NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.486


第104回 エルヴィスゆかりの地~2026年度アーカンソー州後編/オクラホマ州編

アップデート:2026年7月9日
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連載100回、ゆかりの地の通し番号も700を越え、来年のツアー完結に向けてラストスパート中の「バーチャル・ロックンロール・ツアー」。もし第1回目からツアーに参加して下さっているのであれば、いい加減「まだ案内する所があるのかよ」って少々うんざりする場合もあるじゃろう。まさにその通りであり、当のエルヴィス自身がうんざりするほどツアーを続けておったのじゃ。今回はアーカンソー州とオクラホマ州のツアー未踏のゆかりの地へのご案内になるが、中には70年代後半に体調不良を押してまでツアーを続けざるをえなかったキングとしてのお役目の真相や苦悩が垣間見れる軌跡もあるので、どうか辛抱強くお付き合い下され!

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第104回 2026年アーカンソー州後編/オクラホマ州編

 ・Area No.は2022年度編からのアーカンソー州、オクラホマ州内の番号。
 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。
 
 【アーカンソー州】
 Area No.39/Serial No.719  コンベンション・センター/パインブラッフ
 
Area No.40/Serial No.720  マグノリア・イン/リトルロック
 Area No.41/Serial No.721 ホリディ・イン跡地/パインブラッフ
 Area No.42/Serial No.722  ラマダ・イン/ハリソン

 【オクラホマ州】
 Area No.14/Serial No.723 ヒルトン・イン跡地/オクラホマシティ
 Area No.15/Serial No.724 スキルビン・ホテル/オクラホマシティ
 Area No.16/Serial No.725 ロイド・ノーブル・センター/ノーマン

【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

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★ 本文中の表記について ★

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SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト
EDD=「Elvis Day By Day」 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト)
HAC=ヒストリック・アエリアルス(アメリカの空撮サイト)


【アーカンソー州】

 アメリカ建国200周年記念ツアーのラストライブ
Area No.39/Serial No.719 コンベンション・センター/パインブラッフ

 半世紀前の1976年、アメリカは建国200周年を迎えた。ロックシーンの最前線では、ベトナム戦争の泥沼化が引き起こした(とも言える)当時の“悩めるアメリカ”をシンボライズするような二大事件が起こった。
 国民的バンドと称されたイーグルスが、当時のアメリカを全盛時の幻想に駆られた者たちが集う没落ホテルの悲哀になぞらえたアルバム「ホテル・カルフォルニア」を発表。
 アメリカン・ルーツ・ミュージック復興の旗手と謳われたザ・バンドが「ラストワルツ」という儀式ライブによって解散を表明。パンクロックの台頭もあって、無責任な評論家たちから「ロックは終わった」と評されておったものじゃ。

 一方、大御所のエルヴィスは体調不良をおして積極的にツアーを敢行。それは「バイセンティ二アル・ツアー」(建国200周年記念ツアー)と華々しく呼ばれもしたが、時にはステージ上で呂律が回らなくなったり立ち上がれなくなったり、ステージ上の不調を目の当たりにしたファンの悲嘆の涙を誘ったり、クオリティは凸凹ながらもエルヴィスは必死にツアーを続けた。
 キング・オブ・ロックンロールが“アメリカは終わった”“ロックは終わった”と言えるはずがない!とエルヴィス本人が語ったわけではないが、自分よりも二世代も年下のビッグロッカーたちがアメリカに背を向けたことに対して、エルヴィスは「アメリカ・イズ・ビューティフル」と歌わなければならなかったのじゃ。


アメリカ・イズ・ビューティフル

何と美しいのだ 広大な空よ
琥珀色に波打つ岩肌よ
荘厳な深紅の山々よ
果実をもたらす平原の上に!

アメリカ!アメリカ!
主は汝に恩恵を与えたもう
冠を頂きし同胞達との幸福
太平洋から大西洋へと広がりゆ

何と美しいのだ 英雄達の自由への奮闘よ
自らを犠牲にして祖国を愛する人々よ
そして命をも厭わない慈愛よ

アメリカ!アメリカ!
主が汝の黄金を精錬されんことを願わん
全ての結果を崇高ならしめ
全ての収穫を神聖ならしめるまで


 バイセンティニアル・ツアーは1976年の後半のツアーであり、この時エルヴィスが着用していた青もしくは白のジャンプスーツはバイセンティ二アル・スーツとも呼ばれておる。このスーツ姿のラストライブ会場が、1976年9月7、8日アーカンソー州パイン・ブラッフのコンベンション・センターじゃ。
 またこの日で一旦終了する(中断する)1976年のツアーは、“アメリカ・ザ・ビューティフル”がセットリストのレギュラーとして歌われた最後のツアーでもあった。(以降、時々歌われることはあった)
 
 1976年のツアーは、10月14日から再開され、何故9月8日で「200周年記念ツアー」のスタイルが打ち切られたのかは不明じゃが、9月8日のライブは記念ツアーのファイナルを飾るに相応しい素晴しいライブだったようじゃ。

 10月14日以降のライブからはこのスーツを着ることはなくなったが、9月8日の好結果がエルヴィスを一時的に復活に導いたようで、体重も落ちて若干スマートになってエルヴィスはツアーを続けることになる。今にして思えば、バイセンティ二アル・ツアーでのエルヴィスの気の毒なほどの奮闘ぶりは、実質的な「キング・ラスト・スタンド」だったのじゃ。


 キングの“バイセンティニアル・ツアー・ラストライブ”の舞台となったパインブラッフ・コンベンション・センターは、スポーツ/コンサート会場としての歴史を重ねてきて、現在も稼働中。
 しかしながらストリートビューで現状をチェックすると(右写真ストリートビュー2022年6月撮影)、外装の老築化(劣化)を隠すペンキの少々乱暴なベタ塗りが目立っており、果たして現役のイベント会場として使用されておるのか少々疑問?由緒正しい会場なので、美しい修復工事が行われることを!


 夜はレッド・ジャンプスーツ、昼はブラックフォーマルで颯爽とチェックイン!
 Area No.40/Serial No.720 マグノリア・イン/リトルロック
 

 マグノリア・インは1972年4月17日アーカンソー州リトルロックのバートン・コロシアムでのライブ(「バーチャル~アーカンソー州編2025年後編Area No.31」でご案内済)の際にエルヴィス一行が泊まったホテルじゃ。
 上写真3枚は、当日駐車場からホテル2階のフロントへ向かうエルヴィスをとらえており、パパラッチ的な隠し撮りではなく、待ち構えていたファンが撮影したようじゃ。ネットで公開されておる写真は他にも3種類あり、オリジナル・プリントは当時流行のポラロイド・カメラからのものじゃ。

 バートン・コロシアムでは珍しいレッドのジャンプスーツを着用して登場したエルヴィスだったが、レッドのワンポイント入りブラック・スーツ姿のエルヴィスもメチャかっこいいですな。ライブが絶好調であったレビューが残されておるのが納得出来るほど、ホテル入りのエルヴィスの表情も健康的であり、ご機嫌も大変よろしいようじゃ。

 バートン・コロシアムからマグノリア・インまでは、幹線道路でほぼ一直線で繋がっており、その距離わずか2キロじゃ。60年代までは「マグノリア・コート・ホテル」の名称だったようで、エルヴィスが宿泊した当時はマグノリア・インと改称されておった。
 右写真はストリートビュー2023年10月撮影。ホテルが閉業された後、建物は高齢者住宅に改造されたようで、外観はあまり変化が無さそうじゃが、ちょっと寂れた感じになってしまっておる。Google-mapでは「高齢者専用住宅」と表示されておるものの、2023年からは「ザ・マグノリア・リカバリー・コミュニティー」という団体が運営する、重病や重度の依存症からのリハビリ、またホームレス状態からの社会復帰を目指す人々のための更生/宿泊施設になっておる。



廃墟荒らし、野晒しにされっぱなしの悲しきキングのお宿・・・
Area No.41/Serial No.721 ホリディ・イン跡地/パインブラッフ

 上記Area No.39でご紹介したパインブラッフのコンベンション・センターでのライブの際に(1976年9月7日)エルヴィス一行が宿泊したホテルが当地のホリディ・インじゃ。一部の私設エルヴィス・サイトや動画サイトではホテル名が「ヒルトン・イン」とされておるが、正しくはホリディ・インじゃ。

 上写真右側を見て「おや?これはエルヴィスとレッド・ツェッペリンが・・・」と連想した方もおるかもしれない。この写真は1974年5月11日に両雄が会談した時の証拠写真のように使用されることのある1枚じゃが、実はツェッペリンとはぜ~んぜん関係なく、SPのジョー・エスピノーザがこの時たまたまツェッペリンのTシャツを着ていただけのオハナシじゃ。(※エルヴィスとツェッペリンが会談した正確なエピソードについては「バーチャル~番外編エルヴィスとツェッペリンは何処で逢っていたのか?」を参照)

  ホリディ・インはパインブラッフの東の街はずれにあり、コンベンション・センターからは車で約5分、約4キロほど離れた地点じゃ。当時エルヴィスのツアー先での宿泊場所は基本的には極秘であり、写真を見る限りでは撮影者のパパラッチ以外に一般のファンはいないようじゃ。エルヴィスは2階建てホテルの1階南側角部屋105号室に宿泊した。(下写真左側、赤丸部分、下写真右側の赤丸部分はエルヴィスが立っている黒い階段付近)

 ホリディ・インはその後「アメリカンズ・ベスト・イン」というホテルへ売却され、その後閉鎖。建物は放置されっぱなしだがストリートビューで確認する限りでは約4年前までは取り壊されずに残っておる。下写真左側2019年9月、右側2022年6月撮影。
 アメリカのyou tuberさんが2022年にアップした現場撮影動画では、エルヴィスが泊まった105号室を初めとして1階のお部屋はガラスが割られ、置き去りにされたベッドや家具がメチャクチャにされておった。タチの悪い廃墟荒らしの仕業か・・・。ったく、キングが泊まったホテルを何と心得ておるんじゃバカモノ!(ってヤツラは知らねーか!?)



 “国内最高のラマダ”にも選ばれた、エルヴィス最後の新春宿泊ホテル
Area No.42/Serial No.722 ラマダ・イン跡地/ハリソン
 1977年1月3日、エルヴィスは生涯最後のニューイヤーにあたり、当時のガールフレンドだったジンジャー・オールデンとともに、アーカンソー州ジャスパーという地域にある彼女の祖父のお墓参りを行った。(左写真左側)
  その後2人は、ジャスパーの北東約30キロの地点にあるハリソンという街のラマダ・インにチェックインした。(上写真右側)翌4日に2人は飛行機でメンフィスへ戻っておるので、ジャスパーからもっとも近いメンフィス行きフライトが飛ぶ空港がハリソン空港だったのじゃろう。お墓参りにまでマスコミやパパラッチが付いて回ってエルヴィスもジンジャーもさぞ迷惑だったことじゃろうが、ラマダ・インでの写真(下写真3枚)も残されておるのでご案内しておこう(笑)

 エルヴィスとジンジャーが撮られた写真は、いずれもラマダインをチェックアウトとして空港へ行くために車に乗り込む際じゃ。この車は一説によるとエルヴィスが生涯最後に購入した白のリンカーン・コンチネンタルだったという。
 ハリソンのラマダ・インは、エルヴィスが宿泊する前年の1976年にアーカンソー州へ進出してきたマイヤーズ・ホスピタリティというホテル業者によって買収されておった。マイヤーズ・ホスピタリティの略歴が紹介されたウェブサイトによると、買収後は正確には「マイヤーズ・ラマダ・イン」と改称されたそうな。
 マイヤーズ・ホスピタリティは「100室のホテルを所有すること」が当時の目標であり、ハリソンのラマダ・インのスケールに着目して買収に至ったという。
 買収後に改装が重ねられ、1978年にはマイヤーズ・ラマダ・インは国内最高のラマダ・インとして認定された。(ラマダ・グループ内の表彰?)恐らく、エルヴィスが宿泊したことが“国内最高”に選ばれた要因のひとつだったのかもしれない。マイヤーズ・ホスピタリティは以降12年間このホテルを所有し続けた。


 半世紀前にマイヤーズ・ホスピタリティの徹底的に品質に拘った改装の成果もあり、ホテルの建物は長らく健在であり、エルヴィス宿泊当時と変わらぬ様相で「オザーク・マウンテイン・イン」として経営が続けられておったが、最新のストリートビューで確認すると建物の老築化は著しいように見える。下写真ストリートビュー2024年12月撮影。



【オクラホマ州】

エルヴィス専用警備員が明らかにした宿泊ホテル~その1
 Area No.33/Serial No.723 ヒルトン・イン・ノースウエスト跡地/オクラホマシティ

 オクラホマ州の地元発信サイトをチェックしておると、単なる噂も含めて、周辺の州よりもエルヴィスの宿泊したホテルに関する情報の記述が多い。70年代のエルヴィスの宿泊先は極秘にされていた場合が多いので、真相解明のためにかつてエルヴィスの警備を担当した警備員を突き止めてコメントをとったりと結構熱心に調査をしとるから有難い!
 オクラホマ・シティにおいては、当時警察に所属していたシュガー・スミスという人物がエルヴィスのボディーガードを務めたそうじゃ。スミス氏の配下にはエルヴィスの警護を手伝う任務に就く警官のグループがいたという事実が語られた一方で、色んなショーモナイ噂の否定もしてくれておる。
 例えばエルヴィスがホテルに群がった女性たちに宝石やプレゼントをバラまいていたり、こっそり郊外のモーテルに泊ったりといった噂は「私が知っている限り、オクラホマシティではそのようなことはなかった」とキッパリ!
 1973年7月2日のオクラホマ・シティ・マリアッド・コンベンション・センターでのライブの際は(バーチャル~オクラホマ州2025年編Area No.10参照)、エルヴィスはヒルトン・イン・ノースウエスト(上写真)に宿泊したとスミス氏は語っておる。上写真は、1973年7月2日オクラホマシティ公演の日程も表示されておるコンサート・ポスター。

 1969年にオープンしたこのホテルは、起工式では温水プールを囲む24室のカバナユニット、専用プール付きのプレジデンシャルスイート、プライベートクラブ、広々としたコンベンションスペースを備えた、オクラホマ州内では比類のないホテルの豪華さを誇ったという。
 しかし1980年代の石油危機で苦境に陥り、一時は客室稼働率が30%未満となり破産した。その後ウィンダムホテルが経営を引き継いでおったが、ウィンダムも2019年に経営が破綻してからは建物は空き家のままで放置されておった。近年中に新しいリゾート施設として再オープンするらしく、建物は一部取り壊しのようじゃ。右写真ストリートビュー2024年4月撮影。
 なお某動画サイトでは、右写真と同じ建物を「エルヴィスが泊まった時はラマダインだった」と説明しておるが、ホテル名を間違えておると思われる。



エルヴィス専用警備員が明らかにした宿泊ホテル~その2
 Area No.34/Serial No.724 スキルビン・ホテル/オクラホマ・シティ
 上述したスミス氏が明らかにしたオクラホマシティでのもうひとつのエルヴィス宿泊ホテルは、当地で老舗の豪華なスキルビン・ホテル(左写真)だったという。1976年5月29日マリアッド・コンベンションでのライブの際の宿泊じゃ。
 この時期のエルヴィスは人目を忍んでこっそり郊外のモーテルに泊まることが多かったとの噂もあるが、そんな必要があったのかと思わせるほどの豪華ホテルじゃな。たまには56~57年頃の定宿だった地域最上級の豪華ホテルを彷彿とさせるな!(笑)
 スミス氏の証言とは別に、「1975年にもスキルビン・ホテルに泊まった」という情報も見付けたが、エルヴィスは1975年にはオクラホマ州でライブは行っていない。この情報が単なる「1977年」の間違いであるならば、1977年3月25、26日のノーマンというオクラホマ・シティの南約30キロの地点にある街でのライブ(下記Area No.35参照)の際にスキルビン・ホテルが利用された可能性は高い。

 スキルビン・ホテルは現在でも稼働中であり、エルヴィスをはじめとした数多くの有名人が宿泊してきた歴史を誇っておる。右写真ストリートビュー2024年4月。往年とまったく変わらない古色蒼然とした巨大ホテルじゃ。現在はヒルトン・グループに属しており、正式名称はスキルビン・ヒルトン・オクラホマ・シティ。

 一方、スキルビン・ホテルの名が現代人に知れ渡っておるのは、実は有名な“幽霊ホテル”だからじゃ。その昔ホテルの創設者であるスキルビン氏がホテル内のメイドさんとデキちゃって、メイドさんは氏の子供を産んでしまった。世間の目を気にした氏はメイドさんと赤ちゃんをホテル15階の部屋に閉じ込めてしまったため、ある日メイドさんは赤ちゃんを抱いたまま飛び降り自殺をしてしまった。このお話は作り話という説もあるが、1980年代頃より「女性の幽霊を見た」「ホテル内でおかしな現象が起きる」という証言が宿泊者から続出しておることは確かなようじゃ。


まるでファンミーティングのように、静かに淡々と行われたオクラホマ・ラスト・ライブの会場
 Area No.14/Serial No.725 ロイド・ノーブル・センター/ノーマン
 オクラホマ州のラストのご案内になりますぞ。同州で最後のエルヴィスのライブ会場となったノーマンなる街のロイド・ノーブル・センター(左写真)じゃ。ライブ日は1977年3月25、26日。ノーマンは同州第3の人口を擁する街じゃが、第2位の街タルサの30%程の人口(2021年14万人)であり、この規模の街でエルヴィスのライブが2日続けて行われた事実に、現在オクラホマのニュースサイトは“実に意外”と報じておる。
 
 2025年時点でノーマンでのライブの詳細記述はネット上では見当たらず、僅かなライブレビューも“冴えない”内容じゃが一応紹介しておこう。


「コンサート開始の1時間半前にはアリーナの前に長い列ができていた。ダフ屋は15ドルの席を40ドルで売っていた。しかし、午後10時、3つの前座演奏の後、プレスリーが威勢よくステージに登場したとき、アリーナは一体となって原始的な叫び声で沸き立った」

「彼は、叫び声を上げるファンに立ち止まって思わせぶりな視線を向ける。今では動きもゆっくりだ。数年前にスキャンダラスだった挑発的な動きはなくなった。彼はたくさんのスカーフやキスを配る。また、いつものようにぶつぶつ言いながら時間をつぶす。彼は過度にふざける。しかし、彼はまだ観客を熱狂させる」

「エルヴィスの魔法は、以前ほど声域が広くはないにもかかわらず、常に存在していた。しかし、彼は熱烈なファンの心の中に永遠に残っている。そして、それはまさに生きる伝説であるべきなのだ」

 またyou tubeには最前列からステージが撮影されたようなオーディエンスによるライブ開始直後の映像がアップされておる。画質は良くないが、至近距離から撮影されたエルヴィスの機嫌は悪くは無さそう。しかし全体的な動きが、上記レビューにあるように非常に“のろくて”覇気がない。主に最前列のファンとの触れ合いのシーンが多く、これだけを観ていると握手会かスカーフ配布会みたいなほのぼのとした雰囲気しか伝わらず、ロックンロール・ライブではない。しかし、これもまた晩年のエルヴィスのライブの紛れもない事実の一端だったのじゃ。
 (当たり前じゃが)当時エルヴィスはまだ42歳。にもかかわらず、やはり恐ろしく老成しておる。常人の何百倍ものスピードで生きてきた人間だったことを考えれば納得出来るが、やはりこの当時の写真や映像をじっくり観るのはファンとして楽しくはない・・・。

ロイド・ノーブル・センターは地元で人気のオクラホマ大学バスケットボール・チームの早急な観客動員の増大を目的として1975年に同大学キャンパス内にオープン。建設資金調達のために同大学の理事長が100万ドルもの寄付をして完成にこぎつけた経緯があり、オープン後も多額の収益が必要だったことでエルヴィスに白羽の矢が立ったのかもしれない。現在でも稼働中のスポーツ・イベント会場じゃ。左写真ストリートビュー2016年1月撮影。

 なおロイド・ノーブル・センターでのエルヴィスのライブに関して、2つの誤報があるので要注意。まずEDDにおいて、会場の場所がOkulahoma cityとされておるが、これは近郊のNorman(ノーマン)の誤り。
 もうひとつはwikipedia。上述したオクラホマ大学のバスケットボール・チームの本拠地がロイド・ノーブル・センターになる以前はマッカスランド・フィールドハウスとされており、ここでもエルヴィスがライブを行ったと記述されておるが、そうした事実は各エルヴィス資料では見つかってはおらんので、どうぞお含みおきを。



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