NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.474


第93回 エルヴィスゆかりの地~ニューヨーク州2026年前編

アップデート:2026年1月9日
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エルヴィス没後50周年まで一年あまりとなった2026年の幕開け、「バーチャル~」はニューヨーク州からあらためてスタートするぞ。2023年夏以来約2年半ぶりの再訪じゃ。50年代、70年代ともにエルヴィスのニューヨーク滞在期間は長くはないものの、幾つかの有名TV番組に出演したり、ショウ・ステージのメッカ「MSG」に登場したり、またホースシューリングを購入したりするなど、エルヴィスは公私ともに濃密な時間を過ごしたことは明白じゃ。ニューヨーク滞在中のエルヴィスの実態記録は決して多くはないが、あらためて可能な限り細部まで追ってみたので、その成果を御覧頂きたい!本年も「バーチャル~」をヨロシューな!

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第93回 ニューヨーク州2026年前編

 ・Area No.は2023年度編からのニューヨーク州内の番号。
 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。

 Area No.18/Serial No.657 ノーラ・レコーディング・スタジオ跡地/ニューヨーク
 Area No.19/Serial No.658 ローズランド・ダンス・クラブ跡地/ニューヨーク
 Area No.20/Serial No.659  シェラトン・ホテル/ニューヨーク

 Area No.21/Serial No.660
         マキシン・エリオット・シアター(CBSスタジオ44)跡地/ニューヨーク
 
【再掲載】 Area No.12/Serial No.273 
         バッファロー・メモリアル・オーディトリアム跡地/バッファロー

 Area No.22/Serial No.661 スタットラー・ホテル/バッファロー

【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

★ 本文中の表記について ★

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SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト
EDD=「Elvis Day By Day」 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト)
HAC=ヒストリック・アエリアルス(アメリカの空撮サイト)


あの男(エルヴィス)は近いうちに必ずショービジネス界を席巻することになる!by トミー・ドーシー
Area No.18/Serial No.657 ノーラ・レコーディング・スタジオ跡地

 エルヴィスの記念すべき最初のニューヨークTV出演は、ご存知1956年1月28日午後8時から放映されたドーシー・ショーじゃ。同日朝には、エルヴィス、スコッティ、ビルの3人はノーラ・スタジオという場所に集合してショーのリハーサルを行ったとされておる。
 
 ノーラ・スタジオとは、当時ニューヨークで有数の機材と設備を備えた有名なレコーディング・スタジオであり、ドーシー・ショーで演奏をするビッグ・オーケストラもリハーサル&レコーディングで使用しておった。(上写真2枚は、1948年に発行された「audio record」なるメディに掲載されたスタジオ写真。左端下の人物は、スタジオのオーナーであるヴィンセント・ノーラ氏)

 まだニューヨークでは無名に近かったエルヴィスは、リハーサルに現れるとオーケストラのメンバーに随分と煙たがられたらしい。「髪を切ってシャワーを浴びてきたらどうだ」とあからさまに嫌悪感を示すメンバーもおったそうな。その中でたった一人だけエルヴィスに注目し、オーケストラ・メンバーをたしなめた男がおった。ショーのマスターであるトミー・ドーシーじゃ。「いいか。あの男(エルヴィス)は近いうちに必ずショービジネス界を席巻することになる」と予言をかました!
 一説によるとドーシー・ショーはアメリカ南西部での視聴率がイマイチだったために、“メンフィスのエルヴィス”にドーシー氏が目を付けたらしいが、それもまたエルヴィスの凄い可能性を見抜いていたからこそじゃ。ドーシー氏は1956年11月に亡くなっておるので、生前最後に巡り合ったビッグ・アーティストがエルヴィスであり、その確かな鑑識眼によって自分の番組のフィナーレを飾ったとも言えるじゃろう。
 エド・サリバンは視聴率稼ぎのために当初は仕方なくエルヴィスの出演を承諾し、スティーブ・アレンはエルヴィスをコケにするシナリオを用意して自らを世の中の大人たちに向けてアピールしようとしたことに対して、トミー・ドーシーだけはエルヴィス時代の到来を確信してTV番組に出演させたのじゃ。下写真3枚は1956年1月28日ドーシーショー出演時のエルヴィス。(映像はこちらから)


 1930年代に創業されたノーラ・スタジオはすぐに大人気スタジオとなり、40年代に入ると早くもスタジオは手狭になり、スケジュールはすし詰め状態となり、別の場所にレコーディング用のスタジオが増設されるまでになった。エルヴィスがリハーサルに呼ばれたスタジオがどのスタジオだったのか明記されておる情報ソースはないが、別スタジオが増設されてからは旧スタジオ(オリジナル・スタジオ)はほとんどリハーサル専用に使用されていたとするサイトもあるので、ここではビル17階にあった別称“ペントハウス・スタジオ”(オリジナル・スタジオ)の場所をご案内しておこう。

 なおノーラ・スタジオは1970年代からはチーフ・エンジニアだった人物が実質的なオーナーとなり、以降長らく経営されて数多くのミュージシャンのレコーディングをこなしてきたが、その方が亡くなった2017年に閉鎖された。オリジナル・スタジオが入っていた建物は大幅に改装されて現
在はオフィス・ビルになっておる。右写真はストリートビュー2024年5月撮影。


トミー・ドーシーがエルヴィスをご褒美に招待した(?)高級社交クラブ
Area No.19/Serial No.658 ローズランド・ダンス・クラブ跡地
 上記した1956年1月28日ドーシー・ショー初主演に続き、2月8日にエルヴィスは同番組に二度目の出演を果たした。初出演のリハ―サルでドーシー氏から予言を引き出したエルヴィスは、今度はショーの出演後にドーシー氏からローズランド・ダンス・クラブという高級社交クラブに招待された。ご褒美ですかね、これは!

 ニューヨークでは1930年代からセレブたちの間で社交ダンス・ブームが起こり、一説によると一時期はマンハッタン界隈に大小1,000を越えるダンス・クラブ(社交場)が乱立しておったそうな。(いつの時代も、お金持ちさんってのは優雅でのんびりしてますなあ~笑)その中でもローズランド・ダンス・クラブ(ロースランド・ボールルームという呼称もあり)はひときわ豪華で有名人が集う社交場だったようじゃ。シニカルなメディアによると、有名作家たちが“ワンナイト・ラブ”を求めて夜な夜な通っておったとか。まあこの辺の風潮がシナトラが歌った世紀の名曲「夜のストレンジャー」を生み出したんじゃろう。ドーシー氏はまだ田舎者だったエルヴィスに社会勉強をさせるためにローズランドへ招待したのかもしれない。
 
 超セレブなレディース&ジェントルメンがたむろっておる中で、果たして新進気鋭のタレントのエルヴィスはどんな風に振舞っていたのか、実に気になる(笑)ローズランドをパニックにおとしいれたのか。それとも「なんですの?あのヘアスタイルとファッションは?」って笑いものにされたのか!?
 残念ながらローズランド内のエルヴィスの写真はお目にかかっていないが、唯一ドーシー・ショー出演後にCBSスタジオを出た時とされるエルヴィスの写真が1枚見つかった。上写真右側じゃ。エルヴィスはトレンチコート(?)を着ていてカッコイイ!ロックンロールの反逆児ではなくて、超ハンサムなセレブ・ニューヨーカーみたいじゃ。ローズクラブに出向くにふさわしい装いじゃな。(笑)(左側写真は、同日ドーシー・ショーに出演した時のもの。映像はこちらから

 時代の推移とともに社交ダンス・ブームも終わり、大半のダンスクラブが閉鎖されていく中でローズランドは生き残り、ニューヨーク社交界のメッカとして2013年まで営業していた。ラスト・ウイークはレディ・ガガがスペシャル・ライブを行ってローズクラブの終焉を飾った。
 ローズクラブは1956年3月に創業場所から別の場所へ移転した経緯があり、エルヴィスが招待された1956年2月8日はオリジナル・クラブ最後の営業時期だったのじゃ。オリジナル・クラブはブロードウェイと西51ストリートの交差点にあり、跡地には現在は新しいビルが建てられてマクドナルドがメインテナントとして入っておる。(右写真ストリートビュー2024年5月撮影)


 「エルヴィス・プレスリー君は健全で愛国心溢れる好青年であります」(!?)
Area No.20/Serial No.659 シェラトン・ホテル/ニューヨーク
 1956年10月28日、ニューヨークのシェラトン・ホテルにて、当日夜エド・サリヴァン・ショーに二度目の出演予定であるエルヴィスの共同記者会見が行われた。最初の出演はエドとエルヴィス両者のスケジュールの都合上でハリウッドのCBSスタジオでの出演だったので、ショーの本拠地ニューヨークでのエルヴィスの出演は初めてのこととなった。

 この日エルヴィスは記者会見の場としては異例?のスポーティーなシャツを着て登場!赤い襟と胸元のボタンホール部分は白生地がはめ込まれた厚手のブラックのポロシャツ・スタイルじゃ。(左写真)
 何故エルヴィスは例えばナッソージャケットやイタリアン・カラーシャツ的なロックンローラーの正装着ではなかったのじゃろうか。
 この記者会見は「エルヴィスは礼儀正しく、人柄も良く、機知に富んだ魅力的な人物」としてマスコミ各社は報道したとされており、この日のファッション効果も大いにあったことじゃろう!
 これもまたパーカー大佐の戦略による指示だったに違いない。ニューヨークという若手アーティストには敷居が高い場所のお堅い共同記者会見の場であるだけに、あえて健全で愛国心溢れる好青年としてのイメージを強調しようとしたのかもしれない。現場に集まったプレス関係の人たちが全員フォーマルなスーツ姿であり、それがまたエルヴィスのスポーティーな好青年風情がより強調されることになった。まあエルヴィスは何を着てもキマルがな!(しかもエルヴィスだけ半袖じゃ!!)

 記者会見では、「ロックンロールが若者に与える悪影響」について尋ねられたエルヴィスは、まず自分は熱心なキリスト教信者であることを述べ、「キルスト教における“悪事をはたらけば、必ずに自分の身にもふりかかる”という訓えを自分は守っており、ロックンロールが悪い影響を及ぼしているとは思わない」「もし私が悪影響を与えているならば、またトラック運転手に戻る」とキッパリと答えたそうな。自分の理屈の裏付け方が実に賢明じゃわい!

 さてシェラトン・ホテルじゃが、当時ニューヨーク全域と周辺地域にはかなりの数のシェラトン系ホテルが存在しており、記者会見が行われたシェラトンが特定出来なかった。(スイマセン)右写真は1956年に製作されたシェラトン・ニューヨークのプロモリフレット。
 まず記者会見の場ですら、EDD、SMW等のエルヴィス関連サイトの何処にも記載がない。シェラトン系ホテルだったことはGoogleのChat-GPTからの返答じゃ。Chat-GPTによると、当時のニューヨークのホテル業界でシェラトンの勢力は絶大であり、マスコミ向けの話題作りには恰好の場所であったそうな。さらに記者会見の様子を報じた当時の新聞の大半にシェラトンの名前が記載されておったという。ただし何処のシェラトンだったのかは未だに不明とのことじゃ。
 ひとつだけ確かな情報は、現在も営業しておるシェラトン・タイムズ・スクエアは1964年にホテルがオープンしておるので関係無しじゃ。


 2度目のエド・サリヴァン・ショー出演はサブスタジオだった
 Area No.21/Serial No.660 マキシン・エリオット・シアター(CBSスタジオ44)跡地

 1950~60年代のタレントがアメリカ全土で人気を獲得するためには絶対条件と言われておったのが「エド・サリヴァン・ショー」への出演じゃ。エルヴィスは1956年9月9日、10月28日、1957年1月6日放送の3回の出演をしておる。
 これはわしの記載ミスじゃが、「バーチャル~ニューヨーク州2023年前編」において、2回目、3回目の出演はニューヨークのCBSスタジオ50(後のエド・サリヴァン・シアター)での出演としたが、あらためてチェックしてみたら、2回目の出演はCBSの別スタジオ、マキシン・エリオット・シアター(別称CBSスタジオ44、左写真)での出演であることが判明した。SMWには2回目、3回目ともCBSスタジオ50と記載されておるので、どうやらSMWも記載ミスをしたようじゃ。

 1956年10月28日のエルヴィスはかなりの数の写真がネットにアップされておる。まず上記シェラトン・ホテルでの記者会見。そのままの装いでリハーサルへ。更に本番用の衣装に着替えてから最終リハ(ドレス・リハーサル)を行った様子、リハの途中にニューヨークの医療業界のお偉いさん方がやってきて予防接種サービス(?)まで受けさせられた様子など、すべて写真が残されておる。
 上写真2枚は本番の時のショット。下写真写真3枚はリハーサルや休憩時間でのショット。少々不可解なのは、本番はマキシン・エリオット・シアター(CBSスタジオ44)じゃが、リハーサルの方はCBSスタジオ50の方だったのではないかということじゃ。
 “リハ―サルが本館で、本番が別館”とはどうも解せないが、左写真を御覧頂きたい。10月28日にスタジオ50の方へ殺到したファンたちじゃ。予め現場に用意されていたであろう「POLICE LINE」と表記されたバリケードも写っておる。これはリハはスタジオ50の方だったことの証拠写真かもしれない。
 ちなみに上写真中央、右側でエルビスの背後に写っておるチョイ年配のオバサマは当日招待されたイギリスの女性コメディアンとか。彼女の伝記の中にこの時の場所は「CBSスタジオ」としか記されておらんようじゃ。

 なお実に紛らわしいが、マキシン・エリオット・シアターは「スタジオ44」の他に、「マキシン・エリオット・シアターのスタジオ51」という別称もあるようなので、諸君が個人的にお調べになる場合は混同しないように。

 CBSスタジオ50の方は後にエド・サリヴァン・シアターと改称されて現在でも存続しておるが、こちらマキシン・エリオット・シアター(スタジオ44)は1960年代に閉鎖となって取り壊されておる。跡地は現在
オフィス/商業ビルになっておる。上写真右側ストリートビュー2024年9月撮影。CBSスタジオ50からは南西へ1.7キロ(徒歩約20分)離れた位置にあった。


 映画「エルヴィス・オン・ツアー」撮影スタート会場
【再掲載】 Area No.12/Serial No.273 メモリアル・オーディトリアム跡地/バッファロー
 こちらの会場は、「バーチャル~ニューヨーク州2023年後編」にて、50年代唯一のニューヨーク州でのライブ会場としてご案内した。
 70年代でも72年4月5日、76年4月25日にこの会場でライブが行われており、特に72年4月5日は映画「エルヴィス・オン・ツアー」のために撮影がスタートした日である。またこの日は同会場でのリハーサルの様子をとらえた写真や映像が既に流出しておるので、このバッファロー・メモリアル・オーディトリアムへあらためてご案内しよう。

 EDDによると、映画「エルヴィス・オン・ツアー」のプロデューサーのボブ・エイベルは、映像と音声の記録を作成するために、小型のソニー製カメラでショーを撮影し、それが後日バージニア州ハンプトン・ローズで作業を開始する全カメラクルーの青写真として使用されたという。
 リハ―サルは、ライブの一週間前3月30、31日にハリウッドのRCAスタジオからスタートしており、この日はリハの最終日。本番ステージ用(映画撮影用)の準備が会場内で進められていたこともあり、スタッフは撮影テスト的にリハーサルの一部も撮影してみたのであろう。実際には、映画の中でラスト近くの数分間(「明日に架ける橋」が歌われる前)にリハの様子をとらえた映像が挿入されておるらしい!(手元に映画のメディアが無いので確認出来ずでスンマセン)
 またyou tubeには、リハ中にオーケストラ無しで歌われた「アメリカン・トリロジー」の音源がアップされており、これが世界中のエルヴィス・リスナーの評判がやたらといい!わしなんぞは、この曲は聞き過ぎてしまって長らく食傷気味だったので、シンプルなギター演奏をバックに終始抑制を効かせて歌うエルヴィスに鳥肌が立った!
 途中でエルヴィスが「チャーリー(ホッジ)、フルートやってよ」と声かけして、チャーリー君が口笛で応えるところもホッコリじゃ。諸君も聞いてみて損はないぞ!
(※この音源自体は以前にも出回っていたらしいが、これはチャーリーの口笛がしっかり聞こえるグッド・バージョン等、投稿者からの詳しい情報もページ内で読むことが出来る)


1972年ニューヨーク滞在は、世界初の“全室シャワールーム完備?!”の大型ホテル
 Area No.22/Serial No.661 スタットラー・ホテル/バッファロー

 上記バッファロー・メモリアル・オーディトリアム1972年ライブの際にエルヴィスが宿泊した、当地老舗の大型ホテルがスタットラー・ホテルじゃ。バッファローのスタットラーホテルは20世紀初頭創業のスタットラー・ホテル・カンパニーというチェーン・ホテル企業の経営するホテルのひとつである。
 スタットラー・ホテル(Statler Hotel)をネットで写真検索すると、3連棟の建物(左写真)と1棟のみの写真がヒットする。創業後に増築されたのかと思いきや、バッファローの地には2つのスタットラー・ホテルが開業された歴史があった。1棟ホテルの方は1901年にバッファローで開催されたパン・アメリカン博覧会の来場者用に建てられた仮設ホテルであり、博覧会終了後に取り壊されておる。
 もうひとつのスタットラー・ホテルは1923年に開業。エルヴィスが1972年に宿泊したのは、もちろんこちらのスタットラー・ホテルじゃ。

 エルヴィスとは関係のないハナシじゃが、エルヴィスの泊った“スタットラー・ホテル第2号”は、客室300(後に450)を擁する創業当時としては大型ホテルであり、全室にシャワールームが完備されている初めての大型ホテルだったとのこと。
 1920年代とは、“20世紀のコロナ”と称されるスペイン風邪明け(コロナ明け同様)の時代であり、大型ホテルの中にはまだシャワーがない部屋もあった時代でもあったのじゃ。わしは初めて知ったわい。

 スタットラー・ホテルでのエルヴィスの写真は、ネット上では警備員と収まった左上写真の1枚のみ。エルヴィスがレッド系のコートを着ておる写真は他にあったかどうか不明であり、ひょっとして貴重な1枚かもしれない!?
 上述の通り、バッファローから映画「エルヴィス・オン・ツアー」の撮影や録音がスタートしたので、相当な人数の製作スタッフたちもまたスタットラー・ホテルに宿泊したと思われるので、今後ホテル内でのあらたな写真や映像が発掘、発表される可能性はある。

 スタットラー・ホテルは1980年代に経営が破綻し、その後度々建物のオーナーが変わり、ホテルとアパート兼業、オフィスビル業、娯楽施設業等様ざな経営が試みられたものの一向に安定しないまま今日を迎えており、2020年に上層階をアパート、下層階をカジノに改築する工事がスタートしたとされておる。(wikipediaより)現在Google-mapでは建物は「結婚式場」という表記がされておる。エルヴィスが宿泊した日の未発表映像でも公開されれば経営が一気に上向きになるかもしれない(笑)右写真ストリートビュー2022年10月撮影。

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