NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.351

原宿ロックンロールドリーム
       ~ロックアーティスト専門店激闘記
 

時代が狂っていたのか、俺たちが狂っていたのか!?
バブル狂騒時代に原宿に咲き乱れたロック・アーティスト専門ショップたち!
「Love Me Tender」「Get Back」「Gimmie Shelter」「Yardbirds/World Tour」
「Gun's Shop」「Keibuy Gallery」etc

遅刻したって残業すりゃ文句ねえだろう!
血を吐くまで酒飲んだこともないヤツなんて信用できるか!
バックルームで居眠りしてようが、酒飲もうが、売上げ良けりゃ問題ねえ!
俺たちはメンフィス・マフィア直系だ、アップルレコードの社員だ、ストーンズファミリーだ!俺たちの情熱こそが会社の理念だ!!

青春の残り火を激しく燃やし尽くした、愛すべきスタッフたちのあの異常な熱量は何だったのか。


第16回:洋楽大ブームの実態とマスコミの煽情報道の弊害。そして大人になっていった戦友たち

 連載を2回、一ヶ月お休みした「原宿ロックンロールドリーム」を再開しよう。
 あらためてロックンロール・エンタープライズだったJ社の記憶を辿ると、ローリングストーンズとポール・マッカートニーの初日本公演が行われた1990年を挟んで、1989~1991年が売上の全盛期だったはずだ。崩壊寸前のバブル景気と一大洋楽ブームという時代の風の後押しをまともに頂戴した時期だった、ということは今まで散々書いてきた!
 決して我々J社の社員たちの力だけではなかったことは、俺を含めて実はJ社の社員の一部たちは気が付いていたのだが、誰にもJ社の暴走を止めることが出来なかった、という事も書いてきた(笑)

 売上最重視の会社の上層部と、ロックアーティスト専門店としての矜持の崩壊を危惧する現場との距離がどんどんかけ離れていったことは言うまでもない。俺はロック関連の貴重品を扱うオークション事業部だったので、各店の店長さんたちとは少々違った角度から会社の「突撃イケイケオンリー」の方針を疑問視していた。今回は当時の自分が珍しく我に返って、いち社員として自分たちの置かれている状況を見つめ直した経験と記憶から書き始めてみたい。


目が覚めた!?デヴィッド・ボウイのガラガラ・コンサート

 ポール・マッカートニーの来日公演が終わってから二ヶ月後、デヴィッド・ボウイが同じく東京ドームで2回コンサートを行った。10年来のボウイ・ファンだった俺は、ストーンズやポールの時以上に無理をして時間を作って2回とも足を運んだが、衝撃的なほど観客席はガラガラだった。東京ドームのアリーナ部分(人工芝のグランド部分)の7~8割程度しか埋まっておらず、スタンド席は無用の長物状態。数千人程度の客入りだったのだ。
 ストーンズとポールの後だったこと、数年間大ヒットアルバムやシングルが無かった時期的な悪さもあったのかもしれないが、それでもデヴィッド・ボウイというロック界における地位、知名度からすれば信じられない惨状だった。コンサート自体は「サウンド・アンド・ビジョン」と題された、それまでのボウイの活動歴を総括したような密度の濃いプログラムだっただけに、盛り上がらない巨大な東京ドームがバカでかいだけの空虚な円形体育館みたいに感じたものだ。
「日本は本当に大洋楽ブームを迎えているのだろうか」

 同年12月、エリッククラプトンの日本公演を日本武道館で観たが、こちらはキャパが東京ドームの5分の1程度なので空席も無く、“人気洋楽アーティストの身の丈に合ったコンサート”といった感じだった。

 その丁度一年後、ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンのジョイントコンサートも東京ドームで行われた。こちらは元ビートルズという絶対的なネームバリューが付いてきているのでストーンズやポール同様に満席状態。
 要するに、東京ドームという巨大キャパを活かし切るだけの集客力をもつのは元ビートルズとローリングストーンズだけなのだ。デヴィッド・ボウイでもエリック・クラプトンでも、単身では東京ドームを使い切れないのである。それが日本の洋楽人気の事実だったのだ。

 時代とマスコミに煽られて「大洋楽ブーム」の先頭を突っ走っているような気分になっていた俺でも、さすがに「会社も俺たちも大きな勘違いしている」と気が付いたというわけだ。
 デヴィッド・ボウイの東京ドーム公演の直後、社内で「デヴィッド・ボウイ専門店を作ろう」という動きがあって本格化しかかったが、俺がコンサートの惨状を会議であけっぴろげに報告したことを機にその動きは下火になり、結局は何もなかったことになった(笑)


ロックシロウトが書いた新聞記事をまともに受ける上層部たち

 それにしても当時の一般紙、スポーツ紙のロック関連の記事はヒドイものが多かった。例えば、エリック・クラプトン、デヴィッド・ボウイ・クラスが日本でも大人気!と書きたてるのは大目に見れるが、「これは笑えないな」と怒りを感じたのがドアーズ関連の報道だ。
 1991年にドアーズのボーカリストだったジム・モリソンの没後20年を記念して制作された映画「ドアーズ」が日本でもロードショー上映された。音楽各紙でも何十年ぶりかでジム・モリソンが表紙を飾ることもあった。だからだろう。新聞の記事でも「日本でついにドアーズの人気が爆発!」って書かれ方が多くなって、俺はザケンじゃねーよ!って気分だったな。俺はエルヴィス、ジョン・レノンと同等にジム・モリソン&ドアーズが熱狂的に好きなので、逆によく分かるのだ。詳細は割愛するが、「ドアーズが日本で人気が出るわけねーんだよ!」

 実際に映画ドアーズは10回以上も映画館で鑑賞したが、映画館は半分も埋まっていればいい方。この映画は意外にも本国アメリカでも興業成績が芳しくないということは英字雑誌には書かれてあったが、日本のマスコミはそんなものは無視して無責任に煽り立てていたのだろう。
 それをまともに信じた会社の上層部の連中が、「今度はドアーズの専門店を出そうじゃないか!」って会議で意気揚々と提案した時はさすがに身を挺して阻止した!
「オマエラ、以前ロックンロールパークの扉付近をドアーズコーナーしようなんてバカなことを言い出して俺に一喝されたのをもう忘れたのか!」って言いたかったものだ。

「オマエ、仕事が増えるのが嫌なだけなんじゃないのか」
「何言っているんですか。日本でのドアーズのCDがどれだけ売れているか、映画館にどれだけ人が入っているか、データを取ったことがありますか?」
「オマエ、知っているのか?」
「俺はドアーズの大ファンだから知ってますよ。だから止めた方がいいって言えます。ドアーズ専門店なんて下手な博打です」
そんなやりとりをしたことを昨日の様に覚えている。

 ホントあの当時、特にスポーツ紙で文化欄担当をしていたライターってロクなもんじゃない!コイツらに騙された、騙されそうになったのは俺たちだけではなかった。なんと約一年間で、ジム・モリソンやドアーズ関連のぶ厚いドキュメント書籍の翻訳版が3冊、10年ぶりの復刻書籍が1冊、計4冊も出版されたのだ。ビートルズ、ストーンズ関連の書籍以外では異例の事態だ。
 書籍の内容はいずれも優れていただけにいちファンとしては嬉しかった俺は、出版社に電話をして個人的に営業担当者とコンタクトをとった。まあ売上はどこも悲惨だったらしい。出版社の連中もマスコミ報道にノセラレテしまっていたのである。


専門店という生き甲斐から外れて、“大人になっていく”者たち

 俺自身は“みーちゃんはーちゃん”な無邪気なロックファンを蔑んではなかった。どんな世界だって、わけもわからずブームに飲み込まれて楽しんでいるファンをどれだけ掴めるか、ってのがエンターテイメント・ビジネスの基本であることぐらいは俺だって分っている。
 「嘘つけ!」と言われてしまいそうだが、俺自身だって中学生の時は単なるミーハーなロックファンであり、ロックと名が付けばなんでも飛びつくようなガキだったからだ。
 だがそんな俺でも、筋金入りのロックの知識者や本当のロックマスコミ、善良なレコード店さんたちのお陰で心からロックを愛する本物のファンになることができた。ここまで俺を引率してくれたそんな有難い方々と同じような役割を自分自身に課そうとしていたのかもしれない。
 オークション事業部の売上が爆発して以降は、寝る暇のないほど忙しくて我を忘れていたが、ロックの入口に入ってきた若きファンたちを正しく導いていきたいという気持ちをカンフル剤として働き続けていたものだ。
 だからこそ、無責任な報道を続ける当時の新聞業界や、それに対してチェック機能がない会社の上層部に対する怒りは日に日に大きくなっていった。

 先述したデヴィッド・ボウイやドアーズの専門店計画を中止させた俺は、知らず知らずのうちに社内の一部で反抗分子扱いされていったようだ。
「売上がいいからってデカイ顔をしてやがる」
「一人だけ言いたいこと言いやがって、何様のつもりだ」
まあそんなところだったのだろう(笑)
時には、某店長さんから「今度の会議でもガツンと言いたいこと言ってよ」と揶揄られるようになった。

 俺は仕事状況が過激、過酷になるにつれて、会社の将来よりも自分の報酬の額よりも何よりも、ロック信仰の純度が益々上がっていったような気がする。と書けばカッコイイかもしれないが、どんどんロック少年のような感性に回帰していったのだ。だからミーハーなロックファンをナメタような方針で金儲けを企む上層部の連中の意見が、時には絶対に許し難いものになっていたのだ。

  一方専門店の店長さんたちはどうだったのだろうか。俺ほど仕事バカではなかったかもしれないが、彼らは次第に身を固めるようになっていった。俺とは真逆に人間として大人になっていったのだ。
 ギミーシェルターのM店長、ヤードバーズ/ワールドツアーのI店長、ゲットバックのM店長、出版部のY君ら、彼らは次々と結婚の準備を進めていった。
 人間は自分が自分だけの存在ではないことを知った時に大人になるのだろう。自分で切り盛りしていた店が、もはやロックアーティスト専門店として機能させることが不可能だと彼らが悟ったからなのかどうかは分からないが、人間的に大人になることによって「ひっちゃかめっちゃか」な仕事と、それに振り回される生活、そして安過ぎるお給料しか出さない会社に自分の身を捧げることを疑問視するようになったから身を固めることを決意したのかもしれない。

 結婚を控えていた者たちは、自分が店舗で非番の時にはわざわざギャラリー出勤の俺を訪ねてきてくれて婚約者を紹介してくれたりした。もちろん心から祝辞を述べたが、婚約者と談笑している彼らを見るにつけ、「あぁコイツラももう長くはないだろうな(退職するだろうな)」と思い、仕事だけに没頭している自分が社内で一人だけ取り残されていく寂しさは否めなかった。俺の予感は後に的中していくのだが、それは狂熱的な原宿ロックンロールドリームが緩やかに終わりを向かっていっているようなものだった。

 原宿ロックンロールドリーム、原宿ロックンロールエンタープライズJ社。それは若きロック野郎の情熱だけで存在しているようなものだったのだ。だから、そこに大人のビジネス論理(いや魂胆、企てか?)が入り込んできた為に、J社は自然と機能不全に陥っていったのだ。
 1990年代の幕開けとともに到来したロックンロールバブルで俺たちの情熱は爆発したが、ビジネスってのはロックンロール・チルドレンの情熱だけで成立させられるほど単純ではないことを俺は知らなさ過ぎたのだ。


結局俺は大人になるチャンスを逸したのかもしれない!?

 俺にだって、多少は“色の付いた”体験はあったさ!
 当時俺は、年に一度だけ会って誕生日プレゼントを交換し合う女性がいた。前職場で恋仲になりかけた、既に結婚している女性だった。年に一度だけとはいえ、どうして既婚者と定期的に会っていたかはここでは書かないが、決して不倫的な情事を楽しんでいたわけではない。誕生日プレゼントを交換して、お互いにちょっとだけお酒を飲んで近況報告をするだけだった。

 オルゴール、童話の絵本、洒落たぬいぐるみ等、彼女のプレゼントは俺を子供時代に回帰させてくれるようなステキな物ばかり。先述したように時代に勘違いさせられていた様な俺は、ここでも「彼女は俺の純粋さを賛美してくれているのだ」などと勘違いしていたから救いようがない男だ!
 1993年の再会の時には「家を新築した」という彼女に、新築祝いとしてキース・リチャーズ愛飲の幻のバーボン「レベルイエール」を差し上げて、「ロックンローラーらしいお祝いだろう」などと一人悦にいったりした。
 ロックなんてまったく興味のない彼女は、俺のレベルイエールのウンチク話を呆れたように聞いていた(笑)別れ際に「全然変わらないのね」とポツリとこぼされたが、ひょっとしたら、彼女の本音はもっと辛辣だったのかもしれない。
「今の会社に入って、ますますロックバカになったんじゃないの?」

 終電前に仕事が終わると、そのまま俺のアパートまで付いてきて、酒も飲まず、一睡もせずに話し続ける女性の部下もいた。俺の書いたカタログ掲載文をしっかり読んでくれていて気の利いたコメントを出してくれる。ライター養成学校で学んだらしくて、基本がしっかりした文章も書けるから、彼女のアパート襲撃も最初は大目に見ていた。
 また彼女は写真関係の知識が凄まじくて、俺の知らないアート分野の話は面白かったものの、彼女の襲撃から一ヶ月もしない内に「もう寝かせてくれ!」って気分(笑)「寝ようぜ」じゃない、「寝かせてくれ」なのだ!もっとも会社の連中は俺と彼女がデキていると勘違いしていたようだった(笑)

 経理の女性から女友達を紹介されたこともあった。ギャラリーで俺を見て「悪くない」と思ったらしい!?経理の女性も一緒に何度か3人でお茶をした後、一度だけ紹介された女性とデートをした。彼女は大の料理好きということもあって、一緒にステーキ500グラムを平らげた後に彼女は自分の部屋で手料理を振舞ってあげると言い出した。既にステーキで腹いっぱいの俺は、彼女の手料理を目をつぶって飲み込んでいたが、あえなく胃痙攣を起こしてしまってダウン。終電時間まで横にならせてもらう体たらく。「男のくせに食が細いのね」と言われて大ショック!
 この話は一部の社内の人間に知られることになり、「折角女性の部屋に上げてもらってんのに、なにやってんですか!」って大笑いされたものだ。

 いずれにせよ、彼女たちとの交流は俺を大人にしてくれる効力はなかったというか、俺にはその資格ってものがなかったのだ(笑) (つづく)


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