NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.478


第97回 エルヴィスゆかりの地~バージニア州2026年後編


アップデート:2026年3月9日
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前回3年半ぶりに訪れたバージニア州。後編の今回は、エルヴィスとの幾つかの平和的エピソードが残っておるロアノークという街のゆかりの地を中心にご案内するぞ。ライブ会場はもとより、最近ようやく詳細が判明した76年の宿泊ホテル、映画「エルヴィス・オン・ツアー」に挿入された空港、また到着直後に渡されたフラワーアレンジメントの製造場所もあります!ロアノークは日本ではほとんど知られていない場所じゃが、エルヴィスとは温かい絆で結ばれていたようなので以降お見知りおきを。

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第97回 バージニア州2026年後編

 ・Area No.は2022年度編からのバージニア州内の番号。
 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。

 Area No.16/Serial No.681  スコープ・アリーナ/ノーフォーク
 Area No.17/Serial No.682 シェラトン・イン・ミリタリー・サークル/ノーフォーク

 
 
Area No.18/Serial No.683  ブラックスバーグ・リージョナル・エアポート/ロアノーク
 Area No.19/Serial No.684 ホリディ・イン・シビック・センター跡地/ロアノーク
 

 【追加情報】
  Area No.8/Serial No.150  シビック・センター/ロアノーク 
  Area No.9/Serial No.151 シェラトン・イン/ロアノーク

 Area No.20/Serial No.685 ロイ・L・ウェーバー・フローリスト跡地/ロアノーク

【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

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SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト
EDD=「Elvis Day By Day」 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト)
HAC=ヒストリック・アエリアルス(アメリカの空撮サイト)


 「さあ宇宙船に乗って宇宙へと飛び立とう!」
Area No.16/Serial No.681 スコープ・アリーナ/ノーフォーク
 バージニア州でのエルヴィスのライブは、50年代はリッチモンドのモスクシアターで5回、ノーフォークのミュニシパル・オーディトリアムで3回、70年代はロアノークのシビック・センターで3回と同一会場に集中しがちだったが、1975年7月20日はノーフォークのスコープ・アリーナ(左写真)で昼夜2回行われた。21年ぶり、1日だけのノーフォーク帰還ライブじゃった。元々ナイトショーのみの予定だったが、12,000枚のチケットが即日完売になったため急遽マチネーが追加された。

 この日のライブは、特にネイビーブルーの地にシルバーフェニックスがあしらわれたジャンプスーツで登場したマチネーにおいて、エルヴィスが盲目の少女をステージに上げて抱きしめるという“絵的”に感動のシーンが有名じゃ。 熱狂する観客もエルヴィスが少女を抱きしめなが話しかけていた数分間はクールダウンしていたが、マイクが遠ざけられていたのでエルヴィスと少女の会話の内容は不明じゃ。

 一方エルヴィスの奇妙なジョーク(?)からバックシンガーのスイート・インスピレーションズのお嬢さん方がメンバー紹介の後にステージを降りてしまうというハプニングもあった。
 多くの証言によるとこの日エルヴィスは明らかに体調がすぐれず、オープニングから言動がおかしかった。開口一番「君たち(観客)の吐く息が僕を頭の上から圧迫している」とか「ピーマンと玉ねぎの匂いが充満している」とかイミフなジョークを飛ばした。さらに“CCライダー”を歌い終えると、スイートインスピレーションズの一人に向かって「今何時?」と聞いてから午後3時半であることを確認すると、「もう午後3時半だって?俺はさっき起きたばかりだ。俺にとって夜は昼なんだ」とかなんとか・・・。
 そしてメンバー紹介の際に、スイート・インスピレーションズに向かって「彼女の息はなまずを食べた匂いがする」と揶揄い(?)、「俺のジョークで気分を悪くさせてすまないが、仕事をしたくなかったら“トイレから”出ていってくれ」とも言ったという。
 このエルヴィスの発言にスイートインスピレーションズの3人は涙を流しながらステージを去り、後ほどマーナ・スミス嬢だけが戻ったという。気を取り直して再登場した彼女は以降コーラスと手拍子で普段通りに仕事をこなした。エルヴィスは彼女に感謝の意を伝え、装着していたダイヤモンドの指輪をその場で彼女にプレゼントした。
 実はライブ前からエルヴィスはスイート・インスピレーションズと口論になっていて、「レイ・チャールズのレイレッツ(バックシンガーたちのグループ名)と交代させるぞ!」と激怒していたというオハナシもある。

 またマチネーの観客が比較的静かだったことがエルヴィスの気に障り、突如メンフィスの宝石商に「3万ドル分のダイヤモンド・リングを持ってくるように」と指示し、ナイトショーではそのリングを叫び続ける女性ファンたちに配布して熱狂を煽ったそうな!
 しかしながら、冴えないジョークの連発、盲目の少女との触れ合い、スイートインスピレーションズとの軋轢があったとはいえ、昼夜2回のライブに集まった合計22,000人もの大観衆からはブーイングなどはなく、エルヴィスはライブ演奏自体は2回とも無難にまとめたようだった。


 なお当時のライブレビューの最後にちょっと気になるおまけ情報が記載されておったので紹介しておこう。前座とエルヴィスのステージとの間の休憩時間に、ステージ上から「ポスター2ドル!写真アルバム3ドル!!スカーフ5ドル!!!」と叫びながらグッズの購入を促す、デズニー映画ピノキオの悪役に似た男がいたという。ピノキオの悪役に似ているとは「大佐のことか?」と早合点したが、この男はエルヴィスのレコードをもっとも早い時期からラジオでかけまくっていたDJだったという。恩義を感じていたエルヴィスは(大佐?)、ライブ会場での物販担当者としてこの男を雇い続け、後ほど「エルヴィスはもう会場を去りました」という定番のアナウンスも担当しておったそうな!あのデューイ・フィリップもアラン・フリードも1975年には既に亡くなっておるので、この男は一体誰なんじゃろうか!?

 スコープ・アリーナは写真で御覧の通り、巨大な円盤型宇宙船にすっぽりと覆われておるような独特な形状であり、これは「鉄筋コンクリート製超薄殻ドーム
」と呼ばれる建造物らしく、1960年ローマ五輪の競技会場の外観/形状が建設の際に参考された当時としては超芸術的大型建築物として全米の注目を浴びた。1971年オープン当初は同型の建造物としては世界最大の会場じゃった。何度かの改修工事を経て現役のイベント会場として稼働中じゃ。右写真ストリートビュー2023年7月撮影。

 エルヴィスはライブの後半に差し掛かった時、ドーム内を見渡しながら「我々は今宇宙船の中にいるようだ」と観客に語りかけた。やがてイルミネーションが点滅すると「宇宙船に乗って離陸しよう!」と優しく煽って喝采を浴びたそうじゃ!


空手のデモ披露をしたり、巡査長バッヂを進呈されたりして過ごしたホテル
Area No.17/Serial No.682 シェラトン・イン・ミリタリー・サークル/ノーフォーク

 1975年のノーフォークでのライブの際にエルヴィス一行が宿泊したホテル。スコープ・アリーナから真西に7キロ一直線移動した位置にあった。このホテルでのエルヴィスの写真はネット上には無いが、少々のエピソードが残っている。
 マチネーとナイトショーの間にホテルに戻ってきたエルヴィスは、退屈しのぎに警護の警察官たち相手にお得意の空手の型のデモンストレーションを披露したり、バッヂ・コレクションを見せたりして彼らと交流しておったそうな。(エルヴィスはバッヂ・コレクションをツアーに持参していたのじゃろう!)

 エルヴィスのバッヂ・コレクションを見たノーフォーク警察のシドニー・チェリー巡査長は、自らの巡査長バッヂをエルヴィスにプレゼントしてコレクションの充実に協力したという!(いかに相手がエルヴィスとはいえ、自らの立場や権威を示す職業バッヂを簡単に他者に譲ってもいいものなのだろうか?その後に”再交付してもらえるものなのだろうか!?)
 巡査長から贈呈されたバッヂを、エルヴィスは誇らしげにナイトショーの衣装に装着してステージに上がったそうじゃ。下写真3枚はナイトショーでの撮影であり、この写真からでは分かりずらいがどこかに巡査長バッヂが付けられておるのじゃろう!
 シェラトン・イン・ミリタリー・サークルは、ミリタリー・サークルという巨大ショッピングセンター&フードコートの敷地内に建てられておった。高級品から日用品まで膨大な商品が取り添えられていたショッピングセンターはシェラトンに隣接しており、バージニア州内有数のショッピング・エリアじゃったものの、21世紀に入ると急激に廃れていき、シェラトンも2010年前後に閉業となった。
 ホテルの建物自体は使用されることなく野晒しにされたまま10年以上が経過し、近年ショッピングセンター全体が売却されたことで元シェラトンの建物も取り壊しになる予定。ストリートビューで確認すると、最新の2023年6月撮影時点では(右写真)建物は残されておる。


 映画「エルヴィス・オン・ツアー」キング歓迎映像用(!?)エアポート
Area No.18/Serial No.683 ブラックスバーグ・リージョナル・エアポート/ロアノーク

 1972年に公開されたライブ・ドキュメンタリー映画「エルヴィス・オン・ツアー」の中に登場するエアポートが、ロアノークにあるブラックスバーグ・リージョナル・エアポートじゃ。数ある私設エルヴィス・サイトでは、空港の通称“ウッドラム・フィールド”と表記されておる場合が多いので要注意!
 
 「エルヴィス・オン・ツアー」は、2年前に公開された「エルヴィス・オン・ステージ That's The Way It Is」と差別化を図るべく、ライブ映像とともに各都市間の移動の様子等を効果的に挿入し、エルヴィスのリアルなツアーライフに焦点が当てられておるのが特徴じゃった。より効果的なカット割りのために、映画「ウッドストック」で当時革新的だった分割映像効果(スクリー上で複数の映像を同時上映させる手法)をやり遂げた後の巨匠マーティン・スコセッシが制作協力者として起用されておる!
 この空港での映像はいわばライブ地に到着したエルヴィスの現地の歓迎ムードの描写として撮影されておるようであり、ロアノークの市長だったロイ・L・ウェ-バー氏がギター型のフラワーアレンジメントを持参して、降機前の機内のエルヴィスを訪問するシーンも映画に挿入されておる。
 
(※「バーチャル~バージニア州2022年編」にて、ロイ氏がエルヴィスを訪ねたのはシビック・センターと記載したが、それは誤りでした。お詫び致します。)

 この度you tuneにアップされておる「エルヴィス・オン・ツアー」のダイジェスト映像を何種類かチェックしてみたところ(この映画のマテリアルを観ること自体云十年ぶり!)、レッド・ツェッペリン「狂熱のライブ」、アバ「アバ・ザ・ムービー」等の数年後から頻発されるようになるロックスターたちのツアードキュメント映画の脚本の“原型”が「エルヴィス・オン・ツアー」に詰まっておることを再認識した。この点においても、“エルヴィス・ビジネス”は業界の先駆けだったのじゃ!

 エルヴィスは70年代に3度ロアノークでライブを行い、その都度この空港を使用しておる。上写真右側は、1976年8月3日の撮影。前日生涯最後のロアノーク公演を終えて次のライブ地へ飛ぶためにリサマリー号へ搭乗するエルヴィスじゃ。隠し撮りではあるが、バージニア州およびロアノークにおけるエルヴィスのラスト・ショットである。
 右写真はストリートビュー2015年9月撮影の空港ビル正面入口から見て北西に広がる滑走路の風景。この辺りからエルヴィスを載せた飛行機が到着するシーンが撮影された思われる。


三度目のブッキングは何故かキャンセルされた、ライブ会場“すぐ近”のモ-テル
Area No.19/Serial No.684 ホリディ・イン・ロアノーク跡地/ロアノーク

 1970年代のロアノークでのエルヴィスの宿泊先情報はこれまで少々錯綜気味であり、50年代に使用した老舗の高級ホテルであるロアノーク・ホテルとか、ホリディ・インとか、シェラトンとか。この度新たにネット上で見付けた(今まで見落としていた?)情報によって収拾が付いたので、まとめておこう。

 1972年4月11日、1974年3月10日は、ライブ会場だったシビック・センターのすぐ近くのホリディ・イン・ロアノークに宿泊。これまでは同ホテル宿泊は“不確実情報”でしかなかったが、この度エルヴィスの警護を担当した警察官の証言をネットで発見!今は無きホリディ・インのあった場所まで正確に証言しておるので間違いなし!
(※左写真左側72年、右側74年のシビック・センターでのライブ写真)
 ネット資料や当時発行されいたポストカードによっては名称が“ホリディ・イン・シビック・センター”と表記されておるが、これはシビック・センターとホリディ・インが業務提携をしていたわけではなく、正確な番地よりも分かりやすい所在地としてシビック・センターの名称が使用されていただけと思われ、シビック・センター・コロシアムの北東、僅か300メートルの場所に建てられておった。上写真右側はホリディ・インが存在した当時の空撮写真。

 エルヴィスの警護をした警察官によると、パーカー大佐から「とにかく女性ファンたちをエルヴィスに近づけないことが重要だ」と事前に強調された記憶が強いそうじゃ。またエルヴィス警護のお役目が終わった後、エルヴィスからたくさんの贈り物をもらったそうじゃが、後に自宅の火事でそれらすべて焼失してしまったという。それでも「エルヴィスとの思い出が消えることはない」と語っておった。

ホリディ・インの営業期間等の詳細は一切不明であり、現在跡地はカーディーラーの敷地として再利用されておる。右写真ストリートビュー2024年10月撮影
 またこの跡地のすぐ近くに現在ホリディ・イン・エクスプレス&スイート・ロアノークというホテルがあるが、エルヴィスが泊まったホリディ・インとは関係はない。
 
 なお、1976年8月2日のライブの際にもエルヴィス側からホリディ・インへ一旦予約が入ったものの、直前でキャンセルになったという。ホリディ・インの代わりに、エルヴィスはシェラトン・インへ泊まることになる。(下記Area No.9 シェラトン・イン参照)


 1977年8月24日エルヴィス追悼集会
 【追加情報】 Area No.8/Serial No.150 シビック・センター/ロアノーク

 50年代に2回、70年代に3回ライブが行われ、上述の通り「エルヴィス・オン・ツアー」では当時の市長さん自らが空港に出迎えるシーンが挿入されたロアノーク。市民のエルヴィス愛は殊更熱かったようで、1977年8月24日にもライブが予定されていたシビック・センターでは、当日エルヴィス不在にもかかわらず大勢の市民が集まってエルヴィス追悼集会がしめやかに行われた。この時の模様を収めた映像のほんの一部がアメリカのyou tuberの「EP back on tour」のプログラムの中で紹介されておる。

 会場には「ELVIS, We love you always」の横断幕が掲げられ、エルヴィスの歌うゴスペルがBGMとして流され、黒人の偉い方(牧師さん?誰だかは分かりませんが)が追悼文を読み上げる場面もあった。
 映像自体は高画質ではないが、まるでライブが行われているかのように会場内は大勢の市民で埋め尽くされており、ロアノーク市民がエルヴィスがまたやって来ることを熱望していたことを実感出来る映像じゃ。

 72年の来訪の際にはエルヴィスにフラワー・アレンジメントを渡して歓迎した当時の市長ロイ氏は1975年に亡くなられておったが、もしこの時ご存命であれば追悼集会に姿を現したに違いない。

 エルヴィスが70年代にライブで使用したアリーナ会場の半分以上は21世紀になって老築化から取り壊しになっておるが、シビック・センターは現存する、しかもエルヴィスの死の直後に追悼集会まで行われた希少な建物じゃ。現在はバーググランド・センターと改称されておる。 上述したyou tubeプログラム「EP back on tour」では、エルヴィスのライブ時期から現在も使用されておるアリーナの仮設座席(パイプ椅子)も紹介されておるので、“ライブ会場マニアさん”は要チェックです!2007年には約10,000人収容出来るオリジナルの会場の横に、更に6,000人を収容出来るセカンド・ホールが併設された。(※右写真は1976年のシビック・センターでのライブ写真)


“1976年8月2日から3日にかけて、突然静かな嵐が吹き抜けていったようだった”
【追加情報】 Area No.9/Serial No.151 シェラトン・イン/ロアノーク

 バージニア州ロアノークの追加情報(再掲載情報)をもうひとつ。1976年8月2日にエルヴィスが宿泊したシェラトン・インじゃ。「バージニア州2022年編」でご案内した際、エルヴィスが泊まった当時のホテル名が不明確じゃったが、この度「シェラトン・イン」だったことが明確に判明。「バーチャル~2022年編」をアップした後にyou tubeに登場した「EP back on tour」の中で、現在のホテルマネージャーが「当時の名称はシェラトン・イン」とはっきりと発言しておる!さすが、現場で取材した内容は違うな!!Thank you very muchじゃ。

 上記ホリディ・インでご案内した通り、当初はホリディ・インが予約されていたが、急遽こちらに変更になった。変更の理由は不明じゃが、72年、74年に利用したホリディ・インは既に“エルヴィスのお宿”としてロアノーク市民に知れ渡っており、エルヴィスのより安全と安らぎが考慮されて急遽シェラトン・イン宿泊となったのじゃろう。

 エルヴィス一行はモーテル・スタイルのシェラトン・インの2階の部屋を複数レンタル。チェックアウト後にブルーのジャージ姿のまま空港へ向かうために駐車場に現れた時の隠し撮り写真は、現在ホテルのロビーに飾られておる!(上写真右側)
 現在は「ベイモンド・ウィンダム・セーラム・ロアノーク・エリア」という別のホテルになっておるものの、外観も内部もエルヴィスが宿泊した50年前とほとんど変化していない!下写真は、エルヴィス一行が泊まった2階フロアと、エルヴィス一行が通った2階から駐車場へと続く1階裏口までの行程の現状。

 突然キング・オブ・ロックンロールが予約を入れ、わずか1日、それも数時間程度滞在しただけでチェックアウトしていった1976年8月2日から8月3日朝までの時間を、当時のホテル関係者は“まるで突然静かな嵐が吹き抜けていったようだった”と回想しておる。



54年前、キングへのプレゼントが作られた地元のお花屋さん
Area No.20/Serial No.685 ロイ・L・ウェーバー・フローリスト跡地/ロアノーク

 ここはエルヴィスが実際に訪れた場所ではないが、特別に“ゆかりの地”としてカウントしよう!上述した「エルヴィス・オン・ツアー」内のロアノーク空港でのシーンで、市長さんのロイ・L・ウェーバーさんがエルヴィスにプレゼントしたギター型のフラワーアレンジメントが作られたお花屋さんであ~る(笑)

 このお花屋さんは市長さん一家が長年にわたってロアノーク郊外の国道沿いで経営されておった。市長さんがフラワー・アレンジメントをエルヴィスに渡すシーンが撮影されたり、それが映画に挿入されることを事前に知らされておったのかどうか分らんが、「このわしが、エルヴィスのプレゼンターの役を仰せつかったのじゃ。精魂込めてフラワーアレンジメントをこしらえなさい!」って市長さんが従業員たちに指示したことは想像に難くないな(笑)!

 エルヴィスのプレゼンターとして映画にも登場した元市長さんのお店ということで「ロイ・L・ウェーバー・フローリスト」はロアノーク地元発信の歴史サイトにも紹介されており、1970年代の店舗写真は無かったものの、その代わりに1920年代に撮影された、後に店舗として利用される家屋が写った国道の写真が掲載されておった。(上写真、赤丸部分)
 ロイ・L・ウェーバー氏は元々花屋さんとして生計を立てていたロアノークの地元民であり、1950年代にも一度市長に就任し、エルヴィスを歓迎した1972年は二度目の市長就任期じゃった。若い頃はなかなかのイケメンであり、結構女性にオモテになったんじゃないかと(笑)少なくとも堅苦しい人物ではなく、愛されキャラだったんじゃないかと!

 市長さんは1975年に亡くなられたが、お花屋さんはその後ご子孫によって30年以上も経営された。正確な経営期間は分からないが、2017年6月撮影のストリートビューでは店舗の建物とサインボードが写っておる。(下写真左側)2023年9月の撮影では建物もサインボードも撤去されておる。
 お店の前を通る11号線は、お店から3.7キロ南下した位置にあるシビック・センターの東側(裏側)へと通じており(下写真右側)、この道程は現在“ロイ・L・ウェーバー通り”と命名されて市長さんの生前の功績が讃えられておる!


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