NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.358

原宿ロックンロールドリーム
       ~ロックアーティスト専門店激闘記
 

時代が狂っていたのか、俺たちが狂っていたのか!?
バブル狂騒時代に原宿に咲き乱れたロック・アーティスト専門ショップたち!
「Love Me Tender」「Get Back」「Gimmie Shelter」「Yardbirds/World Tour」
「Gun's Shop」「Keibuy Gallery」etc

遅刻したって残業すりゃ文句ねえだろう!
血を吐くまで酒飲んだこともないヤツなんて信用できるか!
バックルームで居眠りしてようが、酒飲もうが、売上げ良けりゃ問題ねえ!
俺たちはメンフィス・マフィア直系だ、アップルレコードの社員だ、ストーンズファミリーだ!俺たちの情熱こそが会社の理念だ!!

青春の残り火を激しく燃やし尽くした、愛すべきスタッフたちのあの異常な熱量は何だったのか。


第21回:幻のレベルイエール大逆転作戦とロックンロール・ミュージアム

ローリング・ストーンズは現役ではなかった

 1993年の年明けからギミーシェルター勤務が始まったが、俺の力では売上を大幅に引き上げることは出来なかった。とにかく大量のツアーグッズをいかにしてさばくかが最大の使命であり、そこにはローリングストーンズへの強い愛着とか拘りは不要だった。それは当時のゲットバックでもラブミーテンダーでも同じことだったかもしれない。
 個人的なロックアーティスト愛なんざを乗り越えて売上を上げてみせるのが店長の仕事だと言われればそれまでだが、俺にはそんな技量はなかったということだろう。

 ローリングストーンズに対して、我々もひとつ大きな勘違いを犯していたのも事実だ。1990年の初来日公演に日本中が湧きかえっていたとはいえ、厳密にはローリング・ストーンズは決して現役ロッカーではなかったのである。
 来日公演前に発売されたアルバム「スティールホイールス」以降、新作は発表されずじまい。ライブアルバムとベストアルバムが1枚づつ、その他キース・リチャーズのセカンド・ソロアルバムが1枚。1993年になっても、ニューアルバム発表の噂すらなかった。これでは現役アーティストとはいえない。初来日公演に熱狂した膨大なミーちゃんハーちゃんたちも、既にすっかりストーンズ熱は冷め、たただのジジイのバンドとしてストーンズを見ていたに違いない。

 それにもかかわらず本国で生産され続けるツアーグッズ、キャラクターズグッズを日本のファンに押し付けようとする方が間違っていたのかもしれない。
 ツアーグッズ、キャラクターズグッズはローリングストーンズが作った、もしくは彼らの息がかかった作品ではなく、あくまでも株式会社ローリングストーンズ側がストーンズの音楽とは全く関係なく営利目的で生産した物品だ。センスもデザインも白人向けであり、ギミーシェルター内で展示していてもストーンズ・グッズとは思えない妙な異彩を放っていたものだ。


5,000,000万円がスルリと消えた「レベルイエール事件」

 悪戦苦闘するギーミーシェルター業務の中で、ひとつだけ忘れられない思い出がある。キース・リチャーズ愛飲の幻のバーボン、レベルイエールの大量仕入れを目論んだ時だ。
 これは海外の業者さんからの情報だったが、レベルイエール、それもキースが好きなヴァージョンはアルコール度数が50%であり、コイツは既に生産中止となり、アメリカ人の酒マニアが大量の在庫を買い占めたらしかった。その一部が市場に流出されるという。その数は確か500本だったはずだ。
 俺は情報キャッチとともに早速電卓を叩いた。500本を買い占めて、1本8,000円で売れば4,000,000円の現金収入になる!また商品の受け渡しを店頭で希望するお客さんには、ツアーグッズを格安で販売する特典を付ければ売り上げは更に1,000、000円上乗せできるかもしれない。ギミーシェルターが停滞から抜け出すにはこの手しかない!

 某輸入代行業者にレベルイエールを買い占めたコレクターに連絡をとってもらうと、コレクターはすぐにこの話に乗った。アメリカからの輸送量や税金その他諸々の経費を入れて、仕入れ価格は俺の読み通り1本4,000円弱。当時ジャックダニエルやワイルドターキーらのバーボンの市価が5,000~6,000円だったので、レベルイエールをギミーシェルターで売れば8,000円でも文句は出ないだろう!という算段だった。あとは酒類の販売許可の取得問題さえクリアすれば絶対にイケル!

 俺はさっそく「キース愛飲のバーボン、レベルイエールをギミーシェルターが独占輸入!今しか飲めない幻のバーボンを逃さずゲットせよ!」というド派手なカタログを作り、日本中のギミーシェルター会員たちに郵送した。結果はすばらしく、あっという間に300本以上の予約注文が入った!500本すべて予約で売り尽くせるのは時間の問題だった。

 ところがである。輸入代金を代行業者に支払う直前で大問題が起こった。代行業者の元に届けられたレベルイエール500本は、キース愛飲のアルコール度数50%ではなく、40%のスタンダード・バージョンだった。

「これじゃ売れないですよ!」
「そこを何とか売って下さい」
「酒好きに売るんじゃないです。ストーンズ・ファン、キース・ファンに売るんですよ。これじゃダメなんです!」
「500本も仕入れたんです。何とかなりませんか?」
「大体あなた、50%ものじゃないとダメだとコレクターに念を押しましたか?」
「・・・」

輸入代行業者さんと、こんなやり取りを続けたものだ。

 結局俺は、予約を頂いた方全員にお詫びのハガキを出した。「もしよろしければ、40%ものを格安でお売りします」という一筆を添えた。やはりほとんどの予約客は40%ものには興味がなく、「それでもいい」というお客さんは20名ほどしかいなかった。

レベルイエールで大逆転作戦!はあえなく潰えてしまった。


ギミーシェルター移転とロックンロールミュージアム

 「レベルイエール買い占め騒動」が終わってまもなく、ギミーシェルターは移転することになった。移転先は目の前の建物の地下、エルヴィスの銅像の真後ろの位置だ。
 渋谷の「ロックンロールパーク」や「ガンズ・ショップ」も同じ地下スペースにへ移転となった。「ラブミーテンダー」は1階の全スペースがあてがわれた。

 1Fと地下の店舗スペース全体を「ロックンロールミュージアム」と名乗り、「ギミーシェルター」は店舗というよりも地下スペースの一画にコーナー化された。
 当初「ゲットバック」も同時移転する予定だったが、現店舗が竹下通りのど真ん中に位置して通りすがりのお客を捕まえられる利点を逃したくないという新任店長さんの要望によってゲットバックの移転はなくなった。その代わり、KEIBUYギャラリー時代にさばき切れず、倉庫に眠っていた貴重品を再び引っ張り出して、「貴重品コーナー」が設置されたりした。

 ほとんどの店舗を一ヵ所に集結させるというアイディアは別として、俺がどうにも解せなかったのは店舗の外装だった。外装の指示は誰が出したのかは分からないが、プレオープンした時には唖然とした。
 1970年代にニューヨークとシスコにあったライブハウス「フィルモア」の正面入り口を模し、出演するアーティスト名を列記する部分まで再現されていたが、この「ロックンロールミュージアム」のエンター頭上に列記されたアーティスト名は、どういうわけか60年代前半のブリティッシュ・インベイジョン(ビートルズに続いてアメリカ制覇を目指したイギリスのポップバンドたち)を彩ったアーティスト名ばかりなのである。ブリティッシュ・インベイジョンなんて、マニアックなオールドファンしか知らないブームであり、日本ではそれ自体はほとんど話題にもならなかった。しかも現在の若いロックファンはバンド名すら知らないだろう。

 フィルモア風の入口を見せられて、その奥にエルヴィス・グッズが、ストーンズグッズが、ガンズン・ローゼスグッズがあるとは連想出来るだろうか。しかもショーウインドウの壁面は、レッドツェッペリンのアルバム「フィジカル・グラフィティ」のジャケットデザインの超拡大コピー。意図不明な外装である。

 俺は代表に外装の真意を聞いてみた。
「どうしブリティッシュインベイジョン時代のバンド名があって、ツェッペリンのフィジカル・グラフィティまであるんですか?全然時代が違うし、センスも別物じゃないですか」

 代表の説明は、外装のモデルとしてフィルモアの写真を内装業者に渡したが、アーティスト名は変えるよう指示を出したらしいが、全部渡した元の写真通りにされたという。フィジカルグラフィティのデザインを採用したことについては、ツェッペリン・アイテムもアピールしたいという理由だった。結局は外装業者さんの受注ミスということで、外装は作り直すことになった。


この会社はイベントが得意なのだ

 会社の方針に従い、その中で精一杯の実績を出す。それが社員の使命である。俺はロックンロールミュージアム開館に当たり、A社のやり方を無理にでも理解しようと努め始めたある時、A社にひとつの特色を見つけ出した気がした。

 この会社は基本的にイベント会社なのだと思えて来た。
 ロックンロールミュージアムは、ロックアーティスト専門店の集まりというよりも、ロック物販イベントの会場そのものだ。限られたスペース内に、出来るだけ商品陳列する。そこにはロック的センスやロック愛よりも、商品を見やすく、探しやすくみせるセンスが優先され、いかにしてこちら側のパワーを来場者に伝えて圧倒できるか。

 今までのロックアーティスト専門店は、一ヵ所に腰を降ろして時にはマニア、時にはミーちゃんハーちゃんとじっくりと対峙し合う。しかし、そんな時期は過ぎ去り、いかにして大量のツアーグッズをアピールしていくかが会社の方針であり、店舗作りにおいてもはや拘りの強い社員のアイディアやセンスは後回しと会社側は判断していたのだろう。
 
 ロックアーティスト専門店を次々とオープンさせる前のA社はその売上の多くを地方イベントで稼ぎ出していたと聞いたことがある。それが原点であり、得意なビジネスジャンルなのだと、俺は自分に言い聞かせた。(つづく)

※右写真は、正面の外装を作り直した後のロックンロール・ミュージアム


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