NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.484


第102回 エルヴィスゆかりの地~ルイジアナ州2026年編


アップデート:2026年6月9日
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50年代のエルヴィスのライブで詳細が未だに不明である会場と宿泊先が併せて3つもあるルイジアナ州。今回はその3ヶ所の僅かな情報をひっかき集めてのご案内からスタートするぞ。さらに70年代のゆかりの地を4ヵ所プラスしており、ルイジアナ州へのご案内は今回が最後なので、エルヴィス・マニアを自認する方は目を通しておいてくれたまえ。なおスライド写真1枚目のライブ写真は1955年10月1日のルイジアナ・ヘイライドでの撮影であり、これまで掲載する機会を逸していたカッコイイショットなので今回のカバー写真として使用したのでよろしく!

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第102回 ルイジアナ州2026年編

 ・Area No.は2022年度編からのルイジアナ州内の番号。
 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。

 【ルイジアナ州】
 Area No. 25/Serial No.706 ジミー・トンプソンズ・アリーナ跡地/アレキサンドリア
 Area No. 26/Serial No.707 カジノ・クラブ跡地/プラケマイン
 Area No. 27/Serial No.708 エバンジェリン・ホテル/ラファイエット
 
 Area No. 28/Serial No.709  LSU・アッセンブリー・アリーナ/バトンルージュ
 Area No. 29/Serial No.710 ロードウェイ・イン跡地/バトンルージュ

 【追加情報】
 Area No. 2/Serial No. 53   ハーシュ・メモリアル・コロシアム/シュリーブポート
 
 Area No.30/Serial No.711  
リージョナル・エアポート/シュリーブポート


【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

★右下地図をクリックすると拡大表示されます。(クリック↓)

★ 本文中の表記について ★

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Google-map上の位置が表示されます。

SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト
EDD=「Elvis Day By Day」 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト)
HAC=ヒストリック・アエリアルス(アメリカの空撮サイト)


エルヴィスも“通過していた”ルイジアナ州の音楽文化の中心地
Area No.25/Serial No.706 ジェミー・トンプソン・アリーナ跡地/アレキサンドリア
 アレキサンドリアという街は、ルイジアナ州のど真ん中に位置しており、ルイジアナ・ヘイライドの本拠地シュリーブポートは、その北西約170キロの地点じゃ。wikipediaによると、現在人口は5万人前後で推移しており、アレキサンドリア都市圏はルイジアナ州最大の人口を擁するとのことじゃ。

 ルイジアナ・ヘイライドやエルヴィスのライブ地云々を別としてルイジアナ州の文化の略歴を見てみると、現在でも大規模なミュージック・フェスが幾つか開催されておるこのアレキサンドリアこそ、ルイジアナ州の内陸地域における音楽文化の中心地だったことが分かる!
 それだけに、1955年3月11日に行われたエルヴィスのライブに対するアレキサンドリアでの反響を知りたいところじゃが、残念ながらネット上ではライブ詳細は一切見つからなかった。当のエルヴィスも全米ドサ周りの真っ最中だったので、訪れる場所の特徴や土地柄等を意識するゆとりもなかったのかもしれない。
 ライブ会場だったジェイミー・トンプソン・アリーナの情報もネット上でほとんど無し。上写真左側は恐らく50年代以前の写真であろう。(アメリカのyou tuber撮影の動画内の挿入写真)上写真右側は1970年にアリーナで起きた火事の新聞記事じゃ。この火事によってアリーナは跡形もなく消えてしまい、その歴史に幕が下ろされた。
 
 ジミー・トンプソン・アリーナの跡地には、現在アレキサンドリア・コンベンション・センターという地元のイベント会場が建てられておる。右写真ストリートビュー2021年12月撮影。コンベンション・センターの正面入口周辺は駐車場になっており、ジミー・トンプソンズ・アリーナは駐車場の南西側(右写真右側)辺りに建てられておったそうじゃ。


最後のミスプリ?“ELVIS PRESTLY”
 Area No.26/Serial No.707 カジノ・クラブ跡地/プラケマイン
 エルヴィスが50年代に訪れたルイジアナ州のライブ地最後のご案内じゃ。
 プラケマインは、ルイジアナ州の大都市バトンルージュを約20キロ南下した地点にある小さな街であり、幾重にも蛇行するミシシッピー川沿いに位置しておる。
 エルヴィスが1955年7月1日にライブを行った記録が残っておる(左写真)カジノクラブは、プラケマインの最北端、街を南北に貫く1号線沿いにあった。

 左写真の新聞広告はエルヴィスの氏名表記に“PRESTLY”というミスプリがある!今まで何度もご紹介してきた広告のミスプリも、ルイジアナ・ヘイライドの活躍で知名度がアップしていたので、この1955年7月1日ライブ用広告が時期的に最後かもしれない。それとも、ヘイライドと同じルイジアナ州内の広告とはいえ、ど田舎に行くと状況は“こんなモン”だったのか!?。
 この類のライブ会場は通例通り、ライブ広告以外の資料がまったくネット上に見当たらず、建物の写真も無い。その代わりにHACによる空撮写真を掲載しておこう。右上写真(赤丸内)が1955年のカジノクラブじゃ。左側を走る幹線道路が現1号線。ここから約900メートル東側には川幅約1キロの広大なミシシッピー川がくねくねと蛇行しながら流れておる。


 右写真はストリートビュー2024年3月撮影のカジノ・クラブ跡地。すぐ近くにShooters Barなるオールドスタイルのプールバーがあるが、エルヴィスが登場したカジノクラブとは関係はない。


 エルヴィスや元大統領が宿泊した伝説の残るホテル
Area No.27/Serial No.708 エバンジェリン・ホテル/ラファイエット
 このホテルはネット上から偶然拾ったエルヴィス情報に過ぎず、エルヴィス関連の私設サイトにはまず登場してこない。「Elvis Louisiana」だけのキーワードで闇雲にやっておったネット検索にひっかかったのじゃ。
 よって、エルヴィスが宿泊した日付も、エルヴィスがどこから来て、何処へ向かって去って行ったのかも分からない。しかし果てしなき全米周回を続けていた1955~6年なら、ライブ地からライブ地へ移動する途中に「ちょっとつかれたび~」って突発的に宿泊したり、仮眠をとったホテルがあってもまったく不思議ではないので、拾った情報を信じて掲載しておこう。

 ラファイエットという街は、上記アレキサンドリアの南約180キロ、上記プラケマインやバトンルージュの西約80キロ地点にあり、ラファイエットでエルヴィスがライブを行った記録はない。またエバンジェリン・ホテルは1960年代前半に一度閉鎖しておるので、エルヴィスは55~56年に宿泊したとまず推察するのが妥当じゃろう。
 しかしアレキサンドリア、バトンルージュ、プラケマインのライブ前日や翌日のスケジュールを見ると、ラファイエットを通過するルートを使ったとは思えないから日付の確定はかなり難しい。映画俳優時代にメンフィスとハリウッドとを車で頻繁に移動していた1960年代初頭(ホテルが閉鎖する直前?かもしれない。

 エバンジェリン・ホテルとエルヴィスについて、ひとつだけおもしろいエピソードがGoogle-AIから提示されたので引用しよう。当地の歴史研究家が地元新聞に語った内容によると(右写真)、1960年にエルヴィスがこのホテルに泊まった際、パーカー大佐がホテルの従業員たちに500ドル紙幣を半分に破った一片だけを彼らに渡し、「エルヴィスが泊っていることを絶対に外部に漏らすな!約束を守ってくれたら残りの半分もあげよう」と言ったという。1960年という記憶や、500ドル札(当時はごく一部流通していた)を半分に破ったという行為は少々疑わしいが、発言者は一応歴史研究家なので(笑)またエバンジェリン・ホテルから徒歩3~4分の場所にあるラファイエット駅でも、「電車に乗り込むエルヴィスを見送った」という地元のファンの証言もあるという。
 
 エバンジェリン・ホテルは短文ながらもWikipediaにも書き込みがあり、また周辺地域発信の幾つかの“情緒的な内容の”ネット・コラムにも取り上げられておる、1928年創業の豪華ホテルじゃ。エルヴィス以外の有名人の宿泊者リストの中にロナルド・レーガン元大統領の名前もある。
  1960年代に一度閉鎖された後、オーナーが変わる等の紆余曲折を経て、現在は高齢者用の高級集合住宅「エバンジェリン・エルダリ―・アパートメント」として、国家歴史登録財として登録されておるオリジナルの建物がそのまま利用され続けておる。右写真ストリートビュー2019年2月撮影。


 “気分の良くなる”地元ベーシストの新加入でキングはご機嫌だった!
Area No.28/Serial No.709 LSU・アッセンブリー・アリーナ/バトンルージュ

 エルヴィスのルイジアナ州最後のライブ地へご案内するぞ!1974年6月17、18日、1976年7月2日、1977年5月30、31日のライブ会場、バトンルージュのLSUアッセンブリー・アリーナじゃ。(左写真)
 上写真3枚は74年6月17日のライブ撮影であり、この日はTCBバンドのバトンルージュ初登場の日であり、またこの年1月から約1年間ベーシストとして参加したバトンルージュ出身のデューク・バードウェルの初の地元お披露目ともなった。
 ドラマーのロニー・タッドの仲介によりTCBバンドに一時的に参加することになったデュークは「エルヴィスのために働けるなんて夢のようだ!」と感激して、既にプライベート・セッションでロニーと息が合っていたデュークはこの日地元の大観衆(約13000人)の前で懸命にプレイしたという。
 ロニーはデュークを「シンプルだけど気分が良くなるプレーヤー」とTCBバンドに紹介しておったようで、その言葉通りにこの日のエルヴィスは絶好調になったようじゃ。当時のライブレビューもエルヴィス&TCBバンドに極めて好意的じゃ!(左下写真は1974年度のライブツアー中のデュークとエルヴィス)

「エルヴィスはショービジネスの側面で繊細さをマスターした。彼は、セクシーさを友人たちの間で忘れられない幻想にするために、露出の露骨さを捨てて演劇のテクニックを採用した。エルヴィスは、ショーを面白くするためにポルノに手を染めるヘビーロッカーたちを嘲っているようだ。」

「エルヴィスは、華やかなステージングと音響にも進出しました。彼は、素晴らしいステージバンド、2本のエレキギター、エレキベース、ドラム、ピアノ、アコースティックギター、コーラスに支えられている。それらすべてに加え、比類のない広報活動にもかかわらず、彼の魅力を支えているのは、やはりプレスリーの声と音楽の才能である。」

「質とスタイルは、満足感を与えるのに大いに役立つものだ。エルヴィスのショーのパートはわずか45分 (3分間の人気曲が 12 曲ほど) だったが、観客は完全に満足した。私たちは CCライダー、ハウンドドッグ、ホワイミーロード、ラヴミーテンダー、非常に説得力のあるアメリカン トリロジーのアイキャント・ストップ・ラヴィンユー、そして新作のヘルプミーを聴くことが出来た。他の曲も、どれも初期の頃よりもまろやかで洗練されていた。エルヴィスは昔のヒット曲を大切な所有物のように扱っている。」

「エルヴィスは弦楽団のメンバーを紹介した。リードベースはバトンルージュ出身のデューク・バードウェル。リードギターはルイジアナ州シュリーブポーター出身のジェームズ・バートン。プログラムのウォームアップ部分は活気にあふれ、音楽的にも一流だった。」


 1972年にオープンしたこの会場は、地元ルイジアナ州立大学の人気バスケットボールチームの本拠地として、またエルヴィスをはじめとするアメリカン・ロック史を代表する大半のロッカーたちのコンサート会場と繁栄し、現在も「ピート・マラビッチ・アッセンブリー・アリーナ」と改称されて稼働し続けておる。
 ちなみに70年代中期に人気を博したロック・バンド、レーナード・スキナードは、1977年10月20日にこの会場に出演する予定だったが、同日飛行機で移動中に墜落事故に遭ってライブが中止になるという悲しい歴史も隠されておる会場じゃ。右写真はストリートビュー2022年3月撮影。



極秘のはずが、しっかり一般ファンにまでバレていた宿泊先!
 Area No.29/Serial No.710 ロードウェイ・イン跡地/バトンルージュ
 こちらは1974年6月17日のバトンルージュでのライブの為にエルヴィス一行が宿泊したモーテルじゃ。既にご存知の通り、70年代後半のエルヴィスがホテルをチェックイン/アウトする際の隠し撮り写真は結構ネットにアップされており、髪の毛はボサボサ、パジャマ同然のジャージ姿等のエルヴィスが見られてガッカリしちゃったりする。しかし1974年当時はしっかりと私服を着こんでおるんで変に見応えがある(笑)
 左写真は、一部の私設エルヴィス・サイトでは「ライブ会場入り」とされておるが、当時存在したモーテルのロードウェイ・インでの隠し撮りと判断してよろしかろう。(1976年にも同ホテルに宿泊した説もある)
 緑の樹木が繁る建物の背景から、街はずれ(郊外)にあるファンの殺到を避けるお忍びのお宿みたいじゃが、ライブ会場のLSUアッセンブリー・アリーナまでは約5キロ(車で約10分)ほどの地点じゃ。どこで極秘情報が漏れたのか、熱心な女性ファンが駆け付けている様子が微笑ましい!

 ロードウェイ・インの詳細は不明じゃが、後にラディソン・ホテルとなって21世紀以降も経営が続けられおり、ストリートビューでは2017年3月までその存在が確認出来る。(下写真中央)ストリートビューは現在のところ2017年3月撮影が最新だが、Google-map上では「閉鎖」と表示されており、空撮写真(下写真左側)を見ると敷地は完全に更地になっておる。2020年前後に建物は取り壊されたのであろう。
 下写真中央を見ると、まるで造形美術館のような独特の外観のホテルであり、エルヴィスが泊まったという事実もあって、GoogleのChat GPT情報によると地元の歴史的建造物として有名だったらしい。それだけに取り壊しはファンとしても残念ではある。下写真右側は、エルヴィスが通った建物北側の出入口の様子。外壁はエルヴィスが出入りした当時はと異なって改装されていたようじゃ。(ストリートビュー2016年3月撮影)




 “Elvis never leaves the building !”
【追加情報】Area No.2/Serial No.53 ハーシュ・メモリアル・コロシアム/シュリーブポート

 この会場は「バーチャル~ルイジアナ州2022年編」にて、1956年12月15日最後のルイジアナ・ヘイライド出演(リモート出演)の会場として、また「Elvis has left the building エルビスは既に会場を去りました」の名アナウンスが発せられた会場としてご紹介した。エルヴィスが出演した無数のライブ会場の中でも、このハーシュ・メモリアル・コロシアムは(左写真)最重要ポイントのひとつじゃ。

 「Elvis has left the building.」のアナウンスの後、エルヴィスは19年ぶり、1975年6月7日に同会場に戻ってきた。上写真左側、中央はマチネー、右側はナイトショーでの撮影。時系列にみてもエルヴィスのライブ史上スルー出来ない日であるはずじゃが、ネット上ではクオリティの低いオーディエンスショット的なライブ写真しか見当たらないのが不思議!?権利問題的な何かがあって公開されていないだけなのだろうか。
 ライブレビューもネット上で見当たらなかったので、ブートレッグ・レビューから当日のライブの様子を少々ピックアップしておこう。
 
 I Got A Woman-Amen~エルヴィスは観客と話したり冗談を言ったりしながら、ジェームズ・バートンに「ここは君の故郷か、ジェームズ」と尋ねたり、音響の問題にも気づいて、音響エンジニアのブルース・グースに話しかけたりした。

Love Me Tender~ 最初の数行を歌った後、エルヴィスは既に観客のファンに気を取られ、冗談を言ったりキスしたりしています。エルヴィスは「いまいましいトゲ!あ~」と叫ぶ。彼はおそらく観客からバラをもらって自分の体を切ったのだろう。

Johnny B. Good~ エルヴィスは「Go Johnny Go」を 2 回歌い、このバージョンではジェームスが最高にカッコいい! 「私が最初にシュリーブポートでルイジアナ ヘイライドで働き始めたとき、彼らはまだそれをやっているの?? ここで働き始めたとき、私は19 歳くらいで、それは7年前のことだ。冗談じゃない、たった 7年前のことだ」 と!残りのソロも良い。

Trouble- エネルギッシュなバージョン!素晴らしい。エルヴィスが実際に「Say hey!!、Say Hey!! Hey Hey Hey!! Say Hey!」と歌っている部分がサイコー。

Mystary Train/Tiger Man~これも素晴らしい! 明るくテンポが良く、エルヴィスの声も良い。目の前でエルヴィスがこれを演奏しているのを想像できますか! いつものようにまたハイライトだ!エルヴィスは観客に感謝し、シュリーブポートに戻ってきてほしいときはいつでも言ってくれれば戻ってくると語った。

ハーシュ・メモリアル・コロシアムに戻ってきたことを、エルヴィスは心から楽しんでおったようじゃ!
 

 翌1976年7月1日のライブも前年のライブ同様に綺麗な写真がネット上にない。上写真4枚のうち、右側2枚は、同日歌われたYou gave me a mountainの音源がyou tubeにアップされた際に、投稿者がイメージ画像として使用した写真であり、正確には同日のショットかどうかは不明じゃ。エルヴィスが着用しておるジャンプスーツは1976年後半に頻繁に各ライブ会場で着用されていた「バイセンティ二アル・スーツ(アメリカ建国200周年記念デザイン)」であり、わしの様なジャンプスーツ素人鑑定者にとっては判別が難しいので悪しからず。

 現在のところコロシアムの近くまでストリービューの撮影が入り込んでおらず、周囲に立ち入り禁止の柵が張り巡らされていて、遠目で見ると閉鎖されておるじゃが、ネット情報によればスポーツ・イベント等は活発に行われており、現在でも稼働中であることは間違いない。
キング・オブ・ロックンロールの記念碑的ライブ会場なので、今後70年代ライブに関する新しい情報、写真がお目見えするのを待ちたい。Elvis never leave the building !


 キング、“オーメン持参”で降臨!?
Area No.30/Serial No.711 リージョナル・エアポート/シュリーブポート

 1976年7月1日、上記ハーシュ・メモリアム・コロシアムでのライブのためにルイジアナ州シュリーブポートの空港に到着したエルヴィスじゃ。2年前にホテルに到着した時のショット(上記Area No.29)とうって変わって、上下ともジャージ姿ですっかりラフなスタイルで現地入りするようになったことが分かる。取り巻き連中やGFよりも軽装だし、だいぶお太りになられたことも・・・。

 ファンとしては空港よりも、エルヴィスが左手に持っておる黒いペーパーバックが気になって仕方がないはずじゃ。拡大表示するなどしてようやく正体が判明したところ、この書籍は映画「オーメン」の小説版じゃった。
 映画「オーメン」は1976年6月に公開されて瞬く間に大ヒットとなった一種のオカルト映画。小説版は映画のシナリオが原作となっており、映画公開とともに出版されてこれも260万部を越える大ベストセラーとなった。映画と小説の発表時期からすると、エルヴィスはこのペーパーバックを発売直後に入手しており、ツアーに持参して移動時間に読んでおったのじゃろ。
 「オーメン」は解釈の仕方によっては“反キリスト教”作品らしく、現在ネット上ではエルヴィスのこの写真に対して「熱心なキリスト教信者だったエルヴィスが・・・?」といったコメントも寄せられておる。わしはオカルト系、エログロ系の映画や小説は絶対的に苦手であり、「オーメン」が日本で公開されて話題になった時から無視しておるんでエルヴィスの「オーメン」に対する真意は分からない・・・。
 この写真が後に公になり、エルヴィスが当時「オーメン」を読んでいたことが取り巻き連中によって明らかにはなったが、「オーメン」がエルヴィスの愛読書だったという類の証言は無い。空港で出迎えた人たちに向かって応えた左手にたまたま持っていただけだったのじゃろう。
 
 70年代は飛行機移動が常だったエルヴィスは、全米各地のローカル空港を利用していたが、中には既に閉鎖されたり、民間機の乗り入れがなくなった空港もあるが、シュリーブポート・リージョナル空港は現在でも現役の空港として稼働しておる。右写真ストリートビュー2024年10月撮影。
 なお、個人のインスタにElvis Presley Blvd.の看板を掲げたリージョナル・エアポート内のインフォメーション・ブースの写真がアップされておるが、空港の公式ウェブサイトをチェックしても該当するブースが見当たらないのでご紹介は割愛させて頂く。


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