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(上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。) |
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![]() まず紛らわしいポイントをひとつ。70年代のライブ記録を調べていて気が付いたが、シャーロット・コロシアムという名称の会場は、実は新旧別々の会場が存在する。エルヴィスが1956年に初めて使用した方の会場は、いわば旧コロシアムであり、1988年に一度閉鎖しておる。閉鎖に伴い、別の場所に新たなシャーロット・コロシアムがオープンした。 しかし新コロシアムはキャパがデカすぎて(旧コロシアムの約2倍、収容人員数24,000)赤字続き。エルヴィスじゃないと満杯は不可能な状況だった。そこで旧コロシアムに白羽の矢が立てられて1993年に再開場と相成った!再開場に際しては「インディペンデンス・アリーナ」と改称され、さらに2001年以降は「ボー・ジャングルズ・コロシアム」に再改称されて現在も稼働中じゃ。新コロシアムは改称されることなく現存しており、バスケットボールやフットボール等のスポーツイベント会場として使用され続けておる。 さて、日本人には馴染みのないノースカロライナ州シャーロットという都市じゃが、実は人口は全米ベスト20に入るほどの大都市であり、金融業を主として発展し続けておる。2006年には全米第2位の金融センターとしての地位を確立した。(Wilipediaより)こんな金満都市を守銭奴のパーカー大佐が見逃すわけがないが(笑)、実際に生真面目な仕事人たちの都市シャーロットで、果たしてエルヴィスの評判はどうだったのか!? 70年代のシャーロットのライブ日程は次の通り。1972年4月13日、1974年3月9日、1976年3月20日、1977年2月20、21日。このうちライブ・レビューらしき記事がネットにアップされているのは、74年3月9日と77年2月20日。74年のレビューは、エルヴィスを神と崇める観客たちの狂乱ぶりの描写ばかり(笑)ただし〆の記述がイミシン。 「エルヴィスは中間層(the middle)の人間だ。頭は近くにいるお偉い方々のお蔭で賢いのかもしれないが、心は庶民と一緒だ」。 “心は庶民”という部分の原文は his heart is down with the little people。「ショーモナイ者と一緒に堕落している」とも訳せるが、あえてポジティブに解釈しておこう。 (上ライブ写真3枚は72年。下写真上段3枚は76年。76年3月20日、昼夜2回のライブでエルヴィスはまったく異なるジャンプスーツを着ておる)下写真下段3枚は77年。)
![]() 77年のライブ・レビューによると、エルヴィスの精神状態は不安定だったようじゃ。写真では何と!スカーフを“真知子巻き”にしたり、ファンからのプレゼントを受け取ったり上機嫌な様子であり、最後のガールフレンドだったジンジャー・オールデンの妹をステージに上げて紹介し、彼女にピアノを弾かせたというエピソードも残っておるが、ライブ状況は結構凸凹だったようじゃ。 「ショーの前半でエルヴィスは曲に全力を尽くすことを嫌がり、途中で手を抜くことが多々あった。しかし、How Great Thou Artを力強く歌う部分になると、彼はマリオ・ランザのように魂を込めて歌い、頑固な懐疑論者でさえ背筋がゾクゾクするような高音を連発した」 「そして、エルヴィスは初めて最新作の“ムーディー・ブルー”を歌おうとした。彼はシートに書かれた歌詞を見ながら、何度も歌い始めた。ある時点で、彼は音が高すぎると言い出した。あるファンは、エルヴィスは曲を知らないミュージシャンたちに腹を立てていると思った。最後に彼は歌詞シートを破り捨て、多くのファンに失望を与え、その夜の“ムーディー・ブルー”はそこで終わった。」 「エルヴィスは愚か者を乗り越え、なぜ彼が今も君臨しているかを証明する。彼はステージの端から少し離れて、カメラや叫び声にあまり注意を払わなくなった。彼は“ハウンド・ドッグ”では良い演奏をし、“アーリー・モーニング・レイン”では落ち着いた演奏をした。しかし、最高潮に達したのは“ハート”という曲だった。これは古いロック曲で、数年前まで録音されていなかった曲だ。鍵となる要素はその音域であり、普通の声帯ではぼろぼろになってしまうような曲を素晴らしく歌い通した。」 ![]() |
金融都市シャーロットのお宿は質素ながら好立地![]() ![]() 1軒目はダウンタウナー・モーターイン。1969年にオープンしたこのホテルは取り立てて高級ではないが、シャーロット・コロシアムから僅か500メートルしか離れていない好立地がエルヴィスの宿泊ホテルとして選ばれた理由であろう。 エルヴィス一行は1972年、1976年にこのホテルの最上階(8階)を貸切 ![]() 上写真左側は、1972年に宿泊していたエルヴィスを訪れた地元のミュージシャンのグレッグ氏。グレッグ氏はシャーロットでは有名なギタリストだったらしいが、エルヴィスのライブに特別ゲストで出演した記録はない。左写真はエルヴィスが泊まった801号室の窓からシャーロット・コロシアム(現ボー・ジャングルズ・コロシアム)を眺めた光景。 ![]() ![]() 現在はゴールデン・グリーン・ホテルという名称じゃが、このホテルが久しぶりに世間の目をひいたのは2023年に起きた火災事故じゃった。「エルヴィスが泊まったホテルもついに終わりか!?」といった具合じゃ。右写真ストリートビュー2023年7月撮影。写真右側の街路樹に隠れて見えないが、この後ろにエルヴィスが宿泊した当時から使用されている4階建ての駐車場が現存しておる。 |
半世紀前のエルヴィスの痕跡が裏口に生々しく残る希少なホテル!?![]()
シャーロットのキングのお宿2軒目は、シャーロット中心地の中に建つシェラトン・イン。こちらには1976年、1977年にエルヴィス一行が宿泊したとされておる。 上写真左は、当時のシェラトンの写真がまったく見つからないネット事情の中では希少な空撮写真。上写真中央は、1977年マチネーのライブが終了して一旦シェラトンに戻ったエルヴィスが駐車場で撮影されたもの。上写真右側はストリートビュー2022年9月撮影の同じ駐車場状況。左右2つの写真を見比べると時代の流れによる駐車場周囲の変化が分かるが、エルヴィスの背後に写っておる茶色の建物は現在は白い建物があらたに存在しておるが、これは高級アパートメントであり、その名も「プレスリー・アップタウン」!命名にはエルヴィスは関係していないはずだが奇遇じゃな!
上写真下段左写真は、現在のシェラトン敷地内の空撮写真。赤丸部分がエルヴィスが車に乗り込もうとしていた従業員出入口付近。青丸部分が、上記したエルヴィスがジャンプスーツのままシェラトンへ戻ってきて車を降りた駐車場付近。緑丸部分はプレスリー・アップタウン。 また上写真下段右側は、現在の従業員出入口付近の写真。エルヴィスが使用した約半世紀も前と扉も外壁もほとんど変化していないのが驚きじゃ!(アメリカのyou tuberの動画の静止画より) ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() グリーンズボロでのライブは1956年2月6日ナショナル・シアター(「バーチャル~ノースカロライナ州前編」Area No.6)以来、16年2ヶ月ぶりの登場じゃ。グリーンズボロ・コロシアムでのライブは、以降1975、1976, ![]() エルヴィスは70年代はグリーンズボロ4回をはじめ、ノースカロライナ州内においては更にシャーロットで5回、アッシュビルで3回、カンバーランドで3回ものライブを開催。ネット上にもたくさんのライブ写真がアップされておる。 “ビードモント・トライアド”(ノースカロライナ州中北部の台地が広がる地域)の地元発信メディアのひとつは、エルヴィスの同州帰還を讃える記事に特異なリードを付記しておったのでご紹介しておこう。 我々はもっと早くエルヴィスに帰って来てほしかったが、エルヴィスにはラスヴェガスでの義務があったので致し方ないというものだ。ラスヴェガスはエルヴィスがいなかったら、開発される前の荒涼とした砂漠地帯に戻ってしまっていたに違いない”。 グリーンズボロ凱旋ライブ(1972年4月13日)については下記の様なライブレビューがアップされておる。 スウィート・インスピレーションズのエステル・ブラウンによると「エルヴィスがステージに出ると、まるで建物が取り壊されるような気分になる。人々は叫んだり、倒れたり、ステージに物を投げたりしていました。ああ、本当に素晴らしかったです」 ![]() この夜、エルヴィスはウエストまで開いたロイヤルブルーの花火の衣装を着て、フクロウのベルトとそれに合ったケープを付け、ファンに時折プレゼントするトレードマークのスカーフを掛けていた。彼のあらゆるけいれんが興奮の波紋を生み、インスタマティックなキューブがストロボライトのように点滅し、更年期の女性に10代の頃の興奮を呼び覚まし、彼女たちは必死の憧れでこの天体(エルヴィス)に手を伸ばそうとしていた。 カメラが回っていると、プレスリーは数週間前に録音した新曲に挑戦することを自発的に決意した。彼の前に歌詞カードを掲げ、バンドは「Burning Love」のオープニングコードを叩きつけた。キングの最後のトップ10スマッシュがグリーンズボロで初めて生演奏で行われたのだ。 最後の曲を終えたエルヴィスは、オーケストラの盛大なファンファーレの中、マントの翼を広げ、コンドルのように退場していった。コロシアムのスピーカーに響き渡った声、それはお馴染みの「エルヴィスはもう建物を出ました」だった。 この日のライブは映画「エルヴォス・オン・ツアー」用に全編が撮影されていたらしいので、いずれ公式に日の目を見ることになるじゃろう。(※下カラー写真は、左から75年7月21日、76年6月30日、77年4月21日のライブショット)
![]() ![]() なお上述の通り1970年代にエルヴィスが毎年のようにやってきて、しかもライブのクオリティが毎回高かったからなのか、“エルヴィスの魂は未だにグリーンズボロから立ち去っていない”と信じる地元民も多く、コロシアム内には“エルヴィスの魂在住”の証である心霊現象が起きるそうじゃ! |
ギターも指輪も観客にプレゼントした、エルヴィスの“スペシャル・リラックス”ライブ!?![]()
![]() 左写真は1983年撮影のシビック・センター・コロシアム(赤枠内)であり、その右隣りの建物が旧シティ・オーディトリアムであった(1975年にトーマス・ウォルフ・オーディトリアムに改称)シビック・センター・オーディトリアムは1975年に完成した、シティ・オーディトリアムの増築された部分の会場であった。1975年のエルヴィスの登場は、完成したばかりのシビック・センター・コロシアムの実質的な“こけら落とし”の落成記念ライブだったようじゃ。 ![]() 1955年のアッシュビルのライブ記録でも、エルヴィスのジョークやおふざけが冴えていた記述があった。ステージ上のピアノに噛んでいたチューイングガムを貼り付けて、「これを持って帰るのを忘れないでね」と言って女性ファンを興奮させたり、演奏する次の曲の曲名を「なんだったっけ?」って惚けて観客を笑わせてリラックスさせたり。20年という時を越えて再びアッシュビルに登場した際も、エルヴィスはジョークの精神を失っていなかったということではあるが、アッシュビルにはエルヴィスをそうさせるサムシングがあるのか!? またこれはわしの想像じゃが、3回それぞれのライブレビューを読んだ限りではエルヴィスはリラックスし過ぎておって、ショーそのもののクオリティはあまり良くはなかったのではないかと思われる節がある。ラストの7月24日は一応「素晴しいコンサートでした」というフレーズで締め括られてはおるが・・・。 近年にアップされた地元発信サイトには、3回のアッシュビルでのライブで使用されていたエルヴィス用にカスタマイズされたアコースティック・ギターはライブ中にファンに気前よくプレゼントされたという!またそのギターは2016年にオークションに出品されたそうな。(落札云々に関しては不明) さらにギターだけではなく指にはめていた高価な指輪なども観客にプレゼントしたそうじゃ。右写真は1975年のアッシュビル・ライブでのショットなので、恐らくエルヴィスが抱えておるギター(もしくは同型のモデル)がプレゼントされたのであろう。 ![]() ![]() 右隣りの旧シティ・オーディトリアム(現トーマス・ウォルフ・オーディトリアム)と併せて、複合施設名「ハラーズ・チェロキー・センター」の名でネット上に記載されておる場合もあるので要注意! なお右写真右端の赤茶色の壁の建物は、1956年のライブ会場(旧シティ・オーディトリアム)。その左隣りのグレーの壁の建物は21世紀になって増築された部分であり、それ以前は増築部分の土地はロータリーになっておった。 |
![]() ![]() ![]() 「キングがテレビを撃ち抜いたモーテルにエルヴィス記念碑を建てないのですか?」 記事の寄稿者はエルヴィスが1975年にライブを行ったアッシュビル(上記Area No.23参照)の地元メディアのライターであり、彼の元に記事のタイトルの様な問い合わせが送られてきたという! その後複数の同様の情報記事を見付け、エルヴィスが奇行に走ったモーテルは、アッシュビルを走る国道70号線沿いに存在したロディウェイ・インというモーテルであることが判明した。(上写真は1974年に撮影されたロデウェイ・イン) 「記念碑を建てないのですか?」の投稿主は当時8歳の少年ながら1975年のエルヴィスのライブの体験者であり、ノースカロライナ州で何度もエルヴィスのライブが行われたのに、記念碑がひとつもないことへの不満を地元メディに投稿したらしい。またライターさんはこの投稿の紹介に付随して、エルヴィスのモーテルでの奇行についても紹介しておる。 真偽のほどは定かではないが、エルヴィスは単独でモーテルを訪れて2階の2部屋をキープ。希望したチャンネルが部屋のテレビにうつらなかったことに立腹して、建物前の駐車場にテレビを放り投げてピス ![]() ホテルの従業員が大騒ぎしたり、モーテル側がエルヴィスに損害賠償をしたり等のトラブルは起きなかったものの、「キングがテレビを撃ち抜いた」という噂はあっという間にアッシュビルの街に広まったという。後にモーテルは、エルヴィスが泊まった部屋のベッドシーツを細切れにして、集まってきたファンたちに売りつけていたらしい!撃ち抜かれたテレビの消息は不明とのこと!(笑) なおこの類の記事に添付されるモニターに穴が空いたテレビの写真(右写真)は、2017年にグレースランド内に開場した新しい博物館の中に展示されており、これはラスベガスのインターナショナル・ホテルのエルヴィス・スイート内でエルヴィスが撃ち抜いたテレビだという。アッシュビルの事件とは関係のないブツじゃ。 ![]()
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エルヴィスが太った?髪が薄くなった?50sからのファンだって同じ!
![]() 70年代に7度もライブを行ったノース・カロライナ州のシャーロット(上記Area No.10参照)は1976年は1度のみツアーに組み込まれ(3月20日)、その代わりとばかりにシャーロットの真東約170キロに位置するファイエットビルという都市で同年8月3~5日と3日連続のライブが行われた。 先述の通り、全米屈指の金融都市であるシャーロットに対して、ファイエットビルの土地柄をwipipediaで調べてみたところ、次のような記述があった。 「1960年代は公民権運動、反戦運動が盛んであり、黒人や黒人女性が公職を得ることが出来る代表的な都市になった」「21世紀は犯罪率が高い都市になった」「子育てに向いた都市ワースト3にランクされている」「退職後に住むことに適した街に挙げられている」。住みやすいのか悪いのか、治安がいいのか悪いかのか、はたまたエルヴィスが歓迎されたのかされなかったのか、wipipediaからはよくわからない土地柄の都市であるようじゃ(笑) しかし1976年8月3日最初のライブのレビューを読んでみると、土地柄がどうしたとか、エルヴィスの評価はどうだったのか、などと思いを巡らせることがまったく無駄であったことをあらためて思い知らされた!では一部を引用してみよう。とりたてて目を見張るような描写はないが、エルヴィスの容姿の衰えに関して「エルヴィスを求めている観客だって同じでしょっ!」といった見方がおもしろい。多分書いたのは女性のライターさんじゃないかのお! ![]() 「1950年代後半から1960年代前半にかけて人気を博した曲が、あの頃から時間が経ち過ぎていることは、あまり問題ではなかった。ほっそりとした体型の彼のお腹が派手な衣装のベルトからはみ出していることや、頭頂部のぼさぼさの髪が薄くなってきているという事実も、ほとんど重要ではなかった。なぜなら、彼は自らが創り出した時代から生まれた、ロックンロールの王様だったし、今もそうなのだから。」 「ノースカロライナ州から遠い所はサウスカロライナ州コロンビアまで、米国東部各地からおよそ7,000人が集まった。彼らのほとんどは女性で、エルヴィスが声を発するだけで心をときめかせた当時は10代だった女性たちだった。」 「エルヴィスは40歳かもしれないが、観客たちももう10代ではない。お腹が突き出たり髪が薄くなったりするのは自然なことであり、彼らにとってのキングは依然として彼らの世代に属していたのだ。」 「彼らはエルヴィスを批判したり、笑ったり、若返りを要求するつもりはなかった。多くの人にとって、エルヴィスを生で見るのに18年も待ったのだから。」 「エルヴィス・プレスリーって、過去の人?決してそうではない。彼は今でも会場を満員にして、観客を疲れ果てさせることが出来る。昔の爆発的な魔法はほんの少し失われただけだ」 「“田舎者にとって、これはとんでもない経験だ”と観客の一人はコメントした。そして事実、そうなったのだ。」 ![]() ![]() |
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