アップロード:2025年6月23日 |
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![]() 照明が暗くなる。ドラムが鳴り始める。金管楽器が鳴り響く。『2001年宇宙の旅』の音楽がどんどん盛り上がり、最高潮に達する。天国が開くのではないかと期待する。 ロック音楽の最近の創造的革命に目立った貢献はほとんどなく、駄作映画がたくさんあるにもかかわらず、エルヴィス・プレスリーの登場がイベントになるのは、このような盛り上がりがあるからだ。 50年代にはわずか2回しかライブが行われなかったウイスコンシン州(「バーチャル~2022年カナダと国境周辺州後編」 Area No.1参照)に、エルヴィスは1972年6月14日に戻ってきた。会場は州都ミルウォーキーのミルウォーキー・アリーナじゃ。(上写真)冒頭に記したライブ・レビューの書き出しは、当日約10,000人の観客で埋まった会場の緊張感と高揚感を適格に表現しておるな!上ライブ写真、左側は6月15日、中央と右側は6月14日の撮影じゃ。 ライブ・レビューの中に、ライブ内容ではない、チョイと気になる記載があったので紹介しておくぞ。それはこの日のライブは、エルヴィスがライブ・ツアーを再開して以来初めてチケットが完売しなかったということじゃ。実際にアリーナは1,000席ほど空きがあったという。(最高額のチケット代が10ドルという値段設定がミルウォーキー人には高額だったのかもしれないとも!?) まあ1,000席程度の空きに動揺するエルヴィスのはずもなく、ライブはハイクオリティじゃった。ライブ・レビューでは次のように評してエルヴィスを讃えておる。 エルヴィスのショーは信じられないほど素晴らしい。何も悪いところはない。昔からそうだった!50年代半ばの穏やかな時代に、若者の間に共同体意識が生まれたのは、エルヴィス・ザ・ペルビスに対する私たちの両親の怒りがきっかけだった。共同体意識というものは高まるものだ。そしてエルヴィスによって初めてその兆しを見せた性革命は高まり続けるだろう。 ![]() 1974年のライブは、3日前に新聞紙上で「エルヴィス再登場」と特集が組まれたが、その他新聞広告、メディア告知は無く、チケット代金も2年前と同じだったにもかかわらず、今度はメデタク完売!郵便での申込者の内の約1,500人(座席数約4,500)は売り切れにより購入出来なかったそうじゃ。 ライブレビューは、各曲の出来や観客の反応などレポートする価値がない!と言わんばかりの内容じゃ。(左写真は74年のライブ) アイゼンハワー時代の高校生たちは、浴室の鏡でエルビスの流し目を練習し、燃えるような目と丸まった唇をしたヒーローを真似て、思い切り頭皮にワセリンを塗りつけた。 そして今、彼らは立派な若い親や主婦、交通管理者、銀行の窓口係、車のセールスマン、葬儀屋になっているが、エルヴィスは依然として彼らのお気に入りだ。クロスビーやシナトラやビートルズでさえ、これほど長い間、これほど多くの人々を魅了したことはない。 結局のところ、他の誰よりもロック ミュージックをアメリカ人の生活の一部にした人物はエルヴィス自身です (ロックのビートの要素が少しでも含まれていないテレビ コマーシャルのテーマを思 ![]() ![]()
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“132年前の100万ドル・ホテル”にエルヴィスは泊まった!![]()
フィスター・ホテルは1893年に当時破格の100万ドルをかけて建設/オープンした、全米でも屈指の歴史的豪華ホテル。現在、アメリカの歴史的建造物の保存に取り組むナショナル・トラスト歴史保存協会に認定されておる。 エルヴィスは70年代4回のミルウォーキー・ライブの際はこのフィスター・ホテルを利用したとされておるものの、宿泊中の写真はネット上では見つからず。上写真右側はホテル内の何処かで撮影されたとされる1枚じゃが、真相は?しかしこれまで見たことのないステキなシャツを着ており、ブラックのジャケットもハイクオリティっぽい。フィスター・ホテルに出入りするに相応しいファッションと言えるかもしれない。一応撮影日は1972年6月14日ライブ当日とされておる。 ![]() Elvis Presley stayed at The Pfister after one of his performances in Milwaukee. During his stay, he requested that fresh Kentucky bacon be ready at all times in case he wanted some. (エルビス・プレスリーは、ミルウォーキーでの公演の後にザ・フィスターに滞在しました。滞在中、彼はいつでも新鮮なケンタッキーベーコンを食べたいときに用意しておくように頼みました。) Facebookに添付されておった写真は、1977年4月27日、最後のミルウォーキー・ライブの写真だったのがちょっと残念。(左写真) ケンタッキー・ベーコンってのをちょいと調べてみたが、ケンタッキー州では厚切りベーコンとレモンなんとかソースをあえた七面鳥のサンドイッチが伝統料理とか。エルヴィスはそのベーコンが好きだったのかもしれんな! ![]() ![]() |
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アメリカでマディソンと言えば、ニューヨークのマディソン・スクエアガーデンか、オハイオ州マディソン郡が舞台となった世界的に大ヒットした小説/映画「マディソン郡の橋」を想起するが、ウイスコンシン州のマディソンには有名なエルヴィス伝説が今もなお生き続けておるぞ! ウイスコンシン州マディソンは同州の州都であり、ミルウォーキーに次ぐ同州第二の人口を擁する街じゃ。ここでエルヴィスは1976年10月19日、1977年6月24日の二度ライブを行っておる。“エルヴィス伝説”とはライブではなくて、エルヴィスが急逝する52日前の77年6月24日未明(午前1時頃)、宿泊先のシェラトン・インに向かう途中のエルヴィスが、ガスステーションで2人の男性が店員を殴り倒しておる場面を目撃したことで生まれたエピソードじゃ! ![]() 地面に倒れた店員にさらに殴り掛かる2人をぶちのめしたわけではなく、その場でエルヴィスは空手の型をいくつか披露してみせて「俺と勝負するか?」と言ったと伝えられておる。突然泣く子も黙るキングが登場して空手の型で威嚇してきたことに2人はビビッタのか事態は収まり、エルヴィスは「これで解決しただろうな?」と言い残して現場を去っていったという。 このエピソードは即座に広まり、すぐに地元で新聞記事になった!後年ガスステーションが撤去された後に、「Elvis Presley Fight Scene」と刻された記念碑が跡地に設置されたのじゃ!(左上写真左側が在りし日のガスステーション~撮影日不明) ![]() |
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![]() その代わりに?エルヴィス・ライブ史上、ライブ当日の会場写真の最高傑作と言える素晴しいショットを見付けた。(左写真)開門を待つ大観衆たちが秩序良くぐるりと会場周囲を取り囲む全容を見事に捉えておる! 巨大なサーカス小屋の様な会場の全貌、綺麗な雲が浮かぶ空、そして当時としては珍しいパノラマ撮影による緩く湾曲した風景、モノクロ写真ながらも「これからこの場で何かが起こりそう!」な迫力ある写真じゃ!スライド写真とトップ写真3枚を含めたライブ写真はエルヴィスの上機嫌さが伝わってくるものばかりであり、ライブのクオリティも高かったに違いない。 そして1977年6月24日、つまり「喧嘩仲裁」があった同日の夜のライブは、デーン・カントリー・コロシアムに約12,000人の大観衆を集めて、ミルウォーキー州史上非慈善コンサートとしては最大の収益を上げたとされておる。しかしライブレビューを読むと、約20時間前の勇ましい行為とは正反対に(?)、当時のライブの“悪い部分が全て出てしまった”とされておる。下ライブ写真3枚を見る限りでは体調はさほど悪くはなさそうじゃが、この夜のエルヴィスは「約70分間のライブ時間において、静かに座ってライブを鑑賞している客ではなくて、最前列の席まで押し寄せてきて熱狂し、激しくスカーフを求めたりする女性ファンに終始気を取られ過ぎているように見えた」とされておる。 アメリカ人のライブレビューにはある特徴がある。絶賛しても酷評しても、評価のベクトルが極端な方向に向けられると際限が無くなるのじゃ。この日のライブは“最悪”とされておるので、これ以上詳しく転載するのは止めておこう。ただし、この日のエルヴィスの調子の悪さ(例えば、声が出ない、歌詞を忘れる、演奏と歌が合わない等)を物語る小さな事実だけは記しておこう。 ステージ近くの席を陣取っていた女性ファンたちの熱狂がライブのオープニングから激し過ぎ、エルヴィスは中々ライブ・モードへスイッチが入らなかったことは間違いなさそう。そこでエルヴィスのこの日の異変に気が付いたのがチャーリー・ホッジ。かなり早い時間帯からファンサービスするスカーフをエルヴィスに渡し始めたようじゃ。なんとか会場全体を盛り上げてエルヴィスをノセようとする、また女性ファンを早めにクールダウンさせようとするチャーリーなりの機転だったのかもしれないが。(下写真中央の左端にチャーリーが写っておる)
「もし観客が騙されたと感じたのなら、彼らにはそう感じる権利がある。観客は、おそらく、一つのイベントに集まる人々の中で最も多様なグループだった。十代の若者、おばあちゃん、夜の街に繰り出す女性グループ、そして家族全員が参加した。蜂の巣状にまとめられた髪や、アイロンでまっすぐな長い髪の束が見えた。エルヴィス風の髪型の男性と、長くぼさぼさの髪の男性が並んで座っていた。彼らは皆、もっと“良い扱い”を受けるに値する」 ![]() ![]() アライアント・エネルギー・センターの広大な敷地内には他の中規模イベント会場や多目的パビリオンもあり、センター全体で毎年500件以上のイベントを開催して100万人以上の観衆を集めているマディソン最大のイベント施設である。右写真ストリートビュー2017年5月撮影。 なおデーン・カントリー・コロシアム(現ベテランズ・メモリアル・コロシアム)は、アライアント・エネルギー・センターの本部建物と同じ住所で登録されておるが、エネルギーセンター本部の北側約280メートルに位置しておる。 |
流れ星にのったキング・・・
![]() まず、このブラウン・カントリー・ベテランズ・メモリアル・アリーナーがかつて存在していた場所アッシュウォーべノンじゃが、ミルウォーキーから五大湖のひとつであるミシガン湖沿いに約160キロ北上した場所に位置しており、ほとんどの私設エルヴィス・サイトにおいては都市名がグリーンベイと表記されておるので、今後検索される方は要注意!グリーンベイとはアッシュウォーべノンを含む周辺地域一体の総称であり、会場の住所はアッシュウォーべノンじゃ。 1977年4月28日、上記Area No.3でご案内したミルウォーキー・アリーナでのライブ翌日にエルヴィスはこの会場へやってきた。この日のライブ・レビューは、エルヴィスが亡くなった後に書かれたのかと感じるような箇所があり、最晩年のライブで必死に格闘していたエルヴィスに向けて精一杯のポジティブな評価が書き残されておる。 ![]() 「グリーンベイのキングになったエルヴィス。流れ星をつかむ」 「世界最高のエンターテイメントだと信じていたエルビス・プレスリーのコンサートを6週間待ち続けた後、6,534人のエルビス・プレスリーの熱狂的ファンは、木曜の夜、ブラウン・カウンティ・アリーナで流れ星を目撃した。死にゆく伝説の人物にも不気味な魅力があり、ミシシッピ州生まれの42歳の歌手を見るために12.50ドルから8.5ドルのチケットを支払った集まったファンの誰一人として、騙されたと感じた人はいなかっただろう」 「レパートリー全体を通して、プレスリーは昔のスタイルを失ってはいなかったが、その晩のほとんどの間、苦しい時間を過ごしていた。」 「メドレーのロック曲の中には、監獄ロックやハウンド・ドッグなど、昔のプレスリーの感情的な原動力を盛り込んだものもあったが、ツアーを終えて疲れ切ったパフォーマーの、掘り起こされたようなスタイルだった。そして、常にステージに飛び乗ろうとする最前列のファンの向こうの観客とコミュニケーションを取るのに苦労しているようだった。プレスリーは、困難な状況から抜け出すためにスカーフのルーティンに頼った」 ![]() ![]() |
エルヴィスが大好きだった木製ジェットコースターが移設された遊園地![]()
![]() ウイスコンシン州2025年編のラストは、かる~いノリで遊園地へとご案内しよう。こちらはミシガン湖の南西沿岸に広がる、19世紀末から存在するふる~い遊園地、ベイビーチ・アミューズメント・パークじゃ。ウイスコンシン州でのライブの際にエルヴィスが遊びに来ていたわけではないので、厳密には“エルヴィスゆかりの地”ではない。しかしここにはエルヴィスが大好きだったジェットコースターの“ジッピン・ピッピン”があるのじゃ。 左モノクロ写真は、メンフィスのフェアパークというイベント会場にあったジッピン・ピッピンで遊ぶエルヴィスとアニタ・ウッド嬢。1960年の写真じゃ。エルヴィスはフェアパークおよびジッピン・ピッピンに長らくハマっていて、事あるごとに貸切状態にして仲間たちと遊んでおったことは有名じゃ。リサ・マリーちゃんの誕生日に家族とやって来たり、また死亡する8日前にも仲間たちを連れてきて夜通しはしゃいでおったという。 メンフィスのフェアパークは21世紀に入ると経営難に陥った後に閉鎖。アトラクションの数々は数年間野晒し状態にされておったところ、最初はノース・カロライナ州の観光庁がアトラクションを買収したらしいが、結果としてジッピン・ピッピンはウイスコンシン州が買い取ることになった。 カートや昇降台の骨組は木製(松の木らしい)であり、その耐久性がいかほどなのかは詳しい資料が見つからないので不明じゃが、一度解体された後に耐久性がチェックされて使用可能な資材はベイビーチ・アミューズメント・パークに持ち込まれて組み立て直されたという。 2011年にウイスコンシン州で復活した“エルヴィスの愛したジェットコースター”は話 ![]() ![]() |
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