瞬廃業?とも勘繰ったが、Google-mapにWaffule Stopの名でマーキングはされておるし、Facebookも機能しておるので、今もなお営業中であることを間違いない。


 エルヴィス絶頂期の芸術的ライブ・アクションはココだ!
 Area No.27/Serial No.444 ポーク・シアター/レイクランド

 ロック史上最大のスターであり、キング・オブ・ロックンロールのエルヴィスはまた超絶的に“絵になる”男!エルヴィスを捉えた“名ショット”は数あれど特別に印象深い絶頂期のライブショットがコレ!ステージの袖ギリまで歩み出て、ファンと触れ合わんばかりに前のめりになっているアクションは芸術的じゃ!(上写真左側)このショットが撮影されたライブが、1956年8月6日レイクランドのポーク・シアターじゃ。(左写真)
 この出来過ぎた1枚があまりにも有名なだけに(?)、他に秀悦なライブ・ショットはネットでは発見出来んかった!(しかも、下写真左側1枚のみ)それでもバックステージでファンと触れ合っておるショットが幾つかあるので御覧あれ。
 なお会場名の“ポーク”とは豚(pork)ではありませんぞ。綴りはPolkじゃ(笑)第11代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・ノックス・ポークにちなんで名づけられたとのこと。エルヴィスの有名曲「ポーク・サラダ・アニー」のポークもpolkであり、豚ではありません!この曲のpolkは、南部料理に使われる食用の雑草アメリカヤマゴボウとか。ニラみたいな精力効果が強いらしく、アニーちゃんとはそれをバリバリ食べている様なおっかない女の子の事みたいって、ハナシがずれてきたんで、これぐらいで(笑)


 この日のライブに前後して、地元のレジャー紙の女性記者エヴァリー・ドナルドソンはエルヴィスに関して7週間記事を書き続けるという任務を請け負っておった。一流大学でジャーナリズムの博士号を取得している生真面目な彼女もエルヴィスにやられてしまったようじゃ。

 この若者が立ち止まってロックンロールを歌うことは不可能だ。彼は、この曲は動きなしで歌うべきではないと紹介し、彼の小刻みな動きはすべて、彼が感じている自然な感情を強調しているだけだと主張している。

 ほとんどが若者であるファンたちが金切り声を上げながら劇場前に並び、午前8時から最終ショーの開始後午後9時まで少なくとも6,000人が彼のパフォーマンスを鑑賞した。この日3回のライブでエルヴィスがステージに立ったのは各15分ぐらいではなかったか。
 彼はカーテンの後ろからよろめきながら、手の甲で口を拭き、ズボンをたくし上げた。誰もが叫び続けた。彼は後ろにもたれかかり、ミュージシャンたちに笑いながら体を揺らした。全員が再び叫んだ!

 10代の若者たちが特に興味を持っているのは歌ではないようで、もみあげの色気たっぷりの歌手が腰を打ち付けるたびに熱狂が高まるのだ。多くの場合、彼は歌わず、ギターも弾かずにただ“シミー”をするだけでした。彼は何度かカーテンを握りしめながら震え、ある時は四つん這いで長い髪を顔になびかせ、その姿勢から観客に向かって体をぶつけていた。
 ※文中のシミー(shimmy)とは、1920年代に流行したジャズ・ダンス。体は直立したままで両方の腕をやや外側に出し、両方の肩を前後に交互に動かすもの。

 またこのエヴァリー嬢はライブ前にバックステージでインタビューした内容も記事にしておる。

 エルヴィスは、普段は人懐っこい笑顔で、時には大笑いになることもあったが、自分について書かれていることのほとんどは虚偽であることを認めた。「ただのワイルドな報道記事とギミックだ」と彼は言った。

 体力を維持するためにビタミン剤を摂取しているのかと尋ねられると、彼はすぐに「いいえ」と答えた。一部の雑誌では「私は他の人と同じものを食べる」と書かれているように、彼はポークチョップ、マッシュポテト、グレービーソースしか食べていないと言った。

 冷静な描写もあれば、ちょいとミーハーな質問をしていたり、やはり女性記者の記事は男性記者よりも視点が広いですな!エヴァリー嬢は他にも睡眠時間の長さ等、他にも色々とエルヴィスに質問をしているので、より詳しい内容を知りたい方はSMWの該当ページを御覧ください!
 なおトップ写真中央の、バックステージの階段前でのエルヴィスのショットは、エヴァリー嬢のリクエストによるポーズとのこと!

(左写真は、ポーク・シアターのバックステージの壁に書かれたエルヴィスの直筆サイン。特殊ガラスが被せられて、筆跡が薄くならないように大事に保存されていたが、2007年に建物が浸水した際は、この部分だけが切り取られ、以降はポーク・アターのオフィスで保管されておるという。

【注意!】
 上写真4枚は、ポーク・シアターではなく、その前日1956年8月5日タンパ・フォートアーマー・ヘステリー・アーマリーでのライブ・ショット。この会場は「バーチャル~フロリダ州2022年度前編Point-1」にてご案内しておる。1955年の同会場でのライブにおいて、ファーストアルバムの表ジャケ写の撮影が行われており、Point-1はそちらに焦点を絞ったご案内なので、今回特別にこのカッコイイ別ライブショットを参考写真として掲載しておくぞ!(拡大写真はこちら)

 1928年の開場以来、長らくレイクランドのランドマークとして地元民に愛されてきたポーク・シアターも老築化が進み、1980年代に入ると取り壊しが検討されることに。
 レイクランドの街が成長を続ける中で、その他の古い劇場や映画館は次々と取り壊されていったが、1982年にポーク・シアターを救うために、消滅に懸念を抱いていた市民のグループが団結。彼らは非営利団体 を結成し、資金を借りて州から補助金を確保し、シアターを30万ドルで購入。やがて大規模な修復工事が行われ、1999年10月に工事は完了して現在に至る。エルヴィスが名ショット・シーンを演じたステージは今でも健在じゃ!また建物は現在に国家歴史登録財に登録されておる。右写真ストリートビュー2022年9月撮影。


 大観衆は、会場入場前からロックンロール!
Area No.28/Serial No.445 フロリダ・シアター跡地/セント・ピータースバーグ
 上記レイクランドのポーク・シアターでのライブ翌日、1956年8月7日は西へ直線で約75キロ離れた、メキシコ湾とタンパ湾に挟まれた小さな半島の南にあるセント・ピータースバーグへエルヴィスはやって来た。この街はジャクソンビル、マイアミ、タンパとともにフロリダ州4大都市のひとつであり、当時フロリダ州を“襲っていた”エルヴィス・ハリケーンをモロにくらっていた街であり、エルヴィスが登場する前から街中は大騒ぎ。ライブ当日の会場(フロリダ・シアター)外の混雑ぶりが数多くカメラに収められておる!(下写真6枚)
 SMWではエルヴィスのライブ写真よりも、これらの写真をフィーチャーしておるようなページレイアウトであり、これが却って当日の状況を伝えておるようで大変に興味深いのでまずはご覧あれ!女の子も男の子も、お嬢ちゃんもマダムも老若男女たくさんいらっしゃいますなあ~。下段写真左側には、興奮し過ぎてシアターに入場する前に気を失ってしまった女の子の看護のために現れた救急車じゃ!


 肝心のライブ写真の方は、当ページ最上部のスライドに使用した躍動的な2枚とちょいと地味目な下写真3枚のみ。しかしこの3枚は舞台芸術のような物語性が醸し出されておってそれぞれに味わい深い!こうした記録写真の残され方も貴重と言えるじゃろう。ライブ前からロックンロール!聴衆こそがリアル・ロックンロールであり、エルヴィスはロックンロールの司祭だったのじゃ。
 当時のフロリダシアターの客席数は2,500人だったため、1日に3回のライブが行われた。5,000席はライブ前日までに売れ、残り2,500席分がライブ当日に完売となった。

 
 バックステージの撮影も3枚もあった!(下写真3枚)一般的には名ショットとは言えないかもしれんが、エルヴィスは人間とは思えないような強烈な色気を発散しているし、数は少ないがともに観応え充分!
 また下写真下段の2枚、エルヴィスに熱狂しながらもウットリしておる女の子たちの表情も上品でとてもヨロシイ!これらの写真すべてを観ておると、元フロリダ州知事、元上院議員だったボブ・グラハム氏の言葉が思い出された。

「1950年代のフロリダほど、ティーンエイジャーにふさわしい時代と場所はなかったと思います。そこは魔法のような場所でした。エルヴィスはその興奮の一端を担っていたのです」

 
ライブ翌日の新聞に掲載されたレビューによると、会場の警備員たちのお仕事はそりゃもう大変であった!

 エルヴィス・ファンを取り締まる一日に疲れ果てた警察は、昨夜、これほど過酷な任務を受けたのは初めてだと述べた。13人から23人の警察が一日中群衆を取り締まり、8時30分にはセントピーターズバーグ警察予備役協会の25人のメンバーがフロリダ劇場の警備のため定例会議を切り上げて駆け付けた。さらに数人の消防職員が現場に駆けつけ、そのうちの一人、ジョン・ギドリー消防保安官は「二度とこのようなことが起こらないことを願っている」と叫んだ。
 午後は警備員の数が足りなかった。大雨が降ったため、2,000人のティーンエイジャーと多くの高齢者が比較的小さな日よけに向かってなだれ込んできた。午後9時のショーのために群衆は拘束ロープの内側に詰め込まれ、ロープが切れてあらたな混乱が起きた。午後9時過ぎに少女6人が熱中症と失神の症状で消防署の救急装置で治療を受けた。
 
 そして警察は3回目のショーが終わった後、劇場から泣きながら逃げ出すヒステリックな十代の若者たちの誘導で手いっぱいだった。「もう我慢できない、我慢できない!」と15歳くらいの少女が巡査のジム・クルップに叫んだ。クルップ氏は「私も我慢できないし泣きたいぐらいだ」と語っていた。妹のためにエルヴィスのサインをもらっていたパトロールマンのジム・リドルは、自分のサインをもらうために舞台裏に行くことを懇願した十代の少女にサインを譲り渡した。バックステージには誰も入ることは出来なかったからだ。


 1926年開場のフロリダ・シアターは、1968年に老築化を理由に取り壊されたが、解体業者が驚くほどの頑丈な造りだったという。それは解体用の巨大な鉄球を跳ね返してしまうほどであり、それは「解体反対を唱える多くの地元民の意識と解体作業との戦いのようだった」とタイムズ紙は報じておった。
 現在跡地にはThe Florida Holocaust Museumが建てられておる。右写真ストリートビュー2022年10月撮影。


実感!68年前、エルヴィスは確かにここにいた
 Area No.29/Serial No.446 ルーズベルト・ホテル/ジャクソンビル
 エルヴィスのフロリダ州ジャクソンビルにおけるライブは、2022年度フロリダ州編前編にて「ベースボール・パーク」跡地、後編にて「フロリダ・シアター」にてご案内した。
 「フロリダ・シアター」の中では、“エルヴィスとデート出来る”抽選に当選した、アトランタからやって来た17歳のアンドレア・ジューン・スティーブンス嬢とのショットをご紹介したが、この中で一部の写真がフロリダ・シアターではなく、エルヴィスが宿泊していたルーズベルト・ホテル(左写真)での撮影であることがこの度判明した。
 右下上段写真2枚がルーズベルト・ホテルでの撮影じゃ。これはアメリカのマニアがホテルの動画撮影をしておったことでわしも納得!下段2枚の写真は、上段写真に該当する場所の動画の静止画じゃ。エルヴィスが開けている扉や床板タイルの模様は動画撮影時とまったく同じじゃ。さすがは現地検証が可能な者のお仕事は違うな!実に有難いものであります!!


エルヴィスとアンドレア嬢の写真は、SMWをはじめ全ての掲載サイトで撮影場所が「フロリダ・シアター」となっておるが、これを機に諸君も認識をあらためて頂きたい!
 参考のためにルーズベルト・ホテルの歴史を調べてみたところ、1930年代にオープンしたジャクソンビルでは最高級のホテルであったが、1960年代に発生した大火災事件ばかり記載されておった。エルヴィスが宿泊した事実は記載なし。だから2022年度編の調査段階でわしも気が付かなったのかもしれない。動画のアップは2020年12月だったので、わしのミスであることは変わりはないので反省はしております。

 そして更にエルヴィスのルースベルト・ホテルでの写真をあらたに発見。(下写真3枚)パーカー大佐とホテル前で撮影された写真であり、掲載されていたPinterestによると、撮影は1956年2月24日。この日エルヴィスはジャクソンビルのベースボール・パークでライブを開催しておる。以降エルヴィスは定期的にジャクソンビルでライブを行っており(ベースボール・パーク計6日、フロリダ・シアター1日)、その際にはルースベルト・ホテルはエルヴィスの定宿だったのじゃろう。
 下写真左から2枚目はストリートビュー撮影であり、赤枠部分がエルヴィスと大佐が立っていたと思われる地点。現在の正面玄関の右横地点に該当。下写真右端は、エルヴィスが大佐からお小遣いをもらっておるようで微笑ましい!?
 ルースベルト・ホテルは現在はThe Carlingというアパートメントになっており、外装はリノベーションされてはいるものの、1950年当時のスタイルがそのまま復元されておる。右写真ストリートビュー2019年1月撮影。
 また建物内部の様子は上記した動画をこちらから御覧下さい。夜になるとエルヴィスの亡霊が出てくるんじゃないかと思われるほど、写真撮影がされた時の雰囲気が奇跡的に残っておる!


バックナンバーを
御覧になる場合は

各バナーをクリックして下さい。


(赤枠のバナーは2022年からのフロリダ州編)
 
       
   
 
   
         
   
         
   
         
   
         
   
         
   
         
   
         
   
       
     
         
   
         
       
         
   
         
   
     
   
         
   
         
   
         
   
         
   
         
   
         
   
         
   

GO TO TOP