NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.453


第72回 エルヴィスゆかりの地~アーカンソー州2025年後編

(上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。)

アーカンソー州というと、お隣のミシシッピー州やルイジアナ州よりも日本人にはマイナーなイメージじゃが、50年代のエルヴィスを知る上では欠かすことの出来ない州じゃ。今回も若きエルヴィスがアーカンソー州でかました、巻き込まれた、また“やらかした”エピソードの数々を交えて各地へご案内致す!エルヴィス&ブルームーン・ボーイズが、あわやバディ・ホリー&クリケッツと同じ運命をたどりかけたお話もアリマス!

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第72回 アーカンソー州2025年後編

 ・Area No.は2022年度編からのアーカンソー州内の番号
 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。
 
 Area No.26/Serial No.520 コーリーズ・トラック・ストップ跡地/デルモット
 Area No.27/Serial No.521 ハイスクール・オーディトリアム跡地/エルドレード
 Area No.28/Serial No.522 メモリアル・スタジアム/エルドレード

 Area No.29/Serial No.523  グッドウィン・フィールド・エアポート/エルドレード
 Area No.30/Serial No.524  リバースタジアム跡地/ベーツビル
 Area No.31/Serial No.525  バートン・コロシアム/リトルロック 

 
【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

★右下地図をクリックすると拡大表示されます。(クリック↓)

★ 本文中の表記について ★

←このマークをクリックすると、
Google-map上の位置が表示されます。

SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト
EDD=「Elvis Day By Day」 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト)
HAC=ヒストリック・アエリアルス(アメリカの空撮サイト)


本物のリボルバーを持ってエルヴィスご満悦
Area No.26/Serial No.520 コーリーズ・トラック・ストップ跡地/デルモット
 前回の「バーチャル~アーカンソー州2025年前編」にて、1955年3月25日のデルモット・ハイスクール・オーディトリアムでのライブ会場をご案内したが、ライブ終了後(もしくは翌日)、エルヴィスら3人はオーディトリアムから旧65号線を約5キロ北上した位置にあった「コーリーズ・トラック・ストップ」というトラック停留所のレストラン(ツイン・シティ・ダイナー)にコーヒーブレイクをとるために立ち寄り、その場で州警察官と一緒に撮影された美しい写真が残されておる(左写真)。
 エルヴィスが手にしておる拳銃は州警察官(右端の人物)が携帯しておったリボルバーじゃ。当時の警察官は、ほんの何秒かの写真撮影の間なら拳銃を他人に持たせても構わなかったんじゃろうか!エルヴィスのポーズから、元来の拳銃好きが分かるな!

 この写真をSMWに投稿してきた人物はこの警察官のお孫さんであり、警察官は写真を長い間大切に自宅に飾っており、エルヴィス&ブルームーンボーイズが有名になる前に一緒に写真撮影が出来たことを誇りにしておったという。
 写真内のエルヴィスの足元に注目してほしい。これは警察官の話ではブルースゥエードシューズだったらしい。

 トラック・ストップやレストラン自体の情報はなく、また建物写真もなく営業終了時期もまったく不明。エルヴィスが写った写真が唯一の情報資料のようじゃ。
現在跡地には「ULYSESS TRUCK STOP」の看板を掲げる新しい建物が建てられておる。(右写真ストリートビュー2024年2月撮影)


記念すべき1台目のピンクキャデラックで最初にやって来た(かもしれない)街
 Area No.27/Serial No.521 ハイスクール・オーディトリアム跡地/エルドレード

 エルドレードは、アーカンソー州の南側ルイジアナ州との州境まで僅か30キロにある、アーカンソー州の南の玄関口と言われる中規模の街じゃ。1920年代には石油産業で栄えたという。西側のテキサス州との州境の都市テクサーカナ、ルイジアナ州のシュリーブポート、いわばエルヴィスの地方のフランチャイズ都市といえるこの2つの街まではいずれも130キロじゃ。
 エルヴィスはこのエルドレードでは1955年3月30日と10月17日にライブを行っており、地元発信サイトをチェックすると、ライブを体験した当地の住民たちの2回のライブの記憶がかなり混濁しておるようなので(笑)、SMWの記載に沿って整理しておこう(笑)

 1955年3月30日はエルドレード・ハイスクール・オーディトリアムでのライブ。当時のエルドレードでは映画館以上の収容人員数が可能だった当地の大型イベント会場でもあり、ルイジアナヘイライドが開催されるシュリーブポートが近かったこともあり、ライブ前からエルヴィスの評判は上々だったという。ルイジアナヘイライドの人気DJだったT.トミー・カトラーもライブに駆け付けて会場を盛り上げたという。
 このT.トミー・カトラーという人物はサム・フィリップスの1940年代からの知り合いであり、サムの要請によりエルヴィス人気を高めるために一役買っていたわけじゃが、その一方で“非常に賢くて抜け目のない男”だったようで、資料によるとグランド・オール・オープリーでも活躍していたようで、50年代終わりには全国的にその名が知れ渡る存在となり、70年代には政治家に転身して上院議員当選を果たしておる。自分の知名度拡大の意図もあってエルヴィス人気に便乗したのかもしれないが、当時賛否両論だったエルヴィスに対して「賛」で臨んだことは先見の明があったというべきか。

 なお正確な日付は特定されてはおらんが、エルドレードでの最初のライブの前後に、エルヴィスは一台目のキャデラックを購入したとSMWには記述されておる。EDDにてキャデラック購入の経緯を追ってみたところ、3月16日(前後)にビル・ブラックが運転するツアー用のリンカーンが干し草を積んだトラックの下敷きになってオシャカ。その後エルヴィスはツアー仲間だったボーカルグループのブラウンズ姉弟の実家からファミリー・カーを借用してツアーを続行。3月30日前後に1台目のピンク・キャデラックを購入したそうな。左写真が1台目のキャデラックである。(撮影日時と場所は不明)

 ちなみに車を返してもらったブラウンズ・ファミリーは“運転の荒っぽを物語る”傷だらけの車体を見て呆れかえったという(笑)直接車を返しに来たのはスコッティだったそうな。エルヴィスはバツが悪かったのか!?

エルドレード・ハイスクールは1976年に別の場所へ移転。ハイスクール・オーディトリアム跡地は現在のサウス・アーカンソー大学のキャンパス内の駐車場あたりに該当する。
 右写真はストリートビュー2013年6月撮影。右側に写る茶色の建物は旧ハイスクール・オーディトリアムではなく、1940年代に建てられた旧サザン州立大学の体育館。


女性客のBFが嫉妬してエルヴィスに嫌がらせをしたほど盛り上がったフェス!
 Area No.28/Serial No.522 メモリアル・スタジアム/エルドレード

 
 エルヴィス二度目のエルドレードでのライブは、前回のハイスクール・オーディトリアムのライブから約半年後、1955年10月17日であった。主催は“石油の街”エルドレードらしい!?「石油推進週間委員会」という商工会議所のプロジェクトであり、この時は上述したT.トミー・カトラーはナッシュビルのラジオ局へ栄転されておったので参加はしていない。
 メモリアル・スタジアムは周辺地域の中では最大級の規模のフットボール・スタジアム(上写真左、中央)であり、当日は西側の観客席のみ集客に使われ、集まった観客は約5,000人とされておる。エルヴィスのライブは14組の地元ミュージシャンのコンテスト・プログラムの中に組み込まれておった。

 この時期のローカル・ライブにしては珍しくSMWに詳細が記述されておるので、転載しておこう。供述はコンテストに出演した地元ミュージシャンによるものじゃ。

 ショーの前にエルヴィスが私にギターのチューニングをしてくれるか尋ねた。私がチューニングをしている間、彼は車の中に座ってサインをしていました。しばらくしてエルヴィスは「チューニングは終わりましたか?」と尋ねました。私は「そうだね」と言いました。彼はそれを持ってステージに出ました。
 エルヴィスがステージに上がって以降、今夜のショーは彼のショーとなり、彼は全ての話題をさらいました。それは私がこれまで見た中で最高のパフォーマンスでした。彼は紫色のパンツ、黒いシャツ、オレンジ色のジャケット、そして白いバックパックを着てステージに上がっていました。
 That is All Right、Mama は当時私たちが知っていた彼の唯一の曲であり、彼はプログラムの中でおそらく6曲ほど歌った。スタジアムの座席数は ほぼ満席でした。
 エルヴィスが歌って踊っている間、ファンは大声で叫び、爆竹を鳴らしていました。観客席から転落し、気を失った少女もいました。エルヴィスのパフォーマンスはハンマーで殴られたようなものだったのです。
 エルヴィスが少女たちに与えた影響を理由に怒る少年もいました。彼らはエルヴィスのキャデラックのタイヤから空気を抜く嫌がらせをしました。タイヤに再び空気を入れるために、空気タンクを備えたレッカー車を持ち込まなければなりませんでしたが、エルヴィスは全く気にしていないようでした。彼は車の中で辛抱強く座ってファンにサインをしていました。彼はとても礼儀正しかったです。


 上記の供述にもキャデラックが登場するが、Area No.27で上述した初代キャデラックではなく、この時は既に2台目のキャデラックじゃ。1台目のキャデラックは購入してから三ヶ月も経っていない1955年6月5日アーカンソー州ホープからテクサーカナへ向かう途中に炎上事故を起こしておる。(「バーチャル~アーカンソー州2022年後編Point-13参照」)右写真が2台目のキャデラック。(撮影場所はメンフィス・ラマーアベニューにあった当時のエルヴィスの自宅の庭とされておる)
 この2台目のキャデラックは後にグラデス・ママにプレゼントされたと言われており、グラデス・ママは一度も使用することなく、現在はグレースランドに展示されておる。

エルドラド・メモリアル・スタジアムは現在でも稼働中であり、人工芝とビデオスコアボードが導入されておる近代的なスポーツ・スタジアムとして年間を通してスポーツ・イベントが開催され続けておる。
 左写真はストリートビュー2016年8月撮影。赤丸部分がエルヴィスのライブ時に使用された西側のスタンド。赤矢印は、エルヴィスがスタジアム入りした時に通ったとされるエントランス。


エルヴィス&ブルームーンボーイズ危機一髪!?
Area No.29/Serial No.523 グッドウィン・フィールド・エアポート/エルドレード
 エルヴィスとアーカンソー州エルドレードは、上記ライブ2回の他にもう1回意外な関わりがあった!
 1956年4月13日テキサス州アマリロでのライブ終了後、エルヴィス、スコッティ、ビルの3人はその日の深夜にチャーターされた飛行機に乗ってRCAナッシュビルへ向かった。翌14日RCAマクガヴォック・スタジオでのレコーディングの為じゃ。
 14日早朝に飛行機はエルドレード郊外にある小さな飛行機グッドウィン・フィールド・エアポートに燃料補給のために立ち寄った。左上写真左側は当時の空港。右側写真はHAC1955年空撮。赤丸内が空港敷地。また左写真はEDDに掲載されている4月14日にチャーター機に乗り込むエルヴィスであり、撮影場所はアマリロの空港か、グッドウィン・フィールド・エアポートかは不明。

 さて、ここからが大事件、というか大悲劇未遂事件が起こった。チャーター機がナッシュビルに向けて飛び立った後、パイロットが「地図を確認したい」とのことで、操縦席の隣に座っていたスコッティに“1分間だけ”操縦桿を預けたという。スコッティは軍役時代に飛行機の操縦経験があったのかもしれないが、スコッティが操縦桿を握った直後にエンジンが激しく咳き込む様な音を立てて止まり、飛行機の高度が急速に落ち始めたという!その時、ビルはジャケットを頭からひっかぶってこの飛行機に乗った運命を呪ったという。
 結局飛行機は空港に戻ることが出来て惨事は免れたが、この未遂事件は空港で飛行機燃料を補給していなかったことが原因というから呆れてしまうわい。SMWには、「空港に到着した際、パイロットが誤って燃料補給要請を知らせる補給ボタンを押していなかった」みたいな説明が記述されておる。

 ご存知の通りエルヴィスは飛行機嫌いで有名であり、その原因がこの1956年4月14日の墜落未遂事件だったとされておる。しかし文献の中には、バディ・ホリイの死亡原因と同様に、「悪天候がもたらした危険な飛行状態」とされておるが、真相はどうやら燃料ギレ寸前による飛行トラブルだったようじゃ。
 ロック史の中には、飛行機事故でスターが命を落とした事例がいくかある。1976年にバンドメンバー3人が亡くなったレイナード・スキナードの墜落事故も燃料ギレと言われておる。「燃料切れなんて、そんなバカらしい事があるのか?」と当時は信じられなかったものじゃが、悪天候でも機体不良でもパイロット急病でもなく、墜落事故原因ってこんな単純なところにもあるもんなんじゃなあ・・・。もう70年近くの未遂事件じゃが、エルヴィス、スコッティ、ビルがご無事で胸をなでおろしてしまったわい。
 
 右写真はストリートビュー2019年7月撮影のグッドウィン・フィールド・エアポート。燃料補給が“されているはず”の時間にブルームーンボーイズがコーヒーを飲みながら一服していた小さな空港棟は約70年前とほとんど変わらぬ外観のままじゃ。
 またここで3人が「助かった!命拾いをした!」と神様に感謝していたことを想像すると訪れてみたい気もするが、それもあまりいい趣味ではないかも!?とは思いつつ、エルヴィスゆかりの地のひとつとして加えさせて頂きます。空港の正式名称はサウス・アーカンソー・リージョナル・エアポートであります。


 エルヴィスが“真っ当なクレーム”を受けたライブ
Area No.30/Serial No.524 リバースタジアム跡地/ベーツビル

 「バーチャル~」の下調べの際、遠い昔にエルヴィスがライブを行った名もなき小さな街や地域自体について投稿のあるwikipediaに目を通していくことから始める場合が多々あるが、べーツビルという街のwikiの説明には少々驚きが!アーカンソー州の内陸深くにあるこの街は旅芸人ですら滅多にやってこない田舎だろうとたかをくくっていたところ、アーカンソー州の歴史上2番目に自治体が出来上がった先進的な場所であったという。人々の大量の入植とそれに伴う街の発展の基盤になったのは街を貫くホワイト川と、その周辺のなだらかで肥沃な土地であり、周辺に点在する入植地同士を繋ぐ港湾地として繁栄がスタートしたという。海であり川であり、やはり“水のある所”から人間が住む集落が出来上がっていく普遍的な歴史をまたまた知らされた!
 って少々大袈裟な前置きが長くなったが、そのべーツビルの命であるホワイト川の畔で若きエルヴィス君はクレームを受けてしまったオハナシをちょっとだけ紹介しておこう。

 1955年8月6日、ホワイト川の畔から川へ向かってせり出すように建設されていたリバー・スタジアムにエルヴィスは登場。この日べーツビル伝統の「ホワイトリバー・ウォーター・カーニバル」が催されており、エルヴィス&ブルームーンボーイズは昼夜2回出演の予定であった。
 右写真左側がカーニバルのプログラム表紙。右写真右側がプログラム内に掲載されたブルームーンボーイズの紹介フォト。表紙だけを見ると、カーニバルとはいえ、地元の有名人とか美男美女を招聘する“オカタイ村祭り”みたいな催しを想像してしまう。
 
 カーニバルの詳細はヨクワカンナイが、エルヴィスはたった4曲だけ歌って、“好ましからざるジョーク”を飛ばしてステージを降りてしまったそうな。また夜のステージにも登場せず、主催者が「カーニバルのプログラムをメチャクチャにした!」とボブ・ニールとパーカー大佐に激しいクレームを入れ、エルヴィスの出演料100ドルの半額の返金を要求したんだそうじゃ。

 事の仔細はネット上では判明せず、この日エルヴィスに何が起こって“職場放棄”をしたのかは不明じゃが、大佐は50ドルの返金を承諾し、「ヒット曲を連発したり、ライブツアーをすること以前に、エルヴィスはまだまだタレントとして教育が必要である」というコメントを主催者へ返した(?)記録がSMWやEDDに掲載されておった。(ただし暗にエルヴィスを教育していなかったボブ・ニールへの批判でもあるとの注釈付き)
 当時のライブスケジュールを確認すると、7月20日から8月13日までの南西部ぶっ通しツアー(その間休みは1日)の終盤であり、5月のお休みも2日、6月も5日だけと凄まじいスケジュールだったので、20歳だったエルヴィスもさすがに疲れ切って“うんざり”していた可能性はあり、“オカタイ”お祭り(だったかもしれない)ホワイトリバー・ウォーター・カーニバルをちょいと揶揄いたくなったのかも!?

 リバー・スタジアムはホワイト川で行われるボート競技等のウォータースポーツ観戦のために1929年に建設された。ホワイト川が内陸に流れ込んで出来上がった沼地にコンクリートを流し込んで造られたスタジアムであり、エルヴィスら出演者たちは川を背にしてステージに立ち、ステージから陸地にかけてせりあがっていたスタンドから観客はステージを見下ろす構造だった。
 下写真左側はHAC1958年空撮。下写真中央はGoogle-map近年の空撮。赤枠部分がスタジアム。現在では使用されておらず、コンクリートの石段だけが残っておる。(下写真右側)なお石段最上部の通りは、今でもスタジアム・ドライブと命名されたままである。(ホワイト川の畔まではストリートビューが入り込んでいないので、左上Google-mapマークは、スタジアム・ドライブ位置をマーキングしてあります)



 エルヴィスは聴衆だけでなく、自分自身にも若さの泉を見つけたのだろうか?
  Area No.31/Serial No.525 バートン・コロシアム/リトルロック


 1950年代のエルビス最後のアーカンソー州ライブは、1956年5月16日リトルロックという都市のロビンソン・オーディトリアムで行われた。(「バーチャル~アーカンソー州2022年後編Point-16」でご案内済)それから約16年後の1972年4月16日にエルヴィスはアーカンソー州、それも同じリトルロックに戻ってきた。会場は当地老舗のスポーツ・アリーナであるバートン・コロシアム(左写真)。

 エルヴィスの死後ファンの間で“バーニン・ラブ”との愛称が付けられた着用頻度が少なかったレッドのジャンプスーツ姿でエルヴィスは登場した。ライブレヴューをチェックすると、コロシアムを埋め尽くした10,000人を越える大観衆を熱狂されるエルヴィスのライブの魅力を、「16年前(1950年代)と変わらぬエルヴィスの若さ」であり、「50年代と変わらないエルヴィスのカリスマ性と観客の従順性」であることが強調されておる。

 魔法の瞬間がやって来た。警官に囲まれながらエルヴィスは壇上への階段を飛び上がり、素晴らしいコーラス隊、20人編成のオーケストラの前を通り過ぎ、万雷の拍手の中でステージ前をスマートに前後に行進し、観客に彼の赤いスーツ、白いマント、白いスカーフ、そして大きな(純金?)ベルトのバックルを見えやすいように披露した!
 それからエルヴィスは歌い始めた。ちょっとしたスピーチは無し!エルヴィスと彼の曲だけだ!ステージ上で受け取ったギターが邪魔になった。エルヴィスはそれを床に投げつけた。「ギターを壊すつもりはなかった」と言った。

 エルヴィスは聴衆だけでなく、自分自身にも若さの泉を見つけたのだろうか?彼はこれからもいつも私たちと一緒にいてくれるだろうか?

 重要なのは曲ではない。歌詞やメロディーなど誰も気にしてはいない。エルヴィスのペルソナ(力強い存在)がすべてだった。右から反り返った左脚のスタッカートのハーキング、乱暴に振り回す腕、煽情的な指、官能的な父なる地球の骨盤の突き上げ、あらゆる動作がヒステリーに近い歓喜の金切り声をもたらした。まさに昔と同じだ!

 午後10時25分、ライブは終わりが近づいている。エルヴィスは明かりをつけてほしいと頼んだので、壁に群衆が集まっているのが見えた。これはおそらく記録的な現象であり、確実に1万人を超える崇拝、熱狂的なファンを集めている。その毅然とした真四角さ(この場合はブレルことのないファンの熱狂的従順さと意訳しておこう)は、ほぼ1950年のようである!

 2013年7月21日付の「アーカンソー・デモクラット・ガゼット」なるリトルロックの地元新聞が、1956年5月23日のエルヴィス・ライブにおける思い出のコメント投稿をオンラインで募ったところ、57年もの月日が経過していたにもかかわらず、夥しい数の投稿が寄せられた!(「バーチャル~アーカンソー州2022年後編でご紹介済」)。1972年のライブからも今年で51年目であり、あらためて地元民の思い出のコメントを集めてネットにアップして頂きたい!

 1952年にオープンしたバートン・コロシアムは、元々はスポーツ・アリーナーとして建設された建物であり、エルヴィスのライブがコンサート会場の使用としては実質初めての試みであり、メデタク満員御礼となった。エルヴィスが先鞭を付けたようで、以降ロックコンサート会場としての歴史を重ねることになり、現在でも稼働中。右写真ストリートビュー2023年6月撮影。


 バックナンバーを御覧になる場合は
各バナーをクリックして下さい。
 
(赤枠のバナーは、アーカンソー州2025年前編、2022年編)
 
     
   
         
   
   
   
         
   
   
   
   
         
   
   
   
         
   
     
   
   
   
     
   
   
   
   
   
   
   
   
   

GO TO TOP