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本物のリボルバーを持ってエルヴィスご満悦![]() ![]() エルヴィスが手にしておる拳銃は州警察官(右端の人物)が携帯しておったリボルバーじゃ。当時の警察官は、ほんの何秒かの写真撮影の間なら拳銃を他人に持たせても構わなかったんじゃろうか!エルヴィスのポーズから、元来の拳銃好きが分かるな! この写真をSMWに投稿してきた人物はこの警察官のお孫さんであり、警察官は写真を長い間大切に自宅に飾っており、エルヴィス&ブルームーンボーイズが有名になる前に一緒に写真撮影が出来たことを誇りにしておったという。 写真内のエルヴィスの足元に注目してほしい。これは警察 ![]() ![]() 現在跡地には「ULYSESS TRUCK STOP」の看板を掲げる新しい建物が建てられておる。(右写真ストリートビュー2024年2月撮影) 記念すべき1台目のピンクキャデラックで最初にやって来た(かもしれない)街 ![]() ![]() ![]() エルドレードは、アーカンソー州の南側ルイジアナ州との州境まで僅か30キロにある、アーカンソー州の南の玄関口と言われる中規模の街じゃ。1920年代には石油産業で栄えたという。西側のテキサス州との州境の都市テクサーカナ、ルイジアナ州のシュリーブポート、いわばエルヴィスの地方のフランチャイズ都市といえるこの2つの街まではいずれも130キロじゃ。 エルヴィスはこのエルドレードでは1955年3月30日と10月17日にライブを行っており、地元発信サイトをチェックすると、ライブを体験した当地の住民たちの2回のライブの記憶がかなり混濁しておるようなので(笑)、SMWの記載に沿って整理しておこう(笑) 1955年3月30日はエルドレード・ハイスクール・オーディトリアムでのライブ。当時のエルドレードでは映画館以上の収容人員数が可能だった当地の大型イベント会場でもあり、ルイジアナヘイライドが開催されるシュリーブポートが近かったこともあり、ライブ前からエルヴィスの評判は上々だったという。ルイジアナヘイライドの人気DJだったT.トミー・カトラーもライブに駆け付けて会場を盛り上げたという。 このT.トミー・カトラーという人物はサム・フィリップスの1940年代からの知り合いであり、サムの要請によりエルヴィス人気を高めるために一役買っていたわけじゃが、その一方で“非常に賢くて抜け目のない男”だったようで、資料によるとグランド・オール・オープリーでも活躍していたようで、50年代終わりには全国的にその名が知れ渡る存在となり、70年代には政治家に転身して上院議員当選を果たしておる。自分の知名度拡大の意図もあってエルヴィス人気に便乗したのかもしれないが、当時賛否両論だったエルヴィスに対して「賛」で臨んだことは先見の明があったというべきか。 ![]() ちなみに車を返してもらったブラウンズ・ファミリーは“運転の荒っぽを物語る”傷だらけの車体を見て呆れかえったという(笑)直接車を返しに来たのはスコッティだったそうな。エルヴィスはバツが悪かったのか!? ![]() ![]() 右写真はストリートビュー2013年6月撮影。右側に写る茶色の建物は旧ハイスクール・オーディトリアムではなく、1940年代に建てられた旧サザン州立大学の体育館。 |
女性客のBFが嫉妬してエルヴィスに嫌がらせをしたほど盛り上がったフェス!![]()
メモリアル・スタジアムは周辺地域の中では最大級の規模のフットボール・スタジアム(上写真左、中央)であり、当日は西側の観客席のみ集客に使われ、集まった観客は約5,000人とされておる。エルヴィスのライブは14組の地元ミュージシャンのコンテスト・プログラムの中に組み込まれておった。 この時期のローカル・ライブにしては珍しくSMWに詳細が記述されておるので、転載しておこう。供述はコンテストに出演した地元ミュージシャンによるものじゃ。 ショーの前にエルヴィスが私にギターのチューニングをしてくれるか尋ねた。私がチューニングをしている間、彼は車の中に座ってサインをしていました。しばらくしてエルヴィスは「チューニングは終わりましたか?」と尋ねました。私は「そうだね」と言いました。彼はそれを持ってステージに出ました。 エルヴィスがステージに上がって以降、今夜のショーは彼のショーとなり、彼は全ての話題をさらいました。それは私がこれまで見た中で最高のパフォーマンスでした。彼は紫色のパンツ、黒いシャツ、オレンジ色のジャケット、そして白いバックパックを着てステージに上がっていました。 That is All Right、Mama は当時私たちが知っていた彼の唯一の曲であり、彼はプログラムの中でおそらく6曲ほど歌った。スタジアムの座席数は ほぼ満席でした。 エルヴィスが歌って踊っている間、ファンは大声で叫び、爆竹を鳴らしていました。観客席から転落し、気を失った少女もいました。エルヴィスのパフォーマンスはハンマーで殴られたようなものだったのです。 ![]() 上記の供述にもキャデラックが登場するが、Area No.27で上述した初代キャデラックではなく、この時は既に2台目のキャデラックじゃ。1台目のキャデラックは購入してから三ヶ月も経っていない1955年6月5日アーカンソー州ホープからテクサーカナへ向かう途中に炎上事故を起こしておる。(「バーチャル~アーカンソー州2022年後編Point-13参照」)右写真が2台目のキャデラック。(撮影場所はメンフィス・ラマーアベニューにあった当時のエルヴィスの自宅の庭とされておる) この2台目のキャデラックは後にグラデス・ママにプレゼントされたと言われており、グラデス・ママは一度も使用することなく、現在はグレースランドに展示されておる。 ![]() ![]() 左写真はストリートビュー2016年8月撮影。赤丸部分がエルヴィスのライブ時に使用された西側のスタンド。赤矢印は、エルヴィスがスタジアム入りした時に通ったとされるエントランス。 |
![]() ![]() ![]() 1956年4月13日テキサス州アマリロでのライブ終了後、エルヴィス、スコッティ、ビルの3人はその日の深夜にチャーターされた飛行機に乗ってRCAナッシュビルへ向かった。翌14日RCAマクガヴォック・スタジオでのレコーディングの為じゃ。 14日早朝に飛行機はエルドレード郊外にある小さな飛行機グッドウィ ![]() さて、ここからが大事件、というか大悲劇未遂事件が起こった。チャーター機がナッシュビルに向けて飛び立った後、パイロットが「地図を確認したい」とのことで、操縦席の隣に座っていたスコッティに“1分間だけ”操縦桿を預けたという。スコッティは軍役時代に飛行機の操縦経験があったのかもしれないが、スコッティが操縦桿を握った直後にエンジンが激しく咳き込む様な音を立てて止まり、飛行機の高度が急速に落ち始めたという!その時、ビルはジャケットを頭からひっかぶってこの飛行機に乗った運命を呪ったという。 結局飛行機は空港に戻ることが出来て惨事は免れたが、この未遂事件は空港で飛行機燃料を補給していなかったことが原因というから呆れてしまうわい。SMWには、「空港に到着した際、パイロットが誤って燃料補給要請を知らせる補給ボタンを押していなかった」みたいな説明が記述されておる。 ご存知の通りエルヴィスは飛行機嫌いで有名であり、その原因がこの1956年4月14日の墜落未遂事件だったとされておる。しかし文献の中には、バディ・ホリイの死亡原因と同様に、「悪天候がもたらした危険な飛行状態」とされておるが、真相はどうやら燃料ギレ寸前による飛行トラブルだったようじゃ。 ロック史の中には、飛行機事故でスターが命を落とした事例がいくかある。1976年にバンドメンバー3人が亡くなったレイナード・スキナードの墜落事故も燃料ギレと言われておる。「燃料切れなんて、そんなバカらしい事があるのか?」と当時は信じられなかったものじゃが、悪天候でも機体不良でもパイロット急病でもなく、墜落事故原因ってこんな単純なところにもあるもんなんじゃなあ・・・。もう70年近くの未遂事件じゃが、エルヴィス、スコッティ、ビルがご無事で胸をなでおろしてしまったわい。 ![]() ![]() またここで3人が「助かった!命拾いをした!」と神様に感謝していたことを想像すると訪れてみたい気もするが、それもあまりいい趣味ではないかも!?とは思いつつ、エルヴィスゆかりの地のひとつとして加えさせて頂きます。空港の正式名称はサウス・アーカンソー・リージョナル・エアポートであります。 |
![]() ![]() ![]() って少々大袈裟な前置きが長くなったが、そのべーツビルの命であるホワイト川の畔で若きエルヴィス君はクレームを受けてしまったオハナシをちょっとだけ紹介しておこう。 ![]() 右写真左側がカーニバルのプログラム表紙。右写真右側がプログラム内に掲載されたブルームーンボーイズの紹介フォト。表紙だけを見ると、カーニバルとはいえ、地元の有名人とか美男美女を招聘する“オカタイ村祭り”みたいな催しを想像してしまう。 カーニバルの詳細はヨクワカンナイが、エルヴィスはたった4曲だけ歌って、“好ましからざるジョーク”を飛ばしてステージを降りてしまったそうな。また夜のステージにも登場せず、主催者が「カーニバルのプログラムをメチャクチャにした!」とボブ・ニールとパーカー大佐に激しいクレームを入れ、エルヴィスの出演料100ドルの半額の返金を要求したんだそうじゃ。 事の仔細はネット上では判明せず、この日エルヴィスに何が起こって“職場放棄”をしたのかは不明じゃが、大佐は50ドルの返金を承諾し、「ヒット曲を連発したり、ライブツアーをすること以前に、エルヴィスはまだまだタレントとして教育が必要である」というコメントを主催者へ返した(?)記録がSMWやEDDに掲載されておった。(ただし暗にエルヴィスを教育していなかったボブ・ニールへの批判でもあるとの注釈付き) 当時のライブスケジュールを確認すると、7月20日から8月13日までの南西部ぶっ通しツアー(その間休みは1日)の終盤であり、5月のお休みも2日、6月も5日だけと凄まじいスケジュールだったので、20歳だったエルヴィスもさすがに疲れ切って“うんざり”していた可能性はあり、“オカタイ”お祭り(だったかもしれない)ホワイトリバー・ウォーター・カーニバルをちょいと揶揄いたくなったのかも!? ![]() 下写真左側はHAC1958年空撮。下写真中央はGoogle-map近年の空撮。赤枠部分がスタジアム。現在では使用されておらず、コンクリートの石段だけが残っておる。(下写真右側)なお石段最上部の通りは、今でもスタジアム・ドライブと命名されたままである。(ホワイト川の畔まではストリートビューが入り込んでいないので、左上Google-mapマークは、スタジアム・ドライブ位置をマーキングしてあります)
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![]() 1950年代のエルビス最後のアーカンソー州ライブは、1956年5月16日リトルロックという都市のロビンソン・オーディトリアムで行われた。(「バーチャル~アーカンソー州2022年後編Point-16」でご案内済)それから約16年後の1972年4月16日にエルヴィスはアーカンソー州、それも同じリトルロックに戻ってきた。会場は当地老舗のスポーツ・アリーナであるバートン・コロシアム(左写真)。 エルヴィスの死後ファンの間で“バーニン・ラブ”との愛称が付けられた着用頻度が少なかったレッドのジャンプスーツ姿でエルヴィスは登場した。ライブレヴューをチェックすると、コロシアムを埋め尽くした10,000人を越える大観衆を熱狂されるエルヴィスのライブの魅力を、「16年前(1950年代)と変わらぬエルヴィスの若さ」であり、「50年代と変わらないエルヴィスのカリスマ性と観客の従順性」であることが強調されておる。 ![]() それからエルヴィスは歌い始めた。ちょっとしたスピーチは無し!エルヴィスと彼の曲だけだ!ステージ上で受け取ったギターが邪魔になった。エルヴィスはそれを床に投げつけた。「ギターを壊すつもりはなかった」と言った。 エルヴィスは聴衆だけでなく、自分自身にも若さの泉を見つけたのだろうか?彼はこれからもいつも私たちと一緒にいてくれるだろうか? 重要なのは曲ではない。歌詞やメロディーなど誰も気にしてはいない。エルヴィスのペルソナ(力強い存在)がすべてだった。右から反り返った左脚のスタッカートのハーキング、乱暴に振り回す腕、煽情的な指、官能的な父なる地球の骨盤の突き上げ、あらゆる動作がヒステリーに近い歓喜の金切り声をもたらした。まさに昔と同じだ! 午後10時25分、ライブは終わりが近づいている。エルヴィスは明かりをつけてほしいと頼んだので、壁に群衆が集まっているのが見えた。これはおそらく記録的な現象であり、確実に1万人を超える崇拝、熱狂的なファンを集めている。その毅然とした真四角さ(この場合はブレルことのないファンの熱狂的従順さと意訳しておこう)は、ほぼ1950年のようである! 2013年7月21日付の「アーカンソー・デモクラット・ガゼット」なるリトルロックの地元新聞が、1956年5月23日のエルヴィス・ライブにおける思い出のコメント投稿をオンラインで募ったところ、57年もの月日が経過していたにもかかわらず、夥しい数の投稿が寄せられた!(「バーチャル~アーカンソー州2022年後編でご紹介済」)。1972年のライブからも今年で51年目であり、あらためて地元民の思い出のコメントを集めてネットにアップして頂きたい! ![]() ![]() |
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