NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.491


第109回 エルヴィスゆかりの地~テキサス州2026年 Vol.2

アップデート:2026年9月23日
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テキサス州ファイナルツアーの2回目は、デビュー当時からエルヴィスを支持してきたヒューストンが中心じゃ。70年代になってからもエルヴィスは当地で頻繁にライブを行っており、中でも当時“世界で8番目の不思議”と言われた巨大なアストロドーム、その敷地内のアストロ・ワールド・ホテルに注目して頂きたい!その他70年代最高&最悪と評されたライブの会場もあるぞ。メンフィス、ハリウッド、マイアミに次ぐ、エルヴィスの歴史上の重要地域と言えるヒューストンでの活動詳細をこれを機にじっくりと脳みそに刻み込んでくれ!!

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第109回 テキサス州2026年 Vol.2

 ・Area No.は2022年度編からのテキサス州内の番号。
 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。

 Area No.92/Serial No.747  アストロ・ドーム/ヒューストン
 Area No.93/Serial No.748  アストロ・ワールド・ホテル/ヒューストン
 Area No.94/Serial No.749 ホフヘインズ・パビリオン/ヒューストン

 Area No.95/Serial No.750 ザ・ホワイトホール・ヒューストン/ヒューストン
 Area No.96/Serial No.751 ザ・サミット/ヒューストン
 Area No.97/Serial No.752  フェミス・フェア・アリーナ跡地/サン・サントニオ


【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

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SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト
EDD=「Elvis Day By Day」 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト)
HAC=ヒストリック・アエリアルス(アメリカの空撮サイト)


 世界最大のドームスタジアムにキング登場!
Area No.92/Serial No.747 アストロ・ドーム/ヒューストン
 テキサス州ヒューストンに1965年にオープンした「アストロ・ドーム」は、当時世界最大の収容人員数(44,500人)を誇るドーム・スタジアムじゃ。(左写真)現在はアメリカでも日本でも当たり前に存在するドーム・スタジアムの歴史はアストロドームから始まったと言え、オープン当初は「世界“8不思議”のひとつ」とまで言われた。
 エルヴィスは1970年2月27日から3月1日まで、1日2ライブ、合計6ライブをアストロドームで開催。エルヴィスのアストロ・ドーム登場は、2月27日から3月8日までドームで開催された「ヒューストン・ロデオ・アンド・ライブ・ストック・ショー」(以下HRLS表示)の中のメイン・イベントじゃ。「HRLS」はヒューストンの見本市フェア(家畜の品評会やオークション、馬術大会、その他エンターテイメントショー)であり、エルヴィスが3日間登場したことで、1970年のHRLS開催期間の来場者は過去最高の40万人越えを記録した!
 1970年度のHRLS来場者約40万人の中で、エルヴィスのライブ鑑賞者は6ライブ合計で15万人以上、特に初日ライブではほぼ満杯の43,000人の大観衆が訪れた。エンターテイメント史の中でも、またエルヴィスの単独ライブ史の中でもこの数字は過去最多のぶっちりぎりNo.1記録。記録自体は喜ばしいが、残念なのはネットにアップされたライブレビューが、凄まじい観客数と巨大な収益金を強調するあまり、ライブ描写がほとんどされていないことか(笑)
 アストロドームにおける6回のライブのうち、さすがにキャパがデカ過ぎたためか、観客席に空席が目立った日もあったが、それでも過去最大の成功を収めたHRLS側はエルヴィスの功績を讃えて、3月1日の最終ライブ日にドーム内で行われた記者会見の場でエルヴィスに記念の特製ゴールド・ロレックスを贈呈しておる。(上写真左側)左写真中段カラー写真3枚は記者会見の場のエルヴィス。またRCAからも、これまでのレコードの凄まじい売上を記録した、ホワイトマット仕様のスペシャル・ゴールド・ディスク5枚がエルヴィスへ贈呈された。(上写真右側) 
 記者会見での応答については、「今回はドームとホテル以外には何処にも行っていない」とのお決まりの台詞以外には下記のエルヴィスの簡潔なコメント内容がネットにアップされておる。
「ドームでの仕事は大変だと分かっていました。ちょっと怖かったですが(キャパが大き過ぎて?)私は、出来る限り一生懸命働いて、ショーを終えて帰るだけだと決めました。初日の夜は、自分の声が反響し続けて音響システムに悩まされました。しかし専属のエンジニアがその問題をすべて解決してくれました。」


 アストロドームの誕生は、単に降水量が多い地域の天候状況だけではなく、夜間に大量発生する虫が屋外会場の夜間照明に群がる被害からの回避も大きな要因であったという。
 オープン当初は天然芝が敷かれ、自然採光可能なパネルが屋根に貼られたが、デイゲームには太陽光が反射してベースボールのプレーに支障をきたすことからパネルを別素材に張り替えたところ、今度は天然芝が枯れてしまい人工芝にチェンジ。人工芝も改良が重ねられ、天然芝に近い感触のアストロターフが開発、採用されることに。
 アストロターフは今では日米の人工芝球場の大半で使用されておる。巨大な屋根付きスタジアムの様々な歴史を作ってきたのがアストロドームなのじゃ。
 2008年に老朽化から閉鎖となったが、2014年に歴史的建造物登録財に登録され、現在でも取り壊されることなく建物は存在しておる。右写真ストリートビュー2024年5月撮影。

 なおエルヴィスは1974年のHRLSにも登場。この時は3月3日の一日だけの出演であった。(下写真3枚)


 エルヴィスも唖然・・・「派手過ぎじゃね?」
Area No.93/Serial No.748 アストロ・ワールド・ホテル/ヒューストン

 アストロドームでのHRLS出演に際して、エルヴィス一行が宿泊したホテルが、広大なドーム敷地内にあるアストロ・ワールド・ホテルじゃった。(左写真)
 1970年度のHRLSは、正確には家畜品評会だけは2月25日にスタートし(各種イベントは27日から)、エルヴィスはこの25日にホテルにチェックインした。
 アストロドームに遅れること約4年、1969年にオープンしたこのホテルの最上階スイートルームは当初「世界でもっとも豪華な部屋」というフレコミであり、お値段は当時の価格で1泊3,000~5,000ドルであり、超セレブたちが長期滞在していたこともあって滅多に他者からのブッキングは受け付けなかったという。エルヴィスが泊まったということは、やはり“キングは別格”ということだったのじゃ。
 
 エンタメ・アリーナ、遊園地、そしてホテルを広大な敷地内で同時運営するという3点セットは、果てしなく資金のある70年代以降の巨大企業の究極的な理念であり、先陣を切って実現してみせたのが“アストロ・ドーム・グループ”だったらしい。
 アストロ・ドームは「世界8番目の不思議」とまで評されて全米の話題を独占した一方、アストロ・ワールド・ホテルは数多くの豪華なスイートルームがそれぞれ独自のテーマで構成されており、自称「世界一豪華なホテル」。スイートのテーマは、サファリ・ルーム(マイケル・ジャクソンご用達の部屋だった)、ヨーロッパ中世の部屋、メキシカン・アカプルコの部屋等多岐にわたっておった。エルヴィスがどのテーマのスイートに宿泊したのかは不明じゃけど、「ちょっと派手過ぎだ・・・」というコメントを残したそうじゃ。残された当時の写真や映像を見ると豪華というよりも、「世界中の超高価で希少な素材をあやゆる部分に贅沢に使用しております」みたいな“究極の成金趣味”じゃ!?
 下写真3枚は近年の撮影のようで、1970年代当時はもっと毒々しいまでに派手だったようじゃ。常に外界のスポットライトに照らされ続けるエルヴィスにしてみれば、ここに戻って来てもとてもじゃないが気が休まらないような配色、デコレーションだったのじゃろう。優越感ではなくて、却って世間から隔絶された孤独の世界へ追い込まれそう!?(って、小市民のひがみじゃけどな)


 2月25日にチェックインしたエルヴィスは、その後ホテル内で記者会見を行っておる。一部の私設エルヴィス・サイトではアストロドーム内とされておるが、ドームでの記者会見は上記Area No.93でご紹介した通り3月1日じゃ。左写真の通り、エルヴィスがスカーレットのシャツにホワイトのノースリーブ・ジャケを着た写真は2月25日アストロ・ワールド・ホテルでの記者会見写真じゃ。会見の模様を一部抜粋しておこう。

Q: テキサスに来ることを決めた理由は何ですか?
エルヴィス:実を言うと、私はここテキサスでキャリアをスタートしました。最初に仕事をしたショーはここ、ヒューストン周辺、そしてテキサス全土だったと思います。

Q: テキサスでどの場所で働いていたか覚えていますか?
エルヴィス:そうだね、ヒューストン、コーパスクリスティ、ここの小さな町すべてで働いたよ…ロングビュー、名前を挙げればきりがないけど、本当にどこにでも行ったことがあるよ。

Q: あなたはロックンロールの王様として知られています。あなたのスタイルは、あなたがキングだった頃と比べて変わったと思いますか、それとも今でもあなたのスタイルのままだと思いますか?
エルヴィス:全体的には改善されたと思います。全体的なサウンドが向上しました。つまり、曲に合わせていると思います。

Q: 今回のチャンスを捉えて、アストロドームを満席にするために何をするつもりですか?
エルヴィス:まあ、僕がやっているようなタイプの曲になるだろうね。いろんなものが混ざってるんだ。ロックとカントリー&ウエスタンが少しずつ入っています。

Q: カントリーミュージックへの関心が高まっていることについて何かご意見はありますか?
エルヴィス:素晴らしいと思います。カントリー ミュージックは、私の音楽スタイルに常に影響を与えてきました。カントリー ミュージック、ゴスペル、リズム アンド ブルースが融合した音楽です。すべてが融合した音楽です。子供の頃、私はそれらすべてに影響を受けました。

Q: 15年前と比べて、今はギミックが増えていると思いますか?
エルヴィス:そうですね、おそらくもっと多くのギミックがあると思いますが、エンジニアは向上したと思いますし、全体的なレコーディングの技術も向上したと思います。

Q: ドームでのステージについて、何か特別なものはありますか?
エルヴィス:いくつか試してみて、うまくいくかどうか見てみましょう。良いショーを見せられたらいいなと思います。それが一番大事なことです… 良いショーを見せられたら、何かやったような気分になります。

このホテルは最上階のスイートにお金をかけ過ぎて減価償却の段階からかなり経営的に苦戦しており、オープンから今日に至るまで差押え1回を挟んで頻繁に売却/買収が繰り返されており、現在はプラザ・ホテルがオーナーとなっており、大掛かりな医療センターも含まれておる。正式名称はクラウン・プラザ ホテル・ヒューストン・ニアリライアント/メディカル センター。右写真はストリートビュー2024年5月撮影。旧アストロドームのエントランスは300メートルほど離れた地点にある。

第二期黄金時代のヒューストン・ファースト・ライブ会場
Area No.94/Serial No.749 ホフヘインズ・パビリオン/ヒューストン

 デビュー直後の1954年年末からロードサーキットでヒューストンを訪れていたエルヴィスは、1956年まで合計21回ヒューストンでライブを行った。
 上記ヒューストン・アストロ・ドームでのライブは、州を上げての年に一度のビッグ・フェスであるヒューストン・ロデオ・ライブ・アンド・ストックショーへのスペシャル出演であり、このフェス抜きに70年代のヒューストン・エルヴィス単独ライブ”は、1971年11月12日ホフへインズ・パビリオン(左写真)が初めてである。同地では1956年10月13日サム・ヒューストン・コロシアム以来(「バーチャル~テキサス州2024年後編」Area No.59参照)
15年ぶりの登場じゃ。(上写真3枚)

 この会場では1975年6月4日、5日(下写真2枚)にもエルヴィスは登場しておるものの、参考になるライブレビューはネット上に無し。アストロドームも同様に純然たるライブレビューが無いに等しい状態であり、EPC等で今後あらたにアップされるのを待つしかないのが現状じゃ。
 唯一アップされておる71年11月12日のライブ・レビューを一部抜粋しておくが、失礼ながらメディアに掲載されるような内容とは思えないが、一応参考までに。

「エルヴィス・プレスリーは、何年経っても、いまだに魔法のような人物だ。金曜の夜、この伝説を見るために多くの雑多な群衆がホフハインツ・パビリオンに集まった。」

「彼がステージの前に立つと、あらゆる方向からフラッシュがたかれた。プレスリーは、スパンコールのついたパンツと真っ赤なケープにもかかわらず、痩せて飢えたような表情をしていた。」

「彼は2曲目の途中で一瞬ギターを手にしたが、楽器は演奏されなかった。幸い、エルヴィス・プレスリーは娯楽のために楽器のようなものに頼る必要はなかった。」

「彼の有名な回転はなかなかのショーだ。彼は絶対的なセンセーションを巻き起こし、魅力的なパフォーマーだった。彼が何をしているのか、私はよく分からないが、決して退屈することはなかった」


 最終ブロックの“私はよく分らない”って、分らないのはあなたのレビューですよ、とツッコミたくなる・・・。2ブロック目の“~にもかかわらず、痩せて飢えたような表情をしていた”なる描写だけはGoodじゃな。

 “よく分からない”といえば、巨大な文鎮が乗っかっているような、一見味も素っ気もない会場の外観もよく分からない!?これまで数多くのライブ会場へご案内してきたが、こんな“どシンプル”なデザインの建造物があっただろうか?
 ホフヘインズ・パビリオンは2016年に大幅な改修工事が行われて、かつての異様な外観は姿を消した。現在は改修費用の大半を請け負った地元のレストラン・キングの名前をとってフェルティッタ・センターと改称されておる。右写真ストリートビュー2024年6月撮影。



アストロ・ワールド・ホテルはもうたくさん・・・だったのか!?
Area No.95/Serial No.750 ザ・ホワイトホール・ヒューストン/ヒューストン

 70年のヒューストン・アストロドーム出演期間の宿泊ホテルは「アストロ・ワールド・ホテル」だったが、75年(ホフヘインズ・パビリオン)と76年(ザ・サミット~下記Area No.97参照)でのヒューストン・ライブでは、こちらザ・ホワイトホール・ヒューストンが選ばれた。
 アストロ・ワールド・ホテルの宿泊はアストロ・ドーム出演者の特権だったのかもしれないが、ホワイトホール・ヒューストンは見事なまでに対照的と言える経営理念をもったオーセンティックなブティック・ホテルじゃ。エルヴィスが、「もうアストロワールドは嫌だ」と拒否したのかもしれない!?

 このホテルの略歴を紹介するウェブサイトによると、特徴は下記の通り。

 「1963年に最初にオープンしたこfの素晴らしいブティック ホテルは、比類のないおもてなしと見事な優雅さで高い評価を得ていました。建物を設計したのは、当時米国最大手の建築会社の一つであった有名な建築会社ウェルトン・ベケット・アンド・アソシエイツです。同社がホテルのアイデンティティのあらゆる側面を計画するという“トータル・デザイン”という概念を生み出しました。このアプローチには、エンジニアリング、インテリア、家具、備品、造園、看板への影響が含まれていました。彼らのユニークな建築哲学はダイニングスペースにも影響を及ぼし、銀食器やナプキンからメニューやマッチ箱まで、すべてが全体的なデザインに含まれていました。 1 階と 2 階をつなぐ螺旋階段や、イタリア産の白く輝く大理石の床など~」

 う~ん、建築工学なんぞは門外漢のわしにはワカランようでワカルようで・・・アストロ・ワールド・ホテルとは真逆であることだけはワカルけどな~。アメリカのyoutuberさんが現ホテルの内部を動画撮影してアップしており、白を貴重とした上品な内部インテリアであり、まさにアストロさんとは正反対じゃ。


 上写真3枚は1976年8月28日ライブ会場のザ・サミットに向かうために、ホテル駐車場から車に乗り込むエルヴィスじゃ。どうでもいいハナシかもしれんが、エド・パーカー(上写真中央、左側)はいつも真剣な表情でエルヴィスに寄り添っておるな。良い仕事しているなって感じじゃ!
 
 堅実なホテル経営を続けていたホワイトホールも、大手チェーンホテルがヒューストンに参入してきた70年代後半からは徐々に経営が悪化。1991年に一度閉鎖になったが、現在では復活しており、建物の佇まいは往年とほとんど変化していない。右写真ストリートビュー2024年6月撮影。


エルヴィス・ライブ史上最悪の日・・・?
Area No.96/Serial No.751 ザ・サミット/ヒューストン

 
下積み時代、ドサ周り時代からエルヴィスを歓迎してサポートしてきた代表的な街ヒューストンにおける、エルヴィスの生涯最後のライブ会場がザ・サミットじゃ。時に1976年8月28日、エルヴィスが亡くなるほぼ1年前じゃ。
 かなりの数の私設エルヴィス・サイトやFacebookでは、この日のライブ会場が、上記ホフヘインズ・パビリオンになっておる。またWilipediaの同会場の投稿には、エルヴィスの出演事実が記載されていない。
 しかし、書籍「EDD」、各種ブートレッグCDのクレジット、EPCに転載された当時のライブレビュー内では会場名はザ・サミットとされており、またライブレビューの細部をチェックすると、この日の観客数は約17,000人とされ、収容人員数約8,000のホフヘイズ・パビリオンではありえない数字じゃ。したがって、わしはザ・サミット説でいかせて頂くことにした。

 17,000人もの大観衆を集めたこのヒューストン・ラスト・ライブは、多くのエルヴィス・マニアによって長年“最悪のクオリティ”として語り継がれてきたらしい。中には、この悪い伝説の真偽を確かめるべく高音質のブートレッグをチェックしたレビューまでネットにアップされておるが、やはり「噂が全て本当とは言い難いが、間違いではなかった」としておる。当時のライブレビューを少しだけ紹介しておこう。

「エルヴィス・プレスリーは20年以上も人々の心を打ち砕き続けてきたが、土曜日の午後、ザ・サミットで、まったく新しい、予想外の方法で、彼は私の心を打ち砕いた。」

「一言で言えば、コンサートは最悪だった。何事においても「キング」らしく振る舞うことなく、ふくれっ面をしながらよろめき、ぶつぶつ言う人物が、憂鬱なほど支離滅裂で素人っぽい混乱を演出した。ロックンロールどころか。」

「私の隣に座っていた見知らぬ人(若いブロンドの女性)が、『なんてことなの?彼はどうしたの?話すこともできない。文章を最後まで話すことすらできない!』とまで言った。」

「1時間20分のショーの後、エルヴィスやバンドへの拍手がまったくなかったことに気づいたファンはどれほどいただろうか。」


 出来不出来の激しかった晩年のライブの中で、どうやらこの日はどん底だったようじゃ。EDDには、パーカー大佐がパニックになるほど怒り狂っていた事実が記載されておる。


 巨大なアストロドーム以外では、ヒューストン有数のキャパを誇ったこの会場は、Wikipediaに多くのビッグミュージシャンの出演記録が投稿されておるが、その中にエルヴィスの名前が見当たらないのは、上述の通り「最悪のライブ」だったことが関係しておるのかもしれない。
 2003年にキャパがより大きく先進的なシステムを導入したトヨタ・センターがヒューストンにオープンしたことでザ・サミットの名声も以降は低迷。会場はレイクウッド教会にリースされ、後に教会が買収。現在はレイクウッド・チャーチ・セントラル・キャンパスと改称されて稼働しておる。右写真ストリートビュー2024年8月撮影。


 “エルヴィスは70年代風ではあるが、老若男女を共感させる魅力に溢れている”
Area No.97/Serial No.752 フェミス・フェア・アリーナ跡地/サン・サントニオ
 上記Area No.97でエルヴィス最悪のライブをご紹介してしまったが、その前日1976年8月27日のライブはどうだったのか?
 これまでの「バーチャル~」のライブ会場案内は複数回同会場で行われた場合は古い年代順に記載してきたが、このフェミス・フェア・アリーナ/サン・アントニオはラスト(3回目)の1976年8月27日を先にご紹介しよう。
 当時のライブ・レビューによると、この日は最悪とまでいかずも、曲によってクオリティが“てんでばらばら”。エルヴィスはサウンド・システムにぶつぶつ文句を言ったり、歌詞を間違えたり忘れたり・・・時々調子を取り戻すこともあったという。レビューのライターはその原因をエルヴィスの体重過多による体調不良としておる。“太っているというより異様にむくんでいる”と。EDDにはこの日からニック医師だけではなく専属のナースまでツアーに同行したと記されておるので、エルヴィスの体調はかなり酷かったことは事実じゃ。以上。(左写真76年、下写真3枚72年ライブ撮影)
 サン・アントニオはテキサス州第二の大都市であり、50年代にエルヴィスは3度ライブを行っておる。70年代最初にサン・アントニオにやって来たのは1972年4月18日フェミス・フェア・アリーナじゃ。(左写真)
 エルヴィス第二期黄金時代の真っ最中であり、ライブレビューは好評だらけ。最悪ライブを続けて紹介してしまったので、ちょっとイイお話をかましておこう。

「エルヴィス・プレスリーは今でも観客を魅了する力を持っている。」

「彼の髪は今や流行りのロングヘアです。スタイルも少し落ち着いている。しかし、聴衆と共感する彼の能力は変わっていない。1950年代に骨盤を国民的流行語にしたエンターテイナー、エルビス・プレスリーが、火曜日の夜、サンアントニオに彼の音楽をもたらした。」

「パフォーマンスのハイライトは、プレスリーによる「プラウド・メアリー」、「ポルク・サラダ・アニー」、そしてカントリー・ウエスタンの「フォー・ザ・グッド・タイムズ」の演奏だった。プレスリー版の「アメリカ三部作」は、「ディキシー」、「リパブリック賛歌」、「オール・マイ・トライアルズ」の一部からなるバラードで、観客の悲鳴が邪魔するまでは、ところどころ印象的だった。」

「プレスリーは優れたショーマンである。火曜日の観客は彼の変わらぬ魅力を反映していた。会場にいたのは、現在30歳を超えた世代、つまりプレスリーがロックンロールをポピュラー音楽の主流にするのに貢献した人たちだった。そして、年配者の隣には若者たちが座っていた。彼らは歓声を上げたり叫んだりしていたが、そのほとんどは、プレスリーがヒット曲をアメリカ人全体の郷愁に加え始めたときには生まれていなかったのだ!」


 この会場は元々1968年にサン・アントニオで開催された世界博覧会「フェミス・フェア68」の開催に合わせて建設されたことで「フェミス・フェア・アリーナ」と命名された。フェア終了後は「サン・アントニオ・コンベンション・センター」の別称で呼ばれることもあり、私設エルヴィスサイトの中ではこの会場名が記載されておる場合も少なくない。エルヴィスは1974年10月8日にもこの会場でライブを行っておる。(右上写真)

フェミス・フェア・アリーナは1995年に老築化の為に閉鎖されて解体された。跡地は隣接する敷地に新設された新しいイベント会場用の駐車場になっておる。
 右写真ストリートビュー2022年8月撮影。中央の尖塔(タワー)は「フェミス・フェア68」開催時にフェアのシンボルとして建てられた「アメリカ塔 Tower of Americas」であり、その前方に広がる駐車場にアリーナが建っておった。


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