アップロード:2025年4月23日 |
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![]() ハイウェイをぶっ飛ばしておる最中、一行はずっと車内から休憩のための適当なモーテルを物色し続けており、ほとんど「あそこにするか!」程度の軽いノリで一軒のモーテルへ向かった。それがカラマという小さな街のハイウェイ沿いに建つコロンビア・インであり、予約無しの飛び込みのチェックインにも関わらず、幸運にもコロンビア・インはエルヴィス一行全員のための空き室があったのじゃ!(上写真右側は、睡眠をとった220号室から出てきたエルヴィス) ![]() 日が暮れてから起床したエルヴィスは、ホテルの駐車場に併設されていた「コロンビア・イン・レストラン」に電話をして、自分を含めた10人分の“朝食”をオーダー。その内訳は、卵黄を割って固く揚げた卵3個、カリカリに揚げたベーコン10 枚、付け合わせのハッシュブラウン、ドライシリアル、桃、クリーム入りコーヒー5杯だったそうな。 更にメンフィス・マフィアの連中はディナー・メニューからも相当な量の料理をオーダーしたため、一行がオーダーした料理の請求額は、コロンビア・イン・レストランに個人や団体が支払った金額としては過去最高額だったそうじゃ!更に電話料金も、一行がメンフィスやハリウッドへの長距離電話をかけまくっていたために莫大な金額だったという! ![]() なお、当時のモーテルの建物写真はネット上には無く、右写真はエルヴィス一行が料理をオーダーしたレストラン。食事を摂った場所がレストラン内なのか、または各々の部屋だったのかは不明。 ちなみに一行がカラマから更に180キロ離れたシアトルへ向けてモーテルを出発した(チェックアウト)時刻は、朝食を摂った数時間後(9月4日午後10時~11時)だったとされており、突然現れた「エルヴィス様&メンフィス・マフィア」のお蔭でモーテル側にとってはホクホクながらも嵐の様な一日を送ることになったのじゃ!チェックアウトの後のエルヴィスの部屋は、空になった化粧品の瓶や食べ残しの料理のお皿やグラスなどで凄まじく散乱しておったそうな。 ![]() ![]() ![]() 下写真右側ストリートビュー2023年9月撮影、右側がモーテル。下写真左側がレストラン(右Google-mapマーク)。
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ストレス解消に悪戯もやっちゃった、「ヤングパレード」撮影期間の滞在ホテル![]() ![]() エルヴィス一行の凡その到着スケジュールは地元のファンにバレてしまっており、到着前日の9月4日夜からホテル前には大勢のファンが待ち構えておった。事前情報ではもっと早い到着と予想されていたのか、年端の行かない女の子のファンの一部は、エルヴィス一行の到着前に「しょうがない。明日学校に行かなきゃいけない」と泣く泣く帰宅せざるをえなかったそうな!それでも数百人のファンたちが辛抱強く待ち続けて一行の到着を歓迎した。 おもしろいのは、当時のシアトルのマスコミの反応じゃ。1957年にライブが開催されてはいたが、以前として保守的な風潮の強かったシアトルでは ![]() 約10日間、撮影会場とホテルとの往復に明け暮れたエルヴィスは、ファンがいつもホテルにたむろしていたために休息時間でさえ一度もホテルから出られなかった。退屈したエルヴィスはメンフィス・マフィアとツルンデ、チョイトお部屋の中でいたずら!部屋の中の家具を取っ払ったり、移動させたりしてからルームサービス係を呼び、驚いたルームサービス係が責任者に連絡するとソッコーで家具を元の位置に戻したりしてホテル側を揶揄っていたという。 エルヴィス一行が9月15日午前中にチェックアウトした後、ホテルの女性フロント係は次のように複雑な胸中を語った。「エルヴィスが来てくれたのは嬉しかった。でも、彼が去っていくのを見るのも嬉しいというか何と言うか・・・」。 こうした様々な滞在状況が現在まで伝えられているものの、ニュー・ワシントン・ホテルでのエルヴィスの写真はネット上では1枚も発見出来なかったのが残念じゃ。 ![]() ![]() エルヴィスが宿泊した翌年の1963年にはシアトルのカトリック大司教区に売却され、高齢者向けアパート「ジョセフィナム」として生まれ変わり、現在では一般入居者も受け入れる「ジョセフナム・アパートメント」として経営されておる。右写真ストリートビュー2021年9月撮影。 |
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![]() メンフィスから約3,000キロも離れたシアトルはエルヴィスにとって遠隔地だったに違いないが、1957年にライブ、1962年に映画撮影で訪れた後、1970年代に入ると更に3度やってきた。1970年11月12日、1973年4月29日、1976年4月26日、いずれもシアトル・センター・コロシアム(左写真)でのライブじゃ。上写真左から2枚は1970年11月20日、上写真右から2枚は1973年4月29日、下写真2枚は1976年4月26日の撮影。 1970年当時のライブレビューを簡単に総括してみると、このシアトルを含む11月のツアーは評判があまり良くないようじゃ。ただしエルヴィスのパフォーマンス自体ではなく、非難されたのは「1時間前後のライブ時間の短さ」「カバー曲の多さ」「かつてのヒット曲の少なさ」が原因じゃった。1969年にライブにカムバックして以降はやることなすこと大絶賛の嵐だったので、“そろそろ少し難癖でもつけてみるか”というマスコミの意地悪に過ぎなかったようなので諸君はあまり気になさらぬようにな(笑)「明日に架ける橋」や「ふられた気持ち」といった名曲のカバーも、この頃はマスコミには敬遠されておったということじゃ。「どうせカバーをやるなら軽快なロックンロールをやるべきだ」とでも言いたかったのじゃろな(笑) ![]() このMC以外、ライブ中にはお得意のジョークは一切かまさなかったという。そしてラストナンバーの前にはイミシンな発言を入れた。 このショーにメッセージはありません。ただのエンターテイメントです。 字面だけを追うと投げやりな言葉に読めてしまうが、これは当時流行っておった社会的メッセージ色の強いロックやカントリーに対する一種のアンチテーゼであり、また直接的なメッセージなどを超越した領域にある自らの歌への絶対的な自信に裏打ちされた言葉だったとわしには思える! ローリング・ストーンズが翌1974年に「イッツ・オンリー・ロックン・ロール(バット・アイ・ライク・イット)」(たかがロックンロールだけど、俺はソイツが好きなのさ)という名文句を生み出して話題をさらったが、大元はエルヴィスのこの発言だったんじゃないかと(笑)歌詞を書いたロン・ウッド(当時フェイセス在籍)はこの日ライブ会場にいて、エルヴィスのこの発言を耳にしたのかもしれない!? ![]() ![]() 以降はプロバスケットボール・チームの本拠地会場、ミュージックライブ会場として長らく使用され続けた。クライメット・プレッジ・アリーナの名称で現在も稼働中。右写真ストリートビュー2023年3月撮影。 |
レポーターさんの思考回路を木っ端微塵にしてしまった!?ハイ・クオリティ・ライブ!!![]()
![]() スポーカンはシアトルから真東に約380キロ離れた、お隣のモンタナ州との州境に近い街じゃ。エルヴィスはここで1957年8月30日に北米/カナダツアーのスタート地としてライブを行っておる。(「バーチャル~第24回 Area No.1」参照) それから約16年後の1973年4月28日、さらにその3年後1976年4月27日にスポーカン・コロシアム(左写真)でライブを行った。この両日前後の日は、いずれも上記シアトル・センター・コロシアムでのライブじゃ。 1973年4月28日のライブ翌日では、上記シアトル・センター・コロシアムにて「~これはただのエンターテイメントです」との名言(迷言?)を吐いたエルヴィスだが、この日のライブ・レビューでは特に印象的な発言は記録されておらん。 その代わりに、エルヴィスの1970年代のライブ賛辞ではテッパン過ぎるフレーズのオンパレードであり、それが却って印象に残ってしまった!これはレビュー執筆者が「感動し過ぎて、あらたまった賛辞の言葉が浮かばない」のか、はたまた単なる語彙不足、基本的な筆力不足なのかは分らない(笑)オフィシャル・ライブ盤でも発表されていれば判断が付くが、今のところはライブレビューをそのまま信じることにしよう! ![]() 「コロシアムでの2回の公演で約12,000人の観客を前に、エルヴィスは1950年代後半からやってきたロック、ブルース、そして体の動きを融合したパフォーマンスで観客を魅了した。その結果、女性ファンからは熱狂的な拍手と悲鳴が巻き起こった」 「エルヴィスがステージに上がる少し前、観客の中には、現在38歳となったこのパフォーマーが、若い頃のような魅力をまだ発揮できるのだろうかと不安に思う者もいたようだ。しかし、音楽が鳴り響き、エルヴィスが信じられないほどぴったりとした白い宝石のついたボディスーツを着てスポットライトの中に登場した瞬間、その不安は消え去ったのだ」 「興味深いことに、ショーに出席した観客のかなりの部分が30代前半で、エルヴィスがロックンロール界の頂点に上り詰めた当時は高校生だったグループだった。しかし、観客の中で大声で歌っている人の大半が十代の女の子たちだったことも、同様に興味深いことだった。彼女たちは、この歌手が元々のファンを維持できただけでなく、何年もかけてファンを増やしてきたことを証明した」 どうです?この当たり前過ぎて笑っちゃうようなレビューは!(笑)何の工夫もひねりもない描写じゃ。ちなみに原文をド直訳しておるが(意訳無し)、とてもプライドがクソ高いアメリカ人ライターの文章とは思えない!仮にライブを体験していなくても書ける様な内容じゃが、ライブの翌日に「スポークスマン・レビュー」という列記としたメディアのコーナーに掲載されておる。ここは詮索を止めて、ライターさんをお仕事の原点に回帰させ、何の脚色なしに子供の様に素直に書かせてしまったほどこの日のライブが素晴しかったとしておこう! 上記以外に1973年4月48日ライブ・イン・スポーカンのレビューはネット上で発見出来なかったが、前後の4月27日オレゴン州ポートランド(下記Area No.2 メモリアル・コロシアム/ポートランド参照)と4月29日センター・コロシアム/シアトル(上記Area No.9参照)のライブレビューも大絶賛ばかりなので、この時期のエルヴィスが絶好調だったことは間違いない! ![]() ![]() 1993年にコロシアムは取り壊され、現在跡地には新しいイベント会場スポーカン・アリーナが建てられておる。右写真ストリートビュー2022年9月撮影。旧コロシアムは、実際には現アリーナ前を走るノース・ハワード・ストリート(右写真左端の道路)に面して建てられておった。 |
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![]() アスレチック・クラブの古い写真をネットで検索すると、この建物が長い歴史の中で何度も建て替えられて、その都度形状が変わっておることが分かるが、エルヴィスがインタビューで訪れた1957年当時は左写真の形状であった。2022年のスタジアムご案内の際には、記者会見が行われた事実のみを記載したが、今回はエルヴィスの返答の幾つかをご紹介しよう。 「ロックンロールは私が発見した音楽ではありません。ロックンロールは、ずっと前から存在していた音楽です。リズムは本当にブルースです。私は時流に乗っただけです」 「私が生まれた土地は一日中歌が歌われている所であり、私も小さい時からずっと教会で宗教的な歌を歌いました。一緒に歌っていた仲間は、ロックタイプの音楽的精神が大好きでした」 「フォー・エース、ナット・キング・コール、ディーン・マーティン、パット・ブーンら人気者のレコードは持ってます。もちろんリトル・リチャードも!」 「コンサートでは時にはアクシデントも起きます。(バンクーバーでのファンの暴走の事?)有名になった代償は神経質になって対処しなければならないものです」 「結婚することになっているのに、別の女の子デートしてしまった夢を見ることがあります。大丈夫、いつかは結婚しているのだからと自分を言い聞かせます」(笑) 「(当時結婚の噂があったアニタ・ウッドについて)彼女とは深刻なことは何もありません。私たちは友達以上ですが、深刻なことは何もありません」 「(ロックンロールは衰退するという指摘に対して)今歌いたい歌を歌い、毎日をありのままに受け止めているだけで、未来のことは深くは考えていません」 余談ではあるが、上記インタビューの最後の“未来のことは深く~”ってのが引っかかるな。実はこの日のライブ終了後にエルヴィスはロサンゼルスへ行き、「クリスマス・アルバム」のレコーディングをする予定じゃった。SMWによるとエルヴィス自身がピアノを弾くインストゥルメンタル・アルバムにする計画じゃったらしい。これはエルヴィスの発案であり、スコッティとビルのギャラがあまりにも安過ぎるためのエルヴィスの温情企画でもあった。 1957年のライブ・スケジュールも残り少なくなり、その後 ![]() しかしエルヴィスのこの計画はパーカー大佐によって握りつぶされてしまった。大佐は「バンドメンバーなんて誰だって構わん」「他人の気遣いなどせんでええわい!」ってところなんじゃろう・・・。エルヴィスの意志と大佐の商魂との決して埋まることのない溝が表面化してきておったのじゃ。 ![]() |
ガラスの殿堂を揺るがした鋼(はがね)のエルヴィス・ロック!![]()
![]() 残されておるこの日のライブレビューを読むと、「観客は満足していなかったわけではないが」と前置きをした上で、また別の非難材料が記されておる。それは「オーケストラの音がデカ過ぎ」「観客はエルヴィス以外のバンドメンバーたちに興味がないのに、メンバー数が多過ぎる」といったドーデモイイ内容じゃ(笑)「オーケストラやバックコーラスが大掛かり過ぎて、エルヴィスはその分自分の音量(声量?)を不必要に上げなければいけなかった」という指摘もある。 この類の当時のライブ・レビューは、要するに当時のエルヴィス・ファンが50年代のエルヴィスの復活を望んでいたと言いたいものばかりじゃ。これはある意味で当時のミュージシャンへの要請としては異例じゃ。時代は激動の60年代を終えて、ニューロックだの、ニュープロテストソングだの、強いメッセージ色や楽曲アレンジの斬新さがもてはやされていたはずじゃが、エルヴィスにだけは素晴しきオールド・ロックンロールが求められておったのじゃ。そんな需要状況の中へ、エルヴィスは自分しか到達していないテンションからの「孤高のエルヴィス・ソング」で切り込んで行ったのじゃ。そうしたスタイルが聴衆に理解されるまでにはもう少し時間が必要だったのじゃ。
ポートランド・メモリアル・コロシアムでは、更に1973年4月29日(上写真3枚)、1976年11月12日(下写真3枚)にライブが行われておる。73年のライブについては、ステージ上で活き活きとしたエルヴィスを描写した下記のレビューがネット上で読める! 『エルヴィスはステージ上で何年もしていなかったように体をくねらせ、震え始めました。彼は本当に音楽に夢中になっていて、その動きのたびに、2曲目だけですでに「興奮状態」だった13,000人の観客から悲鳴、口笛、涙、笑い声が上がりました。続いて「ラブ・ミー・テンダー」、そして「ハートブレイク・ホテル」が演奏されました。この曲の途中でエルヴィスは笑い出し、止まりませんでした。笑いすぎて床に転がりそうになりました。しかし、観客はそれを気に入り、エルヴィスと一緒に笑いました。』 『「ラブ・ミー」と「ブルー・スエード・シューズ」が続き、エルヴィスは昔のパワーを発揮しました。次に「ユー・ゲイブ・ミー・ア・マウンテン」が演奏され、エルヴィスは超力強い声で歌いました。素晴らしい「スチームローラー・ブルース」が続きました。このバージョンは、レコードのバージョンよりはるかに良かったです。ドラムとベースが重く、アトラスの肩にも負担がかかりそうなほど、力強く、躍動的で、脈打つブルース。曲の終わりに向かって、エルヴィスは、獲物を襲う動物のように、激しく歌い、唸り、ほとんど残忍に曲を少しずつ分解しました。傑作のパフォーマンスです!』
![]() ![]() 21世紀になると、地元ベースボール・チーム(マイナーリーグ)の本拠地スタジアム建設の為にコロシアムは取り壊しが検討されたものの、地元民や有識者たちの反対により存続が決定して現在に至っておる。右写真ストリートビュー2024年6月撮影。 |
“もっともデンジャラス”なバスケコートに、新たな歴史を作ったライブ!![]()
ユージンはポートランドの真南南約140キロ、オレゴン州の丁度真ん中あたりに位置する街であり、勿論エルヴィスがやって来たのはこの時が初めてであった。 ![]() 実際に選手たちのプレイ中は、観客たちの熱狂によりメープル材製の会場の床板が激しくきしみ、建物全体も揺れ動いていたと言われておる。キング・オブ・ロックンロールが初めてやって来た!ということで、ライブが行われた2夜もまた会場は激しく揺れた!以下、当時のライブ・レビューからの抜粋じゃ。 「エルヴィスは、雷のような拍手と何千ものフラッシュバルブの爆発で迎えられた。それは、ステージの後ろの高所から、まるでまばゆいばかりの花火を見つめているようだった。彼は不自然に笑みを浮かべ(悲鳴が上がる)、足を広げてポーズをとり(さらに大きな悲鳴が上がる)、左足をくねらせ(悲鳴)、そして「CCライダー」を歌い始めた(大混乱)。彼がステージにいた残りの1 時間29分、観客は彼の虜になった。」 「ロックンロールの歴史を形作った意地悪な少年の面影を垣間見せながら、エルヴィスは素晴らしい声を響かせた。まるで時間が経っていないかのように、1956年になってエルヴィス狂騒曲が再び始まったかのように、彼はうろつき、セクシーな声をあげた。 熱狂するファンに向かって投げるたくさんのスカーフを持ってエルヴィスの後をついていった相棒は(チャーリー・ホッジ)、すぐに別のスカーフをプレスリーの首に巻く。こんな下品なサービスは大抵はブーイングを浴びることになるものだが、エルヴィスには観客を魅了する術がある。観客にとっては、彼がやる事はすべて素晴らしい。それさえも!」 「売店はエルヴィスのTシャツ(各5ドル)、ボタン(2ドルと3ドル)、写真(1ドルから3ドル)、巨大ポスター(5ドル)が売られていた。オレゴン大学水泳チームの資金集めプロジェクトとして販売されたこれらの商品は、まるで無料であるかのように売れていった。」 ![]() ![]() この会場でライブを行ったエルヴィスが好調だった原因は、会場が纏っているエキサイティングで歴史的なオーラにエルヴィスが刺激されたのかもしれんな!なお、旧コートと建て替えられた新コートは、写真で比較する限り外観はほとんど同一仕様じゃ。右写真ストリートビュー2024年7月撮影。 |
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