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(上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。) |
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![]() ![]() ![]() このヘイライド・デビューの関連情報を探ると、幾つかのサイトでは「前日メンフィスのイーグル・ネストに出演した後、3人は車を飛ばしてシュリーブポートにやってきて、シュリーブポート・キャプテン・ホテルにチェックインした」と記載されておる。 シュリーブポート・キャプテン・ホテルは当地で最大級の豪華ホテルであり(下記Area No.21参照)、駆け出しのブルームーンボーイズと、その日シュリーブポートまで駆け付けたとされるエルヴィスの両親やガールフレンドを含めた大所帯に対して、慢性的な財政難だったサム・フィリップがいきなり上等なホテルを予約するはずがないと思われる!?そんなありきたりな疑問に対して「このホテルだったのかもしれない」という新情報が出て来た。それがシュリーブポートからレッド川を渡った隣町ボージャーシティにあったアル・アイダ・モーテルじゃ(左上写真)。ヘイライドの舞台だったミュニシパル・オーディトリアムとは79/80号線一本で繋がっており、車移動で約8分、距離にして僅か5キロしか離れていない場所にあるので、かなり信憑性の高い情報と思われる。 エルヴィスの人気はツアーの行く先々で次々と火が付き続け、エルヴィスやサン・レーベルの懐は徐々にあったかくなっていったのでシュリーブポートでの宿泊先は変更されたはずじゃが、1955年前半まではこのモーテルがヘイライド出演時に使用され続けていた可能性は高い。 ![]() エルヴィス&ブルームーンボーイズの1950年代の全米ライブツアーは事実上1954年10月6日からスタートしたので、このモーテルはメンフィスを飛び出した若きキングの初めての宿泊場所と言える(かもしれない)!
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“エルヴィスはここでヘイライド出演のための練習をしていた!”![]()
“Elvis was here !”と書かれたサインボード(上写真右側)を掲げたこのお店は、上記アル・アイダ・モーテルからミュニシパル・オーディトリアムまでの道中に位置するボージャーシティ側(レッド川を渡る手前)のバーベキュー料理レストラン。上写真左側は、ヒストリカル・アエリアルズ1959年の空撮写真。上写真中央が近年の撮影。1953年創業の当地ではもっとも古くから営業を続けていたこのレストランで、アル・アイダ・モーテル宿泊期間中のエルヴィスらは食事をしていたかもしれないとされておる。 サインボードをよく読むと、このお店の裏側(behind)のアパートメントで、エルヴィスはルイジアナ・ヘイライド出演の為の練習をしていたと書かれてある!この“裏側のアパートメント”が、店舗建物の奥のスペースなのか、建物の裏手に建っていたアパートメントなのかは残念ながら不明じゃが、このお店の近くでエルヴィスがリハーサルをしていたということじゃろう! ![]() ![]() 右写真左側は地元のサイトに掲載された、お店が取り壊される際の現場写真(サイト掲載は2020年6月)。右側写真は取り壊しの際に店内から運び出されたBGM用に使用されていたと思われるミュージックソフト類。エルヴィスの作品が5本写っておる。(赤枠内) |
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![]() スタン氏はD.J.フォンタナの従弟に当たり、元々はマニアックなミュージシャンが出演するバーにジュークボックスを設置する仕事をしており、やがて地元のラジオ局で“放送されたことのないイカシタ曲”をかける15分間の番組の司会を担当。“スタンが選んだ曲は必ずヒットする”とまで評されるようになり、ついには独自のセンスで選び抜いたレコードを販売するレコードショップをオープンして大繁盛させた人物じゃ。最終的にはシュリーブポート周辺地域を含めて、1984年までに6軒ものレコードショップを運営するまでレコード販売事業を広げ、「ザ・レコードマン」の称号で呼ばれるようになった。 ルイジアナ・ヘイライド等のライブ・ショーのチケット販売も行っていたスタンズ・レコード・ショップには、エルヴィスをはじめとした大物ミュージシャンたちも足繁く通ってはレコードを購入するようになり、エルヴィスのサイン会も催されたという。またボブ・ディランは、近年に執筆した自伝の中の一章全てを「スタンズ・レコード・ショップ」の思い出の描写に費やしたという! ![]() 1970年代初頭には、600を超える全米のレコード・レーベルのレコードがルイス氏を介して他のレコード店に流通していたとまで言われており、ルイス氏は2009年にルイジアナ州の音楽殿堂入りを果たしておる。 業界切ってのやり手の様なルイス氏じゃったが、普段は愛妻家で温厚な人柄として人望も厚かった。(2号店は奥様の名前からポーラ・レコードショップと命名された)上写真の通りエルヴィスとは個人的にかなり懇意にしておった。 ご子息はお客を大事にしていたルイス氏の思い出を次のように語っておる。 「ルイスは何もないところから事業を始めましたが、本当にお客を大事にして、お客に感謝していました。お客がルイスのお店で何かを買った時の幸せそうな顔をよく覚えています!」 エルヴィスの50年代のライブ軌跡を追い続けると、地方の街のDJ、ラジオ局、レコード店が無名時代のエルヴィスを可愛がっ ![]() ![]() |
ヘイライドで知名度がアップしたら、宿泊先も一気にグレードアップ!![]() ![]() ちなみに最後にヘイライド出演時のライブ会場は、ハーシュ・メモリアル・コロシアム(「バーチャル~ルイジアナ州2022年編Point-2」)。全米でエルヴィス人気が大爆発したために、もはやミュニシパル・オーディトリアム規模の会場では殺到するファンをさばき切れなかったために、キャパが約3倍のコロシアムが選ばれた。 キャプテン・シュリーブ・ホテルは左写真の通り、当地の老舗の大型ホテルの風格を湛えておるが、単純にホテル名でネット検索すると、同時にワシントン・ユーリ・ホテルもヒットしてくる。この2つのホテルは、シュリーブポート街中を貫くマーケット・ストリートが、トラビス・ストリー ![]() 最近のネット上の有難い新情報が、右写真がライブ会場ではなく、エルヴィスがキャプテン・シュリーブ・ホテルを出てライブ会場へ向かうために車に乗り込む際のショットとしてあらためて紹介されておったことじゃ。 この写真はルイジアナ・ヘイライド関連写真の中では露出度が高い1枚ではあるが、以前の但し書き“ライブ会場を後にするエルヴィス”にはわしは見えずに「?」マーク付きじゃったので非常にすっきりした次第じゃ! ![]() ![]() 現在跡地(トラビス・ストリート側)は屋内立体駐車場になっておる。右写真右側ストリートビュー2022年11月撮影。右写真左側は、立体駐車場の外側に「HOTEL CAPTAIN SHRIVE」の看板(写真内中央、紺色の看板)が設置されていた頃の撮影。 。 |
18年半ぶりのシュリーブポート帰還も、ライブ以外は素通り!?![]()
![]() 1970年代に入り、エルヴィスがシュリーブポートに戻って来たのは、1975年6月7日、18年半ぶりのハーシュ・メモリアル・コロシアムでのライブであった。(左写真2枚=「バーチャル~ルイジアナ州2022年Point-2」でご紹介済)この時の宿泊先がパパラッチの盗撮により、ベスト・ウェスタン・シャトー・スイート・ホテル(上写真3枚)であることが判明しておる。 この日は14:30開演、20;30開演の2ライブが行われ、上写真中央は14:30のライブへ出発の際、また右写真は20:30のライブ前に一旦ホテルへ戻った時の、いずれもホテル入口での撮影じゃ。 久しぶりの思い出の地シュリーブポートへ戻ってきたエルヴィスの宿泊先にしては、随分と質素なホテル(?)がブッキングされたと思われがちじゃが、前日がテキサス州ダラス、翌日がフロリダ州ジャクソンビルと移動続きの日々の最中であり、空港との移動の利便性、ファン殺到状態の回避策等が考慮された上で、このホテルが使用されたものと思われる。シュリーブポート・ダウンタウン・エアポートまで車で数分であり、ホテル前にはエアポートへ直結する幹線道路が通っておる。当日「お帰り!キング!!」のパーティーは催されなかったのであろうか!? ![]() ![]() 建物の外装は、旧ベスト・ウェスタン・シャトー時代とほとんど変化無し。エルヴィス宿泊時代の佇まいがそのまま残されておる模様。 |
エルヴィス&TCBバンドは、“本物のケイジャン・トルネードのようだった”![]()
![]() レイク・チャールズとはルイジアナ州の南西部、西側のテキサス州との州境まで約45キロの位置にあり、チャールズ湖とそこから流れ出て南約50キロのメキシコ湾にまで到達するカルカシュー川沿いの街である。内陸でありながら港街としても機能しておる都市じゃ。 エルヴィスはTCBバンドを率いて1975年5月4日にレイク・チャールズにやって来た。会場はチャールズ湖畔にある7,500人を収容出来るシビック・センターじゃ。(左写真)昼夜2回で合計10,000人の観衆を集めてライブが行われ、ライブレビューはネット上では見つからなかったが、この日のライブのブートレッグ盤レビューからライブの模様を伺ってみると、エルヴィスの体調や機嫌は良く、ルイジアナ州からフロリダ州まで続いていた当時の短いツアー全体を“本物のケイジャン・トルネードの様だった”と好意的に記述されておる。ネット上で公開されておるライブ写真も、大人のロッカーとしての風格が滲み出たグッドショットが多い。 「ケイジャン cajun」とは、18世紀にフランスからカナダに移住してきてきた後に ![]() 上述した“ケイジャン・トルネード”という表現が気になって調べてみたが特に定義はなさそうであり、恐らくは優れた土着音楽を紡ぎ出していたケイジャン・ミュージシャン(音楽自体も“ケイジャン”と呼ばれておる)の旅芸人たちのことと推察される。 またTCBバンドの名ベーシストだったジェリー・シェフ(わしはこの方の大ファン!)がケイジャン演奏の名手でもあったことも関係しておるのかもしれない。ジェリーはこの日のライブの10日前の4月24日に2年半ぶりにTCBバンドに復帰しておる。「ベースはケイジャンのジェリー・シェフです。今夜はどんなプレイを聞かせてくれるのでしょうか」というエルヴィスのステージ上のMCは70年代のエルヴィス・ファンには有名じゃな!(ジェリー・シェフご本人はケイジャンの血筋ではなく、生粋のカリフォルニア人) ![]() ![]() またコロシアム正面入口南東には、エルヴィスが出演した当時の名称(シビックセンター)の表示塔がそのまま残されておる。(右写真赤枠部分) |
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![]() エルヴィスの生涯最後のルイジアナ州でのライブは、1977年5月31日バトンルージュのLSUアッセンブリー・センターで行われたが、残念ながらこの日のライブ詳細はネット上にアップされてはおらん。代わりに1977年3月29、30日両日に行われたルイジアナ州ラスト2番目のライブ会場、アレキサンドリアのラピーズ・パリッシュ・コロシアム(右写真)へとご案内しよう。 アレキサンドリアとは、ルイジアナ州シュリーブポートとニューオリンズとの丁度中間に位置する、人口の少ない同州中央部においては最大の人口を擁する都市じゃ。アレキサンドリアにおいては1955年3月11日ジミーズ・トンプソン・アリーナ以来22年ぶりのライブでもあった。 エルヴィスの77年のツアーは新しいライブ映画用の撮影やレコーディングが断片的に行われておったことは割と有名であり、この日もRCAのプロデューサーだったフェルトン・ジャーヴィスはライブレコーディングを行っていたとされておる。しかしネット上にアップされていたライブレビューやブートレッグ・レビューによると、“良いのか悪いのか、ヨーワカラン”内容だったようじゃ。エルヴィスはオープニングのオーディエンスへのご挨拶もせず、お得意のジョークで観客を和ま ![]() どうやら体調がかなり悪かったようで、翌4月上旬まで続くライブを3つキャンセルし、4月1日にはメンフィスに戻ってドクター・チェックを行ったとされておる。ライブ写真を見る限りでは深刻な体調不良には映らんが。 70年代のレコードやライブのレビュー、それもアメリカ人が書いたものは「失敗」に関しては例えエルヴィスであろうともかなり辛辣に攻撃しておるもんじゃが、ラピーズ・パリッシュ・コロシアムの出来に関してはライターさんも評価に苦しんでおるご様子じゃ。「〇〇の怠惰な歌い方は、この曲の新しい魅力なのだろうか」「〇〇は真面目に歌っているのか、自分のパロディなのか」と終始こんな具合の描写じゃ。〆の書き方もかなり苦労されておるようじゃ。 人間観察が好きな人にとって、この日のコンサートはとても楽しいものです。エルヴィスのファンならがっかりするかも知れませんが。あなたが持っている彼のレコードアルバムには、さらに多くの(そしてより良い)音楽があります。 ラストソング「Can't Help Falling In Love」では、エルヴィスは歌詞を変え、“賢者はその時を知っている、時は去るべき時を知っている”と歌ってからステージを去ったという。変更部分は歌詞の1番、2番それぞれの出だしじゃろうか?それにしても、何というイミシンな即興詞なんじゃろう・・・。 ![]() ![]() |
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