アップロード:2025年9月9日 |
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![]() 1974年9月30日、10月1日、1976年10月20日の3回に渡ってノートルダムのアスレチック・アンド・コンベンション・センター(通称ACC、左写真)にてエルヴィスのライブは行われた。 (上写真3枚は74年9月30日。下写真2枚は10月1日) 最初のライブは未だに「70年代最高のライブのひとつ」とのレビューがネット上でいくつか読むことができるほど素晴しいクオリティだったようじゃ。ハンパな賞賛具合ではないので、さっそく一部を転載しておこう!(下モノクロ写真は74年撮影) ![]() エルヴィスは文字通り CC ライダーへ突入した。今まで見た中で一番の演技だった。彼はただ歌詞を叫んでいて、本当に体を動かしていた。エルヴィスが「動いている」かどうかは関係ないと言う人もいるが、それは間違い!エルヴィスの動きは「伝説」の一部以上のものである。彼が本当に歌に夢中になっていると、あらゆる側面、つまり声、視覚、精神、身体がそれを反映する。エルヴィスは、おそらく時々、一部の人々を騙すこともできる。 しかし、彼自身は自分が調子が良いときとそうでないときを知っている。. そしてそれは「Go 」という言葉からわかる。この日は絶好調だった! etc ブルースエードシューズを歌い終わると、エルヴィスは誰かが「エルヴィス キング」と書かれた看板を掲げているのに気づいた。エルヴィスは「お心遣いにはとても感謝していますが、私は『キング』とい名乗ったことはありません。私にとってキングと呼ばれる資格があるのはただ一人、イエス・キリストだけです。」 エルヴィスがステージからこう言うのを聞いて、クリスチャンの私は本当に感激した。「エンターテイメントの王」はいいが、確かに「キング」はダメ! エルヴィスの才能を称賛し楽しむことは何も悪いことではないが、彼を自分の「神」にするのは間違いだ。エルヴィスもこのことを強く感じており、「神が自分に与えてくれた才能に感謝しています」と言った。 ![]() 一方1976年のライブは、どうやら“ぐだぐだ”だったようじゃ。ライブレビューは見つからなかったが、元ノートルダム在住者たちの集うFacebookの中で、「悲しい、悲しい、ただただ悲しいライブだった」「当時体調不良が顕著だったエルヴィスは間違った薬物投与を受けていたはずだ」との書き込みを発見してしまった。ライブ写真(右写真)からは体調不良には見えんが・・・。わずか2年の間に、両極端なクオリティのライブがノートルダムで行われたのじゃ。 ![]() ![]() 広大な敷地内には収容人員数10,000人を越える2つのドーム会場があり、南側のドーム(上部の会場空撮写真の下側のドーム)がメイン・アリーナとされており、エルヴィスはこちらに登場したと思われる。右写真ストリートビュー2022年9月撮影のACCの入口。 |
目を見張る様なゴージャス・コートを着たエルヴィスは何処に泊っていたのか!?![]()
![]() しかしながら、当時のサウスベンドにヒルトン・ホテルが存在していた形跡はネット上では見つからず、また現在サウスベンドで営業しておるヒルトン系ホテル3つも、すべてエルヴィスの死後もしくは21世紀に開業しておる。 そこで「ヒルトン宿泊説」を疑ってかかって再調査した結果、別のホテルが浮上!それがサウスベンドのノース・セント・ジョセフ・ストリート(以下N.S.Jストリート表記)にあったロイヤル・インであった。 まずエルヴィスがロイヤル・インに宿泊していた事実を裏付ける新聞記事(上写真)を発見。記事にはその事実が記述されており(写真赤枠内参照)。またエルヴィスが同伴しておったガール・フレンドのシーラ・ライアン嬢の為に(?)、ロイヤル・インまで地元の宝石商に出張させていた事実まで書かれておるので、このホテルで間違いないじゃろう! ![]() N.S.J・ストリートはGoogle-mapで確認すると南北一直線に僅か340メートルだけ存在する住宅街を貫く通りであり、ストリートビューで確認してもホテルが建っていた形跡はまったくない。 そこでHACにてN.S.Jストリートの過去をチェックしたところ、1981年の空撮写真の中にロイヤル・インらしき建物が写り込んでいる。(右写真左側赤丸内)当時のN.S.Jストリート(右写真緑色ライン)沿いに、真っ白い建物は赤枠内のビルのみであり、これがロイヤル・インのお姿ではないかと! ![]() ![]() なおHACのより古い撮影写真をチェックすると、N.S.Jストリート周辺は古くは森林緑地地帯であり、1950年代から徐々に住宅街として開発されていった模様。N.S.Jストリートは地域開発とともに設置されたストリートじゃった。エルヴィスがロイヤル・インに泊った当時はホテル周辺にはまだかなりの緑が生い茂っておる環境だったようじゃ。 |
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![]() このツアーは“最上級ライブ”の誉れ高い、上記した9月30日、10月1日のライブが含まれるが、実はスタートのメリーランド州は“エルヴィス史上最悪”と伝えらているほどの絶不調ぶりが露呈されてしまった。不幸にも、50年代のエルヴィスのガールフレンドの中で代表的な存在だったバーバラ・ハーン嬢が観客の中にいたこと等も以前ご紹介済みじゃ。(「バーチャル~第33回」メリーランド州Area No.1参照) その後体調が回復して絶好調ライブを披露した9月30日を迎えたエルヴィスじゃが(前日のデトロイトまで不調じゃったようじゃ)、10月5日インディアポリスのコンベンション・センター(上写真2枚)では、またまた酷い状態に陥ってしまった。気が進まないが、僅かなライブレビューを転載しておこう 「9月29日のデトロイトは最悪だった。観客たちは、みんな“ぼったくりじゃないか!”“エルヴィスに何が起こったというんだ”“これがエルヴィスだなんて信じられない”と口にしていた。私は泣きそうになってしまった。多くの友人がこの日初めてエルヴィスのショーを観に来ていたからだ。 そして悪夢はインディアナポリスでも起こった。エルヴィスの調子が悪かったとか、そんなことを言っているのではない。私はあのエルヴィスがステージに立っているとは思えないほどだった。正直に言って最悪だった。自分の目と耳が信じられなかった。新聞のレビューも指摘していたし、実際にそうあるべきだった」 ただしこのレビューは午後2時半から行われたマチネーのライブじゃ。午後20時半からのナイトショーでは、マチネーの出来が嘘だったようにエルヴィスは復活して素晴しいショーを披露したという!上ライブ写真3枚はマチネー、下ライブ写真3枚はナイトショーでの撮影。写真からは昼夜ともにエルヴィスの表情は穏やかであり、激しい好不調の差は感じられないのが何とも不思議!?
好調を取り戻したナイトショーでは、スタートしてから間もなくエルヴィスは「皆さんは僕がギターを弾けないと思っているんじゃないですか?」と観客に語りかけ、その後「That's Allright」でご機嫌なギタープレイを披露した! エルヴィスの薬物乱用による体調不良が取り沙汰され始めたのがいつ頃からだったのかは定かではないが、少なくともその噂を証明してしまうようなライブの出来不出来があからさまになってきたのは、ネット上で読めるライブレビューを追い続けるとこの頃からだったようじゃ。なおマチネーでエルヴィスが着用しておる、ジャンプスーツ・ファンに人気の高い虎が胸元にあしらわれたデザインは、この年9月1日のラスヴェガス・ライブで初めてお目見え。上記9月30日のノートルダムでも着用されておる。ナイトショーでは上写真の通りピーコック(孔雀)柄のデザインじゃ。 ![]() ![]() |
ライブから49年後に再放送されたTVニュース映像で蘇ったエルヴィス・マダムたちの熱狂![]()
![]() 1975年7月9日この地のハルマン・シビック・センターでエルヴィスのライブが行われたが、70年代中盤のライブだったにもかかわらず、ネット上ではライブ写真以外は、珍しくテキスト情報が一切アップされていない。当時のライブレビューは無くても、新聞等による小さな回顧記事ぐらいは通常見つかるものじゃが、現時点では皆無じゃ。 その代わり、と言ってはささやかじゃが、「Elvis in Terre Haute」と題された短いTV放送の録画がyou tubeにアップされており、キャスターのナレーションやハルマン・シビック・センターでの観客へのインタビューが現在のところわずかな情報じゃ。番組の詳細は不明じゃが、2024年の夏頃にテレ・ホート周辺地域で放映されたようで、1954年から2024年までの曜日毎の地元の歴代トピックスを取り上げるプログラムのようじゃ。 ライブ当日に現地の空港に到着して飛行機のタラップを降りてくるエルヴィスの映像からスタートする番組は、空港に集まった200人ものファンがエルヴィスを歓迎したり、約9,000人のファンが詰めかけたシビック・センターで行われたファンへのインタビューの様子などが簡潔に編集されておる。エルヴィス追っかけマダムたちは「ちょっとぽっちゃりしているけどエルヴィスが世界で一番!」「どこまででも追っかけて行くわ」「チケット代が高いとも思わないし、ライブ自体が素晴しいってわけでもないけれどエルヴィスだから!」とか答えておる(笑) この動画はYou tubeにアップされる際に翻訳機能がONに設定されとるので、日本語テロップによりニュースの内容が分かるぞ!約2分間の短い映像ではあるが、興味のある方は御覧あれ。
![]() なおエルヴィス一行は空港から一旦ヒルトン・ホテルへ向かっており、ホテル敷地内での様子も隠し撮りされておる。下記Area No.14でご案内しておるので御覧頂きたい。 ![]() ![]() このサイトには同会場に登場したミュージシャンたちの一覧表があり、州都インディアナポリス近郊とはいえ決して大都市ではないテレ・ホートに70~90年代のアメリカン・ヒットチャートを彩った夥しい数のミュージシャンの名前があって壮観、というか実に意外!?エルヴィスが先鞭をつけたのじゃろう。「ハルマン・センター」と短く改称されて現在も稼働中じゃ。右写真ストリートビュー2022年10月撮影。 |
テレ・ホートを訪れたら、“この植え込み”を跨ぎに行こう!![]()
上写真左側は、ホテルの西側駐車場に隣接するローカルのモーテルの駐車場に降り立ったエルヴィスご一行。上写真右側は、モーテル駐車場からホテル駐車場を通ってその先にあるホテル西側の裏口に向かうご一行じゃ。 エルヴィスご一行が現ハンプトン・インに宿泊したという記述は現在ネット上では見当たらないので、ホテルではなくてモーテルの方へ泊ったのでは?という疑問も湧くが、どうみてもご一行はモーテルを背にしてホテルの方へ向かっておるんで、モーテル宿泊の可能性は無いとみて良いじゃろうな。 下写真左側は、現在のモーテルの駐車場。下写真右側が現在のホテル西側裏口付近。いずれもストリートビュー2023年7月撮影。モーテルや周囲の環境が1975年当時とほとんど変化がないのが驚きじゃ。
![]() ちなみに余計なお世話じゃが、どうしてご一行はホテルではなくてモーテルの駐車場の方で降車したのか?ホテルの駐車場がたまたま満車状態だったのか?周囲にファンが群がっておる様子もなさそうで、穏やかにチェックイン出来そうじゃけどな~。 ![]() |
![]() ![]() ![]() エルヴィスのプライベート空間は当時は過剰なまでに警備網が張られており、ホテル内での情報等は未だに謎のままじゃ。部屋番号すらネット上では分らない。しかしキングの最後のご外泊先(少なくともツアー中のご滞在先)なのでスルーする訳にはいかんじゃろう! ストーファー・イン・ホテルはヒルトンやシェラトンほどの規模ではないが、当時全米中にチェーン展開されていた大型ホテルグループのひとつだが、残念ながらインディアナポリス・ブランチは1980年代後半に閉鎖されており、当時の写真もネット上では非常に少ない。左写真は当時発行されておったポストカードの図柄じゃ。ポストカードの写真ではレトロな雰囲気の味わ深いホテルのようじゃが、それはポストカード自体の劣化が原因か!? ストーファーの組織自体は現在も運営されており、右下写真は組織のFacebookに掲載されていたもの。 ![]() 「Elvis Storfer Inn」のキーワードでネット検索すると、何故かジョージア州アトランタ・ブランチが先にヒットする。ここにはラストライブの約半年前の1976年12月30日に当地でのライブのためにエルヴィスは宿泊しておる。(「バーチャル~2022年ジョージア州編」Area No.7参照)この際、キング生涯最後のご外泊先としてインディアナポリスのストーファーの存在もよろしくな! ![]() ![]() |
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