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NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.336

 

時代が狂っていたのか、俺たちが狂っていたのか!?
バブル狂騒時代に原宿に咲き乱れたロック・アーティスト専門ショップたち!
「Love Me Tender」「Get Back」「Gimmie Shelter」「Yardbirds/World Tour」
「Gun's Shop」「Keibuy Gallery」etc

遅刻したって残業すりゃ文句ねえだろう!
血を吐くまで酒飲んだこともないヤツなんて信用できるか!
バックルームで居眠りしてようが、酒飲もうが、売上げ良けりゃ問題ねえ!
俺たちはメンフィス・マフィア直系だ、アップルレコードの社員だ、ストーンズファミリーだ!俺たちの情熱こそが会社の理念だ!!

青春の残り火を激しく燃やし尽くした、愛すべきスタッフたちのあの異常な熱量は何だったのか。


原宿ロックンロール・ドリーム/ロックアーティスト専門店激闘記
第5回:店舗もカタログも店長の意向任せ!自由奔放さが愛された各専門店の横顔「ギミーシェルター&ヤードバーズ編」


 前回はビートルズ専門店「ゲットバック」、エルヴィス&ロカビリー専門店「ラブミーテンダー」の実体を、店長さんのキャラクターと店舗発行のカタログを通してご紹介した。
 今回はローリングストーンズ専門店「ギミーシェルター」とブリティッシュロック専門店「ヤードバーズ」にいってみたい。もう一店舗、映画スター専門店「ハリウッド」も当時存在していたが、俺が入社した時点で既に経営状態が芳しくなく、閉鎖準備が始められていた状況だったのでこの度の紹介は割愛させて頂くことにする。
(※使用している写真は必ずしも当時の物ではありません。あくまでもイメージです)


■各店長の情熱任せ!の店舗を探る毎日
 ■

 自分は専門店勤務ではなかったが、各店舗から高価な貴重品を集めて、月一度の通信オークション用のカタログを作ることが仕事だったので、神宮前一丁目の事務所から東郷神社前を通って竹下通りへと続く裏道から専門店を周回することは俺の日課だった。
 1989年スタート時点ではまだカタログ掲載品も頁数も少なく業務自体はそれほど忙しい状況ではなかったので、気持ちの余裕をもって専門店周りが出来た。各店の集客状況、取り扱い商品状況、経営状況を把握する恰好の機会になったのだが、俺にはもうひとつの目的があったのだ。

 実は当時は各店ともオークション事業部に積極的に協力してくれず、オークションカタログの製作時期が近づくと各店長さんに「商品提供のお願い」をして周らなければならなかったのだ。上司のT部長は入社当時は仕事のプロセスやポイントを教えてくれたが、すぐにカタログ制作業務の一切を俺に丸投げしてきた。要するに俺の仕事はオークション用商品を各店舗から集めること、すなわち各店長さんたちに頭を下げることからスタートするわけだ。

 各店舗がオークション事業部に協力的ではなかった理由は色々あるが、まず各店長さんたちがオークションというビジネスに懐疑的だったこと。また何よりも高価なアイテムも店売りした方が全て店の利益になると考えていたことが大きかった。そんな状況の中で毎月気持ち良く商品を提供してもらう為には、まず各店長さんとの距離を縮めることで自然と協力体制を
築いていくしかないと判断したからだった。
 その為に、社員用販売制度(店売りもしくは注文品が正規価格の20%OFFで購入できる)を利用して、各店舗の正規盤CDや貴重盤レコードを買っては店長さんへの心象を良くしようと努めたりしたものだ。そんな俺の涙ぐましい(?)姿勢に対して、T部長はある時優しくも強烈な激励をくれた。
「自分の金を使ってまで店舗に協力する必要なんかないんじゃない?そんなサラリーマン的根性よりも、俺がこの事業をデカクしてみせるからオマエら待ってろって大見栄切るぐらいでいいんだよ!」
 サラリーマン的根性という指摘はグサリと胸に突き刺さったが、T部長の激励は業務遂行上の精神的支柱になってくれた。しかしやはり店舗周りは続けることにした。それは各店長さんたち独自のスタイルが店舗の骨格であり、彼らの情熱こそが店舗の売り上げに直結していることが分り始めてきたからだ!


■ギミー・シェルター~これがストーンズ・ワールドだ。オマエラ、付いてこれるか!?■


 5つのアーティスト専門店の中で、様々な意味合いでもっともユニークな店舗がローリング・ストーンズ専門店「ギミーシェルター」だった。
 まず店名。ストーンズの1970年発表の名盤『レット・イット・ブリード』のオープニングナンバーであり、ストーンズ初のライブ・ドキュメント映画のタイトルが「ギミーシェルター」だ。ロックアーティスト専門店ならば、名曲や名盤のタイトルから店名を引用するのは常套手段だろうが、ビートルズ専門店の「ゲットバック」同様に「ギミーシェルター」という店名には拘りの強いファンを引き付けるセンス抜群の魔力があった。
 「ゲットバック“戻ってこい!”」は決して実現することのないビートルズ復活を熱望するファンの盲目的なビートルズ愛を、「ギミーシェルター」(逃げろ、隠れろ!)は“俺たちだけのストーンズ”というストーンズ・ファン独特の特権意識(分からないヤツはカンケーねー)をシンボライズした店名だ。しかもギミーシェルターの開店日は数年前の2月1日と聞いた。2月1日とは、1973年の幻の第1回ストーンズ日本公演の中止が公式に発表された日付であり、まさに骨の髄までローリング・ストーンズに侵された日本人ならではのアイディアである。

 当時の「ギミーシェルター」を仕切っていたのは、各店長の中ではもっとも不愛想なM店長。
「お仕事いかがですか」
「最近の売れ線商品は何ですか」
新入社員の頃の俺が、そんなご挨拶代わりの当たり前の質問をしても面倒くさそうに必要最低限の返事しかしない男だった。
 滅多に笑顔を見せないその佇まいは接客業向きではないかもしれないが、ある意味で頑迷なファンの多いストーンズの専門店の店長としては逆に信頼されるかもしれないと思わせる唯我独尊的な雰囲気を漂わせていたものだ。その反面、まだ少年の面影を残していただけに密かにM店長を慕う女性客も多かったに違ない。

 レコードマニアの多いお客が素早く欲しいレコードを探し出せるシステムを作り出そうとしていた「ゲットバック」、店舗のトータルコーディネイトのマジックで来店者をフィフティーズの世界へ誘おうとしていた「ラブミーテンダー」に比べると、「ギミーシェルター」には一見これといったコンセプトは見当たらなかった。
 様々なキャラクターズ・グッズが雑然と陳列されている。だがその雑然さが、ストーンズがまき散らしているファンを虜にする雑然さそのものだった。
 バーボンのボトルやラベル、タバコのパケやマリファナのイラスト、イカレタ女のポートレート、使い込まれて薄汚れたZIPPOライターやサングラス、破れたジーンズや引き裂かれたシャツ、額装された黄ばんだ雑誌の切り抜き、冊子から無造作に引きちぎって壁にピン刺しした洋雑誌の1ページetc。一般社会では「悪」「反社会的」なレッテルを貼られる様々なブツが、ストーンズのシンボルであるベロマークが踊るキャラクターズグッズの魅力を引き立てる小道具としてさりげなくディスプレイされているのだ。「ラブミーテンダー」の商品ディスプレイにおける小道具効果も素晴らしかったが、それは「ようこそ素晴らしきフィフティーズワールドへ」といった開かれたスタイルの一端であるが、「ギミーシェルター」は「これがストーンズワールドだ。オマエら、付いてこれるかい?」といった威嚇的な提案だった。

■ギミー・シェルター~キースは喋り過ぎ。ストーンズのスポークスマンはミックですよ!■

 ある時「ギミーシェルター」のバックルームにM店長を訪ねて唖然としたことがあった。商品在庫がとっ散らかっていたのは言うに及ばず、夥しいまでの数のストーンズ関連の洋書、洋楽雑誌を足元に積んだM店長は、ハサミ片手にひたすら中身のチェックを続けていた。この時が入社以来初めてM店長と会話らしきものが成立した。何をしているんですかと尋ねた俺に、M店長は顔を上げずに答えた。

M店長:目に付いた写真とか記事があったら切り取って、額に入れて店に飾るんですよ。
俺   :ミック・ジャガーのものが多いですね
M店長:そう、ミックのものを探してますよ。「ダーティーワーク」ってアルバム聞きました?
俺   :え?ええ、もちろん。キースのアルバムって言われてますよね。
M店長:あのアルバムを出してからキースは喋り過ぎる、そう思いませんか?ストーンズのスポークスマンはミックですよ。キースは余計な事言わない時の方がいいギター弾くんですよ。
俺   :Mさんはミックがお好きなんですか?
M店長:俺は(本来あるべき)ストーンズが好きなんです。

M店長特有のストーンズ観に俺は唸る思いがした。

 M店長が作成していたカタログは、残念ながら彼が成し遂げていた店舗コーディネイトの独特な完成度には及ばなかった様に見えた。カタログのコンセプトや使命は新商品と定番商品をアピールすることだが、極論を言えばM店長はそんなことにはからっきし興味がない様な淡白な新入荷品の紹介文であり、レイアウトだった。「本来あるべきストーンズが好きだ」とサイコーにカッヨク言い放ってみせた彼の作るカタログに俺は興味津々だっただけに、あまりにも当たり前の出来栄えに拍子抜けしていたものだ。
 得手不得手もあるだろうが、恐らく彼はカタログ作りにあまり意義を感じていなかったに違いない。
「俺が作り上げているストーンズ・ワールドを味わいたかったら、店に来てくれ!」
あくまでも一方的ながらM店長の仕事人としての持ち味を理解したつもりでいた俺は、いっそM店長の黒子として「ギミーシェルター」のカタログを作ってみたかったものだ。


■ ヤードバーズ~3大ギタリストを起点としたブリティッシュロック伝道店 ■

 「ヤードバーズ」とは1960年代に活躍したブリティッシュ・ブルースロック・バンド、ヤードバース出身者であるエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミーペイジのいわゆる「3大ギタリスト」関連商品を扱う専門店。同期入社のI君の配属先であり、また当時の俺自身がジェフ・ベック絶対信者だっただけに入社当時はもっともよく顔を出した店だった。3大ギタリストの専門店ということで、全店舗中で客層がもっとも幅広かった。

 「ヤードバーズ」の開放的な雰囲気を作り出していたのも、やはり店長のI氏だった。彼は見た目はモロに1970年代のハードロックバンドのギタリスト・ファッションだったが、会社の上層部の連中に対する礼儀を忘れず、各店舗の年下のスタッフにも友好的であり、誰に対しても常に庶民的なジョークが冴えまくる好人物だった。入社間もない俺にもI店長はいつもにこやかに接してくれたので、自然と「ヤードバーズ」に足を運ぶ回数が増えたものだ。
 またロックアーティスト専門ショップを訪れるお客さんの大概は、「行ったならば、必ず新しい情報、新しい刺激をもらいたい」と意気込む方が多いだろう。しかし「ヤードバーズ」の来店者は、I店長の優しく愉快な人柄によってまるで同好会的なノリを楽しむことが出来たに違いない。
 「ヤードバース」店内だろうと、事務所内だろうと、I店長の周囲は笑いが絶えなかった印象がとても強い。各店の商品を扱う立場にあった俺は各店長にナメられないだけの知識を身に付けなければいけないと いうプレッシャーを自らに課していたが、そんな過剰な粋がりをI店長はやんわりと揉み解してくれるような存在だった。

■ ヤードバーズ~ロックビギナーも安心して訪れることができる専門店 ■

 取り扱いアーティストが3人であるためか、「ヤードバーズ」の品揃えは他店に比べるとマニアック色が薄く、I店長の強烈な拘りも伝わってはこなかった。もっとも他店の様なバリエーション豊かなキャラクターズグッズ、コレクターズ・アイテムが「3大ギタリスト」にはまだ少なかったこともその一因だったと思う。代わりに他店には無い特大サイズのモニターがセットされていて、大迫力でエリック・クラプトンやレッド・ツェッペリンの映像を拝むことが出来た。
 I店長の人柄ゆえか、3大ギタリスト以外のファンも「ヤードバーズ」を頻繁に訪れており、彼らの好きなアーティストの映像もサービスで流していたりした。ガンズン・ローゼスやクイーンのファンの女の子が、「ヤードバーズ」で一日中自分たちの持ち込んだ映像作品を鑑賞していたこともあった。

 もっとも「ヤードバーズ」には、ゲットバック発行の「コンプリート・カタログ」のクオリティに近いハイ・レベルの商品カタログがあった。この制作指揮を執った人物もまた、ゲットバック同様に俺の直属の上司T部長だった。T部長はビートルズと同等にエリック・クラプトンの熱烈なファンであり、「ヤードバーズ」のコンプリートカタログは、T部長の情熱がI店長に乗り移って完成されたのである。残念ながら印刷所のミスにより、新聞の簡易折込チラシの様な低品質の紙に印刷されてしまっていたが、掲載内容に関しては当時のロック雑誌よりも遥かに濃密なレベルで「3大ギタリスト」の軌跡を発表作品によって紹介していた。

 「これだけ歴史的価値の高い商品があるのに、どうして店内で大々的にアピールしないのだろう」
 「たとえ売れなくても、特別にディスプレイしておけばお客さんサービスになるし、店に箔が付くはずだろう」
 コンプリートカタログを見る度に「ヤードバーズ」の少々淡白(拘り感が希薄)な営業姿勢に疑問が湧いたものだ。I店長自身は良くも悪くも「ヤードバーズ」を“3大ギタリスト拘りの店”に仕立て上げるよりも、より幅広いロックファンに足を運んでもらいたい願望が強かったようだ。
「『ヤードバーズ』の店長がギターを知らない、弾けないなんて噂がたったらみっともないよね」と、帰宅後はギター・レッスンに余念が無いとも聞いた。丁度原宿は「歩行者天国(ホコ天)ブーム」であり、アマチュア・バンドが大勢腕を競い合っていた頃でもあり、路上ライブを終えて「ヤードバーズ」を訪れるアマチュア・ミュージシャンたちを快く受け入れる事も重要な任務であるとI店長は認識していたのだ。


■ 店長さんたちは女性にモテル為のモデルでもあった!? ■


 当時の俺には、誠にバカバカしい信念というか願望があった。 
『ロック好きの男は女にモテないとダメだ』
ロックの特徴的な属性である「酒と女とロックンロール」を自らの信条にしていたわけではないが、元来それほど女にモテルタイプではなかったコンプレックスをロックという鎧で心身を固めることで払拭する事が、俺が高校時代からロックへ向かって一直線に突っ走って行った遠因でもある。女にモテたいがために楽器を始めてスターになったヤツと同じ理由だ!だからってわけでもないが、A社入社以来専門店周りが日課だった俺は、各店長さんからロック野郎が女性にモテル為の秘訣を学んでいたものだ。

 「ゲットバック」のS店長は、爽やかな好青年。ビートルおたくたちの隙間をぬうように来店する女性客に安心感を与えることが出来るのだ。何も全身「ロックづくめ」でなくてもロックアイテムに対して真摯に仕事をしていれば女心を引き寄せることは出来る!ビートルズに対して強烈な拘りはなかったかもしれないが、だからこそ自分の嗜好を押し付けることなく、女性客の要望も正面から受け止めることが出来るのがS店長であり、熱い汗も血潮も感じさせない冷静な情熱がS店長の魅力だ。

 「ギミーシェルター」のM店長は、ストーンズワールド特有の社会に対するクールなニヒリズムを体現している。ちょっとワルの匂いのする男に女は弱い(笑)口数は少ないが、自分の主張をズバリと吐いてみせるM店長、こういう男性は痩せぎすの美人や孤独な少女を癒すことが出来るに違いない。

 「ラブミーテンダー」の正木店長は、男性の根源的なセクシャリティの塊であるエルヴィスに身も心もやられたオバサマたち、またかつての映像からしか知ることの出来ない往年のエルヴィスの魅力に憑りつかれた若い女性たちから絶大な信頼感を抱かれている。彼女たちの心の渇きは一般男性には理解しづらいだけに尚更だったのだろう。エルヴィスとネオロカビリーの時代の香りを兼備した正木店長こそ、多くの女性客にとって1950年代と現代とを行き来できるロックンロール・タイムトラベラーだったのだ。

 「ヤードバーズ」のI店長は、肩書は「ブリティッシュロック専門店店長」だが、本質的なキャラは軽快な「アメリカンロック寄り」だった(笑)常に笑いとジョークを絶やさず、思考のベクトルはポジティブそのもの。
「ロックは楽しくやらなきゃ(聞かなきゃ)」
これががI店長の口癖であり、女性客はもとより「ヤードバーズ」でアルバイトをしていた女の子たちはみんなI店長が大好きだった。
「俺たちはロックミュージックを広めていく伝道師なんだ」
これまたI店長の口癖だったが、シリアスな顔でアーティストの魅力を力説するのではなく、ロック・ビギナーに対しても優しく楽しく接するI店長の話術によってブリティッシュロックの世界に入っていった女性客が多かったものだ。

 4者4様のロックアーティスト専門店の店長さんたち。彼らの人間的魅力やビジネススタイルの本質が垣間見えるようになった時、「彼らにナメられてはいけない」といった俺の過剰な意気込みは消え、彼らから「学ぶ姿勢」が芽生えてきた。そのひとつが「女にモテル秘訣」とは我ながらお恥ずかしいオハナシだが、これもロックンロール・エンタープライズならではだ!(つづく)


■「原宿ロックンロールドリーム/第4回」■
■「原宿ロックンロールドリーム/第3回」■
■「原宿ロックンロールドリーム/第2回」■
■「原宿ロックンロールドリーム/第1回」■


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