NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.440


第59回 エルヴィスゆかりの地~テキサス州2024年補遺編

 
The-Kingファンの皆様、「バーチャル~」まで閲覧頂いている皆様、ご無沙汰しております。5ヶ月ぶりの登場のチョイ頑固まめ鉄です。
 お蔭様で「バーチャル~」もエルヴィスの軌跡のある全米すべて州(+カナダ)の網羅も終わり、新たなる旅路に入らせて頂いております。前回までトータルで58回、我ながら2年以上もめげずに下調べを続けられたもんだと思います。これも七鉄師匠からの強制労・・・いや叱咤激励と皆様のお蔭であります!

 「バーチャル~」は前回まで3回続けてテキサス州2024年編でした。テキサス州は毎年3回づつご案内しているので合計9回、62ヵ所ものご案内になりました。すべて1950年代のエルヴィスの軌跡でした。
 しか~し、ご案内していない場所はまだまだたくさんあるのです!なにせエルヴィスは1955年だけで約200回もテキサスでライブを行っていて、多くの場所がネット上で情報が未だにほとんど公開されていないのです。
 そこで今回は、まだ「バーチャル~」でご案内出来ていないテキサス州のエルヴィスゆかりの地の中で、ご案内するには不十分な情報量ながらも、このままスルーしてしまうのも後ろ髪を引かれてしまうようなライブ会場の関連情報をまとめてご紹介します。このところ七鉄師匠のご案内、ご説明は少々濃厚気味(しつこい!?)ので、たまには駆け足でのご案内もよろしいかと!補遺(ほい)編ですので、ほいほいと!お付き合いのほどをよろしくお願い致します!!

 まずは、1950年代のライブ地の中で、まだ「バーチャル~」でご案内出来ていない場所の一覧を記しますね。下の表記は左から日付、都市名、会場名になります。ピンク色表示の会場は、下記本文にて関連情報を掲載します!
 
 【1955年】
1/ 6 Odessa High School Auditorium
1/24 Hawkins, Humble Oil Co.
    Camp Recreation Center 

2/15 Abilene , Fairpark Auditorium
2/16 Odessa Senior High School Field House
3/ 4 DeKalb, High School Auditorium

4/ 1 Odessa , Piece Ector County Auditorium

4/14 Gainesville , Owl Park
4/15 Stamford , High School Auditorium
4/15 Stamford , Round Up Hal
5/20 Kilgore , KOCA Radio

5/30 Abilene , Fair Park Auditorium
5/31 Odessa High School Field House
6/17 Stamford , Roundup Hall

7/ 3 Corpus Christi, Hoe down Club
7/ 4 Stephenville , City Recreation Hall

7/ 4 Brownwood , Soldier's & Sailor's Memorial Hall
8/12 Kilgore , Driller Park
8/26 Gonzales , Baseball Park
10/ 4 Paris , Boys Club Gymnasium
10/ 5 Greenville, City Auditorium

10/ 6 San Marcos , Southwest Texas State University
10/14 Odessa High School Feild House
10/10 Brownwood, Soldiers and Sailors Memorial Hall
10/11 Abilene, Fair Park Auditorium


11/12 Carthage , Carthage Milling Co
12/ 5 Port Arthur, Woodrow Wilson High School

【1956年】
1/16 Galveston , City Auditorium
4/11 El Paso, Country Coliseum


【目次】
バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
第59回 テキサス州2024年~補遺編

 ・御覧になりたい番号をクリックすると、該当する解説文の先頭に画面が自動的に移動します。
 ・Area No.は2022年度編からのテキサス州内の番号、
  Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。

 Area No.63/Serial No.426 ハンブル・オイル・カンパニー・キャンプ・
                     レクリエーション・センター跡地/ホーキンズ
 Area No.64/Serial No.427 フェアパーク・コロシアム跡地/アビリーン
 Area No.65/Serial No.428 アルカルデ・ホテル/ゴンザレス
 Area No.66/Serial No.429 ベースボール・パーク跡地/ゴンザレス

 Area No.67/Serial No.430 KOCAラジオ・ステーション跡地/キルゴア
 Area No.68/Serial No.431 ハイスクール・オーディトリアム/デ・カルブ
 Area No.69/Serial No.432 ソルジャーズ&セーラーズ・メモリアル・ホール跡地/ブラウンウッド
 Area No.70/Serial No.433 イン・オブ・ザ・ゴールデン・ウエスト/オデッサ


 【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

★右下地図をクリックすると拡大表示されます★ (クリック↓)

★ 本文中の表記について ★

←このマークをクリックすると、Google-map上の位置が表示されます。

SMW=
 スコッティ・ムーアのウェブサイト
SRW=
 サンレコードのウェブサイト
   (※2023年から閲覧不可)
EDD=「Elvis Day By Day」
 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=
 エルヴィス・プレスリー・イン・
 コンサート(ウェブサイト)



若きキングは、アメリカ経済の根底を支える製油職人たちのキャンプにも登場していた!
   Area No.63/Serial No.426
 ハンブル・オイル・カンパニー・キャンプ・レクリエーション・センター跡地/ホーキンズ
 1955年1月24日、エルヴィスにとってこの年2回目のテキサス州ツアーは、ホーキンズという地域の“ハンブル・オイル~”なんとかかんとか、よく分からない名前の場所からスタートしました。
 ホーキンズは、ルイジアナ・ヘイライドの街ルイジアナ州シェリーブポートとそのほぼ真西約300キロにあるテキサス州ダラスとの丁度中間あたりに位置する地域であり、ここにはテキサス州有数の油田があります。1940年に石油が発見されてから、あっという間にホーキンズは人口が増えたそうです。

 “ハンブル・オイル・カンパニー”とは当時の大手製油会社名であり、製油所のすぐ近くにあった作業員たちの居住地域が“キャンプ”であり、作業員たちの慰安所がレクリエーション・センターです。

 この日のライブに関しても、「キャンプの規模から想定してエルヴィスのライブを観た観客は200~300人ぐらい」といった程度の推察情報しかありませんでした。ライブ写真や会場の写真どころか新聞広告ですら見つかっておりません。EPCがレクリエーション・センターの跡地周辺らしき場所を撮影していますので転載しておきます。(上写真2枚)

 現在でも石油の採掘場は稼働していまして、Google-mapの航空写真(右写真)を見ると、製油所と通りを隔てた北側に住宅らしき建物が点在している一画があるので、キャンプとレクリエーション・センターはその中にあったと推察出来ます。


1955年初頭のハイクオリティ・ベストショット!エルヴィスは溌剌としていたのだ!!
 Area No.64/Serial No.427 フェアパーク・コロシアム跡地/アビリーン

 1955年2月15日、5月30日、10月11日の3回にわたり、アビリーンという街のフェアパーク・コロシアムでライブを開催したエルヴィス。上記写真の通り、なかなかステキな2枚の写真がネット上にアップされています。上写真左側は2月15もしくは16日、上写真中央は10月11日の撮影とされていて、上写真右側は10月11日のライブ・チケットです。特に左側写真はライブ会場での撮影では無さそうですが、綺麗な画質が残されていて、55年初期のベストショット的1枚ですね!

 このフェアパーク・コロシアムという建物の実体がネット上でどうもよく分からずで、フェアパークという遊園地の記載ばかり。コロシアムについては触れられていないのです。やがて“フェアパーク・コロシアム”とは通称であり、正式名は「アビリーン・ミュニシパル・オーディトリアム」だったことが分かりました。(左写真)1927年にオープンした約2,000人を収容出来る劇場だったそうですが、1975年に取り壊されています。
 
 EDDでは1955年2月15日についてのテキストが結構記載されていたのでチェックしたところ、内容はライブではなくて、2月10日のパーカー大佐/トム・ディスキン、RCAのスティーブ・ショールズとの手紙のやりとりの詳細のみ。この時期から大佐はエルヴィスをRCAに売り込もうとしていたことは分かりましたが、今知りたいのはそこじゃない!EPCでも「フェアパーク・コロシアムは既に取り壊されているし、アビリーンについてのエルヴィスの軌跡は何も報告することがない」とスルーされちゃってます。

 フェアパークという遊園地、見本市会場だった場所は、現在はローズパークという大きな公園になっています。「アビリーン・ミュニシパル・オーディトリアム」を取り上げたFacebookにかつてオーディトリアム(フェアパーク・コロシアム)へ行ったことのある方からの投稿があり、フェアパークの敷地の北端の7thストリート付近、Safe Cityという駐車所安全管理業者(?)のスペースにオーディトリアムが建てられていたとされています。またFacebook閲覧者の2人から「ここでエルヴィスのライブを観た」という投稿もありました。


スタッフが車を褒めたことでエルヴィスとの縁が繋がり、創業100年も間近になったホテル
Area No.65/Serial No.428 アルカルデ・ホテル/ゴンザレス
 1955年春のある夜のことです。テキサス州第4の都市オースチンの南約100キロに位置するゴンザレスという街にあるアルカルデ・ホテルに、青いオープンカーが停めてあることに外出先から戻ったホテルのスタッフの一人が気が付きました。アルカルデ・ホテルはヨーロッパのシリアから移住してきた夫婦が1926年にオープンしたゴンザレス一の高級ホテルです。
 そこに2人の若者が車に乗り込むためにやって来ました。スタッフは「私はこんな美しい車を見たことがない」と若者たちに告げると、若者の一人は御礼を述べながら握手を求め、「私はエルヴィス・プレスリーといいます。これからルイジアナ・ヘイライドに出演するためにシュリーブポートに向かいますが、夏にはゴンザレスでライブをやる予定です」と答えたそうです!

 エルヴィスはその日の午後1時頃ホテルに到着し、食事をしてひと眠りした後、午後10時頃にホテルを出てシェリーブポートに向かったとのことです。エルヴィスが支払ったお代は2ドルだったそうです。なお、エルヴィスの言葉通り、同年8月26日に当地のベースボール・パークにおいてゴンザレス唯一のエルヴィスのライブが開催されたのでした。

 このお話はホテルのオーナーのお孫さんが、「サーカス一座のライオンが逃げ出して街を闊歩していたことがあった」というエピソードとともに地元メディアに語ったゴンザレスの昔話です。約70年も前の「エルヴィスとライオン」のオハナシ。何だかとってもイイですね~♪

 アルカルデ・ホテルは現在も存続中でして、エルヴィスが泊まった“エルヴィス・ルーム”もあって(右写真右側)、Google-mapのレビューではとても評判がいいです!
 レビューの中には、エルヴィスはライブを行った8月16日にもこのホテルに宿泊したことが記されています。右写真左側はストリートビュー2021年3月撮影。



古き良き野球場ライブに、エルヴィスは“ピンクのキャデラックにオレンジ・スーツ”で登場した
Area No.66/Serial No.429 ベースボール・パーク跡地/ゴンザレス
 上記Area No.65でご紹介したアルカルデ・ホテルのスタッフがエルヴィスから直接聞いた通り、1955年8月26日にゴンザレスのベースボール・パークにてライブが開催されました。
 このライブについては、ホテルの初代オーナーのお孫さんのコメントは下記の通りです。これ以外の情報はネット上では何もアップされておりません。

 1955年8月、ゴンザレス・クォーターバック・クラブによってデイリー・インクワイアラー紙に、エルヴィス・プレスリーが1955年8月26日にゴンザレスに来るという広告が掲載されました。(左写真左側)ジョニー・ホートンもエルヴィスと共演でした。チケットは大人75セント、子供25セントで前売りが開始されました。ゲートでのチケットは大人 1 ドル、子供 50 セントです。エルヴィスは独立公園の野球場でパフォーマンスを行う予定でした。
 そしてついにあの素晴らしい日がやって来ました。エルヴィス・プレスリーはピンクのキャデラックに乗ってやって来ました。彼は明るいオレンジ色のスーツと黒いスエードの靴を履いて、ピンクのキャデラックから降りてきました。彼は野球場に停められたピックアップトラックの(荷台の)上でパフォーマンスを行い、その後はピンクのキャデラックの後部座席に座ってサインに応じていました。

この会場の場所を探す場合、「ゴンザレス・ベースボール・パーク」ではネット上ではまったくヒットしなかったのですが、上記のコメントにある「独立公園Independence Park」
をキーワードに加えたことで見付けることが出来ました!ただし現在はベースボール・フィールドが3面あるので、どのフィールドにエルヴィスが立ったのかまでは分かりませんので悪しからず。ストリートビューではフィールドの様子が分からないので空撮写真(右写真)を掲載しておきます。


双子の姉妹へ、エルヴィスが兄ガロンへの想いを語ったラジオ・ステーション
 Area No.67/Serial No.430 KOCAラジオ・ステーション跡地/キルゴア
 1955年5月20日キルゴアという街の地元ラジオ局KOCAのラジオステーションに、エルヴィス、スコッティ、ビルがやって来てラジオ出演をしました。しかし詳細情報に関しては、EDDでは完全にスルーされているほどほぼ皆無でした。ところが2023年になって、当日ラジオ局に呼ばれた女性の証言がネットにアップされておりました!

 この女性はラジオ局のマネージャーから、当日ラジオ番組出演をするエルヴィスたちを“盛り上げるため”にラジオ局内に招かれたと言っております!彼女の他にも若い女性が3人いて、エルヴィスが話したり、歌ったりしている番組時間内に拍手をしたり、声援を送ったりしていたそうです。大変に貴重な彼女の証言によって、当時KOCAラジオ・ステーションがあった場所まで判明しました!(残念ながら当時のラジオ・ステーションの写真は発見出来ませんでした)
 上写真は、彼女がその時にエルヴィスに書いてもらったサイン。一部破れて紛失してしまったそうですが、ジップロック袋に入れて長年保管していただけに筆跡の保存状態は大変に良好ですね!この日ラジオ局に集まった4人の女の子のうち2人は双子の姉妹だったそうで、エルヴィスは双子の兄ガロンを失ってしまったことをちょっと哀しそうに話していたそうですよ。

 旧KOCAラジオ局ステーションのあった建物は現在は宝石店になっています。この建物内の急な階段を登った上の階で番組は収録されたそうです。(右写真ストリートビュー2023年3月撮影)
 KOCAラジオは、1987年代にKODAKと改称されてステーションの場所も移転しております。現在の場所をGoogle-mapで確認したところ「休業」表示になっていました。


建物は吹き飛んだものの、エルヴィスの写真は残っている(?)ライブ会場
Area No.68/Serial No.431 ハイスクール・オーディトリアム/デ・カルブ
左写真2枚は、1955年3月4日デ・カルブという小さな街のハイスクール・オーディトリアムでライブが行われた際にバックステージで撮影されたらしきショットです。
 この写真を紹介しましたのは、今まで僕は見たことがなかったからです。エルヴィスのインナーシャツはどこかで目にした記憶があるのですが、それとは写真全体の雰囲気や背景が異なっているので、デ・カルブ・ハイスクールでの撮影の可能性ありということにしておきます。2枚ともPinterestにアップされておりました。
 ちなみにEDDでは「1955年3月4日デ・カルブ・ハイスクール・オーディトリアム」は未確認情報となっております。しかしSMWを初め、その他関連サイトではライブデイトとしてのみ明記されております。

 EPCでは現地を訪ねて写真撮影をされています。学校関係者のお話では、1999年5月4日デ・カルブの街全体が巨大な竜巻に見舞われ、古い校舎や建物のほとんどは破壊されてしまったそうです。
 下左、中央写真はEPC掲載の、学校関係者の案内により、エルヴィスが出演したオウディトリアムが建っていた付近だそうです。下写真右はストリートビュー2013年7月撮影。



「エルヴィスは真の紳士であり、本当にファンを愛していた」by ワンダ・ジャクソン
Area No.69/Serial No.432
 ソルジャーズ&セーラーズ・メモリアル・ホール跡地/ブラウンウッド

 この会場は、1955年7月4日エルヴィスのライブ史上唯一のトリプルヘッダー(1日3ヶ所の会場でのライブ)が行われた際のひとつの会場として「テキサス州2024年中編 Area No.56」にて名前だけはご紹介済みです。同年10月10日、エルヴィスはあらためてこの会場でライブを行っております。

 この日エルヴィスはジョニー・キャッシュやワンダ・ジャクソンらと共演をしていまして、ワンダ・ジャクソンとの有名な2ショットはこのソルジャーズ&セーラーズ・メモリアル・ホールでの撮影とされております。(下写真)
 当日のライブの様子に関する記述はネット上では見付けられませんでしたが、代わりにワンダ・ジャクソン自身が語った当時のエルヴィスに対する親愛の情が紹介されておりました。

 ステージ上の彼のことを思い出します。彼と一緒に仕事をしていたとき、私は彼のショーを一度も見逃さなかった。私は舞台裏に立って見ていました。私は女の子たちを眺めるのが楽しかったのですが、ステージが終わると大勢のファンをかき分けて退場したものです。結局、ファンが怪我をするのを恐れて、エルヴィスはライブ後のサインをやめなければならなかったものです。

 エルヴィスは真の紳士でした。本当にファンを愛していました。彼は決して気取ったところがなく、いつも少し落ち着きがありませんでした。私は物静かなタイプなので緊張していました。今では彼は多動性だったと言えるでしょうが、当時はそれを表す言葉がありませんでした。でも、彼はそこに座って指を鳴らしたり、足を叩いたりするので、私は「じっとしてて!緊張するから」と言いました。
  私は本当にエルヴィスが好きだったということだけは覚えています。優しい声と優しい物腰の持ち主でした。


 またライブ終了後、エルヴィスは会場近くの「チザムズ・チキン・ハット」という店に食事に行った時、地元の高校生のグループに、コート掛けに掛けていたコートを盗まれてしまったそうです!しかし有能な警察官が近くにいて高校生たちを捕まえ、コートをエルヴィスに返したという一件がありました。エルヴィスは有名になる前だったので(?)、コートを取り戻せたことを喜んでいたそうです!
 この会場は1960年に火事で全焼してしまいました。3年後の1963年には跡地に「ブラウンウッド・コロシアム」なる大きな会場が建てられ、今でも稼働中です。右写真ストリートビュー2023年5月撮影。


エルヴィスのライブ会場になった歴史を大切にする高齢者施設
Area No.70/Serial No.433 イン・オブ・ザ・ゴールデン・ウエスト/オデッサ

 1955年に5度もライブが行われたオデッサ。内4回はオデッサ・ハイスクール(シニア・ハイスクール表記含む)。もう1回はエクター・カントリー・コロシアムであり、この会場では1976年5月30日にも、昼夜8,000人づつの大観衆を集めてライブが行われています。55年のオデッサでのライブ情報や関連情報は今のところほとんど発見出来ていませんが、1976年5月30日にエルヴィスが宿泊したホテルであるイン・オブ・ザ・ゴールデン・ウエストに関しては少々判明致しました。上写真3枚はホテルの裏口から駐車場に向かう、ライブ当日のエルヴィスです。恐らくパパラッチの撮影でしょう。
 この写真は割と露出度の高い70年代の写真ですが、ホテルの名前や場所に関しては調査当初はネット上では明確にされていませんでした。少々ツッコンダ調査した結果、現在「ホリディ・リンカーン・タワー」という名称の高齢者専用集合住宅ビルになっておりました。40~50年代はリンカーン・ホテル、50年代後半からはゴールデン・ウェスト・ホテル、また60年代からエルヴィスが宿泊した1976年当時ぐらいまではイン・オブ・ザ・ゴールデン・ウエストという名称でした。


 現在の様子は上写真の通り。(ストリートビュー2019年7月撮影)上写真左側が建物の全容。中央写真がエルヴィスが出てきた建物の裏口。(赤丸部分)右側写真は、2015年1月8日エルヴィス80歳の誕生日に施設内で開催されたエルヴィスそっくりさんショーの模様です。施設のサイトでは、エルヴィスは宿泊していた時にこのボールルームの中のピアノを弾いて宿泊客にサービスをしていたと記されています。(写真奥に写っておる白いピアノであるかどうかは不明)
 かつてのエルヴィスのライブ会場を高齢者施設として改築し、エルヴィスの誕生日にはそっくりさんショーをやって入居者をもてなすとは、なんて高齢者に優しいステキな施設でしょう!近い将来、七鉄師匠を叩きこもう、いやいや、お連れしようと思いますって、ドーデモイイはなしですね(笑)

 エルヴィスが宿泊した1976年当時のホテルの写真が見つかりませんでしたが、代わりに1958年当時(エルヴィスがオデッサで5回ライブを行った1955年から3年後)の写真は地元サイトにアップされていました。(右写真左側)
 また当時のホテル屋上からの撮影写真もあり(右写真右側)、オデッサの街並みを僅かながら見ることが出来ます。


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