NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.341

原宿ロックンロールドリーム
       ~ロックアーティスト専門店激闘記
 

時代が狂っていたのか、俺たちが狂っていたのか!?
バブル狂騒時代に原宿に咲き乱れたロック・アーティスト専門ショップたち!
「Love Me Tender」「Get Back」「Gimmie Shelter」「Yardbirds/World Tour」
「Gun's Shop」「Keibuy Gallery」etc

遅刻したって残業すりゃ文句ねえだろう!
血を吐くまで酒飲んだこともないヤツなんて信用できるか!
バックルームで居眠りしてようが、酒飲もうが、売上げ良けりゃ問題ねえ!
俺たちはメンフィス・マフィア直系だ、アップルレコードの社員だ、ストーンズファミリーだ!俺たちの情熱こそが会社の理念だ!!

青春の残り火を激しく燃やし尽くした、愛すべきスタッフたちのあの異常な熱量は何だったのか。


第9回:オークション・アイテムの価値の付け方教えます!
~直筆サイン&ゴールドディスク編

■直筆サイン編①~知名度、筆跡、書かれたアイテム、使われたペン等、価値付けは様々■

 マンスリー・オークションの出品物の中でもっともアイテム数が多かったのが、アーティストの直筆サイン。本場イギリス、アメリカからの仕入れ価格は、まずはアーティストの世界的知名度に大きく左右される。また物故者のサインは現存者のサインよりも遥かに高い。それはサインの数が現存数よりも増えないということだ。その点を充分に考慮しながら出品する際の最低落札希望金額を設定した。

 ロック界ならば、断トツで価値が高いのがキング・オブ・ロックンロールのエルヴィス!当時の価格で¥200,000~¥300,000前後である。
 次にビートルズ4人のサイン。ジョン・レノンは既に物故者であることも関係しており、4人揃ってのサインは¥200,000~¥250,000。
 その次が故ブライアン・ジョーンズを含む、60年代のローリング・ストーンズ5人のサイン。お値段は¥150,000~200,000。

 当時現役のアーティストならば、マイケル・ジャクソンとブルース・スプリングスティーンがナンバーワン・クラスであり、¥50,000~¥80,000。次がクイーン(4人)やマドンナ・クラスで¥30,000~¥50,000。 

 いずれも値段に幅があるのは、直筆サインが書かれているアイテムによって値段が変動するからである。もっとも高値が付けられる直筆サインは、アルバムジャケット上のもの。勿論名盤に書かれている方が凡作よりも価値が高い。サインの位置やジャケットの表か裏かも重要。
 次に生写真。サイン帳(メモ用紙)にかかれた物は価値が下がる。
 さらにサインそのもののクオリティもポイント。サインの筆跡が濃いか薄いか。太いか細いか(サインペンか、ボールペンか)が重要なのだ。
 一度ビートルズ4人の直筆サインで¥400,000の高値が付いたアイテムがあった。それはビートルズのNo.1人気アルバム「アビイロード」のLPジャケットに書かれたサイン。アビイロード・スタジオの前の横断歩道を渡る4人を写したジャケットだが、4人それぞれが自分の脚の位置の下にある横断歩道の白ペンキ部分にサインペンで署名しており、絵的にも非常に美しくて筆跡も鮮明であるために人気が高かった(入札者が多かった)のである。

 ちなみに80年代末期及び90年代初頭は、アナログディスク(LPレコード)からコンパクトディスク(CD)へ録音メディアが完全に切り替わった頃である。それでもジャケットの見栄えはアナログディスクの方が遥かに素晴らしいという印象が強く残っていた時代であり、現役アーティストの直筆サインも、CDによりもLPのジャケットに書かれたサインの方が高値であった。

■ 直筆サイン編②~希少だったエルヴィスのサイン ■

 当時の印象を振り返ると、エルヴィスの直筆サインはなかなか出品出来なかったものだ。海外のロックオークション、サイン取り扱い業者のリストの中にもまずお目見えしなかったし、出品を申し出て来る方もいらっしゃらなかった。
 何故か?その原因は不明だが、エルヴィスがサイン嫌いだったというエピソードは聞いたこともないので、恐らくエルヴィスのサインを所持している方が何らかの理由で手放さないからだろう。キング・オブ・ロックンロールの直筆サインを生涯大事にしたいのか。もしくは価値が暴騰する時期を息を潜めて待っているのか。そんなことはもちろん知る由もないが、俺がKEIBUY在籍時に目にすることが出来たエルヴィスのサインはわずか数点だったはずだ。

 エルヴィス以外でリクエストは多いのに入手が困難だったアーティストがもう一人(一組)いた。当時のNo.1ハードロックバンドだったガンズン・ローゼス。ボーカリストのアクセル・ローズやギタリストのスラッシュの単独サインは割と入手しやすかったが、バンドメンバー5人のサインがなかなか見つからなかった。旬のアーティストだったので、幸運にも彼らの直筆サインを入手したファンがまだ絶対に手放したくない時期だったのだろう。
 初めてガンズン・ローゼス5人の直筆サインが個人所有者から出品された時は、¥100,000前後で落札された。現役若手アーティストでここまで落札価格が上がった例は珍しかったが、その要因はサインが書かれたアルバム・ジャケットにあった。アメリカで即刻発禁処分になった初回プレス盤のいわば幻のジャケットであり、ジャケット自体の価値も高かったのである。

 アーティストの日本での知名度、サインの筆跡のクオリティ、書かれたアイテムの種類と価値等を総合的に判断して値段設定をさせて頂いたが、俺としてはギリギリまで最低落札希望金額を下げて、一人でも多くの入札者が現れる配慮をしていたつもりではある。 部署の利益を最優先するならばもっと高値に設定するべきだったが、「この金額ならば、ちょっと無理をすれば自分でも入手できるかもしれない」と思って頂けることが重要だと判断していたのだ。


■ 直筆サイン編③~都市伝説?への対応 ■

 人気アーティストになればなるほど、一種の都市伝説的な噂話が絶えないし、その数も膨大である。直筆サインにまつわるエピソードも然り。
 直筆サインにおいて当時もっとも真偽の判定に注意していたのは、60年代のローリング・ストーンズ5人の直筆サイン。ドラマーのチャーリーワッツが60年代当時はサイン嫌いであり、5人のサインが揃ってはいてもチャーリーのものはビル・ワイマンが代筆していたという説が有力だったからである。ビルが代筆した場合はチャーリーワッツ(Charry Watts)ではなくて、チャーリーボーイ(Charry Boy)と書くらしいという話を「ギミーシェルター」のM店長が教えてくれたので、サイン特有の崩された筆記体の文字が「Watts」なのか「Boy」なのか。その鑑定はM店長に時々お願いしていた。

 レッド・ツェッペリン4人のサインに関しては、ジョン・ポール・ジョーンズ(ベーシスト)がサイン嫌いであり、ツェッペリン関係者が所持していた4人のサインにおいてジョン・ポール・ジョーンズのサインはロードマネージャーが代筆しているという噂もあった。
 これは見極めの基準が分からなくて悩んだが、ある時ジョン・ポール・ジョーンズのサインの筆跡だけがやたらと丁寧なアイテムに出くわした。他の3人のサインはいかにもライブ終了直後かライブ会場入場直前の慌ただしい雰囲気の中で書かれたような荒々しい筆跡だったので余計に目立ったのである。その筆跡こそがロードマネージャーのものであるという俺の勝手な判断によって、以降のツェッペリン4人のサインを入手する際の真偽を見極める基準になったものだ。

 エリック・クラプトンとジミー・ペイジのサインの真偽も見極めが難しかった。2人ともサインが超いい加減(笑)というか略式文字スタイル。超人気ギタリストだから、サインのサービスを最低限の筆跡で済ませていたとしても無理はない。
 だからというわけでもないが、サイン取り扱い業者のリストの中でもやたらと二人のサインが多い。これは偽物が多いかもしれないと俺は勝手に解釈して、一時期2人の直筆サインの出品を躊躇していた。
 そんな時心強い味方が登場した。 70年代にエリック・クラプトンとジミー・ペイジから直接サインをもらい受けたという方である。T部長と一時期仲がよろしかったこともあって頻繁にKEIBUYギャラリーへ現れてくれるるようになり、彼にクラプトン&ペイジのサイン鑑定のアドバイスを頂いたものだ。


■ ゴールドディスク編①~ゴールドディスクとは? ■

 直筆サイン同様に、お客様の注目度が極めて高かったアイテムがアメリカ製のゴールドディスクである。ゴールドディスクとは、アメリカにおいてアルバムの売上枚数が50万枚に到達した場合に、アーティストや関係者に贈呈される額に入った豪華な金メッキされた特製ディスクである。100万枚到達の場合は「プラチナディスク」と称されて、プラチナメッキされた特製ディスクになる。シングル盤の場合は売上100枚以上がゴールドディスクの対象となる。

 その昔洋楽雑誌の中に、アーティスト全員が贈呈されたゴールドディスクを掲げて記念撮影された写真が時々掲載されていた。ゴールドディスクを贈呈される事こそビッグアーティストの証であり、我々読者にとってはアーティストへの限りない憧憬をもたらすに充分過ぎる豪華なショットだった。

 ゴールドディスクの価値は、ディスクの下にセットされているプレートに刻された贈呈者の名前によって大きく変動する。アーティスト本人たちの名前が刻されたデスクがもっとも価値が高く、次にマネージャー、プロデューサー、レコード会社の重役等の重要関係者と続く。ビッグアーティストの人気アルバムで、しかもバンドメンバー本人に贈呈されたデスクになると、それこそ値段が付けられないほどの価値になるのだ。
 例えば、上記したビートルズのNo.1人気アルバム「アビイロード」のゴールドディスクで、しかもジョン・レノンやポール・マッカートニー本人に贈呈されたゴールドディスクならば、その価値は軽く¥1,000,000~¥2,000,000になったかもしれない。更にエルヴィス本人に贈呈されたデスクになると、価値が一体いくらになるのか想像も出来ない!もっともそこまで貴重なゴールドデスクにお目にかかったことはなかったが。

 元々はレコード売上枚数を管理するR.I.A.Aという組織がゴールドディスクの製造、贈呈を行っており、デスク下のプレートにはR.I.A.Aの大きなロゴがプリントされている。中にはR.I.A.Aのロゴが無いゴールドディスクもある。これはレコード会社が独自で製作したデスクであり、価値はR.I.A.Aデスクよりも大きく下がる。
 またイギリスにもR.I.A.A同様のデスク贈呈組織があるが、イギリスのマーケットが小さいためなのか、イギリスの組織発行のゴールドディスクは当時はアメリカものよりも価値は低かった。また製造された時期によっては(特に60年代中期)、ディスクやプレートがセットされている額の中のマットが黒ではなく白の場合があり、特例ディスクとして価値が高い。


■ ゴールドディスク編②~謎多きゴールドディスク ■


 大ヒットしたレコード1種類につき、一体何枚のゴールドディスクが製造されているのかは当時も今もはっきりとしたデータは公表されていない。その他にもゴールドディスクは不明な点が多いアイテムとしてコレクターズアイテムの中では特異な存在であった。
 当時多くのお客様から聞かれた代表的な3つの質問をご紹介しよう。

①「素材は何で出来ているのか」
②「額からディスクを取り外したら、通常のレコードの様に音楽が聴けるのか」
③「どうして時々アーティスト本人に贈呈されたゴールドディスクがお目見えするのか」


解答は下記の通り。
①これは偶然の出来事だが、ある時1970年代中期のゴールドディスクを海外の業者から仕入れた時のこと。額が壊れた状態で到着したが、それは通常は頑丈に額装されている額の中のゴールドディスクに触れる初めての機会になった。ゴールドディスクはレコードサイズに丸くくり抜かれた薄い金属板であり、金メッキやレコードの溝は片面のみ刻み込まれてあった。

②ゴールドディスクの上にレコード針を置いてみたい衝動には何度もかられたものだが結局は実行出来なかった。俺は当時高価なプラチナ製(?)のレコード針を使用していたので、そいつが一発で削られてしまうかもしれないというリスクを冒す度胸はなかった(笑)
 しかしこの点に関しては、後ほど思わぬところから情報を得ることが出来た。それはドアーズというバンドのメンバーの自伝の中にゴールドディスクをターンテーブルに乗せて針を落としてみたというクダリがあった。それによると音楽が聞こえてきたということだ!正規のゴールドディスク製造の際には、レコードサイズの円形金属板の中にも音が刻まれていたのである!
 ただしこれは70年代初頭のエピソード。レコード市場が格段に巨大化した70年代中期からは大ヒットアルバム/シングルが多発して、ゴールドディスク製造の手間暇や経費が疎んじられるようになり、以前製造して未使用になっていたゴールドディスクに中央のラベルだけを張り替えたものも乱造されていたという説も強い。

③ゴールドディスクを贈呈されたアーティストにとって、ゴールドディスクは成功の証であり、一生の思い出のアイテムとなるはずである。しかし海外のオークションを丹念にチェックしていると、アーティストがあっさりとゴールドディスクを手放している事実を知らされたものだ。
 アーティストの報酬システムについては詳しくは分からないが、サラリーマンとは違って定期的に収入があるわけではなし、作詞作曲者でなければ印税は入ってこない。かといってロックアーティストは金遣いが荒い(笑)要するに彼らはゴールドディスクを生活費、お小遣いのためにあっさりと売却してしまうのだ。

 これはローリングストーンズ・ファンクラブ会長のK氏から伺った話だが、70年代中期にストーンズを支えたギタリストのミック・テイラーは、ストーンズ脱退後は生活が困窮してしまい、最後は自分の黄金時代の象徴でもあるアルバム「メインストリートのならず者」のゴールドディスクまで売却して食い繋いだこともあったらしい。
 我々が目にすることが出来るアーティスト本人に贈呈されたゴールドディスクには、このような知られざる背景、物語が隠されているのである。

 なおゴールドディスク類の取り扱いでもっとも厄介だったのは?写真撮影。表面のガラス(もしくはアクリル板)がガッチリと四辺の額に固定されているので外すことが出来ず、正面から撮影する場合は自分の姿やカメラがガラスに映ってしまうのだ。
 考えた末に、縦50センチ、横80センチほどの薄い発泡スチロール板の全面に黒い紙を貼り、更に中央をカメラのレンズサイズにくり抜いた軽量ボードを作成。撮影の際にはゴールドディスクの正面にこのボードをセットして、自分はボードの後ろに回って身を隠し、中央の円形の穴からカメラレンズだけを出して撮影した。これならばゴールドディスクのガラスには黒いボードしか映らない。
 正確に言えばカメラのレンズが映っているのだが、丁度ゴールドディスク中央のラベル部分に重なって適度な保護色効果が発揮されているので問題なし!ガラスには黒ボードが映っているのでディスク写真の鮮明度には欠けるので、その分照明を明るくするなどの工夫をしながらゴールドディスク撮影の難点をクリアしていったものだ。カタログ製作同様、写真撮影の工夫もアナログだ(笑)現在ならば、どんなテクニックがあるのだろうか!


■ 増え続けるカタログ郵送希望者とその対策「第三種郵便物扱い」 ■

 KEIBUY JAPANのマスコミへの露出度が大きくなればなるほど、カタログ送付希望者が物凄い勢いで増え続けることになった。希望者が増えることは出品アイテムの入札者が増えることに直結するので喜ばしいことだが、同時に重大な問題が派生してきた。カタログ郵送料が膨れ上がることである。またカタログ掲載アイテムが増えてページ数も増えると、カタログ重量アップとなってやはり郵送料アップに繋がってしまうのである。

 その対策として、過去一時期はカタログを「第三種郵便物」扱いにしてもらっていた。「第三種郵便物」とは、発行部数、発行サイクル、掲載内容等において一定の規定をクリアすれば、日本郵政から郵送料の大幅なディスカウント許可を得られる紙媒体である。「TIMES」という第三種郵便物許可を得ていた雑誌に名義使用料を払い、「TIMES」の別冊扱い(第三種郵便物扱い)にして郵送料を抑えていたのである。1988~89年当時のカタログの表紙左上には「TIMES」のロゴが不自然に表記されているが、カタログを第三種郵便物として郵便局から全国へ発送するための必須条件だったのである。
 しかし「TIMES」との名義使用契約期間が切れ、それまでの名義使用料と同額での契約延長が出来なくなった。KEIBUYカタログ自体を第三種郵便物として申請する手もあったが、当時は紙媒体の全盛時代であり、第三種郵便物許可の為の条件が異常に多く、しかも申請から許可まで半年以上を要する時代だった。
 代替え案としてカタログの有料化を何度か会社の上層部へ提案してみたが、結局は「無料の物を希望者が増えたからといって有料には出来ない」という理由で却下された。

 「TIMES」との契約期間が切れた後、2~3回は普通郵便物として高い郵送料を払わざるをえなかったが、そんな時に救世主が出現した。カタログの袋詰め、郵便局への運搬を任せていた業者さんが、「M」という第三種郵便物を発行している会社のO代表を紹介してくれた。
 O代表が提示してきた名義使用料はこちらの希望額の倍以上であり、最初から交渉は難航した。カタログ印刷用データの入稿直後だったので、俺は既に疲労困憊状態であり交渉にも粘りがなかった。

 初老のO代表はロックなどにはまるっきり興味がなさそうな方であり、共通の話題で場を盛り上げるアイディアも湧いてこない。しかし何気ない短い会話が事態収拾の突破口になった。
「結構な売り上げがあるんだろう、君のところは。ところで、このカタログは誰が作っているの?」
「僕です。ほとんど僕一人で作っています」
「え?君一人?カメラマンとかライターとかデザイナーは他にはいないのか?」
「90%は僕がやっています」

 90%とは言い過ぎだが、80%は俺一人で製作しているという確固たる自負もあり、堂々とハッタリをかました。O代表は唖然とした顔で俺を凝視している。2人の居る空間の時間が止まったような雰囲気になった。やがてO代表は初めて破顔し、あっさりと交渉はケリが付いた。

「驚いたな。これだけのボリュームの冊子を毎月一人で作っているのか。スゴイパワーだな。よしっ分かった。君の言い値で構わないからうちの名義を使ってくれ」

 極力他人を当てにせずに真正面からカタログ作りに取り組んでいて良かった(笑)それまで面識のなかった方から予想も出来なかった局面で救いの手を差し伸べて頂くことに繋がったのだ。
 とまあ自慢話めいたエピソードを書いてしまったが、カタログ製作におけるもうひとつの大きな問題点は依然として捗々しい解決には至っていなかった。掲載アイテム数、ページ数が増えるにつれて、入力ミス(誤植)が増え続けていたのである。製作の最終段階である文字校正を丁寧にこなすまで、自分の体力が追い付かなくなっていたのである。読者の中には、ご丁寧にも入力ミスをまとめて指摘した手紙を送りつけてくる“性格のよろしい方”もいらっしゃった(笑)

 数年ほど後に後悔したのだが、偶然にも俺の姉が当時「文字校正」の内職を始めていたらしかった(笑)姉に言わせれば俺にはその事実を伝えてあったとのことだが、俺は記憶の引き出しから取り出すことが出来なかった。実の姉ならば、かなりのサービス価格で引き受けてくれたはずだ。灯台下暗しとはこの事である。
 思わぬ方からご厚意を頂いていた反面、身近な者に協力して頂ける可能性に気が付けないほど、当時の俺の脳みそは飽和状態だったのだろう。(つづく)

(※使用している写真は必ずしも当時の物ではありません。あくまでもイメージです)

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