NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.485


第103回 エルヴィスゆかりの地~アーカンソー州2026年前編


アップデート:2026年6月23日
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前回のルイジアナ州2026年版では50年代のゆかりの地の残り3ヶ所をご案内したが、その北隣アーカンソー州は5ヶ所も50年代のライブ地をこれまで紹介しておらんかったので、今回はそれらを余すことなくご案内する。さらにエルヴィスが入隊直前に立ち寄ったレストランの貴重な情報も併せてご紹介する!久しぶりに全編50年代のエルヴィスゆかりの地情報の回なのでヨロシューな。ライブ写真がほとんど見つかっていないので視覚的な魅力は乏しいが、50年代のエルヴィス情報をしらみつぶしに集めておる方はしっかりと読んでおいてくれたまえ。

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第103回 アーカンソー州2026年前編

 ・Area No.は2022年度編からのアーカンソー州内の番号。
 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。
 
 Area No.32/Serial No.713 ハイスクール・ジムナジウム/リーチビル
 Area No.33/Serial No.714 US アーモリー/ニューポート

 
   Area No.34/Serial No.715 スミス・スタジアム/フォレストシティ
   Area No.35/Serial No.716 ハイスクール・オーディトリアム/フォレストシティ

 Area No.36/Serial No.717  コミュニティ・センター/ジョーンズボロ
 Area No.37/Serial No.718  フィッシャーズ・ステーキハウス跡地/ノース・リトルロック
 

【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

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SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト
EDD=「Elvis Day By Day」 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト)
HAC=ヒストリック・アエリアルス(アメリカの空撮サイト)


時をさかのぼること71年前、人口1,200人の村に宇宙人たちがやって来た!?
Area No.32/Serial No.713 ハイスクール・ジムナジウム/リーチビル
 ご存知1954年年末からスタートしたエルヴィス&ブルームーンボーイズの全米ドサ周りツアーは、当初テキサス州、ミシシッピー州、そしてアーカンソー州が中心じゃった。1955年1月20日はリーチビルという、アーカンソー州の北東部の端、ミシシッピー州との州境の小さな村のハイスクールにやって来た。リーチビルのここ90年間の人口の推移は1,000~2,000人、面積はたったの11キロ四方じゃ。村の規模や時代を考えると、当時の定番だった広告写真(左写真)の3人がとても垢ぬけた都会人に見えるな!リーチビル村の住人にとっては、ミュージシャンといよりも宇宙人に観えたに違いない(笑)
 こうした小さな村の学校は、小、中、高校併合で設立され、その後分離したり、隣りの学区の学校と統合されて、校名自体が変わってしまったりしておるので、50年代当時の場所や正式な校名の特定が難しい場合が少なくない。左写真は、「Leachville High School GYM」と記載されておる(写真内黄色のライン)ので、この校名で当時ハイスクールが存在していたことが分かる。

 ライブに関する情報は、アーカンソー百科なるウェブサイト上に「That's All Right」、「 Hearts of Stone」、「Tweedle Dee」の3曲が歌われたことが記載されておる。
 しかしアーカンソー百科の中ではリーチビル・ハイスクールの50年代当時の所在地の記載はなく、現存しておるのかどうかも不明。付随情報として1953年にジムナジウム(体育館)が焼失して、隣りの小学校の敷地に新しいジムナジウムが建てられたとされておる。恐らくエルヴィスはこの新しい体育館で演奏をしたに違いない。
 
 上記した“小学校の敷地近くに建てられた”という情報だけでは所在地は特定出来ないが、2019年に地元TVニュースがこのジムナジウムを取り上げた映像をyou tubeで発見! 「ジムナジウムの経営上の問題により、所有権が誰それに譲渡云々かんぬん」なんて報道はどうでもよくて、現場取材の映像の方がわしにとっては重要!(笑)映像内のジムナジウムの建物から周辺地域の学校をしらみつぶしにGoogle-mapとストリートビューで照合した結果、現在名Buffalo Island Central Elementary Schoolという小学校の北側にある体育館(上写真右側。ストリートビュー2013年6月撮影)が、かつてのリーチビル・ハイスクール・ジムナジウムであることが判明。
 貴重な情報を頂いたものの、このニュース番組の中で「かつてここでエルヴィスが~」といった紹介が無かった(ようだった)ことはいかがなものか!
 またこの建物の外壁に埋め込まれてある定礎板に「1953年建築」と刻されておることも分かり(右写真左側)、エルヴィスがこの建物に登場したことを確定出来た次第じゃ。ストリートビュー撮影の最新写真が2013年であり、TVニュースも2019年なので、現在の名称や建物の状況は不明じゃ。


1955年3月2日は、同年3度目の1日2ライブ(2会場)
 Area No.33/Serial No.714 US アーモリー/ニューポート
 アーカンソー州をはじめとして、アメリカ南部のライブ地巡りをしていると頻繁に登場する「USアーモリー」は、National Guard ArmoryもしくはシンプルにArmoryと呼ばれる武器格納庫&レクリエーション施設じゃ。

 1955年3月2日、エルヴィスは午後8時からニューポートという街のUSアーモリー、午後10時からポーキーズ・ルーフトップ・クラブ(「バーチャル~アーカンソー州2022年前編Point-6」でご案内済)で一晩2ケ所でのダブルライブを行っておる。
 ニューポートのUSアーモリーに関する情報はまったく無く、上写真はHACによる1957年の空撮写真。写真右上は、USアーモリーから約550メートル離れた1955年7月21日、10月24日にライブを行った伝説のクラブ「シルバームーン・クラブ」(「バーチャル~アーカンソー州2022年前編Point-5」でご案内済)があり、さらに2.3キロ南下するとポーキーズ・ルーフトップ・クラブがあった。

 エルヴィス&ブルームーンボーイズがひと晩で二ヵ所のダブルライブをこなしたのは、ライブ・スケジュール記録上ではこれが三度目じゃ。二度目は、約一ヶ月前2月11日ニューメキシコ州カールズバッド/ホッブス(「バーチャル~ニューメキシコ州編」Area No.1参照)であり、これはパーカー大佐が初めてエルヴィスのライブ・ブッキングをした機会とされておる。ノッケから大佐はエルヴィスに“効率良く”仕事させようとしたんじゃろうが、ニューポートでのダブル・ライブも大佐のブッキングだったのかも!

 右下写真左側はストリートビュー2023年6月撮影のUSアーモリー。1955年当時の写真がないので細かい参照は出来ないが、
HACの空撮写真と比べると建物の形状に変化は無さそうじゃ。現在は地元民のためのコミュニティセンターとして再利用されておる。
 なお解せないのが、SMWに掲載されていた2008年3月撮影表示のあるUSアーモリーの写真(右写真右側)であり、ストリートビューの写真とはまったく異なる建物じゃ。ストリートビューでは2007年撮影の写真もチェック出来るが、SMWの写真とはやはり別ものじゃった。 Google-map上ではニューポート内の別の場所にUSアーモリーは発見出来なかったのでSMWの掲載ミスなのか?


 歴史をネットで詳らかにしない街、フォレスト・シティでのダブル・ライブ
Area No.34/Serial No.715 スミス・スタジアム/フォレスト・シティ
Area No.35/Serial No.716 ハイスクール・オーディトリアム/フォレスト・シティ
 フォレスト・シティとは、地図で見るとアーカンソー州の州都リトルロックとテネシー州メンフィスとを直線で結んだ場合にその中間辺りにある街じゃ。19世紀中期の南北戦争時代を挟んで完成したメンフィス・アンド・リトルロック鉄道の創設者であり、南軍のフォレスト将軍の名が付けられておる。フォレスト将軍は、鉄道作業員たちをフォレスト・シティに生活させていたことが、この街の発展の基盤になったとされておる。

 エルヴィスは1955年に二度フォレスト・シティでライブを行っておる。最初は9月5日に開催された当地の祭典「セント・フランシス・カントリー・フェア」の中のミュージック・イベント「ライブ・ストック・ショー」への出演。フェス会場とは別のスミス・スタジアムが出演会場であった。(私設エルヴィス・サイトの多くは、フェア名のみで、スミス・スタジアムが会場名として記載されていない場合が多いので要注意!)
 二度目のフォレスト・シティ登場は、フェアの約二ヶ月後の11月14日にフォレスト・シティ・ハイスクール・オーディトリアムじゃ。この二つの会場は右上写真上段のHAC空撮写真(1957年撮影)でお分かりの通りお隣さん同士じゃ。

 フォレストシティの街の歴史に関しては、地元発信の歴史情報サイトのテキストデータで確認出来るものの、歴史的事実の裏付けとなる写真データがほとんどアップされていないのがこの街最大の特徴なのかもしれない!?ハイスクールの古い写真(右上写真下段)が見つかったのは非常に稀なケースと思われる。
 セント・フランシス・カントリー・フェアは現在でも開催され続けておるご当時最大の祭典にもかかわらず、過去の写真データがまったく見つからないのは、街の歴史記録を何某かの団体が厳重に管理しておることが原因かもしれない。
 フェアについて簡単に紹介しておくと、全米各地で催されるご当地フェアの中でも、「セント・フランシス・カントリー・フェア」は市民個人を主体にした企画が多く、市民の作成した様々なアート作品や工芸品が展示されたり、また市民たちののど自慢大会も大盛況のようじゃ。
 ちなみにエルヴィスが出演したライブ・ストック・ショーは数多くのシンガーとバンドが出演したプロのミュージック・ジャンボリー・ライブ。エルヴィス&ブルームーンボーイズはトリであり、エルヴィスの母グラデスもやって来たそうじゃ!スミス・スタジアムには約8,000人もの大観衆が集まったという記録が残っておる。(ハイスクールでのライブに関しては文字情報もまったく無し)
 
 スミス・スタジアムもハイスクールも現存しており、右写真左側はストリートビュー2023年1月のスタジアム。右写真右側は2023年11月撮影のハイスクール。
 最新のGoogle-mapではスミス・スタジアムは「営業終了の可能性あり」と表示される。近い将来に取り壊されるのかもしれない。
(※上Google-mapマークはスミス・スタジアムの所在地。スタジアムの西隣りのハイスクールの所在地は右Google-mapマークをクリックして下さい)

※フォレスト・シティの歴史情報がネット上では不明瞭である原因として、フォレストシティがかつてKKK(クー・クラックス・クラン)なる白人至上主義団体/狂信的キリスト教団体の勢力が強く、黒人との衝突事件が何度かあることではないかと。現在は人種差別主義に対して世界的に厳しく裁かれる時代となり、白人サイドから見たその類の記録や同時代の風潮/風俗を捉えた写真をネットから一斉削除しておる地域や街が少なからずある。これはわしの推測に過ぎませんので、その点ご了承下さい。


 歴史に埋もれたローカルライブも、5年後に突然光が当たった!
Area No.36/Serial No.717 コミュニティ・センター/ジョーンズボロ

 1955年年末にエルヴィスは念願のメジャーレーベルRCAへ移籍を果たしたとはいえ、55年年末から56年初旬はサンレコード時代に既に出演契約が交わされていた田舎街の小さな会場へ行かねばならん義務があった。1956年1月4日ジョーンズボロという街のコミュ二ティ・センター(左写真)への登場は、そんな苦難の時代の名残ともいうべきライブじゃった。
 ジョーンズボロ自体はアーカンソー州立大学もある人口数万人クラスの街だが、北隣のミズーリ州の広大なマーク・トゥエイン森林まで僅か数10キロの地点であり、メジャーレーベル・スターはおいそれとはやって来ないカントリーエリアじゃ。(ジョーンズボロの方々には失礼じゃが)

 メジャーレーベル契約後なので、ライブの記録もそれなりにネット上で発見出来るものと期待したが、地元サイトに1936年オープン時に撮影された会場の写真(上写真)、新聞のライブ告知記事(下写真左側)、エルヴィス・ファン個人が探し当てた雑誌に掲載された様なライブ写真(下写真中央)のみ。文字データは日付と会場名の記載以外はまったく無しであった。RCAともあろう大手レーベルが記録作業の重要性を理解していない時代だったのか。それともRCAに言わせれば「我々が交わした契約じゃねーし、カンケーねえ」だったのか!?
 会場写真
が掲載されたサイトには、ロイ・オービソンも出演(エルヴィスと同日かどうかは記載なし)とされておるが、ロイ・オービソンがジョーンズボロでライブを行った形跡は見つからなかった。
 ちなみにライブから約5年後の1960年10月24日、エルヴィスはジョーンズボロにあるアーカンソー州立大学から想定外の栄誉を受けておる。詳細の記述はここでは避けるが、大学の男子学生クラブがエルヴィスに「年間最優秀賞」を与え(何だそりゃ?)、さらにエルヴィスを名誉会員として入会させるために、クラブの主要メンバーたちが記念の表彰盾持参でグレースランドを訪れた。(上写真右側)
 意外にも(?)エルヴィスは大学側の厚意を喜んで受け、1956年1月4日のグリーンズボロでのライブについて「君たちの大学の学生さんがたくさん来てくれて盛り上がったんだよ!」とコメントしたそうな。ジョーンズボロ周辺地域のライブの思い出も語られたそうで、膨大なライブ体験の中から該当地の思い出をピックアップ出来るとは、エルヴィスは記憶力が素晴しかったようじゃ!
 この時にグレースランドを訪問した一人リック・ハスキー氏(上写真右側の右端?)は、後にメンフィス・マフィアのエピソードを題材にしたTV番組のシナリオを書いたり、90年代にはTVシリーズ「グッド・ロッキン・トゥナイト」のプロデューサを務めたという!

(※なお1960年10月24日の出来事の情報が錯綜しておるのか、一部の私設エルヴィスサイトでは1956年1月4日のライブ会場名がアーカンソー州立大学になっておるので要注意!)

 1936年のオープン以来、地元の各種フェアや、当地で人気の高かったレスリングやバスケットボールのイベント会場として使用されてきたコミュニティー・センターは現在も稼働中。1984年に地元出身者でオリンピック棒高跳びのメダリスト、アール・ベルの名を付けて「アール・ベル・コミュニティー」と改称されておる。
 右写真はストリートビュー2019年8月撮影。正面入口の形状はオープン当初と変わっていないが、恐らく建物の大半は大幅な改修工事がほどこされておると思われる。上述したアーカンソー州立大学のキャンパスはコミュニティー・センターの真東約3キロの地点に広がっておる。


 軍隊入隊直前までエルヴィスは女性たちに囲まれていた!
Area No.37/Serial No.718 フィッシャーズ・ステーキハウス跡地/ノース・リトルロック

 1958年3月24日、軍隊への正式入隊のためにエルヴィスはアーカンソー州フォートスミスの軍事施設フォート・チャフィーへ向かう途中、ノース・リトルロックという地域にあるフィッシャーズ・ステーキハウスに食事を摂るために立ち寄った。
 この日エルヴィスは長距離移動バスでメンフィスから数時間かけてフォート・チャフィーに向かっており、恐らくパーカー大佐の手配によりマスコミへスケジュールが知らされ、ステーキハウスにはファンが大勢集まっておった!入隊前に少しでもエルヴィスを露出させておきたい算段と、エルヴィスの緊張を和らげるための心配り、大佐にはその両方の目論みがあったのじゃろう。

 上写真左側、エルヴィスにケーキを食べさせようとしておる女性2人はノース・リトルロックのエルヴィス・ファンクラブの会員ちゃんだとか!上写真中央は、仕事そっちのけでエルヴィスに張り付いちゃっておるウェイトレスたち(笑)ライブで悲鳴を上げておったティーンエージャーばかりでなく、エルヴィスは大人の女性も惹きつける魅力があったことの証明写真みたいじゃ(笑)いずれも良く撮れておる写真なので、報道陣やカメラマンもステーキハウスに駆け付けておったのじゃろう。

 上写真上段右側、下段写真の2枚もステーキハウスでの撮影の可能性が高いとされておる。女の子たちがエルヴィスに群がっておる上写真下段は、バスステーションのような場所にも見えるが、1958年3月24日の撮影写真であることは間違いない。ちなみに「1958年3月24日入隊直前のインタビュー!」という映像がyou tubeにアップされておるが、これはステーキハウスではなくて、フォート・チャフィーでの映像であることがインタビュワーのナレーションから分かるそうじゃ。
 
 ネット・ブログによると、フィッシャーズ・ステーキハウスは周辺地域にいくつかの支店があったようで、店の前に建てられていたサインボードとマッチの写真もアップされておった。(左写真)その他の営業に関する情報は不明じゃ。
 フィッシャーズ・ステーキハウスからフォート・チャフィ―まで、北西に向かって約240キロ、バスで3時間ほどじゃ。フォート・チャフィ―でも報道陣が待っていたので、エルヴィスは入隊直前までファンとマスコミに追いかけられていたのじゃ。
 右写真はストリートビュー2023年11月撮影。2~3年前までは中古品店のような店舗に使用されていたようじゃが、家屋は空き家になっておる。2007年撮影のストリートビューをチェックしたところ、サインボードを掲げるポールが既に撤去されておるので、ステーキハウスはその数年前には廃業しておったのじゃろう。


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