NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.340

原宿ロックンロールドリーム
       ~ロックアーティスト専門店激闘記
 

時代が狂っていたのか、俺たちが狂っていたのか!?
バブル狂騒時代に原宿に咲き乱れたロック・アーティスト専門ショップたち!
「Love Me Tender」「Get Back」「Gimmie Shelter」「Yardbirds/World Tour」
「Gun's Shop」「Keibuy Gallery」etc

遅刻したって残業すりゃ文句ねえだろう!
血を吐くまで酒飲んだこともないヤツなんて信用できるか!
バックルームで居眠りしてようが、酒飲もうが、売上げ良けりゃ問題ねえ!
俺たちはメンフィス・マフィア直系だ、アップルレコードの社員だ、ストーンズファミリーだ!俺たちの情熱こそが会社の理念だ!!

青春の残り火を激しく燃やし尽くした、愛すべきスタッフたちのあの異常な熱量は何だったのか。


第8回:ギャラリーKEIBUY JAPANオープン
/実質スタッフ3人で売り上げ¥70,000,000!?


■日本初の常設オークション・ギャラリー「Gallery KEIBUY JAPAN」オープン■

 1989年7月、日本初の常設オークション・ギャラリー「Gallery KEIBUY JAPAN」が、映画スター専門店「ハリウッド」に代わってオープンした。一般的な美術ギャラリー同様に、店内の壁はホワイトのクロス(壁紙)で統一され、額装品を壁面に吊るすためのワイヤーを固定するレールが壁の最上部に走っており、什器は貴重なレコードや衣装をディスプレイするための大型のショウケース一台のみ。横幅約4メートル、奥行き7~8メートルの小さなギャラリーだが、アーティスト直筆サイン、ゴールドディスク、リトグラフ等、額装されたロック関連の貴重品が壁面にずらりとディスプレイされている様子は、さながら「ミニ・ロックミュージアム」であり、ロックンロールという文化、音楽の価値を自分たちの力で底上げしてみせたような快感に浸ることの出来る空間だった。

この「Gallery KEIBUY JAPAN」には一ヶ月間にわたってマンスリーオークションに出品されたアイテムが展示され続け、来場者はいつでも展示品(オークション出品物)を鑑賞出来る。もちろん入場料は無料である。


■世界で1枚しかない「ビートルズの絵」、ついに御披露目■
 ギャラリーオープン記念の目玉アイテムは、最低落札希望金額¥15,000,000に設定された世界に1枚しかない「ビートルズの絵」。(詳細は、当コラム第7回参照)現代の大型テレビスクリーンのようなビッグサイズの「ビートルズの絵」がギャラリーの壁面中央にディスプレイされているだけで、ギャラリー内の雰囲気が厳粛化されるようなビッグアイテムだ。
 別のビルにあった「ゲットバック」からの来場者は元より、ギャラリーと同じビル(coxy176)2階のお隣さんである「ギミーシェルター」「ヤードバース」の来店者たちまでが「一体あれは何なんだ?」とギャラリーに引き寄せられてしまうような強烈な吸引力、集客力を放つ絵画だ。ビートルズは何をやっても多くの人を惹きつけてしまう威力を発揮するバンドであることを再認識させられたものだ。

 T部長は日本初の常設オークションギャラリーオープンのニュースと「ビートルズの絵」の価値を抱き合わせた企画書を作成し、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、各マスコミに向けて一斉に送付した。マスコミへのアピールなど未経験だった俺は、「果たして企画書を送付しただけでマスコミが取材にやってくるものなのだろうか」と思ったものだが、俺の想像以上に話題性は充分にあったようで徐々にマスコミから問い合わせが来るようになった。


カタログはバージョンアップ。マスコミ対策は冷静に■

 ギャラリーのオープンとともにカタログの一部カラー化もスタート。表紙周り4ページと見開きページ4ページがカラー印刷になった。カラー化カタログ第1号の表紙はもちろん「ビートルズの絵」である。一気に全ページカラー化を俺は望んでいたが、当時はカラー印刷の価格がべらぼうに高く、人気雑誌でもグラビアページはカラー印刷、記事主体ページはモノクロ印刷が当たり前の時代であり、全ページカラーのカタログは次の目標に留め置いたものだ。

 現代のDTPシステムであれは、専用アプリでカラーページの色彩を簡単に設定することが出来るが、アナログ時代の当時は膨大な種類の紙製カラーチップの中から表紙の色を選び出さなければならなかった。「赤」「青」「黄」といった単色にも実は相当な種類のトーン違い(濃淡の違い)があり、カラーチップで指定した色をどこまで正確に印刷出来るかが、印刷所の腕の見せ所でもあった。
 最終版下(印刷用出力紙を貼り付けた台紙)を印刷所に提出し、冊子が刷り上がる前には、もうひとつ「色校正」というカラー部分の見本印刷をチェックする段階がある。ここでカラー印刷の質を見極めて、そのままゴーするか、色を微妙にチェンジするかを判断するのだが、この段階を経ることには経費も時間もかかるので大概はスルーした!出品アイテム集めと取捨選択、額装、写真撮影、カタログ製作を一人で引き受けていたので、時間のゆとりがまったくなく、版下を提出してからは「色校正」などすっ飛ばして超特急で印刷を仕上げてもらうしかなかったのだ。従ってカラー化当初は微妙な色具合は避けてより原色に近いと思われるカラーチップによって色指定を行っていた。

 ギャラリーに来場したマスコミや「ビートルズの絵」の入札希望者の対応も、ギャラリーオープン当初はすべてT部長が行っていた。俺は時間が許す限りT部長に同行し、マスコミとの受け答え、高価なアイテムの落札希望をする方への接客術を学ぶつもりだったが、T部長は決して大袈裟なアピールはせず、聞かれたことを笑顔で淡々と答える姿勢を貫いていた。

「言葉少なめな対応でいいのでしょうか?」
「アイテムの価値はカタログに掲載されているから、それを読めば分ってもらえるじゃないか!」
「だから僕にカタログをしっかり作れということですね」
「そういう事、そういう事(笑)マスコミが取材に来るってことは、既に企画書とカタログで理解しているってことだよ。だから現場での余計な煽りは要らないよ」

マスコミの取材が終わると、俺とT部長の会話はいつもこんな感じだった。T部長のマスコミ対応を目で見て、耳で聞いて参考にしながら独自の対応策を学びとっていくしかなさそうだ。



■ 「ビートルズの絵」の運命や如何に!? ■

 「ビートルズの絵」はスポーツ新聞や雑誌の小枠、またテレビの深夜番組などで少しづつ紹介されていったお陰で、ロックファンやビートルズファン以外の方もギャラリーへ鑑賞にやって来るようになった。口頭では入札を検討していると語る方も数人ほど現れた。
 しかし生まれてこの方、¥10,000,000単位の買い物などしたこともなければ、そんな多額な取引現場を目にしたことも無い俺にとって、「ビートルズの絵」が実際に売却されるかどうかは見当もつかないし、その業務に携わっているのにどこか他人事のように事態の行方を静観していた。

 逆にT部長は入札締め切り日が近づくにつれて明らかに落ち着きがなくなっていった。無理もない。「ビートルズの絵」の発掘と買い付け、ギャラリーの立ち上げとマスコミへのプロモートを一手に引き受けたのだから、入札者が一人もいないという事態は立場上許されないのだ。
「社長がさあ、毎日毎日何回も入札はあったか?と聞いてくるんだよ。少しはそっとしておいてほしいよ」

 実際にT部長の不安を煽るように、入札者は一向に現れない。開館記念に届けられたお花がたくさん飾られ、週末ともなればたくさんの来場者が訪れる華やいだ雰囲気のギャラリーとは裏腹に、我々スタッフの気持ちは入札締め切り日が近づくにつれてブルーになっていった。


■ 素晴らしきギャラリー接客員登場 ■


 「本当に『ビートルズの絵』に入札してくれる方が現れるのだろうか?」
T部長の不安につられて俺の胸も段々と締め付けられるようになっていったものだが、KEIBUYにはもう一人心強いスタッフがいた。ギャラリー開館とともにT部長がギャラリー接客員として採用した女性スタッフKさんである。

 Kさんは万人に慕われるような小柄で朗らかな美人さんだ。また独特のハスキーボイスの持ち主でもあり、入札状況を知らせる電話による音声録音サービスがセクシーに聞こえるらしく、入札の意志もないのに彼女の声を聞く為だけにサービスを利用していた人もたくさんいたらしい(笑)

 T部長の期待通り、Kさんのギャラリーでの接客術は素晴らしく、送付されたカタログに添付されている入札用ハガキによる通信入札ではなく、ギャラリー来館者にその場で入札を促す術に長けており、入札箱にはたくさんの入札カードが入れられるようになった。そして、Kさんはついに入札締切3日前に「ビートルズの絵」の入札者も2人ゲットしてみせたのである。
 接客術、出品物案内術のみならず、Kさんは月ごとに増えていくカタログ掲載アイテムの額装や解説文も数多く手がけてくれるようになり、俺を大いにヘルプしてくれる有難いスタッフになっていった。

 「出品物集めとカタログ製作は君に任せて、ギャラリー管理と接客はKさんに任せる。これでマンスリーオークションは確実に回るから、俺は新しい展開を考えることが出来るんだよ」
KEIBUYスタッフ全員で食事に行くと、T部長はそう言って俺たちを励まし、そしてご馳走してくれた。


■ ¥18,000,000で「ビートルズの絵」が売却成立! ■

 入札締切日当日には「ビートルズの絵」に多大な興味を示す方がもう1名ギャラリーに来館し、Kさんの目の前で入札金額の逡巡を続けていた。事務所にいた俺にKさんは電話で連絡を入れ、入札への“最後の一押し”をお願いしてきた。入札を迷っているというその方はビートルズ自体にはさほど興味がなく、絵画の価値そのものを計りかねているらしかった。
 ギャラリーに到着してみると、その方は確かに音楽好き、芸術好きには見えず、ましてKさんの女性の魅力に惹かれてギャラリーで時間潰しをしているようにも見えない(笑)極めて真面目な自営業者の様にお見受けした。
 入札者は一人でも多い方がいい。何故ならば、最高金額入札者が最終的に購入を拒否した場合は、入札金額が次点の入札者に購入権利が移行するからである。お金持ちの方の気持ちなんて俺が理解できるはずもないが、¥20,000,000近くのお買い物なので、急にお金に都合が付かなくなったり、単なる気紛れから「やっぱり、買うのやーめたっ!」ってなることは往々にしてあるに違いない。

「お願いだから入札して下さい!」
そんな逸る気持ちを抑制して冷静に対応したつもりだが、実際に何を解説したかははっきりと覚えてはいない。ビートルズの直筆サインの筆跡が大きくて鮮明であり、また大きなキャンパスの隅々までが「ビートルズの直筆作品」であることをほんの数分ほど強調したはずだ。

やがてその方は静かに仰った。
「ありがとう。よく分かりました。¥18,000,000で入札します」

 嬉しいというよりも安堵感から腰砕けになりそうだった(笑)受付カウンターの奥で我々の会話を聞いていたK さんは右手で口元を覆いながら涙ぐんでいる。いいスタッフだ。涙ぐむなんて、一生懸命仕事をしている証拠ではないか!
 結局「ビートルズの絵」は、入札締め切り日にギャラリーにいらしたこの方が落札することになった。T部長、Kさん、俺、KEIBUY JAPANの主要スタッフ3人が力を合わせた「ビートルズの絵入札促進大作戦」はこうして実を結んだのである。


■ 超目玉アイテム第二弾!ジョージ・ハリスン使用アストンマーチン ■

 「ビートルズの絵」が出品された翌月のオークションの目玉アイテムは、ビートルズのジョージ・ハリスンが使用していたイギリスの超高級スポーツカー「アストンマーチン」。最低落札希望金額は¥35,000,000!「ビートルズの絵」の倍以上の金額だ。何年か前にイギリスのロックオークションでJ社が落札していたらしく、車輛は長らくN社長が個人的に保管していたので、社員の誰も実物は見たことがなかった。
 「アストンマーチン」はイギリスの王室ご用達の高級車でもあり、映画「007シリーズ」でも頻繁に登場する超スタイリッシュなスポーツ・カー。そこにジョージ・ハリスン使用というとんでもない付加価値が付いているわけなので、「落札されるのかどうか」以前に一体J社は幾らでかつて落札したのだろうという疑問が先走ったものだ。
 どう安く見積もってもJ社が入手出来た落札金額は¥25,000,000は下らないだろう。そんな大金をポンと払えるだけの財力が当時のJ社、N社長にあったのだ。一度N社長にこの件を訊ねたものの、「ビートルズの絵」が売却出来てご機嫌だったN社長は何故か答えてくれなかった。
「そんなことは気にしなくていいから、今度もバッチリ売ってくれよ。頼んだぞ!」

 T部長のプロモーション方法、マスコミへのアピールの仕方がまたまた素晴らしかったのだろう。入札が遅くてハラハラした「ビートルズの絵」とは対照的に、「アストンマーチン」にはあっさりと入札者が現れた。これまた「ビートルズの絵」の落札者とは正反対で、いかにもバリバリの実業家風情の中年男性であり、わざわざ九州から部下3人を引き連れて、J社の駐車場に移動されてあった「アストンマーチン」をご覧になりに来られた!
 全身から実業家としてのエネルギーをほとばしらせながらその方は入念に車輛チェックを行い、吹かし続けるエンジンの音に負けない様な大声で言い放った。
「よしっ、買った!」
俺にはそう聞こえた。

 それにしても当時の俺のサラリーは手取りで月額約15万。大卒初任給程度の金額であり、アパートは六畳一間の家賃4万円。そんなレベルの生活をしている者が、何千万円なんて商品を扱っていていいものだろうか。「アストンマーチン」の落札を即決した方の大声は、俺にはまるで宇宙人か別世界の者の気紛れな雄叫びに聞こえたものだ。
 「ビートルズの絵」「アストンマーチン」に関しては、プロモーションとカタログ掲載用の解説文は実質T部長が担当していたので、同じ事業部内の別の課のお仕事の様な感覚でしかなかったのも事実だが、高額な商品を立て続けに売却してみせたT部長の手腕には恐れ入るしかなかった。
 1989年7月、8月の二ヶ月で、KEIBUY JAPANにはその他のアイテムの売上も含めて合計¥60,000,000以上の現金が入ったのである。粗利益は¥20,000,000ほどになるか!しかもスタッフはたったの3~4人での業績である。驚異としかいいようがない数字だ。これこそバブル時代特有の驚愕のビジネス体験だった。

 「アストンマーチン」の落札金額¥35,000,000が無事会社の口座に振り込まれた後、そのささやかなご褒美だったのだろう。N社長は俺の給料を¥25,000だけアップして下さった(笑)


■ みんなもっと仕事しろよ! ■

 「アストンマーチン」が掲載されたカタログは、多分24~28ページに到達し、掲載アイテム数も100に迫る勢いだったはずだ。10カ月前の入社時に比べれば2.5~3倍のボリュームアップである。
 ギャラリーがオープンして、マスコミの注目度もアップしてきたので薄っぺらなカタログにするわけにはいかないと、見栄を張って無理矢理ページ数を増やしたことも事実だが、一品一品、解説文は心を込めて書いた。「写真カタログなんてつまらない。解説文を充実させた冊子にしよう!」そんな気合でカタログ製作に臨んでいったものだ。もちろん作業時間は増える一方ではあったが、俺の気合が萎えることはなかった。
 「ビートルズの絵」「アストンマーチン」という超ビッグアイテムをダブルで売却してみせたT部長はKEIBUY JAPAN/ギャラリーに素晴らしきロケットスタートをもたらした。ロケットスタートの次は、いかにして安定飛行状態にまで先導するか。それがT部長の後を引き継ぐ俺の役割であると自覚していたからだ。

 毎日夜9~10時まではギャラリーのバックルームで、それ以降は事務所へ戻って終電時刻までデスクで作業の毎日が続いた。KEIBUYギャラリーが入っているビルcoxy176は、夜10時でトイレのカギが閉められてしまうので事務所移動を余儀なくされたものだが、そんな激務の中で嬉しい交流が芽を吹いてきた。
 「ラブミーテンダー」の正木店長が、夜10時付近になると「あ~やっぱりまだ仕事してたんだね」と半分閉めたシャッターの下から顔を覗かせてくれるのだ。正木店長もまた、ほぼ毎日の様に夜遅くまで「ラブテン」のバックルームで仕事をしていたのである。
 俺と正木店長は、音楽もファッションも趣味嗜好が違っていて、それまで社内交流はわずかだったが、お互いに夜遅くまで仕事していたので同胞者意識が生まれ始めていたのかもしれない。やがてどちらからともなく「軽く一杯やってから帰らない?」となり、その後はよくあるパターンに発展した!20歳代の野郎同士が毎回「軽く一杯」で済むはずがない(笑)カタログ製作の締め切り日まで日数がある場合は、それこそ二人で浴びるようにビールを飲みまくった。
 当時はどこの居酒屋へ飲みに行っても、ビートたけしがCMに出演した「Z」という新商品がプロモーションされていたが、二人とも「Z」が口に合わず、キリンビールの「ラガー」ばかりを飲んでいた。
 配を酌み交わしながら何を語り合っていたのかは思い出せない。しかしあの頃の記憶を辿ると、“仕事がはねた”後はいつも正木店長とビールを飲んでいたイメージが強烈だ。

 ある晩、2人とも赤ら顔の千鳥足で呂律もあやしくなりながら帰路についていた時、正木店長の言い放った言葉をひとつだけ記憶している。

「みんなもっと仕事しろよ!折角大好きな仕事やってんのにさ、なんでもっとやれねーんだよ!」

 それは正木店長が自分自身に向かって、または社内のスタッフに向かって、もしくは俺に向かって言っているようでもあった。「頑張って下さい」ですら安易に言ってはならない現代において、こんな発言を職場でしてしまったら大問題になるのかもしれないが、当時の俺には何よりも心強い励ましの言葉だった。こんな逞しい男(正木店長)が身近にいてくれたからこそ、俺はクレイジーバブル時代のクレイジー業務と真っ向勝負することが出来たのだ。
 眩しいばかりのポジティブなオーラに包まれた「ラブミーテンダー」と、来店するお客様ひとりひとりのハッピーな笑顔、それは寝ても覚めても店舗の充実とお客様の満足を追求していた正木店長が作り上げた光り輝く芸術作品だった。ならば俺は、KEIBUYカタログを俺の芸術作品にしてみせようじゃないか!そんな意欲を植え付けてくれた正木店長には今でも感謝している次第だ。(つづく)

(※使用している写真は必ずしも当時の物ではありません。あくまでもイメージです)

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