NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.356

原宿ロックンロールドリーム
       ~ロックアーティスト専門店激闘記
 

時代が狂っていたのか、俺たちが狂っていたのか!?
バブル狂騒時代に原宿に咲き乱れたロック・アーティスト専門ショップたち!
「Love Me Tender」「Get Back」「Gimmie Shelter」「Yardbirds/World Tour」
「Gun's Shop」「Keibuy Gallery」etc

遅刻したって残業すりゃ文句ねえだろう!
血を吐くまで酒飲んだこともないヤツなんて信用できるか!
バックルームで居眠りしてようが、酒飲もうが、売上げ良けりゃ問題ねえ!
俺たちはメンフィス・マフィア直系だ、アップルレコードの社員だ、ストーンズファミリーだ!俺たちの情熱こそが会社の理念だ!!

青春の残り火を激しく燃やし尽くした、愛すべきスタッフたちのあの異常な熱量は何だったのか。


第19回:彷徨う落ち武者

揺蕩う想い

 「ギミーシェルター」「ゲットバック」のプレゼント用アイテムに使う、洋書の写真複写作業は3~4ケ月続いた。最初は華やかな原宿勤務から、下町の薄汚れた倉庫への転属に気が滅入っていたものだが、次第に一人で作業を続けること自体に慣れて来た。お客様も来なければ、同僚もいないし、代表や上層部と顔を合わせることもない。本社や店舗から電話がかかってこなければ、丸一日誰とも口を利かない日もある。
 幸か不幸か、そんな状況は俺は苦手な質ではなかった。やがて毎日が嵐の様だった原宿での日々を忘れて、倉庫内での作業に安らぎを感じる様になった。落ち武者の避難場所としては倉庫は最適だったのかも知れない。

 本船から逸れて、一人小舟に揺られて漂っている気分、それが倉庫勤務だった。マンスリーオークション業務のほぼ全てを請け負っていたことに比べて、ラジカセで好きな音楽を流しながらカメラのピントを合わせてシャッターを切り続け、腹が減ったら近所の定食屋へ出かけ、煙草を吸おうが昼寝をしようが読書をしようが休憩時間の長さも思いのままな毎日は楽ちんだったのだ(笑)今にして思えば、この倉庫での作業の日々は約3年間ギアをフルターボにして突っ走り続けてきた俺に神様が与えてくれた休息期間だったのかもしれない。

 ロックアーティスト専門ショップ最後の黄金時代を支えていた各店長さんたちはどうしているのだろう?
「ラブミーテンダー」の正木店長は、「俺はもう燃え尽きた」という印象的な言葉を残して去った後、将来的に自分がプロデュースするブランド立ち上げるための視察としてアメリカの旅に出かけた。
「ギミーシェルター」のM店長はサラリーマンになり、「ヤードバーズ/ワールドツアー」のI店長は奥様のご実家が経営する飲食店勤務をしているという。
「ゲットバック」のM店長は奥様のご実家へ移り住んだ後に、通販専門会の社立ち上げ準備に取り掛かっているという。

 俺を含めて、みんなまだ20歳後半から30歳前半の若さだった。新たなるロックンロール・ビジョンの実現に動いた正木店長はさておき、みんなどうやって燃え盛っていた「ロックンロールドリーム」の炎を封印したのだろうか。「いい夢を見させてもらった」などと達観できる年齢ではなかったはずだ。
 もっとも「いい夢」なんて思えるのは俺だけだったのだろうか?実はみんなは、俺が思っている以上に人間として大人だったのだろうか?倉庫で一人で作業をしている最中、ふとそんな思いが頭をよぎったものだ。

 時に1992年冬。
 倉庫内の暖房器具である古ぼけたファンヒーター稼働中に灯るランプが、くすぶり続けている俺の「ロックンロールドリーム」への思いそのものの様に見えたものだった。


ギミーシェルターを何とかしろ!

 倉庫での写真撮影がひと段落した頃、「一度本社の会議に出席せよ」との指令が来た。孤独だが気楽な倉庫勤務に慣れ切っていただけに面倒くさかったが、重大な議論を予定されているらしいので渋々出席することにした。

 重大な議論とは「ギミーシェルター」の存続問題だった。M店長が退職した後、売上が悲惨になってしまったらしい。狂乱のストーンズ初来日公演から僅か2年あまりしか経過していないので、誰もが思いもつかない事態になっていたのだ。

「ギミーシェルターと言えば、日本のローリングストーンズ・ファンにとって聖地みたいなものだろう。どういうことなんだ、これは!」
「誰か、俺が立ち直らせてみせるって者はいないのか!」
珍しく代表が会議で声を荒げている。

 結局なんの決議もされないまま会議は終了した。久しぶりに訪れた本社の1階は通販業務の作業場と化していた。いつの間にか、各店の通販業務は全て本社で行われていたのである。初めて会う若手社員が何人もいる。

 会議が終わって倉庫に戻る前にギミーシェルターを覗いてみた。ギミーシェルターの隣の店舗スペースは、つい4ケ月ほど前まで俺の勤務場所「ギャラリーKEIBUY JAPAN」があった場所だ。シャッターが閉められたギャラリーには何の感慨も湧かなかった反面、「ギミーシェルター」の現状には胸が締め付けられる思いがした。

 異常な種類の海外から仕入れたツアーグッズのTシャツ類が店内を占拠し、一方では変にマニアックな書籍や音楽ソフトがあり、またキース・リチャーズ関連のグッズが集められて窮屈にコーナー化されていたりした。定番の正規盤のCD類や人気書籍はごく少数。
 ストーンズ専門店の品揃えには間違いないが、俺の目にはコンセプトは見当たらず、ツアーグッズを雑然と陳列している様にしか見えなかった。大体ツアーグッズは、本国のセンスで作成されたものであり、特にTシャツは日本人の体格には似合わない絵柄やサイズも多く、ある程度は精査して仕入れをしないと売れ残りは当たり前なのだ。
 これは、並行輸入しただけのツアーグッズと、ギミーシェルター本来の姿を何とかして取り戻そうとする若手社員T君が仕入れた商品との混在状態だと思った。(真相は知る由もないが)M店長が去った後にギミーシェルターを任されていたT君がたまらなく気の毒になった。T君は売り上げが悪いことを気に病んで間もなく辞めるらしい。

 俺の訪問に驚いたT君はポツリと言った。

「俺のやっていること、おかしいですか?やっぱ、おかしいですよね。もうどうしたらいいか分からないですよ」

俺だって分らない。大量在庫の処理に対しては大した策も思い当たらなかったが、憔悴しきったT君を見ていたらワケワカンナイやる気が漲ってきた。
「俺がギミーシェルターを何とかしてみるか!」

T君と別れた後、倉庫には戻らずにその足で本社の代表室に飛び込んだ。

「僕がギミーシェルターをやります」

誰かがギミーシェルター再建に名乗り出てくることを待っていた代表は、実に嬉しそうな顔で即刻承認してくれた。

「そう言えば、君はストーンズファンクラブ会長と知り合いだったんだよな!上手く手を組んでやってくれよ」
「ウチはTシャツ屋じゃないんだから、何とか昔のギミーシェルターを復活させてくれ」
「来年か、再来年にまたストーンズは日本に来るだろうから、絶対にギミーシェルターを潰さないでくれ」

代表の喜びようはハンパではなく、その日の夜あらためて自宅に電話がかかってきて激励された。代表は珍しく酔っているらしく、「これでギミーシェルターは数年安泰だ」とかなんとかえらく上機嫌だった。


「Rock’X」

 諸手を挙げて俺のギミーシェルター再建担当を歓迎してくれた代表だったが、ギミーシェルター赴任後わずか数日にして別の指令を出してきた。

「クリスマス前と新年明けに向けて、全店のトータルカタログを2種類作ってくれ。ギミーシェルター勤務はそれが終わってからでいい」

 全店のトータルカタログなんて体のいい言い方に過ぎず、要するに倉庫に保管されている膨大な在庫を捌くためのカタログだった。専門店以外のアーティストグッズも山ほどあり、こいつを日本最大のロック商品掲載カタログにしろってことだ。

 A社の社員たちは、洋楽大ブームが訪れた後、あらゆるロック系コンサート会場に出向いて各店の宣伝チラシをばら撒いていた。それに反応したファンの名簿をとって通販用カタログを送り付けてオーダーを促していた。時には名古屋、関西地方のコンサート会場までチラシを配布していただけに、かなりの規模の名簿を確保しており、クリスマスと新年の商戦に向けてトータルカタログを送って売上を目論んだのである。

 トータルカカタログ作りの指令に、俺は気絶しそうになった。既に12月に入っていた時期であり、時間もないのだ。
「カタログ作りでもう1回俺を殺す気か!」

 膨大な種類の商品の写真撮影は不可能なので、考え抜いた挙句、商品を仕入れた時の海外のカタログを全て掘り出し、写真はすべて転写することにした。各店からそれぞれ時期限定のサポートメンバーをピックアップし、彼らとともにカタログの概要を検討したが、どう見積もっても商品掲載ページは30ページになった。それプラス、カタログ発送料を削減するためにカタログの半分は記事ページにして第三種郵便物にしなければいけない。

 トータル60ページ。俺が手掛けてきたカタログの中で最大のボリュームだ。それを一ヶ月弱で2冊作成しなければならない。この難儀な作業には社内の若手社員が実に気持ちよく協力してくれたことが有難かった。
 文章に自信のある者を募って、彼らに一部の執筆を任せて商品に関連するアーティストの記事を書いてもらった。また版下製作に慣れている者も募って、彼らに仕入れ用カタログからの商品写真の切り取りや貼り付けを依頼して、印刷所に出す版下製作の実作業を任せた。俺は記事ページの大半の執筆と、製作の進捗状況のチェックと最終監修を担当。

 自分でも驚くなかれ、版下入稿予定日までの20日間で60ページのカタログ2冊の版下を作り上げることが出来た。若手社員の献身的な協力へのせめてもの御礼として、どんな小さな協力をしてくれた者も一人も漏らさず「製作協力者」として巻末にクレジットした。
 このカタログは「The Rock'x」と名付けられた。版下提出期限一週間前は深夜までの作業が続いた我々製作者たちの為に、代表はほぼ毎晩夜食の出前をオーダーしてくれた。それも1個1,000円ぐらいする高級弁当!極端な方針を打ち出して社員を混乱させていたように見えた代表だけに、こうした社員への気遣いが俺はとても嬉しかったものだ。

 2冊の「大量在庫総合カタログ」が出来上がった時、俺は不思議な感覚に襲われた。どうして若手社員たちは、この度のカタログ製作に協力的だったのだろうか。勿論、落ち武者同然の俺が若手社員たちに人望があったなどと己惚れていたわけではないから、尚更不思議だった。

 今だから、その理由が分かる。当時はインターネットやYOU TUBEなど、影も形も無い時代だ。ロックの情報を得るためには音楽雑誌しか無かったのである。俺自身が、お気に入りの音楽雑誌を穴が開くほど読みふけったものだった。だからこそ、例え半分が商品カタログとはいえ、ロック情報を掲載した紙媒体の製作に携わることが彼らは嬉しかったに違いない。そうだろう、みんな! (つづく)


■原宿ロックンロールドリーム第18回
第18回:夢は終わった~KEIBUY閉鎖、戦友たちの退社、そして倉庫へ左遷
■原宿ロックンロールドリーム第17回

第17回:自らの不遜とバブル経済の罠が招いたロックンロールドリームの崩壊
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第16回:洋楽大ブームの実態とマスコミの煽情報道の弊害。そして大人になっていった戦友たち
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第15回:疲弊する社員たち&忘れ難きロックンロールサーカス
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