
| アップロード:2025年12月9日 |
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フットボールに興じる数々のスポーティなエルヴィスのショット!1956年12月27日、デイブ・ウェルズ・コミュニティー・センターという総合スポーツ施設内のグランドでのシーンじゃ。集められたメンバーは何処の何方なのか知りたかったが、ネット上では“Elvis's friend”としか紹介されておらず、判明したのはレッド・ウェストのみ。まあいいか!(笑) エルヴィスのためにこのフットボール・ゲームが企画されたのは想像に難くなく、この日数百人の観衆がグラウンドに集まったとされておる。写真はどう見てもプロ・ショットなので、恐らくパーカー大佐が当日手配したのじゃろう。エルヴィスを「スポーツを愛する健全なアメリカ青年」として世間にアピールし、世の男性陣にも好感を持たせようという算段だったのじゃろうな。だとしたら、大佐ってのはホントに“アタマのまわる”(悪賢い!?)マネージャーじゃな。 この時期、エルヴィスは約三ヶ月のバカンス中であり、スーパースターの座に駆け上がってからは初めての長期バカンスじゃ。キング・オブ・ロックンロールの面影はなく、夢中になってボールを投げ、走り、相手チームに体当たりしているエルヴィスは清々しい限りじゃ。大佐はエルヴィスが怪我をすることを心配しておったらしいが、夕暮れの時間まで目一杯プレーしたエルヴィスは僅かな打撲と擦り傷だけで済んだとのことじゃ!
![]() デイブ・ウェル・コミュニーティー・センターは現在まで存続しており、公式のウェブサイトも開設されておるが、「かつてエルヴィスが~」といった記載はまったく見当たらず。エルヴィスと何らかの関わりのあった会場や施設としては異例じゃ。 現在デイブ・ウェル・コミュニーティー・センターの周囲には複数のグラウンド(もしくは広場)があり、エルヴィスが何処でプレーしたのかは不明じゃ。右写真は、コミュニティーセンター本館の東側に広がるグラウンド。ストリートビュー2023年1月撮影。 |
アニタ・ウッドちゃんと、惜別プレゼント購入デート! 左写真上段2枚は、1958年3月19日夜、エルヴィスがアニタ・ウッド嬢同伴でメンフィスのカーディーラーを訪れた時の写真じゃ。EDDには、2日後の3月21日にアニタ嬢のために軍隊入隊前の惜別プレゼントとして「フォード1956」を購入したと記されておる。さては写真の場所はフォードのカーディーラーか?でも左写真左側、エルヴィスの背後のウインドウにはPLYMOUTH(プリマス)のロゴが見える。 プリマスはクライスラー社のブランドなので、フォードとは別物じゃ。どうやらこの日アニタ嬢へのプレゼント・カーを購入することなく、ただ見に来ただけで2人してディーラーをあとにしたと思われる。(どうでもいいことじゃが、アニタ嬢はちっちゃくて可愛いのお。エルヴィスは彼女のことを“littleちゃん”と呼んでおったそうな~笑) チョイト調べてみたところ、1958年当時メンフィスにプリマスのカーディーラーは確かに存在しており、50年代のディーラーショップの写真(左写真下段)や住所が判明した。 ショップの写真は遠目からの撮影であり、エルヴィスとアニタ嬢の背後のウインドウ写真と照合しても同一なのかどうかは判明しないが、当時メンフィスにプリマスのカーディーラーは他に存在していた記録はネット上では見当たらなかったので上段、下段の写真は同一の場所とした次第じゃ。 交差する場所にあったそうな。サンスタジオ前からユニオン・アベニューを真東に1.6キロ移動した地点。ただし交差点のどの方向にプリマス・カーディーラーがあったのかは不明。右写真はストリートビュー2023年8月撮影の交差点四方の様子じゃ。 |
入隊前の最後の夜を過ごした映画館 1958年3月24日から陸軍に入隊することになっていたエルヴィスは、スケート場のレインボウ・ローラー・ドローム(下記No.648参照)を一週間借り切ってガールフレンドだったアニタ・ウッド嬢や友人たちと遊び、3月23日の最後の夜はスケート場へ行く前に映画鑑賞をしたとされておる。(EDDより)その鑑賞場所がベルビュー・ドライブ・イン・シアターだったという説が強い。(EDDには上映場所の記載は無し)ドライブイン形式の映画館は1930年代後半に出現してからは全米で爆発的なブームを呼び、一時期テネシー州内で約100、50年代のメンフィスにも6つのドライブイン・シアターがあった。映画が“庶民の娯楽の王様”だった時期特有の現象であり、エルヴィスもデビュー前からあちこちの映画館やドライブインを訪れていた記録が残っておるが、入隊前夜に訪れたという事実が以降のベルビュー・ドライブ・インの評判に箔をつけていたことは間違いない!またベルビュー・ドライブインは1955年にマルコ・シアター(エルヴィスが駐禁の切符を切られた映画館で有名)所有になっておった経緯もある。 3月23日にエルヴィスが観た映画はトミー・サンズ主演のロックンローラーの栄枯必衰を描いた「Sing Boy Sing」だったという。この映画は前年にTV放送された「The
Singing Idol」というドラマの映画版であり、モデルはエルヴィスだった。トミー・サンズは元々パーカー大佐が発掘したアイドル・シンガーであり、1954~55年のエルヴィスのローカル・ツアーにも時々参加しておった。この映画の主役にトミー・サンズを強く推薦したのもパーカー大佐だったらしい。 映画「Sing Boy Sing」はアメリカではさほどヒットしなかったらしいが、トミー・サンズの演技は好評を博し、以降の俳優仕事のギャラが3倍に跳ね上がった! それにしても軍役期間中に人気が落ちてしまうことを懸念していたエルヴィスは、よりによって入隊前夜に“ロックンローラの栄枯必衰”なんて映画を観てしまって心情はいかがなものだったんじゃろうか? ![]() ベルビュー・パークも1984年に閉鎖。建物は完全に取り壊され、現在は使途不明の建物が野晒しにされた広場になっておる。バプテスト教会のマークは入口に刻まれておるが、稼働しておる様子はない。(廃墟?)グレイスランドからElvis Presley Blvdを丁度3キロ北上した周囲にある。上写真ストリートビュー2023年1月撮影。 |
![]() レインボウ・ローラースケート・ドロームは、メンフィス移住後のエルヴィスにとって何かと縁の深いラマー・アベニューに存在した複合エンターテイメント施設の敷地内にあったローラースケート場じゃ。その他にもプールや室内娯楽場、地元民が“南部で最高のレストラン”と評していた「テラスルーム」等があった。 上写真3枚は、1960年3月19日、軍隊除隊直後にメンフィスに帰ってきたエルヴィスが深夜貸切り状態にして仲間たちと楽しんだ時のショットじゃ。GIカットからまだ髪の毛がエルヴィスらしく伸び切っていないヘアスタイルもなかなか(笑)また除隊直後だっただけにエルヴィスはロックンロール・スターというよりも、国家重要任務に就いていた人物らしい凛々しい面構えじゃな! 上写真左側のカワイイ女の子は、当時14歳のエリザベス・モス・ウルバートンちゃん。このお嬢ちゃんの素性が分からなかったが、アメリカの2022年物故者リスト・サイトの中に彼女の名前があってびっくり!サイトの中でエリザベスちゃんは“キング・エルヴィスの有名な知人”とされており、“ママ・リズ”の愛称で周囲の人々に親しまれながら長らくメンフィスの病院や企業に務めておったという。生涯エルヴィス・ファンを自認しておった彼女は、2022年に76歳で亡くなったんだそうじゃ。成人されてからも大変にチャーミングな方だったようじゃ。(左写真参照~笑) エルヴィスとこのローラースケート場の関わりは深く、EDDによると、1953年1月30日に最初のガール・フレンドだったディクシー・ロック嬢と初めてデートした場所だった。その為か、エルヴィス関連サイトの一部は、エリザベスちゃんの写真をディクシー嬢としておるが、これは誤りであります。(1960年にはエルヴィスとディクシー嬢はとっくに別れております) ローラースケートを楽しんだ翌日1960年3月20日、エルヴィス、スコッティ、DJはレコーディングのためにバスをチャーしてナッシュビルのRCAスタジオに向かった。(ビルは自身バンド活動のために不参加)早くも本職の向けて再スタートを切ったのじゃ。 なお、1956年3月24日に軍陸軍入隊のためにエルヴィスはメンフィスのケネディ記念病院へ出向き身体検査を受けてから軍役に就くことになるが(「バーチャル~2022年バックイン・テネシー編Area No.34参照)、EDDによると、その一週間前からぶっ通しで閉館後の時間帯にこのローラースケート場を貸切り状態にして友人たちと遊んでおった。下写真左側がローラースケート場入口。下写真右側は、レストランのテラス・ルーム入口。
計画を立てて経営の建て直しを目論んだものの実現せず、1960年代にはメンフィスのAFL-CIOという建築協会に売却された。建築協会は娯楽施設を会議場に改造するなど建物の再利用経営を進めていたものの、その後大火災等で破産となり、1980年代には建物全てが取り壊しになった。跡地はショッピングセンターになっておる。右写真ストリートビュー2019年7月撮影。 |
上記レインボウ・ローラードロームが1960年頃までエルヴィスが貸切状態で遊んでいた場所だったことに対して、それ以降はこちらのメフィアン・シアターという映画館が頻繁に貸切で利用されておった。ネットにアップされておるもっとも古い証明写真が上のモノクロ写真。1962年頃の撮影らしい。メフィアン・シアターは1928年にアメリカン・シアターとしてメンフィスにオープンし、翌1929年にマルコ・シアター(例のエルヴィスが駐禁切符を切られた映画館の前身?)となり、やがてマルコシアター時代に働いていた使用人のケモンズ・ウィルソンなる人物がオーナーになってメフィアン・シアターとなった経緯がある。 エルヴィスは1970年代まで長きにわたってこのメフィアン・シアターを貸切り利用しており、時には噂を聞きつけて集まってきたファンを劇場の中に招き入れて小パーティを行ったりしていたという。70年代の一時期ガールフレンド だったリンダ・トンプソンともメフィアン・シアターで知り合ったという説もある!左写真左側はマルコシアター時代の貴重な写真。 左写真中央はオーナーのケモンズ氏と彼が導入して大人気スナックとなったポップコーンのマシーン。ケモンズ氏は使用人時代に当時50ドルで自腹購入したこのマシーンでポップコーンの劇場内販売を始めたところ、売上額はあっという間に劇場のチケット売上額を越えてしまい、劇場側からポップコーン販売権利を横取りされそうになったことが劇場の所有権を買収するきっかけになったというからオモシロイ!ってエルヴィスとは関係ないハナシじゃがな(笑) 上写真右側はメフィアン・シアターでエルヴィス映画第一弾「やさしく愛して」が上映された際の新聞の広告。上映当時はまだエルヴィスはメフィアン・シアターには来ていなかったらしい! 下写真3枚は、メフィアン・シアターでのファンたちとの写真。同劇場での同じようなショットは他にも多数ネットで公開されておる。プライベート・タイムでは、決まった場所で決まった仲間と引き籠る事が多かったとされるエルヴィスだが、貸切劇場にファンを招き入れて交流していたとは意外、いやいやファンを大切にしていたエルヴィスらしいと言うべきであろう。
![]() 右写真はストリートビュー2023年7月撮影。現状写真をチェックすると、正面入り口左側のポスターをディスプレイする2つのケースと、その中間のガラスブロックは、エルヴィスが写っている最上部写真2枚(左側と中央写真)と見比べるとほとんど変わっていないことが分かる!館内にはエルヴィスが座っていたシートも指定保存されておるという。決して有名でも大資本下でもないが、メンフィスの中では、昔ながらの良質な“街映画館”として、静かに、そして確かに存在し続けておる。 |
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