NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.454


第73回 エルヴィスゆかりの地~ノースカロライナ州2025年前編

(上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。)

ノース・カロライナ州って何処だか分かるかのう?(笑)日本人にはマイナーな州かもしれんが、テネシー州の東隣にアリマス!同州には2022年以来の再訪となり、前回は資料探しに苦労した覚えがあるが、今回はそれなりに調べ上げられたので乞うご期待!と言いたいところではあるが、資料は見つかってもエルヴィスの写真がごく僅か・・・ご案内の際に視覚的な見所に乏しいかもしれんが、興味を持って頂くために精一杯(?)テキストを工夫したので、どうか最後までお付き合いのほどを!


【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第73回 ノースカロライナ州2025年前編

 ・Area No.は2022年度編からのノースカロライナ州内の番号
 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。
 
 Area No.13/Serial No.527 ハイスクール・オーディトリアム/トーマスビル
 Area No.14/Serial No.528  センター・シアター跡地/ハイポイント
 Area No.15/Serial No.529 アンバサダー・シアター跡地/ローレン

 Area No.16/Serial No.530 ブライトウッド・イン/ホウィットセット
 Area No.17/Serial No.531  カロライナ・シアター跡地/ウィンストン・セーラム
 Area No.18/Serial No.532 ダウンタウン・プール・パーラー/シャーロット
 Area No.19/Serial No.533  ブロードウェイ・シアター跡地/レイズビル

【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

★右下地図をクリックすると拡大表示されます。(クリック↓)

★ 本文中の表記について ★

←このマークをクリックすると、
Google-map上の位置が表示されます。

SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト
EDD=「Elvis Day By Day」
 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート
 (ウェブサイト)
HAC=ヒストリック・アエリアルス
 (アメリカの空撮サイト)


キングのトライアド征服第二弾ライブ!
 Area No.13/Serial No.527 ハイスクール・オーディトリアム跡地/トーマスビル
 ノース・カロライナ州の地形的な特徴のひとつに、中北部に“ピードモント・トライアド”と呼ばれる台地が広がっており、その地域に複数の中規模都市が点在しておる。その中の最大の都市グリーンズボロでのエルヴィスのライブは「バーチャル~ノースカロライナ州2022年前編 Area No.6」でご案内しており、その他トーマスビル、ハイポイント、ウィンストン・セーラムという主要都市でのライブ情報をひっかき集めたのでご案内しよう。

 トーマスビルでのライブは1955年9月17日、トーマスビル・ハイスクール・オーディトリアムで行われた。ハイスクールの1955年発行のイヤーブックの写真が奇跡的にネットにアップされておったのを発見し、建物の全貌が分かったので掲載しておくぞ!
 左写真上段が1955年校舎の写真、左写真下段/右側はオーディトリアム(講堂)の内部らしき様子が伺える。恐らくエルヴィスのライブはここで行われたのであろう。

 ビードモント・トライアド地域の地元サイトが2020年に「キングがトライアドを征服した時」というコラムを2020年4月にアップしており、その中にトーマスビルでのライブに関する記述が見られるので転載しておこう。上述したグリーンズボロ以外の他のトライアドでのライブの記述は他には無かったので、この地域でのライブにおける特筆すべき、象徴とされるべき状況がトーマスビルでのライブで起こったと判断するべきじゃろう。

 トーマスビル高校の講堂で行われた騒々しいショーでは、エルヴィスの震える唇、不自然に暗い目が特徴的であり、そして彼は3種類のグリースを使い、準備にかなりの時間が費やされた。滑らかに撫で上げられた黒いダックテールポンパドールが強調され、不安になるほどの激しさを持っているこの若いパフォーマーの姿が明らかになった。彼は頭を聴衆に向かって投げ出したのだ。十代の少女たちは、エルヴィスの骨盤の回転とむき出しの性的魅力に、制御不能で金切り声を上げたり気を失ったりしており、この普段は堅実なコミュニティの多くの親たちにとって、エルヴィスの存在は大きな懸念の源となったのだ。

 現在ハイスクールはシニア・ハイスクールとなっており、旧ハイスクールの住所を辿った場合のストリートビューが右写真。(2019年6月撮影)写真中央に写る3本の木々の奥に旧ハイスクールの建物が建てられていたと思われる。写真内右端の建物は現シニア・ハイスクールの本部であり、旧ハイスクールの建物とは関係なさそう。旧ハイスクールのキャンパス自体が完全に整備し直され、建物全てもほぼ建て直されておるようじゃ。


 エルヴィスとフィルムノワールと家具屋さんと
 Area No.14/Serial No.528 センター・シアター跡地/ハイポイント

 1956年2月7日、“ピードモント・トライアド”地域内のハイポイントという街にあるセンターシアターでエルヴィスのライブが行われた。まず1枚目の証拠写真(左写真)は暗闇の中に浮かび上がるセンター・シアターのライトボード、その中に(写真内左端中央辺り)ELVIS PRESLEYの文字がくっきりと浮かび上がっておる、何ともノスタルジックでワンダフルなショットじゃ。70年近くも前の時代に引きずり込まれそうな、まさにフィルム・ノワール(1940~50年代のアメリカの暗黒社会映画、ハードボイルド映画)の世界であ~る。エルヴィスとフィルム・ノワールは全然関係ないがELVIS PRESLEYの文字が不思議と違和感なくマッチしておる。

 更にもう1枚。エルヴィスの出演が柱のポスターにもアピールされておるセンターシアターの入口の写真(下写真左側)。
 この当時のアメリカの劇場入口は局部的にかなり似通った造りだったので、「果たして本当にセンターシアター?」と疑ってかかり、別の入口付近(下写真右側)の写真を見付けて照合した結果、間違いなくハイポイントのセンターシアターの写真であることが判明した次第じゃ。
 それにしてもセンターシアターのロゴは洒落ておりますな。トップに掲載した写真でもわずかに確認出来るが、とても50年代のデザインとは思えない21世紀型のロゴじゃ。エルヴィスのライブ写真は見つからなかったものの、これらの写真の発見と鑑定でいまのところ満足してしまい、失礼致しました!

 センター・シアターは1939年に開場し、その際の映画の演目は「セント・ルイス・ブルース」。この映画はエルヴィスもアマチュア時代からよく歌っていたポップなブルースの名曲「セントルイス・ブルース」をモチーフにした同名映画のミュージカル版じゃ。

 その後シアターは1981年をもって閉館とされておったので、当然取り壊されているはずと思いきや、ストリートビューを見てビックリ!。右下写真は2023年2月撮影じゃが、跡地にはシアターの入口の大きな庇部分や変更になっていたシアターの大きなロゴがそのまま残されておった! Google-mapで確認するとシアターの跡地は家具屋さんのショールーム。チョイト気になってハイポイントと家具屋さんとの関係を調べてみたところ、おもしろい事実が判明!
 センターシアター跡地はシアター閉鎖から数年後に家具屋さんとなり、その経営会社のメイン市場がハイポイント、ラスヴェガス、そしてテュペロだった!この家具屋さんは偶然にもエルヴィスゆかりの地と見事に繋がっていた!それだけに(?)エルヴィスの出演したシアターの入口を取り壊さずにいたのじゃ。(ただしこの情報は2004年にネットにアップされたものなので、現在の家具屋さんの経営者が同一かどうかは不明。)


1デイ4ライブの超ハードスケジュール只今強行中!
Area No.15/Serial No.529 アンバサダー・シアター跡地/ローリー
 1956年2月は、エルヴィスが生涯もっともハードなライブスケジュールをこなしていた時期と言えるかもしれない。それは毎日の移動距離だけではなくて“ライブ回数”じゃ。
 
 2月6日からスタートしたノースカロライナ・ツアーは、6日グリーンズボロ、7日ハイポイント(上記Area No.14)、8日はここでご案内するローリー、9日はお隣りのサウスカロライナ州スパータンバーグ、そして10日はノースカロライナに戻ってシャーロッテ(「バーチャル~ノースカロライナ州2022年後編」Area No.8)と5日連続で1日4ライブじゃ!
 更に11日はドーシー・ショー出演の為にニューヨークへ飛び、12日、13日はバージニア州でまた連日1日4ライブ!こんなムッチャクチャなスケジュールは2月いっぱい続き、その間ライブ無しは1日のみ!その1日も2月中2度目のドーシーショー出演のための移動日じゃ。
 まだ「ハートブレイク・ホテル」が全米で大ヒットする前であり、エルヴィスの宣伝文句は“大手RCAと契約した期待の新人シンガー”という肩書のみ。これだけで目一杯稼がせてしまおう!というパーカー大佐の過剰な目論みはブラック企業なみ!?
 もっともブッキングされていた各会場のキャパが大きくなく、ここアンバサダーシアター(上写真)も収容人員数は1,700。ガッツリ儲けるには1日のライブ回数を増やすしかなかったわけじゃ。まあその分大佐は多額のギャラをしっかりとエルヴィスに支払っていたから、大佐を一方的に非難することは出来ないが。気の毒なのは、スコッティ、ビル、DJか!?どんなに働こうが、週給100ドルっつう契約に縛られておったからのお・・・。

 しかしここまでの「ノースカロライナ州2025年編」でもお分かりのように、1955年2月当時のライブは写真もライブ記録もほとんど公になっておらず、SMWでもスルーされっぱなし。SMWも調査がスムーズに進められなかったのじゃろう。これは当時のRCAや大佐がまだ業務記録の重要性を軽視していたということもかもしれない。ミュージック・ビジネスはまだそんな段階だったのじゃ。まあ入出金の帳簿管理は漏れなく行われておったじゃろう!

 アンバサダー・シアターは1938年に開場し、ローリーでもっとも繁栄した劇場であった。パラマウントの子会社が運営しており、話題の映画のプレミア・ショーも頻繁に行われておった。1989年に周囲の再開発により取り壊され、現在は「アレキサンダー・スクエア・パーク」という名の大型駐車場になっておる。右写真ストリートビュー2022年3月撮影。


エルヴィスがトマト&レタス・バーガーとミルクをオーダーした伝説のドライブイン
Area No.16/Serial No.530 ブライトウッド・イン/ホウィットセット
 こちらは1956年2月15日、ノースカロライナ州バーリントンでのライブを終え、次のライブ地同州ウィンストン・セーラムに向かう途中にエルヴィス、スコッティ、ビルが立ち寄ったドライブイン・レストラン。エルヴィスがツアーの移動中に入った飲食店は星の数ほどあるじゃろうが、日付が明確にされ、直接応対したスタッフの証言が残されておる希少なレストランかもしれない!地元ではエルヴィスが立ち寄ったことが口承され続けておるらしい。

 ホウィットセットという街はバーリングトンから約20キロ、ウィンストン・セーラムまで約50キロの国道70号線沿いにあり、エルヴィス一行が店を訪れた際に応対した女性はその後もずっとこのお店で働き続けており、地元では有名人になっておるようじゃ。約10年前にエルヴィスの思い出を語ったインタビューがyou tubeにアップされておる!エルヴィスはトマトとレタスを挟んだハンバーガーとミルクをオーダーしたという。残念ながらエルヴィスのファッションは覚えていないという。「このお店は昔からユルイですがドレスコードがあるので、エルヴィスはジーンズ姿ではなかったことは確かです!」とのことじゃ(笑)
 また彼女はエルヴィス一行に対して従業員として当たり前の対応をしただけだったらしいが、スコッティとはほんの少しだけ会話をして、「僕らをカントリーバンドとは思わないでくれ」と言われたそうな!エルヴィスの印象は「とにかくイケメンだった」とのこと!その後彼女はエルヴィスの音楽のファンになり、一度だけライブを体験したという。それはエルヴィスが亡くなる約四ヶ月前の1977年4月21日に隣街のグリーンズボロで行われたライブだった。

 上写真左側は彼女のインタビュー動画がアップされた約10年前の撮影。上写真中央は、エルヴィスが座った4番テーブル。上写真右側は、かつてエルヴィスがオーダーしたトマトとレタスを挟んだハンバーガーの現在のメニュー写真。

 ブライトウッド・インは現在も営業中であり、お店の噂を聞きつけた近隣の州のエルヴィス・ファンも訪れ続けており、またお店で耳にしたエルヴィスのエピソードからエルヴィス・ファンになる方も多いという。
 先述したエルヴィス一行の来店に対応した女性従業員がご健在なのかは不明じゃが、彼女の他にもエルヴィスばなしを上手に聞かせる事の出来る従業員がいらっしゃるのかもしれない。機会があったら是非行ってみたいものじゃ!右写真ストリートビュー2023年6月撮影。


バコの街で辛うじて命を繋ぐ、エルヴィス黄金期の残像劇場
Area No.17/Serial No.531  カロライナ・シアター/ウィンストン・セーラム

 Area No.15で上述の通り、ノースカロライナ州と周辺の州で1日4回のライブをこなし続けていた1956年2月の16日にはウィンストン・セーラムという街で同州最後の1日4回ライブを敢行!エルヴィスもブルームーンボーイズもさぞお疲れであったじゃろう。
 ウインストン・セーラムは、その名の通り、かつては全米有数のタバコの大生産地として繁栄した街じゃ。ウィンストンとセーラムという隣同士の地域が合併した経緯があり、同名の2つのタバコの銘柄から判断すると、各々異なる種類のタバコを生産していたのかもしれない。
 この日のライブと、一週間前のサウスカロライナ州スパータンバーグのライブは、会場名が同じ「カロライナ・シアター」であったこともあり、現在ネット上の情報がごっちゃになっておるので、ここで間違いを簡単に指摘しておこう。
 エルヴィス・インフォの類のサイトに掲載されておるライブ写真や会場写真のほとんどはサウスカロライナ州のカロライナ・シアターであり、ノースカロライナ州のカロライナ・シアターの正しい写真は上2枚じゃ。

 またこちらの会場のライブ写真は現在ネット上では発見出来ず、唯一Pinterestがバックステージの撮影とする左写真(右側)をアップしておる。しかしわしの見立てでは「?」じゃ。
 これは約半年後の8月4日フロリダ州マイアミのオリンピア・シアターでの撮影の可能性の方が高い。エルヴィスがジャケットやパンツまで切り刻み、会場外にたむろっていた大勢の女性ファンに向けてばらまいた日じゃ。少なくともジャケットは8月4日着用のタイプと同じじゃ。この写真がもし1956年2月16日撮影のものであれば大変希少な1枚となるので、とりあえずはご参考までに掲載しておこう。

 カロライナ・シアターは1975年にノースカロライナ芸術学校によって買収され、ロジャー L. スティーブンス センターとして知られる舞台芸術センターになった。オーケストラの音響効果を向上させるために、場内の内部の高さを切り詰める建設工事が行われ、1983年に完成すると、座席数 1,385 のロジャー L. スティーブンス センターとして再オープンした。
 地元のサイトには、「残念なことに、アールデコ様式のマーキー(入口上の大きな庇)と、荘厳な内装のほとんどは姿を消した。カロライナ・シアターは壮観だったが、リノベーション以降は味気なく、今ではかつての素晴らしさの影が消えている。」と記載されておる。右写真ストリートビュー2023年6月撮影。


エルヴィスの超希少な“自宅外”ビリヤード写真!
  Area No.18/Serial No.532 ダウンタウン・プール・パーラー/シャーロット
 1956年6月27日、エルヴィスはシャーロットという街のシャーロット・コロシアムでライブを開催。(「バーチャル~ノースカロライナ州2022年後編」Area No.10参照)ライブ前にRCAのお偉いさんたちが協議の上、ステージ上に大きな「ニッパー君」の模型やRCAのロゴ看板をディスプレイして、当日集まった約6,000人の大観衆に向けてRCAを大々的にプロモートしたライブでもあった!
 
 当地で大いに歓迎されたエルヴィスは終始マスコミに追いかけられており、ライブ前に宿泊先のホテル・シャーロット(「バーチャル~ノースカロライナ州2022年後編」Area No.9参照」)を抜け出してビリヤード場で息抜きをしていた写真を撮影されておる。(左写真)この写真は翌日の新聞にも掲載された。(右下写真)
 ところが現在のネット情報に、ビリヤード場が何処だったのか、明確な記載が未だに見つからないのじゃ。当時の新聞にも“ホテル近くのダウンタウン・パーラー”“プール・パーラー”といった記載しかない。散々調べまくったものの、現在のところは申し訳ないが場所の特定が出来ないのをご了承頂きたい。
 とはいえ、調査の段階でこの写真に関して珍しい事実に気が付いた。試しにエルヴィスがビリヤードを楽しんでおる写真をネットで検索してみてほしい。ほとんどがメンフィスのオーデュポン・ドライブ宅かグレイスランドでの写真ばかり。つまり自宅以外でエルヴィスがビリヤードを行っておる写真はネット上ではこの1枚だけなのじゃ。そこで現時点では貴重な1枚として、場所は特定出来ずもご紹介することにした!

 SMWに僅かではあるが関連情報が記載されておるので引用しておこう。当時何処へ行っても必ず巻き起こった「反エルヴィス感情」を逆なでしないよう、エルヴィスは大佐から「ライブ以外は、極力ホテルでおとなしくしておるように!」と外出禁止令が出されておったが、この日のエルヴィスは取り巻き連中を何人か連れて外出に成功!
 そのままホテルの数件隣りのバーベキューハウスへ。そこで食事をしたり女性客と談笑をしたり、そしてビリヤードを行ったりしてライブ前の緊張感をほぐしておったという。このビリヤードを行った場所がバーベキューハウス内だったのか、またはプール・パーラーが隣接していたのか、その辺がまったく判明せずということじゃ。

 下写真左側は1950~1960年代の撮影と思われる、シャーロット・ホテル南東の写真。(左上端の建物がシャーロット・ホテル)ホテルから手前に向けて2階建ての白い建物が続いており、その中にビリヤード場があったのかもしれない。下写真右側は、左側写真と同じ位置から撮影されたストリートビュー写真(2022年9月撮影)。(左のgoogle-mapマークの位置は、目安としてシャーロット・ホテル跡地の場所のリンクを貼ってあります)



 廃れた映画館が最後に“残して魅せた”エルヴィス愛
  Area No.19/Serial No.533 ブロードウェイ・シアター跡地/リーズビル

 上記ウィンストン・セーラムの北東約50キロの位置にリーズビルという人口約15,000人の街がある。ここでエルヴィスがライブを行ったり、また立ち寄ったりした記録は一切ない。しかしエルヴィス・ファンにとっては妙に記憶に残る1枚の写真が撮影されておる。それが映画「恋のKOパンチ/Kid Galahad」(1962年公開)のポスターが掲げられた映画館入口の写真じゃ。(左写真)
 この写真は、エルヴィスの活躍した時代を振り返ったり、また単にエルヴィスを哀惜したり懐かしんだりするコラム等にイメージ画像として挿入されることが少なくない。撮影場所は映画公開当時には存在していたブロードウェイ・シアターという映画館じゃ。
 映画館が閉鎖した後も長らくこの状態のまま(ポスターが掲げられたまま)放置されておったことが、“アメリカの古き良き時代”を哀惜する人々の心情そのものとして取り扱われた写真と言えるじゃろうな!

 あらためてこの写真やブロードウェイ・シアターの詳細を調べてみて、少々驚いてしまった!
 まず、この写真は映画館の裏口の様なショットじゃが、実は正面入口じゃった。トリミングされていない全体写真を発見したことで判明した事実じゃったが(左写真/左側)、映画館閉鎖後のショットとはいえ、建物はちょっと寂れすぎ。(左写真右側はHAC1962年撮影)
 周囲には別の映画館も当時いくつか存在しており、どうやらブロードウェイ・シアターはもっとも貧弱な造りであり、普段から客入りが悪かったと推察される。

 また映画館が閉鎖されたのは「恋のKOパンチ」が公開された1962年じゃった。つまり「恋のKOパンチ」は最後の上映映画だったようじゃ。ひょっとして映画館のオーナーは、「エルヴィス映画が当館のファイナル」という事実を、不人気だった映画館の唯一の美しいメモリーとして街に残しておきたかったのかもしれない!

 いつ頃まで映画館が取り壊されずにいたのかは不明じゃが、不思議であることは閉鎖後の放置状態中に映画のポスターがファンに盗まれなかったことじゃ。当時リーズビルに住んでいた誰もがオーナーの意図を汲み、またエルヴィス本人がやって来ることのなかったリーズビルにささやかな“キングの痕跡”を残しておきたかったのだろう。エルヴィス・プレスリーという存在が、アメリカ人にとって単なるスターではなく、文化のアイコンとして崇められておったことが偲ばれるというものじゃ。
 ブロードウェイ・シアターのあった地域は一部古き良き建物が残されておるようじゃが、残念ながらシアターは完全に取り壊されて跡地にはテナントビルが建てられておる。(右写真ストリートビュー2022年7月撮影)
 なおGoogle-map上では現在「ブロードウェイ劇場(閉鎖)」の表記がされたままであり、「まさか、近年一時的に復活していたのか?」と期待したが、ストリートビューのもっとも古い撮影2007年度版ではスーパーマーケットになっており、その後の撮影写真でも劇場が復活した形跡はなし。現在このビルにテナントは入っていない模様。



 バックナンバーを
御覧になる場合は
各バナーをクリックして下さい。
 
(赤枠のバナーは、
ノースカロライナ州2022年編)
 
       
   
         
   
   
   
         
     
   
   
   
         
     
   
     
         
   
     
   
   
   
       
   
   
   
   
   
   
   
   
   

GO TO TOP