NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.466


第85回 エルヴィスゆかりの地~インディアナ州2025年後編

アップロード:2025年9月9日
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2025年インディアナ州の旅後編も、前編に引き続き70年代のライブ会場と宿泊ホテルじゃ。ライブ会場3つはいずれも“エルヴィス不調”の記録が残っておるが、ステージ写真を見る限りではエルヴィスの体調は悪くはなさそうであり、不調の原因は他にもあったのかもしれない。もしくは“絶好調のライブと比較すれば~”だったのかもしれない。いずれにせよ、ジャンプスーツのデザインも色々あるので楽しんで頂ければと!各宿泊ホテルは正確な事実を把握するまでに少々時間を要したが、これまでの誤情報を正すことが出来たホテルもあり、調査結果には満足しとるんで最後まで読んで頂きたい!

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第85回インディアナ州2025年後編

 ・Area No.は2022年度編からのインディアナ州内の番号
 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。

 Area No.10/Serial No.604 アスレチック・アンド・コンベンション・センター/ノートルダム
 Area No.11/Serial No.605 ロイヤル・イン跡地/サウスベンド
 Area No.12/Serial No.606  インディアナ・コンベンションセンター/インディアナポリス

 Area No.13/Serial No.607 ホルマン・センター/テレ・ホート
 Area No.14/Serial No.608  (現)ハンプトン・イン・バイ・ヒルトン/テレ・ホート
 Area No.15/Serial No.609 ストーファー・インディアナポリス・イン跡地/インディアナポリス

【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

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★ 本文中の表記について ★

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SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト
EDD=「Elvis Day By Day」 
 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート
 ウェブサイト)
HAC=ヒストリック・アエリアルス
 (アメリカの空撮サイト)


 “神も悪魔も降りて来た”ノートルダムのキング
 Area No.10/Serial No.604 アスレチック・アンド・コンベンション・センター/ノートルダム
 インディアナ州ノートルダムとは、五大湖のひとつミシガン湖の南端、お隣イリノイ州シカゴの真東110キロに位置する街じゃ。蛇行を繰り返しながらミシガン湖へと続くセント・ジョセフ川沿いのサウスベントという地域の中に属する非法人地域でもある。
 1974年9月30日、10月1日、1976年10月20日の3回に渡ってノートルダムのアスレチック・アンド・コンベンション・センター(通称ACC、左写真)にてエルヴィスのライブは行われた。
(上写真3枚は74年9月30日。下写真2枚は10月1日)
 最初のライブは未だに「70年代最高のライブのひとつ」とのレビューがネット上でいくつか読むことができるほど素晴しいクオリティだったようじゃ。ハンパな賞賛具合ではないので、さっそく一部を転載しておこう!(下モノクロ写真は74年撮影)

 9月30日のショーに参加された者は、本当に素晴らしいものを観たはずだ。正直言って、この2年間でエルヴィスのコンサートを見た中で、これが一番良かったと思う。彼は新しいノートルダムのACCに出演した。この建物は、国内で最も美しく機能的な建物であることは疑いようはない。12,000 人以上が収容出来て、エルヴィスがプレイした中でも音響的に最高だった。エルヴィスのフットボール好きとノートルダムのチームへの憧れを知っていたので、フットボールの殿堂のあるこの会場のショーにエルヴィスが「乗り気」になるだろうという予感はあった。そして、その通りになった!

 エルヴィスは文字通り CC ライダーへ突入した。今まで見た中で一番の演技だった。彼はただ歌詞を叫んでいて、本当に体を動かしていた。エルヴィスが「動いている」かどうかは関係ないと言う人もいるが、それは間違い!エルヴィスの動きは「伝説」の一部以上のものである。彼が本当に歌に夢中になっていると、あらゆる側面、つまり声、視覚、精神、身体がそれを反映する。エルヴィスは、おそらく時々、一部の人々を騙すこともできる。 しかし、彼自身は自分が調子が良いときとそうでないときを知っている。. そしてそれは「Go 」という言葉からわかる。この日は絶好調だった! etc

 
 ブルースエードシューズを歌い終わると、エルヴィスは誰かが「エルヴィス キング」と書かれた看板を掲げているのに気づいた。エルヴィスは「お心遣いにはとても感謝していますが、私は『キング』とい名乗ったことはありません。私にとってキングと呼ばれる資格があるのはただ一人、イエス・キリストだけです。」
 エルヴィスがステージからこう言うのを聞いて、クリスチャンの私は本当に感激した。「エンターテイメントの王」はいいが、確かに「キング」はダメ! エルヴィスの才能を称賛し楽しむことは何も悪いことではないが、彼を自分の「神」にするのは間違いだ。エルヴィスもこのことを強く感じており、「神が自分に与えてくれた才能に感謝しています」と言った。


 10月1日のライブは、前日ほどではなかったがやはりハイ・クオリティ・ライブが繰り広げられたようじゃ。2曲目で会場のスピーカーの一部が壊れてしまったらしいが、エルヴィスは「私はいつも最善のライブを皆さんにお届けしようとしているのですが」と観客に音響不良を謝ったとか!ほぼ全曲解説のレビューがネット上で見つかったので諸君にも読んでもらいたかったが、つい最近閲覧不可になっており残念!

 一方1976年のライブは、どうやら“ぐだぐだ”だったようじゃ。ライブレビューは見つからなかったが、元ノートルダム在住者たちの集うFacebookの中で、「悲しい、悲しい、ただただ悲しいライブだった」「当時体調不良が顕著だったエルヴィスは間違った薬物投与を受けていたはずだ」との書き込みを発見してしまった。ライブ写真(右写真)からは体調不良には見えんが・・・。わずか2年の間に、両極端なクオリティのライブがノートルダムで行われたのじゃ。

 ACCは敷地内に屋内ホッケー アリーナ、屋内トラック競技場、プラント、大型会議室、レストラン、そして長年ノートルダムに通った多くのスポーツ界の偉人たちを描いた「殿堂」等を擁する複合施設であり、現在はジョイス・センターと改称されておる。
 広大な敷地内には収容人員数10,000人を越える2つのドーム会場があり、南側のドーム(上部の会場空撮写真の下側のドーム)がメイン・アリーナとされており、エルヴィスはこちらに登場したと思われる。右写真ストリートビュー2022年9月撮影のACCの入口。


目を見張る様なゴージャス・コートを着たエルヴィスは何処に泊っていたのか!?
 Area No.11/Serial No.605 ロイヤル・イン跡地/サウスベンド

 上記ACCでライブ翌日、1974年10月1日にエルヴィスが宿泊先のホテルをチェックアウトした際に撮影されたとされる3枚の写真が上写真じゃ。(すっごいゴージャスなロングコートを着てますなあ~。The-Kingで復刻してくれんかな~笑)ほとんどの私設エルヴィス・サイトにおいては撮影場所は「サウスベンド・ヒルトン」と表記されておる。
 しかしながら、当時のサウスベンドにヒルトン・ホテルが存在していた形跡はネット上では見つからず、また現在サウスベンドで営業しておるヒルトン系ホテル3つも、すべてエルヴィスの死後もしくは21世紀に開業しておる。
 そこで「ヒルトン宿泊説」を疑ってかかって再調査した結果、別のホテルが浮上!それがサウスベンドのノース・セント・ジョセフ・ストリート(以下N.S.Jストリート表記)にあったロイヤル・インであった。

 まずエルヴィスがロイヤル・インに宿泊していた事実を裏付ける新聞記事(上写真)を発見。記事にはその事実が記述されており(写真赤枠内参照)。またエルヴィスが同伴しておったガール・フレンドのシーラ・ライアン嬢の為に(?)、ロイヤル・インまで地元の宝石商に出張させていた事実まで書かれておるので、このホテルで間違いないじゃろう!

 サウスベンドのロイヤル・インは、残念ながら住所や営業していた期間等の詳細情報がネット上では一切無し。かろうじて地元の“昔話Facebook”の中に貴重な写真2枚(右写真)と、「N.S.Jストリートのロイヤル・インの最上階ペントハウスにエルヴィスは泊っていた」との短いテキスト情報を発見!

 N.S.J・ストリートはGoogle-mapで確認すると南北一直線に僅か340メートルだけ存在する住宅街を貫く通りであり、ストリートビューで確認してもホテルが建っていた形跡はまったくない。
 そこでHACにてN.S.Jストリートの過去をチェックしたところ、1981年の空撮写真の中にロイヤル・インらしき建物が写り込んでいる。(右写真左側赤丸内)当時のN.S.Jストリート(右写真緑色ライン)沿いに、真っ白い建物は赤枠内のビルのみであり、これがロイヤル・インのお姿ではないかと!

 右写真右側は、ストリートビュー2023年5月撮影のロイヤル・インの跡地と思われる位置。完全に整地されて駐車場に様変わりしておる。現在サウスベントにはロイヤル・インを名乗るオシャレなブティック・ホテルと寂れたモーテルがまったく別の場所に1軒づつ存在するが、エルヴィスが泊ったロイヤル・インとは何の関係も無さそうじゃ。
 なおHACのより古い撮影写真をチェックすると、N.S.Jストリート周辺は古くは森林緑地地帯であり、1950年代から徐々に住宅街として開発されていった模様。N.S.Jストリートは地域開発とともに設置されたストリートじゃった。エルヴィスがロイヤル・インに泊った当時はホテル周辺にはまだかなりの緑が生い茂っておる環境だったようじゃ。


 “虎”でぐだぐだ、“孔雀”でバリバリ!
Area No.12/Serial No.606 インディアナ・コンベンション・センター/インディアナポリス
 エルヴィス1974年最後のツアーは、同年8月~9月のラスヴェガス・ロングラン公演終了後に25日間の休暇を経て、9月27日東海岸のメリーランド州カレッジ・パークからスタートした。
 このツアーは“最上級ライブ”の誉れ高い、上記した9月30日、10月1日のライブが含まれるが、実はスタートのメリーランド州は“エルヴィス史上最悪”と伝えらているほどの絶不調ぶりが露呈されてしまった。不幸にも、50年代のエルヴィスのガールフレンドの中で代表的な存在だったバーバラ・ハーン嬢が観客の中にいたこと等も以前ご紹介済みじゃ。(「バーチャル~第33回」メリーランド州Area No.1参照
 その後体調が回復して絶好調ライブを披露した9月30日を迎えたエルヴィスじゃが(前日のデトロイトまで不調じゃったようじゃ)、10月5日インディアポリスのコンベンション・センター(上写真2枚)では、またまた酷い状態に陥ってしまった。気が進まないが、僅かなライブレビューを転載しておこう

 「9月29日のデトロイトは最悪だった。観客たちは、みんな“ぼったくりじゃないか!”“エルヴィスに何が起こったというんだ”“これがエルヴィスだなんて信じられない”と口にしていた。私は泣きそうになってしまった。多くの友人がこの日初めてエルヴィスのショーを観に来ていたからだ。
 そして悪夢はインディアナポリスでも起こった。エルヴィスの調子が悪かったとか、そんなことを言っているのではない。私はあのエルヴィスがステージに立っているとは思えないほどだった。正直に言って最悪だった。自分の目と耳が信じられなかった。新聞のレビューも指摘していたし、実際にそうあるべきだった」

 
 ただしこのレビューは午後2時半から行われたマチネーのライブじゃ。午後20時半からのナイトショーでは、マチネーの出来が嘘だったようにエルヴィスは復活して素晴しいショーを披露したという!上ライブ写真3枚はマチネー、下ライブ写真3枚はナイトショーでの撮影。写真からは昼夜ともにエルヴィスの表情は穏やかであり、激しい好不調の差は感じられないのが何とも不思議!?


 好調を取り戻したナイトショーでは、スタートしてから間もなくエルヴィスは「皆さんは僕がギターを弾けないと思っているんじゃないですか?」と観客に語りかけ、その後「That's Allright」でご機嫌なギタープレイを披露した!

 エルヴィスの薬物乱用による体調不良が取り沙汰され始めたのがいつ頃からだったのかは定かではないが、少なくともその噂を証明してしまうようなライブの出来不出来があからさまになってきたのは、ネット上で読めるライブレビューを追い続けるとこの頃からだったようじゃ。なおマチネーでエルヴィスが着用しておる、ジャンプスーツ・ファンに人気の高い虎が胸元にあしらわれたデザインは、この年9月1日のラスヴェガス・ライブで初めてお目見え。上記9月30日のノートルダムでも着用されておる。ナイトショーでは上写真の通りピーコック(孔雀)柄のデザインじゃ。

 1972年にオープンしたインディアナ・コンベンション・ホールは、現在まで少なくとも数回の拡張工事が行われており、大中小の幾つものホールを擁する複合施設となった現在の全貌は、オープン当初の面影はほとんどない。現存する複数のホールの何処にエルヴィスが登場したのかは不明じゃ。1974年当時の写真も、施設全体への入口が写ったものしかネット上では発見出来ず。右写真はストリートビュー2024年5月撮影。


ライブから49年後に再放送されたTVニュース映像で蘇ったエルヴィス・マダムたちの熱狂
Area No.13/Serial No.607 ハルマン・シビック・センター/テレ・ホート
 インディアナ州のエルヴィスのライブ地として最後のご案内になるテレ・ホートとは、日本語で発音すると何だか瞬間移動(それはテレポートか!)みたいじゃが、語源はフランス語の“高地”という意味らしい。実際には結構凸凹な土地とか(笑)インディアナ州州都インディアナポリスの西110キロに位置する街じゃ。

 1975年7月9日この地のハルマン・シビック・センターでエルヴィスのライブが行われたが、70年代中盤のライブだったにもかかわらず、ネット上ではライブ写真以外は、珍しくテキスト情報が一切アップされていない。当時のライブレビューは無くても、新聞等による小さな回顧記事ぐらいは通常見つかるものじゃが、現時点では皆無じゃ。
 その代わり、と言ってはささやかじゃが、「Elvis in Terre Haute」と題された短いTV放送の録画がyou tubeにアップされており、キャスターのナレーションやハルマン・シビック・センターでの観客へのインタビューが現在のところわずかな情報じゃ。番組の詳細は不明じゃが、2024年の夏頃にテレ・ホート周辺地域で放映されたようで、1954年から2024年までの曜日毎の地元の歴代トピックスを取り上げるプログラムのようじゃ。
 ライブ当日に現地の空港に到着して飛行機のタラップを降りてくるエルヴィスの映像からスタートする番組は、空港に集まった200人ものファンがエルヴィスを歓迎したり、約9,000人のファンが詰めかけたシビック・センターで行われたファンへのインタビューの様子などが簡潔に編集されておる。エルヴィス追っかけマダムたちは「ちょっとぽっちゃりしているけどエルヴィスが世界で一番!」「どこまででも追っかけて行くわ」「チケット代が高いとも思わないし、ライブ自体が素晴しいってわけでもないけれどエルヴィスだから!」とか答えておる(笑)
 この動画はYou tubeにアップされる際に翻訳機能がONに設定されとるので、日本語テロップによりニュースの内容が分かるぞ!約2分間の短い映像ではあるが、興味のある方は御覧あれ。

 上写真上段、中段は動画の静止画じゃ。(赤枠内2枚は、空港で待ち構えていたお馴染みパパラッチの隠し撮りと思われるショット)下段2枚(右写真2枚)は、ライブ終了後に会場の駐車場で隠し撮りされたものじゃ。

 なおエルヴィス一行は空港から一旦ヒルトン・ホテルへ向かっており、ホテル敷地内での様子も隠し撮りされておる。下記Area No.14でご案内しておるので御覧頂きたい。

 ハルマン・シビック・センターは、1977年9月26日(エルヴィスの死後)にエルヴィスのライブがブッキングされておったことが、会場の略歴紹介サイトに記載されておった。
 このサイトには同会場に登場したミュージシャンたちの一覧表があり、州都インディアナポリス近郊とはいえ決して大都市ではないテレ・ホートに70~90年代のアメリカン・ヒットチャートを彩った夥しい数のミュージシャンの名前があって壮観、というか実に意外!?エルヴィスが先鞭をつけたのじゃろう。「ハルマン・センター」と短く改称されて現在も稼働中じゃ。右写真ストリートビュー2022年10月撮影。


テレ・ホートを訪れたら、“この植え込み”を跨ぎに行こう!
Area No.14/Serial No.608 (現)ハンプトン・イン・バイ・ヒルトン/テレ・ホート
 インディアナ州テレ・ホートでエルヴィスが宿泊先ホテルに到着した際の隠し撮り写真が存在しており、それが上写真2枚じゃ。場所はライブ会場のハルマン・シビック・センター(上記Area No.13)から41号線を西へ約5キロ移動した位置にある現ハンプトン・イン・バイ・ヒルトン。
 上写真左側は、ホテルの西側駐車場に隣接するローカルのモーテルの駐車場に降り立ったエルヴィスご一行。上写真右側は、モーテル駐車場からホテル駐車場を通ってその先にあるホテル西側の裏口に向かうご一行じゃ。
 エルヴィスご一行が現ハンプトン・インに宿泊したという記述は現在ネット上では見当たらないので、ホテルではなくてモーテルの方へ泊ったのでは?という疑問も湧くが、どうみてもご一行はモーテルを背にしてホテルの方へ向かっておるんで、モーテル宿泊の可能性は無いとみて良いじゃろうな。

 下写真左側は、現在のモーテルの駐車場。下写真右側が現在のホテル西側裏口付近。いずれもストリートビュー2023年7月撮影。モーテルや周囲の環境が1975年当時とほとんど変化がないのが驚きじゃ。
 エルヴィスご一行がこの地に宿泊した当時、ホテルのオーナーや正式名称は現在のところ不明。ハンプトン・インは1984年に大手ホテル・チェーン「ホリディ・イン」グループから独立した新たなチェーン・ホテルである。1975年当時の建物の写真もネット上で見当たらないので悪しからず。右下写真はストリートビュー2023年6月撮影。

 ちなみに余計なお世話じゃが、どうしてご一行はホテルではなくてモーテルの駐車場の方で降車したのか?ホテルの駐車場がたまたま満車状態だったのか?周囲にファンが群がっておる様子もなさそうで、穏やかにチェックイン出来そうじゃけどな~。
 ストリートビュー写真で見える2つの駐車場を隔てる植え込みを、エルヴィスは「よっこらしょっ」って跨いだんじゃろうか?当時の駐車場内の写真においても、エルヴィスの右斜め前に写っておる警備員の下に僅かに緑が写っており、これは植え込みの草木の端っこかもしれない。当時から植え込みは存在したんじゃろう。テレ・ホートを訪れる機会があったら、ハンプトン・インに泊るよりも、まずこの植え込みを跨ぎに行きたいもんじゃ!


 エルヴィス生涯最後の外泊ホテル
Area No.15/Serial No.609 ストーファー・インディアナポリス・イン跡地/インディアナポリス
 エルヴィスの生涯最後のライブは、1977年6月26日インディアナ州インディアナポリスのマーケット・スクエア・アリーナで行われた。こちらは「バーチャル~2022年第28回Area No.3」にてご案内済じゃ。そしてラストライブを控えた前日にインディアナポリスで宿泊したホテルがストーファー・インディアナポリス・インじゃ。(左写真)
 エルヴィスのプライベート空間は当時は過剰なまでに警備網が張られており、ホテル内での情報等は未だに謎のままじゃ。部屋番号すらネット上では分らない。しかしキングの最後のご外泊先(少なくともツアー中のご滞在先)なのでスルーする訳にはいかんじゃろう!

 ストーファー・イン・ホテルはヒルトンやシェラトンほどの規模ではないが、当時全米中にチェーン展開されていた大型ホテルグループのひとつだが、残念ながらインディアナポリス・ブランチは1980年代後半に閉鎖されており、当時の写真もネット上では非常に少ない。左写真は当時発行されておったポストカードの図柄じゃ。ポストカードの写真ではレトロな雰囲気の味わ深いホテルのようじゃが、それはポストカード自体の劣化が原因か!?
 ストーファーの組織自体は現在も運営されており、右下写真は組織のFacebookに掲載されていたもの。エルヴィスの写真はラストライブとは関係ないショット(1973年1月14日ハワイ州ホノルルでのステージ写真)が使用されておるが、その代わりにラストライブのチケット写真をレイアウトして“我々のホテルは、キング最後のホテルだった”とチャッカリ”アピールされておる(笑)

 「Elvis Storfer Inn」のキーワードでネット検索すると、何故かジョージア州アトランタ・ブランチが先にヒットする。ここにはラストライブの約半年前の1976年12月30日に当地でのライブのためにエルヴィスは宿泊しておる。(「バーチャル~2022年ジョージア州編」Area No.7参照)この際、キング生涯最後のご外泊先としてインディアナポリスのストーファーの存在もよろしくな!

 1980年代後半にストーファー・インの営業が終了した後、2010年になってアイビーテック・コミュニティ・カレッジというスケールの大きい料理専門スクールが建物を再利用することが発表された。「キング最後の宿泊場所が~」という形容がアピールされたこもありネット上でそれになりに話題になった。Google-mapにて確認するとスクールは存続中で、再利用されてた建物も依然として存在しておる!右写真ストリートビュー2024年5月撮影。


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