NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN VOL.169


 Newナッソー9発は強烈じゃったな〜。 衝撃がデカ過ぎて、酒もまわらんわい! あれさえあれば、どっからどんなミサイルが飛んでこようがどんとこい!じゃな〜。 ここはThe-Kingスタッフの一員(のつもり)として、久し振りに「ナッソー物語」をブチかましたくなるが、いやいや、原稿を書くならクールダウンの期間も必要ってことで、路線変更! 「ナッソー物語」じゃなくて「ナナテツ物語!?」にするんで悪しからず。(苦笑)

 去る4月8日、1979年にイギリス初の女性首相となったマーガレット・サッチャー氏、愛称マギー嬢が鬼籍に入られた。 って、ロックとは何の関係もないニュースのようだが、どっこい!そうはいかんぞ。 サッチャー氏は、パンクロック・ブーム真っ只中の時期に首相に就任したことで、ロッカーを名乗る者どもから罵詈雑言を浴びせられ続けた代表的な政界人だったからじゃ。
 現在イギリス政府はサッチャー氏の葬儀を準国葬扱いにすると発表しておるが、一部からは反対の声が激しく、その中にはロック界で名を馳せた人物もかなりおるからあきれ果てておる。
 わしに言わせれば、そんなヤツラはロッカーでも何でもなくて、単なる“チンピラ”か“ドS野郎”じゃ。 サッチャー氏やその政策を、ロックの威を借りて槍玉にあげてゼニ稼いだんじゃねーか! 亡くなった時ぐらいは「安らかに眠って下さい」は無理としても、「稼がせて頂いてサンキュー」ぐらいのブラック・ユーモアと懐の大きさをみせたらどうなんじゃい!って言いたいわな。

 まあサッチャー氏の訃報は、氏とロッカーとの永遠の「溝の大きさ」を思い知らされたが、その前にわしの脳裏にはある個人的な「原体験」が大きくフィードバックしてきおった。 それは、サッチャー氏首相在任中の1970年の終わりから80年代の初めにかけて、わしがロンドン周辺に数回に渡り都合1年ほど滞在した時の体験じゃ。 「原体験」ってのは 【その人の思想が固まる前の経験で、以後の 思想形成に大きな影響を与えたもの】 って意味じゃが、まさしくあの時のロンドン滞在は、その後もずっと続いておるわしの「ロック狂」にある決定的な方針、観念的な支柱をブチ込んでくれたのじゃ。
 「サッチャー氏訃報」に際して、今回はそんな思い出話をさせて頂きたい。 サッチャー氏の政策とか、それに対抗したパンクの思想とか、そういうコムズカシイオハナシではないんで、どうかご安心を!

 
〜マーガレット・サッチャー元英国首相の訃報に寄せて
七鉄の“ロック観”に大いなる変革!?をもたらした、
“プライム・ミニスター・マギー”在任中のロンドンの“ある真実”

 
序章〜イギリス国民が愛憎相半ばする、別称“アイアン・レディ”
 
 まずはサッチャー氏は、何故ロッカーの標的にされていたのか?ってのを簡単に。 それはイギリスの慢性的な経済不況を、「富裕層に優しく貧困層に厳しい」っつう政策で乗り切ってしまったからじゃ。 所得税を引き下げる代わりに、消費税を大幅に引き上げるっつう荒技がその実態じゃ。
 また一方では大西洋に浮かぶイギリス領のフォークランド諸島を巡り、既得権を主張するアルゼンチンとの対立を軍事力をもって制圧した。 しかし膨大な軍事費は庶民の血税で賄われたわけであり、庶民を切り捨ててまで国家の体裁を死守した女ってことでアイアン・レディ(血も涙もない鋼鉄の意志を持つ女)と呼ばれたんじゃな。 こりゃ、ロックは労働者階級の味方!って信じて疑わないロックンロール・ピープルの標的になるわけじゃ。
 更には、サッチャー氏が首相になる前段階、イギリス保守党の党首となったのは1975年。 つまりパンクロック爆発の前年。 首相になった1979年はパンクロック最盛期。 ここら辺のタイミングもまたパンクの標的となる格好の題材だったわけじゃ。
 更に付け加えるならば、完全男性社会だった当時のロック・シーンに生きる者たちに、「ケッ、頭デッカチの保守派のオンナの言うことなんかに従えるか!」ってな狭小な偏見が強かったことも否定できないじゃろう。


労働意欲のない白人たち

 うっかり「70年代の終わりにロンドンに行ったことがあるぞ」なんて若いロックファンに言っちゃったりすると、大概は「パンク真っ盛りの時じゃないっすか!いいっすねえ〜」なんて羨ましがられるもんじゃ。 そして「七鉄さん、酔っぱらってライブ・ステージに乱入して『アナーキー・イン・ザ・UK』でもシャウトしたんでしょっ!」ってからかわれるな。 「おぅ! わしの大シャウトに、ロンドンのパンクキッズもギョーテンしたぞ!」ってジョーダンじゃない。 事実はぜ〜ぜん違う、正反対じゃ。
  大体、ロンドンの街中を歩いておっても「さすがロンドン! パンクの炎が燃え上っとる!」なんて実感することはなく、パンクファッションの若者を見かけることもそんなに多くは無かった。 そこら辺の詳細は3年前にこのコーナーにおいて「七鉄青年が初めて見た『ロック第二の本場イギリス』の現実!」っつうタイトルで書かせてもろうたので、よかったらそっちも読んでくれたまえ。

 んで、パンクなんかに全然染まらなかったってハナシじゃが、それは「サッチャー政権の味方をした」わけでもなくてだな、ただ単に「パンクロックに興味がなくなった」ってだけの事じゃ。
 わしの旅ってのはいつも軍資金の少ないビンボー旅だったから、当然出入りする場所は労働者階級クラスのところばかり。 パンクは労働者階級の為の音楽だし、行く先々でパンク・スピリッツを肌で感じて影響を受ける方がロックファンとしての自然の成り行きなのじゃが、どうしてそうならんかったのか?

 わしはロンドン滞在中は昼夜問わず街中をほっつき歩いておったが、とにかく労働者階級の白人の若者には覇気、精気ってもんがなかったんじゃ。 現実の光景で説明をすると、一生懸命働いているのは黒人系やアジア系、ヒスパニック系の人達ばかりに見えたんじゃよ。 ビールを飲もうが、フィッシュ&チップをつまもうが、ハンバーガーを喰らおうが、オーダーした店員さんが白人だと、持ってくるのは遅いし、オーダーミスも少なくなかった。 態度もかったるそう。 反対に黒人やアジア系の従業員はテキパキと動いていて愛想もいいし、何かと気を利かせてくれるのじゃ。
 言い方を変えれば、「ミスったってうまく言い訳してしまえ!」ってな投げやりな態度なのが白人。 黒人系、アジア系からは「ミスったら、お客に二度と来てもらえない」っつった生真面目さをひしひしと感じたんじゃな。



人種差別、公共道徳無視をする白人たち 
 

 今にして思えば、当時は一張羅だったわしのテッズ・ファッションを出し惜しみしたのがマズカッタか!? しょっちゅうキメとけば・・・という悔恨もあるが、わしは少ない資金と限られた時間内で精いっぱいイギリス滞在をエンジョイしよう!って目論見じゃったので、「現地の白人とわしとの生活のスピードが合わなかったのかもしれない」って大人の解釈も出来ないことはない。
 また今よりもアジア人に対する偏見も激しい頃じゃったし、しかもわしは英語が下手くそじゃったから、上から目線の人種差別をされていただけだったのかもしれん。 そう言えば、銀行でトラベラーズ・チェックを換金しようとしたら「これはロンドンでは使えんよ」なんてトンデモナイ嫌がらせをされたこともあったな。 街中のショップで釣銭を誤魔化されそうになったなんてしょっちゅうじゃった。 そして、そういう悪さをするのは白人ばっかりじゃった!って、もう止めよう・・・30年以上も経ってから腹が立ってきたわい(笑)
 いやいや、もうこの際だから書き加えておくが、公園とかコーヒーショップで長時間うだうだしておったり、ゴミを散らかしておるのも白人ばっかりじゃったぞ。 すれ違いざまに厚かましくタバコをたかってくるのも白人じゃった。 

 でも当時は、白人たちから不当な扱いを受けてもあまり腹が立たなかったな。 わしが鈍感だった(平和主義者?)ってこともあるだろうが、恐らく、白人よりもアジア系民族の方が懸命に働いておる姿を目の当たりにしておったので、同じ民族としての誇りを感じていたからじゃろう! 
 それでも、白人労働者たちの冴えない、不誠実な様子に毎日出くわしておったら、彼らに対する印象はどんどん悪くなるのは当然じゃ。 ロックに憧れ、白人文化に憧れてはるばるイギリスくんだりまでやってきた純粋無垢だった(?)七鉄青年にとって、その目に映った、その心情に触れた労働者階級の白人の実態は期待外れもいいところだったのじゃ。 こういう連中のためにパンク・ロックってものが存在しておるのであれば、パンク・ロックに対するわしのスタンスってのは、もはや自明の理(分かりきった事)じゃ! 分かってくれるよのお、諸君。

 

パンク・ロック・イズ・“パンク”!?

 もし、わしがもっと英会話が上手かったら? 
 もし、わしが中流階級以上のイギリス人社会を体験しておったら? 
 もし、わしが旅人ではなくジャーナリストとしてイギリスに行っていたら?

 つまり、より現地から歓待される条件で渡英しておったら、イギリスの白人に対する印象が違っていたのじゃろうか?って、安宿で一人酒をやりながら出来るだけ冷静になったつもり考えたこともあった。 (それなら酒を飲むでない!) 
 でも結局は「そんな仮説は無意味じゃ。 僅かな資金と乏しい語学力の旅行者にしか見えてこない真実だってあるサ!」って開き直り、 さあこうなったらパンク・ロック及び愛好者に説教のひとつもタレたくなった!

 「キサマラ、毎日グータラ、チンタラしやがって! 何がパンクだ、何が政府を倒せだ、何がイギリスをぶっ潰せだ! 減らず口をたたく前にシャキッとしろっ!」
 「グータラ白人に支持されておるロンドン・パンクなんざ信用出来るか!」
 「パンクは“くず”って意味じゃったな。 おぅ! パンクロックなんて、文字通りくず野郎に相応しい音楽じゃ!!」

って極論に至ってしまったわけじゃ。 今は決してパンク否定者ではないが、やっぱ若かったなあ〜。 音楽自体ではなくて、そのファンが嫌いだから音楽も好きになれない!っておかしな理屈じゃが、これがパンク真っ盛りのロンドンでのわしの紛れもない心境だったんじゃよ。 だからロンドンの労働者階級の日常も知らずに、日本の中でレコードだけを聞いて「ロンドン・パンクこそ、イギリス最大の希望なのだ!」なんてエラソーにヌカしておった日本のロック評論家なんて首締めてやりたくなったもんじゃ。 


終章〜闘いは終わった。 マギー嬢よ、パンク・ロックよ、安らかに眠れ


 
このイギリス滞在を期に、わしはロックをパンク以前、以降と完全に別物に分けて捉えるようになり、また現実社会に対して直接的に騒ぎ立てるロックにはまったく興味がなくなったんじゃ。 そんなものに熱狂しとる連中の裏側をしっかりと見てしまったからのお。 そして「不条理に思える現実に牙をむく」のではなくて、「不条理な現実を如何に生き抜くか」がテーマのロックこそ、わしにとってのリアル・ロックになり、それは今でも変わってはおらん! でもな、あれから時は流れた。 21世紀のわしは、クラッシュとかシスターズ・オブ・マーシーとかジョニー・サンダース&ハートブレイカーズとか、真に音楽的に優れたロンドン・パンクのバンドを聞く度量が備わっておる。

 さて、イギリスの音楽紙NMM誌をめくっておったら、ロッカーの先頭を切ってマギー政策批判をブチあげとったジョニー・ライドン(元セックス・ピストルズ)が、マギー訃報に際して発表したコメントが載っておった。 その主旨にはちょっとキタな。(笑) 

「死んだ人間に対してまでとやかく言うほど、俺は卑怯者じゃないよ」

 ロック史上有数の毒舌家だったジョニーにしては、あまりにも控えめなこのコメント・・・その真意は、案外こんな感じだったんじゃないかとわしは思えてならない。

 「彼女も、彼女なりに国を背負って俺たちと闘ったんだ。 もう許そうではないか」

 憎き相手に対しても敬意を表する心境になれることは、一人の人間としてとても素敵な事だと思うぞ。 それが年齢を重ねるってことの美徳じゃよ。 ジョニー・ライドンの今後の作品に注目してみようかなって、わしも「人間としての進歩」を授けてもらったわい! やっぱり青春だけが美しいわけじゃない。 しぶとく生き延びるってこともまた素晴らしい!ってことを、事もあろうに興味の薄かったパンク・ロッカーの、しかもその代表者たる者から教えられた次第である!

 ジョニー・ライドンには、ちょい前にメンフィスのラブテンでThe-Kingのアメリカン・ロングコートをお買い上げ頂いたが、やはりThe−Kingブランドを愛するロッカーは、実績も精神性もビンテージじゃのお〜。 パンクロックは既に遠い過去の遺物になりつつあるが、The-Kingのアイテムとスピリッツは不滅じゃ。 ジョニーよ、今後ともその崇高な精神でよい音楽を作ってくれたまえ。 そしてThe-Kingブランドをヨロシューな!


七鉄の酔眼雑記 〜更なる訃報に寄せて
 
 パンクロックとともに生の最盛期を送られたサッチャー氏の訃報に端を発してペンを進めた今回じゃったが、その一方で、パンク以前のイギリスのロックシーンの、いわば裏方として活躍された代表的人物の訃報にも、わしは弔いの意を表しておったんじゃ。
 70年代のロックのLPジャケットデザインを手がけたアート集団ヒプノシスのストーム・トーガソン氏。 また同時期のビッグ・ロッカーのエンジニアを務めていたアンディ・ジョーンズ氏も、この4月に相次いで訃報が届いた。 丁度1年前のこのコーナーでストーム・トーガソン氏は取り上げた事があった。 ジャケット・デザイナー、フォトグラファーとして名を馳せたアーティストたちも殿堂入りさせるべきじゃ!ってな。 アンディ氏もロック史上に燦然と輝く名盤の製作に数多く携わっていただけに、こういう人物も殿堂入りを推薦したい。

 「殿堂、殿堂ってウルセーゾ!」
 「年寄りはなんでそんなに名誉に拘るんだ!」
ってお叱りを受けそうじゃが、おぉ拘るわいっ! 拘って何が悪い!! って逆ギレしてもしょーがないが、ストーム氏もアンディ氏も一線を退いてからかなりの歳月が流れていて、その功績が忘れ去られようとしておるからじゃ。
 クラシックやジャズと比べてロックの歴史はまだ浅く、演奏者やプロデューサーといった表向きの功労者にしか光が当たっていないのが現状じゃ。 裏方さんの功績までしっかりと理解しているのはマニアだけじゃ。 だから、ロックを音楽としてよりもひとつの文化として捉えた場合、後世に正確に伝承するためには、そうした裏方さんにも光が当てられて然るべきだし、それには「殿堂入り」という名誉が世間的にもっとも分かりやすくて、知らない者に伝える機会が増えてくるものだからじゃ。 文化ってものが伝承されていくには、そういうやり方が不可欠なのじゃ。 ご本人の為というよりも、ロックという「音楽文化」のためにわしは提唱しとるんで、どうかご理解を頂きたい!

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