NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.437


第56回 エルヴィスゆかりの地~テキサス州2024年前編

(上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。)

前回の「ネバダ州後編」にてエルビスの軌跡が残る全米の全州への到達を終えた「バーチャル・ロックンロールツアー」。今回からは各州の中でこれまで訪れていなかった場所へご案内するぞ!これまで案内していなかったってことは、ネット上でエルヴィスの情報が乏しかった場所だったからじゃ。しかしライブ会場自体、地域や街自体に視点を変えて調査してみると、エルヴィスに関するいわゆる“周辺情報”というヤツがじわじわとあぶり出されてくるようで、調査する身としては大変にゾクゾクしたものじゃ(笑)そのゾクゾクを諸君にも是非味わって頂きたいので、これからの「バーチャル~」もどうぞヨロシク!

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第56回 テキサス州2024年前編

 ・御覧になりたい番号をクリックすると、該当する解説文の先頭に画面が自動的にジャンプします。
 ・Area No.は2022年度編からのテキサス州内の番号、
  Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。

 Area No.45/Serial No.408  ハイスクール・オーディトリアム/ブレックンリッジ
 Area No.46/Serial No.409 シティ・オーディトリアム/ビッグスプリング
 Area No.47/Serial No.410 ザ・レコード・ショップ/ビッグスプリング

 Area No.48/Serial No.411 
シティ・オーディトリアム/ボーモント
 Area No.49/Serial No.412  ベースボール・パーク跡地/グレードウォーター
 
Area No.50/Serial No.413  チェリースプリング・ダンスホール/チェリースプリング

 【バックナンバー】

★右下地図をクリックすると拡大表示されます★ (クリック↓)

★ 本文中の表記について ★

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SMW=スコッティ・ムーアの
 ウェブサイト
SRW=サンレコードのウェブサイト
 (※2023年から閲覧不可)
EDD=エルヴィス・デイリー記録集
    「Elvis Day By Day」
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・
 コンサート(ウェブサイト)


 エルヴィス最古のカラー・ライブ動画!?
Area No.45/Serial No.408 ハイスクール・オーディトリアム/ブレックンリッジ

 「バーチャル~」を連載する上でもっとも重要な資料として活用させて頂いておるスコッティ・ムーアのウェブサイト(文中SMW表記)は、約10年前から更新情報がほとんど見当たらないが、1955年4月13日にテキサス州の名もない小さな街ブレックンリッジのハイスクール・オーディトリアム(右写真)で行われたブルームーン・ボーイズのライブ情報においては、2017年に更新された見逃せない新説が記載されておる。それは長らく1955年6月3日ラボックという街のフェアパーク・コロシアムでのライブとされてきた8ミリ映像が、実はその二ヶ月前のブレックンリッジでの映像であることが判明したということじゃ。

 ラボックのフェアパーク・コロシアムでのライブは、エルヴィスに群がるファンたちが撮影された写真の中にバディ・ホリーが写り込んでおることで有名であり(ラボックはバディ・ホリーの生まれ故郷)、更に既出のエルヴィスのカラー・ライブ映像では最古のものではないかとされてきたが、撮影日時と場所において誤報だったのである!

   

 この映像は僅か1分少々の短い無声映像じゃが、ブルームーンボーイズたちのファッションがばっちりと分かるし、もちろんステージの舞台装置やファンたちのファッションまでカラーで拝める!エルヴィスはもとより、若き日のスコッティやビルもキラキラと輝いておるのがファンとしてはサイコーに嬉しい!! 映像自体があまりにも貴重なので、正確な撮影日時に関してはわしは二の次、三の次じゃったが、時代の経過とともにデータが明らかになったこともまた有難いものじゃ。

 映像の撮影/編集者はベン・ホールなる人物であり、ちょいと調べてみたらロックンロール黎明期においては見逃せない重要な人物であることが判明!ベンはバディ・ホリーの地元ラボックのDJ、ミュージシャンであり、バディ・ホリーと懇意しておった人物らしい。更に驚くなかれ、クリケッツの代表アルバム「That’ll Be The Day」に収録されておる“Blue Days, Black Nights”の作曲者でもあった。
 先述した映像には別編集バージョンもあり、その中でエルヴィスや共演したオニー・ウェラー(当時のエルヴィスの先輩シンガーとしては珍しいエルヴィス支持者)と一緒にベンは写り込んでおる。(上写真中央、右側)服装や風貌から裕福な育ちをした人物のようであり、当時としては希少なカラー動画撮影が可能な機材やフィルムを所有出来ていたのじゃろう。ベンはこのフィルムの記録価値の高さを自認していて、自らもフィルムに収めるためにその時だけ他者に機材を撮影機材を預けたのじゃろう。
 なおこの別編集バージョンの中には、ジョニー・キャッシュ、カール・パーキンス、バディ・ホリーも写っておる。お三方の姿が同日のブルームーンボーイズのバックステージであったのか、別の日の映像なのかは不明。

 
ブレックンリッジ・ハイスクールは20世紀初頭に創立された歴史の長い高校であり、周囲の人口の増加に伴って1970年代から校舎の増築が続き、1980年代に入ると本館は完全に建て直されておる。
 右写真はストリートビュー2022年7月撮影の本館正面入口の様子。本館の後方には人工芝が敷き詰められた広大なフットボールフィールドがあり、現在ではかなり大規模なハイスクールになっておる。


エルヴィスがサンレコード後発組の進出に先鞭をつけた会場
Area No.46/Serial No.409 シティ・オーディトリアム/ビッグスプリング

 上記Area No.45にてご案内した、エルヴィス最古のカラー・ライブ映像が撮影されたブレックンリッジのライブから約2週間後、1955年4月26日ブルームーン・ボーイズはビッグスプリングという街でライブを行った。この街もまた日本人にはまったく無名であり、情報の目安として「エルヴィスがナッソーを羽織った最古の部類の写真が撮影されたミッドランドの東約65キロの位置にあると認識しておいて頂きたい。(ミッドランドに関しては、テキサス州2023年編中編Area No.36にてご案内済)

 ライブ会場はビッグスプリングのシティ・オーディトリアム(市民講堂)であり、上左写真が1950年代当時の建物の様子じゃ。上右写真は左側がオーディトリアム、中央の高層ビルはセットレス・ホテル。エルヴィス関連の資料ではこの日のエルヴィスの宿泊先の記録は見つからなかったが、セットレス・ホテルのウェブサイトの著名宿泊者名簿のトップにはエルヴィスの名がある。エルヴィスがビッグスプリングでライブを行ったのは生涯で1955年4月26日だけであり、宿泊した可能性としてはこの日しか無いが、まだペーペーだったエルヴィスが高級ホテルに宿泊したとは考えにくいのじゃが・・・。

 ビッグスプリングでのライブに関する情報はほとんどないが、ブルームーンボーイズに続き、カール・パーキンス、ジョニー・キャッシュ、ジェリー・リー・ルイスがエルヴィスに続いてサンレコードと契約をした後にいずれもこの会場でライブを行っておる事実がある。エルヴィスが披露した当地初のロックンロール・ライブが概ね好評だった証であろう。

 またSMWによると、ルイジアナ・ヘイライドの放送記録を熱心に付けていた女性ファンが、この会場でようやくエルヴィスのライブを体験出来て、ライブ終了後にはヘイライドのプログラムにサインをもらうことに成功したそうな。彼女の記憶によると当日のエルヴィスのファッションは、ピンクのパンツと黒いトリムのついたピンクのシャツだった。

ビッグスプリング・シティ・オーディトリアムは現在でも稼働中。Google-map上の表記は、ミュニシパル・オーデイトリアム)近年は音響システムが改善されて交響楽のコンサートが定期的に開催されるコンサート会場となっておる。右写真はストリートビュー2021年6月撮影。遥か昔にエルヴィスが出演した当時と外観はほとんど変わっていない!


またひとつ、エルヴィスのセルフ・プロモーションの軌跡があった!
Area No.47/Serial No.410 ザ・レコード・ショップ/ビッグスプリング
 前述の通りビッグスプリングでのエルヴィスのライブ情報はほとんど見つからなかったが、時期的に駆け出しの頃のエルヴィスらしいライブ当日のエピソードがひとつ残されておる。エルヴィスが当地のレコードショップ「The Record Shop」(左写真)にキャリングケースに入った大量のシングルレコードを持ち込んでセールスにやって来たというオハナシじゃ。

 ショップの店主オスカー・グリックマンによると、レコードを売りにきた当時のエルヴィスはまだ自分の将来に希望をもてない自信無げな少年であったが、オスカーはエルヴィスの人間としての魅力に惹かれてレコードを買い取り、その後エルヴィスと食事に行ったそうな!

 隣町ミッドランドの「The Record Shop」(偶然にも同じ店名!)のオーナー、ポップ・セシフィールド氏からもエルヴィスは大変に可愛がられていたというエピソードもあり(テキサス州2023年編中編Area No.36参照)、若き日のエルヴィスは老若男女誰からも愛され、応援したくなるような魅力に溢れた男だったのじゃ。

 オスカーは売れ残ったレコードを後日返品するのではなく、基本的には持ち込まれたレコード全てを買い取るシステムを敷いていただけに、多くの駆け出しのミュージシャンがオスカーの店にセールスをしに来ておったという。またその為に店の地下室には大量のレコード在庫が保管されており、後年になってからはその“地下在庫”は熱心なレコードコレクターにとっての垂涎の的になっておったという。

 右写真は「The Record Shop」の店内、左側の人物がオスカー・グリックマン。エルヴィスが持ち込んだシングルレコードはサンレコードで製造された歴史的な価値のある78回転のレコードだったらしいが、1974年に某レコードコレクターが地下在庫の大半にあたる22,000枚のレコードを買い占めた時、僅かに残っていたエルヴィスの78回転レコードを何故だか見逃していたという!レコード盤自体の価値も高く、しかもエルヴィスが直々に持ち込んだブツとなれば将来とてつもない価格が付くはずじゃがな!
 それにしてもこの売却の際、レコード1枚の価格は何と10セントで合計売上金額はわずか2,200ドル。グリックマンは何という気前の良い方だったのであろうか(笑)
 
 「The Record Shop」は後にグリックマンの孫によって経営が引き継がれ、骨董品と軍事記念品を売るお店に変わり、店名も「Antiqhe」に。表看板には「The Record Shop」の文字が残されておった。お孫さんのお話では、随分と長い間、エルヴィスが売りに来た78回転のレコードが残っておったらしい!
 左写真はストリートビュー2018年10月撮影。空き家に見えないこともなく、Google-mapでは店舗マーク表記もないので、残念ながら現在は店舗経営から既に撤退しておるのかもしれない。


 ボブ・ニールとパーカー大佐の駆け引きが表面化した!?南テキサスでの盛況ライブ
Area No.48/Serial No.411 シティ・オーディトリアム/ボーモント
 日本人にはまったく馴染みのない街へのご案内が続いておるが、ボーモント(Beaumont)とは、テキサス南部最大の街ヒューストンの東約130キロ、メキシコ湾岸から北約70キロに位置するテキサス州有数の産油都市じゃ。ブルームーンボーイズは1955年6月20日、21日、1956年1月17日にライブを開催しておる。会場はいずれもボーモント・シティ・オーディトリアム(上左写真)であり、当時の収容人員数は約2,500人。55年6月20日と56年1月17日は昼夜2回、21日は3回、合計7回とも観客は超満員状態だったという。(上右写真は1955年のライブ)
 このボーモントでのライブ・チケットの好調な売れ行きやライブの盛況は、55年5月のフロリダ州やテキサス州でのライブの評判が非常に高く、ボーモントのマスコミが事前のプロモーションに熱心だったことが要因だったとSMWでは明記されておる。(左写真は当時のプロモーション記事の一部)

 またSMW、更にはEDDには、ボーモントの成功が当時のエルヴィスのマネージャーだったボブ・ニールの手腕であったこと、更にフロリダの成功を目の当たりにしていたパーカー大佐がエルヴィス独占契約を本格的に目論み、ボブ・ニールに圧力をかけていた(?)事実も記載されておる!ライブの具体的な状況ではなく、ボブ・ニールとパーカー大佐のバーモント・ライブ当日の行動がより具体的に明らかにされておるだけに、1955年6月20日、21日両日は間違いなくエルヴィスを巡って両者の駆け引きが行われておったことは間違いない。

 まずボブ・ニールはボーモントでのライブの成功報告もそこそこに、6月20日に「エルヴィスはサンレコードを離れて大手レーベルと契約することにいまだに“二の足を踏んでいる”」とパーカー大佐に電報を打つ。
 大佐は「エルヴィスに移籍を決断させるようなRCA側からの働きかけをさせよう」との返信を送るが、それに対するボブの再返答は「その前にエルヴィス自身を翻意させることが先決」との曖昧な内容。
 大佐はさっそくRCA上層部に1955年5月以降のライブの成功を報告しながら、RCA側との折衝をあらためて始めることを決意したようじゃ。

 日に日にエルヴィスの人気が高まっていくことを目の当たりにしておったボブ・ニールは、どうもエルヴィスを手放すことを躊躇しておった節がある。“二の足を踏んでいた”のはエルヴィスだけではなく、ボブ・ニールもその一人だったに違いない。
 一方大佐は、ボブ・ニールのマネージャーとしての手腕に対して「たかだか、2,000~3,000人程度のキャパの会場契約しかゲットできない」と見切りをつけており、エルヴィス譲渡を渋るボブ・ニールへ“マネージャーとしてのスケールの違い”を見せつけるようなRCAとの大型契約の成立へと本格的な動きを始めたのがこの頃だったのじゃ。
 ボブ・ニールとパーカー大佐。両者のマネージャーとしての才覚を測る物差しは別種なだけに“どちらが優れていたか”と論じることは無意味じゃが、エルヴィスに対して超大型契約金、贅沢三昧の生活、憧れの映画出演等の超魅力的なオプションを付けてみせた大佐の超人的なマネージメント力が、結果としてキング・オブ・ロックンロールを篭絡させたのじゃ。
 ちなみSMWには、ボブ・ニールの当時の功績を讃えるように、ボーモント・シティ・オーディトリアムとの出演契約書(コピー)が大きく掲載されておる。(右写真)

 とまあ、ライブの具体的な記述が見つからなかっただけに“まったく違うオハナシ”になってしまったが、1955年6月20日辺り、エルヴィスの巨大な才能の周囲はかような事態になっておったこと、どうかお含みおきを!

 ボーモント・シティ・オーディトリアムは1980年代に大幅に改築され、元々館内にあった市役所は移設され、以降は交響楽団やオペラ用のコンサート会場として現在でも稼働中。何度かの改築の後、現在の収容人数は約1,500人とのこと。正式名称は「ジュリー・ロジャース・シアター」とされておる。
 左写真はストリートビュー2018年5月撮影。正面入口最上部には、かつての正式名称「CITY HALL & AUDITORIUM」の表示部分がそのまま残されておる。


 「観客僅か20人?」「撮影写真の誤報?」マニアックな話題がつきまとう謎のライブ!?
Area No.49/Serial No.412 ベースボール・パーク跡地/グレードウォーター

 グレードウォーターという街に関しては、「テキサス州2022年前編」にて4ヵ所、「同後編」にて1ヵ所をご案内済みじゃ。特に「前編」での4ヵ所は、エルヴィスのデビュー当時(1954年後半)のライブ会場や出演したラジオ局等で情報としてはそこそこディープじゃっただけに、印象に残っておる方がいらしたら有難い。今回、グレードウォーターにおいてもう1ヵ所追加でご案内いたそう。

 
 場所は1955年8月10日にライブが行われた、グレード・ウォーター・ベースボール・パーク。この日、この場所はエルヴィス・マニアを悩ませる謎が2つある。
 ボールパーク自体は1950~1970年代に断続的に当地に存在したマイナーリーグ所属のベースボールチームのベアーズの本拠地球場。マイナーリーグの記録を調べたところ、ベアーズはテキサスリーグの公式戦で2回優勝を果たしておるが、有名なメジャーリーガーを輩出することもなく、とりたてて人気球団というわけでもなかった模様。(上左写真は、地元サイトに紹介されていた、グレードウォーター・ベアーズの貴重なプレー動画の静止画。上右写真はベアーズのメンバー集合写真。撮影場所はともに不明)

 エルヴィスが出演した時は「ベースボールのゲームとは違い、さぞかしお客が入ったことじゃろう!」と予想していたところ、なんと当日の観客は僅か20人!事実だとすればブルームーン・ボーイズのライブ史上最小観客数か!!1955年8月といえば、エルヴィスのテキサスでの知名度もかなり上がっていた時期であり、しかもプロモーターは初期のエルヴィスを積極的にサポートしていた有名DJトム・ペリーマンでもあり、観客20人とはとても信じ難い数字じゃ。この惨状の証言者は、20人の中の一人であり、後に近隣の市の市長さんを務めた方だけに、事実だった可能性はあるのだが・・・。これが第一の謎じゃ。

 第二の謎は、この日撮影されたとされる写真(左上写真)。近年になって“エルヴィス・ファッション・マニア”たちが、「着ているシャツといい、ベルトといい、1955年8月ではなくて同年の4~5月頃までのものだ!」と主張しておるとか。確かに同年の4~5月頃の写真に同系のシャツを着ておる写真に出くわしたことがあるが、写真が不鮮明な上にモノクロだけに、わしとしてはどうも判断出来ない。
 さらに丹念にネットで検索を続けた結果、もう1枚1955年8月10日グレードウォータで撮影とされる写真を発見。(右写真)先の写真とほぼ同じ服装にも見える。この写真はPinterestにアップされていたものであり、Pinterestがアップ写真に撮影データを添付することは決して多くはないのでそのデータに信憑性はある!?

 まあ誰かの調査を当てにしながら謎の解明を辛抱強く待っていることよりも、エルヴィスの新しい写真に出会ってその背後のデータを自分で探り、周辺情報などもあらたに知ったり、右写真のエルヴィスの背後に写っている人たちが“20人の観客”なのか?とか想像してみることもまた楽しいので(笑)、わしとしてはマイペースで謎を解明していくとしよう。
 現在のところこの2枚は、“エルヴィス・ファッション・マニア”のご指摘はさて置き、グレードウォーターでの1955年8月10日撮影の可能性ありということで!

 グレードウォーター・ベースボール・パークはマイナーリーグ球団ベアーズが消滅した後は観客席は取り壊され、今では主に地元のリトル・リーグの開催グラウンドとして稼働しておる。ストリートビューでは全貌が分かりずらいのでSMWに掲載された航空写真を御覧頂きたい。(左写真)
 ピンクのキャデラックでやって来たエルヴィスはキャデラックをグラウンド外に駐車した後、二塁ベース付近にセットされたトラックの荷台に上がって演奏したという。最初は僅か20人という観客に意気消沈して自慢のステージアクションを封印してしまったらしいが、スコッティとビルに励まされた後に、“Fireballの名に相応しいアクションをキメタ”とSMWに記載されておる。



 復活が熱望される、テキサスの歴史的ダンスホール
Area No.50/Serial No.413 チェリースプリング・ダンスホール/チェリースプリング

 1955年10月9日、エルヴィスがRCAと大型契約を果たす直前ともいうべき時期、つまり大スターへの街道が用意されようとしている前途洋々の頃に、エルヴィスは不思議なライブ出演を果たしておる。テキサスのほぼ中央、大都市オースティンの西側に位置するチェリースプリングという小さな地域にあったチェリー・スプリング・ダンスホールなる小屋然としたローカルクラブにエルヴィスは現れたのじゃ。それもワンダ・ジャクソンらを伴って!
 恐らく“演奏出来る場所なら何処でも!”とアメリカ大陸を駆けずり回っていた頃にボブ・ニールが懸命に取り付けていたローカル契約であろう。こうした大スターの座が目前にあるミュージシャンにしては到底不釣り合いな場所の出演記録を調べるのも大変にオモシロイ!

 しかし大変にオモシロイ!と感じるのはわしだけなのか? SMWやEDDをはじめとしたエルヴィス関連サイトにはこの時の出演の詳細記述がほとんど無い。ネットで発見できた画像資料は、上写真4枚のみ。正直なところ、ワンダ・ジャクソンとの2ショットは果たして?じゃが。
 上写真左側、同右側の通り、当時のプロモ広告は2種類発見されており、左側の広告では上から6行目のエルヴィスの名前表記がClovis Presleyとされておる。
下から6行目の表記はElvis Presleyであるのに、これは一体?珍しいミスプリ・ポスターではあるって、この乏しい資料状態で発見出来ることはこれぐらい!?


 しかしながら辛抱強くローカルサイトをチェックしてチェリー・スプリング・ダンスホールの詳細を追ったところ、19世紀末にオープンしたテキサス州でも有数の歴史あるダンスホール/ライブ会場であり、カントリー&ウェスタンやリズム&ブルースのミュージシャンたちがテキサス巡業中には必ず演奏するために立ち寄ってきた由緒正しい会場だったそうな!もちろん、そうした事実を伝える記事の先頭にはエルヴィスの名があることは言うまでもない。周囲には集落も景勝ポイントもまったくなく、幹線道路沿いに雑然と佇んでいる長っぽそい木造の小屋にはそんな実態があったのじゃ!
 21世紀になるとダンスホール/ライブ会場として使用されることはなくなったという。一時期元の経営者の親族の一人が経営立て直しに本腰を入れたらしいが、その方のパートナーがほどなくして病に倒れたことで再生計画は頓挫したという。そして今では建物は廃屋同然となって放置されっぱなしだそうじゃ。ダンスホールの現状を嘆く各ローカルサイトは、「このホールがこのまま朽ち果てるのは文化遺産的見地から大きな損失である」とし、再建者が名乗り出てくることを暗に期待しておるようじゃ。右写真は、2016年に建物内部に入り込んだ者が撮影した、エルヴィスが立ったと思われるステージ部分。

ストリートビューで最新状況をチェックすると下写真の通り。(2023年7月撮影)かろうじて建物は現存しておるものの、Google-mapの表記は「廃業」になっておる。Google-map情報に記載されたウェブサイト・アドレスをクリックしてみると、興味深い情報をあらたに発見できた!
 このホールは一時期所有者の名にちなんで「クリンゲルヘーファー ・ホール」、また「ラスト・チャンス・タバーン(酒場)」とも名付けられておったらしい。エルヴィスとワンダ・ジャクソンが出演した1955年10月9日の入場料は1.50ドルであり、当時の当地での入場料としてはかなりの高値だったそうじゃ。また上写真の広告には名前の記載が無いが、当日ジョニー・キャッシュも現れたとされておる。



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