
| アップデート:2026年10月9日 |
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| 【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地 第110回 テキサス州2026年 Vol.3 ・Area No.は2022年度編からのテキサス州内の番号。 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。 |
【フォートワース】 Area No. 98/Serial No.753 Area No. 99/Serial No.754 Area No.100/Serial No.755 Area No.101/Serial No.756 グレーター・サウスウエスト・インターナショナル・エアポート跡地 Area No.102/Serial No.757 シェラトン・フォートワース・ホテル Area No.103/Serial No.758 グリーン・オークス・イン跡地 【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】 ★右下地図をクリックすると拡大表示されます。(クリック↓) ![]() ★ 本文中の表記について ★ Google-map上の位置が表示されます。 SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト EDD=「Elvis Day By Day」 エルヴィス・デイリー記録集 EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト) HAC=ヒストリック・アエリアルス(アメリカの空撮サイト) |
テキサス州編2026年後編は、50年代にエルヴィスが宿泊したフォートワースのブラックストーン・ホテルとウエストブルック・ホテルのご案内から始めよう。後者はSMWの中で1956年4月20日にエルヴィスが泊まったことが記載されており(下記Area
No.100参照)、ブラックストーン・ホテルについてはSMWは触れておらん。しかし複数のテキサス州観光関連サイトの類にエルヴィスがブラックストーン・ホテルに宿泊したことが明記されておる。これを事実とするならば、1955年5月29日か1956年1月20日のいずれか、もしくは両日となる。(1956年4月20日を含めてこの3日、フォートワースのノース・サイド・コロシアムでエルヴィスはライブを行っておる。(「バーチャル~テキサス州2023年中編」Area No.30参照」) 1929年の完成当時、この23階建てのホテルの高さは82メートルあり、フォートワースのダウンタウン内で群を抜く高度であった。また周辺地域唯一のアールデコ建築様式を取り入れた高層ビルであり、完成当初の外壁は明るいブラウンカラーのテラコッタ(ブラウン系の焼き物の様なカラーの建築素材)で仕上げられておった。上写真は1940~50年代頃に撮影されており、光の当たり具合で黄土色っぽく写っておるのじゃろう。雲を突くような高度に上述した独特の建築様式、さらに屋上のプールエリアや豪勢なボールルームが評判を呼び、歴代の大統領や映画スター、そしてエルヴィスら各界のセレブたちがこぞってブラック・ストーン・ホテルに宿泊した。彼らの宿泊に敬意を表して、現在ではレッドカーペットが敷かれたスペシャル・ショーケースが 館内に設けられておる。もちろんエルヴィスの写真も飾られておる。(右上写真)1956年1月20日にエルヴィスが泊まったのであれば、RCAとの契約直後であり、「さあ、これから天下を取るぞ!」と意気軒高だった若きキングに相応しい超高層なセレブリティ・ホテルだったに違いない! |
1956年4月20日のフォートワースでのライブの際の宿泊したホテルが、こちらウエストブルック・ホテルじゃ。(左写真)2つの大通りに挟まれた敷地の大半を使って1910年に完成した、長らくフォートワース最大のキャパを擁した大型ホテルじゃ。上記ブラック・ストーン・ホテルのわずか北西1ブロック先(約150メートル)に建てられておった。エルヴィスとウエストブルック・ホテルについてわずかながら記載された新聞記事がSMWに転載されておる。 喫煙も飲酒もしないプレスリーは、バイクに乗るのが好きだと語る。また、キャデラックを3台所有している。金曜日の夜、宿泊先のウエストブルック・ホテルからコロシアムまで、そのうちの1台を運転した。「ノース メインストリートでガソリンが切れて、少し歩かなければならなくて、あやうくショーに間に合わないところでした」と彼は笑った。 ノース・メイン・ストリートとは、ウエストブルック・ホテルとライブ会場ノース・サイド・コロシアムをほぼ一直線で繋ぐ大型幹線道路であり、ホテルと会場との距離は約5キロ。車では8分程度で到着するが、徒歩なら1時間近くかかる。キャデラックのガソリンが切れたのはどのあたりだったのじゃろうか!(笑) ウエストブルック・ホテルは1978年に閉業、爆破解体されたが、ホテル内の備品をはじめ、オーナーのベンジャミン・ジョンストン・ティラー家の財務履歴の他、ホテルの経営と日々の資金調達等で発生する記録、法的文書、会計台帳、議事録、ゲスト請求書、さらにティラー家と従業員に関する個人情報記録帳等が「ウエストブルック・コレクション」の名で丁寧に保管されておる。その一部はネット上で公開されており、エルヴィスの直筆サイン入り宿泊者カードもある!(下写真左側。その他3枚の写真は1956年4月20日のライブ写真)
場の中には爆破しても破壊し切れなかったホテル内の大理石の床が残り、その上に無造作に車が駐車されていたというオハナシがあるそうじゃ。現在はウエストブルックの名を引き継いだ商業テナントビルが建てられておる。右写真はストリートビュー2025年1月撮影。 |
![]() 1956年4月20日以来16年ぶり、1972年6月18日にエルヴィスはフォートワースでライブを行った。16年前の思い出を観客に語り、「でも16年前と違ってギアが壊れるから腰は動かさないよ」とジョークで謝罪した後に「ハウンドドッグ」を歌ったりしたエルヴィスは終始上機嫌だった! 更に1974年6月15日、16日、1976年6月3日(さらに同年7月3日)と、丁度2年ごとに同会場でライブを行った。 1972年のライブレビューには、あらゆる世代のファンを熱狂させてしまう、エルヴィスの稀有な魅力について書かれておる。 「子供からおばあちゃんまで幅広い年齢層の膨大な崇拝者にとって唯一無二のミスター・ワンダフルであるエルビス・プレスリーは、昨夜、タラント郡コンベンションセンターアリーナに記録的な14,122人の観客を詰め込んだ。 そして観客の反応から判断すると、セクシーなメンフィスの少年がこれまでに持っていたものは、今でも残っているし、ただより成熟している。少女たちが彼のために叫ぶ声は、1956年のノースサイド・コロシアムそのものであり、はるかに若かったプレスリーが別の世代のために歌ったときとまったく同じだ。」 「プレスリーと観客とのコミュニケーションは素晴らしかった。実際に多くの女性が彼に手を差し伸べていた。しかも、若い女性だけではない。フォートワースで憧れのエルヴィスに会いに来た熱烈な女性のうちの一人はジョージア州の68歳のご夫人だ。 プレスリーがあらゆる年齢層に魅力的であることを示すさらなる証拠は、カリフォルニアからプレスに届いた次の手紙である。 “拝啓。私の86歳の母はエルビスの大ファンです。母にとって、彼自身を見ることの次に素晴らしいことは、彼のライブに関する記事を読むことです。6月18日のフォートワースでのエルビスのライブに関する貴紙のレビューやインタビューをお送りいただければ幸いです。郵送料として 15 セントを同封します” もちろん、そうする!」 (※左モノクロ写真3枚は74年マチネーのライブ撮影)74年6月15日のライブレビューでは、妊娠9ヶ月の21歳の女性がライブのラストでステージに突進したアクションの描写に大半が割かれておる。また別のレビューでは、女性客たちの当日のファッションについてレビューの3分の1が費やされておる!「超ローライズのパンツと超ライズのトップスは、恐らくどのオレンジ畑でも見つけられるよりも多くのへそを露出していた。最も高価な10ドル席に座った観客は、保守的なスーツと白いエナメル革の靴を履いたビジネスマンでいっぱいだった」と。エルヴィスの絶好調ぶりを伝えるレポなんて今更ジローだったのか、感動し過ぎたのか! 「土曜日の午後、キングはここで、シャープで、アップタウンで、プロフェッショナルなショーを披露した。白いベルボトムと腰までの長さのジャケットを、体にぴったりと、あるいはゆるめに(状況に応じて)着こなしたエルヴィスは、ショーを掌中に収めていた。」 「彼は明らかに温かい観客の前でリラックスし、心地よさそうにしていた。バックミュージシャンや歌手との気楽な関係がショーを盛り上げた。エルヴィスはショーと卓越したショーマンシップに浸っている。時々、自分自身をパロディ化していた。純粋なラスベガスのプロだった。ショーが終わると、不満を抱いたエルヴィスのファ ンはどこにもいなかった!」そして最後はステージに突進した妊婦さんの言葉で締め括られおる。 「何よりもよかったのは、エルヴィスが私に触れてくれたことです。とにかく、それが私が望んでいたことのすべてでした。ただ、彼を見ると何が湧いてくるのかわかりません。彼を愛しているの!夫は絶対に信じないでしょう。」 (※右写真2枚は1976年6月3日のライブ撮影。) ![]() また音響が優れた会場であり、エルヴィスの度重なる登場以外にも70年代にロック史に残る名演が残されておる。特にローリング・ストーンズがライブ映画「レディース・アンド・ジェントルメン」用に撮影/録音を行い、ボブ・ディランが旧友ザ・バンドを従えてカムバック・ライブを行い、イーグルスが「ホテル・カリフォルニア・ツアー」で3度も使用したりと、多くの伝説を作ってきた会場じゃ。 時代の経過とともに、タラント・カントリー・コンベンション・センターには新しいイベント会場が隣接して増築され続けておる。 アドレスによってGoogle-mapで場所を確認してみると、93年に「フォートワース・コンベンション・センター」と改称された後に隣接増築されたアリーナの方がヒットする。昔ながらの「空飛ぶ円盤アリーナ」はその北隣に今でも存在しておる。左写真ストリートビュー2025年1月撮影。 |
“職場復帰”直前の熱烈ゲリラ歓迎!?
ちなみに上写真下段左側は、同日ウィチタ・フォールズに到着した後、ライブ会場ヘンリー・レビット・アリーナ(「バーチャル~カンザス州2026年編」Area No.5参照)入りするエルヴィス。こちらはステージ衣装に着替えて颯爽としており、フォートワースの空港での表情とは正反対!キング様の「素」と「公」との違いを御覧下され(笑) この空港の歴史に関して、ネット資料だけは衰退と閉鎖の理由が判然としないが、1968年には民間の航空会社が乗り入れを廃止し、以降は空軍の飛行訓練に使用されるだけになった。つまりエルヴィスが使用した1972年6月19日には一般客には利用されておらんかった。車から降りたエルヴィスの周囲にファンの姿がまったく見 当たらないはずじゃ。“エルヴィス追っかけちゃん”たちも、まさか既に事実上閉鎖した空港からエルヴィスが飛び立つとは予想出来なかったに違いない。 |
ケネディ大統領が最後に安らぎ、エルヴィスが最上階まで一気に昇ったホテル 1972年のフォートワース・ライブの際にエヴィス一行が宿泊したホテル。上述したエアポートからホテルに直行した一行の行動がライブ・レビューの中に次のように記載されておる。「日曜の午後シカゴから2機のビジネスジェット機と自前のプロジェット機に乗り、フォートワースのグレーター・サウスウェスト空港に飛んだ。彼らはコマース通りにあるシェラトン・フォートワースのタワー別館にチェックインした。 一日中、大勢のプレスリーのファンが、彼がシェラトン・タワーのロビーに入るのを待ち望んでいた。しかし、彼らの期待は裏切られた。エルヴィスを乗せた長い黒いリムジンがホテルのガレージに突入し、止まることなくガレージの 5 階までスロープを駆け上ったのだ。車から降りた後にプレスリーはすぐにエレベーターに乗って13階のスイートルームへ。これは午後4時45分のことだった。」 エルヴィス一行が泊まったのは、Tower Annexと呼ばれる別館。(おそらく、上写真に写る2棟のうち左側の棟)1968年に旧テキサス・ホテルからシェラトンにオーナーが変わった2年後に大規模な改修工事が行われ、5階建て駐車場の上に高さ49メートルの8階建て客室ビルが増築され、それがTower Annexと呼ばれた。ライブ・レビュー内の“13階”とは、駐車場の5階分をカウントした階数じゃ。なお エルヴィスのライブ会場となったタラント・カントリー・コンベンション・センターの本部はシェラトンの中に設置されていた。ちなみに、エルヴィス以上にこのホテルの有名宿泊者は、J.F.ケネディ元大統領じゃ。凶弾に倒れる前日、1963年11月21日にシェラトン805号室にジャクリーン夫人と宿泊し、翌日暗殺される数時間前にシェラトンのボールルームで生涯最後の演説を行っておる。 |
エルヴィスの宿泊情報が漏れて、250人のファンが押し寄せたローカル・ホテル
「エルヴィスに熱狂するファンがロック界の「キング」を見るために集まる!~フォートワース - エルビス・ファンの熱狂は、250人がヒーローを一目見ようとグリーン・オークス・インに集結した金曜の夜から始まった。彼らの努力は無駄に終わった。土曜日もエルビスの熱狂的ファン数千人が、ヒーローのオープニングショーを見るために州内外のあらゆる場所から町に押し寄せた。」 エルヴィスのライブ・スケジュールを確認すると、1974年のサマーツアーは約2週間の休暇を経て6月15日のフォートワースからスタートしており、EDDによると6月13日にエルヴィスはロサンゼルスからメンフィスに戻っておるので、14日に空路でメンフィスからフォートワース入りしたようじゃ。これまでも何軒か70年代中期からエルヴィスが極秘で泊まったモーテルを紹介してきたが、いずれもファンの殺到を避けるために極秘にセレクトされたモーテルだったようじゃが、グリーン・オークス・インへの宿泊情報はマスコミは元より、一般のファンにまで事前に漏れてしまっていたようじゃな!(6月16日発行の地元新聞にはエルヴィス一行がグリーン・オークスインに泊っていることが報道されておる)上右写真2枚は、1974年6月15日ナイトショーとショー後に会場を引き上げるエルヴィス。 エルヴィス宿泊に関する詳細情報は一切見付けられなかったが、グリーン・オークス・インを懐かしむ人たちの小規模なネット・チャットがあり、その中で「エルヴィスが部屋を出てリムジンに乗り込んでライブ会場へ向かう姿を目撃した」という書き込みがあった。 グリーン・オークス・インは、ダラス郊外まで足を運ぶ国内旅行者向けに1965年にオープン。レベルの高いレストランと、腕のいいミュージシャンが出演するクラブが人気が高く、また美しいプール・エリアが週末になると家族連れで賑わったモーテルだったが、2007年には閉業、取り壊しとなった。跡地には配送業センターが建てられておる。なおGoogle-mapには「Green
Oaks Hotel(廃業)」と表示されておる。右写真ストリートビュー2023年12月撮影。 |
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