NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.488


第106回 エルヴィスゆかりの地~フロリダ州2026年前編

アップデート:2026年8月9日



テネシー州から離れた州で、もっとも早くからエルヴィスを熱狂的に受け入れ、全米制覇への起爆地点となったのがフロリダ州じゃ。今ではプロスポーツチームがいくつも存在するメジャー地域じゃが、エルヴィス登場当時はローカルのビーチリゾート州に過ぎなかっただけに、これまで散々「Elvis Florida」のキーワードで検索して、どんな些細な情報も見逃さなかったつもりじゃったがまだまだありました。再訪地点を含めて50年代のゆかりの地の残りを、さらに70年代のライブ地などを併せて2回に分けてご案内致す!

【目次】バーチャル・ロックンロールツアー エルヴィスゆかりの地
    第106回 フロリダ州2026年前編

 ・Area No.は2022年度編からのフロリダ州内の番号。
 ・Serial No.は「バーチャル・ロックンロールツアー」第1回からの通し番号です。

 Area No.35/Serial No.732  シティ・オーディトリアム跡地/フォートマイヤーズ
  (追加情報)
Point-6(旧ナンバー)  ベースボール・パーク跡地/ジャクソンビル
  (追加情報)
Point-1(旧ナンバー)  フォート・フォーマー・ヘステリー・アーマリー/タンパ
 
 Area No.36/Serial No.733  マイアミ・マリン・スタジアム/マイアミ
 Area No.37/Serial No.734  ダッチ・イン・リゾートホテル/レイク・ブエナビスタ
 Area No.38/Serial No.735   ベイフロント・センター/セント・ピータースバーグ

【バーチャル・ロックンロール・ツアーのバックナンバー】

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★ 本文中の表記について ★

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SMW=スコッティ・ムーアのウェブサイト
EDD=「Elvis Day By Day」 エルヴィス・デイリー記録集
EPC=エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート(ウェブサイト)
HAC=ヒストリック・アエリアルス(アメリカの空撮サイト)


エルヴィス第一期黄金時代のフロリダ州ライブで、唯一詳細不明な会場
Area No.35/Serial No.732 シティ・オーディトリアム跡地/フォートマイヤーズ

 これまでの「バーチャル~フロリダ州編」において、50年代のライブ会場の中で唯一ご案内していなかった、フォートマイヤーズのシティ・オーディトリアムをご紹介しよう。
 フォートマイヤーズはフロリダ半島のメキシコ湾沿いに位置し、フロリダ半島の南端まで約180キロの地点じゃ。1955年5月9日、7月21日の2回フォートマイヤーズにエルヴィスはやって来ておる。

 アメリカ南部各州の中でも、ごく初期の頃からエルヴィス歓迎ムードが熱かったフロリダ州の中で、何故かフォートマイヤーズ・シティ・オーディトリアムのライブ記録だけが非常に少ない。まずシティ・オーディトリアム自体の記録のされ方が一般サイトでも曖昧じゃ。上写真上段左から3枚は同じ形状の建物なので全てオーディトリアムの写真と思われるが、会場名が(左から)シティ・オーディトリアム、シティ・ホール、シビック・センターと異なっておる。その他にも同様の写真でエキジビション・ホールという記載もある。上写真上段右端は、HACの1958年撮影空撮写真じゃ。
 上写真下段3枚は、左側と中央が1955年5月9日、右側が7月25日の新聞広告(またはポスター)。左右の広告の会場名はニュー・シビック・センターと記載されておる。1955年5月時点では、まだエルヴィスよりもフェロン・ヤング(カントリーシンガー)の方が知名度が高かったようじゃ。

フォートマイヤーズでのライブ詳細はネット上では一切無い。せめてもの参考資料(写真)として、右写真2枚。これは1955年5月9日のライブの前日、フォートマイヤーズの真北150キロにあるタンパのフォート・フォーマー・ヘステリー・アーモリーでのエルヴィスのショットをご紹介しておくぞ。ファースト・アルバムのジャケ写が撮影された会場じゃ。(ジャケ写の撮影は55年7月31日)フォートメイヤーズとタンパのライブは2回同じフロリダ―州ツアーの中に組み込まれておったが、フォートマイヤーズの記録が少ない(公開されていない?)のは非常に残念じゃ。

 フォートメイヤーズ・シティ・オーディトリアムが間違いなく最上部に掲載した写真3枚の建物であれば、その跡地には現在市庁舎郡の敷地の中にあるCity of Fort Myers City HallOscar M. Corbin, Jr City Hallが建てられておることになる。(もしくはその近辺)(右写真ストリートビュー2024年8月撮影)今後折を見ての再調査が必要な場所じゃ。


 50年代6回ライブが開催された会場は、米マイナーリーグ屈指の“名物球場”だった!
 (追加情報)Point-6(旧ナンバー) ベースボール・パーク跡地/ジャクソンビル
 フロリダ州ジャクソンビルでの50年代のライブは合計6回(2日連続を3回)行われており、会場はいずれもジャクソンビル・ベースボール・パークじゃ。(上写真左側)中でも1955年7月12日のライブでは、演奏終了後にエルヴィスが熱狂する観客に向かって「バックステージで待ってるよ」と冗談をかますと、真に受けた何百人という女の子が本当にバックステージに押し寄せてエルヴィスのシャツが引きちぎられる騒動が起こったことが有名じゃ。

 50年代のフロリダ・ライブを代表する会場のひとつであるジャクソンビル・ベースボール・スタジアムについて、私設エルヴィス・サイトの多くは「ゲーターボウル Gator Bowl」と表記されておる。
 上写真右側のライブ告知広告を確認すると、左から55年5月12、13日、55年7月28、29日、56年2月23日、24日、いずれも「Baseball Park」と表記されておる。“NEW”とは、54年のオープンを示しておる。このような会場場所の明確な証拠が残っており、更に左空撮写真を見ると、ベースボール・パ―クとゲーターボウルは別会場であることが分かる。写真内のメモリアル・コロシアムは70年代に4度ライブが行われた会場。(「バーチャル~フロリダ州2024年後編」Area No.32参照)
 しかし何故「ゲーター・ボウル」という表記するサイトが多いのか。EDDには「最終的にベースボール・パークはゲーターボウルとなった」との意味不明な但し書きもあるが、これは2004年にベースボールボールが解体され、新しい野球場が完成するまでは旧野球場の跡地がゲータボウルの敷地として駐車場等に利用されていたからじゃろう。
 とりあえず「バーチャル~」を御覧になった方々は、1955年5月12、13日、7月28日、29日、56年2月23日、24日のライブ会場は「ジャクソンビル・ベースボール・パーク」と認識しておいて差し支えないぞ!


 このボールパークは、全米内に無数にあるマイナーリーグ専用球場としてはかなり特殊な造りで有名であり、「懐かしのマイナーリーグ~」的なメディアの特集でよく登場する。まず、バックネット席が左右にある選手ベンチよりも前方にせり出しており、ベンチの中の選手の様子が見えるそうじゃ。また内野が全面芝生であり、ダイヤモンド内の4つのベース周り(スライディングスペース)以外は、塁間を繋ぐベースラインも全て芝生仕様じゃ。(通常の人工芝フィールドと同じ))外野フェンスは他の球場の倍の高さであり、マイナーリーグ球場にしては珍しくフェンス全面に広告が貼られておる。
 さらに場所がメジャーリーグのスプリング・キャンプの近くであるので、プレシーズン・ゲームが盛んに行われて数多くのスタープレ―ヤ―たちが登場する春先はたくさんの観客が訪れていたという。その観客を見込んでか、内野スタンド下の売店スペースがかなり広かったらしい。その売店スペースで撮影されたエルヴィスの写真が右写真2枚じゃ。
 
撮影は1955年7月28日、29日。両日ともにライブに駆け付けたファンと写っており、左側写真のエルヴィスは売店のアイスボックスから氷を失敬して口の中に放り込んでおるという!上半身裸なので、衣装はファンにはぎ取られてしまったのかもしれんな。


 撮影写真は“扁桃腺シリーズ”だけではなかった!
(追加情報)Point-1
(旧ナンバー) フォート・フォーマー・ヘステリー・アーマリー/タンパ
 何はともあれ、フロリダ州タンパのフォート・フォーマー・ヘステリー・アーマリー(左写真左側)と言えば、1955年7月31日当地のカメラマンであるウィリアム・V・ロバートソン撮影によるファーストアルバムのジャケ写、通称“扁桃腺シリーズ”と言われるヤツじゃ。(左写真右側)
 現存するこの会場は、このショット1枚で永遠の名声を得たようなもんじゃな!あまりにも衝撃的な写真なだけに、同会場で撮影された他の写真があまりにも影が薄いが、実は50年代に4度行われた同会場でのライブの中で、そのラストとなった1956年8月31日には相当な数のオフショットがネットにアップされておるので、わしの好みのショット11枚を一挙に掲載しておこう。(下写真)

 これらの写真は、マチネーとナイトショーの間の休憩時間に、エルヴィスが会場南側出入口から外に出てインタビューを受けたりファンと交流したり、間食のフルーツを食べておる写真じゃ。まさに老若男女、様々な人たちがエルヴィスに群がっておる。

 
 SMWによると、これらの写真の大半はボブ・モアランドなるカメラマンの撮影。エルヴィスが手にしたカップからすくって食べておるのは桃らしい!3段目左側、中央の女性は、ライフ紙の女性記者アン・ロウ氏。楽屋裏でインタビューを終えたアン氏はその後エルヴィスと一緒に外へ出て記念撮影をしたわけじゃが、彼女は後日「エルヴィスが女性ファンに噛みついたなんて誰が言ったの?彼はとても感じが良くて優しかったわ」とメロメロな発言をしたそうな!アン氏の記事(一部)は下記の通り。記事の方は、さすがはライフ紙の記者らしく職業意識に徹した冷静な内容じゃ(笑)マチネーとナイトショーの間の出来事が分かる貴重な内容じゃ。

「黒いペグパンツ、縞模様のベルト、青いシャツ、白いネクタイ、栗色のジャケット、白いバックシューズという、猫のようにきちんとした服装のロックンロールの王様は、ほうきを手に取って楽屋の掃除を始めた。これは、バンド4人組の一人エルビス・プレスリーとのすばらしい出会いだった。彼の評判のせいで、記者は彼といるときは“慎重に行動する”必要があった。」

「しかし心配する必要はありません。昨日 タンパのフォートホーマー・ヘスタリー兵器庫での初公演の前に、私たちが楽屋で彼と過ごした1時間の間、プレスリーは報道カメラマンに喜んでポーズをとり、質問にもためらうことなく答え、私たちには普通の人のように見えた」

「エルヴィスは、少し緊張した様子で、床に落ちたタバコの吸殻を掃き、ほうきをマイクに変えて、柄に向かってDon't Be Cruelを歌い上げた。ほうきを脇に置いて、彼は外へ出た。そこは、彼の楽屋の蒸し暑い空気よりほんの少しだけ涼しかった。彼は、
門の前に並んでいる物見遊山の客たちを眺め、笑いながら、すぐ行くよと叫んだ。南部訛りは特になかった。」

「エルヴィスは、ゲートに行ってファンと話すのを楽しんでいるような印象を私に与えた。彼は、話すことを許されたファンにサインをし、騒ぎを目を大きく開いて驚いて見ていた近くの幼児数人と遊ぶのを楽しんでいるようだった。」


 長らくタンパの歴史的武器格納庫、娯楽施設として稼働していたこの会場は2005年に一旦閉鎖。その後新しいオーナーに名乗り出る者もなかったので、公共機関によって何度か新しい娯楽会場、ホテル等に改造される噂が立ったが結局どれも実現せず。
 2016年になって新しいオーナーが決まり、約3,000万ドルで建物は改修され、現在ユダヤ人のコミュニティー・センターであるブライアン・グレイザー・コミュニティー・センターとして再稼働しておる。右写真ストリートビュー2024年7月撮影。


 1967年代当時の最新のカットイン編集でエルヴィス映画に登場したボートレース場
Area No.36/Serial No.733  マイアミ・マリン・スタジアム/マイアミ
 1967年公開のエルヴィス映画第25作目「ブルー・マイアミ」のラストシーンに登場する、当時全米で最大規模の本格的オート・ボート・レース会場が「マイアミ・マリン・スタジアム」じゃ。(左写真)
マイアミの沖合2キロ地点に浮かぶバージニア・キー島に1963年に建てられた。
 「ブルー・マイアミ」の英語原題は、“ビーチ・パーティー”を意味する「Clambake」。日本人にはさっぱり馴染みのない英語単語なので、ヒット作「ブルー・ハワイ」にあやかってこの邦題が付けられた。
 
 シナリオ上ではマイアミが舞台ではあるが、実際の撮影の大半は南カリフォルニアで行われたらしい。アメリカの自然に詳しい方なら、映画の中でしょっちゅう南カリフォルニアの風景が登場することが分かるそうじゃ。
 マイアミ・マリン・スタジアムが登場するシーンは、ボートレーサーに扮したエルヴィスが白熱のレースを展開する映画のクライマックスでもあるが、レースシーンの撮影も南カリフォルニアで行われ、その映像は別個に撮影されていたスタジアムの映像の中にカットイン(合成)されたんだそうじゃ。わしはこの映画を観たことがないので感想は述べられないが、カットインは当時の映画界で頻繁に導入されていた編集技術じゃ。下の写真を見る限りでは、カットイン特有の違和感は感じられない。
 ネット上にアップされた映画解説を読むと、舞台がカリフォルニアではなくマイアミであることを鑑賞者に強く印象付けるためにスタジアム映像とのドッキングパートはかなり入念に編集されたそうじゃ。エルヴィスはこのスタジアムにはやって来ていないので「エルヴィスゆかりの地」とは言えないかもしれないが、一応「エルヴィス映画ゆかりの地」ということで!

 「ブルー・マイアミ」は映画評を読むとほとんどが駄作とされており、実際にエルヴィスが100万ドルの映画出演料を受け取れた最後の作品となった。
 wikipediaには映画の内容以上に、当時の質の悪い主演作についてのエルヴィスの深い悩みについてかなり言及されておる。

「プリシラ・プレスリーは1985年の著書『エルヴィス・アンド・ミー』の中で、映画『クラムベイク』の撮影が始まる頃には、エルヴィスは自分の映画の質に対する悩みが募り、意気消沈して過食に走り、体重が通常の77キロから91キロにまで膨れ上がったと書いている。」

「映画スタジオの重役はエルヴィスに急いで体重を落とすよう命じ、[すでに過剰だった薬物療法に ダイエット薬も導入された。」

「この間、ヘアスタイリストのラリー・ゲラーが彼の人生に関わっていたため、彼は後にプレスリーが自分の取り巻きを呼んだ「ザ・ガイズ」(別名「メンフィス・マフィア」)の一人となり、プレスリーは宗教研究や精神世界にますます興味を持つようになり、それらのテーマに関する本をたくさん読んでいた。パーカー大佐は、これらの活動がエルヴィスのパフォーマンスの妨げになっていると感じ、映画の撮影中は本を一切読まないようにとエルヴィスに命じた。プレスリーがその命令に従ったことを示す証拠はない。」


 エルヴィス自身も「ブルーマイアミ」を自身の最低の映画と語っていたとか。なお映画の悪評のとばっちりを食ったのが(?)、ヒロイン役のシェリー・ファバレスさん。元々陽気なお嬢さんキャラ的な女優さんじゃが、「エルヴィス映画の中でもっとも個性も存在感もないヒロイン」とこきおろされたようじゃ。

 かつては水上レースのメッカとまで言われたスタジアムも、1992年に「予想されるハリケーン襲来に耐えられない構造」とされて閉鎖になった。約7,000人を収容出来るスタンドは取り壊されることなく残され、ウォール・アート(公共の建物の外壁等に無断でペイントするアート)が描きなぐられる無法状態になっておったらしいが、改修工事の後に2024年10月に32年ぶりに再オープンしたようじゃ。右写真ストリートビュー2024年8月撮影。


エルヴィスはデズニー系リゾートホテルにも泊っていた!
 Area No.37/Serial No.734 ダッチ・イン・リゾートホテル/レイク・ブエナビスタ
 このホテルは、1975年と76年にフロリダ州レイクランドでライブを行った際にエルヴィスが宿泊した、デズニーランド直系のホテルじゃ。レイクランドから約55キロ(車で約40分)の地点に広がるレイク・ブエナ・ビスタというデズニーリゾート地の中に建てられておる。エルヴィスが70年代のツアー中に泊まった無数のホテルの中で、ライブ会場からかなり遠い地点にあったホテルのひとつかもしれない。エルヴィスはデズニー映画の大ファンだったのか。それともホテル側から招待を受けていたのじゃろうか?

 「Walt Desny Old Collection」というウェブサイトがあり、何人かがこのホテルに泊まった思い出を投稿しており、オープンは1972年10月説が強い。ホテルの名の“ダッチ”とは“オランダ人”という意味であり命名の理由は不明じゃが、投稿によるとオランダのシンボルでもある風車を型どったプールがあったそうじゃ。ただしこのサイトの中に掲載されておるホテル関連の写真は当時存在したマッチと、そのカバー写真に使われていたホテル全景の写真のみ。(上写真2枚)エルヴィスに関する記述はない。
 
 1975年のレイクランド・ライブを体験したというウェブライターの短いコラムがあり、その中にダッチン・インでエルヴィスを警備している人物に頼み込んでエルヴィスのサインをもらった件があった。彼はライブの翌日もエルヴィスを見たくてダッチ・インに駆け付けたそうじゃが、エルヴィスはチェックアウトした後だった。エルヴィスの泊まった部屋に案内されると丁度メイドさんが清掃に入ったばかりであり、彼はメイドさんに20ドルを渡してベッドシーツを貰ってきたという!

 デズニーワールド直系のホテルとしては3番目に当たるこのホテルは大きな業績が期待されてオープンしたものの、10年も経たない1981年にグローブナー・ホテルと改称された。(経営権の譲渡?)現在ではウィンダム・ホテル系のウィンダム・ガーデン・レイク・ブエナビスタ・デズニー・スプリング・リゾート・エリアとして経営されておる。
 ウィンダム・ガーデンはストリートビューで現状を確認した限りでは、上写真で見られるような高層ビルが見当たらないので建て直された可能性はあるが、右Google-map空撮写真で確認すると、オープン当初の目玉のひとつだった風車型のプールは今でも存在しておる。


 エルヴィス生涯最後のバレンタイン・ライブ
 Area No.38/Serial No.735 ベイフロント・センター跡地/セント・ピータースバーグ

 1976年9月3日、1977年2月14日、エルヴィスはフロリダ州セント・ピータースバーグでライブを行った。会場はいずれもベイフロント・センター。(左写真)
 76年は同地において20年ぶり(1956年8月7日以来)の登場であり、77年はエルヴィスの生涯最後のバレンタイン・コンサートとなった。(上写真左側、中央は76年、上写真右側、2段下の写真は77年のライブ撮影)

 セント・ピータースバーグでのエルヴィスと言えば、56年のライブは第一期黄金時代の熱狂ライブの中でもひときわ有名。以下、「バーチャル~フロリダ州2024年中編」Area No.28 フロリダ・シアター/セント・ピータースバーグより転載。

「セント・ピータースバーグはジャクソンビル、マイアミ、タンパとともにフロリダ州4大都市のひとつであり、当時フロリダ州を“襲っていた”エルヴィス・ハリケーンをモロにくらっていた街であり、エルヴィスが登場する前から街中は大騒ぎ。ライブ当日の会場(フロリダ・シアター)外の混雑ぶりが数多くカメラに収められておる!」

「エルヴィス・ファンを取り締まる一日に疲れ果てた警察は、昨夜、これほど過酷な任務を受けたのは初めてだと述べた。13人から23人の警察が一日中群衆を取り締まり、8時30分にはセントピーターズバーグ警察予備役協会の25人のメンバーがフロリダ劇場の警備のため定例会議を切り上げて駆け付けた。さらに数人の消防職員が現場に駆けつけ、そのうちの一人、ジョン・ギドリー消防保安官は「二度とこのようなことが起こらないことを願っている」と叫んだ。」


 70年代のセント・ピータースバーグでのライブはいかがな様子だったのか?残念ながら2回ともライブ・レビューがネットにアップされておらん。77年のライブは曲毎のブートレッグ映像がyou tubeにいくつかアップされてはおるので、視聴者のコメントをチェックしたところビックリ!

「生涯最高のコンサートだった!」
「エルヴィスの声はますます良くなっている」
「13歳の時に連れて行ってもらったけど、今でも忘れられない素晴しい体験だった」
「エルヴィスは体調万全ではなかったはずだけれど、我々のために誠心誠意歌ってくれた。エルヴィスはいつもファンの味方だ」
といった絶賛ばかりじゃ。ブートレッグの映像も音質も決してハイクオリティではないが、それでもエルヴィスのパフォーマンスがかなり好調だったことが分かる!
 アメリカのバレンタインディの習慣により、たくさんの女性客がテディベアのぬいぐるみ持参で会場を訪れたようで、さぞかしたくさんのテディベアがステージのエルヴィスに贈られたのであろう。いやあ~「フロリダ州・エルヴィス・グレイト伝説」に傷が付いてしまうようなライブではなくて、わしも安心した(笑)

1956年の同地でのライブ会場だったフロリダ・シアターは、収容人員数2,500だっため1日3回のライブが行われたが、1965年にオープンしたベイフロント・センターは約8,000人収容の大型アリーナ。76年、77年とも超満員であり、特に77年はチケットを求めた徹夜組も大勢いた。
 この会場はその名の通りタンパ湾に面した海岸沿いに建てられており、2004年には土地再開発のために取り壊された。跡地はマハフィー劇場なる新しいイベント会場隣の敷地に該当する。右写真ストリートビュー2024年5月撮影。


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