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(上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。) |
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![]() ![]() ![]() ![]() エルヴィス・プレスリーはメンフィスのヒュームズ高校を卒業したばかりで、わずか6か月ほど前に最初のレコードを作りました。しかしそれ以来、彼は独特の歌唱スタイルで老若男女の心を捉えてきました。相棒のスコッティ・ムーアとビル・ブラックとともに、エルヴィスは南部で満員の観衆に何度も出演してきました。彼はルイジアナ ヘイライドでトップの人気を誇る1人であり、観客が彼をステージから離れることを許さないことがよくあります。容姿端麗な独身青年プレスリーは、サンレコードでレコードを3枚作っています~ このブーンビルでのライブの2日前、1月15日にエルヴィスはルイジアナ・ヘイライドに出演しておる。トム・パーカー大佐が、助手のトム・ディスキンの案内で初めてエルヴィスのライブを鑑賞して「この男だ!この男こそ私の運命のタレントだ!!」と決意した日とされておる。その翌16日はライブは無かったので、翌々日の17日ブーンビルのライブは、「もう一度確認のために~」と大佐は生エルヴィスを観客席から観ていた可能性は高い(笑) 1955年年初当時のライブ詳細記録がほとんど発見されていないためか、世界中で数多あるエルヴィス資料の殆どにおいて、ブーンビル・ライブ当日とその前後の日は大佐の「歴史的決意」の記述ばかりである! なおSMWに“変になあ~るほど”とわしが個人的に納得した記述があった。それはブーンビル・カレッジの校内図書館には、1955年度版の卒業アルバムだけが盗まれてしまって存在しないということじゃ。わしも「バーチャル~」を続けていく際に、エルヴィスのライブが行われた学校の卒業アルバムの有無をネット上で必ずチェックするが、まずほとんどの場合がライブが行われた年度のアルバムが無い。卒業アルバムには最終学年1年間の校内イベントの写真が掲載されるのが通例なので、拝見出来ないことは非常に残念なのじゃ。これはエルヴィスの記録収集を目的とした狂信的なファン、もしくはただの金銭目的のドロボー野郎の仕業だったのじゃ! ![]() ![]() |
ライブ前のお昼寝が見つかっちゃった劇場!![]()
この日のライブ詳細もネット上では確認出来なかったが、上記ブーンビル・カレッジ同様に新聞の事前記事だけはネットにアップされておった。以下SMW掲載テキストより一部抜粋。 多くのファンがエルヴィスを「ウエスタン・バップの王」と呼ぶエルヴィス・プレスリーは、「ロックン・ロール・ビート」でスパイスを加えたフォーク音楽という珍しい組み合わせでカントリー ミュージックの分野に話題をもたらした20歳の若者です。彼のサン・レコードは全国のフォーク・ミュージック・ファンからの需要があります。彼は、ジョニー・キャッシュと「テネシー・ツー」、そしてKWKH「ルイジアナ・ヘイライド」のスターであるデヴィッド・ヒューストンとともに、1月3日木曜日午後6時と午後8時の2回のショーで、ヴォン・シアターに直接出演する予定。 プレスリーはミシガン州テュペロでホルン奏者として活動し、12歳でテネシー州メンフィスに移住しました。天性のリズム感と独特の声質は、カントリーミュージックと黒人ブルースが日常の音楽だった幼少期の環境の恩恵を受けています。シュリーブポートのルイジアナ・ヘイライドでキャリアをスタートして以来、プレスリーのキャリアは飛躍的に進歩しました。彼はテキサス、テネシー、フロリダ、バージニア、実際には南部全土で記録的な観客を集めました。 またアメリカのエルヴィス・マニアのyou tuberが、当時の劇場支配人の奥様にインタビューした動画が2023年の初めにアップされておった!そのインタビューによると、彼女は当時劇場の管理や入場係りをしており、ライブ当日パーカー大佐から電話で「エルヴィス到着」を知らされたという。 「それでは~」とエルヴィスを劇場外に探しに行ったところ、劇場東側の路地にピンクのキャデラックが停めてあり、エルヴィスは後部座席でお昼寝をしておったそうな! ちなみに彼女は当時エルヴィスの存在を知らず、後ほどエルヴィスから挨拶代わりにサイン入り写真をもらったものの捨ててしまったとのこと。動画の中で少し後悔しておった(笑) ![]() ![]() 右写真下段左側は、エルヴィスがキャデラックを停めてお昼寝をしていた路地。右写真下段右側は、現在カフェバーになっておる店内。エルヴィス、また共演したジョニー・キャッシュ等のミュージシャンのポスターが綺麗にディスプレイされておる。床のタイルは1950年代当時の物がそのまま使用されておるという。 右写真4枚はいずれもストリートビュー2019年9月撮影。HeadquartersはGoogle-mapに登録されていないようなので、上Google-mapマークにはお隣のお店Sadiesのマップデータのリンクを貼っておこう。 しかし残念ながら2024年現在ではSadiesもHeadquatersも廃業。Headquatersは最新ストリートビューで確認すると店舗スペース自体が作り直されておる最中であり、AT VON THEATREと表記された看板も廃棄されてしまっておる。 |
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ミシシッピー州コリンスという街は上記ブーンビルの真北約30キロに位置し、街の北端、東西約5キロの範囲はテネシー州との州境になっておる。上記Area No.20ブーンビル・ジュニア・カレッジでのライブ翌日、1955年1月18日にコリンズにあるアルコール郡裁判所内の議会ホールでミュージック・ジャンボリーの一員としてエルヴィスはライブを開催した。ミュージック・ジャンボリーの招聘は、コリンスの青年商工会議所が企画したイベントであり、会場といい企画元といい、名前だけから察するとなんだか“お堅い”ものの、その目的が地元の青年たちのプレイグラウンドを作る資金調達と分かって少し納得! ![]() さらに4月7日にも同様のミュージック・ジャンボリー・ショーが昼夜2回された記録が残っておるが、チケットの売れ行きが悪くて昼間のショーはキャンセルになったという信じ難い説が存在する。エルヴィスの出演が無かったのであれば、キャンセルも分かるが・・・。(以降、下記Area No.23へ続く)) ![]() ![]() ![]() 裁判所正面入口の向かいにボロームズ・ドラッグ・ストアというスーパーマーケット(左写真)があり、お店の方の回想によると、エルヴィスはこのお店に一時的にギターを置き忘れたそうじゃ! わしは「バーチャル~」の調査で数限りないエルヴィスの小ネタ、こんぼれ話を読ませてもらってきたが、ステージ用スーツやジャケットではなくて、「ギターを置き忘れた」という到底信じ難いエピソードには初めて出くわした! 上述した「チケットが売れなかった説」が事実であったのであれば、ショックを受けたエルヴィスは失意のままふらふらとドラッグストアへ入って行っては、ギター置き忘れっつうありえない失態をやっちまったのか!? それともこのお店はハンバーガーが美味しいことで名高く、炭酸飲料でも有名(種類が豊富ってこと?)だったとのことなので、忘れ物をするほどエルヴィスの好きなチーズバーガーとコーラが美味し過ぎたってこと? このエピソードはコリンスの地元では有名となり、地元の絵描きさんが裁判所、ボロームズ・ドラッグ・ストア、エルヴィス、ピンクキャデラックを描いた幾つかの作品があり、それは版画にされて地元のギャラリーで販売されておる!(下写真2枚)エルヴィスのギター置き忘れの件はさて置き、古き良きアメリカの田舎町の風情が醸し出ておるこの絵画はとてもノスタルジックでステキじゃ!
![]() ![]() Google-mapに投稿された写真をチェックすると、時には老若男女のミュージシャンが集まってはお店の前でライブが開かれており、地元民にも大変に愛され続けておる模様。キングがギターを置き忘れたというエピソードも信じてあげて、キングの足跡もある長い歴史を讃えてあげたいものじゃ!ボロームズ・ドラッグ・ストアを訪れる機会があったら、エルヴィスがギターを置き忘れた場所に小さなモニュメントを置くとか、マーキングすることを提案する予定でおります(笑) |
“魔境”ポントックエリア![]() ![]() 左写真左側が新聞広告、左写真右側がバックステージでの撮影とされておる超貴重な1枚。その他のライブ情報はテキストですら一切ネット上で無し。 ライブどころがトッコポラ・ハイスクールに関する情報も殆どなし。この調査状況はライブ会場の跡地探しに今までもっとも苦労した同じくミシシッピー州ランドルフのランドルフ・ハイスクール(「バーチャル~ミシシッピー州2022年編」Point8)と同等の苦境じゃった。 唯一の手がかりは下写真。学校が存在していた当時の貴重な校舎の写真ではあるが、正確な住所の追記は無し。ただしアメリカのyou tuberが現場を発見した動画をアップしており、その動画の周辺光景を元にストリートビューで何時間も丹念にチェックし続けたところ、跡地を突き止めることが出来た! それにしても、エルヴィス記念の場所を巡るアメリカのyou tuberは何人かおって時折参考にさせて頂いておるが、特に草深き地域にある跡地を訪ねる場合、彼らが動画内で正確な住所を明確にしないのは何故なんじゃろうか?
![]() わしが探し当てた跡地(右写真下段左側)の右側奥、木々に隠れておるが、ここをストリートビューで辿ると確かに住居があった!(右写真下段右側) なおyou tuberの説明によると、学校の体育館が建っていたのは校舎の左側の敷地とのこと。現在は雑草が生い茂っていて体育館の跡形もない様子じゃった。それでも、「ライブ詳細は一切ないので、せめて跡地だけでも!」と必死こいた甲斐がアリマシタ。 なおこのライブ会場跡地は、先述した今までもっとも跡地探索に苦労したランドルフ・ハイスクールの北側約10キロの地点。 二度も跡地探索に苦労したので、この周辺地域が何だか好きになったわい!周囲はなあ~んもないが、是非訪れてみたいもんじゃ。 |
![]() ![]() ![]() この両日はメルディアン出身のカントリーシンガーであり、カントリー音楽の初期スーパースター達の中でも、「カントリー音楽の父」、「歌うブレーキ係」、「ブルーヨーデラー」などとも呼ばれておるジミー・ロジャース(左写真左側)の功績を讃える「ジミー・ロジャース・フェスティバル」の開催日に当たるのじゃ。 メルディアンの街中のあちこちで開催されるカントリー・ミュージック・コンサートのために全米からたくさんのシンガーがフェスティバルに招待され、エルヴィスもそのうちの一人じゃった。ジミー・ロジャース・フェスティバルは、2日目(5月26日)に地元のレイ・スタジアム(上写真右側)において出演者が選りすぐられたフェスティバルのトリである大型コンサートで〆られ、メデタク若きエルヴィスも選出された! ![]() しかし26日夜のレイ・スタジアムのコンサートでは、約7,000人の観客を前にエルヴィスは素晴しいパフォーマンスを披露。(右写真左側)アンコールの嵐だったという記録が残っておる! また写真データにおいても貴重な発見があった。右写真右側は、中央がエルヴィス、右側が「ハートブレイク・ホテル」の作者の一人であるメイ・ボーン・アクストン嬢。左側の女性を省いてトリミングした写真は露出度が高いが、撮影がレイ・スタジアムのライブが開かれた1955年5月26日だったのじゃ。 更に左側の女性は、1940年代後半から子役女優としてスクリーンに登場していたレイ・アン嬢。実は彼女は、エルヴィスがミシシ ![]() ![]() |
お祭りに飲み込まれたのか!?記録が残っていない希少なライブ![]()
ジミー・ロジャース・フェスティバルの初日、1955年5月25日にはエルヴィスはメルディアンのアメリカン・リージョン・ホール(地元在住軍人用イベントホール)に出演。(上写真左側、矢印の建物)こちらでのライブ記録はテキストも写真もネット上でまったく発見出来なかった。 たまたまなのか、当時はエルヴィスのライブよりもジミー・ロジャーズ・フェスの方が話題性が高くて、エルヴィスは現地のマスコミに無視されておったのか?また街中のあちこちでミュージック・ライブが多数行われておったはずなので、エルヴィスのライブもお祭り騒ぎの波に飲み込まれたのじゃろう。これもまた、キング下積み時代の希少な過程とは言えるな。 アメリカン・リージョン・ホールの建物自体は1901年にボザール様式(アメリカンルネッサンスとも呼ばれ、 古代ギリシャとローマの古典的な建築とルネサンス様式が融合したスタイル)で建築されたことで名高く、20世紀後半からは国家歴史登録財に指定されておった。2階に設置されたコンサート・ホール(上写真中央。1954年当時)と ![]() ![]() エルヴィス&ビルの希少なツーショット ![]() ![]() 鉄道員たちの功績を地域に刻し、また亡くなった鉄道員の鎮魂のために、1950年代当時に存在しておったロジャーズ・パークという広場には使用されなくなった蒸気機関車がモニュメントとして設置されておった。 左写真左側は、ロジャース・パーク内の蒸気機関車の前でポーズをとるエルヴィスとビル・ブラック。左写真右側もロジャース・パーク内での撮影とされておる。撮影はフェスティバル初日1955年5月25日じゃ。この日の夜にエルヴィスは上記アメリカン・リージョン・ホールに出演しておるので、この写真の衣装でステージに登場したのかもしれない。ライブ記録が何も残されていないだけに、当日の関連資料として大変に貴重なショットじゃ。 ![]() ![]() レイ・スタジアムの南西約6キロの地点にあったロジャース・パークは、ジミー・ロジャース記念館の設立とともに廃止となり、更地にされた後に現在は芝刈り機専門店とその展示場になっておる。右写真ストリートビュー2022年11月撮影。パーク内にあったジミー・ロジャース記念碑もまたハイランドパーク内に蒸気機関車ともに移設されておる。 |
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