
| アップデート:2026年4月9日 |
|
|
| (上部スライダーは自動的に別写真へスライドし続けます。またカーソルをスライダー部分に置くとスライドが止まり、左右に矢印が表示されますので、矢印をクリックすると別写真にスライド出来ます。) |
|
ケンタッキー州でのエルヴィスのライブは50年代に2回、70年代に4回、すべて同州でもっとも人口の多い街ルイビルで行われておる。ライブ会場は、55年12月8日リアルト・シアター、56年11月25日ルイビル・アーモリー、70年代はすべてフリーダム・ホールであり、これらすべて「バーチャル~ケンタッキー州2022年編」でご案内済じゃ。56年11月25日のライブの際は、ルイビル老舗の大型ホテル、シールバック・ホテルにエルヴィスは宿泊した。(左写真左側)シールバック・ホテルを調べてみると、50年代にエルヴィスが全米各地で宿泊した各都市で指折りの格式のあるホテルの中でも特に名高い豪華ホテルだったようじゃ。 外観は他の都市の大型ホテルと変わらないようじゃが、調度品の数々が抜きん出て素晴しく、歴代の大統領をはじめとして、銀幕のスターたちや様々な業界の著名人が続々とシールバック・ホテルを訪れた歴史を誇り、アメリカ文学史上に燦然と輝 くスコット・F・フィッツジェラルドも常連じゃった。ジェラルドの代表作「ザ・グレイト・ギャッツビー」の中に登場するホテルはシールバック・ホテルがモデルという説が未だに強い!またジェラルドは、禁酒法が執行されておる時代に高級ウィスキーと葉巻をシールバック・ホテルで密かに嗜んでいて、ある時その度が過ぎてホテルから摘まみ出されたというエピソードもある(笑) Wikipediaには次のような書き込みがあり、シールバック・ホテルの繁栄そのものがルイビルの発展に大いに貢献していたことが分かる。 「建設当時、4番街とウォルナット通りの周辺には他にほとんど何もなかった。ホテル建設計画が提案されたとき、ルイビル市長は“こんなに遠くにあるホテルには誰も来ないだろう”と言った。ルイビルの中心から遠く離れた土地にホテルを建てることを思いとどまらせようとする者も何人かいた。しかしホテル開業以来、ルイビルも拡大し、シールバック・ホテルは長い間、市内の活気あるショッピングとビジネス地区の1つにまたがってきた。1930年代から1960年代にかけて、シールバッハ・ホテルはルイビルの最高のショップが集まるエリアの中心地になった。」 SMWの中では、エルヴィスの到着直後から女の子たちが大勢ホテル内でエルヴィスを探し回っていたことが記されておる。またシールバック・ホテル内でのエルヴィスの写真は残されておらんが、ホテル専用の便箋に記されたエルヴィス直筆のサインが海外のオークションで出品された記録がネット上で発見できた。(上写真右側。写真内上側の白い布は、同時出品されたラスベガス・ヒルトン・ホテルでのライブでファンがゲットしたスカーフ)左上写真はシールバック・ホテルにエルヴィスが宿泊した同日のライブ写真。 ![]() 右写真左側は、ホテル発信のインスタグラムの中に掲載されていたプロモ・リフレットの写真。これまで宿泊した有名ミュージシャンの名前や写真があしらわれておるが、エルヴィスは何故か名前のみで残念(笑)右写真右側はストリートビュー2024年6月撮影。往年の荘厳な佇まいは見事に残されておる。 |
1956年11月25日、ケンタッキー州ルイビル・アーモリーでライブを行ったエルヴィスは、まず上記シールバック・ホテルにチェックインしてひと休みしてから、当地に在住中だった祖父母(ジェシー・プレスリー夫妻)を訪ねて、フォードフェアレーン等の豪勢なプレゼントを進呈。その後おじいちゃん夫妻を会場に招いての50年代最後のケンタッキー州ライブを行った。(※「バーチャル~ケンタッキー州2022年」にてジェシー・プレスリー宅をご案内してます!)更にこの日、ルイビルでのエルヴィスのもうひとつのアクションをこの度ネット上で発見した。(気付くのが遅過ぎでスンマセン) アーモリーでのライブ終了後、エルヴィスは地元の高級サロンであるコロニアル・ガーデン(上写真)にやって来て、非公式の演奏をしたことが地元の複数のネットに記載されておった! Wikipediaでコロニアル・ガーデンをチェックしてみると、エルヴィスが訪れた当時は「Carl's Bar」という店名だったとされておるが、地元の歴史紹介サイト等には「Carl's Bar」という店名の履歴は見つからなかったので、「Carl's Bar」とはガーデン内の一画に設置されたバークラブの名前だったのかもしれない。恐らく守銭奴パーカー大佐も関知していない、ほとんど突発的なライブだったのじゃろう!エルヴィス最盛期における極めて希少なシークレット・ライブじゃ。 コロニアル・ガーデンのオープンは1902年と大変に古く、当初はルイビル初の動物園が併設された複合娯楽施設だった。動物園には当時の一般人では滅多に見られない大型動物(ワニ、クマ、シカ、エキゾチックな鳥、ヒョウ、ライオン、サル、ダチョウ(乗馬用)、トラ等)が飼育されておった。やっぱり餌代がハンパなかったらしく、1939年に動物園は閉鎖。その後周囲にピクニック・エリアや館内にビッグバンドも出演出来るサロン(クラブハウス)を設置して、大人の娯楽場として後々まで繁栄した。 エルヴィス出演に関する詳細は一切見つからなかったが、コロニアル・ガーデンの敷地の西側を走るニューカット・ロードを北へ2キロほど直進した場所にジェシーおじいちゃんの家があった。おじいちゃん夫妻も、偉大な孫エルヴィスのライブを観た後、一緒にコロニアル・ガーデンにやって来たのかもしれんな! ちなみに、シークレット・ライブの後にエルヴィスが泊まりに帰った(であろう)ルイビルの繁華街のど真ん中にあるシールバック・ホテルまでは約12キロ(車で20分)の位置じゃ。(※当ページ上部のスライド画像の中で使用したライブ写真は、同日のアーモリーでの写真) |
2005年発売の写真集により新たに明らかになった宿泊先 上記シールバック・ホテルから一気にグレードが落ちてしまうが、こちらは1974年6月26日、1976年7月23日のルイビルでのライブの際にエルヴィスが宿泊したホテル。(左写真)70年代のルイビルでの宿泊先は長らく一般的には不明だったが、2005年に出版された豪華写真集「Elvis Destination Luisville June 26 1974」の中でロードウェイ・インでのショットが紹介されたことで宿泊先が明らかになった。(後に76年もこのホテルが利用されたことが断定された) またこの写真集のプロモビデオも作成されており、その中には当時地元TV番組で放映されたライブ当日のエルヴィスの様子がレポした映像も含まれており、エルヴィスが終始笑顔で機嫌が良く、ライブも好調だった様子がうかがえる。 左写真2枚はその映像の中でホテルからライブ会場へ向かう際の静止画じゃ。ネット上で紹介されておる写真集内のショットには、エルヴィスが翌日ロードウェイ・インをチェックアウトする際らしき写真も掲載されておるようじゃ。(左下写真右側) 参考までに、2005年発売当時のブック・レビューを転載しておこう。 「1974年6月のツアーはエルヴィスの最高のツアーのひとつであり、ルイビルのコンサートはそのツアーのハイライトのひとつでした。その夜、エルヴィスは新しいまばゆいばかりのピーコック・スーツを着て、見た目も声も素晴らしかったです。これらの写真を撮影したファンは、会場で一番良い席 /最前列中央に座っていたため、その夜の思い出が彼女の写真に新たなテンションを与えています。また、パーカー大佐のオフィスの資料、新聞の切り抜き、レビューなど、たくさんの記念品も収録されています。当時エルヴィスのベース奏者だったデューク・バードウェルは、この本のために内部の思い出をいくつか書き留めており、彼の洞察と観察にはきっと驚かされるでしょう。この本は最初から最後まで楽しく、本当にその時代を思い出すことができます。 なお初版本には、1974年4月の自宅録音である「Spanish Eyes」と「Let Me Be The One」を収録した特別なビニール・シングルが付 属しています。これらは実際のカセットから取られたものです。エルヴィスは明らかに楽しんでおり、歌詞を何度か面白く変えています。笑顔になる心温まる内容です。」右写真はストリートビュー2024年6月撮影。この建物はロードウェイ・インが再利用されておるのか、撤去した後に建て替えられたのかどうかは不明じゃ。 |
1977年5月23日、ケンタッキー州最後の宿泊先 1977年5月23日、ルイビルで6度目、フリーダムホールで4度目、ケンタッキー州での最後のライブとなったこの日、エルヴィスは三度(四度?)別のホテルのエグゼクティブ・インに宿泊した。(左写真)何故ルイビルでホテルを何度も変えたのかは定かではないが、エグゼクティブ・インがルイビル国際空港の滑走路に隣接した場所にあったことを考えると、当日未明(深夜)にリサ・マリー号でルイビル空港に到着したため、休憩時間を少しでも長く確保するために空港に近いこのホテルが選ばれたのであろう。(翌日のメリーランド州のライブのための長距離移動も考慮されたとも想定したが、エルヴィスはライブ終了後にエグゼクティブ・インには戻ることなく空港へ直行しておる。下記「ルイビル・インターナショナル・エアポート」参照」) 下写真右側は、「Elvis Luisville Kentucky」で画像検索するとヒットしたが、ネット上でガードが厳しく設定されておるようでサムネイルしか見られず詳細は不明じゃが、エルヴィスのジャンプ・スーツ、お顔の具合、背景等からエグゼクティブ・インでの撮影と思われる。特に上写真左側と下写真右側の外壁やガラス張りのエントランスは同一の場所に見える。(下写真左側、中央は撮影日と場所のクレジットあり)
い。しかし何故だか地元の宿泊サイトには今でも営業しておるように表示されたままであり、Google-mapにも「閉鎖」の表記はあるものの未だに概要表示や部屋や施設の写真が掲載されておるから不思議じゃ!?右写真ストリートビュー2024年6月撮影。この跡地は17年間も空地のままである。写真中央の樹木のすぐ奥にホテルの正面入り口があった。写真下側の通りのすぐ手前で空港の滑走路が広がっておる。 |
フリーダム・ホールでのライブは「バーチャル~ケンタッキー州2022年編」で詳しくご紹介したが、この度の調査で、ラストライブ(77年、上写真3枚)に対して貴重な証言となる投稿をネット上で発見したので追加情報として記載しておこう。 映画「エルヴィス」の中で、ツアー地獄とオクスリの乱用からエルヴィスがライブ前にぶっ倒れ、そこにパーカー大佐がやって来て「重要な事は、今夜この男がステージに立っていることだ」と周囲にげきを飛ばすシーンを覚えておる方も多いじゃろう。(左下写真。映画「Elvis」から)あのシーンは実話であり、実際にアクシデントが起こった日時と場所がこの日、この場所だったというのだ。以下、投稿をそのまま転載しよう。 「1977年5月21日、私はエルヴィスのコンサートを、4 回目で最後となる鑑賞をしました。私は16歳で、3列目に座っていました。映画では、(側近者が))エルヴィスの横にひざまずいて、彼の頭を冷たい水に浸すシーンがありました。彼は熱を出して、とても具合が悪かったのです。ラリー・ゲラーの言うとおり、パーカーは彼の横を通り過ぎ、エルヴィスの世話をしている人々に「さあ、私の言うことを聞きなさい。唯一大切なことは、あの男が今夜ステージに立っていることだ。私の言うことが聞こえるか?
それ以外のことは問題ではないのだ」と言います。これはルイビルのコンサートだったのです。彼の歌声は素晴らしく、少し太りましたが、それでもまだ素敵でした。そして、彼が既に手遅れの状態だったことは誰も想像していなかったでしょう。私たちのチケット1 枚15ドルで、新聞はそれを“法外”と評しました。それから3か月も経たないうちに、エルヴィスは亡くなりました。」 この投稿に対して「私のおばあちゃんも同じことを言っていました」というコメントも寄せられておった。何故一般の観客が舞台裏で起こっていた非常事態を目撃しておったのか?という疑問が湧いてくるが、投稿者は「3列目の席に座っていた」とのことなの で、ひょっとして客席から見えてしまう位置でエルヴィスは倒れてしまったのかもしれない!?もうひとつの疑問は、上記エグゼクティブ・インを出る時やステージ上の写真を見ても、エルヴィスの体調が悪かった様には見えないことじゃ。エルヴィスは突然の発作のような症状を起こしたのか?また当日のライブ・レビューも読んだが、エルヴィスは少なくとも不調ではなかったようじゃ。倒れた際に応急処置として投与されたカンフル剤がよ |
エルヴィスの背中が小さく見える・・・。 上記エグゼクティブ・インとフリーダム・ホールの追加情報にて「1977年5月21日のエルヴィス」をご紹介したが、当日2度利用した国際空港でのショットも併せて掲載しておこう。左写真上段2枚が当日未明(日付が5月21日になった後)に空港に到着してリサ・マリー号から降機した時の撮影。この後車に乗り込んで上記エグゼクティブ・インへ移動する。 左写真下段2枚は当日のライブ終 了後に空港に直行し、次のライブ地であるメリーランド州ランドオーバーへ移動するためにリサ・マリー号に乗り込む際の撮影。1日で二度、しかもいずれも夜間に空港で撮影された珍しい(かもしれない)4枚の写真じゃ。 すべての写真は望遠レンズで(?)かろうじてエルヴィスの姿を捉えておるものの、たとえ遠目の写真でも 以前のエルヴィスなら存在感抜群ではっきりと認識出来たが、この4枚のエルヴィスは生気が無くて消え行ってしまいそう・・・。(夜間撮影であることも関係しておるのかもしれないが)ホテルでゆっくりと宿泊も出来ずに、リサ・マリー号で同日に到着/出発をしておるなんて、ホント亡くなる直前までエルヴィスは働きづめだったんじゃなあ~と胸が苦しくなってくる写真じゃ。 |
| 「バーチャル・ロックンロール・ツアー」の全てのバックナンバーは「一覧ページ」から御覧になれます。 「バーチャル・ロックンロール・ツアー一覧ページ」 (←クリック) 直近3回のバックナンバーは、下のバナーをクリックして下さい。 |
||
![]() |
![]() |
![]() |
| GO TO TOP |